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私も子供が欲しいと言う執着から逃れられず、長年苦しんで来ました。最初の結婚は、当時の夫が子供が欲しくないと言うのでうまくいかず離婚しました。やっと再婚したと思ったら、今度はなかなか子供が出来ず、不妊治療もしましたが、どんなに頑張っても上手くいかず、最後には年齢的に難しくなり諦めました。私の人生はなんだったのだろう?と悩み続けてきましたが、辛い時は少し自分の事から目を反らすのが一番だと思います。花を見て綺麗だなと思ったり、空を見上げて深呼吸をすると、心に少し隙間が出来ます。その時だけは、自分が綺麗な花であったり、青い空の一部だったりするような気がするからです。私は一人っ子で、何でも手に入る恵まれた環境で育ちました。もう48歳、欲しい物が手に入らなくて泣いている子供ではいけないと、大愚和尚様のお話を聴いて思いました。ちょっと老けましたが、人の心の痛みの分かるようになった今の私は、若い頃より良い顔をしているんじゃないかな?と思います(笑)執着を捨て、なるべく明るく生きて行こうと思います。いつも良いお話をありがとうございます。
頑張って下さい。
きつい処方箋のように聞こえますが、なぜかとても愛を感じて涙が出ました。弟たちが子沢山で、大好きな甥っ子姪っ子たちがいます。姪っ子はその母親が45歳のときに自然妊娠で生まれました。ですから私も普通にできるものだ、とまだまだ大丈夫だ、と思っていたのに、なかなかできません。一時期は、友人に子供が生まれた時に全く喜べず、人生で初めて強烈な嫉妬心を感じました。そんな自分が嫌いになりそうで、それに対して悲しみも感じました。少し冷静になった時、その感情もそういう自分も、自分でまるごと抱擁してあげました。夫が「赤ちゃんができたらボーナス。いなくても今二人でとても幸せだ」と言ってくれていて、本当に私を大切にしてくれているのを感じます。まずはそんな夫へ心から感謝を感じて今すでにある感謝できることへ感謝ノートを付けていますが、しばらくしていつの間にか、その嫉妬心がとても小さくなっていました。不妊治療もそこまでストレスにならなくなりました。もしすぐ赤ちゃんができていたら、夫へここまで感謝を感じていたか、ここまで夫を愛していたか、よくわかりません。今言えるのは、夫へ感謝と愛を深く感じる今の私が一番好きだなと思っていることです。
体外受精を八回行い、苦闘の妊活をしました。いまも授かれず一般では無理な年齢となりました。和尚様のお話を聞き、激しい不妊治療を続ける妻に子を授かれなくとも、育てることは出来る、養子縁組(養子縁組も壁はあります)でなくても、孤児院を支援するや発展途上国の子供支援などしている方をサポートしていくことも育てること思うのでしていきたいと話ししました。妻とは今後の色々な話し合いはまだまだ続いています。涙流しながら子を授かれない気持ちを話す妻の気持ちは正に執着そのもの。本能で無くすことは無理だろうと感じています。僕自身は長男で仏壇と位牌があり心苦しくなるときもあります。執着を無くすことが無理なら何が出来るだろうと考えています。妻には幸せでいてほしいです。和尚様のお話を聞いてなかったら僕も路頭に迷ってた思います。ありがとうございます。 乱文で失礼しました。暑さ続きます。お身体ご自愛ください。
手に入らないものに目を向けていつまでも悲しむより、まずは前を向いて行動あるのみ。全てのことに共通する理念と感じました。やり切ってからでないと進めない境地がある。
子供をもうける相手さえいない私からしたらとても幸せにみえます
人生は、思い通りにならないものですね。子どもを授かったとしても、授からなかったとしても、悩みは尽きません。しかし、私たちは全てを受け入れていくしかありません。苦しみ痛みを知る人こそ出来る何かがあるのでしょうね。
私も40代で同じく子供に恵まれません。今後、ゆいさんに子供ができることを心の底から祈っていますが、子供に恵まれても恵まれなくても…どちらにしてもゆいさんの人生に1つでも多くの幸せがありますように。。。
家内と結婚して四半世紀を超えました。最初から諸事情で子供は諦めています。 これから、両親と家内が先に他界すれば、間違いなく私は天涯孤独になります。想像するだけで寂しいと感じることもありますが、未来はどうなるかわからない。そんな未来の不安に心を砕いている暇があったら、今生きている家内と両親を慈しみたいです。
いつも拝聴させていただきありがとうございます。俯瞰してみたときに、というお話。本当にそうだなぁ、と思いました。いいお話をありがとうございます。
道を歩かずして道程の険しさを知ることはできない。歩む辛さを思い知るまで歩き続けるしかないということですね。子供のいない人生もあるとか他に楽しみがあると言う人は多いですけど、汗と涙を流さなければ心底腹落ちはしないもの。
いつもお世話になっております🙏
自分達も恵まれませんでした!と言いながら子育ての自信ない!と言いながら昨今の子供達が犠牲になる事件聞く度自分達ならそんな事しないと思ってしまいます。
衝撃的なアドバイス。私も不妊治療していますが、全財産をつぎ込む気持ちはないです。子どもを持てる人生は来世に託そうかな。今世では好きなことして生きていこうと思ってきました。
難しい問題ですね。私もいない苦しみに、毎日繰り返して、思ってます😢けど、何故なんだろうと。理屈ではないですよね。
『そもそも我が子を自分の思い通りにさせようとする事自体が間違ってるのよね。』実家の母はよくそう言っています。なので、妊活中の私達の事も一切責めず応援してくれています。そんな母の性格を受け継いだのか、人と比較して云々という考えに疎い点も妊活に限らず全ての物事においてプラスになると感謝しています。だからこそ余計に申し訳無さが募るというデメリットもありますが、後で後悔しないためにも、年齢的に限界が来るまでは妊活は続けようと夫婦で話し合っています。どういう結果に終わるかは分かりませんが、妊活にいい事は、すなわち女性の健康に繋がるので、もし二人で生きていく結果になっても、若々しく元気でいられるだろうから、無駄にはならないはずだとプラスに考えて前進していきたいです。
科学の発達した現代では色々な現象を人の意のままに動かせる様になるのが普通と思ってました。だけど一歩外に出て自然に触れると、そこは人が居なくても勝手に生命が発生し活動している世界が殆どだと分かりました。人の意識が見たり操れる世界はとても狭いものだと感じられる様になりました。子供も自然の一部なのかなと思いました。
生後2週間で子供を亡くしました。なやみ苦しみました。何年間も。気がつきました。自分の子供の分たのこどもをたくさん愛して上げたい。苦しみから解放されました。
子どもが欲しいと思うのは生物の本能として当然だけど、世の中子供がいない、結婚しないという人はたくさんいて、その人たちもみんな前を向いて生きている。悩むことは誰にだってあり、なにがなんでも子供が欲しいなら行動すればいい。だけども、子供が欲しい故に愛する人を捨てる選択は違うと思うのなら、子どもがいなくても愛する人を大事にすればいい。自分の人生は自分がやったようにしかならない。子どもがいないと苦しいのは、自分が生きた証が残らないと思うからではないのかな。一つでもいい、子供がいないなら、それ以外で自分が生きた証を残せばいいと思う。いつまでも「子供が欲しかったなあ」と思ってしまうのは生き物として仕方ないことだと私は思います。
子供が授からないのは悲しい。でも、その悲願の子供が、もし重い障害を持って産まれてきたらどうしますか?という問いに一瞬でも言葉が詰まるようでは、親になるのは難しいと僕は思っています。和尚さんが仰るように、望めば自分の思い通りになると錯覚してる人多い気がします。
日々、事件で逮捕され報道される容疑者も、誰かの子供として生まれてきました。親になるとは、子供がその容疑者の一人になるかもしれないということです!こればかりは本当に分かりません。決して教育や環境、愛情だけの問題ではありません。
@@gdwtjadm さん確かにね。安倍元首相を撃った犯人も学生時代は優等生だったみたいだし、サリン事件の犯人の中には、とても優秀なお医者さんもいたみたいで、優秀が故にあんな恐ろしい劇薬を作ってしまって輝かしい経歴が完全にパァになったり…。それに、事件現場の霞が関周辺は国の機関が集まっていて、そこへ出勤される方は超エリートばかり。それ故にあんな悲劇に見舞われてしまった…。9.11同時多発テロで狙われたビルもエリートクラスの職場だったみたいですし。全ての物事は必ずメリットデメリットがあるという世の習いですね。私達夫婦もどういう結果に終わるか分かりませんが後で後悔しないためにも年齢的、金銭的に限界が来るまでは続けようと話し合っています。
質問者様へ、、和尚様も仰るようにかなりキツめな処方箋でしたが、ゆえに、質問者様が心配です。どうか、パートナー様に力になってもらってください。その前に、パートナー様とよくよく処方箋を考えてみてくださいね。女性って辛いですよね、焦りますよね。何で?って思いますよね。生殖医療の進歩って本当に人に幸せをもたらしているのでしょうかね。
本能として子供が強烈に欲しい、結婚できなくても子供は欲しいという時期が女には備わっているのかなと思います。ありがたいことに良い相手に恵まれて結婚しましたが相手も強く望んでいた子供は出来ず。和尚様のおっしゃるように全エネルギー、当時の全財産をかけて不妊治療の限界の年齢まで挑戦しましたが恵まれませんでした。途中から主人はもういい、と言ってくれましたが私が諦めきれませんでした。ボロボロになり、親戚縁者からも、仕事柄職場でも肩身の狭い思いをし続けました。でもボロボロになるまで自分はやりきったので心残りはありません。おかげさまで、それは仕方ない、という境地にいます。
子はかすがい。子は宝。と言われながら、現在の日本の児童養護施設には3万以上の子供たちが暮らしているといわれています。
生物学的に子を作るのは簡単です。男女が20代のうちに生殖すればいい。生物として子を作ることと、社会という枠組みの中で親になることは同じではない、のかもしれません。40代になって子宝に恵まれない人は、本来子育てに奮闘してるはずの若い時期に子を持たず自由を謳歌してたわけですよね。すべきときにせずお一人様を満喫したのだから、そのツケを払うのは当然という考え方もある。何かを得るためには何かを差し出さねばならない。我が子を施設に預けた人は様々な事情があり親としての喜びや成長を手放した人。親失格とか誰が悪いとかの問題ではありません。人は、欲張ろうとしても、自分の器に入るぶんだけしか幸せを得られないのかもしれませんよ。
日本では戦前まで、子供を他家で育てるとか養子縁組が決して珍しくありませんでした。それはそもそも子供が無事に育つという保証がなかったためで、むしろ貰われた子供は健康に育つとか他家で育つと強い子になると言われたものです。現代は戦前の家制度の反発からか、家族意識や一族意識が過度に薄まってしまい、極端な実子主義になってしまったようです。
私は母から生理がくれば簡単に妊娠出来ると教えられました。二十代で彼氏が出来ただけで子供が出来たら降ろせと簡単に言われました。結婚してから不妊治療して簡単ではないことを知りました。そして、母は不妊治療を継続してでも子供を望みましたが、私は諦めました。今でも子供を降ろせと言われたことを忘れません。命は重くて偉大だと思います。
わたしは、28歳から、結婚して、家庭を、もつ、夢でした、がんばつてきて、彼氏できず、結婚できず。46歳なつて、産婦人科いつて、産婦人科先生から、46歳年齢だから、無理です。産婦人科先生から、言われて、、子どもは、は、彼氏いないし、結婚する予定もないからいいじやないと、、言われて、わたしは、ずつと、彼氏も、いなくて、好きな人できても、💔失恋ばかり、結婚夢見て、ゼックシ、、結婚の本、かつて、夢を諦めずいて、私は、、親になりたくて、私は、親に孫みせたかつたでした。本当に、悲しくて、💦😭💦かなしかつた、受けとめないと、それが、私の、運命だつたのかも、しれません、知的障害でも、あります。
ミトコンドリアイヴのお話、パラサイトイヴを思い出しました。
🙏🙏🙏
協力的な旦那さんでいいなあ。うちは一切だめ。
子供は授かり物
子を持ち、くるしんでいます。楽しくいきるべきです。
不妊症の原因の一つは食だと参政党のTH-camでもよく出てきますよ。大分の重松ゆうこさんの演説でも不妊治療の方法が何十年前と変わっていないと聞きました。
昔から不妊に悩む人は少なくありませんでした。豊臣秀吉は子に恵まれず明らかに男性起因の不妊ですし、「嫁して三年子無きは去る」なんて言われたものです。しかしながら戦前までは主家の断絶は一族の恥でしたから遠縁から養子をもらうというのが当たり前だったのです。現代の不妊の要因は明らかで、出産適齢期である10代後半から20代にかけての結婚が減少し晩婚化が進んだためです。
私も子供が欲しいと言う執着から逃れられず、長年苦しんで来ました。
最初の結婚は、当時の夫が子供が欲しくないと言うのでうまくいかず離婚しました。やっと再婚したと思ったら、今度はなかなか子供が出来ず、不妊治療もしましたが、どんなに頑張っても上手くいかず、最後には年齢的に難しくなり諦めました。
私の人生はなんだったのだろう?と悩み続けてきましたが、辛い時は少し自分の事から目を反らすのが一番だと思います。
花を見て綺麗だなと思ったり、空を見上げて深呼吸をすると、心に少し隙間が出来ます。その時だけは、自分が綺麗な花であったり、青い空の一部だったりするような気がするからです。
私は一人っ子で、何でも手に入る恵まれた環境で育ちました。もう48歳、欲しい物が手に入らなくて泣いている子供ではいけないと、大愚和尚様のお話を聴いて思いました。ちょっと老けましたが、人の心の痛みの分かるようになった今の私は、若い頃より良い顔をしているんじゃないかな?と思います(笑)
執着を捨て、なるべく明るく生きて行こうと思います。いつも良いお話をありがとうございます。
頑張って下さい。
きつい処方箋のように聞こえますが、なぜかとても愛を感じて涙が出ました。弟たちが子沢山で、大好きな甥っ子姪っ子たちがいます。姪っ子はその母親が45歳のときに自然妊娠で生まれました。ですから私も普通にできるものだ、とまだまだ大丈夫だ、と思っていたのに、なかなかできません。一時期は、友人に子供が生まれた時に全く喜べず、人生で初めて強烈な嫉妬心を感じました。そんな自分が嫌いになりそうで、それに対して悲しみも感じました。少し冷静になった時、その感情もそういう自分も、自分でまるごと抱擁してあげました。
夫が「赤ちゃんができたらボーナス。いなくても今二人でとても幸せだ」と言ってくれていて、本当に私を大切にしてくれているのを感じます。まずはそんな夫へ心から感謝を感じて今すでにある感謝できることへ感謝ノートを付けていますが、しばらくしていつの間にか、その嫉妬心がとても小さくなっていました。不妊治療もそこまでストレスにならなくなりました。
もしすぐ赤ちゃんができていたら、夫へここまで感謝を感じていたか、ここまで夫を愛していたか、よくわかりません。今言えるのは、夫へ感謝と愛を深く感じる今の私が一番好きだなと思っていることです。
体外受精を八回行い、苦闘の妊活をしました。いまも授かれず一般では無理な年齢となりました。和尚様のお話を聞き、激しい不妊治療を続ける妻に子を授かれなくとも、育てることは出来る、養子縁組(養子縁組も壁はあります)でなくても、孤児院を支援するや発展途上国の子供支援などしている方をサポートしていくことも育てること思うのでしていきたいと話ししました。妻とは今後の色々な話し合いはまだまだ続いています。
涙流しながら子を授かれない気持ちを話す妻の気持ちは正に執着そのもの。本能で無くすことは無理だろうと感じています。
僕自身は長男で仏壇と位牌があり心苦しくなるときもあります。
執着を無くすことが無理なら何が出来るだろうと考えています。妻には幸せでいてほしいです。
和尚様のお話を聞いてなかったら僕も路頭に迷ってた思います。ありがとうございます。
乱文で失礼しました。
暑さ続きます。お身体ご自愛ください。
手に入らないものに目を向けていつまでも悲しむより、まずは前を向いて行動あるのみ。全てのことに共通する理念と感じました。やり切ってからでないと進めない境地がある。
子供をもうける相手さえいない私からしたらとても幸せにみえます
人生は、思い通りにならないものですね。子どもを授かったとしても、授からなかったとしても、悩みは尽きません。しかし、私たちは全てを受け入れていくしかありません。苦しみ痛みを知る人こそ出来る何かがあるのでしょうね。
私も40代で同じく子供に恵まれません。
今後、ゆいさんに子供ができることを心の底から祈っていますが、子供に恵まれても恵まれなくても…どちらにしてもゆいさんの人生に1つでも多くの幸せがありますように。。。
家内と結婚して四半世紀を超えました。最初から諸事情で子供は諦めています。
これから、両親と家内が先に他界すれば、間違いなく私は天涯孤独になります。想像するだけで寂しいと感じることもありますが、未来はどうなるかわからない。そんな未来の不安に心を砕いている暇があったら、今生きている家内と両親を慈しみたいです。
いつも拝聴させていただきありがとうございます。
俯瞰してみたときに、というお話。
本当にそうだなぁ、と思いました。
いいお話をありがとうございます。
道を歩かずして道程の険しさを知ることはできない。歩む辛さを思い知るまで歩き続けるしかないということですね。子供のいない人生もあるとか他に楽しみがあると言う人は多いですけど、汗と涙を流さなければ心底腹落ちはしないもの。
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自分達も恵まれませんでした!と言いながら子育ての自信ない!と言いながら昨今の子供達が犠牲になる事件聞く度自分達ならそんな事しないと思ってしまいます。
衝撃的なアドバイス。私も不妊治療していますが、全財産をつぎ込む気持ちはないです。子どもを持てる人生は来世に託そうかな。今世では好きなことして生きていこうと思ってきました。
難しい問題ですね。私もいない苦しみに、毎日繰り返して、思ってます😢けど、何故なんだろうと。理屈ではないですよね。
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実家の母はよくそう言っています。
なので、妊活中の私達の事も一切責めず応援してくれています。
そんな母の性格を受け継いだのか、人と比較して云々という考えに疎い点も妊活に限らず全ての物事においてプラスになると感謝しています。
だからこそ余計に申し訳無さが募るというデメリットもありますが、後で後悔しないためにも、年齢的に限界が来るまでは妊活は続けようと夫婦で話し合っています。
どういう結果に終わるかは分かりませんが、妊活にいい事は、すなわち女性の健康に繋がるので、もし二人で生きていく結果になっても、若々しく元気でいられるだろうから、無駄にはならないはずだとプラスに考えて前進していきたいです。
科学の発達した現代では色々な現象を人の意のままに動かせる様になるのが普通と思ってました。
だけど一歩外に出て自然に触れると、そこは人が居なくても勝手に生命が発生し活動している世界が殆どだと分かりました。
人の意識が見たり操れる世界はとても狭いものだと感じられる様になりました。
子供も自然の一部なのかなと思いました。
生後2週間で子供を亡くしました。なやみ苦しみました。何年間も。気がつきました。自分の子供の分たのこどもをたくさ
ん愛して上げたい。苦しみから解放されました。
子どもが欲しいと思うのは生物の本能として当然だけど、
世の中子供がいない、結婚しないという人はたくさんいて、その人たちもみんな前を向いて生きている。
悩むことは誰にだってあり、なにがなんでも子供が欲しいなら行動すればいい。
だけども、子供が欲しい故に愛する人を捨てる選択は違うと思うのなら、
子どもがいなくても愛する人を大事にすればいい。
自分の人生は自分がやったようにしかならない。
子どもがいないと苦しいのは、自分が生きた証が残らないと思うからではないのかな。
一つでもいい、子供がいないなら、それ以外で自分が生きた証を残せばいいと思う。
いつまでも「子供が欲しかったなあ」と思ってしまうのは生き物として仕方ないことだと私は思います。
子供が授からないのは悲しい。
でも、その悲願の子供が、もし重い障害を持って産まれてきたらどうしますか?という問いに一瞬でも言葉が詰まるようでは、親になるのは難しいと僕は思っています。
和尚さんが仰るように、望めば自分の思い通りになると錯覚してる人多い気がします。
日々、事件で逮捕され報道される容疑者も、誰かの子供として生まれてきました。
親になるとは、子供がその容疑者の一人になるかもしれないということです!
こればかりは本当に分かりません。
決して教育や環境、愛情だけの問題ではありません。
@@gdwtjadm さん
確かにね。
安倍元首相を撃った犯人も学生時代は優等生だったみたいだし、サリン事件の犯人の中には、とても優秀なお医者さんもいたみたいで、優秀が故にあんな恐ろしい劇薬を作ってしまって輝かしい経歴が完全にパァになったり…。
それに、事件現場の霞が関周辺は国の機関が集まっていて、そこへ出勤される方は超エリートばかり。
それ故にあんな悲劇に見舞われてしまった…。
9.11同時多発テロで狙われたビルもエリートクラスの職場だったみたいですし。
全ての物事は必ずメリットデメリットがあるという世の習いですね。
私達夫婦もどういう結果に終わるか分かりませんが後で後悔しないためにも年齢的、金銭的に限界が来るまでは続けようと話し合っています。
質問者様へ、、和尚様も仰るようにかなりキツめな処方箋でしたが、ゆえに、質問者様が心配です。どうか、パートナー様に力になってもらってください。その前に、パートナー様とよくよく処方箋を考えてみてくださいね。女性って辛いですよね、焦りますよね。何で?って思いますよね。
生殖医療の進歩って本当に人に幸せをもたらしているのでしょうかね。
本能として子供が強烈に欲しい、結婚できなくても子供は欲しいという時期が女には備わっているのかなと思います。ありがたいことに良い相手に恵まれて結婚しましたが相手も強く望んでいた子供は出来ず。和尚様のおっしゃるように全エネルギー、当時の全財産をかけて不妊治療の限界の年齢まで挑戦しましたが恵まれませんでした。途中から主人はもういい、と言ってくれましたが私が諦めきれませんでした。
ボロボロになり、親戚縁者からも、仕事柄職場でも肩身の狭い思いをし続けました。
でもボロボロになるまで自分はやりきったので心残りはありません。
おかげさまで、それは仕方ない、という境地にいます。
子はかすがい。子は宝。と言われながら、
現在の日本の児童養護施設には3万以上の子供たちが暮らしているといわれています。
生物学的に子を作るのは簡単です。男女が20代のうちに生殖すればいい。
生物として子を作ることと、社会という枠組みの中で親になることは同じではない、のかもしれません。
40代になって子宝に恵まれない人は、本来子育てに奮闘してるはずの若い時期に子を持たず自由を謳歌してたわけですよね。すべきときにせずお一人様を満喫したのだから、そのツケを払うのは当然という考え方もある。
何かを得るためには何かを差し出さねばならない。
我が子を施設に預けた人は様々な事情があり親としての喜びや成長を手放した人。
親失格とか誰が悪いとかの問題ではありません。
人は、欲張ろうとしても、自分の器に入るぶんだけしか幸せを得られないのかもしれませんよ。
日本では戦前まで、子供を他家で育てるとか養子縁組が決して珍しくありませんでした。それはそもそも子供が無事に育つという保証がなかったためで、むしろ貰われた子供は健康に育つとか他家で育つと強い子になると言われたものです。
現代は戦前の家制度の反発からか、家族意識や一族意識が過度に薄まってしまい、極端な実子主義になってしまったようです。
私は母から生理がくれば簡単に妊娠出来ると教えられました。二十代で彼氏が出来ただけで子供が出来たら降ろせと簡単に言われました。結婚してから不妊治療して簡単ではないことを知りました。そして、母は不妊治療を継続してでも子供を望みましたが、私は諦めました。今でも子供を降ろせと言われたことを忘れません。命は重くて偉大だと思います。
わたしは、28歳から、結婚して、家庭を、もつ、夢でした、がんばつてきて、彼氏できず、結婚できず。46歳なつて、産婦人科いつて、産婦人科先生から、46歳年齢だから、無理です。産婦人科先生から、言われて、、子どもは、は、彼氏いないし、結婚する予定もないからいいじやないと、、言われて、わたしは、ずつと、彼氏も、いなくて、好きな人できても、💔失恋ばかり、結婚夢見て、ゼックシ、、結婚の本、かつて、夢を諦めずいて、私は、、親になりたくて、私は、親に孫みせたかつたでした。本当に、悲しくて、💦😭💦かなしかつた、受けとめないと、それが、私の、運命だつたのかも、しれません、知的障害でも、あります。
ミトコンドリアイヴのお話、パラサイトイヴを思い出しました。
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子供は授かり物
子を持ち、くるしんでいます。
楽しくいきるべきです。
不妊症の原因の一つは食だと参政党のTH-camでもよく出てきますよ。
大分の重松ゆうこさんの演説でも不妊治療の方法が何十年前と変わっていないと聞きました。
昔から不妊に悩む人は少なくありませんでした。
豊臣秀吉は子に恵まれず明らかに男性起因の不妊ですし、「嫁して三年子無きは去る」なんて言われたものです。しかしながら戦前までは主家の断絶は一族の恥でしたから遠縁から養子をもらうというのが当たり前だったのです。
現代の不妊の要因は明らかで、出産適齢期である10代後半から20代にかけての結婚が減少し晩婚化が進んだためです。