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古事記よりも各地神社に残る伝承とマッチしてるのでわかりやすい。5年ぶりに聞きに参りました
ありがとうございます...
二見浦は阿波にないですか?
いつも楽しく拝見させて頂いております。会社の同僚が松江の出身で私は岩手なのですが方言が似ているはなんでなんだろうねという話題をよくしていました。もしかして昔に出雲の方から東北にきた人たちがいたかもねという話をしていたのですが、岩木山神社の話で合致がいきました。古事記ではわからないこともホツマツタエでリアルに受け継がれているのだなあと感じています。東北は未開の地と言われていましたが私はそうは感じない部分が多々あるのですが以前の回などから納得いく部分も多いです。非常に面白いですね。
すごい繋がりで鳥肌が立ってしまいました!岩木山の方には縄文の遺跡がありますが、何か関係があるのかなあなんて想像してしまいました!
大物主は何名かいらっしゃいますが、大国主と呼ばれたのはクシヒコだけです。 記紀の間違いを解説できる部分でこの説明は、とても残念です。
仰る通りですね。
だから、岩木山神社に出雲神社があるんだよね。
仮にホツマの方が記紀より古いとすると、ホツマでは、一行政官に過ぎなかった大国主であるのに、記紀では、独立した国の王の如く描き、高天原は国譲りを迫ったという際どいストーリーに変える意味はあるんですか??神武天皇より前から大和朝廷があったというフィクションを作るから、こんなにおかしなことになるんじゃないですか?弥生時代、出雲を中心とした緩やかな秩序が形成されつつあったのは考古学的にも言えることです。しかし、国譲り→天孫降臨→神武東征が起こり、大和朝廷を中心とした秩序が形成されたという記紀のストーリーが、考古学とも整合します。大国主の統治について、古事記は「さばえなす」争乱状態だったと表現しています。大祓祝詞でも「あらぶる神たち」と。統治の在り方は「うしはく」です。一方、天皇は「しらす」です。そして「あらぶる神たちを かむ問わしに問わしたまひ かむ祓へに祓へたまひ」とあるように、太陽が邪を祓う力で「あらぶる神たち」を祓いました。日本って、諸外国に比べて内乱も少ないし、驚くほど治安が良かったです。ここに国譲り→天孫降臨→神武東征には、大いに意味があったのです。
そもそも古事記、日本書紀が、何故、漢字で書かれているのか疑問です。漢字以前の元があり、編纂されていると考えるのが筋ではないでしょうか。縄文からのヲシテ文字と渡来人(秦氏や百済人)文字は、違いますから、日本独自にコミュニケーションを作り上げるためには、共有する【何か】が、必要だったと思います。そもそも、数千年前の人達を【神】という漢字を当てはめたことが、後世への誤解を生んだのだと感じます。漢字にするなら、【守】【上】が、適当だと個人的には思います。
いときょうさんがどのように時代を推定したかわかりませんが、おそらく、現在の考古学の稲作の起源が紀元前1000年くらいだろうということから、それなら、天照時代に稲作が始まったとあるのでそこで時代を推定したのでしょう。考古学の知見が変われば、時代考証も変わるのだと思いますが、どうでしょうか?しょせんこの話は彼のフィクションです。彼が現実に見てきた話ではありません。天照が500年くらい生きたことになっています。でも、大胆な仮説は楽しい。
岩木山神社ですか。面白かったです
わかりやすく漫画化してほしいですね。それとももう存在するのかな?
相撲に関してはユダヤの民との関係性も無視出来無いと思うので、どういった認識を持たれているか知りたいです。
楽しい、面白い、素晴らしい!ようやく知ることが出来た不思議な事象。大切に伝えて欲しいと思いました。
出雲の国譲りはきな臭いことがあったのか平和に譲られたのか結局どっち?出雲神社のきな臭いのは杵と臼を借りに行ったら罵詈雑言を浴びせられたどこかの使者にお前生意気にそんな材質の服着て何してんだよ態度でかいな使者のくせにといちゃもんつけたら使者が「今日からこんな服着るのやめて心を入れ換えます態度でかくてすみません」と謝罪したこれらの真実が気になる。神事になってる理由も気になる国譲りより興味深い大物主=物部氏とアラハバキの話スルーですか?
卑弥呼はでてこないの??
国譲りは、島根県で行われたとは書いていません。山陰とも書いていません。島根は、発展したとは思いません。だから、国譲りは、島根県ではないと判断します。
えー? オオナムチ(道を知る者)さん 大国主の命が別名? あり得ないわスサノヲさんの御子がオオナムチ クシキネ様 オオナムチと呼ばれて初代大物主になったけどその子のクシヒコさんが2代目オオモノヌシとなり アスカノオキミについてアスカへ行く筋道の通らぬ行いに愛想をつかし ニニギネ様の元へ ともに開墾の折に建てた母屋の 床の間などの出来をおほめになったニニキネ様より賜った オオトコヌシ が語源で 大国主と呼ばれたのよ古事記で話をつなげるから おかしなことになるんだわ 津軽の語源だって 罪を刈る地という意味があり ここに 出雲クーデターの後、蟄居されたゆえに カルキミと呼ばれたんだわ何故自ら蟄居したのかの理由も 天皇になることができる~キネという名前と 八重垣の御旗を賜ったのことにあるのよ 持ち上げられ ソソノカされた故だった そのことをカシマ神タケミカズチに「天皇をお守りするという誓を忘れたか」と諫められ 悔いて自ら蟄居したこの言葉は とても重要なのに 国譲りなどという言い方は 国の受け取り方の違いだわ 地方の(県)クニだったのよ近年まで日本中でも お国はという聞き方をしていたし オオナムチ 初代オオモノヌシ クシキネ様は国譲りではなく 討伐を受け入れたということよウツシクニタマ は移したということよ 漢字に書き換える段階で解らなくなってしまったホツマの話が 少し違ってきているようですが 何故でしょう?
古事記よりも各地神社に残る伝承とマッチしてるのでわかりやすい。
5年ぶりに聞きに参りました
ありがとうございます...
二見浦は阿波にないですか?
いつも楽しく拝見させて頂いております。
会社の同僚が松江の出身で私は岩手なのですが方言が似ているはなんでなんだろうねという話題をよくしていました。もしかして昔に出雲の方から東北にきた人たちがいたかもねという話をしていたのですが、岩木山神社の話で合致がいきました。古事記ではわからないこともホツマツタエでリアルに受け継がれているのだなあと感じています。東北は未開の地と言われていましたが私はそうは感じない部分が多々あるのですが以前の回などから納得いく部分も多いです。非常に面白いですね。
すごい繋がりで鳥肌が立ってしまいました!岩木山の方には縄文の遺跡がありますが、何か関係があるのかなあなんて想像してしまいました!
大物主は何名かいらっしゃいますが、大国主と呼ばれたのはクシヒコだけです。
記紀の間違いを解説できる部分でこの説明は、とても残念です。
仰る通りですね。
だから、岩木山神社に出雲神社があるんだよね。
仮にホツマの方が記紀より古いとする
と、
ホツマでは、一行政官に過ぎなかった大国主であるのに、
記紀では、独立した国の王の如く描き、高天原は国譲りを迫ったという際どいストーリーに変える意味はあるんですか??
神武天皇より前から大和朝廷があったというフィクションを作るから、こんなにおかしなことになるんじゃないですか?
弥生時代、出雲を中心とした緩やかな秩序が形成されつつあったのは考古学的にも言えることです。
しかし、国譲り→天孫降臨→神武東征が起こり、大和朝廷を中心とした秩序が形成されたという記紀のストーリーが、考古学とも整合します。
大国主の統治について、古事記は「さばえなす」争乱状態だったと表現しています。大祓祝詞でも「あらぶる神たち」と。
統治の在り方は「うしはく」です。一方、天皇は「しらす」です。そして「あらぶる神たちを かむ問わしに問わしたまひ かむ祓へに祓へたまひ」とあるように、太陽が邪を祓う力で「あらぶる神たち」を祓いました。
日本って、諸外国に比べて内乱も少ないし、驚くほど治安が良かったです。
ここに国譲り→天孫降臨→神武東征には、大いに意味があったのです。
そもそも古事記、日本書紀が、何故、漢字で書かれているのか疑問です。漢字以前の元があり、編纂されていると考えるのが筋ではないでしょうか。縄文からのヲシテ文字と渡来人(秦氏や百済人)文字は、違いますから、日本独自にコミュニケーションを作り上げるためには、共有する【何か】が、必要だったと思います。そもそも、数千年前の人達を【神】という漢字を当てはめたことが、後世への誤解を生んだのだと感じます。漢字にするなら、【守】【上】が、適当だと個人的には思います。
いときょうさんがどのように時代を推定したかわかりませんが、おそらく、現在の考古学の稲作の起源が紀元前1000年くらいだろうということから、それなら、天照時代に稲作が始まったとあるのでそこで時代を推定したのでしょう。考古学の知見が変われば、時代考証も変わるのだと思いますが、どうでしょうか?しょせんこの話は彼のフィクションです。彼が現実に見てきた話ではありません。天照が500年くらい生きたことになっています。でも、大胆な仮説は楽しい。
岩木山神社ですか。面白かったです
わかりやすく漫画化してほしいですね。
それとももう存在するのかな?
相撲に関してはユダヤの民との関係性も無視出来無いと思うので、どういった認識を持たれているか知りたいです。
楽しい、面白い、素晴らしい!
ようやく知ることが出来た
不思議な事象。
大切に伝えて欲しいと思いました。
出雲の国譲りはきな臭いことがあったのか平和に譲られたのか結局どっち?
出雲神社のきな臭いのは
杵と臼を借りに行ったら罵詈雑言を浴びせられた
どこかの使者にお前生意気にそんな材質の服着て何してんだよ態度でかいな使者のくせにといちゃもんつけたら使者が「今日からこんな服着るのやめて心を入れ換えます態度でかくてすみません」と謝罪した
これらの真実が気になる。神事になってる理由も気になる
国譲りより興味深い
大物主=物部氏とアラハバキの話スルーですか?
卑弥呼はでてこないの??
国譲りは、島根県で行われたとは書いていません。山陰とも書いていません。島根は、発展したとは思いません。だから、国譲りは、島根県ではないと判断します。
えー? オオナムチ(道を知る者)さん 大国主の命が別名? あり得ないわ
スサノヲさんの御子がオオナムチ クシキネ様 オオナムチと呼ばれて初代大物主になったけど
その子のクシヒコさんが2代目オオモノヌシとなり アスカノオキミについてアスカへ行く
筋道の通らぬ行いに愛想をつかし ニニギネ様の元へ
ともに開墾の折に建てた母屋の 床の間などの出来をおほめになったニニキネ様より賜った
オオトコヌシ が語源で 大国主と呼ばれたのよ
古事記で話をつなげるから おかしなことになるんだわ 津軽の語源だって 罪を刈る地という
意味があり ここに 出雲クーデターの後、蟄居されたゆえに カルキミと呼ばれたんだわ
何故自ら蟄居したのかの理由も 天皇になることができる~キネという名前と 八重垣の御旗
を賜ったのことにあるのよ 持ち上げられ ソソノカされた故だった
そのことをカシマ神タケミカズチに
「天皇をお守りするという誓を忘れたか」と諫められ 悔いて自ら蟄居した
この言葉は とても重要なのに
国譲りなどという言い方は 国の受け取り方の違いだわ 地方の(県)クニだったのよ
近年まで日本中でも お国はという聞き方をしていたし オオナムチ 初代オオモノヌシ クシキネ様は
国譲りではなく 討伐を受け入れたということよ
ウツシクニタマ は移したということよ 漢字に書き換える段階で解らなくなってしまった
ホツマの話が 少し違ってきているようですが 何故でしょう?