Great video - seems like people still visit & look after the places? Love how you honour & respect the old graves & shrine. That was an old photo at 28:15 - Do you know when was was it taken?
Merci d'avoir regardé ! Le fait que le sanctuaire soit toujours là est très précieux. Il est dommage que le village ait été abandonné en raison de son histoire.
松前葉子さんは、将来を予見する能力が凄いですね! まだ生きておられるのでしょうか? 直接お話を聞いてみたいものです。
現在なら70歳ぐらいですね。都会に出て暮らされているかもしれません。いつかこの動画を見ていただけたら嬉しいですね。
そのときの集落の様子など様々な事を聞いてみたいです。
今回もなかなか奥深いところの探索でしたね、やはり平家縁の地でしょうか墓石も在りました。
廃神社と出合うと寂しさと同時にホッと安堵感も覚えます。
残り少ない桜の花びらがそろそろ今年のお役御免を伝えてくれました、来年の春また満開の様子を
魅せてくれることでしょうね。
これからやっかいな暑さと湿気の時季に入ります、くれぐれもご自愛を。
新緑の季節で集落にはチョウチョが飛んでいました。この日は天気が良く、この地は日中、日差しが当たっているのので明るい集落だったのだと感じました。紅葉や藤、桜など様々な木々があったのでそれぞれの季節に色とりどりの花を咲かせくれそうです。植林されていない頃の集落は、山頂に近い場所にあるので気候の良いばしょだったのでしょう。いつも有難うございます!
夢の跡ですね昔の楽し気な風景が目に浮かびます。
すばらしい 嘆声がでます。ありがとうございます。
有難うございます!
こんにちは!こうして現地を撮影し掘り下げることで、集落の足跡や伝説、松前葉子さんのレポートがより一層伝わってきますね。平家墓は崩折れ埋もれながらも、残っているのは驚きであり感動。手を合わせるミツキさんが印象的。
これだけ調べて丁寧な編集と、最近は増々動画クオリティアップしてる。イラストの地図も探索ルートがわかりやすくて良いですね。
こんにちは、今回に関しては特に資料などが残っていて、とても探索がしやすかったです。予め調査した際にはどのように撮影するか構成を決めていたので私らしい動画が出来上がりました。今までの他の動画の中でも平家の落人「松前氏」が出てきていますが、恐らくこの「松前コタロウ」も一族と一緒に行動していたのだと思います。他の動画で「松前隼人守」という人物が出てきますが、「松前隼人守」と一族は木谷、大野、黒沢に訪れていることもあり、その際にこの地に幾人かの松前一族が残ったのではないではないかと思います。こう見ると繋がりがあるので歴史が明らかになるのはとても楽しいです。動画のクオリティは初期と比べるとものすごくアップしているのは自分でも実感しております。皆様のおかげここまで来ることが出来ました。有難うございます!
亡くなった祖母の里が松前町なので興味深く拝見しました
四国には時々帰省して山に沢登りや釣りに行ったりしますが確かに所々に日浦という地名があります
それに比べて数は少ないですが影浦という地名もあります
こちらは北面して日当たりが悪い谷間の地形を言うと聞きました
この集落だけに限りませんが、この岩国には松前氏の落人集落が多く感じます。そう思うと松前一族は割と大きな一族だったと感じます。
四国には源平合戦の「屋島の戦い」で散った平家の落人が多いみたいなのでその影響かもしれませんね。
影浦も興味深いですね。岩国にも日下や日浦という地名が他にもあるのですが、そこも平家の落人集落ということを後から知ることになりました。
限界集落大好きです。
同性の女性が制作してくれていて、
頼もうしいです。
私も車持ってたら、
行きたいけどなぁ❤
この調子でこれからも頑張ってください😊
毎回大変興味深く拝見させていただいております。今自分が住んでいるところは村で、そう遠くないうちに同じように廃村になり、苔むして緑に飲まれて自然に帰っていくのが目に見えるようです。私の住んでいる県は人口200万人を割り、日本全体でも人口減少しております。地方では遠からずどこも同じような廃墟になるのでしょう。寂しい限りです。
今回は特に私も興味深い集落でした。今回の集落は昔からのお墓も残っており大切に扱われていたのがよくわかります。集落はどうしても不便さから若者は出ていくことが多いですね。こういう集落は人口の減少より、発展の影響が大きく感じます。皆、便利さや仕事を求めて都会や街に移住される方が多いですね。私は集落生まれではないので集落を守っていくのが大変なのがよく分かります。私の元実家はここから近い方ですがやはり人口は減少しておりもう若い人は少ないです。
平家の落人みたいな話しは、あちこちに有るんでしょうね。うちの近所にも有りますが、現住の様です。
平家の落人集落はあちこちにあるようですが、伝説は口伝が多いので、集落がなくなり、住人がいなくなると語り継ぐものがいなくなるので、こうしてレポートなどとして記録に残してほしいですね。
ミツキさん、こんばんは!
先日は桜船有難うございました。
あのあと、西黒沢の辺りをウロウロして帰ったのですが、日ノ浦集落は行けてないので、またミツキさんの動画を参考にさせてもらって行ってみます。
いつもすごく色々な歴史の話を調べて下さって有難うございます。知っててその場を歩くのではまた全然違いますね。何度か読み返してみようと思います。本当にいつも素敵な動画、有難うございます。
こんにちは、先日はご乗船いただき有難うございました!
毎年来てくださり本当に有難うございます!正直とても励みになっております!
今回はとても慎重に撮影しました。広島の仕事が早朝に終わるので、そのままここに何度か調査しにきました。
慎重に撮影しようと思っていたので、声入りで撮影するか迷っていましたが語りながら撮影して正解でした。
図書館には何度も訪れて、歴史も残っており、知ったうえでの撮影だったので今までで一番良い動画が出来た気がします。
また、既に消滅してしまった「木屋」や「谷山」も何れ見に行ってみたいと思います。おそらく周辺には他にも墓地や遺構があると思いますが、また別の機会に調べたいと思います。ご家族でご乗船くださり有難うございました!
いつも探索している廃集落と違って、道が手入れされているせいか明るさを感じます。私も高校生の時に先祖を調べるリポートを提出しましたが、松前葉子さんにはとても出来の良さで及ばないですね。😅少し毛色の変わった探索でしたが、面白かったですよ。🤡いつも、ありがとうございます。これからも頑張ってください。🎉
今回は資料が豊富にあり、松前葉子さんのレポートのお陰でとても興味深く探索がすることが出来ました。故郷を大切に思う気持ちが伝わってきます。既にどのような感じで動画を作るか構成を決めての撮影だったため、神々旅行記らしい動画を作ることが出来ました。有難うございました!
長い間、栄華を誇った平家の方々、戦いに敗れて隠れ 住んだ。という話は多いですね
今では、先祖代々の土地に
住む人もほとんどいなくなり
寂しい限りですね。
いろんな、伝説 歴史など興味深く見ています。
昭和後半になってからは技術の発展が目覚ましくなり、若者は便利な場所に出ていったのでしょうね。伝説の残る場所は山奥深くにありますので、人の手が入らないと一気に荒廃していきますね。長い歴史のある集落なのでいつまでも残っていてほしいです。
まだ子孫の方が、手入れしに通っている様な形跡⁉️がある様な気がしますね。😮
下の方にあった家屋周辺ははなんとなく奇麗な感じでした。お地蔵さんにかかっていた布も割ときれいに感じました。
もしお会い出来たら是非話が聞いてみたいです。
男前のミツキさん
最近見つけて、めっちゃ見てます。
毎回思うにジムニーの方が、
いいような気がします😊
チャンネル登録もしたんで、
怪我なく無理せず頑張って下さい。
Great video - seems like people still visit & look after the places? Love how you honour & respect the old graves & shrine. That was an old photo at 28:15 - Do you know when was was it taken?
This photo was taken around 1955. There was no afforestation at this time yet, so there were still beautiful fields and roads.
ミツキさん、お疲れ様です~😆✨ワイ愛媛の人間なんでめっちゃ興奮しました🤯🍊
3匹の蝶の話も面白かったです~🦋🦋🦋
嬉しいです!四国にはかなり平家落人伝説が残されていますが、おそらく屋島の戦いで敗れた落人なんでしょうね。
この岩国では、壇ノ浦の戦いで敗戦してこの地に流れ着いたり、向かっている途中で敗戦したことを聞いてこの地に住み着いたり、この地に平家落人が隠れ住んでいるという話を聞いてこの地に辿り着いたり、様々な伝説があります。特に岩国の平家落人伝説では松前、正木という姓が多いのでそれなりの勢力だったのでしょうね。因みにこの時期は丁度蝶々が飛び回る時期だったので集落にも飛んでいました。
Merci beaucoup pour votre travail de recherche et d'exploration. Faites attention à vous. /// 廃墟神社の調査に対するお仕事、ありがとうございます。森の中でのお散歩の際は、くれぐれもご自愛ください。
Merci d'avoir regardé ! Le fait que le sanctuaire soit toujours là est très précieux. Il est dommage que le village ait été abandonné en raison de son histoire.
初期の動画から見ています。お身体に気をつけて探索して下さい。
嬉しいです!こうして言葉をいただけるだけでとても励みになっています!
こうして継続できているのは皆さんのお陰です。これからもどうぞ宜しくお願いします
返信ありがとうございます。応援してます😸
ミツキさんこんにちは☀️ 西黒沢集落訪問ありがとうございます。詳細な情報、感慨深いです。
この芽吹いていく若葉の景色 美しいですね🌱私は大体、本郷から宇塚のルートで向かっています。
本郷で出会った方に、本当の道は本郷からの もう一本の道(134秋掛線)だと言われてしまいましたが(笑)
一度トライしてみましたが普通車では危険過ぎました(^_^;)
松前さんの文集が女子高生らしい内容で微笑ましく。地元の歴史を知る事は日本人の誇りや精神にも繋がり素晴らしいと思います。
それにしても本当 美しい。何もないのではなく、唯一のものがあるのが山代地域。
故郷に耕作で通われてる方々は、また今年も通われるのかなぁ。田んぼに水が入って、作物が作られている風景を見たいです。
西黒沢で出会った あの男性はお元氣かなぁ。。夏は こんなに石積みも確認できないけど、今夏、あの風景に還りたいなぁ。。
こんにちは!この集落は私がまだ地名も知らず西黒沢集落に訪れる以前より気になっていた場所でした。
こうして2年の歳月を経て訪れることができて本当に良かったです。
以前までは本郷の道から何度も訪れていましたが、向こうから訪れる人がいないのか道が結構荒れているので最近はこちらから通っています。
掘割(134秋掛線の川沿い)も正直どこから下りればいいのか分からなかったですが、何れ平家墓も見に行きたいと思います。実際に存在しているようですが、見つけるのは難しそうです。古地図を見ると現在の車道ではなく、その下の川沿いに道があります。この「西黒沢のあしあと」を書かれた中村 隆さんも2年前くらいに他の同行者の方と歩かれている記事を拝見しました。まだ綺麗に残っているようです。
私の父もこの「松前葉子」さんと同じ深須中学校、広瀬高校に通っており、子供の頃に他界しているので聞けませんでしたが、おそらく平家の落人に関してのことは結構詳しく知っていたかもしれません。関係ないと思いますがこの松前というのは、錦町史によると私の珍しい氏(中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる)も名乗っていたというのでもしかしたらという感じですね。
黒沢の集落を一応撮影しましたが田んぼには水が入っていましたよ。中倉と雨土地には割と高い頻度で元住人の方が通われているので、お話を伺おうと思ったのですが勇気が無くて素通りしました。機会があればお話を伺ってみようと思います。
かつての日ノ浦の白黒の写真の棚田も見てみましたが、やはり昔はかなり開けていたようですね。集落を出る際にどこの集落も植林して、どのような集落だったか分からなくなっていますね。
@@GodsTravels 返信ありがとうございます。田んぼに水が入っていた、嬉しいです。ここ数年、周辺集落に
人がいらっしゃいました。私が話した方は下垣内の方だと思います。ですが2年前に本郷の方から聞いたのですが
西黒沢に通ってる方が農作業中に怪我をし、ドクターヘリで搬送されたと聞き、お会いした方かは 定かではないですが
その後が気になってます。穏やかな表情と物腰の柔らかな品の良い方でした。今夏、また訪ねてみたいです。
ミツキさんの歴史も興味深いですね😊 私の母方の曾祖母は岩国市の鞍掛山城主と縁があるようで大叔父が系図を作成
していました。…が そもそも資料が少なく どうなったか…
熊も出没し始めているようです。探索、お気をつけて。
@@churaumisea 私の姉のご主人が薬屋に勤めていて、ここに頻繁に訪れていたみたいでドクターヘリに搬送されたという話を私も聞きました。ここの住人が居なくなるまでここに訪れていたみたいで、この集落を知ったのもそれがきっかけでした。
鞍掛合戦の話はよく本で見かけますが、mellowさんもこの地域に縁があるのですね。
@@GodsTravels あ~やはりそうですか…
故郷を守っていてはるのに…回復されてはるなら嬉しいですが…
私の母の家は代々、あるお寺の寺守りをしてます。勿論、他に仕事にも就いてましたが…
子どもの頃、本堂や庫裡も遊び場所でした。
あの木造の寺院の匂いは今も好きです。
ホッとしますね。
岩国市は子どもの頃から夏休みまるごと過ごした心の故郷です😆
投稿楽しみです。
周防大島からフェリーで愛媛に行かれたのですか?でも大昔、源平合戦に負けた落武者がこのような秘境に辿り着いたのですね。感動ものです。
秋掛から 寂地峡の麓の方まで 姉が連れて行ってくれたことがあります。こんな山奥に ぶんぶく茶釜にでてきそうな素晴らしいお寺がありました。周囲 そのお寺のみでした。
浄土真宗のお寺とは すべて雰囲気が違いました。
甥山中誠一郎が 住んでいます。
Hello Thank you video watching from korat Thailand.😘😘😘😘😘😘😘
😘😘😘
Hello! Thank you for watching our video from a distant country! I'm glad to hear that!
とても興味深い内容でした😀
元住人の方の口伝はミツキさんがここで拾いあげたお蔭で歴史になります😊
35年前に廃村を訪ねたらまだ住んでる方がいて肉声を聞かせて貰いました😮
今となっては史記に書かれない貴重な体験をしたのだと知りました😮
ミツキさんは貢と書くのですか?
母の従兄妹の嫁ぎ先が貢さんで御主人は広島県内陸出身なのですが縁者さんでは?😮
35年前に訪れたことがあるのですか!とても貴重な体験ですね!
私もタイムスリップして過去に戻りたいです。ジョン・タイターが過去に戻れるのなら私も過去に戻れるはず・・・。
しかし、かつての住人は現在はまだご存命であれば、このような貴重な話を聞きたいです。
この西黒沢地区全体が2018年で無住となってしまいましたが、ときどき集落には農作をしに戻ってきている方がいるのでお話を伺ってみたいです。
貢とはとても縁起いい名前ですね。おそらく関係はないと思います。私は錦町出身です。
@@GodsTravels さん
お返事ありがとうございます
貢さんの御先祖は隠岐の島に流された後鳥羽上皇に酒や供物を贈る役割をして頂いた御名と言われてます👍️
近畿の鈴鹿山系や多賀に来られる計画が有れば教えて下さい😊
ミツキちゃん、こんにちは~配信を観ていつも思いますが、時代を考えさせられますね?今の便利な世の中とつい比べてしまいます!
僕の生まれ育った町はずれにも昔落ち武者が湧き出てる温泉で傷を癒やしたと言う話を聞いた時がありました、一時期温泉施設が有り流行ってましたが今はもう潰れてありませんけどね(笑)これから季節の変わり目体調に気を付けて探索を頑張って下さい!👍👊
こんにちは
今の時代は一極集中のような感じで皆さん都会に出ていかれますね。
私は都会は逆に苦手でこういう辺鄙な場所で安らぐ時間を過ごして暮らしたいです。
発展することは悪いことではないですが、やはりその土地は子孫の方々が自身のルーツとして故郷として大切してほしいですね。
もし集落が消滅してもこうしてレポートを残しておけば何れ子孫の方々が自身のルーツを知りたいときに参考になりますね。
まだ定期的に人が来ていますね。廃屋の前、沢水を引き込んでいましたが、落ち葉を取り除かないと直ぐに詰まってしまいます。また耕作放棄田は10年もすると雑木が立ち始め、20年もすると樹が太くなってきます。ここはそこまで経っていない様に見受けます。
平家墓とありましたが、よく見ると一石五輪塔が見えました。また五輪塔の地輪らしきものもありました。このありさまから、時代は室町時代と推定します。源平合戦の平安末期であれば葺石墓のはずです。また、そこ以外の墓地で位牌の格好をした(上部の角が大きなアール、字のある面が一段彫り込んである)墓がありましたが、これは江戸後期(文化年間以降)以降の年号が入っていることが多いです--実際は明治初年に制約がなくなってから作ったものが多いのですが。
それにしても、女性でこんな不気味なところを探索されるとは恐れ入りました。ただ、山中の深井戸では40mの深さのものもあります。くれぐれもご用心なさってください。
神社の伝説は平氏の家紋が揚羽蝶だから、そこら辺の何かと繋がってるのかもしれないですね。
レポートを残した松前葉子さんはご存命なら80代でしょうかミツキさんの動画見てくれたら光栄ですよね
ご存命なら70歳くらいではないでしょうか。何処かで動画を見て頂ける機会がありましたら、是非お話をお伺いしたいです!
レポートを残していただき有難うございます
じんじゃがいまものこっているのはうれしいですね!とりいはないですか?
神社は奇麗に残っていましたね。日当たりが良いということもあって湿気が少ないので長持ちするのだと思います。鳥居は無かったです。もともと鳥居は無いような感じが見受けられます。
お疲れ様です。「松前葉子」さんが日ノ浦在住の頃(1960年代?)は、日ノ浦には車道は通しておらず、高校も徒歩通学なのでしょうか🤔
あるいは、現地の寄宿舎から通ったんでしょうか。車道がない生活は、中々大変な気もしますが、、車道が開通して過疎化が早まったとかもありそうですね。
こんにちは!
村に伝わる話など興味深くて面白いですね☺
残っている家屋や村の道を見ると感慨深いですね🥺
これから暑くなって虫や動物など出てきますし気をつけてくださいね😊
こんにちは。この集落はレポートを残してくださっているので興味深く巡ってきました。
日当たりが良いということもあり、平成まで住んで居られた方もいたということもあって家屋はまだ残っていましたね。
しかし、日当たりの悪いところの木枠は短い期間で跡形もなく朽ちてしまうのですね。
これから探索は大変ですがあ互い無理のないように頑張りましょう!
正木と言われる方 玖珂郡 大竹市栗谷 玖波におられます。四国から来たといわれました。秀吉の四国征伐で負け 内海を渡って 山口県周防の逃げたと 聞いています。
尾瀬の集落にも正木氏が多いです。尾瀬には平家の伝説が多く残されています。
科学技術が進んでいくと、こういう場所でも快適に住めるようになっていくと思う。
確かに技術が進んでいけばこのような田舎でも快適に過ごせそうですね。電波や電気、水道、ガスが整っていれば、私にとってはどんな場所でも都です。
お疲れ様です
おじゃまします
今度行ってみようと思います!
本郷町からの道は狭いのでしょうか?💦
本郷町からは狭いというよりは距離的に長く、道が荒れているのでゆっくり安全運転で行かれたほうが良いと思います。
軽自動車であれば問題ないと思いますが林道になりますので小枝が落ちていたりすることがあります。
リアル彼岸島!
本日行って来ました!
軽自動車が停まっていたので、連休中に子孫の方か管理されてる方が来られたのか、ご迷惑にならないよう、すぐUターンして帰りました😊
お疲れ様でした!本日、この「西黒沢の足跡」の本を書かれた方と連絡を取りまして、まだ日ノ浦集落に元住人の方が来られているというお話をお聞きしました。お知り合いの方のようなので、もしかしたらお話が聞けるかもしれません。
この著された女学生のヨウコさんはいつ頃残したのでしょうか?
昭和30年頃でしょうか?
@@murasaki9295 今年古希を迎えたそうです。ライブ配信で前回来てくださっていました
@GodsTravels そうなんですね
ありがとうございます
廃村になった跡地はどうなるんでしょうね。 基本固定資産税はかかるので、子孫が管理し、払っていると思うのですが、果たして役所は全てを把握してるんでしょうかね。
幸い住めそうな住居は少なかったようですが、知らないうちに、いつの間にか外国人が住み着いていたりすると怖いですよね。
岸田政権は移民大推進してますからね…
豊かな水源もある地方はこのままでは恐ろしい事になります。
どうなんですかね
あまり詳しくは分かりませんが、資産価値が無いということで処理されているのでしょうか。
私の父が残した山や農地等の土地は0円で払ったことは無い気がする。
白キツネは 手を合わせて嘆願したそうですが 傲慢さが 撃ったのです。今私は 白い犬を代わりに お祭りしています。
ありえることです。
私の3代前の分家の方が 白キツネを猟銃で撃った悲劇がありました。悲劇は 悲劇を連鎖させました。おそらく 荒神様をお世話するようになったのも たたりの鎮静化と思います。
お会いできること 楽しみにしています。念
あなたの元の実家も近いんですねえ
四駆かと思ったら
違うじゃん
@@久保英雄-i2n 四駆ならどれほど楽なのだろう
何故、お墓を綺麗に掃除して管理しないのかね?、
それは確かにそうですね。この集落にはなかなか帰られないところで生活をされているのか、それとも既にこの集落の元住人は他界しているか、子孫の方々はお墓の場所等を知らないというのも考えられますね。現に私もご先祖の墓はいろいろな所にあるけど知らない場所もあります。