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達川の話の面白さは落語や漫才を超えていて素晴らしい!正に達人だあ・・・
江川さんは、73年当時小4だった私に、高校野球への、ひいては野球自体への興味の扉を開けてくれた方。特別な思い入れがあります。
江川卓は高校時代から凄かった。頭抜けていたとか、別物とか言うレベルではなく、他の一流と言われたピッチャー達も含めて、明らかに江川卓というピッチャーは、別の場所に居た。孤高の光を放って、そこに居た。偉そうに言えるほどではないが自身も少しは野球をやり、60年余り野球を観続けて来たが、江川卓ほど卓越したピッチャーは居なかった。最もピッチャーらしいピッチャーであり、最もピッチャーとしての完成度が高かったように思える。
横から失礼いたします。貴兄よりも若輩者ですが、今凄く理解できるようになりました。ドラフト時、パリーグのクラウンライター・ライオンズに指名されそれを拒否。福岡在住のライオンズファンだった私は江川氏に失望し、また軽蔑さえ覚えたものです。後にタイガースから紆余曲折してジャイアンツに入団、いくら好成績を挙げても好きにはなれませんでした。それが、人生の後半になり物事が多少なりとも解るようになった今、江川卓氏の考えは18歳のドラフト時から既に形として出来上がっていたのだと思いました。江川氏以降そういう新人は現れていないように感じます。(強いて挙げれば、ダルビッシュ選手くらいですか)自身の信念を(プレイにも生き方にも)貫き通した男「江川卓」だと思っています。
異次元の怪物だと思います
@@nyarome3 しょうがないとおもいますよ。私だって聞いたこともない会社から内定が出てそこしか行けないなんてことになったら就職をためらいますよ。野球やるならどこだって同じや、とは思いませんね。日本のプロ野球機構に属していると言ったってクラウンに入るのとジャイアンツに入るのと引退後の人生にも大きな違いが出るのは確実です。
江川が精神的に弱いなどとたわけたコメントがあった。江川が巨人と契約した時から阪神を経て巨人に正式に入いり実績を上げるまでの間どれほどのバッシングを受けたか!!ご家族も含め江川への個人攻撃は凄まじかったと聞きます。江川自身何度も自殺する夢を見たと言います。今も昔も個人への集中攻撃は日本人の十八番でしょう。ホントによく自殺されなかったと思いますよ。並の精神力なら到底耐えられなかったと思いますね。
当時江川くん見たさに甲子園に行きました。前夜三重から神戸で働く親父の下へ。普段しない早起きをして北陽戦の切符求めてその優勝候補北陽打線がバッタバッタと三振の山。今でも焼き付いております。速かった ほんとに速かったんです。
江川君の内角のストレートをセンター前にヒットした日が懐かしい。小学生の頃、ソフトボールでの話しですけど✋
江川さん自身が、高2高3の時が1番良かったと言ってますね。特に高2の夏が………
高校3年生の夏の栃木県大会の江川投手は凄かった。予選5試合中ノーヒットノーラン3試合、5試合で打たれたヒット2本。まさに怪物。作新の打線が良ければ間違いなく甲子園で優勝してたでしょう。
後楽園のブルペンの槇原を見た。速かったね、試合で150キロ出てた。次の機会に江川を見た。ちょっと種類が違う、他の投手と。引力を無視する球。槇原の10倍速い、そう感じた。
江川はひょうきんで気さくで対戦チームのメンバーとよく話をしてたらしい。達川には本気で投げなくてもお前には打たれないと言ったそうだ。江川と対戦した銚子商業の岩井、広島商業の河本は後年全日本チームの監督としてアメリカ、キューバの160キロ台のピッチャーと対戦したが江川の方が速かったと断言した。松井優史著『江川卓が怪物になった日』より。
江川投手のストレートは、球に切れがスピードガン表示を超えていましたね!
TV画面から感じた速さベスト51位ライアン2位 江川3位 藤川4位 大谷
巨人ファンの私が一番悔しいのが、高校時代の江川を見ていないことです。当時8歳の私は、関心がなかったのかなー
キャッチャーの後ろからじゃ、正直よくわからんよね。ただ、相手校のバッターがボールの下振ってるのと、振り遅れてるは分かった。
プロになってからだけど 完投で最終回の最後の打者に追い込んだウイニングショットが 152キロだったのはテレビ見てて、恐れ入った記憶がある。
江川の理想は1試合27球で終わることだから、三振にはあまりこだわりがなかった。高校時代本気で狙えば27奪三振もやっちゃったろう。
桑田と同じ理想ですねWやっぱり一流同士は気が合いますね(^_^;)
確か24三振って試合がありましたね😃たぶんこれが最高かと。
江川のストレートは、160キロ超えるメジャーのピッチャーよりも、体感的に一番気持ちいい❗全盛期の動画は、ストレートが完全にホップしてる。棒球でスピードガンの数字がすごいだけのメジャーのピッチャーよりも👍
今のMLBだと、2年連続サイヤング賞のデグロームってピッチャーが江川タイプかな、155キロのホップする球を投げる。
@@tokubeihanakawado5558 マジすか。メジャー豪球ピッチャーの動画は、誰しも肩がぶっ壊れそうな勢いで投げていて、確かにスピード表示はすごいけど、なんか美しくないんですよね。江川のように美しいか、気持ちいいか見てみます。
すげぇ、確かにホップしてます。それでもすいません、江川のほうが縦回転がすごいような気がするのは、日本人贔屓でしょうか。
下国竜也 全く同感です。
江川は美しいです。肩がぶっ壊れそうな悲壮感はまったくないです。実際は壊れかけてしまいましたけど。
作新学院時代の江川はまさに伝説だね
江川のボールは、途中でホップして伸びてましたね。当時、巨人の投手コーチの中村稔氏が「糸をひくような球」と表現してた。
元祖 怪物。 超えるものはない..
ファウルチップで甲子園がどよめいた試合を見たのはあの春だけ。
◇夏の対柳川商戦で、6連続三振のあとのショートゴロ、一塁ゴロで4万の観衆からどよめきの歓声があがっています。「なんじゃこれは!?」となります。
seven seven あの春に岡田彰布氏は北陽高入学だったんでメンバーに入ってなかったんですよね、夏の大会で江川対一年坊主岡田彰布の対決見たかった習志野掛布より興味があります
seven seven 選抜初戦の大阪北陽高戦、初めて五番バッターがファールチップした時甲子園の大観衆が拍手したのを当時中一の自分はテレビで見てました。その後準々決勝で、郷土代表今治西が8連続含む20奪三振で負けた時は、もう江川卓のトリコでした(笑)
ベース上で多少は球速は落ちるのが普通なんだろうけれど、江川さんの投げるボールは初速と終速があまり変わらんように見えた。今で言うとイチローさんのレーザービームかも。
招待野球で高校時代に唯一、フェンスオーバーの本塁打を打たれた江川氏、次の試合ではノーヒットノーランに抑える。怪物は恐るべし。
広商は好投手佃もいましたからね打倒江川を果たしたスゴいチームでした
江川投手がプロ入りして阪神戦で投げた時、スピードガンが壊れていると思いました。江川投手より小松投手がスピードガンでは上でした。信じられませんでした。計測したスピードより、体感スピードが感じることを最近知りました。
法政で江川と野球部だった野手の人が言ってたが、生涯であれほどスゴイ「バッター」は見たことがないと。つまり江川はバッターとしてもスゴかったと。
江川は六大学時代に打撃三冠王も取りかけたほどの選手ですからね。
二刀流の元祖だったのか。ちなみに堀内、桑田も二刀流でいけたかもしれないって思ってるんだけど
江川があまりに打つので、外野フェンスを改造して数メートル高くした、、という話を実況アナウンサーがしてたことがあった。
大学時代の平均打率が3割4分だったとか
@@koikechan11 ◇昭和52年最終学年組全選手の首位打者は~江川卓!!(.309)②金光.304③袴田.299④堀場.282⑤山倉.276※70ゲーム(210打席)以上
高校時代、江川のボールを見た審判がキャッチャーに絶対に取れと言ったそうだな。取り損なって自分に当たったら大ケガすると思ったんだろう。
柳沢慎吾ちゃんの若山富三郎さんネタと同様に達川さんの甲子園通路江川さん恫喝ネタは鉄板です😛そんな事するからプロになってキリキリ舞させられたんですよ
当時の江川と現在の選手を比較してどーのこーの言う人がいるけどそれはナンセンス。その当時の一流選手レベルの遥か上に居たのが江川って事。
達川には本気で投げてないだろ(笑)
槙原が大府高校で150km超える球を投げていたが江川の方が速かった印象がある。何といってもバットに当たらない。とか全員バントの構えをして対戦するなどと言う試合を見たことが無かったからね。
江川が高校生ぐらいの時代には高速マシンが無いですし、想定したカーブと速球の両方を投げられる投手がプロでもそんなにいないとなると対戦相手の高校生はさぞかし攻略が大変だったろうと思います
@@菅野智ゆかない ◇プロの審判が、「そういう対戦があったのは、江川X岡田(阪神)が最後」ということを話されていましたね。ちなみに昭和30年代だと「稲尾の対戦時に多かった」という証言もありました。近年の方が「球速も速く、スイングスピードも速い」はずなのにその手の話を全然聞かないのが実に不思議。
@@sakutaro1969 ◇最近入手した’73年夏の甲子園、NHKの中継映像をチェックすると、「柳川商業はバッティング投手を1m以上前から投げさせて・・・」とアナウンサーが言っている。で、江川が本気で投げた序盤・・・打者7人中6人三振。のこる一人もど真ん中をハーフスイング(判定ボール)。今なら三振。ということは~7者連続三振でした。
スピードガンなんて、計る場所だ全然数字が違うんだろ?信用できんよなあ。
江川の高2の夏県予選1回戦ノーヒットノーラン2回戦完全試合3回戦ノーヒットノーラン準決勝延長12回二死までノーノー、初めて打たれたヒットでサヨナラ負け4試合で打たれたヒット1本高3の夏の県予選1回戦ノーヒットノーラン2回戦ノーヒットノーラン3回戦 被安打1準決勝 被安打1決勝ノーヒットノーラン5試合で打たれたヒット2本こんな記録を引っさげて甲子園に登場するんだから、今みたいにTH-camとかない時代の高校野球ファンは本当に楽しみにしてました。
足も速かったですね。
遠く離れているせいか、、栃木県のことはよく知らない・・只. . 栃木県と言えば、、 そう作新学院の江川卓.. だ・・反射的に出てくるイメージ!!それ程のインパクト
栃木県出身おじさんの栃木PRです。目黒記念でメジロアサマが2着になったときの勝馬メジロムサシは栃木県の鍋掛牧場生産です。メジロの馬が1、2着となり当時「目白記念」と言われました。半世紀も昔の出来事ですが(^^)・・・
江川は福島県生まれ、静岡県育ち、栃木県には、ほんの4,5年なのにそういうイメージなんですね。
@@hondagetmoyo7708 様そうでしたか..ムサシは栃木県の馬なんですね🐴当時はよく“ 両メジロ“ なんて言われてましたよね. . どちらも強くて、アサマは秋の天皇賞(3200米.当時)を勝ち、ムサシは春の天皇賞を勝ちましたね。両馬とも出てくれば必ず勝ち負けする安定感のある馬でした・・
@@澤帆聖 様そうなんです、読売巨人の江川よりも 栃木作新の江川なのです
自分が対戦した投手を一番って言うんですよね皆
法政大学の打者としては通算3割4分ぐらいだったと。本塁打は知りません。
六大学で打率が2位で危うく三冠王だった
@@横道孝幸 ◇昭和52年最終学年組全選手の首位打者は~江川卓!!(.309)②金光.304③袴田.299④堀場.282⑤山倉.276※70ゲーム(210打席)以上
達川は川本さんとチームメートじゃなかったか?広商の打者はあの時バッターボックスギリギリに立って死球狙いだったと聞いたな
達川が言うと、リアリティがなくなる。
達川は、ただもんですわww
口は、ただもんやないですわwww
そうでしょうともくだらない法政大学野球で寿命縮めましたハイ
💚🌱😀🌼
結局、江川の絶頂期って、いつだったんだ?
高校二年の秋やね
高校2年の時は160キロ出てたとの説もあります。プロの時は既に肩を壊していて球速もかなり落ちてたようです。
高校時代プロ入り後のフォームと高校時代のを見比べると歴然です。
本人曰く、プロ入り3年目。成績的にもプロ入り3〜4年目が全盛期で、技術的な成熟も考えると高校時代なんてそれこそ「凄い球が投げれるだけの子供」だったろうかと。球速的なことについても、江川は「数字よりも速く見える」タイプなのと比較対象が普通の高校生なことを考えれば「高校時代は160出ていた」というのは「(周りが遅いのと計測した球速より速く見える球質から)160くらい出ているように見えた」が本当のところで、そこらの補正をかければ高校時代は145くらいが最速だったんじゃないか、と。
スピードに関して言えば、高2の秋だと本人も高校時代の監督や対戦相手も証言してる
たっつぁんと江川と同い年だよね?
藤波?
巨人軍は永遠に不健全です!長嶋茂雄丸ポーズで丸佳浩を皆で丸裸にしよう!
江川も今の時代なら藤浪慎太郎レベルぐらいでしょ
達川さん、あなた「まっすぐだけなら津田のほうが上」と言ってたでしょ
達川の話の面白さは落語や漫才を超えていて素晴らしい!正に達人だあ・・・
江川さんは、73年当時小4だった私に、高校野球への、ひいては野球自体への興味の扉を開けてくれた方。特別な思い入れがあります。
江川卓は高校時代から凄かった。頭抜けていたとか、別物とか言うレベルではなく、他の一流と言われたピッチャー達も含めて、明らかに江川卓というピッチャーは、別の場所に居た。孤高の光を放って、そこに居た。偉そうに言えるほどではないが自身も少しは野球をやり、60年余り野球を観続けて来たが、江川卓ほど卓越したピッチャーは居なかった。最もピッチャーらしいピッチャーであり、最もピッチャーとしての完成度が高かったように思える。
横から失礼いたします。貴兄よりも若輩者ですが、今凄く理解できるようになりました。
ドラフト時、パリーグのクラウンライター・ライオンズに指名されそれを拒否。福岡在住のライオンズファンだった私は江川氏に失望し、また軽蔑さえ覚えたものです。
後にタイガースから紆余曲折してジャイアンツに入団、いくら好成績を挙げても好きにはなれませんでした。それが、人生の後半になり物事が多少なりとも解るようになった今、江川卓氏の考えは18歳のドラフト時から既に形として出来上がっていたのだと思いました。
江川氏以降そういう新人は現れていないように感じます。(強いて挙げれば、ダルビッシュ選手くらいですか)
自身の信念を(プレイにも生き方にも)貫き通した男「江川卓」だと思っています。
異次元の怪物だと思います
@@nyarome3 しょうがないとおもいますよ。
私だって聞いたこともない会社から内定が出てそこしか行けないなんてことになったら就職をためらいますよ。
野球やるならどこだって同じや、とは思いませんね。日本のプロ野球機構に属していると言ったってクラウン
に入るのとジャイアンツに入るのと引退後の人生にも大きな違いが出るのは確実です。
江川が精神的に弱いなどとたわけたコメントがあった。
江川が巨人と契約した時から阪神を経て巨人に正式に入いり実績を上げるまでの間どれほどの
バッシングを受けたか!!ご家族も含め江川への個人攻撃は凄まじかったと聞きます。江川自身
何度も自殺する夢を見たと言います。今も昔も個人への集中攻撃は日本人の十八番でしょう。
ホントによく自殺されなかったと思いますよ。並の精神力なら到底耐えられなかったと思いますね。
当時江川くん見たさに甲子園に行きました。前夜三重から神戸で働く親父の下へ。普段しない早起きをして北陽戦の切符求めてその優勝候補北陽打線がバッタバッタと三振の山。今でも焼き付いております。速かった ほんとに速かったんです。
江川君の内角のストレートをセンター前にヒットした日が懐かしい。小学生の頃、ソフトボールでの話しですけど✋
江川さん自身が、高2高3の時が1番良かったと言ってますね。
特に高2の夏が………
高校3年生の夏の栃木県大会の江川投手は凄かった。予選5試合中ノーヒットノーラン3試合、5試合で打たれたヒット2本。まさに怪物。作新の打線が良ければ間違いなく甲子園で優勝してたでしょう。
後楽園のブルペンの槇原を見た。速かったね、試合で150キロ出てた。次の機会に江川を見た。ちょっと種類が違う、他の投手と。引力を無視する球。槇原の10倍速い、そう感じた。
江川はひょうきんで気さくで対戦チームのメンバーとよく話をしてたらしい。達川には本気で投げなくてもお前には打たれないと言ったそうだ。江川と対戦した銚子商業の岩井、広島商業の河本は後年全日本チームの監督としてアメリカ、キューバの160キロ台のピッチャーと対戦したが江川の方が速かったと断言した。
松井優史著『江川卓が怪物になった日』より。
江川投手のストレートは、球に切れがスピードガン表示を超えていましたね!
TV画面から感じた速さベスト5
1位ライアン
2位 江川
3位 藤川
4位 大谷
巨人ファンの私が一番悔しいのが、高校時代の江川を見ていないことです。
当時8歳の私は、関心がなかったのかなー
キャッチャーの後ろからじゃ、正直よくわからんよね。ただ、相手校のバッターがボールの下振ってるのと、振り遅れてるは分かった。
プロになってからだけど
完投で最終回の最後の打者に追い込んだウイニングショットが 152キロだったのはテレビ見てて、恐れ入った記憶がある。
江川の理想は1試合27球で終わることだから、三振にはあまりこだわりがなかった。高校時代本気で狙えば27奪三振もやっちゃったろう。
桑田と同じ理想ですねW
やっぱり一流同士は気が合いますね(^_^;)
確か24三振って試合がありましたね😃たぶんこれが最高かと。
江川のストレートは、160キロ超えるメジャーのピッチャーよりも、体感的に一番気持ちいい❗全盛期の動画は、ストレートが完全にホップしてる。棒球でスピードガンの数字がすごいだけのメジャーのピッチャーよりも👍
今のMLBだと、2年連続サイヤング賞のデグロームってピッチャーが
江川タイプかな、155キロのホップする球を投げる。
@@tokubeihanakawado5558 マジすか。メジャー豪球ピッチャーの動画は、誰しも肩がぶっ壊れそうな勢いで投げていて、確かにスピード表示はすごいけど、なんか美しくないんですよね。江川のように美しいか、気持ちいいか見てみます。
すげぇ、確かにホップしてます。それでもすいません、江川のほうが縦回転がすごいような気がするのは、日本人贔屓でしょうか。
下国竜也 全く同感です。
江川は美しいです。肩がぶっ壊れそうな悲壮感はまったくないです。実際は壊れかけてしまいましたけど。
作新学院時代の江川はまさに伝説だね
江川のボールは、途中でホップして伸びてましたね。当時、巨人の投手コーチの中村稔氏が「糸をひくような球」と表現してた。
元祖 怪物。 超えるものはない..
ファウルチップで甲子園がどよめいた試合を見たのはあの春だけ。
◇夏の対柳川商戦で、6連続三振のあとのショートゴロ、一塁ゴロで4万の観衆からどよめきの歓声があがっています。「なんじゃこれは!?」となります。
seven seven あの春に岡田彰布氏は北陽高入学だったんでメンバーに入ってなかったんですよね、夏の大会で江川対一年坊主岡田彰布の対決見たかった
習志野掛布より興味があります
seven seven
選抜初戦の大阪北陽高戦、初めて五番バッターがファールチップした時
甲子園の大観衆が拍手したのを当時中一の自分はテレビで見てました。
その後準々決勝で、郷土代表今治西が8連続含む20奪三振で負けた時は、
もう江川卓のトリコでした(笑)
ベース上で多少は球速は落ちるのが普通なんだろうけれど、江川さんの投げるボールは初速と終速があまり変わらんように見えた。今で言うとイチローさんのレーザービームかも。
招待野球で高校時代に唯一、フェンスオーバーの本塁打を打たれた江川氏、次の試合ではノーヒットノーランに抑える。怪物は恐るべし。
広商は好投手佃もいましたからね
打倒江川を果たしたスゴいチームでした
江川投手がプロ入りして阪神戦で投げた時、スピードガンが壊れていると思いました。
江川投手より小松投手がスピードガンでは上でした。
信じられませんでした。
計測したスピードより、体感スピードが感じることを最近知りました。
法政で江川と野球部だった野手の人が言ってたが、生涯であれほどスゴイ「バッター」は見たことがないと。つまり江川はバッターとしてもスゴかったと。
江川は六大学時代に打撃三冠王も取りかけたほどの選手ですからね。
二刀流の元祖だったのか。
ちなみに堀内、桑田も二刀流でいけたかもしれないって思ってるんだけど
江川があまりに打つので、外野フェンスを改造して数メートル高く
した、、という話を実況アナウンサーがしてたことがあった。
大学時代の平均打率が3割4分だったとか
@@koikechan11 ◇昭和52年最終学年組全選手の首位打者は~
江川卓!!(.309)
②金光.304③袴田.299④堀場.282⑤山倉.276
※70ゲーム(210打席)以上
高校時代、江川のボールを見た審判がキャッチャーに絶対に取れと言ったそうだな。取り損なって自分に当たったら大ケガすると思ったんだろう。
柳沢慎吾ちゃんの若山富三郎さんネタと同様に達川さんの
甲子園通路江川さん恫喝ネタは鉄板です😛
そんな事するからプロになってキリキリ舞させられたんですよ
当時の江川と現在の選手を比較してどーのこーの言う人がいるけどそれはナンセンス。その当時の一流選手レベルの遥か上に居たのが江川って事。
達川には本気で投げてないだろ(笑)
槙原が大府高校で150km超える球を投げていたが江川の方が速かった印象がある。何といってもバットに当たらない。とか全員バントの構えをして対戦するなどと言う試合を見たことが無かったからね。
江川が高校生ぐらいの時代には高速マシンが無いですし、
想定したカーブと速球の両方を投げられる投手がプロでもそんなにいないとなると
対戦相手の高校生はさぞかし攻略が大変だったろうと思います
@@菅野智ゆかない ◇プロの審判が、「そういう対戦があったのは、江川X岡田(阪神)が最後」ということを話されていましたね。ちなみに昭和30年代だと「稲尾の対戦時に多かった」という証言もありました。近年の方が「球速も速く、スイングスピードも速い」はずなのにその手の話を全然聞かないのが実に不思議。
@@sakutaro1969 ◇最近入手した’73年夏の甲子園、NHKの中継映像をチェックすると、「柳川商業はバッティング投手を1m以上前から投げさせて・・・」とアナウンサーが言っている。
で、江川が本気で投げた序盤・・・打者7人中6人三振。のこる一人もど真ん中をハーフスイング(判定ボール)。今なら三振。ということは~7者連続三振でした。
スピードガンなんて、計る場所だ全然数字が違うんだろ?
信用できんよなあ。
江川の高2の夏県予選
1回戦ノーヒットノーラン
2回戦完全試合
3回戦ノーヒットノーラン
準決勝延長12回二死までノーノー、初めて打たれたヒットでサヨナラ負け
4試合で打たれたヒット1本
高3の夏の県予選
1回戦ノーヒットノーラン
2回戦ノーヒットノーラン
3回戦 被安打1
準決勝 被安打1
決勝ノーヒットノーラン
5試合で打たれたヒット2本
こんな記録を引っさげて甲子園に登場するんだから、今みたいにTH-camとか
ない時代の高校野球ファンは本当に楽しみにしてました。
足も速かったですね。
遠く離れているせいか、、栃木県のことはよく知らない・・
只. . 栃木県と言えば、、 そう
作新学院の江川卓.. だ・・反射的に出てくるイメージ!!それ程のインパクト
栃木県出身おじさんの栃木PRです。
目黒記念でメジロアサマが2着になったときの勝馬メジロムサシは栃木県の鍋掛牧場生産です。
メジロの馬が1、2着となり当時「目白記念」と言われました。
半世紀も昔の出来事ですが(^^)・・・
江川は福島県生まれ、静岡県育ち、栃木県には、ほんの4,5年なのにそういうイメージなんですね。
@@hondagetmoyo7708 様
そうでしたか..ムサシは栃木県の馬なんですね🐴
当時はよく“ 両メジロ“ なんて言われてましたよね. . どちらも強くて、アサマは秋の天皇賞(3200米.当時)を勝ち、ムサシは春の天皇賞を勝ちましたね。
両馬とも出てくれば必ず勝ち負けする安定感のある馬でした・・
@@澤帆聖 様
そうなんです、読売巨人の江川よりも 栃木作新の江川なのです
自分が対戦した投手を一番って言うんですよね皆
法政大学の打者としては通算3割4分ぐらいだったと。本塁打は知りません。
六大学で打率が2位で危うく三冠王だった
@@横道孝幸 ◇昭和52年最終学年組全選手の首位打者は~
江川卓!!(.309)
②金光.304③袴田.299④堀場.282⑤山倉.276
※70ゲーム(210打席)以上
達川は川本さんとチームメートじゃなかったか?広商の打者はあの時バッターボックスギリギリに立って死球狙いだったと聞いたな
達川が言うと、リアリティがなくなる。
達川は、ただもんですわww
口は、ただもんやないですわwww
そうでしょうともくだらない法政大学野球で寿命縮めましたハイ
💚🌱😀🌼
結局、江川の絶頂期って、いつだったんだ?
高校二年の秋やね
高校2年の時は160キロ出てたとの説もあります。プロの時は既に肩を壊していて球速もかなり落ちてたようです。
高校時代
プロ入り後のフォームと高校時代のを見比べると歴然です。
本人曰く、プロ入り3年目。成績的にもプロ入り3〜4年目が全盛期で、技術的な成熟も考えると高校時代なんてそれこそ「凄い球が投げれるだけの子供」だったろうかと。
球速的なことについても、江川は「数字よりも速く見える」タイプなのと比較対象が普通の高校生なことを考えれば「高校時代は160出ていた」というのは「(周りが遅いのと計測した球速より速く見える球質から)160くらい出ているように見えた」が本当のところで、そこらの補正をかければ高校時代は145くらいが最速だったんじゃないか、と。
スピードに関して言えば、高2の秋だと本人も高校時代の監督や対戦相手も証言してる
たっつぁんと江川と同い年だよね?
藤波?
巨人軍は永遠に不健全です!
長嶋茂雄
丸ポーズで丸佳浩を皆で丸裸にしよう!
江川も今の時代なら藤浪慎太郎レベルぐらいでしょ
達川さん、あなた「まっすぐだけなら津田のほうが上」と言ってたでしょ