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お茶のポリ容器に緑色の針金を通して一日中内職やってた婆ちゃんのお手伝いで婆ちゃんとお話ししながらお小遣い稼ぎしてたのはオイラが小学校4年生の頃……もう40数年前になるのか……今考えてみれば、婆ちゃんのくれたお金はアイスクリームやお菓子に消えたけど、婆ちゃんは孫のオイラ達と内職しながら孫のオイラ達とお話しするのが楽しみで内職で針金通した個数よりもお小遣いの方が多かったんだろうな(笑)今、自分に孫が出来て初めて理解出来るようになったよ(ノ_・。)ありがとう……婆ちゃん
オッサンホイホイの動画ですね。ありがとうございます。時計のねじを馬鹿力で回してしまい、ぜんまいを切らしてしまった酷い思い出が有る。牛乳のフタでも、気の利いたものは紙の突起が付いていて、その突起をつまんで持ち上げるとフタを開けることができた。弁当屋さんも今となったらやりにくいですね、今の電車の多くははめ込み窓で窓が開きません、ロングシートの車両も増えました。あの独特なプラスチックのお茶容器、平成初期に新幹線ホームで買った覚えが有るけど、いつのまにか無くなりましたね。旅行会社が、両端に穴の開いた紙にドットプリンターで切符や指定券を発行していた時代を思い出しました。
「紙の突起」の特許を取った人はメチャクチャ儲かったらしい、グリコ「プッチンプリン」に応用されています
s42生まれのワシの思い出。柱時計・・・たしかTVアニメのヤマト2放送してた頃までは現役だったな(2202じゃないよ)牛蓋針・・・お店とかでは使ったが、家には無かった。もしくは存在はしてたが使って無かった。地球ゴマ・・・別にコツとかなくヒモ巻いて引っ張るだけで誰にでも使える。 「2階から落っことしてもまだ回ってるよぉ」とか悪の限りを尽くした結果内ゴマの軸が折れて終了。火鉢・・・・存在はしてたが使った事は無い。ずっとただのオブジェだった。七輪・・・小学生くらいまでは冬場にずっと使ってた。燃料は着火剤付の練炭。 それ以降も正月に餅焼くのとかに使ってた。 就職して社内報だかに「正月に七輪で餅焼くのいいよね」って書いたら、「ねぇよそんなもん」と総ツッコミが入った。貸本屋・・・ウチの近所には無かった。茶箱・・・・使ってはいなかったが、貧乏性で捨てられず、長々とベランダで放置されていた。 後に野良猫が入り込んで子供産んでた。
七輪で餅焼く?ツッコまれるよ、ストーブの上では焼く、火鉢はなぜかずーっと暖かいままでした、冷えた火鉢を見たことがない、子どもすぎて温度設定のが未だに分からない
茶箱は懐かしいですね。我が家では茶箱の下にキャスターローラーを取り付けて季節物の衣類を入れて押し入れに収納してましたが、その後は趣味の電子工作に使う部品入れに利用するようになりました。キャスターローラーを付けると出し入れが楽になり重宝してました。また、堀炬燵があったので練炭火鉢も懐かしいです。練炭は炭火の七輪で火熾しをしてから練炭火鉢に移すのですが、練炭用の火鋏があって火鉢に移すのにはコツが要りました。七輪の名は7厘という安い価格で買えたからと聞いた事がありますが、1厘は1銭の10分の1なので1円の1000分の1になりますけど、現在の七輪は1000円くらいしますが、七輪の炭火焼きで焼いた秋刀魚は垂れる脂の煙で秋刀魚を燻すので香ばしくなり炭火の遠赤外線で焼くために生焼けにならず美味しい秋刀魚になりますが、煙が出るのが難点です。
昭和40年代、秋の夕方になると各家の軒下でサンマの煙が登ってました、あの秋の景色が懐かしいです、あの頃はおばちゃんたちサンマ焼くの上手かった、今の人たち七輪でサンマ焼くことできるのかな~
🏫小学校の🍞🥛給食の時牛乳瓶の蓋を開けるのに🤘指の爪で上手く空けられない時、蓋を空ける道具が無かったのでめっちゃ苦労した覚えがある。今となっては懐かしい思い出です。
銭湯の牛乳を飲むときに使ってた、あんまり清潔だとは思わなかった、それで牛乳の瓶に引っ張るポッチが付いているのあるよね、あれは何だろう
火鉢は子供の頃に家にあって、火を入れたすぐには暖かくなく、時間が立つと周りが暖かくなってきた。そこで、持ちを焼いたりして、使わないときはお湯を沸かしていた。そして、飼っていた猫が張り付いて寝ていて、のんびりと時間が流れていたなぁ。
祖父母の家に火鉢がありました。当時の暖房は石油ストーブ、火鉢、こたつでした。
牛乳瓶のフタ開けるやつは最初はプラスチックの輪がなくて危険だったり、銭湯の冷蔵庫に輪ゴムチェーンで付けられてたり、給食の牛乳のフタは結露で湿って指で開けると紙が剥がれたり……語り尽くせない(笑)
ホームランバー、よく食べたな~。🍨一本30円でした。👛💖😊
昔の調理器具や食器は女性が好みそうな花柄がよく用いられていました。ホーローの白い鍋やアルミのヤカン、鍋にバラやズスラン等の植物が印刷されているのが定番でした。他にも、当時の女性向け自転車(婦人車)も緑色と白や水色と白といったポップな配色にフリルのような花柄という少女趣味なデザインの物が多かったです。中にはタイヤ側面にも花柄があるたいそう手間がかかっていそうなモデルもありました。今ではよりシンプルなデザインになっていますが、"花柄の調理器具"はたまにホームセンターの調理器具コーナーにあることが…
ポップな花柄の食器は人気が出ていますよね、小鍋やポットやマグカップとか可愛いよね
魔法瓶もそんな柄が多かった昭和レトロの花柄の琺瑯のシチュー鍋は母から受け継ぎいまだ現役です一定の値段の昭和のものは品質もよくて衣類でも何でも大切に手入れしながら使うとかなり長持ちする感じ トレーナーとかですらそれを感じる
先割れスプーン、洗濯板、二槽式洗濯機、掘炬燵、黒電話、スライム、四角い便所紙くらいしか覚えてないなぁ
駅弁の話は、懐かしいですね。
これ観てると 10歳くらいの時代に戻るね 昭和40年代前半ね貸し本屋?くらいだね 縁が無かったのは俺の田舎の駅にも最後の最後?だったろう 駅弁売り 居たなあっ今は無人駅だけど 当時は今で言うキオスク?もあったからね駅員も5名ほど居たし 国鉄時代とJR まったく代わったなあっ半世紀50年とは 凄い時間の隔たり 凄いと思うわこれからは更に大きく変化して行く そりゃ小学生が電話持ち歩く時代だものね 凄い時代になったものだ
ゼンマイ式掛け時計は自分が中学までは家にあったけど(旧家みたいな家じゃなく4DKのサラリーマン借家でしたが。母が嫁入り時に持ってきた?)、親戚の兄ちゃんが映画村でバイトしてたかなんかで、映画で使いたいとかで持ってっちゃいました。ちゃぶ台で夕食囲みながらテレビ(チャンネル回すタイプ)を見てた時代。洗濯機は裏庭に置いた二層式で絞りはローラー、足踏みミシンもあった。
小学校の家庭科のテストでミシンの実技があって、足踏みミシンでした(笑) うっかりするとあれは逆走するので怖かった
幼少の頃、ゼンマイ式でオルゴール付きの目覚まし時計も何台か有りました。あの癒される音と曲を今聴いたら懐かしさのあまり涙が出るかもしれません。
牛乳瓶のフタとビニールと輪ゴムと画鋲を使って、ダーツモドキを作ってたのを思い出した。あの頃は、専用の玩具を買う余裕のある家なんて稀だったから、みんな、色々工夫して身近な物を遊び道具にしてた。
分かります🥰
駅弁売り、お茶売り昭和の風物詩懐かしいさらに宮城県小牛田駅ではまんじゅう売りもいた😁
小牛田ホテルか村上屋ですね。山の神まんじゅう。
蝿張は家で重宝していました。蝿の付きやすい食べ物🍔は必ずこの中に入れていました。
ちゃぶ台、ハエから食品を守る傘、ハエトリ紙も懐かしい
ハエが入らないように作り置きの惣菜を入れる網が張ってある戸棚もありました。正確な名称はわかりませんが、「ハイ(エ)ラズ」と言ってました。☺️
蝿帳(はいちょう)ですねうちにもありました
@@土門直親 正式名、ありがとうございます。☺️
中学1,2年生頃まで蒸気機関車が走っていたような田舎なので小学生時代に祖父母の家に汽車で移動する際は窓越しに駅弁とポリ茶瓶のお茶を買ってました。社会人になって新幹線、特急を乗り継いで帰省する際もあのちょっとポリ臭いお茶がないと列車の旅気分が出ないとばかりにポリ茶瓶のお茶を買ってましたね。
お小遣いが少ない子供の頃は貸本屋さんにはお世話になったなあ。
ハクキンカイロ持ってます。あと使い捨てカイロよりも熱をだします。そのため使い捨てカイロだと寒すぎて使えないところでも使えます。
私の祖母は、冬になると、練炭を使っておりました。台所があったかくなって、お湯が沸かせて、料理することもできて、便利だと、ずっと使っておりました。
練炭の灰で遊ぶのが好きだった。昔住んでた長屋に共同の練炭室があって、ペンキ缶位の大きさで上に丸い穴が沢山空いてるやつ。それを崩して遊んでた。
掛け時計は小学生の頃に使われていましたが以外に夜中は鳴ってても目覚めませんでしたね、尚、毎時その時間の数字分ボーン!って12時なら12回鳴って、〇〇時30分のところで1回ボーン!って鳴る仕様でした。
ポリ茶瓶、自分が子供の頃はやかんからお茶を注いで渡してくれたな。たしかにポリ容器臭いけど、それも含めて旅の風情だった。
ポリ茶瓶は陶器の茶瓶を飲み終わった後、電車の窓から投げ捨てる輩がいて、これが線路を保全している保全員が怪我をするとの話でポリに代わったと昔のTVで紹介してました。
子供のころ、ばーちゃんちに行ったら柱時計とか茶箱・オイルカイロあったなぁ~😊同じく子供のころに熱海で食べた鯛めしのお弁当がおいしかった・・・
ウチのトイレが汲み取りだった頃は縁側の軒下に水のタンクがぶら下げてあり、下の突起を押すとジョロのように水が出る手洗い器?があった。今も金物屋などで売られているらしいが…。
家にもあったよ、旧家あるあるかもね
今ならアウトドアで需要がありそうですね。
そうそう、半透明な容器に赤とブルーの花模様で、下のポッチを押すと水が出るやつ。田舎のおばーちゃんちに有って、真夏で水が何か生温くなっていて、子供心にこの水変えたのいつだろうと思ったよーな💧😅
駅弁売りというと私的には、JR信越本線、碓氷峠 横川駅にあった「峠の釜めし」でした。学生時代よく利用していました。懐かしいですね。
今では近隣のドライブインとか上信越高速の横川SAでも売ってます。
先日、おぎのやの釜めし味ポップコーンなるモノが売ってましたが、うけなかったらしく某スーパーで山積みで叩き売りされてました。
益子焼きみたいです。子供のころ、風邪をひいた時、ばあちゃんがお粥作ってくれました。梅干しにおかか醤油と、食べましたが、あまり好きでは、ありませんでした。もう何十年も前の、話になりますが、優しいばあちゃん、大好きでした。
土瓶に入ったお茶は駅のホームに行くと必ずと言っていいほど買って居ました 後火鉢とカンテキは用途が違います 七輪は焼くためでカンテキは鍋をかけるためです
牛乳瓶のふたといえば、映画「銀河鉄道999」で、キャプテン・ハーロックが親指で雑に開けるのがかっこいい
「傷だらけの天使」でショーケンが口で開けるのは?
@@IzumizukiPinky それニコニコで見たけどどうやって開けてるの?
@@zsunrsl フタを舌で押して吸い上げる。やってみたけど、難しい・・・
ふたの端っこを人差し指の爪でほじほじしてから、親指と人差し指の爪で挟んでそ~っと開けると、中学生だった兄から、「何、ちまちまやってんねん」って叱られた。
早朝、デッキに設置された配達箱に牛乳を取りに行くキャプテンの姿を想像してしまった。
鹿児島本線折尾駅の弁当売りは北九州市八幡西区の東筑軒の方で、現役でホームを歩きながらかしわめし弁当を売ってますね。旅行者がいっしょに写真とってもらったりして親しまれています。
家に祖父のカイロがあります。印籠みたいです。使ってみようかな。
うちも田舎から火鉢を譲って貰って来て家で使おうとした時、五徳が無く金物屋に買いにいったが扱ってなく取り寄せで2ヵ月かかった思い出あります。当時は浦和に住んでいました。外環用の土地売却が済んでいてそこは野っ原だったから、プラバット野球やミニサッカーで遊んでた😊
ゼンマイ時計は我が家で現役ですよ!ゼンマイが2つ付いていて一回巻くと30日作動します。
我が家のは110年くらいまえのが現役。おそらく何十年か納屋にあった。オーバーホールしてもらい復帰。わが家は古時計の宝庫(笑)。ゼンマイ式だけで10以上ありますよ。稼働しているのは7くらい。
スケートリンクの貸し靴ってろくに手入れがされておらず、本当に状態が酷かった思い出が…。地球ゴマは製造中止になった際に買い占められ、今もべらぼうなプレミアが付いてますね。実家に紙箱の大きな地球ゴマがありますがいくらになるやら。
貸し靴で水虫うつされた
ポリ茶懐かしい❗遥か昔伝説の夜行列車「大垣夜行」で深夜3時過ぎにホームで駅弁売って居たな。深夜かかわらず売り切れは凄かったな(゜ロ゜)
ゼンマイ時計は家にあって、子供の頃よくネジをギリギリまで巻いて遊んでましたw貸本といえば、明治時代の貸本が家にありましたが、行方不明です…昭和十年代の六法全書とかならあるんですけどねえ
自分の家が貧乏だったのかもしれませんが、幼稚園の頃まで炊飯器とか無く白ご飯をおひつ(木製)から取って食べてました。冬の寒い夜に食べると凍る程冷たかった😢
おひつって上品だよね、冷や飯はそれなりに美味しい、熱いお茶かけで食べると美味いと思います、炊飯器で長く保温したご飯の方が美味しくない
@@小谷和浩 さん確かにそれは言えます!昔旅館の朝食のご飯がおひつ入りで食べておいしかった記憶有ります😊
貸し本屋にはよく通っていました~お気に入りの本があり購入したいと値段を聞いて見たら結構高かったのを覚えていますね!
地元で唯一の貸本屋は、当時でも珍しくて、自分が中1位まであって、暫くしたら見かけなくなったな。凄いお爺ちゃんとお婆ちゃん夫婦が営んでいたような記憶が………初めて見た時は貸本屋の意味が分からず、古本屋かと思ってた。後で、お爺ちゃんが亡くなって閉店したと聞いた時は寂しかったな。
スケートセンターといえば、長野にもありましたな。1998年の長野五輪でスケートの練習場として使用されたのを最後に廃業したが。
さいたま市にも大宮スケートセンターありました。夏場はよくプロレス興行やってましたね。
ポリ茶のお茶、昭和52年頃で60円だった記憶があります。
昭和50年代まで普通に駅弁とポリ茶瓶入りのお茶売りに来てたよ。
現在も鰹節があるから削り器もあるんだろうけど今は中々見かけなくなりましたね削った後の芳醇な鰹節の香りが好きでした
うちは両親が鹿児島出身なので小学校に入って毎朝おかかをかかないお家があるのが不思議でした 小さい子供の頃は火をつかわせて貰えなかったので、お姉ちゃんと一緒におかかをかいてお手伝い出来るのが嬉しかった 母の遺品として削り器は私が受け継ぎ現役です😊さすがに今は本当に一秒一分が惜しいような時は小分けパックも使うけどね😂
白金カイロと七輪が出たなら、豆炭行火(あんか)も忘れちゃ困る。アレも上手く着火と保温ができると、丸1日あったかいぞwオイラん家だと、七輪で豆炭の火起こしをやって、それを携行袋と古着、風呂敷で包んで、布団の中に放り込んで、布団を暖めて床に着くのが、冬場の日課だったな。
キンキンに冷えた冬に合うよね、暖冬の今はキンキンの寒さにならない、風呂敷も見ないよね、蔓で作った買い物かごとかネットオークションで人気です、がま口財布とか昭和だよね
6歳まで住んでたビンボー長屋で共通の練炭室があって、七輪に練炭炊いたの入れてたよーな記憶があるんだけど、子供の頃は練炭の跡に出来るその形をした灰(ペンキ缶位の大きさで、上に円周に沿って丸い穴ボコがボコボコ空いてるやつ)それを一気に崩す遊びが好きだった………🎉😅
振り子時計ですがゼンマイから電池式に変わりました。時計メーカーの名前が印刷されたN社の赤色の乾電池は何故か長持ちするのです。火鉢も練炭火鉢に変わりました、着火時は換気しないと一酸化炭素中毒が発生します。
駅弁売が消えた理由に窓が開かないもしくは空いても上の数センチだけだから窓越しの販売形態が困難になったのもある今は基本観光用パフォーマンスの一環になってる感じですな
当時は蒸気機関車だったからね。今はディーゼルとか電車で加速がよいから売り子は追い付かないな😄
嘗ては、国鉄 (現JR) の在来線列車 (特急、急行) 内の車内販売もあった。
築 120 年強の我が家・・・。ねじ巻き時計・・・現役。ねじ巻き係は子供二人が当番。茶箱・・・現役(中身は猫様のドライフード)。牛乳瓶の栓抜き・・・台所のラックに掛かってる。さすがに現在は未使用。ポリ茶瓶・・・熱湯を入れると、溶けたローソクの匂いと味がして絶対に買わなかった。貸本屋・・・小学生の頃、もんじゃ焼き屋と兼業していて、食べながら読んでた。地球ゴマ・・・幼稚園の時の誕生日に、親から貰った記憶が ( '_')とおい目白金カイロ・・・冬の野外ライヴ敷設作業で現役。火鉢・・・現役では無いケド、亡き祖父母の部屋にオブジェクトとして存在。七輪・・・居間のコタツが掘りごたつなので、暖房器具として現役・・・魚を焼くのは火起しで外に出してる時に焼きます。
時計は掛け時計というより「柱時計」って言った方がしっくりくるわ笑
夜鳴るとなんか怖い感じがしたなぁ。
なんかボン時計とか呼んでたうっすらした記憶。ボーンボーンと鳴るからボン時計だったのだろうか?
振り子の音も結構大きい
鳩が出てくるやつもありましたね。夜中も出てくるから怖かった!
@@IzumizukiPinky 慣れたら子守唄みたいなもんでした。
地球ゴマは持ってましたよ。枠が3年ぐらい使うとガタガタになっていつの間にか捨てられちゃいました。火鉢は祖父の家にありました。確かに側にいるとかなり暖かかったですが祖父がCO中毒を心配して頻繁に空気の入れ替えをしたのが印象的でした。
懐かしいね、地球ゴマ。てれひのCMで、ピーンと張り詰めた細い紐をの上を地球ゴマがツ〜ッと滑り降りて行くのが凄くカッコ良かったけど、実際にはそんな曲芸出来んかった💦😂
中学生時代に近くに貸本屋がありましたが、大学ノートに借りた本の名前と住所、氏名を書いて借りるというのどかなシステムで漫画の単行本がおいてありました。自分は白土三平のサスケや戦記物にホラー物なんかを一冊10円/日くらいで借りてましたね。
ノートに記述・・そうだった。母親が祖母の店の手伝いの帰りに市場横の貸本屋から毎日借りてくるので、店の人が新刊本を最優先で回してくれた。なので当時の漫画はほぼすべて読んでるw
白土三平のサスケか~時代を感じますね、柳沢きみお好きだった、10円だった、少年チャンピオン買えなかった思い出が…
ポリ茶瓶はポリ味のお茶が懐かしいわ。
振り子時計、30分のところでちょっとだけ鳴るやつもあったような…懐かしいですねえ
小学校は全教室に振り子時計があったが夏休みの登校日に必ず止まっていた、アナログっていいよね
30分で一回鳴ってましたね!ジャストのときと30分で微妙に鳴りかたが違うそうですね
ウチもそれだった。鳩時計と言えば、友達の家に行く約束して行ったのにその子が留守で、部屋で待ってるように言われた。それで座って待ってたら、いきなり柱の鳩時計から畳くらいまで垂れ下がってる細い鎖(振り子)が、2本同時にザ〜ッと落ちてきて、時計もガンって落ちてきた。頭のそばに落ちたからビックリしてたら、友達の親が、私がイタズラして引っ張って壊したんでしょう❗と怒って、違うと言ったのに信じてもらえなかった。うちの親にまで言われて親にも怒られて、嘘つきハドロボーの始まりだ❗と怒られ、8歳くらいだったのに凄いトラウマ。その子とはそれっきりで、ずっと言われてたのかも。最悪だよね
1:30我が家にも全く同じゼンマイ時計が有ります! ゼンマイ巻くの面倒で飾りになってますが。
ポリ茶瓶に冷凍みかんは旅にはつきものだった。
冷凍みかん給食で出てた、みつ豆とかも懐かしい
七輪って今買うとお高いのよね❗️卓袱台は今でも好き
当時牛乳キャップ集めてた者にとってキャップ抜きで刺し穴あけないで欲しかったですよね。
ポリ茶瓶について、昭和50~60年代でも1戦とは言わないでも駅弁のお供として活躍してました
中学の修学旅行で新幹線に乗ったとき、(駅弁と関係なくポリ茶瓶だけ)全員に配られて、初めて見て「なんだこれ?」でした。駅弁売りがいなくなったら、四十八手の「駅弁」の名前の意味が分からなくなりますね…(下品?)
婆ちゃんの内職のお手伝いでそのお茶ポリ容器に針金通していました(笑)
火鉢や七輪を使ってる家庭は見た思い出ないけど代わりに堀ごたつは実際に何度か入ったことあるかな。火鉢があったというのは昭和3、40年代くらいかな?
掘りごたつは我が家にありますよ。数年前に親父が作った。暖かいぞと。
ホームランバー子供のころ20円だったか30円だったかそれぐらいの時はよくお小遣い貰って食べたな
アイスケースに箱ごと入ってるだろ? アレ底の方にホームランが入っとるんやで(正しくは箱の一番上。それをひっくり返してケースに入れるから)あ、アイスケースってアイスクリーム専用の冷凍庫ね。メーカーのロゴが入ってる奴
@@IzumizukiPinky そんな裏技有ったんですか知らなかったな
@@なんだよう-u2u 箱詰めする時、最後に入れるらしい。5連続やった時にこっそり聞いたw
@@IzumizukiPinky 持ち手の木肌の色が若干違うんだよ、同じような柄がたくさんある中に色違いの柄が少し混ざっている、この違いを発見したらホームランだ
下から棒だけ抜き取り、アイスだけペロリ、当たりマークが出たら買う、外れは買わないなんてのも。いづれ元に戻すが汚い。バレて全品買わされたのがいるよ。
オイル式のカイロは知らなかった。カッコイイ。使い捨てカイロは家に帰ってからクッソ熱くなるぜ!
白金カイロの事でしょうか?今はオイルライター用のオイルで動くカイロが良く出ているようです。
@@hayatokanekon6339 良いですねえ。印籠みたいでオシャレだし。
@@hayatokanekon6339 白金カイロはドリフターズが宣伝していたような…
@@hayatokanekon6339 さんジッポライターのオイルでしょう
@@小谷和浩 そうです。
駅弁を買う時、昔は客車の窓が上げ下げ出来たからいいが、今じゃ窓は閉め切りなのかな?(列車には久しく乗ってない)。地方に行っても、そこそこの規模の駅なら「弁当、弁当」と言っておっさんっが売っていた。交換駅など停車時間が短い駅で大勢の客が群がると、発車時間が気になってひやひやしたね。2022/10/28
確かに今の電車の窓は開かない………。
牛乳瓶のフタは、幼稚園のお弁当の時間に、先生が一人ずつ開けてくれました。幼稚園児には危ないですよね😅小学校では、自分で開けようとして、上半分だけ薄くめくれて、結局先生に開けてもらったり。電車のお茶は昭和51年生まれの私が覚えているから、60年頃まであったのかもしれません。あと電車といえば、冷凍みかんですね🍊
冷凍みかん❤️みんなが好きすぎて給食でも出るようになったのかなぁ?大人気でした😊
牛乳瓶の蓋あつめてました。『ポッコン』という名称で学校の机で息で飛ばす遊び
ゼンマイを巻くのは我が家では今は亡き祖父の仕事でした今のように電波でとかではなく、時計合わせるのには時報に電話して時間合わせてました
時報が局番なしの117今もサービスは継続されている!
ラジオ青年だったのでFM放送の時報をよく耳にしていた
四散爆発した。火鉢というか引き出しとかついた四角い木製のやつがあって餅とか焼いてた。火のついた炭を火箸でいじくるのが好きだった。白金カイロは30年くらい前まで使ってたな。
じつは使い捨てカイロはあまりに寒いと化学反応ができず温まらない。特別に低温下でも使えるものもあるが・・・登山用品店とかにあるらしい。
牛乳瓶の蓋は集めてメンコにして遊んでたなぁ😊 でも栓抜きは知らんかった😁
ポリ茶瓶って熱湯入れて渡すせいでポリ臭くなるw明らかに体に悪そうな匂いがしてたなぁw最近見かけないもの、自転車のフォークにつけて車輪で連打仕様になるベル。
自動車や自転車の後輪に付いてた泥除けってあった、自転車の車輪の中に入っていたカラー束子みたいなやつ
小学生の夏休みにおばあちゃん家に行ったとき夜中の振り子時計のボーンボーンがこわくてチビった記憶が(笑)ホームランバーってプラスチックの組み立てれるのなかったっけ?記憶違いかな?たくさん集めて姉弟で遊んでいたような😅
プラスチックの柄はあったね、赤や青などの柄に組穴があった、しかし組み立てたことはない、何を目標に組み立てるのか分からなかった、組み立てた人いるのかな
近所の幼馴染みの家には奥に行く廊下にもかけてあった。気味悪いボーンボーンと音がした。暗いから最低。
白金カイロは、おばあちゃんが使ってました。あと湯たんぽも忘れてはならない。
湯タンポはお馴染みの鉄製もあれば、ゴム製、戦時中の瀬戸物製もありました。最近は樹脂やシリコン製もあります。瀬戸物湯タンポはアンティークショップでたまにジュラルミン水筒や弁当箱と共に置かれていることがしばしば…
湯たんぽ、銀色のやつあった、ゴム製の水枕も使ってた
うちも銀色の湯たんぽでした。赤茶色?の氷枕も懐かしい✨
@@ひさしはたの 氷枕はブーブークッション(これも懐かしい玩具)のような赤ゴムの風船に水やお湯等を入れて鉄製のクリップで口を塞ぐヤツですね。今では保冷剤パックの巨大版になっています。勿論、従来の赤ゴムもあります。(シリコン製の正常進化したものもあります)ちなみに、保健室にあるような巾着型の氷嚢は今でも流通していますね。湯タンポのライバルとして豆炭を燃料とする「あんか」もありました。一酸化中毒にならない電気あんかもありました。驚くべきことに、あんか、電気あんか、湯タンポ(陶器製、ゴム製、トタン製)は今でも製造されており、購入可能です。オイル式カイロも昔ながらの銀色もあれば色つきのオシャレなものもあります。
@@phillyreoidesquercus1757 あの氷嚢ってまだあるんですね。ビニール袋に氷入れておでこの上に乗せてただけのイメージしかない😅電気あんかも使ってたけど、あれ湯たんぽより熱すぎるんです😂
弁当売りは昭和50年代初頭まであったよ。ハクキンカイロはエコと言う点でも注目されている。使い捨てカイロより持続時間も長いし熱さもくらべものにならない。
洗濯機の脱水がローラー式で手で絞らなくてもいいので当時母が便利になったねぇって言ってたのを思いだします。
まだ地方の個人乳業さんなら瓶入りがあると思うが200mlなので少なく感じるよね地球独楽は当時300円だったけど現在は1000円越えてるらしいね。
昭和以前からかも タンスの取手が使ってる内に抜けやすいから何文銭か分からないけど取手の金具の取り付け部に挟んであった。 後、一家に一個、醤油樽 酒屋のオッチャンが一升瓶に入った醤油を樽の蓋開けて詰めてった。
おう、米の秤売りがあった、角升で1合単位で…
@@小谷和浩 家にはトタンの米びつの中にも一合枡は常備でしたね いつ無くなったんだか。
ゼンマイ巻は私の役だったw手が疲れて大変だったな。うちの柱時計は、各正時にその数字分だけの音が鳴る他に、時計の長針が6になる毎30分にもボーンって一回鳴ってたな。
持っていたがついこの間壊れた。動いていたがいきなりガーンと音がして、内部が破損したようだ。ゼンマイ巻いて6時間でした。1967年5月製造とある。ご苦労様であった。治せない感じした。
これぞ【天国に登るおじいさんの古時計】…情景ですね🌔⌛👴
牛乳瓶懐かしいな〜*ガキの頃病弱だったから良く総合病院に行ってたから診察が終わったら病院内の自動販売機で珈琲牛乳飲んでたな*25年前です
地方に行くと当番で、冬の夜に懐中電灯持って「火の用心、マッチ1本火事の元」「火周り用心、鍵かけて」とか言って町内歩いてました。今はマッチてなに?なんて小さい子は言い出しそう。何処にでもあったから。今もなくはないが少ない。用心周りも誰もやらない。
夜廻りね、家のとこでは今は年末のみ町内会の有志の方々でやってくださってますね(@東京23区内) なんだか安心します
名前を知らずに使ってるといえば商品固有名が類似製品全体の名前になってしまってる物多いですね。まぁホッチキスぐらいしかすぐには思い浮かばないけど、多分そこらじゅうにある。駅弁売り見てて思ったんですが、駅弁ふぁっ区というスタイルは昔からあった物ではなく、鉄道が登場してからの物なんですね。
子供の頃、牛乳瓶の蓋でメンコをしたのを思い出した。
Shouwa...natsukashiina...😊
七輪は、「豆炭・練炭用」と「木炭用」があって、「豆炭・練炭用」で木炭燃やすと割れるからな。(木炭のが、燃える時高温になるので、練炭用だと熱に耐えられない為。
駅弁じゃないけど奥羽本線の峠駅、山奥の過疎駅で峠の力餅を売りに来る。駅前で峠の茶屋をやっていて、あそこは無くならないうちに行っておくべき。柱時計は朝止まると大変だった。ポリのお茶はペットボトルが無い時代に存在した有能。
学生時代に駅弁売りのバイトをしました。東北新幹線開通前でお盆・正月の帰省では近所の駅で駅弁が飛ぶように売れてました。あの木箱に弁当を山積みにすると10Kg近くになるので、腰を痛めました。村西監督の駅弁F〇〇Kの語源です。
高校生のころ、歳の離れた弟の為にホームランバーで貰えるリモコンカーをプレゼントしたくて必死にホームランバーアイスを食べまくったなぁ。
なんて優しいお兄ちゃん❤
実家近いから割と長いこと折尾駅使ってたけど、1度も駅弁売り見たことないな久しぶりに東筑軒のかしわめし食べたい…
貸し本が無くなったのは日本人の所得が上がって借りるより買う方が手軽になったからです、今貸し本が復活してるのは日本人が貧しくなって新刊が買えなくなったからです。レンタルCD・ビデオが無くなったのも同じ理由ですが、あっちはサブスクが補ってくれたので復活しませんでした。
火鉢はちびまる子ちゃんにも出てきたような…第1期にはあったけど、今も出てくるのか?
ここには出なかったけど、今でも長持使てる所あるかな?(長持はヤットデタマンの敵メカで知った。なんか、竿の付いたタンスみたいな)
一銭店屋で紙飴ってあったな。城の絵とかが書かれた下品なニッキ風味、なつかしい
ホームランバーは、グラドルのイメージビデオでしか見ないな〜
ちなみに、自転車が倒れずに走り続けることができる仕組みは完全に解明されていないそうです。ジャイロ効果以外にもキャスター角、運転者のバランス感覚、ステアリング等、色々な条件がそろって走行が可能となります。
最初は自転車に乗ってコケますが、フッと乗れるようになりますよね、それ以降コケることは少なくなります、親や友達から一生懸命に教わりますが中々思うように乗れないですよね、あのコツみたいなのは何だろう、野球でも最初はピッチャーの球を空振りしますが、フッとバットに当たるようになります、段々と出来るようになるのではなくフッと出来るキッカケみたいな感じは何だろう、本能や才能や運動神経ではなく誰でも出来るようになるのが不思議です
振り子の柱時計ならうちにありますわ地震が起きると振り子が乱れて止まってしまう…
七輪外がカリカリになり理由はもう一つ美味しんぼでもやってたけれど、炭(炭素、C)を焼くと出てくるのは二酸化炭素(CO2)のみなので、外がカリカリになる。(ガスだと燃やすと二酸化炭素だけでなく水蒸気も発生する)次に、油が落ち、炭の上に落ち煙が出る、それによって煙でいぶすこともできる!
ポリ茶瓶、甘いなその前は素焼き容器のお茶がありまっせ!
大きな霊夢ちゃんと魔理沙ちゃん、ありがとうございます💐
パチンコ台『CR電車でGO』で、駅弁売りリーチを、思いだす!駅弁売りのかつらが取れたらプレミアリーチとか懐かしい!
昭和の日用品と言うと母親が家計簿をソロバンで計算してつけていました
昔の個人店は5珠ソロバンを使ってた、どうやって使うのか分からない
この時代はテレビのチャンネルと画面の前にかける青-黄-赤色のガラスで白黒でもカラーになるとか?チャンネルはよくとれました。
4:35売りだ。😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂
名糖アイスクリームのホームランバー❣️そういえばスーパーLIFEでチラッ(/ω・\)チラッとだけそれらしぃのがあったような❣️気がしたなぁ😃👍️
必殺仕事人の田中様「中村さん!『手焙り』を一人占めしないの!」で手焙り火鉢を覚えたんだよなあ
家にあったのであれごっこしてましたw
練炭が出てこない。直径15cm高さ20cmの豆炭の変形。練炭火鉢もありました。
お茶のポリ容器に緑色の針金を通して一日中内職やってた婆ちゃんのお手伝いで婆ちゃんとお話ししながらお小遣い稼ぎしてたのはオイラが小学校4年生の頃……もう40数年前になるのか……今考えてみれば、婆ちゃんのくれたお金はアイスクリームやお菓子に消えたけど、婆ちゃんは孫のオイラ達と内職しながら孫のオイラ達とお話しするのが楽しみで内職で針金通した個数よりもお小遣いの方が多かったんだろうな(笑)今、自分に孫が出来て初めて理解出来るようになったよ(ノ_・。)ありがとう……婆ちゃん
オッサンホイホイの動画ですね。ありがとうございます。
時計のねじを馬鹿力で回してしまい、ぜんまいを切らしてしまった酷い思い出が有る。
牛乳のフタでも、気の利いたものは紙の突起が付いていて、その突起をつまんで持ち上げるとフタを開けることができた。
弁当屋さんも今となったらやりにくいですね、今の電車の多くははめ込み窓で窓が開きません、ロングシートの車両も増えました。
あの独特なプラスチックのお茶容器、平成初期に新幹線ホームで買った覚えが有るけど、いつのまにか無くなりましたね。
旅行会社が、両端に穴の開いた紙にドットプリンターで切符や指定券を発行していた時代を思い出しました。
「紙の突起」の特許を取った人はメチャクチャ儲かったらしい、グリコ「プッチンプリン」に応用されています
s42生まれのワシの思い出。
柱時計・・・たしかTVアニメのヤマト2放送してた頃までは現役だったな(2202じゃないよ)
牛蓋針・・・お店とかでは使ったが、家には無かった。もしくは存在はしてたが使って無かった。
地球ゴマ・・・別にコツとかなくヒモ巻いて引っ張るだけで誰にでも使える。
「2階から落っことしてもまだ回ってるよぉ」とか悪の限りを尽くした結果内ゴマの軸が折れて終了。
火鉢・・・・存在はしてたが使った事は無い。ずっとただのオブジェだった。
七輪・・・小学生くらいまでは冬場にずっと使ってた。燃料は着火剤付の練炭。
それ以降も正月に餅焼くのとかに使ってた。
就職して社内報だかに「正月に七輪で餅焼くのいいよね」って書いたら、「ねぇよそんなもん」と総ツッコミが入った。
貸本屋・・・ウチの近所には無かった。
茶箱・・・・使ってはいなかったが、貧乏性で捨てられず、長々とベランダで放置されていた。
後に野良猫が入り込んで子供産んでた。
七輪で餅焼く?ツッコまれるよ、ストーブの上では焼く、火鉢はなぜかずーっと暖かいままでした、冷えた火鉢を見たことがない、子どもすぎて温度設定のが未だに分からない
茶箱は懐かしいですね。我が家では茶箱の下にキャスターローラーを取り付けて季節物の衣類を入れて押し入れに収納してましたが、その後は趣味の電子工作に使う部品入れに利用するようになりました。キャスターローラーを付けると出し入れが楽になり重宝してました。また、堀炬燵があったので練炭火鉢も懐かしいです。練炭は炭火の七輪で火熾しをしてから練炭火鉢に移すのですが、練炭用の火鋏があって火鉢に移すのにはコツが要りました。七輪の名は7厘という安い価格で買えたからと聞いた事がありますが、1厘は1銭の10分の1なので1円の1000分の1になりますけど、現在の七輪は1000円くらいしますが、七輪の炭火焼きで焼いた秋刀魚は垂れる脂の煙で秋刀魚を燻すので香ばしくなり炭火の遠赤外線で焼くために生焼けにならず美味しい秋刀魚になりますが、煙が出るのが難点です。
昭和40年代、秋の夕方になると各家の軒下でサンマの煙が登ってました、あの秋の景色が懐かしいです、あの頃はおばちゃんたちサンマ焼くの上手かった、今の人たち七輪でサンマ焼くことできるのかな~
🏫小学校の🍞🥛給食の時牛乳瓶の蓋を開けるのに🤘指の爪で上手く空けられない時、蓋を空ける道具が無かったのでめっちゃ苦労した覚えがある。今となっては懐かしい思い出です。
銭湯の牛乳を飲むときに使ってた、あんまり清潔だとは思わなかった、それで牛乳の瓶に引っ張るポッチが付いているのあるよね、あれは何だろう
火鉢は子供の頃に家にあって、火を入れたすぐには暖かくなく、時間が立つと周りが暖かくなってきた。
そこで、持ちを焼いたりして、使わないときはお湯を沸かしていた。
そして、飼っていた猫が張り付いて寝ていて、のんびりと時間が流れていたなぁ。
祖父母の家に火鉢がありました。当時の暖房は石油ストーブ、火鉢、こたつでした。
牛乳瓶のフタ開けるやつは最初はプラスチックの輪がなくて危険だったり、銭湯の冷蔵庫に輪ゴムチェーンで付けられてたり、給食の牛乳のフタは結露で湿って指で開けると紙が剥がれたり……語り尽くせない(笑)
ホームランバー、よく食べたな~。🍨
一本30円でした。👛💖😊
昔の調理器具や食器は女性が好みそうな花柄がよく用いられていました。
ホーローの白い鍋やアルミのヤカン、鍋にバラやズスラン等の植物が印刷されているのが定番でした。
他にも、当時の女性向け自転車(婦人車)も緑色と白や水色と白といったポップな配色にフリルのような花柄という少女趣味なデザインの物が多かったです。
中にはタイヤ側面にも花柄があるたいそう手間がかかっていそうなモデルもありました。
今ではよりシンプルなデザインになっていますが、"花柄の調理器具"はたまにホームセンターの調理器具コーナーにあることが…
ポップな花柄の食器は人気が出ていますよね、小鍋やポットやマグカップとか可愛いよね
魔法瓶もそんな柄が多かった
昭和レトロの花柄の琺瑯のシチュー鍋は母から受け継ぎいまだ現役です
一定の値段の昭和のものは品質もよくて衣類でも何でも大切に手入れしながら使うとかなり長持ちする感じ トレーナーとかですらそれを感じる
先割れスプーン、洗濯板、二槽式洗濯機、掘炬燵、黒電話、スライム、四角い便所紙くらいしか覚えてないなぁ
駅弁の話は、懐かしいですね。
これ観てると 10歳くらいの時代に戻るね 昭和40年代前半ね
貸し本屋?くらいだね 縁が無かったのは
俺の田舎の駅にも最後の最後?だったろう 駅弁売り 居たなあっ
今は無人駅だけど 当時は今で言うキオスク?もあったからね
駅員も5名ほど居たし 国鉄時代とJR まったく代わったなあっ
半世紀50年とは 凄い時間の隔たり 凄いと思うわ
これからは更に大きく変化して行く そりゃ小学生が電話持ち歩く
時代だものね 凄い時代になったものだ
ゼンマイ式掛け時計は自分が中学までは家にあったけど(旧家みたいな家じゃなく4DKのサラリーマン借家でしたが。母が嫁入り時に持ってきた?)、親戚の兄ちゃんが映画村でバイトしてたかなんかで、映画で使いたいとかで持ってっちゃいました。
ちゃぶ台で夕食囲みながらテレビ(チャンネル回すタイプ)を見てた時代。洗濯機は裏庭に置いた二層式で絞りはローラー、足踏みミシンもあった。
小学校の家庭科のテストでミシンの実技があって、足踏みミシンでした(笑) うっかりするとあれは逆走するので怖かった
幼少の頃、ゼンマイ式でオルゴール付きの目覚まし時計も何台か有りました。
あの癒される音と曲を今聴いたら懐かしさのあまり涙が出るかもしれません。
牛乳瓶のフタとビニールと輪ゴムと画鋲を使って、
ダーツモドキを作ってたのを思い出した。
あの頃は、専用の玩具を買う余裕のある家なんて稀だったから、
みんな、色々工夫して身近な物を遊び道具にしてた。
分かります🥰
駅弁売り、お茶売り昭和の風物詩
懐かしいさらに宮城県小牛田駅ではまんじゅう売りもいた😁
小牛田ホテルか村上屋ですね。山の神まんじゅう。
蝿張は家で重宝していました。蝿の付きやすい食べ物🍔は必ずこの中に入れていました。
ちゃぶ台、ハエから食品を守る傘、ハエトリ紙も懐かしい
ハエが入らないように作り置きの惣菜を入れる網が張ってある戸棚もありました。
正確な名称はわかりませんが、「ハイ(エ)ラズ」と言ってました。☺️
蝿帳(はいちょう)ですね
うちにもありました
@@土門直親 正式名、ありがとうございます。☺️
中学1,2年生頃まで蒸気機関車が走っていたような田舎なので小学生時代に祖父母の家に汽車で移動する際は窓越しに駅弁とポリ茶瓶のお茶を買ってました。
社会人になって新幹線、特急を乗り継いで帰省する際もあのちょっとポリ臭いお茶がないと列車の旅気分が出ないとばかりにポリ茶瓶のお茶を買ってましたね。
お小遣いが少ない子供の頃は貸本屋さんにはお世話になったなあ。
ハクキンカイロ持ってます。
あと使い捨てカイロよりも熱をだします。
そのため使い捨てカイロだと寒すぎて使えないところでも使えます。
私の祖母は、冬になると、練炭を使っておりました。台所があったかくなって、お湯が沸かせて、料理することもできて、便利だと、ずっと使っておりました。
練炭の灰で遊ぶのが好きだった。
昔住んでた長屋に共同の練炭室があって、ペンキ缶位の大きさで上に丸い穴が沢山空いてるやつ。それを崩して遊んでた。
掛け時計は小学生の頃に使われていましたが以外に夜中は鳴ってても目覚めませんでしたね、尚、毎時その時間の数字分ボーン!って12時なら12回鳴って、〇〇時30分のところで1回ボーン!って鳴る仕様でした。
ポリ茶瓶、自分が子供の頃はやかんからお茶を注いで渡してくれたな。たしかにポリ容器臭いけど、それも含めて旅の風情だった。
ポリ茶瓶は陶器の茶瓶を飲み終わった後、電車の窓から投げ捨てる輩がいて、これが線路を保全している保全員が怪我をするとの話でポリに代わったと昔のTVで紹介してました。
子供のころ、ばーちゃんちに行ったら柱時計とか茶箱・オイルカイロあったなぁ~😊
同じく子供のころに熱海で食べた鯛めしのお弁当がおいしかった・・・
ウチのトイレが汲み取りだった頃は縁側の軒下に水のタンクがぶら下げてあり、下の突起を押すとジョロのように水が出る手洗い器?があった。今も金物屋などで売られているらしいが…。
家にもあったよ、旧家あるあるかもね
今ならアウトドアで需要がありそうですね。
そうそう、半透明な容器に赤とブルーの花模様で、下のポッチを押すと水が出るやつ。田舎のおばーちゃんちに有って、真夏で水が何か生温くなっていて、子供心にこの水変えたのいつだろうと思ったよーな💧😅
駅弁売りというと私的には、JR信越本線、碓氷峠 横川駅にあった「峠の釜めし」でした。
学生時代よく利用していました。懐かしいですね。
今では近隣のドライブインとか上信越高速の横川SAでも売ってます。
先日、おぎのやの釜めし味ポップコーンなるモノが売ってましたが、うけなかったらしく某スーパーで山積みで叩き売りされてました。
益子焼きみたいです。子供のころ、風邪をひいた時、ばあちゃんがお粥作ってくれました。梅干しにおかか醤油と、食べましたが、あまり好きでは、ありませんでした。もう何十年も前の、話になりますが、優しいばあちゃん、大好きでした。
土瓶に入ったお茶は駅のホームに行くと必ずと言っていいほど買って居ました 後火鉢とカンテキは用途が違います 七輪は焼くためでカンテキは鍋をかけるためです
牛乳瓶のふたといえば、映画「銀河鉄道999」で、キャプテン・ハーロックが親指で雑に開けるのがかっこいい
「傷だらけの天使」でショーケンが口で開けるのは?
@@IzumizukiPinky それニコニコで見たけどどうやって開けてるの?
@@zsunrsl フタを舌で押して吸い上げる。やってみたけど、難しい・・・
ふたの端っこを人差し指の爪でほじほじしてから、親指と人差し指の爪で挟んでそ~っと開けると、中学生だった兄から、「何、ちまちまやってんねん」って叱られた。
早朝、デッキに設置された配達箱に牛乳を取りに行くキャプテンの姿を想像してしまった。
鹿児島本線折尾駅の弁当売りは北九州市八幡西区の東筑軒の方で、現役でホームを歩きながらかしわめし弁当を売ってますね。旅行者がいっしょに写真とってもらったりして親しまれています。
家に祖父のカイロがあります。印籠みたいです。
使ってみようかな。
うちも田舎から火鉢を譲って貰って来て家で使おうとした時、五徳が無く金物屋に買いにいったが扱ってなく取り寄せで2ヵ月かかった思い出あります。当時は浦和に住んでいました。外環用の土地売却が済んでいてそこは野っ原だったから、プラバット野球やミニサッカーで遊んでた😊
ゼンマイ時計は我が家で現役ですよ!ゼンマイが2つ付いていて一回巻くと30日作動します。
我が家のは110年くらいまえのが現役。おそらく何十年か納屋にあった。オーバーホールしてもらい復帰。わが家は古時計の宝庫(笑)。ゼンマイ式だけで10以上ありますよ。稼働しているのは7くらい。
スケートリンクの貸し靴ってろくに手入れがされておらず、本当に状態が酷かった思い出が…。地球ゴマは製造中止になった際に買い占められ、今もべらぼうなプレミアが付いてますね。実家に紙箱の大きな地球ゴマがありますがいくらになるやら。
貸し靴で水虫うつされた
ポリ茶懐かしい❗
遥か昔伝説の夜行列車「大垣夜行」で深夜3時過ぎにホームで駅弁売って居たな。深夜かかわらず売り切れは凄かったな(゜ロ゜)
ゼンマイ時計は家にあって、子供の頃よくネジをギリギリまで巻いて遊んでましたw
貸本といえば、明治時代の貸本が家にありましたが、行方不明です…
昭和十年代の六法全書とかならあるんですけどねえ
自分の家が貧乏だったのかもしれませんが、幼稚園の頃まで炊飯器とか無く白ご飯をおひつ(木製)から取って食べてました。冬の寒い夜に食べると凍る程冷たかった😢
おひつって上品だよね、冷や飯はそれなりに美味しい、熱いお茶かけで食べると美味いと思います、炊飯器で長く保温したご飯の方が美味しくない
@@小谷和浩 さん
確かにそれは言えます!昔旅館の朝食のご飯がおひつ入りで食べておいしかった記憶有ります😊
貸し本屋にはよく通っていました~お気に入りの本があり購入したいと値段を聞いて見たら結構高かったのを覚えていますね!
地元で唯一の貸本屋は、当時でも珍しくて、自分が中1位まであって、暫くしたら見かけなくなったな。
凄いお爺ちゃんとお婆ちゃん夫婦が営んでいたような記憶が………
初めて見た時は貸本屋の意味が分からず、古本屋かと思ってた。
後で、お爺ちゃんが亡くなって閉店したと聞いた時は寂しかったな。
スケートセンターといえば、長野にもありましたな。1998年の長野五輪でスケートの練習場として使用されたのを最後に廃業したが。
さいたま市にも大宮スケートセンターありました。
夏場はよくプロレス興行やってましたね。
ポリ茶のお茶、昭和52年頃で60円だった記憶があります。
昭和50年代まで普通に駅弁とポリ茶瓶入りのお茶売りに来てたよ。
現在も鰹節があるから削り器もあるんだろうけど今は中々見かけなくなりましたね
削った後の芳醇な鰹節の香りが好きでした
うちは両親が鹿児島出身なので小学校に入って毎朝おかかをかかないお家があるのが不思議でした 小さい子供の頃は火をつかわせて貰えなかったので、お姉ちゃんと一緒におかかをかいてお手伝い出来るのが嬉しかった 母の遺品として削り器は私が受け継ぎ現役です😊さすがに今は本当に一秒一分が惜しいような時は小分けパックも使うけどね😂
白金カイロと七輪が出たなら、豆炭行火(あんか)も忘れちゃ困る。アレも上手く着火と保温ができると、丸1日あったかいぞw
オイラん家だと、七輪で豆炭の火起こしをやって、それを携行袋と古着、風呂敷で包んで、布団の中に放り込んで、布団を暖めて床に着くのが、冬場の日課だったな。
キンキンに冷えた冬に合うよね、暖冬の今はキンキンの寒さにならない、風呂敷も見ないよね、蔓で作った買い物かごとかネットオークションで人気です、がま口財布とか昭和だよね
6歳まで住んでたビンボー長屋で共通の練炭室があって、七輪に練炭炊いたの入れてたよーな記憶があるんだけど、子供の頃は練炭の跡に出来るその形をした灰(ペンキ缶位の大きさで、上に円周に沿って丸い穴ボコがボコボコ空いてるやつ)それを一気に崩す遊びが好きだった………🎉😅
振り子時計ですがゼンマイから電池式に変わりました。
時計メーカーの名前が印刷されたN社の赤色の乾電池は何故か長持ちするのです。
火鉢も練炭火鉢に変わりました、着火時は換気しないと一酸化炭素中毒が発生します。
駅弁売が消えた理由に窓が開かないもしくは空いても上の数センチだけだから窓越しの販売形態が困難になったのもある
今は基本観光用パフォーマンスの一環になってる感じですな
当時は蒸気機関車だったからね。今はディーゼルとか電車で加速がよいから売り子は追い付かないな😄
嘗ては、国鉄 (現JR) の在来線列車 (特急、急行) 内の車内販売もあった。
築 120 年強の我が家・・・。
ねじ巻き時計・・・現役。ねじ巻き係は子供二人が当番。
茶箱・・・現役(中身は猫様のドライフード)。
牛乳瓶の栓抜き・・・台所のラックに掛かってる。さすがに現在は未使用。
ポリ茶瓶・・・熱湯を入れると、溶けたローソクの匂いと味がして絶対に買わなかった。
貸本屋・・・小学生の頃、もんじゃ焼き屋と兼業していて、食べながら読んでた。
地球ゴマ・・・幼稚園の時の誕生日に、親から貰った記憶が ( '_')とおい目
白金カイロ・・・冬の野外ライヴ敷設作業で現役。
火鉢・・・現役では無いケド、亡き祖父母の部屋にオブジェクトとして存在。
七輪・・・居間のコタツが掘りごたつなので、暖房器具として現役・・・魚を焼くのは火起しで外に出してる時に焼きます。
時計は掛け時計というより「柱時計」って言った方がしっくりくるわ笑
夜鳴るとなんか怖い感じがしたなぁ。
なんかボン時計とか呼んでたうっすらした記憶。
ボーンボーンと鳴るからボン時計だったのだろうか?
振り子の音も結構大きい
鳩が出てくるやつもありましたね。
夜中も出てくるから怖かった!
@@IzumizukiPinky 慣れたら子守唄みたいなもんでした。
地球ゴマは持ってましたよ。枠が3年ぐらい使うとガタガタになっていつの間にか捨てられちゃいました。火鉢は祖父の家にありました。確かに側にいるとかなり暖かかったですが祖父がCO中毒を心配して頻繁に空気の入れ替えをしたのが印象的でした。
懐かしいね、地球ゴマ。
てれひのCMで、ピーンと張り詰めた細い紐をの上を地球ゴマがツ〜ッと滑り降りて行くのが凄くカッコ良かったけど、実際にはそんな曲芸出来んかった💦😂
中学生時代に近くに貸本屋がありましたが、大学ノートに借りた本の名前と住所、氏名を書いて借りるというのどかなシステムで漫画の単行本がおいてありました。自分は白土三平のサスケや戦記物にホラー物なんかを一冊10円/日くらいで借りてましたね。
ノートに記述・・そうだった。
母親が祖母の店の手伝いの帰りに市場横の貸本屋から毎日借りてくるので、店の人が新刊本を最優先で回してくれた。なので当時の漫画はほぼすべて読んでるw
白土三平のサスケか~時代を感じますね、柳沢きみお好きだった、10円だった、少年チャンピオン買えなかった思い出が…
ポリ茶瓶はポリ味のお茶が懐かしいわ。
振り子時計、30分のところでちょっとだけ鳴るやつもあったような…
懐かしいですねえ
小学校は全教室に振り子時計があったが夏休みの登校日に必ず止まっていた、アナログっていいよね
30分で一回鳴ってましたね!ジャストのときと30分で微妙に鳴りかたが違うそうですね
ウチもそれだった。
鳩時計と言えば、友達の家に行く約束して行ったのにその子が留守で、部屋で待ってるように言われた。
それで座って待ってたら、いきなり柱の鳩時計から畳くらいまで垂れ下がってる細い鎖(振り子)が、2本同時にザ〜ッと落ちてきて、時計もガンって落ちてきた。
頭のそばに落ちたからビックリしてたら、友達の親が、私がイタズラして引っ張って壊したんでしょう❗と怒って、違うと言ったのに信じてもらえなかった。
うちの親にまで言われて親にも怒られて、嘘つきハドロボーの始まりだ❗と怒られ、8歳くらいだったのに凄いトラウマ。
その子とはそれっきりで、ずっと言われてたのかも。最悪だよね
1:30我が家にも全く同じゼンマイ時計が有ります! ゼンマイ巻くの面倒で飾りになってますが。
ポリ茶瓶に冷凍みかんは旅にはつきものだった。
冷凍みかん給食で出てた、みつ豆とかも懐かしい
七輪って今買うとお高いのよね❗️卓袱台は今でも好き
当時牛乳キャップ集めてた者にとってキャップ抜きで刺し穴あけないで欲しかったですよね。
ポリ茶瓶について、昭和50~60年代でも1戦とは言わないでも駅弁のお供として活躍してました
中学の修学旅行で新幹線に乗ったとき、(駅弁と関係なくポリ茶瓶だけ)全員に配られて、初めて見て「なんだこれ?」でした。
駅弁売りがいなくなったら、四十八手の「駅弁」の名前の意味が分からなくなりますね…(下品?)
婆ちゃんの内職のお手伝いでそのお茶ポリ容器に針金通していました(笑)
火鉢や七輪を使ってる家庭は見た思い出ないけど代わりに
堀ごたつは実際に何度か入ったことあるかな。
火鉢があったというのは昭和3、40年代くらいかな?
掘りごたつは我が家にありますよ。数年前に親父が作った。暖かいぞと。
ホームランバー子供のころ20円だったか30円だったかそれぐらいの時はよくお小遣い貰って食べたな
アイスケースに箱ごと入ってるだろ? アレ底の方にホームランが入っとるんやで
(正しくは箱の一番上。それをひっくり返してケースに入れるから)
あ、アイスケースってアイスクリーム専用の冷凍庫ね。メーカーのロゴが入ってる奴
@@IzumizukiPinky そんな裏技有ったんですか知らなかったな
@@なんだよう-u2u 箱詰めする時、最後に入れるらしい。5連続やった時にこっそり聞いたw
@@IzumizukiPinky
持ち手の木肌の色が若干違うんだよ、同じような柄がたくさんある中に色違いの柄が少し混ざっている、この違いを発見したらホームランだ
下から棒だけ抜き取り、アイスだけペロリ、当たりマークが出たら買う、外れは買わないなんてのも。いづれ元に戻すが汚い。バレて全品買わされたのがいるよ。
オイル式のカイロは知らなかった。カッコイイ。使い捨てカイロは家に帰ってからクッソ熱くなるぜ!
白金カイロの事でしょうか?今はオイルライター用のオイルで動くカイロが良く出ているようです。
@@hayatokanekon6339 良いですねえ。印籠みたいでオシャレだし。
@@hayatokanekon6339
白金カイロはドリフターズが宣伝していたような…
@@hayatokanekon6339 さん
ジッポライターのオイルでしょう
@@小谷和浩 そうです。
駅弁を買う時、昔は客車の窓が上げ下げ出来たからいいが、今じゃ窓は閉め切りなのかな?(列車には久しく乗ってない)。地方に行っても、そこそこの規模の駅なら「弁当、弁当」と言っておっさんっが売っていた。交換駅など停車時間が短い駅で大勢の客が群がると、発車時間が気になってひやひやしたね。2022/10/28
確かに今の電車の窓は開かない………。
牛乳瓶のフタは、幼稚園のお弁当の時間に、先生が一人ずつ開けてくれました。
幼稚園児には危ないですよね😅
小学校では、自分で開けようとして、上半分だけ薄くめくれて、結局先生に開けてもらったり。
電車のお茶は昭和51年生まれの私が覚えているから、60年頃まであったのかもしれません。
あと電車といえば、冷凍みかんですね🍊
冷凍みかん❤️
みんなが好きすぎて給食でも出るようになったのかなぁ?大人気でした😊
牛乳瓶の蓋あつめてました。『ポッコン』という名称で学校の机で息で飛ばす遊び
ゼンマイを巻くのは我が家では今は亡き祖父の仕事でした
今のように電波でとかではなく、時計合わせるのには時報に電話して時間合わせてました
時報が局番なしの117
今もサービスは継続されている!
ラジオ青年だったのでFM放送の時報をよく耳にしていた
四散爆発した。火鉢というか引き出しとかついた四角い木製のやつがあって餅とか焼いてた。火のついた炭を火箸でいじくるのが好きだった。
白金カイロは30年くらい前まで使ってたな。
じつは使い捨てカイロはあまりに寒いと化学反応ができず温まらない。
特別に低温下でも使えるものもあるが・・・登山用品店とかにあるらしい。
牛乳瓶の蓋は集めてメンコにして遊んでたなぁ😊 でも栓抜きは知らんかった😁
ポリ茶瓶って熱湯入れて渡すせいでポリ臭くなるw
明らかに体に悪そうな匂いがしてたなぁw
最近見かけないもの、自転車のフォークにつけて車輪で連打仕様になるベル。
自動車や自転車の後輪に付いてた泥除けってあった、自転車の車輪の中に入っていたカラー束子みたいなやつ
小学生の夏休みにおばあちゃん家に行ったとき夜中の振り子時計のボーンボーンがこわくてチビった記憶が(笑)
ホームランバーってプラスチックの組み立てれるのなかったっけ?記憶違いかな?たくさん集めて姉弟で遊んでいたような😅
プラスチックの柄はあったね、赤や青などの柄に組穴があった、しかし組み立てたことはない、何を目標に組み立てるのか分からなかった、組み立てた人いるのかな
近所の幼馴染みの家には奥に行く廊下にもかけてあった。気味悪いボーンボーンと音がした。暗いから最低。
白金カイロは、おばあちゃんが使ってました。あと湯たんぽも忘れてはならない。
湯タンポはお馴染みの鉄製もあれば、ゴム製、戦時中の瀬戸物製もありました。
最近は樹脂やシリコン製もあります。
瀬戸物湯タンポはアンティークショップでたまにジュラルミン水筒や弁当箱と共に置かれていることがしばしば…
湯たんぽ、銀色のやつあった、ゴム製の水枕も使ってた
うちも銀色の湯たんぽでした。赤茶色?の氷枕も懐かしい✨
@@ひさしはたの
氷枕はブーブークッション(これも懐かしい玩具)のような赤ゴムの風船に水やお湯等を入れて鉄製のクリップで口を塞ぐヤツですね。
今では保冷剤パックの巨大版になっています。
勿論、従来の赤ゴムもあります。(シリコン製の正常進化したものもあります)
ちなみに、保健室にあるような巾着型の氷嚢は今でも流通していますね。
湯タンポのライバルとして豆炭を燃料とする「あんか」もありました。
一酸化中毒にならない電気あんかもありました。
驚くべきことに、あんか、電気あんか、湯タンポ(陶器製、ゴム製、トタン製)は今でも製造されており、購入可能です。
オイル式カイロも昔ながらの銀色もあれば色つきのオシャレなものもあります。
@@phillyreoidesquercus1757 あの氷嚢ってまだあるんですね。ビニール袋に氷入れておでこの上に乗せてただけのイメージしかない😅電気あんかも使ってたけど、あれ湯たんぽより熱すぎるんです😂
弁当売りは昭和50年代初頭まであったよ。
ハクキンカイロはエコと言う点でも注目されている。
使い捨てカイロより持続時間も長いし熱さもくらべものにならない。
洗濯機の脱水がローラー式で手で絞らなくてもいいので当時母が便利になったねぇって言ってたのを思いだします。
まだ地方の個人乳業さんなら瓶入りがあると思うが
200mlなので少なく感じるよね
地球独楽は当時300円だったけど現在は1000円越えてる
らしいね。
昭和以前からかも タンスの取手が使ってる内に抜けやすいから何文銭か分からないけど取手の金具の取り付け部に
挟んであった。 後、一家に一個、醤油樽 酒屋のオッチャンが一升瓶に入った醤油を樽の蓋開けて詰めてった。
おう、米の秤売りがあった、角升で1合単位で…
@@小谷和浩 家にはトタンの米びつの中にも一合枡は常備でしたね いつ無くなったんだか。
ゼンマイ巻は私の役だったw
手が疲れて大変だったな。
うちの柱時計は、各正時にその数字分だけの音が鳴る他に、時計の長針が6になる毎30分にもボーンって一回鳴ってたな。
持っていたがついこの間壊れた。動いていたがいきなりガーンと音がして、内部が破損したようだ。ゼンマイ巻いて6時間でした。1967年5月製造とある。ご苦労様であった。治せない感じした。
これぞ【天国に登るおじいさんの古時計】…情景ですね🌔⌛👴
牛乳瓶懐かしいな〜*ガキの頃病弱だったから良く総合病院に行ってたから診察が終わったら病院内の自動販売機で珈琲牛乳飲んでたな
*25年前です
地方に行くと当番で、冬の夜に懐中電灯持って「火の用心、マッチ1本火事の元」「火周り用心、鍵かけて」とか言って町内歩いてました。今はマッチてなに?なんて小さい子は言い出しそう。何処にでもあったから。今もなくはないが少ない。用心周りも誰もやらない。
夜廻りね、家のとこでは今は年末のみ町内会の有志の方々でやってくださってますね(@東京23区内) なんだか安心します
名前を知らずに使ってるといえば商品固有名が類似製品全体の名前になってしまってる物多いですね。
まぁホッチキスぐらいしかすぐには思い浮かばないけど、多分そこらじゅうにある。
駅弁売り見てて思ったんですが、駅弁ふぁっ区というスタイルは昔からあった物ではなく、鉄道が登場してからの物なんですね。
子供の頃、牛乳瓶の蓋でメンコをしたのを思い出した。
Shouwa...natsukashiina...😊
七輪は、「豆炭・練炭用」と「木炭用」があって、「豆炭・練炭用」で木炭燃やすと割れるからな。
(木炭のが、燃える時高温になるので、練炭用だと熱に耐えられない為。
駅弁じゃないけど奥羽本線の峠駅、山奥の過疎駅で峠の力餅を売りに来る。駅前で峠の茶屋をやっていて、あそこは無くならないうちに行っておくべき。
柱時計は朝止まると大変だった。
ポリのお茶はペットボトルが無い時代に存在した有能。
学生時代に駅弁売りのバイトをしました。東北新幹線開通前でお盆・正月の帰省では近所の駅で駅弁が飛ぶように売れてました。あの木箱に弁当を山積みにすると10Kg近くになるので、腰を痛めました。村西監督の駅弁F〇〇Kの語源です。
高校生のころ、歳の離れた弟の為にホームランバーで貰えるリモコンカーをプレゼントしたくて必死にホームランバーアイスを食べまくったなぁ。
なんて優しいお兄ちゃん❤
実家近いから割と長いこと折尾駅使ってたけど、1度も駅弁売り見たことないな
久しぶりに東筑軒のかしわめし食べたい…
貸し本が無くなったのは日本人の所得が上がって借りるより買う方が手軽になったからです、今貸し本が復活してるのは日本人が貧しくなって新刊が買えなくなったからです。
レンタルCD・ビデオが無くなったのも同じ理由ですが、あっちはサブスクが補ってくれたので復活しませんでした。
火鉢はちびまる子ちゃんにも出てきたような…第1期にはあったけど、今も出てくるのか?
ここには出なかったけど、今でも長持使てる所あるかな?
(長持はヤットデタマンの敵メカで知った。なんか、竿の付いたタンスみたいな)
一銭店屋で紙飴ってあったな。城の絵とかが書かれた下品なニッキ風味、なつかしい
ホームランバーは、グラドルのイメージビデオでしか見ないな〜
ちなみに、自転車が倒れずに走り続けることができる仕組みは完全に解明されていないそうです。
ジャイロ効果以外にもキャスター角、運転者のバランス感覚、ステアリング等、色々な条件がそろって走行が可能となります。
最初は自転車に乗ってコケますが、フッと乗れるようになりますよね、それ以降コケることは少なくなります、親や友達から一生懸命に教わりますが中々思うように乗れないですよね、あのコツみたいなのは何だろう、野球でも最初はピッチャーの球を空振りしますが、フッとバットに当たるようになります、段々と出来るようになるのではなくフッと出来るキッカケみたいな感じは何だろう、本能や才能や運動神経ではなく誰でも出来るようになるのが不思議です
振り子の柱時計ならうちにありますわ
地震が起きると振り子が乱れて止まってしまう…
七輪
外がカリカリになり理由はもう一つ
美味しんぼでもやってたけれど、炭(炭素、C)を焼くと出てくるのは
二酸化炭素(CO2)のみなので、外がカリカリになる。(ガスだと燃やすと二酸化炭素だけでなく水蒸気も発生する)
次に、油が落ち、炭の上に落ち煙が出る、それによって煙でいぶすこともできる!
ポリ茶瓶、甘いなその前は素焼き容器のお茶がありまっせ!
大きな霊夢ちゃんと魔理沙ちゃん、ありがとうございます💐
パチンコ台『CR電車でGO』で、駅弁売りリーチを、思いだす!駅弁売りのかつらが取れたらプレミアリーチとか懐かしい!
昭和の日用品と言うと母親が家計簿をソロバンで計算してつけていました
昔の個人店は5珠ソロバンを使ってた、どうやって使うのか分からない
この時代はテレビのチャンネルと画面の前にかける青-黄-赤色のガラスで白黒でもカラーになるとか?チャンネルはよくとれました。
4:35
売りだ。
😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂
名糖アイスクリームのホームランバー❣️そういえばスーパーLIFEでチラッ(/ω・\)チラッとだけそれらしぃのがあったような❣️気がしたなぁ😃👍️
必殺仕事人の田中様
「中村さん!『手焙り』を一人占めしないの!」
で手焙り火鉢を覚えたんだよなあ
家にあったのであれごっこしてましたw
練炭が出てこない。直径15cm高さ20cmの豆炭の変形。練炭火鉢もありました。