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正しく言うと「実在しない」は間違いで「状態が確率でしか確定していない」と言うべきことです。
たしかになるほど‼️
私は物理学者ですが、このスプリットの話を聞いた時、まずは 論文が破綻してることに気がつきました。まずなぜ最初に2つの穴を作ったのか?その意図を説明していないということです。そして 決定的なのは観測した時に現れるのかどうかは、自分以外のもう一人のものに黙って観測機 を押してもらう、その時 どう見えるかを実験するはずです。ましてや 論文を書いているのは賢い 科学者自分の論文を信じて欲しいのなら、そのために必要なことは記述するはずです。そこを記述していないという時点で、私はお化けを見たとか私は UFO を見たとあまり変わらないお話になってしまうこれが結論です
その通りだと思っています。私は電子を発射したのか、波を発射したのかも議論すべきだと思います。私は、この不思議を完全に説明できます。
現在、光子に何ら影響を与えずに経路を検出する方法は無いはずです。光子の経路を検出するために、二つのスリットを通過する際に、スリットで反対方向に光子を偏光させることで経路を測定する、広島大学の方法などが報告されていますが、偏光板(素子)を通過した時点で光子にモーメンタムを与えている訳で、これでは、本来の二重スリット実験で起こる波の性質が消されてしまう事になります。 では、何故光子が粒子と波動の二つの性質を示すのか?というのは、量子振動論によれば、「光子は三次元空間というエネルギー場における、粒子状のエネルギー準位の振動体であり、自身がエネルギー準位振動する事で周囲のエネルギー場にエネルギー準位の波を形成しており、一振動から次の振動への光子の移動は、エネルギー場におけるエネルギー準位の波と、光子自身のエネルギー準位振動とが最も調和する(+/ーエネルギーを打ち消すような)位置に、不連続で移動するからである」という事になります。
自分の中で、二重スリット実験で[勘違い]が実在したのか否かについて考えさせられる深い話でした。動画的に、まず投稿主が[何を勘違いしていて本書から何を知ったのか]を聞きたかったっすね
観測方法が無数にある場合は一つの結果に。観測方法がないなら、無数の結果になる。っていう、観測する側とされる側の関係が好きです。お互いを足し引き掛割の計算してみたら、答えは一緒みたいなところが。
20:40 二重スリット実験は200年前からあって進化してきた。21:12 現実や世界の実在 を物理学者が論争した。24:55神がサイコロを振っているかはまだわからない。という点がよくわかりませんでした。物理学者は現実や世界の実在は別に疑っておらず、観測によって物理的対象の性質が変化するなんてことがあるかということを論争したというならわかる気がします。確率解釈を物理学者たちが受け入れているなら神がサイコロを振っていることは認められてる気はします。
本動画で言う観察(おそらく観測を指す)は現代の量子力学では「誤解を招かぬよう」非常にセンシティブに取り扱います。また、アインシュタイン/ボーア論争の後の話しを取り上げていない為に、結論が未だ決着せずに止まっているという本動画の話しは少々残念です。その後、量子力学は躍進し一様の結論と方向性で収束してます
興味津々で拝聴しました。といっても頭がパニックてます。忘れないうちに疑問を述べますのでどなたかお答え願います。【くだらない質問、聞き漏らした内容でしたらごめんなさい】「光は粒か波か」という「粒」と「波」でしか考えなくて良いという点を教えてください。よろしくお願いします。
コメントありがとうございます😊粒と波でしか考えなくて良いかどうかは、正直わかりません。人類が分かってる範囲でしか見てない・考えていない、のかもしれませんね…他の可能性はありそうですか?よかったら教えてください✨
シンプリィライフさんの気付きとは、 27:00④実在とは何か?で言っている事なんだと思う。27:00 ここから私が感じとったのは、量子力学で言う実在の有無について「未解明であり、現在も研究中である」という点から、現実は存在していないと決めつけてはならないと感じた。私自身も二重スリット実験についてある程度理解したつもりになっていたが、この動画によって「量子力学的に存在の有無は未解決問題であり、主張は予想でしかない。」という点を忘れていた事に気付かされた。そして、ここから感想。「決めつけをするから答えへの道を閉ざしてしまう」と感じた。アインシュタインが特殊相対性理論を考案したのはまだ若く、26歳の時であることから、ルーキーにもチャンスはあり、難解な問題でも先輩や専門家に委ねるだけではなく、自分で考える事が大切であるという事。ルーキーである事は強みでもあり、業界の常識に囚われない多角的な見方ができる利点もある。だから問題に対して常に新鮮な気持ちで考える事が必要で、そういう姿勢が新たな気付きをもたらしてくれるのだなと思った。
いつもありがとうございます✨私は解釈まみれの人間で、事実を正しく観察できていないと悟りました。まず事実を視ること。事実と解釈を完全に分けて、情報を集めること。そのうえで、解釈を展開すること。「決めつけをするから答えへの道を閉ざしてしまう」決めつけとは「勝手な解釈」のことだと思いました。この言葉は、解釈まみれの私に事実を視ることの大切さを教えてくれました。ありがとうございました!
二重スリット問題では観測していない時は波で、している時は粒子になる。理由は分かっていない。量子もつれは光速を超えて瞬時に伝わる、テレポーテーションが確認されました。2018年のことです。これで量子通信、量子暗号、量子コンピュータ−などが実用化される事がはっきりとしてきた。これはアインシュタインが間違っていたという大変な科学上の跳躍を成し遂げたということだ。我々の宇宙は二次元の絵をホログラムで見ているようなものらしい。
あれれ、いまだに粒か波か?などという超古典的な量子力学が一般世界では疑問になっている様子。すでに量子論は場の量子論へと進化し、粒か波かという二者択一で言えば波のようなもの、という結論になっている、というのがスタンダードな研究最前線だと思います。波の空間的な密集化が粒として誤解されているだけです。観測するかしないかとは、観測装置の系への干渉であると結論されています。なので、観察しようがしまいが光は粒ではなく、波のようなもの、その波が時空的に密集している状態が粒のようなものとして理解され、それが端的に粒と誤解されているだけです。その意味では観察しようがしまいが、光は波動的なものとして実在しつづけています。この手の議論は天動説と地動説の争いに似ていて、いまでは常識的には地動説が正しいとされていますが、アインシュタインの相対性原理が正しいとすれば、太陽が固定点で地球がその周りをまわっているというのは、その方が分かりやすいというだけです。その固定点である太陽すら高速で宇宙空間を走っているともいえ、太陽が属する天の川銀河自体も宇宙空間を高速で移動しています。運動における絶対空間は存在しないというアインシュタインの相対論にしたがえば、地球が暫定的中心でその周りを太陽がまわっていても構わない。もしかすると天の川銀河を含めた銀河団の中心が地球かもしれず、銀河団の全ての星は地球の周りをまわっているかもしれません。きつい話になりますが、粒か波か、実在はかんさつまえにあるかどうか、というテーマはすでに解決済みのテーマです。したがって、その二極対立を前提としたあらゆる信念的な心情はある意味、過去のものだと思います。発展的にこの議論をふかめるのであれば、存在とは何か、無とはなにか、という南部陽一郎さんの対称性の自発的破れ理論以降に成立している知のパラダイム理解へと常識を進化させていくことだろうと思います。もし観察する前には宇宙ないというのであれば、その「ない」という無の定義はなにか。南部チックに言えば、対称性という無が自発的に破れて、観察結果としての存在物が観察可能になっている、という表現がよりリアルだろうと思います。
コメントありがとうございます😭勉強不足です!次のステップに進みたいと思います!ありがとうございます。
サムネのウソでした、の意味がわかりません。
同意。
@@JOHNSMITH-he3pb ありがとうございます。
量子もつれを利用したのが量子通信。重ね合わせの状態を利用したのが量子コンピュータ。もう勝負はついてると思う。
量子コンピューターはエラーが多発しています。要は確率論でしかなく、状況によってエラーが発生して正しい答えが導きだせません。
サムネを見て中を見てみたんだけど、結局「嘘でした」って説明ありました?
最後の最後にメンシプに勧誘するの草
目新しい話が何もなく、昔の実験の解説に終始、残念な内容でした
結局、科学的知見も最後は「信念」に行き着く。私は知っている、ではなく、私は信じている。例えば、今立っている地面が次の瞬間もそこにあるのか、という問いには確実な答えはない。ただ、これまで1度もなくなったことはないので、恐らく次の瞬間もあるだろうと「信じる」のが一番自然に思えるだけだ。しかしどれだけ過去の事実を観察しようと、今後も同じ事が起きる保証はどこにもない以上、100%の予測ではない。だから結局最後は、どの考えが自分にとって一番しっくりくるか、感覚的に本当らしく感じるものを「信じる」しかない。科学的な知見も、究極まで突き詰めると、理詰めで「知っている」のではなく、感覚で「信じる」ところに行き着く。実在論、反実在論の科学者たちも、最後は自分にもっともしっくりくる説を「信じる」のは、ごく当たり前に思える。
コペンハーゲン解釈と多世界解釈、まさに二重性。同じ様な事は、数と演算の関係で、個の数を数える概念の問題ととらえるか、数空間の点間の写像と捉えるか?の二重性。また、多数の『個』の集合が単一『全体』と言う個と全体の概念の二重性。また、個のニューロンは全体の意識をつくれるのか?ボトムアップとトップダウンが一致する時とは?スタンドアローンコンプレックス、個別の複合体とは?いずれも、無限や時間、空間、が関係してくる概念。果たしてその解釈は人間の限界による間違いか?考えると(思うと)寝られなくなる。(笑)
え、何言ってるの。勘違いじゃない
光粒子1個で観光できるフィルム?その変化しやすい状態の物質に起こっている現象の信用性とかそういうのが気になって整理が追いつかなくて困ってしまいます。
いわゆる素粒子の位置は確率でしか観測できる位置が計算できないのは、基本的に波であり観測に反応する状態が量子・粒子化なので、波動方程式からして波じゃん
無重力状態で二重スリット実験を行ってもらいたいな😮
二重スリット実験が行なわれた証拠や当時の再現実験はあるのでしょうか?
二つのスリットの間隔(微小距離)について言及していないのが気になります。そして、スリットの物理的幅も。そして、光子銃の左右の振動はないのかについても。
ひとつの真実に辿り着きました。主が神はサイコロを振る振らないという言葉が好きで言いたいという事が。
ある物理条件には粒子ある物理条件では波粒子は波が渦の状態絶対座標、ここからは無い→ここまでも無い認識器官は自然を全て反映しない真空はエネルギーの基底状態→認識出来ないが存在する認識器官の在り方の問題見たものがそのまま自然ではない地動説、エネルギー保存則光速度一定の原理はここからは存在しないということ自然は運動するエネルギーの濃淡の海親和反発してまた違う濃淡を生成する過程
自然は無矛盾対象は矛盾したら理解不能粒子波という否定関係は無い静止が運動の一形態であるように科学は認識の在り方を相対化してきた観測問題もその一つ不確定性原理も運動を静止で規定するから認識はその在り方で自然を反映する測定値もまたそのままでは有り得ない
光速度一定の原理は静止がないということならば自然は運動するエネルギーの濃淡の海静止は運動の一形態が認識に結ぶ像見たものがそのままの自然ではない
無が有るなら対象は矛盾理解不能自然は無矛盾で理解可能
有る、という前提が否定されるつまり無が有るということは出来ない
この世界は、波でできている。素粒子よりも小さく星よりも大きな大小様々な波が、干渉し合いながら、ある時は通り抜け、ある時は閉じ込められ、閉じ込められた大小様々な無数の波は、お互いが引合い、成長し、形作り、世界を形成して行く…
光子はモノではないので、撮影(検出も含む)できません。カメラのレンズを通った光子のみ検出できるのではないでしょうか?
そんなことは無視して良い。我々の日常生活はニュートン力学の世界から外には出られない!
13:58 、いやいや…いやいやいやいや…って誰もが思うよな。同時に通過してない光子が干渉する、しかも監視しない時に。ワケわからん。
問題は光子の経路を観測するには、光子に何らかの相互作用を与えざる負えない。つまり光子の経路を変えてしまうということ。もう一つは、認識とは誰(何)が認識したことを意味するのかということです。観測結果をコンピュータに記録したが、その結果を誰も見ないで消してしまった場合に、それを認識と言えるのか?観測結果をサルが見た場合はどうなのか?観測結果を知っている人にっとては実在でも、それを知らない人にとっては実在しないのか?
あと生命学から言わせてもらえれば、存在の意味ですが、他に 何も影響を及ぼさないのなら存在していても存在の意味はありません。しかし 自分に対して対象物が現れ、そのものに少しでも自分が影響を及ぼすようになればその時 存在したと言えます。はやい 話が、存在はしているのですが影響を及ぼす 対象物がいなくなった時そのものは 動きを止め 思考も停止するということですこれは生と死を意味しますもしも私が死んだ時周りのものからすれば私はいなくなったということになりますしかし私自身の感覚では周りが突然いなくなったということになります私が影響を及ぼす相手がいなくなったのですからとりあえず 私は思考を停止し動くのもやめたということですそして いずれ 対象物、わかりやすく言えば 生まれ変わった時、私は人間だとしたら時間というものを概念としてもち、自我というものが目覚めまた思考を働かせだし動き出すのです。
何が勘違いなのか?昔から言われてることと同じだが
そうですね、残念ながら新情報はなかったですね😅
新情報が無いどころかむしろ古い考え方でしたね。量子は波でも粒子でもない何かと表現するのが一般的なのに、この動画ではその2つの状態が切り替わって粒子になる(=実在)みたいに言ってるところが古いですね。粒子ではない「何か」が粒子と同じに見えるとしたら、どんな計算になるのか?と言ってるのが量子力学です。「何か」=粒子というこの動画の考え方は古すぎる、と言うか間違いですね。
そもそもスクリーンに浮かび上がる点は、人間が点に見えると言ってるだけで点でも粒子でもない。もしそれが本当に点だと言うなら大きさが無いはずなのでスクリーンには何も浮かび上がらないはずです。つまり、粒子ではない「何か」が小さな範囲に縮まってるだけです。その縮まった状態が粒子と同じ振る舞いをしてるように「見えるだけ」と考えるのが合理的です。その「粒子ではない何か」が「粒子に見えるだけ」の仕組みを説明するための計算が量子力学です。
@@虎崎衛門-w2pあなたの言っている「点」とは数学上の概念ではないですか?数学の点は思考の中に存在するだけですから謂わば無です。しかし光子による実験で用いられている点という言葉は光子を別の表現で述べただけですから無ではないと思いますけどね。
@@kyomosamui 原子の大きさは何ですか?素粒子の大きさは何ですか?と聞かれて答えられませんよね。それと同じですよ。二重スリット実験が言ってる「粒子」も同じです。そもそも何をもってそれを粒子と定義づけてるのか?誰も答えられませんよね。
自分が実際に見る世界が世界の全て
その本人が、ああそうかと思った世界が全て、一人一宇宙、70億通りの宇宙がある。
光は粒子でありそしてその動きは螺旋であるそれを点で観測すれば粒子に見え二次元で観測すれば波に見えるだが3次元ではその動きは螺旋である観測自体が物理的干渉になるからそうふるまってるように見えるだけじゃね?w観測するか?しないか?で振る舞いがかわるのではなく観測方法によって振る舞いがかわる(かわってみえる)のだと思うだから観測技術が今後発展すればこの問題の結論が出て解決できると思う
観測する位置をスリットに近いところから写真乾板の方へと移動させた場合、実験結果に何か影響はあるのでしょうか?誰かが、スリットに近い時はスリットの形の点の集合体、写真乾板に近づくに従って干渉縞がだんだん混じって現れてくると言ってたけど、これ本当?
カントは"観測したところでそれは感覚を通したものでしかない"と言ってた
波なら、スリットが一つでも分散するような気がします。
二重スリット実験、面白いです! 検出器の代わりに偏光回転素子を使ったという広島大の実験結果についての考察もぜひ…😊
観測無しで無心でボーッと歩いてると過去に観察もした事が無いそこにあった言う記憶も無い電柱に打つかるのは何故⁉️存在しない筈なんだけど‼️
こんばんは😊楽しみにしていました!
sanaeさん!いつもありがとうございます✨
11:03 ここ誤りですね。一本の帯が現れるのではなく、片方のスリットを塞ぐ前に、縞が広がっていた範囲に、回折によって広がったボヤーとした縞のない広がりになります。回折なしに縞模様はできません。この手の誤りが他の動画でも多くてうんざりします。
この実験を違う水晶発振器で作った光子発射装置を交互に打ち出すと干渉縞が出来るかな?
楽しい時間でした。とても分かりやすく解説下さり、良く分かったような、でも私にはやっぱり分からないような😅(申し訳ありません😅)いつの日にかまた新しい検証がされていくのですね。知らない事を知っていく楽しさ❤これからも知的好奇心をくすぐる楽しい動画を楽しみにしています。今日もありがとうございました❤
いつもありがとうございます😊楽しく学べる動画、作っていきます!
光子を一個づつ発射する実験でスリットのどちらを通るか観察ということですが、そもそもどこに向けて発射してるんすか?あと観察なしで(時間をおいて)一個づつ発射して次第に干渉縞ができるってことは、時間を超えて波が干渉してるということなの??ムズすぎてわからん
なんだよ 論点がブレてないようが無い 結局前と同じじゃんか!
俺が学校で学んだ講義では光量子は粒ではなくて短い糸コンニャクの様な姿だと聞いたけどな。だから粒の様にも、波の様にも振る舞うので、光電子効果も二重スリット干渉効果も起こると教師が説明して俺も納得してたんだが、現在でも不確定なんだね。銀河系がなぜ゛一定の速度で回転しているのかも解らないし、ダークエネルギーも解らない現代物理学の現状を打破するような新たな物理学の誕生が待たれる。その高度な物理学レベルでは大統一理論なんて解りきった過去の話なんだろうね。俺の生きている期間では無理だけど。
観測すれば不本意なものばかりという事は実在するんじゃないかな。あるいは自分が知らないものがあったり、その中にたまに希望もあったり。
波はエネルギープラマイ0になる干渉だけど、光子は到達位置の分布なだけだよ実験結果の先入観のイメージに左右されすぎ
光の発射装置と二重スリットの間に観測装置(一台でも二台でも構わない)を置いて、On Off と切り替える実験はないのですか? それと、光を粒子として発射させる装置があったとしても、発射装置から出た瞬間から二重スリットに到達するまでの期間(時間的流れの中)の光は、粒子(つぶ)なのか波動(なみ)なのか? それを確定できないというのが量子効果と言うものではないですか? もしこの期間での光が波であるとすれば両スリットを同時に通過するし、その両スリットを通過した波は、波紋の広がりのため通過後に干渉現象を起こすのは当然のことで、何の不思議もありません。 本を読んでいないので、確かなことは言えないのですが、干渉を起こしたとされる感光版上の模様は本当に「粒(つぶ)」の集合なのでしょうか? それを「光の束(エネルギーもしくは情報の束)」の痕跡と見る見方もあるのではないでしょうか? この「光の束(エネルギーの集合)」はパケット(packet)であって、「光子」という粒子(perticls)ではないと思うのですが、その辺の概念定義が曖昧な感じがします。 これは何もシンプリィライフさんだけの問題ではなく、物理学用語の使い方全体に言えることです。例えば、シンプリィライフさんの「実在」 vs. 「反実在」の構図も、厳密にいえば「局所的実在性」(アインシュタインの相対論の前提:locality)vs.「非局所的遍在性 or 非局所的相関性」(量子論の〈量子もつれ〉の前提:non-locality)となり、この2つの前提概念は、もっと突き詰めた考察が必要になって来ると考えます。最後に余談ですが、「神はサイコロを振らない」と言うアインシュタインの言説は、聖書を読む限り真実ではないような気がします。 なぜって、神はサイコロではないですが、重大なことを決める際、人間に時々『くじ引き』をさせているからです。 量子論的確率論で説明出来るかどうか分かりませんが「くじ引き」もどう考えても決定論ではないですよね。
クリアな説明で。頭が整理できます。 Thank you! ❣量子消しゴム実験もすごいですよね。
何か、真新しい実験結果かと思いきや、古臭い何の変哲もない二重スリット実験結果。どう言う事?
いつも分かりやすい動画を投稿して下さりありがとうございます。ただ一点、気になる事があります。たまにですが、文の長さが非常に長い時があります。そこだけ聞いて分かりにくいと私は感じました。
教えてくださりありがとうございます。非常に参考になるご意見でした。
200年前のこの実験はよく聞きますけど、現在でも最新の機器を使って真実を解明しようとしているのでしょうか。特に観測機器のON/OFFで結果が変わる件は観測機器の影響があるとしか思えません。
「アシュタール宇宙の真実 77のディスクロージャー」
最初の結論と最後の結論が違いませんか?
ただ科学で説明しきれないだけですね。まだ地球は平らで宇宙の中心にある時の科学も否定されると有り得ない現実だったのでしょう。でも、今の量子力学はつきせまるところに来てるのでしょうね。目をつぶって思い当たるコンビニは存在するのでしょうか?目の前の息子は脳(それ以外)が作り出した物なのでしょうか?とても考えさせられる配信でした。いつもありがとうございます!
コメントありがとうございます!科学はいつか、すべてを説明できるようになるのでしょうかね...すべてが論理的に説明できてしまう世界は、どんなものなんだろう。考えさせられました。ありがとうございました✨
光としか言っていないように思えるが、この光は単一波長のレーザー光でも良いのか、あるいはレーザー光を指しているのか?二重スリット実験ってレーザー光でを使った時でも干渉縞が現れるのかな?
観測っていうと素人からすると人間を意識しちゃうけど、相互作用のことと解釈していいんですかね 程度の違いはあるが雷がとる軌道がどうなるかってのと似た話?
「うそでした」とか「9割が勘違い」というのは、何ですかね?実はまだ結論はついていないということを言いたかったのでしょうか。60年以上前から世界中の頭の良い科学者が実験を繰り返してきた事なので、私のような素人が考えても意味がないのかもしれませんが、いつもこの話を聞いて❓と思うのは、①BBであれば物理的な法則に則って真っ直ぐ球は飛んで行く。だからスリットを通過させるためにはあらかじめ、どちらのスリットを通すのか狙いを定めて飛ばす必要がある。でも、それが光子の話となると最初からどちらのスリットに通すのか何の前提もなく、やみくもに発射している様な表現となり、後から「どちらを通ったのか?を確かめる為、観測装置を云々」となる。なんで?実際の実験ではスリット間の幅はものすごく狭いと読んだことがあるけど、そのため?それでも納得はいかないけど。②光子をひとつずつ発射するのだとすれば時間差が生じるので、互いに干渉し合うという考え方がそもそも正しいのか?1発打って1年後にまた1発打ってを繰り返しても干渉するの?干渉縞ができるから光子が互いに干渉しているんだと結論付けているように思えるけど、その時間差について解説してくれる説明を見たことがない。結局、紹介してくれてる本などを真剣に読まないと分からないのかなぁ?😂
①はレーザーでさえ、拡がりがあること。不確定性原理により進行方向に直角の方向にも運動量が存在するためにある程度までしか収束させれないから。だと思います。二重スリットの壁?に衝突している光子もきっとあるのでしょう。実験には影響ないから排除されていると想像できます。②はそもそもの実験が光子がスクリーンに当たってから、次を発射している。ここでは二重スリットに『一つ』の光子が両方を通過したかのように干渉するからこその波動性です。しかも発射時と衝突時には粒子性を示していることから不思議なんでしょう。他の光子と時間差で干渉しているということではありません。動画の④番の光子の観測(観察?)の実験は多分ないと思うんだけど。以前偏光させてどちらを通ったかというのは聞いたことがあるのだが、そもそも「ー」と「|」では干渉しないから意味のない実験です。電子の場合であれば、どちらかを通ったという観測がしやすいが、影響が大きいために可干渉性がなくなるでしょう。(ついでの動画の感想)
貴方が科学者になった方がよかったですね。この実験の解釈は、間違いだらけです。そもそも、その壁に当たったとされる光子が発射した光子かどうかも検証されていない。どのスリットを通ったかさえも分からないのだから、そんなことも検証できないのでしょう。それで、理論を立てるなんて無茶苦茶。
量子力学の一部と観測効果は、かなりウソ臭い。ちなみにシングルスリットでも干渉縞は出てきます。
自分でやってみて。レーザーは簡単に手に入る。それとシングルスリット自作して。私はびっくりしたよ。
メンバーシップ動画を見ないとわかんない。😢
これねまず 脳の認識に頼るという観察の方法に依存している内は永遠に解釈の域を出ない
脳を構成する量子と相互作用するんだよ。
観測するには光を当てなければならず、光を当てると対象に影響を及ぼす、それだけの話です。スピリチュアル界隈でよく見かける「量子論が証明!意識が現実を変える」みたいなのは大いなる勘違いですね。
観測した瞬間確定する状態が確率的に分布しているというという現実があると思えば良い。
人間が見て来たもの(波、粒子)とたぶん違う形態。強引にどちらかの形態に重ねて考えるのがおかしい。
どうも人間は自分たちが能力が高いと思っているみたいだ。例えばコンピュータの能力が低いとこちらが見る直前に表示するとか。でもこの宇宙のあらゆるところには、情報があって、例えばそれを能力の低い人間が見た瞬間に存在するように見えるってこと。つまり能力の高い宇宙はすべてが実在している。あとはそれを捉えるもの-人とか動物とかカメラとか-の能力により受取って感じるのレベルが違うってこと。つまり光は波動であって粒子でもある。こちらの状態によって-観察するとか-見え方や感じ方が違うってこと。量子力学とかほとんど知らない個人的な意見です。
観察していようと、していまいと、スリットに有限の幅がある故、電子はその壁に当たり、結果として干渉縞が現れます。
論文を書いた。って言う事も観測的に言うなら物理的に変化を加えている訳で、その論文に事実が寄っていく世界線があるって事でしょう?
「観測するまで、存在しているかどうかは解らない。」は本当だったという実験結果が得られたと発表されていました。ので、この件は決着ついているはずです。これについては個人的にはそうだろうなとしか思わなかった。 そこに物があって、何もしなければずっとあるというのは全人類共通なので、観測しなくても物はそこにあると考えがちですが、これは脳が記憶しているのでそう感じられると言うことで、実際の物理現象を反映されていないと思う。見たときに初めて物があると関知できるわけで、見ていないときは関知していないので存在していないことになるはずなのに、記憶という脳の機能によって、見ていないときにもそこにあると錯覚起こしているに過ぎないと思います。量子力学においては、物理現象なのか、脳の機能から来る錯覚なのかを区別する必要があると思います。物理的に言えば、目で見た時は、物から反射された、もしくは発した光子と目の光受容細胞と相互作用が発生しますが、見ていないときはこの相互作用が発生しません。なので、見ていないときは存在しないと言えると思います。・・・・と個人的には解釈しています。本当かどうか知らんけど、自分を納得させるのには十分説明なので。
一人でいるときは、そうかもしれないが大勢でいるときは、どうなんですかね。自分から見えていない場所は、存在していないのですか?上を向いて歩いていたときに穴に落ちたときは、存在しないものに落ちたのでしょうか。
@@caesarian_naney 多数の人が居た場合って、どうなんだろ?個人的には、他人全てが自分を見ていない場合は、存在があやふやになると思う。一人でも見ていたら確定されると思う。後者は、本人は存在しない物に落ちたという事になるのかな? というのはおかしいので、多分、穴が人工物の場合、既にあなと穴を掘った人との間に相互作用があるので、此の時点で穴の存在は確定されている。穴と歩いている人との間に因果関係はないので、穴と歩いている人だけ考えれば「穴は存在していない」ということで、歩いている人の視点では、いきなり落ちた、落ちる瞬間まで「穴は存在しなかった」落ちた瞬間「落ちている」ことは理解出来ると思う。で第3者から見れば穴に落ちた。と因果関係があるのかで見方が変わるのかな?前者は少しだけ自信があるけれど、後者は自分で書いて置いて、「どんな言い訳してるんだよ。」と自分でもこの場限りのでっち上げにしか思えない。この辺は専門家に聞くしかないと思う。
脳は、脳を目で見ない限り、存在していないのでしょうか?
@@chibikuro-channel 多分知りたい答えとは違うと思いますが、人以外の生物は自分に"脳"があるとは思ってい無いだろうけれど、存在は確定されていると思います。勘違いして欲しくないのは、この観測というのは相互作用が発生するかどうかの問題なので、見ていなくても、何らかの相互作用が発生すれば「観測」したのと同じと言うことです。脳という組織が多数の細胞で構成されている時点で、相互作用、すなわちこの場合だと電子の動きが発生しているので存在していると思います。まあもっと詳しい人に聞かないと量子力学屋さんがどう考えているのかはわかりませんが、それほど明後日の方には向いていないとは思います。
@@caesarian_naney 「大勢でいるとき」の「大勢=本人以外の観測・意識」を認識観測しているのも、結局本人の脳・意識ですから。他の観測者がいるかいないかを明かさずに観測すると、また違った実験結果が出てくるかもしれません。二重スリット実験で光路観測装置の存在を知らせずに実験させるとか。上を向いていて穴に落ちたとき、穴に落ちたと脳が認識すれば穴は存在し、穴に落ちたことを認識しなければ穴は存在しない、でいいのではないでしょうか。
二重スリット実験で光子を打つときの間隔を1年に一粒にしても干渉縞って出るんですよね??ふしぎやなあ
ありがとうございました。
いやぁ、タイトル詐欺のきがしてならないのだが、、、、
光子の通過を観測する検知器てどういう仕組みなんやろ
未来は確率的に実在している。確定していないだけ。過去は一意的に、確定的に、実在している。
結局観測された場合なぜ粒子になるのか説明されていない
難しい😢
そもそも観測とは、光の反射からしか見えないし、光子に光子をぶつけて観測するのだから検出そのものが不可能なので、答えは出ないと思う。
後半のスピった決めつけの妄想はいいとして、二重スリット実験の観測機なんてそもそも無くない?
二重スリット実験は電子でもされていると思いましたが…
だまし絵、じっと見つめているとアッと気付く二重性。どっちが実在か、実在そのものが実在するのか・・・
いつも思うのですが、光が粒子であり質量があるのであれば、重力を持ちますよね。なら複数の光子間で干渉が起こって軌道が乱れる、という問題は検証されているのでしょうか?「光子を一つずつ観測して」と言っても、言い換えれば「観測できる量にまで制限して」となるはずですから、その場合相互干渉が行われる絶対質量の閾下に留まってしまい、結果光子は直進した、と。「観測したら粒子として振舞い、観測を止めたら波として振舞った」というより、「観測可能な量まで絶対数を制限したら、波としての振る舞いを止めた」という可能性は、どの程度検証されているのでしょうか? というか人間の技術力は、それを追求できるレベルに達しているのでしょうか?
コメント失礼します!14:07 他の光子が干渉しない、光子1個ずつ飛ばした場合でも干渉縞が現れてるので、光は波の性質になっていると言えると思います。また、もし光子同士が干渉し合ってる場合ランダムにスクリーンに当たると思われるので、縞模様にはならないと思います。
>光が粒子であり質量があるのであれば、重力を持ちますよね。いいえ。光は無質量です
監視カメラつけたときにスリットになったのは、光子のエネルギーが監視カメラに干渉したせいで、干渉縞が消えたからじゃね?物理的に接触したというより、エネルギーがスリットや空気を伝播して結果的に干渉したんじゃねぇの?😃
初めて聞いた最小構成量子の話と同じには思えたけど「科学は諦めたらおしまい、まだまだ研修者たちは真理追求を諦めてはいませんよ」って付け加えているってことですかね?逆に、なぜ20世紀、21世紀と、科学は神の存在への否定、目に見えないものの否定や命の中にある神秘についての否定に、力を入れ続けているのかがりしたいなあと思いました。それらが融合たものが宇宙な気がします。何しろこうして皆が生きている事自体がありえない世界なのですから。
私の感想です。学べる段階があるんでしょうね。人の前提には理解できないモノは信用出来ないという思いがあって、立証や解明が比較的容易な部分が先に研究された。そして、立証出来ない部分が残り、改めて神秘的な部分と向き合わなくてはならなくなった。このように感じます。
皆が存在してる事じたい有り得ないくらい不思議な事。この感覚を持ってる人は少ないね。偉大な哲学者の殆どが持ってただろうが。
量子の振る舞いは観察で変化する。それはアインシュタインも認めた…70年前に確定した事を否定する根拠が意味不明
現象自体は変わらないから言葉による表現の欠陥の問題でしょう。言葉で全てを表現することは出来ないので。
光子一個一個の二重スリット実験ではなく、電子一個一個を飛ばしての二重スリット実験だと思ったけどなぁ?クウオンタムイレーサーの実験まで出てくるとうp主がどう説明するか楽しみだったのに(・・;)
2000年以上前に、仏陀、龍樹が空を提起しています。これは、非実在であり、素粒子と原理的に同じものです。拙書「仏陀・龍樹にノーベル特別賞!を」参照。
宇宙は1+1=2じゃない。
論争の行方はともかく、サムネ詐欺はよろしくない。
と書いたけど、サムネよ~く見ると、時間表示で隠れてる部分に「?」があったのね。タイトル詐欺が許されるのは東スポ(大スポ)だけ。
反実在の定義が不明。量子力学は実在している。
二重スリット事件
ウソという証明論文を提出して認められればノーベル賞ものですよ。
アインシュタインって矛盾してますね。神はサイコロ振らないと言いながら神は存在しないと言ってました。じゃあ、神じゃない何かがサイコロ振ってるのか?それとも振ってないのか?
素粒子は消えては再生されるから実在はないですよね。万物はエネルギーや時間と共に変化するのですよね。
1920年に、電子銃🔫は、アツタのか。いつこの実けんは、いつ行われたか。
四句分別では、1. これは粒子である。2. これは波動である。3. これは粒子で波動である。4. これは粒子でなく波動でもない。二元論排中律では、1, 2 に限定する。現実には、3, 4 もあるということ。
今回、初めて視聴させていただきましたが、決めつけをしないで色々な可能性を考慮するという流れが大変面白かったです。量子力学の謎は興味深いですね。以下は私が考えている量子の世界のイメージですが、お時間有るときにでもご一読ください。1.二重スリット実験の話光子の着弾地点を観測というのは勿論、到達した光子そのものを観測ではなく「光子が持つエネルギーが着弾面表面地点付近に有る多數の分子の状態を変化させ、肉眼で見える(量子的には)巨大な痕跡を残したのを観測している」ですね。つまり人類は何らかの観測を行う場合は統計的に多い/少ないの区別により「観測結果が得られた」としている訳です。これは些細な違いに見えるかもしれませんが、この違いは後述するように重要です。2.時間の話宇宙全体のある瞬間の情報を詰め込んだ極小のドットというものを想像してみましょう。そのドットは勿論ただ一つに限られる理由はなく、それこそ無限にドットがある(実在という意味ではありません)はずですね。この無限にドットがある領域を仮にドット領域と呼ぶことにします。物理学では時間を扱い、時間の経過とともに系の状態が変化しうることが理論の前提となっています。では時間の経過とは、先程のドット領域で、あるドットから他のドットへの遷移なのでしょうか? → 疑問1遷移だとすると、一回の遷移がプランク時間相当なのでしょうか? → 疑問2次に気なるのは、遷移先はどうやって決まるのか?ではないでしょうか? → 疑問3遷移先は遷移確率または何らかの方向付けによって決まるのでしょうか? → 疑問4上記疑問1〜4は、遷移が有ることを想定したものです。私は実際には遷移でなく、統計的に十分識別出来るものを観測したと見なしているのだと考えています。では統計的な識別とは何でしょうか?すぐに思い付くのは、膨大な回数のトライを繰り返して、観測結果(サイコロの目、とか)を分類・カウントしてそれぞれの観測結果の比率を比較し、比率が高いものを結果とする方法ですね。しかしこの方法には根本的に大きな問題があります。まず、膨大な回数のトライが誰によって行われているのでしょうか?更にその集計結果が観測者にどうやって渡されているのでしょうか?この疑問は人類を超える何らかの存在が教えてくれているという想像に繋がりそうですが、その存在の上位は?という疑問が出てくるため、あまり筋の良い推論には思えません。つまり外部の第三者不在の状況で認識出来る必要があります。私が考えている認識方法は、素数パターンに合わないものは認識できないという仮説です。例えばドット領域上で複数のドットをつなぐ何らかのメカニズムを考えてみます。繋がれたドット間では、あるドットと他のドットは状態を共有します。ただし、ドットの数が素数でない場合は、互いに同じドット数に分けて考える事が出来るため一意性がなくなります。例えば10,000ドットで構成されているものと、100ドットで構成されている多數のものとは共有部分に共通性があるため、素数で構成されているドット達と比べて、統計的な識別では「負け」て、識別できなくなります。まだ理屈として破綻していないか考察中ですので、一旦ここまでとさせていただきます。これからも時々視聴させていただこうと思っております。とても興味深いテーマについて解説いただきありがとうございます。
頭が干渉してるって話?
粒子と波動の二重性とかよく言われるけれどもそもそも粒子とは「物体、物質」であるのに対し波動とは「状態」のことなのだ。この2つはそもそも相容れない。比較しようがない。おかしな話である。
時間が存在する、過ぎるものだとBB弾、存在せず同時、現在、だと干渉波 馬鹿でも解るやつ草
正しく言うと「実在しない」は間違いで「状態が確率でしか確定していない」と言うべきことです。
たしかになるほど‼️
私は物理学者ですが、このスプリットの話を聞いた時、まずは 論文が破綻してることに気がつきました。
まずなぜ最初に2つの穴を作ったのか?その意図を説明していないということです。
そして 決定的なのは観測した時に現れるのかどうかは、自分以外のもう一人のものに黙って観測機 を押してもらう、その時 どう見えるかを実験するはずです。
ましてや 論文を書いているのは賢い 科学者
自分の論文を信じて欲しいのなら、そのために必要なことは記述するはずです。
そこを記述していないという時点で、私はお化けを見たとか私は UFO を見たとあまり変わらないお話になってしまう
これが結論です
その通りだと思っています。
私は電子を発射したのか、波を発射したのかも議論すべきだと思います。
私は、この不思議を完全に説明できます。
現在、光子に何ら影響を与えずに経路を検出する方法は無いはずです。
光子の経路を検出するために、二つのスリットを通過する際に、スリットで反対方向に光子を偏光させることで経路を測定する、広島大学の方法などが報告されていますが、偏光板(素子)を通過した時点で光子にモーメンタムを与えている訳で、これでは、本来の二重スリット実験で起こる波の性質が消されてしまう事になります。
では、何故光子が粒子と波動の二つの性質を示すのか?というのは、量子振動論によれば、「光子は三次元空間というエネルギー場における、粒子状のエネルギー準位の振動体であり、自身がエネルギー準位振動する事で周囲のエネルギー場にエネルギー準位の波を形成しており、一振動から次の振動への光子の移動は、エネルギー場におけるエネルギー準位の波と、光子自身のエネルギー準位振動とが最も調和する(+/ーエネルギーを打ち消すような)位置に、不連続で移動するからである」という事になります。
自分の中で、二重スリット実験で[勘違い]が実在したのか否かについて考えさせられる深い話でした。
動画的に、まず投稿主が[何を勘違いしていて本書から何を知ったのか]を聞きたかったっすね
観測方法が無数にある場合は一つの結果に。観測方法がないなら、無数の結果になる。
っていう、観測する側とされる側の関係が好きです。
お互いを足し引き掛割の計算してみたら、答えは一緒みたいなところが。
20:40 二重スリット実験は200年前からあって進化してきた。
21:12 現実や世界の実在 を物理学者が論争した。
24:55神がサイコロを振っているかはまだわからない。
という点がよくわかりませんでした。
物理学者は現実や世界の実在は別に疑っておらず、観測によって物理的対象の性質が変化するなんてことがあるかということを論争したというならわかる気がします。
確率解釈を物理学者たちが受け入れているなら神がサイコロを振っていることは認められてる気はします。
本動画で言う観察(おそらく観測を指す)は現代の量子力学では「誤解を招かぬよう」非常にセンシティブに取り扱います。また、アインシュタイン/ボーア論争の後の話しを取り上げていない為に、結論が未だ決着せずに止まっているという本動画の話しは少々残念です。その後、量子力学は躍進し一様の結論と方向性で収束してます
興味津々で拝聴しました。
といっても頭がパニックてます。
忘れないうちに疑問を述べますのでどなたかお答え願います。
【くだらない質問、聞き漏らした内容でしたらごめんなさい】
「光は粒か波か」という
「粒」と「波」でしか考えなくて良いという点を教えてください。
よろしくお願いします。
コメントありがとうございます😊
粒と波でしか考えなくて良いかどうかは、正直わかりません。
人類が分かってる範囲でしか見てない・考えていない、のかもしれませんね…
他の可能性はありそうですか?
よかったら教えてください✨
シンプリィライフさんの気付きとは、 27:00④実在とは何か?で言っている事なんだと思う。
27:00 ここから私が感じとったのは、量子力学で言う実在の有無について「未解明であり、現在も研究中である」という点から、現実は存在していないと決めつけてはならないと感じた。
私自身も二重スリット実験についてある程度理解したつもりになっていたが、この動画によって「量子力学的に存在の有無は未解決問題であり、主張は予想でしかない。」という点を忘れていた事に気付かされた。
そして、ここから感想。
「決めつけをするから答えへの道を閉ざしてしまう」と感じた。
アインシュタインが特殊相対性理論を考案したのはまだ若く、26歳の時であることから、ルーキーにもチャンスはあり、難解な問題でも先輩や専門家に委ねるだけではなく、自分で考える事が大切であるという事。
ルーキーである事は強みでもあり、業界の常識に囚われない多角的な見方ができる利点もある。
だから問題に対して常に新鮮な気持ちで考える事が必要で、そういう姿勢が新たな気付きをもたらしてくれるのだなと思った。
いつもありがとうございます✨
私は解釈まみれの人間で、事実を正しく観察できていないと悟りました。
まず事実を視ること。
事実と解釈を完全に分けて、情報を集めること。
そのうえで、解釈を展開すること。
「決めつけをするから答えへの道を閉ざしてしまう」
決めつけとは「勝手な解釈」のことだと思いました。
この言葉は、解釈まみれの私に事実を視ることの大切さを教えてくれました。
ありがとうございました!
二重スリット問題では観測していない時は波で、している時は粒子になる。理由は分かっていない。量子もつれは光速を超えて瞬時に伝わる、テレポーテーションが確認されました。2018年のことです。これで量子通信、量子暗号、量子コンピュータ−などが実用化される事がはっきりとしてきた。これはアインシュタインが間違っていたという大変な科学上の跳躍を成し遂げたということだ。我々の宇宙は二次元の絵をホログラムで見ているようなものらしい。
あれれ、いまだに粒か波か?などという超古典的な量子力学が一般世界では疑問になっている様子。すでに量子論は場の量子論へと進化し、粒か波かという二者択一で言えば波のようなもの、という結論になっている、というのがスタンダードな研究最前線だと思います。波の空間的な密集化が粒として誤解されているだけです。観測するかしないかとは、観測装置の系への干渉であると結論されています。なので、観察しようがしまいが光は粒ではなく、波のようなもの、その波が時空的に密集している状態が粒のようなものとして理解され、それが端的に粒と誤解されているだけです。その意味では観察しようがしまいが、光は波動的なものとして実在しつづけています。
この手の議論は天動説と地動説の争いに似ていて、いまでは常識的には地動説が正しいとされていますが、アインシュタインの相対性原理が正しいとすれば、太陽が固定点で地球がその周りをまわっているというのは、その方が分かりやすいというだけです。その固定点である太陽すら高速で宇宙空間を走っているともいえ、太陽が属する天の川銀河自体も宇宙空間を高速で移動しています。運動における絶対空間は存在しないというアインシュタインの相対論にしたがえば、地球が暫定的中心でその周りを太陽がまわっていても構わない。もしかすると天の川銀河を含めた銀河団の中心が地球かもしれず、銀河団の全ての星は地球の周りをまわっているかもしれません。
きつい話になりますが、粒か波か、実在はかんさつまえにあるかどうか、というテーマはすでに解決済みのテーマです。したがって、その二極対立を前提としたあらゆる信念的な心情はある意味、過去のものだと思います。
発展的にこの議論をふかめるのであれば、存在とは何か、無とはなにか、という南部陽一郎さんの対称性の自発的破れ理論以降に成立している知のパラダイム理解へと常識を進化させていくことだろうと思います。もし観察する前には宇宙ないというのであれば、その「ない」という無の定義はなにか。南部チックに言えば、対称性という無が自発的に破れて、観察結果としての存在物が観察可能になっている、という表現がよりリアルだろうと思います。
コメントありがとうございます😭
勉強不足です!次のステップに進みたいと思います!
ありがとうございます。
サムネのウソでした、の意味がわかりません。
同意。
@@JOHNSMITH-he3pb ありがとうございます。
量子もつれを利用したのが量子通信。重ね合わせの状態を利用したのが量子コンピュータ。もう勝負はついてると思う。
量子コンピューターはエラーが多発しています。
要は確率論でしかなく、状況によってエラーが発生して正しい答えが導きだせません。
サムネを見て中を見てみたんだけど、結局「嘘でした」って説明ありました?
最後の最後にメンシプに勧誘するの草
目新しい話が何もなく、昔の実験の解説に終始、残念な内容でした
結局、科学的知見も最後は「信念」に行き着く。私は知っている、ではなく、私は信じている。
例えば、今立っている地面が次の瞬間もそこにあるのか、という問いには確実な答えはない。
ただ、これまで1度もなくなったことはないので、恐らく次の瞬間もあるだろうと「信じる」のが一番自然に思えるだけだ。
しかしどれだけ過去の事実を観察しようと、今後も同じ事が起きる保証はどこにもない以上、100%の予測ではない。
だから結局最後は、どの考えが自分にとって一番しっくりくるか、感覚的に本当らしく感じるものを「信じる」しかない。
科学的な知見も、究極まで突き詰めると、理詰めで「知っている」のではなく、感覚で「信じる」ところに行き着く。
実在論、反実在論の科学者たちも、最後は自分にもっともしっくりくる説を「信じる」のは、ごく当たり前に思える。
コペンハーゲン解釈と多世界解釈、まさに二重性。
同じ様な事は、数と演算の関係で、
個の数を数える概念の問題ととらえるか、数空間の点間の写像と捉えるか?
の二重性。
また、多数の『個』の集合が単一『全体』と言う個と全体の概念の二重性。
また、個のニューロンは全体の意識をつくれるのか?
ボトムアップとトップダウンが一致する時とは?
スタンドアローンコンプレックス、個別の複合体とは?
いずれも、無限や時間、空間、が関係してくる概念。
果たしてその解釈は人間の限界による間違いか?
考えると(思うと)寝られなくなる。(笑)
え、何言ってるの。勘違いじゃない
光粒子1個で観光できるフィルム?その変化しやすい状態の物質に起こっている現象の信用性とかそういうのが気になって整理が追いつかなくて困ってしまいます。
いわゆる素粒子の位置は確率でしか観測できる位置が計算できないのは、基本的に波であり観測に反応する状態が量子・粒子化なので、波動方程式からして波じゃん
無重力状態で二重スリット実験を行ってもらいたいな😮
二重スリット実験が行なわれた証拠や当時の再現実験はあるのでしょうか?
二つのスリットの間隔(微小距離)について言及していないのが気になります。
そして、スリットの物理的幅も。
そして、光子銃の左右の振動はないのかについても。
ひとつの真実に辿り着きました。
主が神はサイコロを振る振らないという言葉が好きで言いたいという事が。
ある物理条件には粒子
ある物理条件では波
粒子は波が渦の状態
絶対座標、ここからは無い
→ここまでも無い
認識器官は自然を全て反映しない
真空はエネルギーの基底状態→認識出来ないが存在する
認識器官の在り方の問題
見たものがそのまま自然ではない
地動説、エネルギー保存則
光速度一定の原理はここからは存在しないということ
自然は運動するエネルギーの濃淡の海
親和反発してまた違う濃淡を生成する過程
自然は無矛盾
対象は矛盾したら理解不能
粒子波という否定関係は無い
静止が運動の一形態であるように
科学は認識の在り方を相対化してきた
観測問題もその一つ
不確定性原理も運動を静止で規定するから
認識はその在り方で自然を反映する
測定値もまたそのままでは有り得ない
光速度一定の原理は静止がないということ
ならば自然は運動するエネルギーの濃淡の海
静止は運動の一形態が認識に結ぶ像
見たものがそのままの自然ではない
無が有るなら対象は矛盾
理解不能
自然は無矛盾で理解可能
有る、という前提が否定される
つまり無が有るということは出来ない
この世界は、波でできている。
素粒子よりも小さく星よりも大きな大小様々な波が、
干渉し合いながら、
ある時は通り抜け、
ある時は閉じ込められ、
閉じ込められた大小様々な無数の波は、
お互いが引合い、成長し、形作り、世界を形成して行く…
光子はモノではないので、撮影(検出も含む)できません。カメラのレンズを通った光子のみ検出できるのではないでしょうか?
そんなことは無視して良い。我々の日常生活はニュートン力学の世界から外には出られない!
13:58 、いやいや…いやいやいやいや…って誰もが思うよな。同時に通過してない光子が干渉する、しかも監視しない時に。ワケわからん。
問題は光子の経路を観測するには、光子に何らかの相互作用を与えざる負えない。つまり光子の経路を変えてしまうということ。
もう一つは、認識とは誰(何)が認識したことを意味するのかということです。
観測結果をコンピュータに記録したが、その結果を誰も見ないで消してしまった場合に、それを認識と言えるのか?
観測結果をサルが見た場合はどうなのか?
観測結果を知っている人にっとては実在でも、それを知らない人にとっては実在しないのか?
あと生命学から言わせてもらえれば、存在の意味ですが、他に 何も影響を及ぼさないのなら存在していても存在の意味はありません。
しかし 自分に対して対象物が現れ、そのものに少しでも自分が影響を及ぼすようになれば
その時 存在したと言えます。
はやい 話が、存在はしているのですが影響を及ぼす 対象物がいなくなった時そのものは 動きを止め 思考も停止するということです
これは生と死を意味します
もしも私が死んだ時周りのものからすれば私はいなくなったということになります
しかし私自身の感覚では周りが突然いなくなったということになります
私が影響を及ぼす相手がいなくなったのですから
とりあえず 私は思考を停止し動くのもやめたということです
そして いずれ 対象物、わかりやすく言えば 生まれ変わった時、私は人間だとしたら時間というものを概念としてもち、自我というものが目覚めまた思考を働かせだし動き出すのです。
何が勘違いなのか?昔から言われてることと同じだが
そうですね、残念ながら新情報はなかったですね😅
新情報が無いどころかむしろ古い考え方でしたね。量子は波でも粒子でもない何かと表現するのが一般的なのに、この動画ではその2つの状態が切り替わって粒子になる(=実在)みたいに言ってるところが古いですね。粒子ではない「何か」が粒子と同じに見えるとしたら、どんな計算になるのか?と言ってるのが量子力学です。「何か」=粒子というこの動画の考え方は古すぎる、と言うか間違いですね。
そもそもスクリーンに浮かび上がる点は、人間が点に見えると言ってるだけで点でも粒子でもない。もしそれが本当に点だと言うなら大きさが無いはずなのでスクリーンには何も浮かび上がらないはずです。つまり、粒子ではない「何か」が小さな範囲に縮まってるだけです。その縮まった状態が粒子と同じ振る舞いをしてるように「見えるだけ」と考えるのが合理的です。その「粒子ではない何か」が「粒子に見えるだけ」の仕組みを説明するための計算が量子力学です。
@@虎崎衛門-w2pあなたの言っている「点」とは数学上の概念ではないですか?
数学の点は思考の中に存在するだけですから謂わば無です。
しかし光子による実験で用いられている点という言葉は光子を別の表現で述べただけですから無ではないと思いますけどね。
@@kyomosamui 原子の大きさは何ですか?素粒子の大きさは何ですか?と聞かれて答えられませんよね。それと同じですよ。二重スリット実験が言ってる「粒子」も同じです。そもそも何をもってそれを粒子と定義づけてるのか?誰も答えられませんよね。
自分が実際に見る世界が世界の全て
その本人が、ああそうかと思った世界が全て、一人一宇宙、70億通りの宇宙がある。
光は粒子でありそしてその動きは螺旋である
それを点で観測すれば粒子に見え
二次元で観測すれば波に見える
だが3次元ではその動きは螺旋である
観測自体が物理的干渉になるからそうふるまってるように見えるだけじゃね?w
観測するか?しないか?で振る舞いがかわるのではなく
観測方法によって振る舞いがかわる(かわってみえる)のだと思う
だから観測技術が今後発展すればこの問題の結論が出て解決できると思う
観測する位置をスリットに近いところから写真乾板の方へと移動させた場合、実験結果に何か影響はあるのでしょうか?
誰かが、スリットに近い時はスリットの形の点の集合体、写真乾板に近づくに従って干渉縞がだんだん混じって現れてくると言ってたけど、これ本当?
カントは"観測したところでそれは感覚を通したものでしかない"
と言ってた
波なら、スリットが一つでも分散するような気がします。
二重スリット実験、面白いです! 検出器の代わりに偏光回転素子を使ったという広島大の実験結果についての考察もぜひ…😊
観測無しで無心でボーッと歩いてると過去に観察もした事が無いそこにあった言う記憶も無い電柱に打つかるのは何故⁉️存在しない筈なんだけど‼️
こんばんは😊
楽しみにしていました!
sanaeさん!いつもありがとうございます✨
11:03 ここ誤りですね。一本の帯が現れるのではなく、
片方のスリットを塞ぐ前に、縞が広がっていた範囲に、回折によって広がったボヤーとした縞のない広がりになります。
回折なしに縞模様はできません。
この手の誤りが他の動画でも多くてうんざりします。
この実験を違う水晶発振器で作った光子発射装置を交互に打ち出すと干渉縞が出来るかな?
楽しい時間でした。
とても分かりやすく解説下さり、良く分かったような、でも私にはやっぱり分からないような😅
(申し訳ありません😅)
いつの日にかまた新しい検証がされていくのですね。
知らない事を知っていく楽しさ❤
これからも知的好奇心をくすぐる楽しい動画を楽しみにしています。
今日もありがとうございました❤
いつもありがとうございます😊
楽しく学べる動画、作っていきます!
光子を一個づつ発射する実験でスリットのどちらを通るか観察ということですが、そもそもどこに向けて発射してるんすか?
あと観察なしで(時間をおいて)一個づつ発射して次第に干渉縞ができるってことは、時間を超えて波が干渉してるということなの??
ムズすぎてわからん
なんだよ 論点がブレてないようが無い 結局前と同じじゃんか!
俺が学校で学んだ講義では光量子は粒ではなくて短い糸コンニャクの様な姿だと聞いたけどな。だから粒の様にも、波の様にも振る舞うので、光電子効果も二重スリット干渉効果も起こると教師が説明して俺も納得してたんだが、現在でも不確定なんだね。銀河系がなぜ゛一定の速度で回転しているのかも解らないし、ダークエネルギーも解らない現代物理学の現状を打破するような新たな物理学の誕生が待たれる。その高度な物理学レベルでは大統一理論なんて解りきった過去の話なんだろうね。俺の生きている期間では無理だけど。
観測すれば不本意なものばかりという事は実在するんじゃないかな。あるいは自分が知らないものがあったり、その中にたまに希望もあったり。
波はエネルギープラマイ0になる干渉だけど、光子は到達位置の分布なだけだよ
実験結果の先入観のイメージに左右されすぎ
光の発射装置と二重スリットの間に観測装置(一台でも二台でも構わない)を置いて、On Off と切り替える実験はないのですか?
それと、光を粒子として発射させる装置があったとしても、発射装置から出た瞬間から二重スリットに到達するまでの期間(時間的流れの中)の光は、粒子(つぶ)なのか波動(なみ)なのか? それを確定できないというのが量子効果と言うものではないですか? もしこの期間での光が波であるとすれば両スリットを同時に通過するし、その両スリットを通過した波は、波紋の広がりのため通過後に干渉現象を起こすのは当然のことで、何の不思議もありません。
本を読んでいないので、確かなことは言えないのですが、干渉を起こしたとされる感光版上の模様は本当に「粒(つぶ)」の集合なのでしょうか? それを「光の束(エネルギーもしくは情報の束)」の痕跡と見る見方もあるのではないでしょうか? この「光の束(エネルギーの集合)」はパケット(packet)であって、「光子」という粒子(perticls)ではないと思うのですが、その辺の概念定義が曖昧な感じがします。 これは何もシンプリィライフさんだけの問題ではなく、物理学用語の使い方全体に言えることです。
例えば、シンプリィライフさんの「実在」 vs. 「反実在」の構図も、厳密にいえば「局所的実在性」(アインシュタインの相対論の前提:locality)vs.「非局所的遍在性 or 非局所的相関性」(量子論の〈量子もつれ〉の前提:non-locality)となり、この2つの前提概念は、もっと突き詰めた考察が必要になって来ると考えます。
最後に余談ですが、「神はサイコロを振らない」と言うアインシュタインの言説は、聖書を読む限り真実ではないような気がします。 なぜって、神はサイコロではないですが、重大なことを決める際、人間に時々『くじ引き』をさせているからです。 量子論的確率論で説明出来るかどうか分かりませんが「くじ引き」もどう考えても決定論ではないですよね。
クリアな説明で。頭が整理できます。 Thank you! ❣
量子消しゴム実験もすごいですよね。
何か、真新しい実験結果かと思いきや、古臭い何の変哲もない二重スリット実験結果。
どう言う事?
いつも分かりやすい動画を投稿して下さりありがとうございます。ただ一点、気になる事があります。たまにですが、文の長さが非常に長い時があります。そこだけ聞いて分かりにくいと私は感じました。
教えてくださりありがとうございます。
非常に参考になるご意見でした。
200年前のこの実験はよく聞きますけど、現在でも最新の機器を使って真実を解明しようとしているのでしょうか。特に観測機器のON/OFFで結果が変わる件は観測機器の影響があるとしか思えません。
「アシュタール宇宙の真実 77のディスクロージャー」
最初の結論と最後の結論が違いませんか?
ただ科学で説明しきれないだけですね。まだ地球は平らで宇宙の中心にある時の科学も否定されると有り得ない現実だったのでしょう。でも、今の量子力学はつきせまるところに来てるのでしょうね。目をつぶって思い当たるコンビニは存在するのでしょうか?
目の前の息子は脳(それ以外)が作り出した物なのでしょうか?
とても考えさせられる配信でした。いつもありがとうございます!
コメントありがとうございます!
科学はいつか、すべてを説明できるようになるのでしょうかね...
すべてが論理的に説明できてしまう世界は、どんなものなんだろう。
考えさせられました。
ありがとうございました✨
光としか言っていないように思えるが、この光は単一波長のレーザー光でも良いのか、あるいはレーザー光を指しているのか?
二重スリット実験ってレーザー光でを使った時でも干渉縞が現れるのかな?
観測っていうと素人からすると人間を意識しちゃうけど、相互作用のことと解釈していいんですかね 程度の違いはあるが雷がとる軌道がどうなるかってのと似た話?
「うそでした」とか「9割が勘違い」というのは、何ですかね?実はまだ結論はついていないということを言いたかったのでしょうか。
60年以上前から世界中の頭の良い科学者が実験を繰り返してきた事なので、私のような素人が考えても意味がないのかもしれませんが、いつもこの話を聞いて❓と思うのは、
①BBであれば物理的な法則に則って真っ直ぐ球は飛んで行く。だからスリットを通過させるためにはあらかじめ、どちらのスリットを通すのか狙いを定めて飛ばす必要がある。でも、それが光子の話となると最初からどちらのスリットに通すのか何の前提もなく、やみくもに発射している様な表現となり、後から「どちらを通ったのか?を確かめる為、観測装置を云々」となる。なんで?実際の実験ではスリット間の幅はものすごく狭いと読んだことがあるけど、そのため?それでも納得はいかないけど。
②光子をひとつずつ発射するのだとすれば時間差が生じるので、互いに干渉し合うという考え方がそもそも正しいのか?1発打って1年後にまた1発打ってを繰り返しても干渉するの?干渉縞ができるから光子が互いに干渉しているんだと結論付けているように思えるけど、その時間差について解説してくれる説明を見たことがない。
結局、紹介してくれてる本などを真剣に読まないと分からないのかなぁ?😂
①はレーザーでさえ、拡がりがあること。不確定性原理により進行方向に直角の方向にも運動量が存在するためにある程度までしか収束させれないから。だと思います。二重スリットの壁?に衝突している光子もきっとあるのでしょう。実験には影響ないから排除されていると想像できます。
②はそもそもの実験が光子がスクリーンに当たってから、次を発射している。ここでは二重スリットに『一つ』の光子が両方を通過したかのように干渉するからこその波動性です。しかも発射時と衝突時には粒子性を示していることから不思議なんでしょう。他の光子と時間差で干渉しているということではありません。
動画の④番の光子の観測(観察?)の実験は多分ないと思うんだけど。以前偏光させてどちらを通ったかというのは聞いたことがあるのだが、そもそも「ー」と「|」では干渉しないから意味のない実験です。電子の場合であれば、どちらかを通ったという観測がしやすいが、影響が大きいために可干渉性がなくなるでしょう。(ついでの動画の感想)
貴方が科学者になった方がよかったですね。
この実験の解釈は、間違いだらけです。
そもそも、その壁に当たったとされる光子が発射した光子かどうかも検証されていない。どのスリットを通ったかさえも分からないのだから、そんなことも検証できないのでしょう。それで、理論を立てるなんて無茶苦茶。
量子力学の一部と観測効果は、かなりウソ臭い。
ちなみにシングルスリットでも干渉縞は出てきます。
自分でやってみて。レーザーは簡単に手に入る。それとシングルスリット自作して。私はびっくりしたよ。
メンバーシップ動画を見ないとわかんない。😢
これねまず 脳の認識に頼るという観察の方法に依存している内は永遠に解釈の域を出ない
脳を構成する量子と相互作用するんだよ。
観測するには光を当てなければならず、光を当てると対象に影響を及ぼす、それだけの話です。
スピリチュアル界隈でよく見かける「量子論が証明!意識が現実を変える」みたいなのは大いなる勘違いですね。
観測した瞬間確定する状態が確率的に分布しているというという現実があると思えば良い。
人間が見て来たもの(波、粒子)とたぶん違う形態。強引にどちらかの形態に重ねて考えるのがおかしい。
どうも人間は自分たちが能力が高いと思っているみたいだ。
例えばコンピュータの能力が低いとこちらが見る直前に表示するとか。
でもこの宇宙のあらゆるところには、情報があって、例えばそれを能力の低い人間が見た瞬間に存在するように見えるってこと。つまり能力の高い宇宙はすべてが実在している。
あとはそれを捉えるもの-人とか動物とかカメラとか-の能力により受取って感じるのレベルが違うってこと。
つまり光は波動であって粒子でもある。
こちらの状態によって-観察するとか-見え方や感じ方が違うってこと。
量子力学とかほとんど知らない個人的な意見です。
観察していようと、していまいと、スリットに有限の幅がある故、電子はその壁に当たり、結果として干渉縞が現れます。
論文を書いた。って言う事も観測的に言うなら物理的に変化を加えている訳で、その論文に事実が寄っていく世界線があるって事でしょう?
「観測するまで、存在しているかどうかは解らない。」は本当だったという実験結果が得られたと発表されていました。ので、この件は決着ついているはずです。
これについては個人的にはそうだろうなとしか思わなかった。 そこに物があって、何もしなければずっとあるというのは全人類共通なので、観測しなくても物はそこにあると考えがちですが、
これは脳が記憶しているのでそう感じられると言うことで、実際の物理現象を反映されていないと思う。見たときに初めて物があると関知できるわけで、見ていないときは関知していないので存在していないことになるはずなのに、記憶という脳の機能によって、見ていないときにもそこにあると錯覚起こしているに過ぎないと思います。
量子力学においては、物理現象なのか、脳の機能から来る錯覚なのかを区別する必要があると思います。
物理的に言えば、目で見た時は、物から反射された、もしくは発した光子と目の光受容細胞と相互作用が発生しますが、見ていないときはこの相互作用が発生しません。なので、見ていないときは存在しないと言えると思います。
・・・・と個人的には解釈しています。本当かどうか知らんけど、自分を納得させるのには十分説明なので。
一人でいるときは、そうかもしれないが大勢でいるときは、どうなんですかね。
自分から見えていない場所は、存在していないのですか?
上を向いて歩いていたときに穴に落ちたときは、存在しないものに落ちたのでしょうか。
@@caesarian_naney
多数の人が居た場合って、どうなんだろ?
個人的には、他人全てが自分を見ていない場合は、存在があやふやになると思う。一人でも見ていたら確定されると思う。
後者は、本人は存在しない物に落ちたという事になるのかな? というのはおかしいので、多分、
穴が人工物の場合、既にあなと穴を掘った人との間に相互作用があるので、此の時点で穴の存在は確定されている。穴と歩いている人との間に因果関係はないので、穴と歩いている人だけ考えれば「穴は存在していない」ということで、
歩いている人の視点では、いきなり落ちた、落ちる瞬間まで「穴は存在しなかった」落ちた瞬間「落ちている」ことは理解出来ると思う。
で第3者から見れば穴に落ちた。
と因果関係があるのかで見方が変わるのかな?
前者は少しだけ自信があるけれど、後者は自分で書いて置いて、「どんな言い訳してるんだよ。」と自分でもこの場限りのでっち上げにしか思えない。
この辺は専門家に聞くしかないと思う。
脳は、脳を目で見ない限り、存在していないのでしょうか?
@@chibikuro-channel
多分知りたい答えとは違うと思いますが、人以外の生物は自分に"脳"があるとは思ってい無いだろうけれど、存在は確定されていると思います。
勘違いして欲しくないのは、この観測というのは相互作用が発生するかどうかの問題なので、見ていなくても、何らかの相互作用が発生すれば「観測」したのと同じと言うことです。
脳という組織が多数の細胞で構成されている時点で、相互作用、すなわちこの場合だと電子の動きが発生しているので存在していると思います。
まあもっと詳しい人に聞かないと量子力学屋さんがどう考えているのかはわかりませんが、それほど明後日の方には向いていないとは思います。
@@caesarian_naney 「大勢でいるとき」の「大勢=本人以外の観測・意識」を認識観測しているのも、結局本人の脳・意識ですから。
他の観測者がいるかいないかを明かさずに観測すると、また違った実験結果が出てくるかもしれません。二重スリット実験で光路観測装置の存在を知らせずに実験させるとか。
上を向いていて穴に落ちたとき、穴に落ちたと脳が認識すれば穴は存在し、穴に落ちたことを認識しなければ穴は存在しない、でいいのではないでしょうか。
二重スリット実験で光子を打つときの間隔を1年に一粒にしても干渉縞って出るんですよね??
ふしぎやなあ
ありがとうございました。
いやぁ、タイトル詐欺のきがしてならないのだが、、、、
光子の通過を観測する検知器てどういう仕組みなんやろ
未来は確率的に実在している。確定していないだけ。過去は一意的に、確定的に、実在している。
結局観測された場合なぜ粒子になるのか説明されていない
難しい😢
そもそも観測とは、光の反射からしか見えないし、光子に光子をぶつけて観測するのだから検出そのものが不可能なので、答えは出ないと思う。
後半のスピった決めつけの妄想はいいとして、
二重スリット実験の観測機なんてそもそも無くない?
二重スリット実験は電子でもされていると思いましたが…
だまし絵、じっと見つめているとアッと気付く二重性。どっちが実在か、実在そのものが実在するのか・・・
いつも思うのですが、光が粒子であり質量があるのであれば、重力を持ちますよね。なら複数の光子間で干渉が起こって軌道が乱れる、という問題は検証されているのでしょうか?
「光子を一つずつ観測して」と言っても、言い換えれば「観測できる量にまで制限して」となるはずですから、その場合相互干渉が行われる絶対質量の閾下に留まってしまい、結果光子は直進した、と。
「観測したら粒子として振舞い、観測を止めたら波として振舞った」というより、「観測可能な量まで絶対数を制限したら、波としての振る舞いを止めた」という可能性は、どの程度検証されているのでしょうか? というか人間の技術力は、それを追求できるレベルに達しているのでしょうか?
コメント失礼します!
14:07 他の光子が干渉しない、光子1個ずつ飛ばした場合でも干渉縞が現れてるので、光は波の性質になっていると言えると思います。
また、もし光子同士が干渉し合ってる場合ランダムにスクリーンに当たると思われるので、縞模様にはならないと思います。
>光が粒子であり質量があるのであれば、重力を持ちますよね。
いいえ。光は無質量です
監視カメラつけたときにスリットになったのは、光子のエネルギーが監視カメラに干渉したせいで、干渉縞が消えたからじゃね?
物理的に接触したというより、エネルギーがスリットや空気を伝播して結果的に干渉したんじゃねぇの?😃
初めて聞いた最小構成量子の話と同じには思えたけど「科学は諦めたらおしまい、まだまだ研修者たちは真理追求を諦めてはいませんよ」って付け加えているってことですかね?
逆に、なぜ20世紀、21世紀と、科学は神の存在への否定、目に見えないものの否定や命の中にある神秘についての否定に、力を入れ続けているのかがりしたいなあと思いました。それらが融合たものが宇宙な気がします。何しろこうして皆が生きている事自体がありえない世界なのですから。
私の感想です。
学べる段階があるんでしょうね。
人の前提には理解できないモノは信用出来ないという思いがあって、立証や解明が比較的容易な部分が先に研究された。
そして、立証出来ない部分が残り、改めて神秘的な部分と向き合わなくてはならなくなった。
このように感じます。
皆が存在してる事じたい有り得ないくらい不思議な事。この感覚を持ってる人は少ないね。偉大な哲学者の殆どが持ってただろうが。
量子の振る舞いは
観察で変化する。それはアインシュタインも認めた…70年前に確定した事を否定する根拠が意味不明
現象自体は変わらないから言葉による表現の欠陥の問題でしょう。言葉で全てを表現することは出来ないので。
光子一個一個の二重スリット実験ではなく、電子一個一個を飛ばしての二重スリット実験だと思ったけどなぁ?クウオンタムイレーサーの実験まで出てくるとうp主がどう説明するか楽しみだったのに(・・;)
2000年以上前に、仏陀、龍樹が空を提起しています。これは、非実在であり、素粒子と原理的に同じものです。拙書「仏陀・龍樹にノーベル特別賞!を」参照。
宇宙は1+1=2じゃない。
論争の行方はともかく、
サムネ詐欺はよろしくない。
と書いたけど、サムネよ~く見ると、時間表示で隠れてる部分に「?」があったのね。
タイトル詐欺が許されるのは東スポ(大スポ)だけ。
反実在の定義が不明。
量子力学は実在している。
二重スリット事件
ウソという証明論文を提出して認められればノーベル賞ものですよ。
アインシュタインって矛盾してますね。
神はサイコロ振らないと言いながら
神は存在しないと言ってました。
じゃあ、神じゃない何かがサイコロ振ってるのか?それとも振ってないのか?
素粒子は消えては再生されるから実在はないですよね。
万物はエネルギーや時間と共に変化するのですよね。
1920年に、電子銃🔫は、アツタのか。いつこの実けんは、いつ行われたか。
四句分別では、
1. これは粒子である。
2. これは波動である。
3. これは粒子で波動である。
4. これは粒子でなく波動でもない。
二元論排中律では、1, 2 に限定する。
現実には、3, 4 もあるということ。
今回、初めて視聴させていただきましたが、決めつけをしないで色々な可能性を考慮するという流れが大変面白かったです。
量子力学の謎は興味深いですね。
以下は私が考えている量子の世界のイメージですが、お時間有るときにでもご一読ください。
1.二重スリット実験の話
光子の着弾地点を観測というのは勿論、到達した光子そのものを観測ではなく「光子が持つエネルギーが着弾面表面地点付近に有る多數の分子の状態を変化させ、肉眼で見える(量子的には)巨大な痕跡を残したのを観測している」ですね。
つまり人類は何らかの観測を行う場合は統計的に多い/少ないの区別により「観測結果が得られた」としている訳です。
これは些細な違いに見えるかもしれませんが、この違いは後述するように重要です。
2.時間の話
宇宙全体のある瞬間の情報を詰め込んだ極小のドットというものを想像してみましょう。
そのドットは勿論ただ一つに限られる理由はなく、それこそ無限にドットがある(実在という意味ではありません)はずですね。
この無限にドットがある領域を仮にドット領域と呼ぶことにします。
物理学では時間を扱い、時間の経過とともに系の状態が変化しうることが理論の前提となっています。
では時間の経過とは、先程のドット領域で、あるドットから他のドットへの遷移なのでしょうか? → 疑問1
遷移だとすると、一回の遷移がプランク時間相当なのでしょうか? → 疑問2
次に気なるのは、遷移先はどうやって決まるのか?ではないでしょうか? → 疑問3
遷移先は遷移確率または何らかの方向付けによって決まるのでしょうか? → 疑問4
上記疑問1〜4は、遷移が有ることを想定したものです。
私は実際には遷移でなく、統計的に十分識別出来るものを観測したと見なしているのだと考えています。
では統計的な識別とは何でしょうか?
すぐに思い付くのは、膨大な回数のトライを繰り返して、観測結果(サイコロの目、とか)を分類・カウントしてそれぞれの観測結果の比率を比較し、比率が高いものを結果とする方法ですね。
しかしこの方法には根本的に大きな問題があります。
まず、膨大な回数のトライが誰によって行われているのでしょうか?
更にその集計結果が観測者にどうやって渡されているのでしょうか?
この疑問は人類を超える何らかの存在が教えてくれているという想像に繋がりそうですが、その存在の上位は?という疑問が出てくるため、あまり筋の良い推論には思えません。
つまり外部の第三者不在の状況で認識出来る必要があります。
私が考えている認識方法は、素数パターンに合わないものは認識できないという仮説です。
例えばドット領域上で複数のドットをつなぐ何らかのメカニズムを考えてみます。
繋がれたドット間では、あるドットと他のドットは状態を共有します。
ただし、ドットの数が素数でない場合は、互いに同じドット数に分けて考える事が出来るため一意性がなくなります。
例えば10,000ドットで構成されているものと、100ドットで構成されている多數のものとは共有部分に共通性があるため、素数で構成されているドット達と比べて、統計的な識別では「負け」て、識別できなくなります。
まだ理屈として破綻していないか考察中ですので、一旦ここまでとさせていただきます。
これからも時々視聴させていただこうと思っております。
とても興味深いテーマについて解説いただきありがとうございます。
頭が干渉してるって話?
粒子と波動の二重性とかよく言われるけれどもそもそも粒子とは「物体、物質」であるのに対し波動とは「状態」のことなのだ。この2つはそもそも相容れない。比較しようがない。おかしな話である。
時間が存在する、過ぎるものだとBB弾、存在せず同時、現在、だと干渉波 馬鹿でも解るやつ
草