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私の亡父は山下兵団でシンガポール攻略戦、転属後は陸軍第33師団、歩兵213連隊、弓兵団の士官としてインパール作戦に出撃して手榴弾の破片が胸部から腹部にあたり、左足の貫通銃創もあり瀕死の重傷でしたが辛うじて帰還できた人でした。聞いた話では牟田口廉也を初め上層部の参謀たちも、英印軍の兵士は精神脆弱な者ばかりと真顔で言っていたそうです。姑息な作戦など必要ない、正面から怒涛の勢いでなだれ込めば敵は銃を捨てて逃げ出すとまで言っていたと聞きました。父は呆れて物も言えなかったそうです。実際、日本軍と英印軍は銃剣や軍刀で刺し違える白兵戦をかなり行っていて、父の目に焼き付いているのは軍刀で片腕を切断されたイギリス兵が残った片腕で息絶えるまで日本軍の士官に掴みかかっている姿だと言っていました。敵を侮り我を過信する上層幹部が多かったそうです。勿論、有能な幹部もいたようですがごく少数らしいです。最前線では武器弾薬、水食糧、医薬品の全てが底をついても補給はなく、上層部は武器や食料が無ければ敵から奪え、足りなければ蛇でもトカゲでもカエルでも食えと言い傷病兵は足手まといだから自決させろと言う始末だったそうです。飲み水がなく死体の浮いた水溜りから飲んだこともあったと聞きました。多数の兵士が飢えと病に倒れ負傷兵も充分に手当てが受けられずに絶命した状況だったそうです。上層部の幹部たちは銃声も聞こえない安全圏にいて精神論ばかり言いながら最後の一人まで戦えと命令して、戦況が悪くなれば自分たちは逃げ出すのですから最悪最低です。長文失礼しました。
お詳しいですね…。アホ牟田口の部下になった事は運命だったのでしょう。残念です。
@@yumiheidann 様人命の軽きこと鴻毛の如しでしたからねー。今でも、日本の学校では子供は消耗品扱いですよね。暑い日でもマスク、熱中症でも水補給無しで走らせる。組体操で怪我や死人出ても構わない。ところで弓兵団って本当に弓使ってたんですか?
@@pontarou01様弓兵団は兵団名であり、実際に弓を使っていた訳ではありません。他にも祭兵団や、霧兵団など多数あったと聞いています。
@@yumiheidann 様ご回答ありがとう御座います。了解しました。
兵団=師団と理解していただければ。兵団名は基本その師団の編成・拠点となる地域由来の漢字か勇ましい漢字が付けられます。(戦争末期は除く)弓兵団(歩兵第31師団)は栃木県で編成の師団なので、源平合戦の弓の名手、那須与一の出身地が由来と思われます。
この状況下、参謀達は後方のビルマで芸者を呼んでの宴会に明け暮れていたのだから前線兵士は早々に降伏して無駄死にを避けた方が良かった。その参謀達は敵軍が迫ると真っ先に逃亡したのですから呆れるね。
「恐るべきは強敵ではなく、無能な味方」まさしくこの言葉。現代日本にも通ずる言葉。
仰る通りです、無能は陸軍だけでなく、海軍はもっと無能でした。開戦劈頭に敵に暗号が解読されたのにそれを終戦まで気が付かなかった。何度も若い参謀などから敵の暗号解読の疑いを上申されたのに、そんな事はありえないと言って取り合わなかったアホ高級参謀。ちなみに陸軍の暗号は終戦までアメリカは解読できませんでした、海軍よりは少しましかも。
この戦力の損失が戦争を少しでも早く終わらせるきっかけの一つになってるので無能ではないかも
@@akibanokitune皮肉やね
@@ラップトップ-j9i まぁ皮肉抜きでこの師団が無傷で残ってたらまだ戦う戦力はあるとして本土決戦やりかねないからね。
無能な時点で味方と言ってはいけない。
どの資料でも牟田口の良かったところの話は聞かないな。この話がほぼ全てでしょうね。
撤退を独断で決めた佐藤師団長は、「敵は英軍にあらず。敵は我が大本営である」とも言ったとか...
今の日本のお偉いさんは牟田口みたいな人ばっかりな気がするんよな。むしろ牟田口みたいな人しかいない気がしてならない。
まあ、今の日本はそうかもしれないが、牟田口で無い有能なお偉いさんが取り仕切っている国って今の地球上にあるの?どの国もにたりよったり、アメリカも、ロシアも中国もそう大した事は無いと思います。結局、有能だと国民が熱狂したヒトラーはあの調子、毛沢東もスターリンもしかり、無いものねだりかもしれませんよ。
正しく!!!!!!
流石にここまでの人はそういない気がする
ご存知ない?国籍は同じです。大本英は二重構造で力を持っていたのは圧倒的に非日本人でした。
愚衆って言葉もある
牟田口は最後まで最前線の悲惨な状況を知らなかった。安全な後方でのほほんと暮らしていた。イギリス軍は蜂の巣陣地をめぐらし、日本軍の無謀な突撃を食い止め、完膚なきまでに打ち破った。ガダルカナル戦よりも酷い戦さだった。
牟田口は毎朝、司令部付近の小山にこさえた祠に祈りを捧げていたらしいので、前線の惨状を知って前線はどうにもならない、神頼みしか無いと思っていたのだと思います、この時長い祝詞に随伴していた幕僚が栄養失調や疲労のためにバタバタと失神したらしいですね、高級将校も殆ど食っていなかったと言う事でしょう、牟田口以外は。
そうですね、輸送船を多く送り、武器、弾薬、食料等補給をおこないましたが、米海兵隊機の攻撃で輸送船の殆どを沈められた。失敗はしたけど、物資を送る努力はした。
やはりインパール作戦と聞けば牟田口の名前浮かびますね、戦後に自分はインパール作戦において何も悪くないと言いましたから、玉音放送後に部下を道連れに飛行機で死にに行った宇垣纏いるけど道連れにした部下の家族からは恨まれていましたよ、でも何の責任も取らず平然としている牟田口には呆れるばかり。ミッドウェーで空母四隻失った時の司令官の南雲忠一も最後は懲罰の意味合いでサイパンの地上戦で玉砕しましたよ。
ウィンゲートの作戦は、襲撃であり攻撃をしたらその占領にこだわることなくすぐ離脱することを繰り返すものでした。牟田口の作戦は、脆弱な兵站にもかかわらず占領してそこに居続けることを前提としています。インパール作戦の最初の構想は、チンドウィン川の西側に戦線を進めて防勢作戦を容易にすることが目的だったですね。無理なインド侵攻は、錫と天然ゴムの産地で日本にとって重要な策源地であるマレーとそれを防衛するための後背地であるビルマの長期的な防衛を困難にしただけに終わりました。牟田口も河辺も寺内も陸大卒かもしれませんが、なんと言うかとても有能とは言えない人物でしたね。今の兵庫県知事も、トップ大学卒の優秀な人材のはずですが、あのような結果になっています。インパール作戦は、国家や組織にとって「常識」と言うものがいかに重要かを物語る良い事例だと思います。イギリス軍側が特に優秀だったとも思えませんが、彼らは少なくとも日本軍よりは常識を弁えた軍人たちの組織でした。どうも我々日本人という国民には、「危機管理能力に欠け、部分適合化に暴走する」特性があるようです。
頭のいい人が無茶苦茶する今も昔もあまり変わらん😨
頭のいい人。は困ったもんです。
老人健康保健施設で働いてたころいらしゃった元日本兵のご老人。口癖は「ムタグチのバカが」
勉強はできても本当のバカはたくさんいる
勉強と指導・指揮能力は全くの別物です。下手に勉強の成績が良いと自分の考えが絶対正しいと思い込む、下らないプライド持つ人間居ますからね。特に牟田口は他人の弱みを探り、自分の言う事を聞かせる事に熱心だったみたいなので、人として腐ってます。それが作戦を考える訳ですから、もう救い様がありません。
勉強ができない本当のバカはくさるほどいる
まさに今の財務省だな勉強しかできない東大出身ばかりで無能ばっか
@@rinrin4903勉強ができない本当のバカは指揮官にならないからいても困ることは少ない
@@rinrin4903確かに笑
たった一人の『やる気』を尊重した結果、何万もの方が亡くなったかと思うと……個人的には牟田口の妻にも憤りを感じていて、戦後責められた夫を「そんなに悪いことしてないんだから責めないでほしい」的な事言ってて、事の重大さを夫婦で理解してないんだなって残念に思った。
聞けば聞くほど、今も社会に置き換えてもありそうな話だと思ってしまいます。
インパール作戦がなければ現在の日印関係もなかったというのが歴史の複雑なところだ。
確かに全て牟田口サンに押し付けるのは筋違いだが……冷静に考えれば成功確率が限りなく低いやらなくてもいい作戦を推し進めた時点で駄目だよね
新潟県の父方の爺ちゃんがインパール生き残りで、子供の頃は盆に遊び行ったときに体験談を聞いて怖かったな。母方爺ちゃんは特攻隊志願者で訓練中に終戦で生き残った人。両祖父どちらも紙一重で生き残れた方でどちらかが戦死していたら今の私も両親も居なかったんだなと同時に、その逆でインパールなどの無謀な作戦で徒に亡くしてしまった貴重な生命がもし生きて戦後を迎えていたら…彼らや彼らをとりまく人々に閉ざされた未来はどのように拓かれていたのかと。小学生ながらに思いふけったものです
上層部の「牟田口がそれほど言うんだから」という日本人特有の忖度が原因ですね
部下の1人が、「牟田口だけは、畳の上で死なせない」と呪ったとか。
あの世では、どういう形で、生きてるのでしょうかね。、蛇か、かえる、か?
牟田口に殺された日本軍将兵は8万人戦って死ぬならまだ納得できるがマラリアと餓死で死ぬとは何という残念なことか大切な天皇陛下の赤子をあまた殺した牟田口にを日本国民は日本国が存在する限り忘れる事はない
うちの母方のじいちゃんがインパール作戦の生還者です💦最近知りました。
大切なのは、成功体験を分析するより、失敗体験を分析することですな。
牟田口は戦後、自らの作戦の非を認めず余生を全うしてます
行って来ましたインパール作戦記念館タイ人の方が日本人は良かったよと記念館を作ってくれたみたいです悲しい作戦ですね
作戦に向かった兵士疫病にかかり死に食料不足に死に、自分は敗戦し軍人恩給もらって老後生活している、この作戦の死んだ隊長や兵士を思わない冷酷
「勉強は出来る」と「頭が良い」とは全くの別物。
「勉強は出来る」は社会への過剰適応を疑うべきかなと思います。それでも人間は自我を証明したい生き物で、挙げ句の果てに正気を失うのでしょう。
昭和初期の精神論には情けなくなる、気持ちは大事だが論理的な思考が全く無く、元々陸軍も海軍も補給という大事な部分の考えが欠落している。明治以降の皇軍は負けたことが無いという妄想…日露戦争を勝ったと勘違いしている当時の日本人らしい😅この大戦で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。ウチの母親の男兄弟はみんな日中戦争で亡くなっていますしね😢
上官が無能だと下っ端で戦う兵士が無惨。今の時代の社会構造も同じなのでは。教訓として捉えるべき。
松崎しげるさんのお父様は、このインパールの生還者でしたね
インパールに関しては、まあ色々あるけど作戦参加を命じられた部隊の一つ第15師団「祭」のエピソードが悲しい「祭」は輓馬編成で95式野砲・91式十榴を装備していた重装備師団だったが、英米留学の経験もあるエリートの山内師団長は「英軍と戦うには野砲等の重装備や機関銃は不可欠なので全部持っていく」と主張したのに対して現場の若手将校たちは「そんなものを持ってアラカン山系を超えるのは絶対無理で非現実的」と対立した結局それらの重装備は残置して最小限の山砲等だけで参加することになったどちら意見ももっともはもっともで、これはインパール作戦の不可能性を表したエピソードだと思う
@@tgat5755 まさしくそのとうり
年の離れた従兄弟の義兄がこの作戦で戦死しています、奈良138聯隊、作戦当初の昭和19年4月6日にはコヒマに突入したが、その後は力つき撤退に次ぐ撤退、翌年の3月頃にマンダレー付近のキアウセまで撤退出来た様ですが、追撃してきた英印軍との戦いで最後を迎えたものと思われます。作戦開始時は4000名の138聯隊はこの時点では650名足らずとなっており、弾薬は消費しつくし戦力としては殆ど無かったものと思われます、良くて数発の弾と銃剣ていどだったのではないでしょうか?惜しむらくは日本軍はインパール等攻めずに兵力を温存したままビルマ平原で防衛戦をすべきでした、元々ビルマには武器弾薬糧食は日本軍として充分に備蓄していたので、元気な兵を持ってすれば簡単には敗けなかった筈です。
お詳しいですね…。
今頃、死なせた多くの英霊から歓迎されているだろうよ。子孫かて肩身せまいやろ。こいつの最大の嫌悪感の原因は、作戦の失敗や多くの戦死者を出したことより、自らは、終始、遥か後方にあったことだ。前線で指揮を執って将兵と同じ苦しい環境で継戦を主張し続けたなら、評価は180度違っていただろう。精神論の塊で、旧陸軍を体現したしょうな性格だが、その実態は、自己保身の塊。どこかの元県知事と同じ人種。「顔色を察して欲しかった」など、周りの忖度まで利用する狡猾さ。「私は間違っていなかった」自分は悪くないを頑なに思うことで精神の平静を保ったのだろう。自己愛性障害の典型やんけ。あと、敵から弾薬を奪ったところで、口径が違うから使えない。勇猛果敢な突撃精神の発揮は、時に現場の兵・下士などには必要だが、高級士官、それも、軍団司令・方面軍などの司令官レベルで机上の精神論の塊など百害あって一利なし。また「天皇の誕生日までに」など多くの将兵の命と引き換えに、自己の功名心が透けて見える。この「ウ号作戦」で亡くなった数多くの英霊たちに哀悼の意を捧げます__。
日本陸軍は大本営の命令拒否したら良い現場の将校たちは兵站や兵士の衛生と厚生を保障出来ない事分かっていた八甲田山の雪中行軍の赤道作戦
現実を顧みない酷い作戦のために多くの人命が失われてしまいました。作戦に参加して何とか帰国できた兵士は牟田口を恨んでいたらしいです。なぜ責任を追及されなかったんでしょうか?
三鷹にいたとき、銭湯でよく話してた靴屋のじーちゃんが、インパール作戦に行ったって言ってました。
@@みや-h3h さんへ無田口の事は終戦当時は国民はなにも知らされてはいなかっ
牟田口が戦犯会議で釈放されたのはアホな作戦過ぎてアメリカイギリスからは英雄みたいなもんだからかな?牟田口関連の動画見てるともう死んでるけど死んで欲しいという複雑な感情になる
なるほど、連合軍サイドとしては、敵軍(日本軍)の敵は・・・すなわち、味方。マイナスのマイナスは、プラス みたいな !?( ' ω')o/
バカな大将、敵より怖い😂
牟田口の墓を白骨街道に作れ多くの将兵の亡霊がこいつの墓に集まるだろう
これを生き抜きワコールを創業した塚本幸一
強い…(確信)
1964年の東京五輪で女子バレーボール日本代表監督を務めた大松博文氏も。三一師団だったか。
地獄ん中猛威を振るう宮崎中将😢
以下の2点の問題①責任の所在が明確になっていない②一度失敗したら復帰できない上記二つが合わさると失敗するとごまかしたり、作戦の早期撤退ができなくなる
先ずはお偉いさん達が戦場へ行け
ゼレンスキーにしろプーチンもだよね。国民と末端の兵がどんな思いをしてるか想像もしてないだろうな
牟田口は地獄にいるやろね
牟田口が地獄にいるなら、原爆を造ったオッペンハイマー、製造と日本に落とす事を決めたルーズベルトそれにトルーマン、実際に原爆を製造した技師達、そしてエノラ・ゲイ号の搭乗員、テニアン基地の指揮官も地獄に行っている事を願いたい。
今次大戦勃発の要因を作った私が負ける様な生き恥を晒すなら、自決などせず喫茶店でも開いて生き延びてやると心に決めた次第です。
こんなガイキチのせいで何万人もの人が命を落としたなんて。
航空写真による精細な地図さえ無く密林踏破など出来はしない。作戦立案以前の問題
4月30日までという計画通り作戦中止を決断していれば、一個師団撃破、二個旅団壊滅で、日本軍の戦術的勝利となり、ビルマ戦線を維持したまま終戦とできたのではないかと思ってしまう。現在もそうだが感情論で決心・行動するのは本当に危険だ。
下手したら、失敗の中でも敵の損害を与えたことを自分のおかげだと思ってそう。
部下に腹を切ってくださいって言われるとかいない方がいい上司じゃん
やはり先に先頭に立つ指令官であれば😊
確か……戦後に全然恥じてないみたいな事を言ってなかった?違ったっけ?指示内容も間違いは認めてなかった…と思う…
終戦記念日の8月15日には靖国に来て、私は間違っていなかったと言うビラを配っていたとか言われていますね。周りはドン引きしていたらしい。
視聴前『実は言うほど無能では無いのか?』視聴後『想像以上にクソ無能だったわ』
何だかんだで、敵に損害を与えてるのは凄すぎる
今のセブンアンドアイやないか~い。冗談抜きで、負け戦に転じてるのに上層部がゴタゴタ足掻いてると、令和インパール作戦になりかねませんよね。損切りって、戦史から学ぶ大事な決断なんですね
現代日本の会社役員も責任取らないからね。
1番の失敗は戦争を始めた事
戦わなかったら植民地やで
@@ユウスケ-x4s 植民地のマシやん300万人も死ぬことないんやしベトナムもインドもフィリピンも植民地だったけど今みれば悪くない。
@@akibanokituneアフリカみたいに綺麗な国境が引かれてたかもしれないよ?
@@39htt96 300万人も死ぬことに比べたらマシです。
@@ユウスケ-x4s 本当にそうですね。下手したらアメリカ原住民、ハワイ原住民みたいに大虐殺されて土地や文化すべて奪われてましたね。
「情」とか「やる気」とかいう実態のない理由によって作戦を決める無能
今の企業内でも往々にしてあることですね。
@ ほんとそれ。まぁ、責任取りたくなくて決めることすらできない大無能もいるからまだマシかも。
牟田口なだけに無駄口叩いちゃったんだね(笑)😁
牟田口精神主義。
牟田口にインバール作戦を裁可したのは東條英機
無能な味方でも最前線にいかされた話しですね。
牟田口の上司現場猫やんけ
無能の代表格は褒め過ぎやろ
インパール作戦は、自分の名誉の為だったのか 役所(陸軍省)の行評ポイントの為だったのかそのあたりはわからないが、一般国民である兵士を殺しすぎ。「牟田口さん あなた国賊ですよ!現在の日本国にあっては」
仮に作戦が成功してもアメリカがまだ残ってます
22:43自分で前線に行って見本を見せてくれよ。神々が守ってくれるんだから銃弾も当たらんだろ。
アホと馬鹿は同じよそれを支えた縁の下の力持ちが有能だった夢見るポンタンが居なかったら日本は違った
自分の名誉回復の為に考えを変えたのかよ最悪や
イギリスは制空権あって、雨の部隊に必要なレンコン―トや日々の食料にチョコレートや医薬品をパラシュートで部隊に戦車も投下したり兵站が万全だが、日本軍の荷車の兵站を乗せて山脈越えるし兵装基本的に日清日露と同じ打撃など能力ない、現場はペストや食料危機、牟田口現場の参状知る良しもない、かなりの兵士死人だらけ八甲田山か?兵站の能力無し初めから、戦争敗戦し自分は恩給暮らし無能が命どれだけ奪った事か?
空中投下の英軍補給物資を日本軍が確保した時は「チャーチル給与」と呼んで有り難くいただいたとの事です。
@綱清 そうですよね。運良く日本軍陣地に来たパラシュートの中チョコレートなど食えた兵士もいました
兵站軽視の現地調達!武器は相手から奪え!これでは、丸腰で戦争ができるという「戦争論」になってしまう日本の歴史上で、こんな丸腰の「いくさ」をしてきた例があったという話は聞いた事がないが牟田口には戦争とはそう言ったものだったのだろう戦後に至っても牟田口は、この作戦を反省しないまま往ったという・・・
インパール作戦のおかげで、インドが独立できたのだけれども、なぜか、そこには触れない。ウォーギルドインフォメーションプログラムの成果か?
そんな事は結果論、当時はインド独立のために戦った訳じゃない。
@akibanokitune チャンドラーボース率いるインド国民軍は、何のために日本軍とともに戦ったんだ?
@@投資家ゆう 独立のために利用しただけでしょ
@@akibanokitune それを言ったら、日本軍は利用されたかもしれないけど、インパール作戦はインド独立のためで、結果としてインパール作戦のおかげでインド独立が達成されたとあなたも認めてるじゃないですか。
無惨みたい戦績ドリトライみたいな精神論
こんなのが天寿全うするなんて言語道断やな
精神力でなんとかなる!
ジンギスカン作戦って有用だと思ったんだがな😢
牟田口1966まで生きたんか。
日本が勝手に自爆した作戦なのになんでイギリスはあんなに死者が多いねん
良いものが良いではなく、偉い(?)人が言う事が良いのだテスト(成績)と一緒で問題を出した人が正解は地獄問題を出す人(エリート)が全て正しいのだ正しいから問題(テスト・作戦)を出す側なのだなぜならば!!上司だからだ!!(お金持ちだし~名門だし~)はなお地獄
そもそも初期は大目に見ても、日本軍の戦いって作戦と言えるのかいな?これって勉強せずに、受ければ何とかなるとか言って試験に行くようなもんじゃね?😂
日本軍の戦い(妄想の世界で勝てれば良し!)って事ですからねw
絵がおかしい
アホなやつは無理だからまじでどうでもいい時にしか話もしないようにしてる(笑)
私の顔色によって察してほしかったのである←アホすぎて草🌱
でも、この人達が無謀な作戦を展開してくれたおかげで今の何不自由ない日本があると思うと歴史の皮肉だよね。
あなたが言っている意味が分からん❓無謀な作戦で何万人戦死したと思ってるんだよ。もっと太平洋戦争を勉強するべきです。
トルーマン語録を読んでそれでも平和ボケしていられる神経(汗)
@@福地秀昭 うん?だから、その何万人かが犠牲になってくれたお陰で今の日本があるんだよね?って話なのですが…w
@@なかむらむらなか だって事実じゃんw
@@日章旗-j8w バブル崩壊以降全てハシゴ外されてダメリカ🇺🇸ウゼー💢利益損ねる事しかしない内政干渉やTPP、LGBT
今更、どうでもいいけど、海軍と連携して、艦載機での爆撃、重巡での艦砲射撃。して、小隊での山岳路確保。本隊は揚陸艦からの上陸。そう、3次元の作戦計画を立てなかったのか?わがんねーな、😢
その頃既に海軍はサイパン陥落、空母機動部隊も壊滅していたからそんな余裕なんか無かった。
艦砲なんか届く距離じゃないよ、艦載機を飛ばすには空母がいるが、まともに使える空母なんかあの時は無くなっていた。インパール戦が始まってから陸軍航空隊が支援に来たのは1度か2度程度それも2,3機のみ、それでも久々に見る友軍機の日の丸を見て多くの兵達は、よくこんな遠くまで来てくれた、敵砲陣地を爆撃してくれたと泣いて喜んだらしい。
@@boomoto6512 様 そうでしたね。海軍はレイテ沖で壊滅。陸軍は大陸、海軍は南洋。各々でしたし。陽動作戦なんて、紺碧の艦隊の漫画の読み過ぎでしたね。m(_ _)m
会社でも!達成困難なプロジェクト!課長に丸投げ!責任は全て課長!部長いましたね!役員にはペコペコ?自分のプロジェクトは全て!現場に丸投げ!
大本英が実は2層構造で非日本人が圧倒的力を持つ組織であったとしたら…?
盧溝橋事変にて、石原莞爾の予測をスケールの大きさを分からぬ自体アホ。
牟田口の無駄口ってことか
無能なだけならまだいい。この男の場合は・・・いや、なにも語るまい。
料理好きで 料理がまずい女性も悲惨 一切料理しない方がまだいい
クズすぎる、、
無駄口の出身生家何処なん見て見たい❤🤩🤮教えて!!
言ってることがワタミの社長と同じやな。
陸軍の幹部はポンコツばっかりやがな笑
当時の総理大臣と陸軍大臣のポンコツを忘れちゃいかんな〜🙄
ポンコツは陸軍だけではない、日本人全体がポンコツだったから、その代表が陸軍と言うだけの話。今も、ポンコツ政治家を生み出しているのは国民がポンコツだからですよ。
無駄口と聞こえた無駄口に作戦を、任せる事が間違い魂で勝てるなら武器は不用だねー資本主義国家権力 アホすか?
ありがとう、アメリカ。ありがとう、連合国。君達が頑張ってくれたおかげで、我々日本国民は今のところ何不自由ない生活を送れているよ。
戦後の小学校では、そう、教えて居ました。戦争に負けたお陰で、軍事費も削減され、市営住宅が建てられ。集団農場は理想、共産主義は優れていると。
こういった時は感謝のコメントないんだね、派手な特攻動画の時は、英霊に感謝だの、先人達のお陰で云々、戦争で犠牲になったって事には変わりないじゃん🤔と何時も思う
牟田口に対する怒りや恨みの方が強いからじゃないでしょうか。亡くなられた先人の方々、あまりに無念すぎます。
牟田口愚将軍の名前を聞くと、20年前の上司森本重夫、葛原孝範、岩田靖弘、15年前の上司佐々木勇人を思い出す。
昭和19年時点で援蔣ルート遮断や戦争の早期終結などの余剰戦力はありません。英軍35個師団の侵攻に対し、アラカン山脈手前では防衛線が長く第15軍の9個師団では戦力不足なので、英軍攻撃発起点のインパールを先におさえ、防衛線圧縮と防御縦深確保が狙いです。帝国軍人としては、座して死は待てなかったのでしょう。昭和19年以降、日本側は正常な作戦立案など不可能でした。牟田口も含め作戦関係者全員が戦争被害者なのです。日本人は個人に責任を押し付け叩くのが好きですが、反省すべきでしょう。歴史に善悪を求めれば思考が偏り、情報の解釈に支障をきたします。牟田口を取り巻く状況や彼が行動に至った考えが歴史の一部なのです。
それでも、誰かが責任を取らなければなりません。牟田口が免れるとは思えませんが…?
個人の心情で、座して死を待てないのは構わないが、一旦、作戦を発動したからには、司令官たるものが責任を負わずに、誰が負うのか?__功は貰うが責は負わないというのか?
責任を負うべき人物は牟田口において他ありませんが、歴史において責任者を求めても意味が無いと考えます。例えばですが、長篠の戦で大敗した責任を武田勝頼に求めて意味がありますか?兵力差を考慮せず突撃を繰り返した動機を、現在に残る資料から考察することが歴史研究ではないでしょうか?私の意見は、無責任な立場から炎上した有名人を叩くのがごときの批判は軽薄であり、牟田口のおかれた状況や彼が行動に至る動機から史実を考察しないと評価を誤ると申し上げたいのです。
@rinrin4903 事実は知らんし、他に何か未だ知られざる真実が隠れているやもしれないが、今回ここに書かれている物語の材料だけをもって判断すれば、私は牟田口に責任があると考えたまでだ。貴方は貴方の考えがあってよろし。実際に裁判にて判決を下すわけでもなし、貴方の好きに考えたまえ。どうぞどうぞ。だだ、強要されるのであれぼ断る。どこかの共産党ではあるまいし、考えは自由だ。以上
@rinrin4903 いちいち失礼だな。「顔を真っ赤にして興奮」?…私の顔が見えるから書いたのかね?人をバカにしておいて、最後は謝罪?😔謝罪は「顔…赤…」内の文章に対して必要であって、それ以前の文章にはあたらない。私が共産党に強要されたという事実はない。一般的な例えとして、言論統制を快しとする中国を例示しただけだが、理解できなかったとは残念だな。🤷♂️以後、書き方が相手に対して失礼に当たらない様に注意し、勉強し直したまえ😤
インパール作戦は戦闘では負けたけど、政治的には勝てた。インドに日本の信義を見せられた。そのおかげで東京裁判でインドは日本の味方してくれた。
日本兵の中に、本場のインドカレー(カレーをナンに浸けて食べる)を知った者がいた。
コヒマに突入した部隊が倉庫を接収したが、その中に石鹸が大量にあったので、食い物ならほしいが石鹸なんかいらないと捨てたらしいが、それは石鹸では無くチーズだった、後でそれがわかり捨てた事を悔やんだらしい。
パール判事の事だろうけど彼は判事の立場なので裁判で表立って日本に味方する訳がない。判事というのは被告を有罪にする側の役割であって弁護する側ではないから裁判において味方になる事はありませんよ。
陸軍の牟田口、海軍の南雲がポンコツ過ぎる
私の亡父は山下兵団でシンガポール攻略戦、転属後は陸軍第33師団、歩兵213連隊、弓兵団の士官としてインパール作戦に出撃して手榴弾の破片が胸部から腹部にあたり、左足の貫通銃創もあり瀕死の重傷でしたが辛うじて帰還できた人でした。聞いた話では牟田口廉也を初め上層部の参謀たちも、英印軍の兵士は精神脆弱な者ばかりと真顔で言っていたそうです。姑息な作戦など必要ない、正面から怒涛の勢いでなだれ込めば敵は銃を捨てて逃げ出すとまで言っていたと聞きました。父は呆れて物も言えなかったそうです。実際、日本軍と英印軍は銃剣や軍刀で刺し違える白兵戦をかなり行っていて、父の目に焼き付いているのは軍刀で片腕を切断されたイギリス兵が残った片腕で息絶えるまで日本軍の士官に掴みかかっている姿だと言っていました。敵を侮り我を過信する上層幹部が多かったそうです。勿論、有能な幹部もいたようですがごく少数らしいです。最前線では武器弾薬、水食糧、医薬品の全てが底をついても補給はなく、上層部は武器や食料が無ければ敵から奪え、足りなければ蛇でもトカゲでもカエルでも食えと言い傷病兵は足手まといだから自決させろと言う始末だったそうです。飲み水がなく死体の浮いた水溜りから飲んだこともあったと聞きました。多数の兵士が飢えと病に倒れ負傷兵も充分に手当てが受けられずに絶命した状況だったそうです。上層部の幹部たちは銃声も聞こえない安全圏にいて精神論ばかり言いながら最後の一人まで戦えと命令して、戦況が悪くなれば自分たちは逃げ出すのですから最悪最低です。長文失礼しました。
お詳しいですね…。
アホ牟田口の部下になった事は運命だったのでしょう。残念です。
@@yumiheidann 様
人命の軽きこと鴻毛の如しでしたからねー。
今でも、日本の学校では子供は消耗品扱いですよね。
暑い日でもマスク、熱中症でも水補給無しで走らせる。
組体操で怪我や死人出ても構わない。
ところで弓兵団って本当に弓使ってたんですか?
@@pontarou01様
弓兵団は兵団名であり、実際に弓を使っていた訳ではありません。他にも祭兵団や、霧兵団など多数あったと聞いています。
@@yumiheidann 様
ご回答ありがとう御座います。
了解しました。
兵団=師団と理解していただければ。兵団名は基本その師団の編成・拠点となる地域由来の漢字か勇ましい漢字が付けられます。(戦争末期は除く)弓兵団(歩兵第31師団)は栃木県で編成の師団なので、源平合戦の弓の名手、那須与一の出身地が由来と思われます。
この状況下、参謀達は後方のビルマで芸者を呼んでの宴会に明け暮れていたのだから
前線兵士は早々に降伏して無駄死にを避けた方が良かった。
その参謀達は敵軍が迫ると真っ先に逃亡したのですから呆れるね。
「恐るべきは強敵ではなく、無能な味方」
まさしくこの言葉。現代日本にも通ずる言葉。
仰る通りです、無能は陸軍だけでなく、海軍はもっと無能でした。開戦劈頭に敵に暗号が解読されたのにそれを終戦まで気が付かなかった。何度も若い参謀などから敵の暗号解読の疑いを上申されたのに、そんな事はありえないと言って取り合わなかったアホ高級参謀。ちなみに陸軍の暗号は終戦までアメリカは解読できませんでした、海軍よりは少しましかも。
この戦力の損失が戦争を少しでも早く終わらせるきっかけの一つになってるので無能ではないかも
@@akibanokitune
皮肉やね
@@ラップトップ-j9i
まぁ皮肉抜きでこの師団が無傷で残ってたらまだ戦う戦力はあるとして本土決戦やりかねないからね。
無能な時点で味方と言ってはいけない。
どの資料でも牟田口の良かったところの話は聞かないな。
この話がほぼ全てでしょうね。
撤退を独断で決めた佐藤師団長は、「敵は英軍にあらず。敵は我が大本営である」とも言ったとか...
今の日本のお偉いさんは牟田口みたいな人ばっかりな気がするんよな。
むしろ牟田口みたいな人しかいない気がしてならない。
まあ、今の日本はそうかもしれないが、牟田口で無い有能なお偉いさんが取り仕切っている国って今の地球上にあるの?
どの国もにたりよったり、アメリカも、ロシアも中国もそう大した事は無いと思います。
結局、有能だと国民が熱狂したヒトラーはあの調子、毛沢東もスターリンもしかり、無いものねだりかもしれませんよ。
正しく!!!!!!
流石にここまでの人はそういない気がする
ご存知ない?
国籍は同じです。
大本英は二重構造で力を持っていたのは圧倒的に非日本人でした。
愚衆って言葉もある
牟田口は最後まで最前線の悲惨な状況を知らなかった。
安全な後方でのほほんと暮らしていた。
イギリス軍は蜂の巣陣地をめぐらし、日本軍の無謀な突撃を食い止め、完膚なきまでに打ち破った。
ガダルカナル戦よりも酷い戦さだった。
牟田口は毎朝、司令部付近の小山にこさえた祠に祈りを捧げていたらしいので、前線の惨状を知って前線はどうにもならない、神頼みしか無いと思っていたのだと思います、この時長い祝詞に随伴していた幕僚が栄養失調や疲労のためにバタバタと失神したらしいですね、高級将校も殆ど食っていなかったと言う事でしょう、牟田口以外は。
そうですね、輸送船を多く送り、武器、弾薬、食料等補給をおこないましたが、
米海兵隊機の攻撃で輸送船の殆どを沈められた。
失敗はしたけど、物資を送る努力はした。
やはりインパール作戦と聞けば牟田口の名前浮かびますね、戦後に自分はインパール作戦において何も悪くないと言いましたから、玉音放送後に部下を道連れに飛行機で死にに行った宇垣纏いるけど道連れにした部下の家族からは恨まれていましたよ、でも何の責任も取らず平然としている牟田口には呆れるばかり。
ミッドウェーで空母四隻失った時の司令官の南雲忠一も最後は懲罰の意味合いでサイパンの地上戦で玉砕しましたよ。
ウィンゲートの作戦は、襲撃であり攻撃をしたらその占領にこだわることなくすぐ離脱することを繰り返すものでした。
牟田口の作戦は、脆弱な兵站にもかかわらず占領してそこに居続けることを前提としています。
インパール作戦の最初の構想は、チンドウィン川の西側に戦線を進めて防勢作戦を容易にすることが目的だったですね。
無理なインド侵攻は、錫と天然ゴムの産地で日本にとって重要な策源地であるマレーとそれを防衛するための後背地であるビルマの長期的な防衛を困難にしただけに終わりました。
牟田口も河辺も寺内も陸大卒かもしれませんが、なんと言うかとても有能とは言えない人物でしたね。
今の兵庫県知事も、トップ大学卒の優秀な人材のはずですが、あのような結果になっています。
インパール作戦は、国家や組織にとって「常識」と言うものがいかに重要かを物語る良い事例だと思います。
イギリス軍側が特に優秀だったとも思えませんが、彼らは少なくとも日本軍よりは常識を弁えた軍人たちの組織でした。
どうも我々日本人という国民には、「危機管理能力に欠け、部分適合化に暴走する」特性があるようです。
頭のいい人が無茶苦茶する今も昔もあまり変わらん😨
頭のいい人。は困ったもんです。
老人健康保健施設で働いてたころいらしゃった元日本兵のご老人。口癖は「ムタグチのバカが」
勉強はできても本当のバカはたくさんいる
勉強と指導・指揮能力は全くの別物です。
下手に勉強の成績が良いと自分の考えが絶対正しいと思い込む、下らないプライド持つ人間居ますからね。
特に牟田口は他人の弱みを探り、自分の言う事を聞かせる事に熱心だったみたいなので、人として腐ってます。
それが作戦を考える訳ですから、もう救い様がありません。
勉強ができない本当のバカはくさるほどいる
まさに今の財務省だな
勉強しかできない東大出身ばかりで無能ばっか
@@rinrin4903
勉強ができない本当のバカは指揮官にならないからいても困ることは少ない
@@rinrin4903
確かに笑
たった一人の『やる気』を尊重した結果、何万もの方が亡くなったかと思うと……
個人的には牟田口の妻にも憤りを感じていて、戦後責められた夫を「そんなに悪いことしてないんだから責めないでほしい」的な事言ってて、事の重大さを夫婦で理解してないんだなって残念に思った。
聞けば聞くほど、今も社会に置き換えてもありそうな話だと思ってしまいます。
インパール作戦がなければ現在の日印関係もなかったというのが歴史の複雑なところだ。
確かに全て牟田口サンに押し付けるのは筋違いだが……
冷静に考えれば成功確率が限りなく低いやらなくてもいい作戦を推し進めた時点で駄目だよね
新潟県の父方の爺ちゃんがインパール生き残りで、子供の頃は盆に遊び行ったときに体験談を聞いて怖かったな。
母方爺ちゃんは特攻隊志願者で訓練中に終戦で生き残った人。
両祖父どちらも紙一重で生き残れた方でどちらかが戦死していたら今の私も両親も居なかったんだなと同時に、
その逆でインパールなどの無謀な作戦で徒に亡くしてしまった貴重な生命がもし生きて戦後を迎えていたら…彼らや彼らをとりまく人々に閉ざされた未来はどのように拓かれていたのかと。小学生ながらに思いふけったものです
上層部の
「牟田口がそれほど言うんだから」
という日本人特有の忖度が原因ですね
部下の1人が、「牟田口だけは、畳の上で死なせない」と呪ったとか。
あの世では、どういう形で、生きてるのでしょうかね。、蛇か、かえる、か?
牟田口に殺された日本軍将兵は8万人
戦って死ぬならまだ納得できるが
マラリアと餓死で死ぬとは
何という残念なことか
大切な天皇陛下の赤子を
あまた殺した牟田口にを
日本国民は
日本国が
存在する限り
忘れる事はない
うちの母方のじいちゃんがインパール作戦の生還者です💦最近知りました。
大切なのは、成功体験を分析するより、失敗体験を分析することですな。
牟田口は戦後、自らの作戦の非を認めず余生を全うしてます
行って来ましたインパール作戦記念館
タイ人の方が日本人は良かったよと
記念館を作ってくれたみたいです
悲しい作戦ですね
作戦に向かった兵士疫病にかかり死に食料不足に死に、自分は敗戦し軍人恩給もらって老後生活している、この作戦の死んだ隊長や兵士を思わない冷酷
「勉強は出来る」と「頭が良い」とは全くの別物。
「勉強は出来る」は社会への過剰適応を疑うべきかなと思います。それでも人間は自我を証明したい生き物で、挙げ句の果てに正気を失うのでしょう。
昭和初期の精神論には情けなくなる、気持ちは大事だが論理的な思考が全く無く、元々陸軍も海軍も補給という大事な部分の考えが欠落している。明治以降の皇軍は負けたことが無いという妄想…日露戦争を勝ったと勘違いしている当時の日本人らしい😅この大戦で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。ウチの母親の男兄弟はみんな日中戦争で亡くなっていますしね😢
上官が無能だと下っ端で戦う兵士が無惨。今の時代の社会構造も同じなのでは。教訓として捉えるべき。
松崎しげるさんのお父様は、このインパールの生還者でしたね
インパールに関しては、まあ色々あるけど
作戦参加を命じられた部隊の一つ第15師団「祭」のエピソードが悲しい
「祭」は輓馬編成で95式野砲・91式十榴を装備していた重装備師団だったが、
英米留学の経験もあるエリートの山内師団長は「英軍と戦うには野砲等の重装備や機関銃は不可欠なので全部持っていく」と主張したのに対して
現場の若手将校たちは「そんなものを持ってアラカン山系を超えるのは絶対無理で非現実的」と対立した
結局それらの重装備は残置して最小限の山砲等だけで参加することになった
どちら意見ももっともはもっともで、これはインパール作戦の不可能性を表したエピソードだと思う
@@tgat5755 まさしくそのとうり
年の離れた従兄弟の義兄がこの作戦で戦死しています、奈良138聯隊、作戦当初の昭和19年4月6日にはコヒマに突入したが、その後は力つき撤退に次ぐ撤退、翌年の3月頃にマンダレー付近のキアウセまで撤退出来た様ですが、追撃してきた英印軍との戦いで最後を迎えたものと思われます。作戦開始時は4000名の138聯隊はこの時点では650名足らずとなっており、弾薬は消費しつくし戦力としては殆ど無かったものと思われます、良くて数発の弾と銃剣ていどだったのではないでしょうか?
惜しむらくは日本軍はインパール等攻めずに兵力を温存したままビルマ平原で防衛戦をすべきでした、元々ビルマには武器弾薬糧食は日本軍として充分に備蓄していたので、元気な兵を持ってすれば簡単には敗けなかった筈です。
お詳しいですね…。
今頃、死なせた多くの英霊から歓迎されているだろうよ。子孫かて肩身せまいやろ。
こいつの最大の嫌悪感の原因は、作戦の失敗や多くの戦死者を出したことより、自らは、終始、遥か後方にあったことだ。前線で指揮を執って将兵と同じ苦しい環境で継戦を主張し続けたなら、評価は180度違っていただろう。精神論の塊で、旧陸軍を体現したしょうな性格だが、その実態は、自己保身の塊。どこかの元県知事と同じ人種。「顔色を察して欲しかった」など、周りの忖度まで利用する狡猾さ。
「私は間違っていなかった」自分は悪くないを頑なに思うことで精神の平静を保ったのだろう。
自己愛性障害の典型やんけ。
あと、敵から弾薬を奪ったところで、口径が違うから使えない。
勇猛果敢な突撃精神の発揮は、時に現場の兵・下士などには必要だが、高級士官、それも、軍団司令・方面軍などの司令官レベルで机上の精神論の塊など百害あって一利なし。
また「天皇の誕生日までに」など多くの将兵の命と引き換えに、自己の功名心が透けて見える。
この「ウ号作戦」で亡くなった数多くの英霊たちに哀悼の意を捧げます__。
日本陸軍は大本営の命令拒否したら良い現場の将校たちは兵站や兵士の衛生と厚生を保障出来ない事分かっていた
八甲田山の雪中行軍の赤道作戦
現実を顧みない酷い作戦のために多くの人命が失われてしまいました。作戦に参加して何とか帰国できた兵士は牟田口を恨んでいたらしいです。なぜ責任を追及されなかったんでしょうか?
三鷹にいたとき、銭湯でよく話してた靴屋のじーちゃんが、インパール作戦に行ったって言ってました。
@@みや-h3h さんへ
無田口の事は
終戦当時は
国民は
なにも
知らされては
いなかっ
牟田口が戦犯会議で釈放されたのはアホな作戦過ぎてアメリカイギリスからは英雄みたいなもんだからかな?
牟田口関連の動画見てるともう死んでるけど死んで欲しいという複雑な感情になる
なるほど、連合軍サイドとしては、敵軍(日本軍)の敵は・・・すなわち、味方。
マイナスのマイナスは、プラス みたいな !?( ' ω')o/
バカな大将、敵より怖い😂
牟田口の墓を白骨街道に作れ
多くの将兵の亡霊がこいつの墓に集まるだろう
これを生き抜きワコールを創業した塚本幸一
強い…(確信)
1964年の東京五輪で女子バレーボール日本代表監督を務めた大松博文氏も。三一師団だったか。
地獄ん中猛威を振るう宮崎中将😢
以下の2点の問題
①責任の所在が明確になっていない
②一度失敗したら復帰できない
上記二つが合わさると失敗するとごまかしたり、作戦の早期撤退ができなくなる
先ずはお偉いさん達が戦場へ行け
ゼレンスキーにしろプーチンもだよね。
国民と末端の兵がどんな思いをしてるか想像もしてないだろうな
牟田口は地獄にいるやろね
牟田口が地獄にいるなら、原爆を造ったオッペンハイマー、製造と日本に落とす事を決めたルーズベルト
それにトルーマン、実際に原爆を製造した技師達、そしてエノラ・ゲイ号の搭乗員、テニアン基地の
指揮官も地獄に行っている事を願いたい。
今次大戦勃発の要因を作った私が負ける様な生き恥を晒すなら、自決などせず喫茶店でも開いて生き延びてやると心に決めた次第です。
こんなガイキチのせいで何万人もの人が命を落としたなんて。
航空写真による精細な地図さえ無く密林踏破など出来はしない。
作戦立案以前の問題
4月30日までという計画通り作戦中止を決断していれば、一個師団撃破、二個旅団壊滅で、日本軍の戦術的勝利となり、ビルマ戦線を維持したまま終戦とできたのではないかと思ってしまう。現在もそうだが感情論で決心・行動するのは本当に危険だ。
下手したら、失敗の中でも敵の損害を与えたことを自分のおかげだと思ってそう。
部下に腹を切ってくださいって言われるとかいない方がいい上司じゃん
やはり先に先頭に立つ指令官であれば😊
確か……戦後に全然恥じてないみたいな事を言ってなかった?違ったっけ?指示内容も間違いは認めてなかった…と思う…
終戦記念日の8月15日には靖国に来て、私は間違っていなかったと言うビラを配っていたとか言われていますね。
周りはドン引きしていたらしい。
視聴前『実は言うほど無能では無いのか?』
視聴後『想像以上にクソ無能だったわ』
何だかんだで、敵に損害を与えてるのは凄すぎる
今のセブンアンドアイやないか~い。冗談抜きで、負け戦に転じてるのに上層部がゴタゴタ足掻いてると、令和インパール作戦になりかねませんよね。損切りって、戦史から学ぶ大事な決断なんですね
現代日本の会社役員も責任取らないからね。
1番の失敗は戦争を始めた事
戦わなかったら植民地やで
@@ユウスケ-x4s
植民地のマシやん
300万人も死ぬことないんやし
ベトナムもインドもフィリピンも植民地だったけど今みれば悪くない。
@@akibanokituneアフリカみたいに綺麗な国境が引かれてたかもしれないよ?
@@39htt96
300万人も死ぬことに比べたらマシです。
@@ユウスケ-x4s 本当にそうですね。下手したらアメリカ原住民、ハワイ原住民みたいに大虐殺されて土地や文化すべて奪われてましたね。
「情」とか「やる気」とかいう実態のない理由によって作戦を決める無能
今の企業内でも往々にしてあることですね。
@ ほんとそれ。まぁ、責任取りたくなくて決めることすらできない大無能もいるからまだマシかも。
牟田口なだけに無駄口叩いちゃったんだね(笑)😁
牟田口精神主義。
牟田口にインバール作戦を裁可したのは
東條英機
無能な味方でも最前線にいかされた話しですね。
牟田口の上司現場猫やんけ
無能の代表格は褒め過ぎやろ
インパール作戦は、自分の名誉の為だったのか 役所(陸軍省)の行評ポイントの為だったのかそのあたりはわからないが、一般国民である兵士を殺しすぎ。
「牟田口さん あなた国賊ですよ!現在の日本国にあっては」
仮に作戦が成功してもアメリカがまだ残ってます
22:43
自分で前線に行って見本を見せてくれよ。神々が守ってくれるんだから銃弾も当たらんだろ。
アホと馬鹿は同じよ
それを支えた縁の下の力持ちが有能だった
夢見るポンタンが居なかったら日本は違った
自分の名誉回復の為に考えを変えたのかよ最悪や
イギリスは制空権あって、雨の部隊に必要なレンコン―トや日々の食料にチョコレートや医薬品をパラシュートで部隊に戦車も投下したり兵站が万全だが、日本軍の荷車の兵站を乗せて山脈越えるし兵装基本的に日清日露と同じ打撃など能力ない、現場はペストや食料危機、牟田口現場の参状知る良しもない、かなりの兵士死人だらけ八甲田山か?
兵站の能力無し初めから、戦争敗戦し自分は恩給暮らし無能が命どれだけ奪った事か?
空中投下の英軍補給物資を日本軍が確保した時は「チャーチル給与」と呼んで有り難くいただいたとの事です。
@綱清
そうですよね。運良く日本軍陣地に来たパラシュートの中チョコレートなど食えた兵士もいました
兵站軽視の現地調達!
武器は相手から奪え!
これでは、丸腰で戦争ができるという「戦争論」になってしまう
日本の歴史上で、
こんな丸腰の「いくさ」をしてきた例があったという話は聞いた事がないが
牟田口には戦争とはそう言ったものだったのだろう
戦後に至っても牟田口は、
この作戦を反省しないまま往ったという・・・
インパール作戦のおかげで、インドが独立できたのだけれども、なぜか、そこには触れない。ウォーギルドインフォメーションプログラムの成果か?
そんな事は結果論、当時はインド独立のために戦った訳じゃない。
@akibanokitune チャンドラーボース率いるインド国民軍は、何のために日本軍とともに戦ったんだ?
@@投資家ゆう
独立のために利用しただけでしょ
@@akibanokitune それを言ったら、日本軍は利用されたかもしれないけど、インパール作戦はインド独立のためで、結果としてインパール作戦のおかげでインド独立が達成されたとあなたも認めてるじゃないですか。
無惨みたい戦績
ドリトライみたいな精神論
こんなのが天寿全うするなんて言語道断やな
精神力でなんとかなる!
ジンギスカン作戦って有用だと思ったんだがな😢
牟田口1966まで生きたんか。
日本が勝手に自爆した作戦なのになんでイギリスはあんなに死者が多いねん
良いものが良いではなく、偉い(?)人が言う事が良いのだ
テスト(成績)と一緒で問題を出した人が正解は地獄
問題を出す人(エリート)が全て正しいのだ
正しいから問題(テスト・作戦)を出す側なのだ
なぜならば!!上司だからだ!!(お金持ちだし~名門だし~)
はなお地獄
そもそも初期は大目に見ても、日本軍の戦いって作戦と言えるのかいな?
これって勉強せずに、受ければ何とかなるとか言って試験に行くようなもんじゃね?😂
日本軍の戦い(妄想の世界で勝てれば良し!)って事ですからねw
絵がおかしい
アホなやつは無理だからまじでどうでもいい時にしか話もしないようにしてる(笑)
私の顔色によって察してほしかったのである←アホすぎて草🌱
でも、この人達が無謀な作戦を展開してくれたおかげで今の何不自由ない日本があると思うと歴史の皮肉だよね。
あなたが言っている意味が分からん❓無謀な作戦で何万人戦死したと思ってるんだよ。もっと太平洋戦争を勉強するべきです。
トルーマン語録を読んでそれでも平和ボケしていられる神経(汗)
@@福地秀昭 うん?だから、その何万人かが犠牲になってくれたお陰で今の日本があるんだよね?って話なのですが…w
@@なかむらむらなか だって事実じゃんw
@@日章旗-j8w バブル崩壊以降全てハシゴ外されてダメリカ🇺🇸ウゼー💢利益損ねる事しかしない内政干渉やTPP、LGBT
今更、どうでもいいけど、海軍と連携して、艦載機での爆撃、重巡での
艦砲射撃。して、小隊での山岳路確保。
本隊は揚陸艦からの上陸。そう、3次元の作戦計画を立てなかったのか?
わがんねーな、😢
その頃既に海軍はサイパン陥落、空母機動部隊も壊滅していたからそんな余裕なんか無かった。
艦砲なんか届く距離じゃないよ、艦載機を飛ばすには空母がいるが、まともに使える空母なんかあの時は無くなっていた。
インパール戦が始まってから陸軍航空隊が支援に来たのは1度か2度程度それも2,3機のみ、それでも久々に見る友軍機の日の丸を見て
多くの兵達は、よくこんな遠くまで来てくれた、敵砲陣地を爆撃してくれたと泣いて喜んだらしい。
@@boomoto6512 様 そうでしたね。海軍はレイテ沖で壊滅。
陸軍は大陸、海軍は南洋。各々でしたし。
陽動作戦なんて、紺碧の艦隊の漫画の読み過ぎでしたね。m(_ _)m
会社でも!達成困難なプロジェクト!課長に丸投げ!責任は全て課長!
部長いましたね!役員にはペコペコ?自分のプロジェクトは全て!現場に丸投げ!
大本英が実は2層構造で非日本人が圧倒的力を持つ組織であったとしたら…?
盧溝橋事変にて、石原莞爾の予測をスケールの大きさを分からぬ自体アホ。
牟田口の無駄口ってことか
無能なだけならまだいい。この男の場合は・・・いや、なにも語るまい。
料理好きで 料理がまずい女性も悲惨 一切料理しない方がまだいい
クズすぎる、、
無駄口の出身生家何処なん見て見たい❤🤩🤮教えて!!
言ってることがワタミの社長と同じやな。
陸軍の幹部はポンコツばっかりやがな笑
当時の総理大臣と陸軍大臣のポンコツを忘れちゃいかんな〜🙄
ポンコツは陸軍だけではない、日本人全体がポンコツだったから、その代表が陸軍と言うだけの話。
今も、ポンコツ政治家を生み出しているのは国民がポンコツだからですよ。
無駄口と聞こえた
無駄口に作戦を、任せる
事が間違い
魂で勝てるなら武器は不用だねー
資本主義国家権力 アホすか?
ありがとう、アメリカ。ありがとう、連合国。
君達が頑張ってくれたおかげで、我々日本国民は今のところ何不自由ない生活を送れているよ。
戦後の小学校では、そう、教えて居ました。
戦争に負けたお陰で、軍事費も削減され、市営住宅が建てられ。
集団農場は理想、共産主義は優れていると。
こういった時は感謝のコメントないんだね、派手な特攻動画の時は、英霊に感謝だの、先人達のお陰で云々、戦争で犠牲になったって事には変わりないじゃん🤔と何時も思う
牟田口に対する怒りや恨みの方が強いからじゃないでしょうか。
亡くなられた先人の方々、あまりに無念すぎます。
牟田口愚将軍の名前を聞くと、20年前の上司森本重夫、葛原孝範、岩田靖弘、15年前の上司佐々木勇人を思い出す。
昭和19年時点で援蔣ルート遮断や戦争の早期終結などの余剰戦力はありません。
英軍35個師団の侵攻に対し、アラカン山脈手前では防衛線が長く第15軍の9個師団では戦力不足なので、英軍攻撃発起点のインパールを先におさえ、防衛線圧縮と防御縦深確保が狙いです。
帝国軍人としては、座して死は待てなかったのでしょう。
昭和19年以降、日本側は正常な作戦立案など不可能でした。牟田口も含め作戦関係者全員が戦争被害者なのです。
日本人は個人に責任を押し付け叩くのが好きですが、反省すべきでしょう。
歴史に善悪を求めれば思考が偏り、情報の解釈に支障をきたします。
牟田口を取り巻く状況や彼が行動に至った考えが歴史の一部なのです。
それでも、誰かが責任を取らなければなりません。牟田口が免れるとは思えませんが…?
個人の心情で、座して死を待てないのは構わないが、一旦、作戦を発動したからには、司令官たるものが責任を負わずに、誰が負うのか?__功は貰うが責は負わないというのか?
責任を負うべき人物は牟田口において他ありませんが、歴史において責任者を求めても意味が無いと考えます。
例えばですが、長篠の戦で大敗した責任を武田勝頼に求めて意味がありますか?兵力差を考慮せず突撃を繰り返した動機を、現在に残る資料から考察することが歴史研究ではないでしょうか?
私の意見は、無責任な立場から炎上した有名人を叩くのがごときの批判は軽薄であり、牟田口のおかれた状況や彼が行動に至る動機から史実を考察しないと評価を誤ると申し上げたいのです。
@rinrin4903
事実は知らんし、他に何か未だ知られざる真実が隠れているやもしれないが、今回ここに書かれている物語の材料だけをもって判断すれば、私は牟田口に責任があると考えたまでだ。
貴方は貴方の考えがあってよろし。実際に裁判にて判決を下すわけでもなし、貴方の好きに考えたまえ。どうぞどうぞ。
だだ、強要されるのであれぼ断る。どこかの共産党ではあるまいし、考えは自由だ。
以上
@rinrin4903 いちいち失礼だな。「顔を真っ赤にして興奮」?…私の顔が見えるから書いたのかね?人をバカにしておいて、最後は謝罪?😔
謝罪は「顔…赤…」内の文章に対して必要であって、それ以前の文章にはあたらない。
私が共産党に強要されたという事実はない。一般的な例えとして、言論統制を快しとする中国を例示しただけだが、理解できなかったとは残念だな。🤷♂️
以後、書き方が相手に対して失礼に当たらない様に注意し、勉強し直したまえ😤
インパール作戦は戦闘では負けたけど、政治的には勝てた。インドに日本の信義を見せられた。そのおかげで東京裁判でインドは日本の味方してくれた。
日本兵の中に、本場のインドカレー(カレーをナンに浸けて食べる)を知った者がいた。
コヒマに突入した部隊が倉庫を接収したが、その中に石鹸が大量にあったので、
食い物ならほしいが石鹸なんかいらないと捨てたらしいが、それは石鹸では無くチーズだった、
後でそれがわかり捨てた事を悔やんだらしい。
パール判事の事だろうけど彼は判事の立場なので裁判で表立って日本に味方する訳がない。
判事というのは被告を有罪にする側の役割であって弁護する側ではないから裁判において味方になる事はありませんよ。
陸軍の牟田口、海軍の南雲がポンコツ過ぎる
無駄口の出身生家何処なん見て見たい❤🤩🤮教えて!!