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信虎、「風林火山」では情のない暴君のような描写でしたが、「やらねばやられる」「親族すら油断できない」戦国時代では、そのような性格となるのも仕方ない。映画「信虎」を昨日観てきました。いい映画でした。何より、息子と比べて知名度の劣る信虎で一本の映画を作ったチャレンジ精神に拍手を送りたいです。
派手な部分にばかり目が行くけど小さい波紋が後々大きくなるなんて多々ある。足利義昭etcと繋がって武田家支援してたのは胸熱…。勝頼も爺ちゃん思いで少し泣かせる。
甲斐の国甲府へ 安芸の国広島から何度か出かけていましたが、平山先生の 信虎の説明で信虎の功績を 初めて理解ができました。甲府市が開府500年を迎えた、記念事業で信虎銅像が北口に設置されたとのこと、また、甲斐の国を訪れたいものです。平山先生の分かり易い、素晴らしい解説を 有難うございました。、感謝、感謝
信玄が活躍出来たのも信虎のおかげだと思う。信虎が基礎を作ったし、追放後も陰で信玄を助けてたし、なんだかんだ息子思いだと思う。
信長包囲網最大の一角である本願寺と友好関係築けたのも信虎のお陰(本願寺顕如と武田信玄の奥さんは姉妹で信虎の斡旋でそうなったはず)ですしね
織田信長も父、信秀がいたからこそですね。
家康とは違うかな
@@マヤ平確かに家康の下地は、父・広忠よりも祖父・清康の功績が大きいですね
最近、本当に歴史の再評価が進んでますね。信長が旧体制を駆逐していったという姿や武田信虎の再評価。。。色々ありますが、それだけ研究が進んだ、あるいは新史料の発掘や多角的な考察、、小学時代から刷り込まれた知識を修正しつつさらに深堀していく歴史。。興味が尽きないし、改めて、歴史って面白い!!
ラスト泣けるわ。いつの時代であっても我が武田は戦国最強に間違いない。
武田と真田のスペシャリスト平山先生、嬉しそうに解説してる(笑)
山梨県民の誇りですね。
武田信虎、最終的にお坊さんになってお坊さんの名前を名乗ってたけど、あの眼光鋭いお坊さんは元武将なのかな?えらいオーラが溢れてるけどって当時有名だったと聞いたことがあります。
最近、信虎主人公の映画も作られたりしてるし信虎の株が上がってきてるね。これも平山先生の研究のおかげかな
TBSでは絶対に放映して貰えない、まさに山梨県ローカルの番組です。 いつしかTBS系で放映して欲しいです。
途中音が途切れます
請大河劇2021年找武田信玄延生500年做主角吧❗🙏🙇♂️
動画で信虎の功績を聞くと信玄よりも実は優秀だったんだなと思います。躑躅ヶ崎館建設とそれに伴った家臣の移住、直轄軍の編成、こういった中央集権化はものすごく苦労したと想像できます。すごく勉強になりました。ただ、諸事情により何カ所か無音なのが残念でした(特に新府城のくだりは聞きたかったです)ナレーションだけ取り直して挿入などはできなかったのでしょうか・・・。
途中、音声が出ませんでした
甲府を甲斐の政治の中心とした武田信虎公の功績は、改めて見直されるべきものかもしれませんね
歴史小説には暴君として描かれがちなだけに過小評価されてきたが、甲府をゼロから作ったという業績は大きい
音飛びすぎぃ!
甲府はユニークで稀有、パイオニアなルーツや物語を持ち合わせていて、素晴らしいですね!★ 地名に政治の中心を意味する"府"付けられている唯一の地。★ ゼロから建ち上げられた県都は、この甲府のみ。★ 5 世紀にも渡り、県都であり続ける稀な都市。
ななよやさやしゃ
「府中」「防府」「長府」「大宰府」など、他の「府」は県庁所在地ではないですからねぇ。ただ、甲府には朝廷が設置した国府などの政庁は無かったんですよね。
これ見ると信虎が軍事偏重になり、戦ばかりやってたのは仕方ないわ。と思うようになった。そこにきて、一所懸命の臣下が組織で幅を利かせているというのが問題だわな。実際息子も家督を継いでから散々苦労したし。
「武田氏研究会 副会長」!!
信玄亡き後もう少し若くもう少し穏やかな爺ちゃんが孫を側で助けたら武田家の運命が変わったかも 運命は少しの歯車の変化で変わる
沒人選吧?!
途中音が流れない所が。。。
2:21 例のBGM
地味に幸綱で嬉しい
小山田、穴山は最後まで脚を引っ張ったな
ガメラの金子修介が映画化してるよね
信虎公開めでたい🎉中央集権化がうまくいったら信長の先を行けたかも…でも甲斐にはそれはまだ早すぎたのかなぁ
映画で信虎を演じた寺田農って、信虎の雰囲気をかなり忠実に再現できる俳優だったんだな。肖像画にも銅像にも結構似てる。ところでこの動画、途中で音声が途切れて視聴しづらいことこの上無い。5年も前にUPされた動画にクレームつけても何にもならないかも知れないが、直してもらえんもんだろうか。
音がプツプツ切れて聞こえない
武田信虎って天才だったんですね。何故長男・信玄に追放されてしまったのか・・・・・・。
天災や疫病、内戦、地震等による飢饉やら物価高騰が多すぎて勝頼の浅間山噴火みたいな状態(天も今の殿のやり方に愛想が尽きてる)になってしまったから無道の人間扱いに…平山先生の研究で信虎期34年間で28年分も災害起きてたそうで、民自体が政権交代あるあるの徳政令を要求してたから誰も反発しなかったし信玄もやらないとヤバいという危機感があった
主に重臣達に愛想を尽かされたから。主犯は信玄ではなく、元々我が強い重臣達です。
郷土史家の方、イケボすぎるやろ
教科書では分からない歴史が多々ある。広く深く教養として知っておくべきですね。
信長が好きで、その父信定と被ります。二人共、覇権のバトンを渡せるほどの力を持ちながら存在が埋もれがち。非常に興味深い番組です。
織田信秀のことでしょうか?
信虎は戦や重税により家中で孤立していたことを感じていたのかもしれない。だから突然駿河へ出かけ、真っ先に裏切った板垣に晴信を監視させたのかもしれない。これは自らは身を引き、晴信が跡を継ぐことを暗に促したのかもしれない。だから追放された後に晴信に反撃することがなかったのかもしれない。晴信もこれを感じ取っていたからこそ信虎の元に父の側室と生活費を送ったのかもしれない。また信虎は晴信に家督を継がせることを決めていたのかもしれない。次男の信繁を寵愛していてもなお信繁を家督を継がせる気は無かったと思う。そのため信虎が追放された後に信繁が晴信に反旗を翻すこともなく晴信を陰から支え続けたのだと思う。
駿河から東海地方の情報を知らせてもいたようですね。
甲府駅から、南に信玄公、北へは信虎公が、平和への睨みを利かせてらっしゃるのね。
京に行ったりして遊んでた!
秀吉と同じくカリスマの死によって終わった
信頼していた弟が先に亡くなった所も共通してますね。
信虎とは関係無いけど信玄餅食べたい。
坪井の工場、また行きたいなぁ。
信玄陣没の翌年まで生きてたんだから西上作戦に信虎も一緒にいたらと思うと想像が膨らむな
信玄死去には落胆したでしょうね。
信虎はかなり有能だった可能性が高い人で、非情な行動についても当時の情勢の厳しさから仕方なく行ったと思われるので、信玄を強調するために無能であったり激情家で非道な振る舞いをする人みたいな描かれ方が多いのは可哀想。
一応、武田の領国内で人生を終えたんだから、ラッキーだったと思いますよ。
これって親戚同士による同族争いだよね。甲斐国は他国に比べて特にその傾向が強い印象。系図にもある通り武田ですら甲斐源氏の惣領の地位を加賀美から簒奪している
甲府しょぼとか言ってごめんなさい
人は、皆間違った事をしてしまいますよ。私だってそうです沢山。
武田信玄公と武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です武田信玄公のお父さんですけど、武田勝頼公のじいちゃんです🎵武田信玄公とお父さんが仲が悪いです🎵伊達政宗公もお母さんと仲が悪いです🎵
相次ぐ戦のと国の困窮、疲弊が追放では当時としては言いがかり。国が困窮するから戦をするわけだし、
黒田徳川李白。
甲斐金山在武田信赖的时候采光了
信虎、「風林火山」では情のない暴君のような描写でしたが、
「やらねばやられる」「親族すら油断できない」戦国時代では、
そのような性格となるのも仕方ない。
映画「信虎」を昨日観てきました。
いい映画でした。
何より、息子と比べて知名度の劣る信虎で一本の映画を作ったチャレンジ精神に拍手を送りたいです。
派手な部分にばかり目が行くけど小さい波紋が後々大きくなるなんて多々ある。
足利義昭etcと繋がって武田家支援してたのは胸熱…。勝頼も爺ちゃん思いで少し泣かせる。
甲斐の国甲府へ 安芸の国広島から何度か出かけていましたが、平山先生の 信虎の説明で信虎の功績を 初めて理解ができました。
甲府市が開府500年を迎えた、記念事業で信虎銅像が北口に設置されたとのこと、
また、甲斐の国を訪れたいものです。
平山先生の分かり易い、素晴らしい解説を 有難うございました。、
感謝、感謝
信玄が活躍出来たのも信虎のおかげだと思う。信虎が基礎を作ったし、追放後も陰で信玄を助けてたし、なんだかんだ息子思いだと思う。
信長包囲網最大の一角である本願寺と友好関係築けたのも信虎のお陰(本願寺顕如と武田信玄の奥さんは姉妹で信虎の斡旋でそうなったはず)ですしね
織田信長も父、信秀がいたからこそですね。
家康とは違うかな
@@マヤ平確かに家康の下地は、父・広忠よりも祖父・清康の功績が大きいですね
最近、本当に歴史の再評価が進んでますね。信長が旧体制を駆逐していったという姿や武田信虎の再評価。。。色々ありますが、それだけ研究が進んだ、あるいは新史料の発掘や多角的な考察、、
小学時代から刷り込まれた知識を修正しつつさらに深堀していく歴史。。
興味が尽きないし、改めて、歴史って面白い!!
ラスト泣けるわ。
いつの時代であっても
我が武田は戦国最強に間違いない。
武田と真田のスペシャリスト平山先生、嬉しそうに解説してる(笑)
山梨県民の誇りですね。
武田信虎、最終的にお坊さんになってお坊さんの名前を名乗ってたけど、
あの眼光鋭いお坊さんは元武将なのかな?えらいオーラが溢れてるけどって当時有名だったと聞いたことがあります。
最近、信虎主人公の映画も作られたりしてるし信虎の株が上がってきてるね。これも平山先生の研究のおかげかな
TBSでは絶対に放映して貰えない、まさに山梨県ローカルの番組です。 いつしかTBS系で放映して欲しいです。
途中音が途切れます
請大河劇2021年找武田信玄延生500年做主角吧❗🙏🙇♂️
動画で信虎の功績を聞くと信玄よりも実は優秀だったんだなと思います。
躑躅ヶ崎館建設とそれに伴った家臣の移住、直轄軍の編成、こういった中央集権化はものすごく苦労したと想像できます。
すごく勉強になりました。
ただ、諸事情により何カ所か無音なのが残念でした(特に新府城のくだりは聞きたかったです)
ナレーションだけ取り直して挿入などはできなかったのでしょうか・・・。
途中、音声が出ませんでした
甲府を甲斐の政治の中心とした武田信虎公の功績は、改めて見直されるべきものかもしれませんね
歴史小説には暴君として描かれがちなだけに
過小評価されてきたが、甲府をゼロから作ったという業績は大きい
音飛びすぎぃ!
甲府はユニークで稀有、パイオニアなルーツや物語を持ち合わせていて、素晴らしいですね!
★ 地名に政治の中心を意味する"府"付けられている唯一の地。
★ ゼロから建ち上げられた県都は、この甲府のみ。
★ 5 世紀にも渡り、県都であり続ける稀な都市。
ななよやさやしゃ
「府中」「防府」「長府」「大宰府」など、他の「府」は県庁所在地ではないですからねぇ。ただ、甲府には朝廷が設置した国府などの政庁は無かったんですよね。
これ見ると信虎が軍事偏重になり、戦ばかりやってたのは仕方ないわ。
と思うようになった。
そこにきて、一所懸命の臣下が組織で幅を利かせているというのが問題だわな。
実際息子も家督を継いでから散々苦労したし。
「武田氏研究会 副会長」!!
信玄亡き後もう少し若くもう少し穏やかな爺ちゃんが孫を側で助けたら武田家の運命が変わったかも 運命は少しの歯車の変化で変わる
沒人選吧?!
途中音が流れない所が。。。
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地味に幸綱で嬉しい
小山田、穴山は最後まで脚を引っ張ったな
ガメラの金子修介が映画化してるよね
信虎公開めでたい🎉
中央集権化がうまくいったら信長の先を行けたかも…でも甲斐にはそれはまだ早すぎたのかなぁ
映画で信虎を演じた寺田農って、信虎の雰囲気をかなり忠実に再現できる俳優だったんだな。
肖像画にも銅像にも結構似てる。
ところでこの動画、途中で音声が途切れて視聴しづらいことこの上無い。
5年も前にUPされた動画にクレームつけても何にもならないかも知れないが、
直してもらえんもんだろうか。
音がプツプツ切れて聞こえない
武田信虎って天才だったんですね。何故長男・信玄に追放されてしまったのか・・・・・・。
天災や疫病、内戦、地震等による飢饉やら物価高騰が多すぎて勝頼の浅間山噴火みたいな状態(天も今の殿のやり方に愛想が尽きてる)になってしまったから無道の人間扱いに…
平山先生の研究で信虎期34年間で28年分も災害起きてたそうで、民自体が政権交代あるあるの徳政令を要求してたから誰も反発しなかったし信玄もやらないとヤバいという危機感があった
主に重臣達に愛想を尽かされたから。主犯は信玄ではなく、元々我が強い重臣達です。
郷土史家の方、イケボすぎるやろ
教科書では分からない歴史が多々ある。広く深く教養として知っておくべきですね。
信長が好きで、その父信定と被ります。二人共、覇権のバトンを渡せるほどの力を持ちながら存在が埋もれがち。
非常に興味深い番組です。
織田信秀のことでしょうか?
信虎は戦や重税により家中で孤立していたことを感じていたのかもしれない。だから突然駿河へ出かけ、真っ先に裏切った板垣に晴信を監視させたのかもしれない。これは自らは身を引き、晴信が跡を継ぐことを暗に促したのかもしれない。だから追放された後に晴信に反撃することがなかったのかもしれない。晴信もこれを感じ取っていたからこそ信虎の元に父の側室と生活費を送ったのかもしれない。
また信虎は晴信に家督を継がせることを決めていたのかもしれない。次男の信繁を寵愛していてもなお信繁を家督を継がせる気は無かったと思う。そのため信虎が追放された後に信繁が晴信に反旗を翻すこともなく晴信を陰から支え続けたのだと思う。
駿河から東海地方の情報を知らせてもいたようですね。
甲府駅から、南に信玄公、北へは信虎公が、平和への睨みを利かせてらっしゃるのね。
京に行ったりして遊んでた!
秀吉と同じくカリスマの死によって終わった
信頼していた弟が先に亡くなった所も共通してますね。
信虎とは関係無いけど信玄餅食べたい。
坪井の工場、また行きたいなぁ。
信玄陣没の翌年まで生きてたんだから西上作戦に信虎も一緒にいたらと思うと想像が膨らむな
信玄死去には落胆したでしょうね。
信虎はかなり有能だった可能性が高い人で、非情な行動についても当時の情勢の厳しさから仕方なく行ったと思われるので、信玄を強調するために無能であったり激情家で非道な振る舞いをする人みたいな描かれ方が多いのは可哀想。
一応、武田の領国内で人生を終えたんだから、ラッキーだったと思いますよ。
これって親戚同士による同族争いだよね。甲斐国は他国に比べて特にその傾向が強い印象。系図にもある通り武田ですら甲斐源氏の惣領の地位を加賀美から簒奪している
甲府しょぼとか言ってごめんなさい
人は、皆間違った事をしてしまいますよ。私だってそうです沢山。
武田信玄公と武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です
武田信玄公のお父さんですけど、武田勝頼公のじいちゃんです🎵
武田信玄公とお父さんが仲が悪いです🎵
伊達政宗公もお母さんと仲が悪いです🎵
相次ぐ戦のと国の困窮、疲弊が追放では当時としては言いがかり。
国が困窮するから戦をするわけだし、
黒田徳川李白。
甲斐金山在武田信赖的时候采光了