『金剛』弘法大師第一番の御詠歌
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 11 ต.ค. 2024
- 金剛にて、高祖弘法大師第1番の御詠歌をお唱えします。
有(あ)り難(がた)や
高野(たかの)の山(やま)の岩蔭(かげ)に
大師(だいし)はいまだ 在(おわ)しますなる
作者 慈鎮和尚
このお歌は生身の大日如来さまとして入定留身せられ、龍華三会の暁まで私どもの現在と未来の二世にわたってお守りくださっているお大師さまを自らの肉眼で拝したいとの一念で古希に近い老体を、おとものものに助けられながら高野山奥の院に参籠せられた天台宗総本山比叡山延暦寺座主慈鎮(じちん)和尚が即身成仏の尊いお姿を拝したいと三日三晩断食行をされてお大師さまの御廟前に修法こらされました。三日目の夜半に最後の修法の座を終えられました時、和尚様の眼前にお大師さま御入定のお姿がありありと影向せられたのを拝しせられました。和尚様は、お大師さまの御遺告に偽りがなかったと、ありがたく涙にくれて。まさしく生身の大日如来としての定身を拝せられた感激を一気に矢立ての筆に託されましたのが、この「有り難や高野の山の岩蔭に大師はいまだおわしますなる」のお歌となったのであります。
(高野山金剛流詠歌和讃の解説より抜粋)
⇊よろしかったらこちらもご覧ください⇊
●普段着和尚のひとりごと
▶ • お話
●不動明王を拝む
▶ • 不動明王を拝む
●観音経
▶ • 観音経
●般若心経
▶ • 般若心経
●護摩
▶ • 護摩(Goma)
●御詠歌
▶ • 御詠歌
●守り本尊を拝む
▶ • 守り本尊を拝む
●七福神のご詠歌
▶ • 七福神のご詠歌
◎チャンネル登録をお願いします
▶ / @amachan-temple
#空海 #弘法大師 #詠歌 #chant #buddha
尊い金剛大師様の御詠歌を配信下さいました事に有り難い想いでいっぱいです。
ただただ歌の言葉の通りに感じているのは和上様はじめ尊宗様の御信徒様だけでなく多くの仏縁ある方ならきっと御詠歌のままに心に染み入る内容の詩だと想っております。
意識というものは一般従来の生死超えての存在の状態が変るだけで普遍不滅であり、物質依拠でない事は今日の科学物理でようやく気づき始めているようですが、古より人は感応したまま受け入れてきた真実が先を行ってきたという想いです。
南無大師遍照金剛
ありがとうございます。
まさに、仏教は科学ですね。
科学と言う或る意味、言葉で表現し即物的な表面の事象で証明する思考法が仏の説かれた真理の端尾表面にようやく触れた段階なのかもしれないのかなあと思っています。
言葉の表現と意思疎通は大切な手段ですが余りに頼過ぎ、行動で感応するというか、感じ取る感覚に不信になってしまったまま言葉と言う矮小な檻に囚われてしまったまま来てしまったのが科学的思考、科学主義かもと思ったりします。それゆえに実践(修業)を通じて感得されて来られた方を尊敬しております。
佛祖が行の果てに感得し悟られ、機に応じ様々に喩えを用いて説かれた真理、その様に感じたりすることがあります。
喩え方が下手で世俗下品にってしまいますが、佛祖の教えを銀行の現金流通の仕組みに喩えるなら、
先端科学ですら佛祖の説かれて来た教えに対して、銀行での振り込みの入出金の仕組みを、ようやく銀行員が実際に現物を振込先に届けたり、向こうから届けられる訳では無い事を、ボンヤリ理解した子供のような物、つい最近までは江戸時代の御用金みたいにブツを運んでたと思ってた児童。
そんなレベルのような気がしています。
要領不明な駄文しか書けない無知蒙昧な愚夫の戯言で恥ずかしい限りです。
面白い喩えですね。
お金すら刷らないで、通帳の数字だけの移動ですね。
愚かな戯言申してしまい恥じ入るばかりです。
いいえ、真髄をついていると思います。