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麒麟がくるでは気づいたら義輝が将軍の器ではないという認識が松永久秀や奉公衆の間で共有されていたけどその裏にはこういう事情があったんですね…将軍権力の回復を強く志向しすぎるが故に、自ら将軍権威を崩壊させてしまった感、若年だったので思慮が足りなかったというのもありそう
義輝はともかく松永久秀は真面目すぎて時々融通が利かなくて誤解されやすい人だったのかなあという気がする今日この頃です
この時の久秀は三好の代弁者として伊勢を守ろうとしてるんですよね…まあすぐ後に伊勢が六角と結んじゃうわけですが
どこかのノッブとかぶるw
なるほど!陶晴賢さんも、近いって説ありますよね。
今までは義輝が善で三好長慶と松永久秀が悪という認識がまかり通っていましたし
究極のやらかしは、改元に抗ったことだろうなぁ。朝廷に叛意は一番あかん。
暗殺されて自業自得と言われた将軍もうひとりいたような…
ああ、なるほど!足利義教公ですね!
三好政権の限界は鎌倉幕府の内管領の限界に近いところあるような気がする足利幕府末期の管領が細川氏で、細川家を有力に支えてるのは三好氏なんだけど、あくまでも細川氏の家臣である限界のせいで権威付が足りないというかなんというか
ですよね~!それ、天皇陛下の直臣に成る前の、大久保利通、西郷隆盛政権も、近いかも。
ひょっとすると、足利義昭追放後の織田信長政権も近いかも。
九州に一大勢力を築いた大友と違って晴宗の頃の伊達氏は婚姻や養子縁組で南東北で確固たる地位を築きましたが、領地は現在の福島市&伊達市周辺と米沢市周辺しかなかったので、奥州探題は不審を招く大盤振る舞いだったと思います。
もう倒産することが分かりきってる会社で何とか立て直しを模索してる社長のようにも見えるな義輝
そういう面も間違いなくあるんですよね
いや、大河よりおもろいでこのchは。
動画作成お疲れ様です。動画を見終わって、義輝はどうあるべきだったんだろうなんて、これまた後出しジャンケンとわかりつつ考えてみましたが、わっかんないですね。大人しく幕府の象徴としていることくらいでしょうか?ただ堺公方系がいたことからも、それなりに存在感を出さないと体良く追っ払われてしまうだけでしょうし・・・三好と和睦後に、切り替えて三好と親和していければよかったんでしょうけど、それが出来ればこんなことにはならないでしょうし、それが出来たらそれはもう義輝の実像ではないのでしょうし。単純なIF分岐で済まないところが、また歴史の面白いところと、結局思うだけでしたw(毎回ごちゃごちゃコメント書いてますが、要は全力で楽しんでます♪)
最近読んだ天野さんの三好一族からの印象としては結構、あの手この手(権謀術数)を使ったけど自滅した人。て、感じかな?まあ、三好も将軍家を軽んじてたけど・三好一族から見ると信じるに値わない将軍以外何者でもないわな・
元号は朝廷が決めるということを何気に忘れておりました。天皇ははるか昔に実権を失ったと良く言われますが、日本全国が朝廷の決めた元号に従ってたんですよねぇ。
麒麟がくるは義輝を過度に美化したいがために、逆に義輝任命・永年登用の摂津晴門を悪者がごとく描く描写は、主人公光秀の価値観にのみ都合の良い描き方で、矛盾してるから好きじゃありません。そもそも義輝存命時には摂津の悪口なんて義輝も藤孝兄弟も一言も口にしてないのに、悪いのは摂津だけ?義輝が死んでから幕府内の悪者を登場させるとか、辻褄が合ってないこと甚だしい。
やらかしを重ねて政界で孤立して殺されたけど民衆には人気があったというのはネロみたい
ネロは民衆にも人気なかったんだよなぁ
ネロ人気あったよ。イベント多かったし、生存説も出てる。
義輝もそうですが、崇禎帝とかルイ16世とか、やることなすこと裏目になった人って見てていたまれなくなりますね…
帝政ローマ(後期)にも、義輝が幕府を立て直そうとしたように「古き良き帝政に立ち返ろうとしたけど、キリスト教全盛の時代の波には抗えず、暗殺された(疑い)」皇帝に『(背教者)ユリアヌス帝』がいるのですが、動画を見てからふと、義輝とユリアヌス帝をダブらせてしまいましたね。
義輝の場合、やった手段もそんなに良い手ではなかったというのがなんとも言えないですね
尊氏の時代は、すぐにも3万人の兵隊が集まったかもしれないけど、義輝の時代になると、3000人の兵隊を集めるのが限界ですよね。義輝が一生懸命、幕府の権威の失墜を食い止めようとしているけど、それが全部、裏目に出るというのは、滅亡を速めてしまった原因なんですかね?
私は義輝が何故ここまで必要に三好を嫌ったのかというのが気になる。三好に攻められて近江に逃げた大御所である父親の義晴が近江で病死してるのだが、おそらくは憤死したのだろうと思われる節がある。だから義輝は三好一族を幕府に迎え入れることはないし、三好一族は先代を裏切って憤死させた細川晴元を重視する義輝を担ぐことをしないのだろうな。と思ってました。お互いが親の仇なのだから和解はないのでしょう。
昔から判官贔屓だった我が国の庶民は「滅びゆくいにしえの権威」なんて大好物だろうから、義輝支持が多いのもわかる
「五月雨は露か涙かホトトギス わが名をあげよ雲の上まで…」か…やはりこの辞世の句を見ると…
伊勢氏はここでフェードアウトしたのか
本当の意味で伊勢氏がフェードアウトするのは小田原征伐まで待たないといけないけど…
ですよね!北条早雲=伊勢宗瑞ですもんね。
剣豪将軍も蔑称みたいなもんですからね、三好倒しても誰が自分の安全を保障してくれるのか考えもしなかったんだろうな。結局人望がまるでないという事に最後まで気づけなかったか。
義昭の兄上だけある
大将が自ら剣をふるって戦う時点でアカン。(;゜゜)
建武の新政のとき奥州に行ったのは北畠親房と北畠顕家が奥州探題ではなく、奥州鎮守府だったっけ
そうですね「大将軍」を名乗ってましたな
松永久秀のくせにでおにぎりを吹き出した弁償してくれと政所に訴えよう。
久秀もせめて義継の息子が生き残っていたら信長に最後の謀反を起こさなかったのかもなぁと考えると妻子を落ち延びさせずに自らの手で殺した義継が短慮だったのかとも思う。いや逃がせる状況じゃなかったみたいではあるんだけど。
将軍を無視して改元したことは地方から三好への敵対感情に繋がり、三好側としても義輝と和睦せざるを得ない状況になったと天野先生が書いてた(気がする)
天野さんは史料の読み込みが雑。研究者としては馬部さんの方が信頼度は高い。
取り柄と言われる剣術の腕前も義理許しか金許しの可能性ありそうですからね(師匠とされる塚原卜伝は宣伝上手だから、将軍を優遇するメリットは理解してそうだし)
確かに!足利義輝公ならば、塚原卜伝とその家族、あと京都に居た兄弟弟子総動員で、格式ばった儀式を伴う大宴会やらかしそうですよね!
義輝から見たら邪魔そのものだけど、もっとも自分を大事にしてくれてる三好長慶を暗殺しようとしたり戦争ふっかけてるからなあ。
その暗殺対象の長慶が生きててくれれば義輝はあんな最期を迎えずに済んだ可能性が極めて高いのが皮肉ですな
@@太田うしいち 長慶は「またあいつはしょうがねぇなぁ」程度で済ませてくれてたのが、長慶の死後の三人衆は義輝の行動を「現実的な脅威」と捉えてやってしまったんでしょうねぇ。
フム…『政所(まんどころ)』か…正にアンタッチャブルだせぇ🎵
今回の大河は徳島県民にとっては複雑でしょうね。今でも三好って名字の人多いですから。
うぽつ
ありがとうございます!
政所って大蔵省、今の財務省みたいだな選挙で選ばれた政治家ですら介入できないっていう
+東京高裁みたいな感じですね
うーん、私は義輝の行動を支持しますけどね。そもそも幕府の力が衰退しまくっているのだから今までと同じやり方ではダメなわけでこれまでと同じやり方を続けていたらそれこそ暗愚では。勿論、こうした行動が三好三人衆などからの反発を招き、討たれてしまったわけですが…そういう方法を取らざるをえなかった、悲劇の将軍だと思います。
勿論衰退しているわけですが、以前の動画であげたように、室町幕府はまだまだ機能していたんですよね父の義晴が内談衆を設置して幕府の機構も整い始めた折に、強硬手段でぶち壊してしまった面が義輝にはあるんですよね勿論仰る通り、仕方ない側面もあるにはあるんですが…とどめをさしてしまった感じはちょっと私は拭えないですね
@@太田うしいち 返信いただけるとは、ありがとうございます。例えば大友氏や伊達氏の探題認定なんかは、末期の漢王朝や魏王朝が呉の孫権に爵位を与えたようなものだと思います。当時、九州や東北を実行支配していたのは大友氏・伊達氏なわけで、それを認めないと東北や九州は幕府の権力の範囲外ということになってしまいます。(実際なっていたわけですが)そこで、大友氏・伊達氏の支配を追認することで幕府の力がこれらの地域にも及んでいることを内外に示そうとしたのでしょう。当時は今川家が平然と室町幕府からの独立宣言などをしていた時代であり、強硬な手を打たないと幕府が更に衰退してしまうという焦りが義輝にはあり、かつそれは現実に正しかったと思います。
正直 取り巻きが 悪かったのでは 自分の国力などを 考慮して 行動したりなど 将軍のプライドなどが 邪魔している様なところが 見えますが
奉公衆や公家、寺社から嫌われながら、庶民からは死を惜しまれていたのですね。徳政令を出したりしていたのでしょうか?
ぶっちゃけた話慕われたと言うより三好三人衆への嫌がらせというかヘイト行為の割合がデカい気はしますw
太田うしいち・ゆっくり歴史解説 完全に偏見だけど、そういうの物凄く京都人のDNAを感じるなぁ・・・
そうそう!未だに、日本共産党京都支部がそれなりの権力を握っているとか。
斎藤道三の娘が伊勢氏の息子に嫁いだとする説もあるようですね。
庶民から好かれていたという話がなければ、ただの嫌われ者の剣術バ◯だったのかと思うところでしたが・・民の声は神の声という諺もある反面、愚民くらい騙されやすい存在もいない訳で・・すくなくとも大河に出てきたみたいなカッコいいキャラではなかったんだろうな。
ぶっちゃけた話、民衆の追悼は現政権三好三人衆へのヘイト行為の割合が高い気もしますw
太田うしいち・ゆっくり歴史解説 では、神の声だったという事ですね。
やらかしたと言ってる事の殆どが義教や義政の行った事の延長線上にあるので義輝個人の資質だけに責任を求めるのは難しい所ですね
?
もう義輝の時代には室町幕府の権威も役職も形骸化して下克上の風潮になってますからね。その中で時代を逆行して足利氏に権威を取り戻そうとするなら光武帝並みのスペックの名君でないと難しかったでしょうね…。
うーん…幕府の権威も役職も決して形骸化してないんですよね統御はできなくなりましたが割と機能していますこの時代の幕府の役割については私も信長解説の一端でまとめましたが山田康弘先生の『戦国時代の足利将軍』を読むことをお勧めします
将軍とは名ばかりなことに剣豪でもある義輝は歯がゆさを感じていたのでしょう。自分の思いを果たすには大組織を動かす深慮遠謀が足りなかったというところでしょうか。一刀両断!!というわけにはいかないですね。
剣豪かどうかも正直よく分からないらしいんですけれどね…もう割と無理ゲーな組織を任されたけどそこでさらに悪手を打ってしまった感じですかね
何故その組織や仕組みがあるのか?を考えない人が、下手に自分の色を出そうとしてこけるのは、一般の企業の部署でもよくあることかと自分の仕事は何なのかを知るのは結構難しいのかもしれません
まぁ、賢い人ではなかったようですね。
或いは16世紀激動の室町幕府で一冊書いて大河狙うのはどう?いや、三好3人衆目線の近畿史でも行けるでしょ!牛一なんだから自信満々で書いて下さいよ。
武勇には知られているけど、人間義輝はあまり知らないです。
俺の世界史の名言がここで聞けるとはw
邪智暴虐w
羽州探題は最上義光に御所号を与えたりして追認したような形だけど、大崎氏に比べて家勢は維持してたとはいえ義輝在位当時は伊達氏に比べてはるかに小勢力だった最上氏を羽州探題として維持しようと動いた理由は何だろう。単に羽州探題を欲してた勢力がなかったのか?やらかした反省か?
伊勢氏は応仁の乱から政権が変わろうの重要なポストにいたことかはスルーかい義輝の置かれた立場から言えば、一か八かの手しか残されていなかった傀儡のままのほうが良かったってことかな
諸行無常…。
かの暴虐邪知がここで聞けるとは⁉️っw
でも義輝以前の足利将軍も似たようなものの気も。信長が実は朝廷や前例を重んじていた事を持って革新的ではなかったという人に言いたい。いつから室町幕府が古い権威や前例を重視して家柄重視の人事をしていたと勘違いしていた? 信長は、朝廷を重く見て前例を守り、家柄の背景または実績のない人間はお気に入りでも登用しないという、同時代では革新的なことをやっているではないか。
粗捜し
足利義輝は、一番好きな戦国の武将です!300人斬り倒した!というのはあながち嘘ではないと思っています!何かしらの逸話がないとな!項羽が項梁独立の際斬り倒した100人っていうのは50人以上はやっつけてると思います!しかしながら主様、ご指摘のやらかしについては共感できる部分も大きいです😄
三好長慶暗殺未遂の動機は?
なんて言うか最初から嫌い目線で纏めてるから真面目に見れない歴史オタクの人ってこういう逆張りよくやるよね(苦笑)
聞きづらい
麒麟がくるでは気づいたら義輝が将軍の器ではないという認識が松永久秀や奉公衆の間で共有されていたけどその裏にはこういう事情があったんですね…将軍権力の回復を強く志向しすぎるが故に、自ら将軍権威を崩壊させてしまった感、若年だったので思慮が足りなかったというのもありそう
義輝はともかく松永久秀は真面目すぎて時々融通が利かなくて誤解されやすい人だったのかなあという気がする今日この頃です
この時の久秀は三好の代弁者として伊勢を守ろうとしてるんですよね
…まあすぐ後に伊勢が六角と結んじゃうわけですが
どこかのノッブとかぶるw
なるほど!
陶晴賢さんも、近いって説ありますよね。
今までは義輝が善で三好長慶と松永久秀が悪という認識がまかり通っていましたし
究極のやらかしは、改元に抗ったことだろうなぁ。
朝廷に叛意は一番あかん。
暗殺されて自業自得と言われた将軍もうひとりいたような…
ああ、なるほど!
足利義教公ですね!
三好政権の限界は鎌倉幕府の内管領の限界に近いところあるような気がする
足利幕府末期の管領が細川氏で、細川家を有力に支えてるのは三好氏なんだけど、あくまでも細川氏の家臣である限界のせいで権威付が足りないというかなんというか
ですよね~!
それ、天皇陛下の直臣に成る前の、
大久保利通、西郷隆盛政権も、近いかも。
ひょっとすると、
足利義昭追放後の
織田信長政権も近いかも。
九州に一大勢力を築いた大友と違って晴宗の頃の伊達氏は婚姻や養子縁組で
南東北で確固たる地位を築きましたが、領地は現在の福島市&伊達市周辺と米沢市周辺しかなかったので、奥州探題は不審を招く大盤振る舞いだったと思います。
もう倒産することが分かりきってる会社で何とか立て直しを模索してる社長のようにも見えるな義輝
そういう面も間違いなくあるんですよね
いや、大河よりおもろいで
このchは。
動画作成お疲れ様です。
動画を見終わって、義輝はどうあるべきだったんだろうなんて、
これまた後出しジャンケンとわかりつつ考えてみましたが、
わっかんないですね。
大人しく幕府の象徴としていることくらいでしょうか?
ただ堺公方系がいたことからも、
それなりに存在感を出さないと体良く追っ払われてしまうだけでしょうし・・・
三好と和睦後に、切り替えて三好と親和していければよかったんでしょうけど、
それが出来ればこんなことにはならないでしょうし、それが出来たらそれはもう義輝の実像ではないのでしょうし。
単純なIF分岐で済まないところが、また歴史の面白いところと、結局思うだけでしたw
(毎回ごちゃごちゃコメント書いてますが、要は全力で楽しんでます♪)
最近読んだ
天野さんの三好一族からの印象としては
結構、あの手この手(権謀術数)を使ったけど自滅した人。
て、感じかな?
まあ、三好も将軍家を軽んじてたけど・
三好一族から見ると信じるに値わない将軍以外何者でもないわな・
元号は朝廷が決めるということを何気に忘れておりました。天皇ははるか昔に実権を失ったと良く言われますが、日本全国が朝廷の決めた元号に従ってたんですよねぇ。
麒麟がくるは義輝を過度に美化したいがために、
逆に義輝任命・永年登用の摂津晴門を悪者がごとく描く描写は、
主人公光秀の価値観にのみ都合の良い描き方で、
矛盾してるから好きじゃありません。
そもそも義輝存命時には摂津の悪口なんて
義輝も藤孝兄弟も一言も口にしてないのに、
悪いのは摂津だけ?
義輝が死んでから幕府内の悪者を登場させるとか、
辻褄が合ってないこと甚だしい。
やらかしを重ねて政界で孤立して殺されたけど民衆には人気があったというのはネロみたい
ネロは民衆にも人気なかったんだよなぁ
ネロ人気あったよ。イベント多かったし、生存説も出てる。
義輝もそうですが、崇禎帝とかルイ16世とか、やることなすこと裏目になった人って見てていたまれなくなりますね…
帝政ローマ(後期)にも、義輝が幕府を立て直そうとしたように「古き良き帝政に立ち返ろうとしたけど、キリスト教全盛の時代の波には抗えず、暗殺された(疑い)」皇帝に『(背教者)ユリアヌス帝』がいるのですが、動画を見てからふと、義輝とユリアヌス帝をダブらせてしまいましたね。
義輝の場合、やった手段もそんなに良い手ではなかったというのがなんとも言えないですね
尊氏の時代は、すぐにも3万人の兵隊が集まったかもしれないけど、義輝の時代になると、3000人の兵隊を集めるのが限界ですよね。義輝が一生懸命、幕府の権威の失墜を食い止めようとしているけど、それが全部、裏目に出るというのは、滅亡を速めてしまった原因なんですかね?
私は義輝が何故ここまで必要に三好を嫌ったのかというのが気になる。
三好に攻められて近江に逃げた大御所である父親の義晴が近江で病死してるのだが、
おそらくは憤死したのだろうと思われる節がある。
だから義輝は三好一族を幕府に迎え入れることはないし、三好一族は先代を裏切って憤死させた
細川晴元を重視する義輝を担ぐことをしないのだろうな。と思ってました。
お互いが親の仇なのだから和解はないのでしょう。
昔から判官贔屓だった我が国の庶民は「滅びゆくいにしえの権威」なんて大好物だろうから、義輝支持が多いのもわかる
「五月雨は露か涙かホトトギス わが名をあげよ雲の上まで…」か…やはりこの辞世の句を見ると…
伊勢氏はここでフェードアウトしたのか
本当の意味で伊勢氏がフェードアウトするのは小田原征伐まで待たないといけないけど…
ですよね!
北条早雲=伊勢宗瑞
ですもんね。
剣豪将軍も蔑称みたいなもんですからね、三好倒しても誰が自分の安全を保障してくれるのか考えもしなかったんだろうな。
結局人望がまるでないという事に最後まで気づけなかったか。
義昭の兄上だけある
大将が自ら剣をふるって戦う時点でアカン。(;゜゜)
建武の新政のとき奥州に行ったのは北畠親房と北畠顕家が奥州探題ではなく、奥州鎮守府だったっけ
そうですね
「大将軍」を名乗ってましたな
松永久秀のくせにで
おにぎりを吹き出した
弁償してくれと
政所に訴えよう。
久秀もせめて義継の息子が生き残っていたら信長に最後の謀反を起こさなかったのかもなぁと考えると妻子を落ち延びさせずに自らの手で殺した義継が短慮だったのかとも思う。
いや逃がせる状況じゃなかったみたいではあるんだけど。
将軍を無視して改元したことは地方から三好への敵対感情に繋がり、三好側としても義輝と和睦せざるを得ない状況になったと天野先生が書いてた(気がする)
天野さんは史料の読み込みが雑。研究者としては馬部さんの方が信頼度は高い。
取り柄と言われる剣術の腕前も義理許しか金許しの可能性ありそうですからね(師匠とされる塚原卜伝は宣伝上手だから、将軍を優遇するメリットは理解してそうだし)
確かに!
足利義輝公ならば、塚原卜伝とその家族、あと京都に居た兄弟弟子総動員で、格式ばった儀式を伴う大宴会やらかしそうですよね!
義輝から見たら邪魔そのものだけど、もっとも自分を大事にしてくれてる三好長慶を暗殺しようとしたり戦争ふっかけてるからなあ。
その暗殺対象の長慶が生きててくれれば
義輝はあんな最期を迎えずに済んだ可能性が極めて高いのが皮肉ですな
@@太田うしいち 長慶は「またあいつはしょうがねぇなぁ」程度で済ませてくれてたのが、長慶の死後の三人衆は義輝の行動を「現実的な脅威」と捉えてやってしまったんでしょうねぇ。
フム…『政所(まんどころ)』か…
正にアンタッチャブルだせぇ🎵
今回の大河は徳島県民にとっては複雑でしょうね。今でも三好って名字の人多いですから。
うぽつ
ありがとうございます!
政所って大蔵省、今の財務省みたいだな
選挙で選ばれた政治家ですら介入できないっていう
+東京高裁みたいな感じですね
うーん、私は義輝の行動を支持しますけどね。
そもそも幕府の力が衰退しまくっているのだから今までと同じやり方ではダメなわけで
これまでと同じやり方を続けていたらそれこそ暗愚では。
勿論、こうした行動が三好三人衆などからの反発を招き、討たれてしまったわけですが…
そういう方法を取らざるをえなかった、悲劇の将軍だと思います。
勿論衰退しているわけですが、
以前の動画であげたように、室町幕府はまだまだ機能していたんですよね
父の義晴が内談衆を設置して幕府の機構も整い始めた折に、
強硬手段でぶち壊してしまった面が義輝にはあるんですよね
勿論仰る通り、仕方ない側面もあるにはあるんですが…
とどめをさしてしまった感じはちょっと私は拭えないですね
@@太田うしいち
返信いただけるとは、ありがとうございます。
例えば大友氏や伊達氏の探題認定なんかは、末期の漢王朝や魏王朝が呉の孫権に爵位を与えたようなものだと思います。
当時、九州や東北を実行支配していたのは大友氏・伊達氏なわけで、それを認めないと東北や九州は幕府の権力の範囲外ということになってしまいます。(実際なっていたわけですが)
そこで、大友氏・伊達氏の支配を追認することで幕府の力がこれらの地域にも及んでいることを内外に示そうとしたのでしょう。
当時は今川家が平然と室町幕府からの独立宣言などをしていた時代であり、強硬な手を打たないと幕府が更に衰退してしまうという焦りが義輝にはあり、かつそれは現実に正しかったと思います。
正直 取り巻きが 悪かったのでは 自分の国力などを 考慮して 行動したりなど 将軍のプライドなどが 邪魔している様なところが 見えますが
奉公衆や公家、寺社から嫌われながら、庶民からは死を惜しまれていたのですね。
徳政令を出したりしていたのでしょうか?
ぶっちゃけた話慕われたと言うより
三好三人衆への嫌がらせというかヘイト行為の割合がデカい気はしますw
太田うしいち・ゆっくり歴史解説
完全に偏見だけど、そういうの物凄く京都人のDNAを感じるなぁ・・・
そうそう!
未だに、日本共産党京都支部がそれなりの権力を握っているとか。
斎藤道三の娘が伊勢氏の息子に嫁いだとする説もあるようですね。
庶民から好かれていたという話がなければ、ただの嫌われ者の剣術バ◯だったのかと思うところでしたが・・民の声は神の声という諺もある反面、愚民くらい騙されやすい存在もいない訳で・・すくなくとも大河に出てきたみたいなカッコいいキャラではなかったんだろうな。
ぶっちゃけた話、民衆の追悼は現政権
三好三人衆へのヘイト行為の割合が高い気もしますw
太田うしいち・ゆっくり歴史解説
では、神の声だったという事ですね。
やらかしたと言ってる事の殆どが義教や義政の行った事の延長線上にあるので
義輝個人の資質だけに責任を求めるのは難しい所ですね
?
もう義輝の時代には室町幕府の権威も役職も形骸化して下克上の風潮になってますからね。その中で時代を逆行して足利氏に権威を取り戻そうとするなら光武帝並みのスペックの名君でないと難しかったでしょうね…。
うーん…幕府の権威も役職も決して形骸化してないんですよね
統御はできなくなりましたが割と機能しています
この時代の幕府の役割については私も信長解説の一端でまとめましたが
山田康弘先生の『戦国時代の足利将軍』を読むことをお勧めします
将軍とは名ばかりなことに剣豪でもある義輝は歯がゆさを感じていたのでしょう。
自分の思いを果たすには大組織を動かす深慮遠謀が足りなかったというところでしょうか。
一刀両断!!というわけにはいかないですね。
剣豪かどうかも正直よく分からないらしいんですけれどね…
もう割と無理ゲーな組織を任されたけど
そこでさらに悪手を打ってしまった感じですかね
何故その組織や仕組みがあるのか?を考えない人が、下手に自分の色を出そうとしてこけるのは、一般の企業の部署でもよくあることかと
自分の仕事は何なのかを知るのは結構難しいのかもしれません
まぁ、賢い人ではなかったようですね。
或いは
16世紀激動の室町幕府で
一冊書いて大河狙うのはどう?
いや、三好3人衆目線の近畿史
でも行けるでしょ!牛一なんだから
自信満々で書いて下さいよ。
武勇には知られているけど、人間義輝はあまり知らないです。
俺の世界史の名言がここで聞けるとはw
邪智暴虐w
羽州探題は最上義光に御所号を与えたりして追認したような形だけど、大崎氏に比べて家勢は維持してたとはいえ義輝在位当時は伊達氏に比べてはるかに小勢力だった最上氏を羽州探題として維持しようと動いた理由は何だろう。単に羽州探題を欲してた勢力がなかったのか?やらかした反省か?
伊勢氏は応仁の乱から政権が変わろうの重要なポストにいたことかはスルーかい
義輝の置かれた立場から言えば、一か八かの手しか残されていなかった
傀儡のままのほうが良かったってことかな
諸行無常…。
かの暴虐邪知がここで聞けるとは⁉️っw
でも義輝以前の足利将軍も似たようなものの気も。
信長が実は朝廷や前例を重んじていた事を持って革新的ではなかったという人に言いたい。いつから室町幕府が古い権威や前例を重視して家柄重視の人事をしていたと勘違いしていた? 信長は、朝廷を重く見て前例を守り、家柄の背景または実績のない人間はお気に入りでも登用しないという、同時代では革新的なことをやっているではないか。
粗捜し
足利義輝は、一番好きな戦国の武将です!300人斬り倒した!というのはあながち嘘ではないと思っています!何かしらの逸話がないとな!項羽が項梁独立の際斬り倒した100人っていうのは50人以上はやっつけてると思います!しかしながら主様、ご指摘のやらかしについては共感できる部分も大きいです😄
三好長慶暗殺未遂の動機は?
なんて言うか最初から嫌い目線で纏めてるから真面目に見れない
歴史オタクの人ってこういう逆張りよくやるよね(苦笑)
聞きづらい