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とてもいい動画をありがとうございます。邪馬台国宇佐説はマイナーなのですが、正解だと科学的に突き止めましたよ(^_-)-☆比売大神=宗像三女神という説は正しいのですが、これから分かるように三人の女神ではなく卑弥呼だったのです。それを隠すために日本書紀が三女神としたのですが、葦原中つ国の宇佐嶋(安心院町三女神社)に降臨した説を紹介しています。なぜ隠す必要があるのか疑問に思われるかもしれませんね(^_-)-☆実は日本書紀は天武天皇が編纂を命じた現存する最古の正史ですから、天皇の歴史書だとほとんどの方は騙されています。でも、崩御から30年以上もたった720年に完成しています。あとを継いだとされる皇后鵜野讃良(持統天皇、女神アマテラスのモデルとされました)を後ろ盾にして権力を握ったのが藤原不比等だったのです。藤原氏が権力を維持するために、日本建国時代に活躍した先祖を持つ有力豪族を中央から排除するために、史実を神話に閉じ込めて、都合の良い話に書き換えたことが、考古学や民俗学の成果から分かりました。不比等は天皇の外戚の地位と701年に制定した大宝律令を利用して、藤原氏だけが繁栄する体制を作りました。他の豪族が祀っていた祖神の名前や神社名も強権で変えさせていますから驚きます。卑弥呼は玄界灘を支配して半島南部の鉄資源を列島に供給していた縄文海人ムナカタ族の姫巫女、通称ヒメゴでした。4世紀から7世紀まで沖ノ島祭祀をヤマト政権がやっていましたが、日食のために殺された卑弥呼の鎮魂のためです。日本中の八幡神社や厳島神社、弁天宮などで祀られています。宇佐神宮の祭神とされる八幡大神と神功皇后は、卑弥呼の死後に列島の大半を支配した大国主狗古智卑狗とその妃台与のことです。記紀では武内宿禰と神功皇后とされています。最終的に狗奴国が大国主と台与を討って日本を統一しましたが、二人の祟りが恐ろしいので、二人の間の子供ホムダワケ(オオタタネコ)をヤマトに呼び寄せて祭祀王にしました。のちの八幡大菩薩応神天皇のことです。仲哀天皇が父というのは誤魔化しでした。大国主と台与も日本中で祀られています。伊勢神宮の内宮・外宮の本当の祭神はこの二人です。アマテラス女神は日本書紀の創作です。岩戸隠れの神話は卑弥呼が日食のために殺された史実を使っただけです。ほとんどの方は騙されていますが、女性天皇もフェイクであることは、京都にある天皇家の菩提寺泉涌寺で明治になるまで誰も祀られていないことから分かります。詳しくは拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご参照ください。突然、お邪魔してとんでもない話で申し訳ありませんでした( ^)o(^ )
相模国の一宮もヒメとヒコを祀ってます。古代に相模川沿岸を開拓し統治した一族の氏神と考えられます。祀るのは特定の個人ではなく、ご先祖様という緩めの趣旨かなと想像します。
宇佐八幡は、伊勢神宮と同じでいろんな所をうろうろしてる宇佐の地は一番新しい宮だよ。だから、宇佐は宗像大社の宮でそこに作られたかもしれないよ。宇佐の元宮は、福岡県の金富神社で元宮は福岡に多い。ちなみに祖宮は薦神社。
八幡神は戦いの神ですね
三女神の一人 イツクシマヒメが卑弥呼の本名と考えます。宇佐神宮に親魏倭王の金印がどこにあるかをお伺いたててほしいです。
宇佐が宗像より古いとすると倭国と呼ばれた朝鮮半島までも含んだ大きな国をさす意味なのかも。その媛大神とは宇佐津媛の事だとすると、宗像三女神より古いので、宇佐と宗像は同じではなさそうです。卑弥呼は宇佐の月神を掲げ物部氏と共に大和に東征した豊玉姫の事だと思うので、多分卑弥呼ではなく、もっと大陸のインドや古代朝鮮半島からの繋がりが深そうな気がします。
nihontaro9さんコメント有難う御座います!ウサツヒメ調べてみましたが宇佐氏のルーツの女性とのことで、宇佐氏の祖先崇拝的な神さまということでしょうか。=ヒメオオカミってことですね?確かに宗像三女神ではなさそうですね~
比売大神は卑弥呼ではなく、名前から考えると卑弥呼の宗女の壹與(トヨ)であり、豊国の女王様ではないでしょうか。
媛大神=宇佐王家累代の女当主(媛巫女でも有った)と宇佐族(ウサギ族)が太古より崇拝、信奉するウサ民族の主神である【月の女神/月読尊】が融合した祖霊神。八幡大神は月読尊の異名の一つ。応神天皇や神功皇后は月読尊を信奉したウサ族(応神天皇)と月読尊を信奉した息長氏の方。後年、ウサ族から大王(応神天皇)が出たことを大変喜んだ宇佐神宮(宇佐宗家)が養母の神功天皇(息長帯媛命。帯/タラシは大王の称号!)共に月読尊と歴代当主を祀る今の2の御殿(中央)の左右に新たに社殿を造営して三神殿としたのが今の姿。(【宗像王家】は紀元前3世紀に北九州地方を支配する【宇佐王家】が出雲王国の【言向け】(説得)に応じ、その証として出雲王国の親王、【アタカタス命】が宇佐王家のお媛さま(宇佐神宮(宇佐宗家)の伝承でもお名前が不明。仮に【兎佐津媛命】)と政略結婚して出雲王国の分家として宗像王家が創設された。宗像アタカタス命と兎佐津媛命の三人娘が所謂、宗像三女神。上のお二人は出雲王国の7代と8代のオホナモチ(出雲王国の帝王)にそれぞれ嫁ぎ大后(皇后)に成られ、出雲でお亡くなりになりました(皇室の先祖)。市杵島媛命は徐福(ニギハヤヒを自称)に騙され、(姉君たちの仇敵の【彦ホアカリ/徐福】とは知らずに)結婚して物部王家の祖の彦ホホデミ命と海王家の祖のホヤ媛命(異母兄の五十猛/海カゴヤマに嫁ぎ、大和王国の初代大王、海村雲大王をうんだ))月読尊、同じく、稚日女神(天照大神の妹神と説明)や天照大神稚魂。丹生都媛大神(稚日女尊や天照大神の妹神と説明)豊受大神(豊受皇大神)、ウズメ尊。素兎神。
瀬織津姫でしょう
宗像三女神は誰って?・・・・瀬織津姫という天照大御神の荒神かなぁ~。八幡の応神がなぜ真ん中でないのか?火明命に行きつきそう!大己貴命と宗像三女神が、日子山(英彦山)に祭神されていたのは、後に日子山に祭神される忍穂耳命。ここが本当の天孫降臨地?宇佐より、日子の山?
【瀬織】の言葉の意味は激しく戦争/紛争をする勢力同士(【瀬】)のあいたに入って和議を仲介して紛争を終結される事(【織】、「折(織)り合いを着ける」)。だれとだれが紛争/戦争していたのか?九州の【物部王家】(徐福(ニギハヤヒを自称)と市杵島媛命の子孫)軍が大和王国(徐福(彦ホアカリを自称)と出雲の内親王、高光媛命の子孫/海(アマ)王家と出雲族の連合王国)に侵攻。大和の海/磯城王朝の副王家、登美家(出雲の富(トビ)王家(皇室の直系先祖/本宗家(不都合な真実。皇室の姓は武内臣家(富王家の女系親戚で徐福の子孫の武内太田根(と物部らに滅亡を余儀なくされた出雲王国の富王家の媛さまとの)子孫。出雲王家の(お姫様が嫁下した女系)親戚には臣の称号が許可されていた)、血筋は元出雲王家の富家の分家。(いわゆるコトシロ主神や野見宿祢等は直系先祖)))の分家)
卑弥呼の弟さん須佐之男は追放されて山口から島根、子孫の大国主命が大国主大神!出雲大社!ツクヨミさんは、何処かに祀られたはず?
ひめおおかみじゃなくてhるめです。おおひるめ
宗像三女神→Χ……初代の女王卑弥呼→二代目の女王卑弥呼(台与)→三代目の女王卑弥呼(壱与)……比売大神は三人の女神です。台与→豊の国、壱与→伊予の国、邪馬台国の東に海があり、海の向こうに島があり、倭人が住む。……と思いますねぇ♪ 宗像三女神と言われている……と言う言い方なので、宗像三女神は違うと思います。
卑弥呼はヒーメーフーと読みます。ヒメと呼ぶが中国読みです!ヒミコではありません!ヒメが正しい!
豊の国とはトヨのくに。邪馬台国は大分県。
宇佐神宮の比売大神は神武天皇の母・玉依姫であるとされていたの知らないの❔つい20年くらい前まで明示されてた。多分、宗像大社の世界遺産認定の時期に祭神が変わってしまった。そういうところもちゃんと考慮して考察してほしい。最近この手の動画が増えてるけど、浅薄なのが残念。
私は宇佐津媛のことだと思います。天照大御神であれば、名前を隠す必要はありません。さらに太陽信仰と八幡信仰の組み合わせはかなり不自然です。卑弥呼の名前が記紀や日本の文献に出てこないのに応神天皇より格上?っと疑問も残ります。比売大神が応神天皇より格上だという背景を考慮するべきかと思います。藤原氏の氏神の春日大社は、武甕槌(鹿島様)、経津主(香取様)、天児屋根(藤原祖神)、比売神(妻)八幡と同じく戦の神様ですね。日本書紀や中臣氏系譜では宇佐津姫は天種子命に嫁ぎ、中臣氏のご先祖様に当たります。宇佐族は宇佐国造の祖でもあり、神武東征時の菟狭川の川上とはまさに宇佐神宮の場所と思えます。宇佐神宮の比売大神は藤原氏の権威の象徴であっただろうと思われますが、名前を隠すことにより天皇家に配慮したのではないかと思います。
とてもいい動画をありがとうございます。
邪馬台国宇佐説はマイナーなのですが、正解だと科学的に突き止めましたよ(^_-)-☆
比売大神=宗像三女神という説は正しいのですが、これから分かるように三人の女神ではなく卑弥呼だったのです。それを隠すために日本書紀が三女神としたのですが、葦原中つ国の宇佐嶋(安心院町三女神社)に降臨した説を紹介しています。なぜ隠す必要があるのか疑問に思われるかもしれませんね(^_-)-☆
実は日本書紀は天武天皇が編纂を命じた現存する最古の正史ですから、天皇の歴史書だとほとんどの方は騙されています。でも、崩御から30年以上もたった720年に完成しています。あとを継いだとされる皇后鵜野讃良(持統天皇、女神アマテラスのモデルとされました)を後ろ盾にして権力を握ったのが藤原不比等だったのです。藤原氏が権力を維持するために、日本建国時代に活躍した先祖を持つ有力豪族を中央から排除するために、史実を神話に閉じ込めて、都合の良い話に書き換えたことが、考古学や民俗学の成果から分かりました。不比等は天皇の外戚の地位と701年に制定した大宝律令を利用して、藤原氏だけが繁栄する体制を作りました。他の豪族が祀っていた祖神の名前や神社名も強権で変えさせていますから驚きます。
卑弥呼は玄界灘を支配して半島南部の鉄資源を列島に供給していた縄文海人ムナカタ族の姫巫女、通称ヒメゴでした。4世紀から7世紀まで沖ノ島祭祀をヤマト政権がやっていましたが、日食のために殺された卑弥呼の鎮魂のためです。日本中の八幡神社や厳島神社、弁天宮などで祀られています。
宇佐神宮の祭神とされる八幡大神と神功皇后は、卑弥呼の死後に列島の大半を支配した大国主狗古智卑狗とその妃台与のことです。記紀では武内宿禰と神功皇后とされています。最終的に狗奴国が大国主と台与を討って日本を統一しましたが、二人の祟りが恐ろしいので、二人の間の子供ホムダワケ(オオタタネコ)をヤマトに呼び寄せて祭祀王にしました。のちの八幡大菩薩応神天皇のことです。仲哀天皇が父というのは誤魔化しでした。大国主と台与も日本中で祀られています。伊勢神宮の内宮・外宮の本当の祭神はこの二人です。アマテラス女神は日本書紀の創作です。岩戸隠れの神話は卑弥呼が日食のために殺された史実を使っただけです。ほとんどの方は騙されていますが、女性天皇もフェイクであることは、京都にある天皇家の菩提寺泉涌寺で明治になるまで誰も祀られていないことから分かります。詳しくは拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご参照ください。突然、お邪魔してとんでもない話で申し訳ありませんでした( ^)o(^ )
相模国の一宮もヒメとヒコを祀ってます。古代に相模川沿岸を開拓し統治した一族の氏神と考えられます。祀るのは特定の個人ではなく、ご先祖様という緩めの趣旨かなと想像します。
宇佐八幡は、伊勢神宮と同じで
いろんな所をうろうろしてる
宇佐の地は一番新しい宮だよ。
だから、宇佐は宗像大社の宮で
そこに作られたかもしれないよ。
宇佐の元宮は、福岡県の金富神社で
元宮は福岡に多い。ちなみに祖宮は薦神社。
八幡神は戦いの神ですね
三女神の一人 イツクシマヒメが卑弥呼の本名と考えます。
宇佐神宮に親魏倭王の金印がどこにあるかをお伺いたててほしいです。
宇佐が宗像より古いとすると倭国と呼ばれた朝鮮半島までも含んだ大きな国をさす意味なのかも。その媛大神とは宇佐津媛の事だとすると、宗像三女神より古いので、宇佐と宗像は同じではなさそうです。卑弥呼は宇佐の月神を掲げ物部氏と共に大和に東征した豊玉姫の事だと思うので、多分卑弥呼ではなく、もっと大陸のインドや古代朝鮮半島からの繋がりが深そうな気がします。
nihontaro9さんコメント有難う御座います!
ウサツヒメ調べてみましたが宇佐氏のルーツの女性とのことで、宇佐氏の祖先崇拝的な神さまということでしょうか。=ヒメオオカミってことですね?
確かに宗像三女神ではなさそうですね~
比売大神は卑弥呼ではなく、名前から考えると卑弥呼の宗女の壹與(トヨ)であり、豊国の女王様ではないでしょうか。
媛大神
=宇佐王家累代の女当主(媛巫女でも有った)と
宇佐族(ウサギ族)が太古より崇拝、信奉するウサ民族の主神である
【月の女神/月読尊】
が融合した祖霊神。
八幡大神は月読尊の異名の一つ。
応神天皇や神功皇后は月読尊を信奉したウサ族(応神天皇)と月読尊を信奉した息長氏の方。
後年、ウサ族から大王(応神天皇)が出たことを大変喜んだ宇佐神宮(宇佐宗家)が
養母の神功天皇(息長帯媛命。帯/タラシは大王の称号!)共に月読尊と歴代当主を祀る今の2の御殿(中央)の左右に新たに社殿を造営して
三神殿としたのが今の姿。
(【宗像王家】は
紀元前3世紀に北九州地方を支配する【宇佐王家】が出雲王国の【言向け】(説得)に応じ、その証として出雲王国の親王、【アタカタス命】が宇佐王家のお媛さま(宇佐神宮(宇佐宗家)の伝承でもお名前が不明。仮に【兎佐津媛命】)
と政略結婚して出雲王国の分家として宗像王家が創設された。宗像アタカタス命と兎佐津媛命の三人娘が所謂、宗像三女神。上のお二人は出雲王国の7代と8代のオホナモチ(出雲王国の帝王)にそれぞれ嫁ぎ大后(皇后)に成られ、出雲でお亡くなりになりました(皇室の先祖)。市杵島媛命は徐福(ニギハヤヒを自称)に騙され、(姉君たちの仇敵の【彦ホアカリ/徐福】とは知らずに)結婚して物部王家の祖の彦ホホデミ命と海王家の祖のホヤ媛命(異母兄の五十猛/海カゴヤマに嫁ぎ、大和王国の初代大王、海村雲大王をうんだ))
月読尊、
同じく、
稚日女神(天照大神の妹神と説明)や天照大神稚魂。
丹生都媛大神(稚日女尊や天照大神の妹神と説明)
豊受大神(豊受皇大神)、
ウズメ尊。
素兎神。
瀬織津姫でしょう
宗像三女神は誰って?・・・・瀬織津姫という天照大御神の荒神かなぁ~。八幡の応神がなぜ真ん中でないのか?火明命に行きつきそう!大己貴命と宗像三女神が、日子山(英彦山)に祭神されていたのは、後に日子山に祭神される忍穂耳命。ここが本当の天孫降臨地?宇佐より、日子の山?
【瀬織】の言葉の意味は
激しく戦争/紛争をする勢力同士(【瀬】)のあいたに入って和議を仲介して
紛争を終結される事(【織】、「折(織)り合いを着ける」)。
だれとだれが紛争/戦争していたのか?
九州の【物部王家】(徐福(ニギハヤヒを自称)と市杵島媛命の子孫)軍が
大和王国(徐福(彦ホアカリを自称)と出雲の内親王、高光媛命の子孫/海(アマ)王家と出雲族の連合王国)に侵攻。
大和の海/磯城王朝の副王家、登美家(出雲の富(トビ)王家(皇室の直系先祖/本宗家(不都合な真実。皇室の姓は武内臣家(富王家の女系親戚で徐福の子孫の武内太田根(と物部らに滅亡を余儀なくされた出雲王国の富王家の媛さまとの)子孫。出雲王家の(お姫様が嫁下した女系)親戚には臣の称号が許可されていた)、血筋は元出雲王家の富家の分家。(いわゆるコトシロ主神や野見宿祢等は直系先祖)))の分家)
卑弥呼の弟さん須佐之男は追放されて山口から島根、子孫の大国主命が大国主大神!出雲大社!
ツクヨミさんは、何処かに祀られたはず?
ひめおおかみじゃなくてhるめです。おおひるめ
宗像三女神→Χ……初代の女王卑弥呼→二代目の女王卑弥呼(台与)→三代目の女王卑弥呼(壱与)……比売大神は三人の女神です。台与→豊の国、壱与→伊予の国、邪馬台国の東に海があり、海の向こうに島があり、倭人が住む。……と思いますねぇ♪ 宗像三女神と言われている……と言う言い方なので、宗像三女神は違うと思います。
卑弥呼はヒーメーフーと読みます。ヒメと呼ぶが中国読みです!ヒミコではありません!ヒメが正しい!
豊の国とはトヨのくに。邪馬台国は大分県。
宇佐神宮の比売大神は神武天皇の母・玉依姫であるとされていたの知らないの❔つい20年くらい前まで明示されてた。多分、宗像大社の世界遺産認定の時期に祭神が変わってしまった。そういうところもちゃんと考慮して考察してほしい。最近この手の動画が増えてるけど、浅薄なのが残念。
私は宇佐津媛のことだと思います。
天照大御神であれば、名前を隠す必要はありません。さらに太陽信仰と八幡信仰の組み合わせはかなり不自然です。
卑弥呼の名前が記紀や日本の文献に出てこないのに応神天皇より格上?っと疑問も残ります。
比売大神が応神天皇より格上だという背景を考慮するべきかと思います。
藤原氏の氏神の春日大社は、武甕槌(鹿島様)、経津主(香取様)、天児屋根(藤原祖神)、比売神(妻)
八幡と同じく戦の神様ですね。
日本書紀や中臣氏系譜では宇佐津姫は天種子命に嫁ぎ、中臣氏のご先祖様に当たります。
宇佐族は宇佐国造の祖でもあり、神武東征時の菟狭川の川上とはまさに宇佐神宮の場所と思えます。
宇佐神宮の比売大神は藤原氏の権威の象徴であっただろうと思われますが、名前を隠すことにより天皇家に配慮したのではないかと思います。