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「学習机って昭和の子供達にはちょっと贅沢じゃない?」って……昭和というのは1926年12月25日から1989年1月7日まで。このうち高度経済成長期がだいたい1955年頃から1973年頃までで、バブルと呼ばれた時代が1986年の末頃から1991年の2月頃まで。つまり日本が一番豊かだった時代は、ほぼ昭和なんだが???どうも最近の子供は「昭和」というと「戦前」を思い浮かべてしまい、そういう時代が平成になるまで続いていたようなイメージを持っているみたいだが、昭和の後半には電気冷蔵庫もカラーテレビもクーラーも洗濯機も普通に家にあった。
クーラーは今でならば窓エアコンですね。。だけどエアコンだけは平成にようやくです。
学習机が流行ったころ、子供が欲しがる学習机はキャラ物だったらしいです。 蛍光灯、時計、万年暦の付いた机にドラえもんが描かれているとか。親としては微妙な気持ちだったでしょうね。 バブルになるとキャラ物は無くなって、大型本棚等が付属したものがメインになりましたね。
@@kiyumiponto そうそう、高度成長期は学習机はあくまで子供向けのデザインで子供が大きくなったら使い捨てるイメージ。その後に「使い捨て」への反省から長く使える木製の机が主流になっていったのですよね。
@@関根光宏-u9z 昭和生まれです。エアコン、昭和にはもうありました。冷房のみのクーラーなら50年前にはありました。窓エアコンのほうがあとからできたと記憶してます。通常のエアコンはリビングや親の寝室に、安価な窓エアコンは子ども部屋に…って感じでした。意外と豊かだったんですよね…昭和後期って…。
@@はる-s1k8qさん戦前戦中は昭和の1/3以下ですもんね。そりゃスマホも手軽なインターネットもありませんでしたが、昭和の後半30年間は割と豊かでした。
「ちゃぶ台が廃れただと、断固抗議する」 by 星一徹・メトロン星人
レトロ家具といえば広縁に置いてるような低い机と椅子が子供のころ好きでした。いつかあれが似合う家を持つのが夢です。
今だと学習机を置けるような住宅事情じゃなく、文机は椅子の文化に合わせたライティングビューローに置き換わってますね。
冷蔵箱は「三丁目の夕日」を見て初めて存在を知りました。劇中で電気冷蔵庫を購入したことで捨てられた冷蔵箱を見つめる氷屋さんのシーンはせつなかったです。
実家に三面鏡があったなあ。子供の頃、合わせ鏡にして自分の姿がズラーっと並ぶ様子を見て無限という不可解なものに触れた気がした。
私の弟は学習机でなく文机を選んで買ってもらって、今でも家に置いてあります😃
父さんの孫はじいじの手作り学習机
大人数で集まる時は座卓(折りたたみ式もある)を使う家庭は今でも結構多いです。分譲マンションでは、和室付きは多いので。
カラフルな色づかいで安価な3段ボックスの棚「カラーボックス」が人気で自宅にもありました。今でも「カラーボックス」の名称は使われているようですが、ほとんど木目か、白または黒のシンプルなものですね。
初期の集合住宅=団地は、ダイニングとキッチンは別だったように記憶している。リビング=居間=客間は、和室=寝室を使ったり、ダイニングを使ったり。風呂とトイレはダイニングに繋がってたかな。
昭和は62年間もあるから、昭和を一括りにするのは良くない。戦前、戦時中、戦後、高度成長期、昭和後期で、まったく異なるから。
昔の家の方が家としては狭かったです。町屋はともかく、一般的な家庭は平屋が主流でしたし…。ただ、各部屋がふすまで仕切られてるだけだったので、ふすまを開ければ大きな一部屋として使える造りで、真冬でも無い限りは開け放してたので、広々としてました。公営団地などの集合住宅は洋風化の影響なのか造りの問題なのか、全室が壁とドアで区切られてしまってることが多く、そのためとても手狭になってしまいました。あとこういった形で取り上げられる昭和って昭和中期までくらいですよねwバブル全盛期も昭和なんですけど、その頃の話は昭和には入れられてないことが多いです。今とさほど代わり映えがしないからかなぁ?
職人が作った桐箪笥は精度が凄いんですよ。引き戸をゆっくり閉めないと上の観音扉が開いちゃうんですよ。それだけ密閉性が高いんです。表面が汚れても、やすり掛けすればキレイになります。耐久性も抜群。ちなみに箪笥で一棹(さお)って数えます。
箪笥を運ぶ際に棒(棹)に引っ掛けたことから、単位が「棹」になったそうです。
狭めのLDKでは家具調こたつを使うと十分な広さが確保できるダイニングテーブルなんてリサイクルショップでは買取されず粗大ゴミにしかならない
うちはちゃぶ台まだ使ってます😊
文机タイプのパソコンデスク欲しい
テレビも昔は家具扱いだったよな観ない時はレース柄の布をかぶしてたよな
我が家はベルベットの布にふさがついてた。
昭和初期と戦後、団塊、その後、バブルなど昭和は多様。ひとくくりにはできない。
鎖桶とかいうお寺で、よく見かける段々で垂れ下がってるやつ、あれ家庭用のプラスチック製のが玄関外に垂れ下げていたのを80年代くらいには、たまに見かけた、いつの間にか全く見かけなくなった、
母親が三面鏡を持ってたな。合わせ鏡遊びを楽しませてもらったわ。
カラフルポップな棚ってサザエさんのカツオたちの部屋にもあるって思ったの私だけでしょうか?🤔
そもそもサザエさんのもともとの時代そんくらいでしょ画像にもうつってる緑色の小だんすみたいなやつ、うちの実家にもある
着物持ってる人なら桐の箪笥は現役三段ぐらいのやつあるからね。衣装箱も
まだ文机使ってるけどなぁ
何だかアパート、マンションだけを対象にしてないか?一戸建ての家だと文机とか着物箪笥なんて普通にあるだろが。まあ着物箪笥は着物を持てる生活水準がないと無理かもだが。
この人の言ってる昭和って戦前のイメージ?
ちゃぶ台は、らんま1/2で天道あかねが女らんまがプロポーションがいいと言った時にあかねがちゃぶ台で殴った場面が有名。
「学習机って昭和の子供達にはちょっと贅沢じゃない?」って……
昭和というのは1926年12月25日から1989年1月7日まで。
このうち高度経済成長期がだいたい1955年頃から1973年頃までで、バブルと呼ばれた時代が1986年の末頃から1991年の2月頃まで。つまり日本が一番豊かだった時代は、ほぼ昭和なんだが???
どうも最近の子供は「昭和」というと「戦前」を思い浮かべてしまい、そういう時代が平成になるまで続いていたようなイメージを持っているみたいだが、昭和の後半には電気冷蔵庫もカラーテレビもクーラーも洗濯機も普通に家にあった。
クーラーは今でならば窓エアコンですね。。だけどエアコンだけは平成にようやくです。
学習机が流行ったころ、子供が欲しがる学習机はキャラ物だったらしいです。 蛍光灯、時計、万年暦の付いた机にドラえもんが描かれているとか。
親としては微妙な気持ちだったでしょうね。 バブルになるとキャラ物は無くなって、大型本棚等が付属したものがメインになりましたね。
@@kiyumiponto
そうそう、高度成長期は学習机はあくまで子供向けのデザインで子供が大きくなったら使い捨てるイメージ。その後に「使い捨て」への反省から長く使える木製の机が主流になっていったのですよね。
@@関根光宏-u9z 昭和生まれです。エアコン、昭和にはもうありました。冷房のみのクーラーなら50年前にはありました。窓エアコンのほうがあとからできたと記憶してます。通常のエアコンはリビングや親の寝室に、安価な窓エアコンは子ども部屋に…って感じでした。意外と豊かだったんですよね…昭和後期って…。
@@はる-s1k8qさん
戦前戦中は昭和の1/3以下ですもんね。
そりゃスマホも手軽なインターネットもありませんでしたが、昭和の後半30年間は割と豊かでした。
「ちゃぶ台が廃れただと、断固抗議する」 by 星一徹・メトロン星人
レトロ家具といえば広縁に置いてるような低い机と椅子が子供のころ好きでした。
いつかあれが似合う家を持つのが夢です。
今だと学習机を置けるような住宅事情じゃなく、文机は椅子の文化に合わせたライティングビューローに置き換わってますね。
冷蔵箱は「三丁目の夕日」を見て初めて存在を知りました。
劇中で電気冷蔵庫を購入したことで捨てられた冷蔵箱を見つめる氷屋さんのシーンはせつなかったです。
実家に三面鏡があったなあ。子供の頃、合わせ鏡にして自分の姿がズラーっと並ぶ様子を見て無限という不可解なものに触れた気がした。
私の弟は学習机でなく文机を選んで買ってもらって、今でも家に置いてあります😃
父さんの孫は
じいじの
手作り学習机
大人数で集まる時は座卓(折りたたみ式もある)を使う家庭は今でも結構多いです。分譲マンションでは、和室付きは多いので。
カラフルな色づかいで安価な3段ボックスの棚「カラーボックス」が人気で自宅にもありました。
今でも「カラーボックス」の名称は使われているようですが、ほとんど木目か、白または黒のシンプルなものですね。
初期の集合住宅=団地は、ダイニングとキッチンは別だったように記憶している。リビング=居間=客間は、和室=寝室を使ったり、ダイニングを使ったり。風呂とトイレはダイニングに繋がってたかな。
昭和は62年間もあるから、昭和を一括りにするのは良くない。
戦前、戦時中、戦後、高度成長期、昭和後期で、まったく異なるから。
昔の家の方が家としては狭かったです。町屋はともかく、一般的な家庭は平屋が主流でしたし…。ただ、各部屋がふすまで仕切られてるだけだったので、ふすまを開ければ大きな一部屋として使える造りで、真冬でも無い限りは開け放してたので、広々としてました。公営団地などの集合住宅は洋風化の影響なのか造りの問題なのか、全室が壁とドアで区切られてしまってることが多く、そのためとても手狭になってしまいました。あとこういった形で取り上げられる昭和って昭和中期までくらいですよねwバブル全盛期も昭和なんですけど、その頃の話は昭和には入れられてないことが多いです。今とさほど代わり映えがしないからかなぁ?
職人が作った桐箪笥は精度が凄いんですよ。引き戸をゆっくり閉めないと上の観音扉が開いちゃうんですよ。それだけ密閉性が高いんです。
表面が汚れても、やすり掛けすればキレイになります。耐久性も抜群。ちなみに箪笥で一棹(さお)って数えます。
箪笥を運ぶ際に棒(棹)に引っ掛けたことから、単位が「棹」になったそうです。
狭めのLDKでは家具調こたつを使うと十分な広さが確保できる
ダイニングテーブルなんてリサイクルショップでは買取されず粗大ゴミにしかならない
うちはちゃぶ台まだ使ってます😊
文机タイプのパソコンデスク欲しい
テレビも昔は家具扱いだったよな
観ない時はレース柄の布をかぶしてたよな
我が家はベルベットの布にふさがついてた。
昭和初期と戦後、団塊、その後、バブルなど昭和は多様。ひとくくりにはできない。
鎖桶とかいうお寺で、よく見かける段々で垂れ下がってるやつ、
あれ家庭用のプラスチック製のが玄関外に垂れ下げていたのを80年代くらいには、たまに見かけた、いつの間にか全く見かけなくなった、
母親が三面鏡を持ってたな。
合わせ鏡遊びを楽しませてもらったわ。
カラフルポップな棚って
サザエさんのカツオたちの部屋にもあるって思ったの私だけでしょうか?🤔
そもそもサザエさんのもともとの時代そんくらいでしょ
画像にもうつってる緑色の小だんすみたいなやつ、うちの実家にもある
着物持ってる人なら桐の箪笥は現役
三段ぐらいのやつあるからね。衣装箱も
まだ文机使ってるけどなぁ
何だかアパート、マンションだけを対象にしてないか?一戸建ての家だと文机とか着物箪笥なんて普通にあるだろが。まあ着物箪笥は着物を持てる生活水準がないと無理かもだが。
この人の言ってる昭和って戦前のイメージ?
ちゃぶ台は、らんま1/2で天道あかねが女らんまがプロポーションがいいと言った時にあかねがちゃぶ台で殴った場面が有名。