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劉秀「いったん外へ出て兵をかき集めて戻ってくるわ」王常「頼むで」これ普通に考えたら「コイツ逃げ出して戻ってこないやろなぁ…」とか考えそうなんだけど、王常も劉秀を信じてよく持ちこたえたなと思う。走れメロスみたい。降り注ぐ矢があまりに多すぎて、水汲みに行くにも戸板を背負わないといけなかったような籠城戦だったのに。
「船頭多くして船山に登る」「見掛け倒し」を新側がこれでもかといわんばかりに地で行ったのが昆陽の戦いだったのですね。
秀吉の文禄・慶長の役を明国側からの解説をお願いします。
ポーランドソビエト戦争の時もワルシャワ陥落目前でヴィスワ川の戦いに完勝してソ連軍が総崩れになって2ヶ月後にはポーランドが逆転勝利してしまったように乾坤一擲の作戦で戦局が大いに覆ることも歴史上ままある。
徹底抗戦した呂文煥のその後が気になっていたらちゃんと動画内で言及されていて嬉しかったです。敗軍の将も力量・志のある者ならきちんと厚遇するところがフビライの器の大きさですね。
ありがとうございます!
今回も楽しませて頂きました。ありがとうございます。そのうち、また三國志もお願い致します。
多大なご支援……まこと有り難き幸せにございます……!!このご厚意を励みに、今後も一層動画作りに邁進していきます!!
見る前に書き込むけど更新あるだけでテンション上がる。ありがとう。ゆっくり休んでね。
呂文煥はあの元軍を相手取って8年も持ちこたえたなかなかの名将ですね
昨日今日で仕事は久々の連休!ビールも中国史も連日楽しめる!熱い展開です!
昆陽の戦いと襄陽・樊城の戦いの動画、ありがとうございます。「昆陽の戦い」「襄陽・樊城の戦い」ですか…さすが、目のつけどころが違いますね!南宋の孟珙はもっと知られていい人物ですよね。彼の生きている間はモンゴル軍は南宋攻略において主導権を得られなかったのだから。よく「宋朝弱兵」などと言いますが、国土防衛に関しては弱いなんていうことはなく、幾度も外国の侵攻を防いでます。モンゴル軍も南宋征服まで30年以上かかりました。「兵や民衆の士気や統率の高さが勝敗を分ける」2つの戦いの共通点だと思います。
回回砲は陳舜臣の小説を読むと、歴史小説に急にSFの最終兵器が出てくるみたいな描写になってる
凄い面白かった😃南宋の末期はあまり教科書で扱われないので動画良かった。南宋は比較的統治は良かったので滅亡を避けるため将兵もギリギリまで戦った感じが最高です😆🎵🎵涯山の戦いもリクエストします🎵
最初調子乗ってたのにモンゴルと南宋に挟まれてすり潰されちゃう金好き。
遠投投石機って何でも投げれるらしいので言葉に表せないようなモノもいっぱい投げ込まれたんだろうなぁと思います
モンゴル待ってた。もっともっとモンゴル帝国ちょうだい
呂文煥の樊城・襄陽の戦いぶりは、金庸の代表作『射鵰英雄伝』『神雕侠侶』『倚天屠龍記』からなる射鵰三部作で、主人公郭靖一家、楊過の襄陽で戦いぶりがモデルになってるんで、非常に興味深く見れました。一つの戦いにクローズアップするのは良いですね!
決戦シリーズ化期待しちゃいます、ゆっくりマイペースで構いませんので
こういった解説は非常にためになります。いつもありがとうございます。
劉秀の動画は何度も見返しおります。疾風にけい草を知るのあたりが好きです。リメイク期待しております。
わ、アンケートに答えた希望が動画になってる。うれしい😆さて、ノートを用意して、勉強勉強。
湖北の重要性は、後漢末から清末、現在に至る。江南王朝の明も、劉基が湖北の支配を優先する戦略を立て、後に北伐を成功させた。攻めるにも守るにも不可欠の兵家必争の地。
宮崎市定の水滸伝-虚構のなかの史実によると襄陽攻囲戦でモンゴル軍の包囲を突破して救援物資を城内に届けようとして戦死した張順という武将が水滸伝の張順のモデルになったそうです。物語の最期の死に様が史実とそっくりでおそらく水滸伝の作者はこのエピソードを知って物語に使用したのだろうと。
きょうが表示できてるのに感動。
漢室劉氏とはいえ弱小豪族に過ぎなかった劉秀が皇帝になり漢王朝を復興させたのは奇跡と言えよう。
この時期のモンゴルの強さは本当にすごいですね…。
毎回凄いガン見してしまう
決戦シリーズすごく楽しみ!個人的にはタラス河岬の戦いが見たいです!
鳥居龍蔵❤️今回もとても楽しかったです😊
中国史決戦シリーズ、壮大ですね。
動画面白かったです。特に襄陽・樊城の戦いが面白かったです。モンゴル帝国が南宋の水軍に苦戦していなかったら、水軍を整備せず、元寇も無かったかもしれませんね。「三軍は将をもって主となす。主衰うれば、軍、奮意なし。三軍以将為主、主衰則軍無奮意。」魏書、荀攸伝。なんて言葉があったかと思います。指揮官の心理状態が、軍にとっていかに重要なのかが分かる面白い動画ですね。長文すみません。
始まってすぐ戦闘BGMが始まって驚き、マンガ肉で笑ってしまいましたw孟珙という人物、恥ずかしながら知りませんでした、、、これ程の名将がまだ在野にいたとは・・・南宋と聞くと岳飛がどうしても一人歩きしてしまうくらい神仏化されているから、この孟珙はもっと評価されてほしいですね
今回もよかったです。こういうyoutubeありそうで実はあまりない切り口がこのチャンネルの真骨頂と思います。
孟珙が南宋に居なければ正直もう30年くらいは早くに南宋は滅亡していたかもしれない。李牧もそうだが、まさに守戦の名将!!なお光武帝の兄劉エン自身も一軍の将として十分有能。ただし弟がすごすぎて、触れられることがないというね・・・
半分こさん、何か親しみを感じてしまう...
モンゴル軍の漢人武将をお願いします特に襄陽・樊城の戦いにも参戦した神人・郭侃!
中国史を変えた決戦というならタラス河畔の戦いや鄱陽湖の戦いも含まれるんじゃないか
タラス河畔の戦いは中国史を変えなかった。世界史が変わった。
決戦シリーズ、ヒ水の戦いや参合陂の戦いも是非…孟珙の事は単独の動画でも取り上げる価値がありますね。テクノロジーが変えた戦いでもありますね。
襄陽を巡る戦い、なんか信長の本願寺攻囲戦を思い出した。やっぱ水軍が強くないとダメなんだね~。
天下分け目の戦いにもいろいろな形があるものだと感心しました。特に機動しないモンゴル軍の戦いってまるでイメージが無かったので新鮮でした。敗戦から敵を観察し万全の補給に陣地と水軍の構築、勢いだけで世界を震撼させた訳ではないんだなあと。主に政治面で相手の制度をそのまま飲み込む柔軟さがあったと聞いてはいたが、軍事でもしっかり使ってたんですねえ。そしてとどめを刺すまで決して緩まないのはさすがのモンゴルですね~
私の好きな劉秀と孟珙を取り上げてもらえるなんて、あなた様は神でございましょうか?個人的に南宋最高の名将は孟珙だと思ってます。
こんな南宋攻略直後に文永の役だったんかスケジュールがタイトすぎる
このシリーズ面白い。
スターっていうのは何も無いところから突然現れるのが常なんだけど、昆陽の劉秀なんかはまさにそんな感じがする。それまで大きな軍功を立てていなかった地味で慎重な男が突然40万の大軍蹴散らしたりしたら、それこそ一緒に戦ってた一兵卒からしたら劉秀が神様の使いか何かに見えたかもしれない。天候まで味方してるし。
兵器の歴史に興味出ました
西のバグダッドで中国の火薬を使い、東の襄陽・樊城でペルシアの投石機を使えるんだから強いわけですよ。
孟珙は田中芳樹氏が選ぶ中国史名将99人にも入っておりますね南宋末期は岳飛と文天祥の存在が大きすぎて他の英傑たちがやや霞みがちですが……
チンギス配下等のモンゴル帝国の武将はあまりユーチューブでも紹介されてないので、是非ともヨロシクお願いします
ありがとうございます。我が故郷の偉人、鳥居龍蔵先生を取り上げていただきまして。ということで、鳥居先生も中国史(主に辺境)にフィールドワークを進め、関わりある人物ということで、番外編ということで紹介いただけませんでしょうか。是非ともお願いします。
日中戦争でこんな敵の使い方ができていたら。 歴史を学ぶことは大事ですね。
おっ、もうすぐ昆陽の戦い2000周年だ。と思って、気が遠くなりました。
中国史に度々出現する怪物たち相手に、ジャイアントキリングをやってのけた武将の紹介も見てみたい
陳慶之とか?
シリーズ化決定ですか次は中華史上で多分唯一完全に北と南で国家存亡を賭けた全面対決になった淝水の戦いですかね?
Thanks!
ご支援ありがとうございまァす!!ご厚意まことに感謝の極みでございます!!
王莽の軍ただでさえ兵士の数が凄くて兵糧事情苦しそうだし、その上で猛獣まで引き連れたらマジで兵糧無さそうだよね・・・。ネタ抜きに病気で倒れたりした兵士がそのまま猛獣の餌になってそう。
王莽伝では「傾府庫以遣(大司空王)邑」ってことなので、王邑の派遣で兵糧は大変だったでしょうね。財宝を持ち猛獣を連れていったのも、王莽の見栄と山東を畏怖させるためだったようですが。
猛獣を連れての攻撃、軍が混乱したら、周囲の騒乱に飲まれ、猛獣は本能のまま動き、混乱に拍車をかける事になるとしか思えん。
シリーズ化するなら南北朝でスルーした鍾離の戦いをお願いします!
いつも素晴らしい動画ありがとうございます。史記や三国志ぐらいしか知らなくて、いつも勉強になります。これから頑張ってください。
決戦といえば韓信の背水の陣、セイケイの戦いと、フケンのヒスイの戦いが好きかな。
戦いそのものは大したことないが、違う意味で歴史に大きな影響を与えた、タラス湖畔の戦い。
王宮に直撃してその威力の記録残ってる位、フビライが職人を態々中東から呼び寄せ、南宋の心をへし折ったトレビシュット式の投石機って欧州で大砲が広まっても、火薬無しで撃てる面が評価されてかなり長い間戦場で活躍したんだよね。
金王朝と蒙古の戦いもリクエストします
ナビゲーター世界史によるとかなりエグい兵糧攻めで金を滅ぼしたらしい🤔
モンゴル軍が強いのはそうだけど、その最強が最新兵器を導入してようやく落ちた襄陽・樊城の防衛力ね。
光武帝・劉秀も興味深い人物ですが、陰麗華様に比べれば。。。。
中国の歴史における多くの重要な戦いが徐州とその周辺で起こり、多くの決定的な戦いがありました。 古代には、楚漢と垓下の戦いがありました。 現代では、国民党と共産党の淮海戦がありました。 これらは中国の運命を決定する決定的な戦いです。
新王朝には名将 猛将と言った人物は居なかったのかな?決戦シリーズ面白いですね😃梁の鐘離の戦いなんてのも面白そう😊
雲台二十八将の6位、名将岑彭は新の武将として緑林軍と戦ってましたよ。
@@ヤな塩梅 様あの有名な雲台二十八将❗️『神業』岑彭って新将だったんですねわざわざありがとうございました😊
厳尤とかですかね
@@dazeeye7313 様巌尤 知らなかったのでWikipediaで調べました。成る程、献策を悉く聞き入られなかったのですね。もし巌尤の策を用いたら歴史が変わっていたのかも。 わざわざありがとうございました😊
@@cainabel4909 さん他の方の付け足し情報ですが、岑彭は宛の守将でした。ここを陥落させたのが、劉秀の長兄・劉縯です。劉縯は岑彭の奮戦を高く評価して、彼を助命して自分の配下の将にしていました。(すでにご存じなら、失礼いたしました)
南宋は戦じゃなくて外交が下手だったんだな
昆陽の戦いの時の新軍、兵法家数百人を加えた上、猛獣まで連れて行ったんじゃ、どう考えても軍隊の統率が取れなくなる気がする…。襄陽・樊城の戦いはテクノロジーがいかに戦争を左右するかわかる気がします…。両城の兵や住民たちは自分たちが想像すらした事がないタイプの最新鋭のテクノロジー兵器を敵が使って、妖術じゃないかと思って凄まじい恐怖心を味わったんじゃないかと思います…。南宋って、攻めるのはてんでダメですが国土防衛に関してはけっこう強いですね…。中華は南船北馬だから、南宋は水軍が強かったのと、金やモンゴルは陸上戦はめちゃくちゃ強くても、ちゃんとした水軍をなかなか作れなかったからですかね…。(もっとも、モンゴルは東は中華から西はヨーロッパまで様々なテクノロジーを集約できるので、最終的には南宋を降せるだけの水軍は作れたんだと思うが。)20:51 それ、アジュじゃなくて、アンジュ…。
南宋の敗軍の将、余剰戦力と高麗を元寇に投入したからモチベーションがなかったらしいね。
戦闘決戦はどちらかに肩入れした方がおもしろい。歴史なので決着はついている。だから敗者立場でそれを知りたいなあ。プロレスラーは中学生と勝負して勝ち続けるか。少数は大数に負けるか。全身を傷つけるより指を一本を切り落とす方が効果的なこともある。勝つにはそれなりの条件があり勢いがある。それを知りたいなあ。
昆陽の戦いの勝因はやる夫光武帝でも考察されてた記憶。そして鳥人間は新たなシリーズを始めるのか…。お願い!死なないで鳥人間!あんたが今ここで倒れたら、西太后や秦紀との約束はどうなっちゃうの?
ー!クレメンス。(ファンとは我儘なものです)9連ガチャが素晴らし過ぎて忘れられない。
南宋末期の長さにびっくり。
徳島市民として、鳥居龍蔵を出してくれたことに感謝します。
南宋絶対防御システム・・・。生きて襲い掛かってくるタイプの万里の長城・・・。
しかし光武帝劉秀はすごいな。寡兵を以て大軍は破るわ、柔よく剛を制するわ、隴西を得て蜀も取るし、挙げ句に嫁にするなら陰麗華だし。
襄陽・樊城の戦い、ホントにつくづくどこぞのコンスタンティノープル攻略戦だよ…回回砲なんかモロにオスマン艦隊の山越えの役回りじゃんか今日もまた南宋と末期ビザンツがダブって仕方ないイングランドの護国卿ですハイ
元寇の時の「てつはう」はマンジャニークなのかなぁ?
王莽 奸臣王猛 忠臣どこで差がついたのか
主君(上司)の器の違い
光武帝キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!( ゚∀゚)o彡°リューシュー!( ゚∀゚)o彡°リューシュー!
うーん、やはり光武帝劉秀は真の勇者やな
おもしろそうな企画
南宋はなんで襄陽、樊城に支援軍を送らなかったのか…6年もあったのに。ただの時間稼ぎになってたかもですが。歴史を変えた決戦シリーズ化希望です。それをとっかかりにして未視聴の動画も見ていきたいと思っています。
そんな事情があったんですね。勉強になります!
史書に書かれた人数はやはり流民を含むものですね。軍、進軍、戦、全て現地調達メインで賄われる以上加わらない選択肢が無くなりますし豊かな邑であったらそれこそ住民男子全員が集まって軍を作らなかったら守れない。全てのレベルで参加圧力が凄いから乱は災害であり秩序が失われるとは人命が大量に失われるのと同義になる。戦場になったらお終いだし開戦したら全員が生死ガチャの列に並ぶ事になる。自分は色々考えて平和か核による相互確証破壊で良いと思うしそれ以外は不真面目な火遊びに見える。千トンのプルトニウムは兵器にするのが1番安全でもある。
1:46清の初期にも緑林軍ってあるよね。語源とか教えてください。
光武帝すこ
ご支援!ありがとうございます!!まことに嬉C~ッ!!
@@c-history 漢は高祖、文帝、景帝、宣帝…と有名な皇帝も多いですが、少帝(?)とされた3人の悲しい話も何というか味があって、知れば知るほど面白い時代ですよね。
スーパーサンクスでメッセージ編集できるのすこ
范文虎と云えばやはり半分個だよなあ。もぐもぐ…🤤
孟珙はすごいのに知名度低いのが残念。防衛システムの構築で全盛期のモンゴルを数十年を防いだのは中国の歴史で有数の戦略家だと思うんだけど
猛獣も巨人も制御できる王莽軍すごい南蛮人でありユミルの民なのか
昆陽の戦いでの王莽の間接的な敗因としては、王朝簒奪から間もない時期であったことが大きいと思われる。王朝交代の前後というのは、とかく混乱が生じやすいのは、どの時代でも変わらないものだ。王莽の場合、用意周到に帝位簒奪をやってのけたが、名目上は仕方なしに即位するという形であった。前漢の統治システム、政策をそのまま使うべきであったが、周代を理想とした時代錯誤な政策を行なって混乱をきたした。反乱を招いてしまったのは自業自得とも言えるだろう。歴史にifはないが、失策をしていたとしても昆陽の戦いにいたるまでに前漢王朝に関係する帝室関係者を消すなり取込むなりしていたならば、王莽政権はもう少し保ったかもしれない。襄陽樊城の戦いは、確実にフビライの分析の正確性と作戦による勝ちと言えるだろう。それだけではなく、回回砲という新兵器の導入でこう着状態から脱却できたことも大きい。十分同意できるし、毎回投稿者の分析には脱帽する。
孟珙は防御戦の達人として有名ですが、あまり中国では有名ではないそうです。彼の活躍する『宋元軍談』は日本人の著作だそうですし…でも、彼の字が「璞玉」(原石の意)だと知った時はそのカッコ良さに惚れ込みましたね。子が出来るならそのような美名を付けたいものです。
モンゴル側が対南宋レベルの動員数で日本に攻め込んだ場合、果たして鎌倉幕府は防ぎきれただろうか?某歴史考察動画では、兵站が持たないという理由で14万が限界と説明していたが・・・
鳥を見つけましたよ。もう出てたかな😁ル・トリオンファンフランス海軍の大型駆逐艦。又はフランス海軍の戦略ミサイル原子力潜水艦。
あのへんはもはや小型軽巡洋艦な気がするw
南宋、軍隊の強さでいえば歴代江南王朝の中でも指折りでは
今さらながらですが、南宋て実に興味深い国ですね。かつては蛮夷の地ちであり後進地域だった長江流域が孫呉から隋唐を経て豊かなところとなり南宋の長ーい抵抗を支えたと。しかもあれ程の常備軍や防衛線を維持出来たとは。いつか南宋をマ鳥🦉🦅🦆ックス人間さんにご教授されたいな。
兵士壱「何か不思議だよな…」兵士弐「何だよ、何が不思議なんだ?」兵士壱「いや、劉偏将軍の事だよ」兵士弐「将軍がどうしたって?」兵士壱「あの将軍、ついこの間までは五百の敵勢に恐れ慄き、逃げたのにだ…それが今じゃ一万の敵軍に突撃するんだから…」兵士弐「訳分からんのか? でもよ、良いんじゃねぇの? 頼もしいかぎりだろ」兵士壱「…かもな」…………鄧奉「おい、朱祜! 文叔の奴…あんなに強かったのか?」朱祜「ああ、そうだよ。 知らなかったの?」鄧奉「あいつ、今まで大人しかったからな…」朱祜「まぁ無理も無いかなぁ~、人知れず撃剣の腕を磨いていたし、腕前は伯升に引けを取らないよ。でも今回の挙兵は、寝耳に水だったから…当初は戸惑っていたみたい」鄧晨「そして、今では戦う男の顔になっているからな…我が妻のおかげだな」鄧奉「叔父貴…」
淝水は無しか
煥の字は悲劇の守将になる運命なのカナ?
14:10〜
モンゴルと南宋の最後は優れた将兵の拮抗とそれを破る新たなテクノロジーの勝利か…そう考えると南宋はとても人材がいたんですね…20:51アジュじゃなくてアンジュやないかーい!鳥人間さんは結構Vチューバー見るのかな…?
南宋と明の滅亡は絵になりますよね。悲劇ではあるんですけど、登場人物に男気があって・・・しかし南宋と明の滅亡、司馬遼太郎でさえラノベに片足はまるという舞台。妄想が捗りますよwww新の滅亡は・・・滅ぶべくして滅んだ。むしろ滅ぼされた相手に感謝すべき無能
劉秀「いったん外へ出て兵をかき集めて戻ってくるわ」
王常「頼むで」
これ普通に考えたら「コイツ逃げ出して戻ってこないやろなぁ…」とか考えそうなんだけど、王常も劉秀を信じてよく持ちこたえたなと思う。走れメロスみたい。降り注ぐ矢があまりに多すぎて、水汲みに行くにも戸板を背負わないといけなかったような籠城戦だったのに。
「船頭多くして船山に登る」「見掛け倒し」を新側がこれでもかといわんばかりに地で行ったのが昆陽の戦いだったのですね。
秀吉の文禄・慶長の役を明国側からの解説をお願いします。
ポーランドソビエト戦争の時もワルシャワ陥落目前でヴィスワ川の戦いに完勝してソ連軍が総崩れになって2ヶ月後にはポーランドが逆転勝利してしまったように乾坤一擲の作戦で戦局が大いに覆ることも歴史上ままある。
徹底抗戦した呂文煥のその後が気になっていたらちゃんと動画内で言及されていて嬉しかったです。敗軍の将も力量・志のある者ならきちんと厚遇するところがフビライの器の大きさですね。
ありがとうございます!
今回も楽しませて頂きました。ありがとうございます。そのうち、また三國志もお願い致します。
多大なご支援……まこと有り難き幸せにございます……!!
このご厚意を励みに、今後も一層動画作りに邁進していきます!!
見る前に書き込むけど更新あるだけでテンション上がる。ありがとう。ゆっくり休んでね。
呂文煥はあの元軍を相手取って8年も持ちこたえたなかなかの名将ですね
昨日今日で仕事は久々の連休!
ビールも中国史も連日楽しめる!
熱い展開です!
昆陽の戦いと襄陽・樊城の戦いの動画、ありがとうございます。
「昆陽の戦い」「襄陽・樊城の戦い」ですか…さすが、目のつけどころが違いますね!
南宋の孟珙はもっと知られていい人物ですよね。彼の生きている間はモンゴル軍は南宋攻略において主導権を得られなかったのだから。
よく「宋朝弱兵」などと言いますが、国土防衛に関しては弱いなんていうことはなく、幾度も外国の侵攻を防いでます。モンゴル軍も南宋征服まで30年以上かかりました。
「兵や民衆の士気や統率の高さが勝敗を分ける」
2つの戦いの共通点だと思います。
回回砲は陳舜臣の小説を読むと、歴史小説に急にSFの最終兵器が出てくるみたいな描写になってる
凄い面白かった😃
南宋の末期はあまり教科書で扱われないので動画良かった。
南宋は比較的統治は良かったので滅亡を避けるため将兵もギリギリまで戦った感じが最高です😆🎵🎵
涯山の戦いもリクエストします🎵
最初調子乗ってたのにモンゴルと南宋に挟まれてすり潰されちゃう金好き。
遠投投石機って何でも投げれるらしいので言葉に表せないようなモノもいっぱい投げ込まれたんだろうなぁと思います
モンゴル待ってた。もっともっとモンゴル帝国ちょうだい
呂文煥の樊城・襄陽の戦いぶりは、金庸の代表作『射鵰英雄伝』『神雕侠侶』『倚天屠龍記』からなる射鵰三部作で、主人公郭靖一家、楊過の襄陽で戦いぶりがモデルになってるんで、非常に興味深く見れました。
一つの戦いにクローズアップするのは良いですね!
決戦シリーズ化期待しちゃいます、ゆっくりマイペースで構いませんので
こういった解説は非常にためになります。いつもありがとうございます。
劉秀の動画は何度も見返しおります。疾風にけい草を知るのあたりが好きです。リメイク期待しております。
わ、アンケートに答えた希望が動画になってる。うれしい😆
さて、ノートを用意して、勉強勉強。
湖北の重要性は、後漢末から清末、現在に至る。
江南王朝の明も、劉基が湖北の支配を優先する戦略を立て、後に北伐を成功させた。
攻めるにも守るにも不可欠の兵家必争の地。
宮崎市定の水滸伝-虚構のなかの史実によると襄陽攻囲戦でモンゴル軍の包囲を突破して救援物資を城内に届けようとして戦死した張順という武将が水滸伝の張順のモデルになったそうです。物語の最期の死に様が史実とそっくりでおそらく水滸伝の作者はこのエピソードを知って物語に使用したのだろうと。
きょうが表示できてるのに感動。
漢室劉氏とはいえ弱小豪族に過ぎなかった劉秀が皇帝になり漢王朝を復興させたのは奇跡と言えよう。
この時期のモンゴルの強さは本当にすごいですね…。
毎回凄いガン見してしまう
決戦シリーズすごく楽しみ!
個人的にはタラス河岬の戦いが見たいです!
鳥居龍蔵❤️
今回もとても楽しかったです😊
中国史決戦シリーズ、壮大ですね。
動画面白かったです。特に襄陽・樊城の戦いが面白かったです。モンゴル帝国が南宋の水軍に苦戦していなかったら、水軍を整備せず、元寇も無かったかもしれませんね。「三軍は将をもって主となす。主衰うれば、軍、奮意なし。三軍以将為主、主衰則軍無奮意。」魏書、荀攸伝。なんて言葉があったかと思います。指揮官の心理状態が、軍にとっていかに重要なのかが分かる面白い動画ですね。長文すみません。
始まってすぐ戦闘BGMが始まって驚き、マンガ肉で笑ってしまいましたw
孟珙という人物、恥ずかしながら知りませんでした、、、
これ程の名将がまだ在野にいたとは・・・
南宋と聞くと岳飛がどうしても一人歩きしてしまうくらい神仏化されているから、この孟珙はもっと評価されてほしいですね
今回もよかったです。こういうyoutubeありそうで実はあまりない切り口がこのチャンネルの真骨頂と思います。
孟珙が南宋に居なければ正直もう30年くらいは早くに南宋は滅亡していたかもしれない。
李牧もそうだが、まさに守戦の名将!!
なお光武帝の兄劉エン自身も一軍の将として十分有能。ただし弟がすごすぎて、触れられることがないというね・・・
半分こさん、何か親しみを感じてしまう...
モンゴル軍の漢人武将をお願いします
特に襄陽・樊城の戦いにも参戦した神人・郭侃!
中国史を変えた決戦というならタラス河畔の戦いや鄱陽湖の戦いも含まれるんじゃないか
タラス河畔の戦いは中国史を変えなかった。世界史が変わった。
決戦シリーズ、ヒ水の戦いや参合陂の戦いも是非…孟珙の事は単独の動画でも取り上げる価値がありますね。テクノロジーが変えた戦いでもありますね。
襄陽を巡る戦い、なんか信長の本願寺攻囲戦を思い出した。やっぱ水軍が強くないとダメなんだね~。
天下分け目の戦いにもいろいろな形があるものだと感心しました。
特に機動しないモンゴル軍の戦いってまるでイメージが無かったので新鮮でした。
敗戦から敵を観察し万全の補給に陣地と水軍の構築、勢いだけで世界を震撼
させた訳ではないんだなあと。主に政治面で相手の制度をそのまま飲み込む柔軟
さがあったと聞いてはいたが、軍事でもしっかり使ってたんですねえ。
そしてとどめを刺すまで決して緩まないのはさすがのモンゴルですね~
私の好きな劉秀と孟珙を取り上げてもらえるなんて、あなた様は神でございましょうか?
個人的に南宋最高の名将は孟珙だと思ってます。
こんな南宋攻略直後に文永の役だったんか
スケジュールがタイトすぎる
このシリーズ面白い。
スターっていうのは何も無いところから突然現れるのが常なんだけど、昆陽の劉秀なんかはまさにそんな感じがする。それまで大きな軍功を立てていなかった地味で慎重な男が突然40万の大軍蹴散らしたりしたら、それこそ一緒に戦ってた一兵卒からしたら劉秀が神様の使いか何かに見えたかもしれない。天候まで味方してるし。
兵器の歴史に興味出ました
西のバグダッドで中国の火薬を使い、東の襄陽・樊城でペルシアの投石機を使えるんだから強いわけですよ。
孟珙は田中芳樹氏が選ぶ中国史名将99人にも入っておりますね
南宋末期は岳飛と文天祥の存在が大きすぎて他の英傑たちがやや霞みがちですが……
チンギス配下等のモンゴル帝国の武将はあまりユーチューブでも紹介されてないので、是非ともヨロシクお願いします
ありがとうございます。我が故郷の偉人、鳥居龍蔵先生を取り上げていただきまして。ということで、鳥居先生も中国史(主に辺境)にフィールドワークを進め、関わりある人物ということで、番外編ということで紹介いただけませんでしょうか。是非ともお願いします。
日中戦争でこんな敵の使い方ができていたら。 歴史を学ぶことは大事ですね。
おっ、もうすぐ昆陽の戦い2000周年だ。と思って、気が遠くなりました。
中国史に度々出現する怪物たち相手に、ジャイアントキリングをやってのけた武将の紹介も見てみたい
陳慶之とか?
シリーズ化決定ですか
次は中華史上で多分唯一完全に北と南で国家存亡を賭けた全面対決になった淝水の戦いですかね?
Thanks!
ご支援ありがとうございまァす!!
ご厚意まことに感謝の極みでございます!!
王莽の軍ただでさえ兵士の数が凄くて兵糧事情苦しそうだし、その上で猛獣まで引き連れたら
マジで兵糧無さそうだよね・・・。
ネタ抜きに病気で倒れたりした兵士がそのまま猛獣の餌になってそう。
王莽伝では「傾府庫以遣(大司空王)邑」ってことなので、王邑の派遣で兵糧は大変だったでしょうね。財宝を持ち猛獣を連れていったのも、王莽の見栄と山東を畏怖させるためだったようですが。
猛獣を連れての攻撃、
軍が混乱したら、周囲の騒乱に飲まれ、
猛獣は本能のまま動き、
混乱に拍車をかける事になるとしか思えん。
シリーズ化するなら南北朝でスルーした鍾離の戦いをお願いします!
いつも素晴らしい動画ありがとうございます。史記や三国志ぐらいしか知らなくて、いつも勉強になります。これから頑張ってください。
決戦といえば韓信の背水の陣、セイケイの戦いと、フケンのヒスイの戦いが好きかな。
戦いそのものは大したことないが、違う意味で歴史に大きな影響を与えた、タラス湖畔の戦い。
王宮に直撃してその威力の記録残ってる位、フビライが職人を態々中東から呼び寄せ、南宋の心をへし折ったトレビシュット式の投石機って欧州で大砲が広まっても、火薬無しで撃てる面が評価されてかなり長い間戦場で活躍したんだよね。
金王朝と蒙古の戦いもリクエストします
ナビゲーター世界史によるとかなりエグい兵糧攻めで金を滅ぼしたらしい🤔
モンゴル軍が強いのはそうだけど、その最強が最新兵器を導入してようやく落ちた襄陽・樊城の防衛力ね。
光武帝・劉秀も興味深い人物ですが、陰麗華様に比べれば。。。。
中国の歴史における多くの重要な戦いが徐州とその周辺で起こり、多くの決定的な戦いがありました。 古代には、楚漢と垓下の戦いがありました。 現代では、国民党と共産党の淮海戦がありました。 これらは中国の運命を決定する決定的な戦いです。
新王朝には名将 猛将と言った人物は居なかったのかな?
決戦シリーズ面白いですね😃
梁の鐘離の戦いなんてのも面白そう😊
雲台二十八将の6位、名将岑彭は新の武将として緑林軍と戦ってましたよ。
@@ヤな塩梅 様
あの有名な雲台二十八将❗️
『神業』岑彭って新将だったんですね
わざわざありがとうございました😊
厳尤とかですかね
@@dazeeye7313 様
巌尤 知らなかったのでWikipediaで調べました。成る程、献策を悉く聞き入られなかったのですね。もし巌尤の策を用いたら歴史が変わっていたのかも。 わざわざありがとうございました😊
@@cainabel4909 さん
他の方の付け足し情報ですが、岑彭は宛の守将でした。
ここを陥落させたのが、劉秀の長兄・劉縯です。
劉縯は岑彭の奮戦を高く評価して、彼を助命して自分の配下の将にしていました。
(すでにご存じなら、失礼いたしました)
南宋は戦じゃなくて外交が下手だったんだな
昆陽の戦いの時の新軍、兵法家数百人を加えた上、猛獣まで連れて行ったんじゃ、どう考えても軍隊の統率が取れなくなる気がする…。
襄陽・樊城の戦いはテクノロジーがいかに戦争を左右するかわかる気がします…。両城の兵や住民たちは自分たちが想像すらした事がないタイプの最新鋭のテクノロジー兵器を敵が使って、妖術じゃないかと思って凄まじい恐怖心を味わったんじゃないかと思います…。
南宋って、攻めるのはてんでダメですが国土防衛に関してはけっこう強いですね…。中華は南船北馬だから、南宋は水軍が強かったのと、金やモンゴルは陸上戦はめちゃくちゃ強くても、ちゃんとした水軍をなかなか作れなかったからですかね…。(もっとも、モンゴルは東は中華から西はヨーロッパまで様々なテクノロジーを集約できるので、最終的には南宋を降せるだけの水軍は作れたんだと思うが。)
20:51 それ、アジュじゃなくて、アンジュ…。
南宋の敗軍の将、余剰戦力と高麗を元寇に投入したからモチベーションがなかったらしいね。
戦闘決戦はどちらかに肩入れした方がおもしろい。歴史なので決着はついている。だから敗者立場でそれを知りたいなあ。プロレスラーは中学生と勝負して勝ち続けるか。少数は大数に負けるか。全身を傷つけるより指を一本を切り落とす方が効果的なこともある。勝つにはそれなりの条件があり勢いがある。それを知りたいなあ。
昆陽の戦いの勝因はやる夫光武帝でも考察されてた記憶。
そして鳥人間は新たなシリーズを始めるのか…。お願い!死なないで鳥人間!あんたが今ここで倒れたら、西太后や秦紀との約束はどうなっちゃうの?
ー!クレメンス。
(ファンとは我儘なものです)
9連ガチャが素晴らし過ぎて忘れられない。
南宋末期の長さにびっくり。
徳島市民として、鳥居龍蔵を出してくれたことに感謝します。
南宋絶対防御システム・・・。
生きて襲い掛かってくるタイプの万里の長城・・・。
しかし光武帝劉秀はすごいな。寡兵を以て大軍は破るわ、柔よく剛を制するわ、隴西を得て蜀も取るし、挙げ句に嫁にするなら陰麗華だし。
襄陽・樊城の戦い、ホントにつくづくどこぞのコンスタンティノープル攻略戦だよ…
回回砲なんかモロにオスマン艦隊の山越えの役回りじゃんか
今日もまた南宋と末期ビザンツがダブって仕方ないイングランドの護国卿ですハイ
元寇の時の「てつはう」はマンジャニークなのかなぁ?
王莽 奸臣
王猛 忠臣
どこで差がついたのか
主君(上司)の器の違い
光武帝キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
( ゚∀゚)o彡°リューシュー!( ゚∀゚)o彡°リューシュー!
うーん、やはり光武帝劉秀は真の勇者やな
おもしろそうな企画
南宋はなんで襄陽、樊城に支援軍を送らなかったのか…6年もあったのに。ただの時間稼ぎになってたかもですが。
歴史を変えた決戦シリーズ化希望です。それをとっかかりにして未視聴の動画も見ていきたいと思っています。
そんな事情があったんですね。勉強になります!
史書に書かれた人数はやはり
流民を含むものですね。
軍、進軍、戦、全て現地調達メインで賄われる以上加わらない選択肢が無くなりますし豊かな邑であったらそれこそ住民男子全員が集まって軍を作らなかったら守れない。全てのレベルで参加圧力が凄いから乱は災害であり秩序が失われるとは人命が大量に失われるのと同義になる。戦場になったらお終いだし開戦したら全員が生死ガチャの列に並ぶ事になる。自分は色々考えて平和か核による相互確証破壊で良いと思うしそれ以外は
不真面目な火遊びに見える。
千トンのプルトニウムは兵器にするのが1番安全でもある。
1:46
清の初期にも緑林軍ってあるよね。語源とか教えてください。
光武帝すこ
ご支援!ありがとうございます!!
まことに嬉C~ッ!!
@@c-history 漢は高祖、文帝、景帝、宣帝…と有名な皇帝も多いですが、少帝(?)とされた3人の悲しい話も何というか味があって、知れば知るほど面白い時代ですよね。
スーパーサンクスでメッセージ編集できるのすこ
范文虎と云えばやはり半分個だよなあ。
もぐもぐ…🤤
孟珙はすごいのに知名度低いのが残念。防衛システムの構築で全盛期のモンゴルを数十年を防いだのは中国の歴史で有数の戦略家だと思うんだけど
猛獣も巨人も制御できる王莽軍すごい
南蛮人でありユミルの民なのか
昆陽の戦いでの王莽の間接的な敗因としては、王朝簒奪から間もない時期であったことが大きいと思われる。
王朝交代の前後というのは、とかく混乱が生じやすいのは、どの時代でも変わらないものだ。
王莽の場合、用意周到に帝位簒奪をやってのけたが、名目上は仕方なしに即位するという形であった。
前漢の統治システム、政策をそのまま使うべきであったが、周代を理想とした時代錯誤な政策を行なって混乱をきたした。
反乱を招いてしまったのは自業自得とも言えるだろう。
歴史にifはないが、失策をしていたとしても昆陽の戦いにいたるまでに前漢王朝に関係する帝室関係者を消すなり取込むなりしていたならば、王莽政権はもう少し保ったかもしれない。
襄陽樊城の戦いは、確実にフビライの分析の正確性と作戦による勝ちと言えるだろう。
それだけではなく、回回砲という新兵器の導入でこう着状態から脱却できたことも大きい。
十分同意できるし、毎回投稿者の分析には脱帽する。
孟珙は防御戦の達人として有名ですが、あまり中国では有名ではないそうです。
彼の活躍する『宋元軍談』は日本人の著作だそうですし…
でも、彼の字が「璞玉」(原石の意)だと知った時はそのカッコ良さに惚れ込みましたね。
子が出来るならそのような美名を付けたいものです。
モンゴル側が対南宋レベルの動員数で日本に攻め込んだ場合、果たして鎌倉幕府は防ぎきれただろうか?
某歴史考察動画では、兵站が持たないという理由で14万が限界と説明していたが・・・
鳥を見つけましたよ。もう出てたかな😁
ル・トリオンファン
フランス海軍の大型駆逐艦。又はフランス海軍の戦略ミサイル原子力潜水艦。
あのへんはもはや小型軽巡洋艦な気がするw
南宋、軍隊の強さでいえば歴代江南王朝の中でも指折りでは
今さらながらですが、
南宋て実に興味深い国ですね。
かつては蛮夷の地ちであり後進地域だった長江流域が孫呉から
隋唐を経て豊かなところとなり
南宋の長ーい抵抗を支えたと。
しかもあれ程の常備軍や防衛線を維持出来たとは。いつか南宋をマ鳥🦉🦅🦆ックス人間さんにご教授されたいな。
兵士壱「何か不思議だよな…」
兵士弐「何だよ、何が不思議なんだ?」
兵士壱「いや、劉偏将軍の事だよ」
兵士弐「将軍がどうしたって?」
兵士壱「あの将軍、ついこの間までは五百の敵勢に恐れ慄き、逃げたのにだ…それが今じゃ一万の敵軍に突撃するんだから…」
兵士弐「訳分からんのか? でもよ、良いんじゃねぇの? 頼もしいかぎりだろ」
兵士壱「…かもな」
…………
鄧奉「おい、朱祜! 文叔の奴…あんなに強かったのか?」
朱祜「ああ、そうだよ。 知らなかったの?」
鄧奉「あいつ、今まで大人しかったからな…」
朱祜「まぁ無理も無いかなぁ~、人知れず撃剣の腕を磨いていたし、腕前は伯升に引けを取らないよ。
でも今回の挙兵は、寝耳に水だったから…当初は戸惑っていたみたい」
鄧晨「そして、今では戦う男の顔になっているからな…我が妻のおかげだな」
鄧奉「叔父貴…」
淝水は無しか
煥の字は悲劇の守将になる運命なのカナ?
14:10〜
モンゴルと南宋の最後は優れた将兵の拮抗とそれを破る新たなテクノロジーの勝利か…
そう考えると南宋はとても人材がいたんですね…
20:51アジュじゃなくてアンジュやないかーい!
鳥人間さんは結構Vチューバー見るのかな…?
南宋と明の滅亡は絵になりますよね。悲劇ではあるんですけど、登場人物に男気があって・・・
しかし南宋と明の滅亡、司馬遼太郎でさえラノベに片足はまるという舞台。妄想が捗りますよwww
新の滅亡は・・・滅ぶべくして滅んだ。むしろ滅ぼされた相手に感謝すべき無能