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寝ぼけ署長とのお別れがちょっと寂しいですねアリアさんの朗読も素晴らしいです。作品の前後の静かな音楽、余韻を味わえて朗読に加え全てがまとまった作品のように感じます。ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。心があったまる話でした。こちらこそいつもありがとうございます。😊😊😊
🤔😥🤗始まりが有って終わりがある終わりが有るから次があるひらひらと落ちる雪も落ちる所に落ちて落ち着く昨日[運命のままに]という言葉が耳に入りぼんやり考えていたらこんな話[運命のままに]かと
シリーズのご視聴ありがとうございました。🌈始まりはワクワクし、最後は寝ぼけ署長ロスです。運命のままに、いいですね。刻みこみました。
アリアさんの署長シリーズも最後。残念だが致し方ない。事件の様で事件じゃない。 署長さんらしい去り方…面白い朗読劇でした。🎉😊😮。又、違う作品でアリアさんを楽しみたく、思います❤。
ご視聴ありがとうございました。署長シリーズも大好きでした!次回は・・・!またお待ちしています。🥰🥰🥰
朗読、ありがとうございます。周五郎の唯一の探偵物シリーズが終わってしまい名残り惜しいですね。「わが寝ぼけ署長はその日の午後、どこかへ散歩にでもゆくような姿で、こっそりと独りこの市を去ってゆきました。好雪片片不落別処。署長はいまどこにおちついていることでしょうか。 」周五郎らしい名文で終わっています。調べたら、好雪片片不落別処(こうせつへんべん べっしょにおちず)は「美しい雪はひらひらと落ちるべき所へ一つ一つ落ちていく」という程の意味のようで、漢詩のように美しいですが、禅書の碧眼録の一文で、禅の無碍の境地を表したものらしいです。落ちていく雪のようにどこかに落ちていった五道署長... 本シリーズは、インテリの進歩的青年層向けの雑誌に掲載された背景もあって、周五郎は自在に時には強引に時には理詰めにストーリーを展開してますが、読者と共にその虚構性を楽しんでいるように見えました。ただ、その虚構の主人公である五道署長には、幾分かは作者の面影(自己投影)があって、それも周五郎は楽しんで書いていたのでしょうか。
シリーズのご視聴ありがとうございました😊最後の終わり方素敵でした。インテリ向けだけあって知らない事も多く、色々検索したりして楽しかったです。周五郎先生も自己投影きっと楽しまれたと思います✨
寝ぼけ警視総監を期待してます。此のシリーズ他の人も朗読してましたがアリアさんだけを聞いていましたよ。ありがとうm(_ _)m
こちらこそシリーズご視聴いただきありがとうございました。😉😉😉
「私」が五道署長から「君の節穴のような眼と空壜(あきびん)のような頭を大事にしたまえ」と毒舌を言われても五道署長と最後にふたりで松田屋という温泉宿で将棋を指すシーンが好きなんです😊。「私」は頭を垂れ五道署長はふと立って障子を明け(開け)、暫く雪を見て・・・。五道署長の詠うような調子で呟く言葉はpiz2010さんの解説にあります😅。終わっちゃいましたね。寝ぼけ署長シリーズも。寂しいけど次回シリーズ作品は何か楽しみという事で😊(あっ、ちょうどどら兵太、今BS日テレでやってますのでまた観ています。寝ぼけ署長も町奉行日記も底辺は一緒かなと)。エンディングの音楽も画像も素敵でした。もちろんアリアさんの朗読も。
シリーズのご視聴ありがとうございました😊✨君の節穴のような眼と空瓶のような頭を読む時ギクリとしました💦最後の好雪片片はTH-camの禅語チャンネルで調べました。便利ですねー!どこへ行っても人々に愛される署長、いつまでも心に残る作品でした。
@@Aria8888 様お疲れ様でした♪新シリーズ期待してます🙇♀️
好雪片片の一句はとても有名のようで、単独でお茶席の軸にも飾られているようですね。五道署長がつぶやいた一節は中国の碧巌録の一節で、調べたら、その話の全文はなかなか面白いですよ。「では雪は何処に落ちるんですか」と聞いた禅僧(禅客)がいるんです。全文を引用しますね。「龐居士が薬山禅師の所を辞すとき、薬山は十人の禅客に見送りを命じ、門前に来た時、居士は降る雪を指して好雪片片別処に落ちずと言った。そのとき全という禅客が、ではどこに落ちるのか、と尋ねたら、居士に平手打ちで一発叩かれた。そんなにあわてて叩かないでと全が言うと居士は、お前はそんなことで禅客などと言っていると閻魔様が許さないぞ、と言うと、全は、では居士ならどう答えますか、と聞いた。居士はまた一発叩いて、眼は見ていても盲同然、口は喋っていても唖同然だ、と言った。雪竇は、好雪片片別処に落ちずと言ったときに、ただ雪団を握ってぶつけてやればよかったのだと評した。見る雪もなく、見られる雪もなく、自らが好雪片々そのもの、天地宇宙に溶け込んでいる境地という。」最初の部分を五道署長はつぶやいた訳ですね。「君の節穴のような目...」の言葉もこの文の影響で周五郎は書いてますね。それにしても「雪つぶてを投げつけてやればよかったのだ」というのは笑えますね。
@@piz2010 さま 全文ありがとうございます!なんと!雪つぶてを投げつけてやればよかったとは!自ら好雪片片そのもの天地宇宙に溶け込んでいるんですね。深い話でした。
落語の「こんにゃく問答」じゃないけど、禅では訳のわからない事を言った方が勝ちって感じですね(笑)
周五郎が携わった文芸作品は小説だけに止まらず 幾数千に関わっています🤣映画どら平太も町奉行日記が原作で 周五郎作品は時代劇から現代ドラマの基礎石ですので🤣映像作品の筋書きは何やら何処かで思えの有る 作品だなーと感じますが🤣盲しいた座頭には アリアが読み聞かせる朗読で聴く周五郎作品に勝るもの無いのですよ🤣やはり武家物が恋しいのは 日本人の証明ですかねー? ぜひ外国の方にも聴いて欲しいです🤣
ご視聴ありがとうございました。そうですね、作品を読んだことがなくても何かで触れたことがあると思います。しかし外国の方に伝わるかな?と思います。
若い 頃から 山本周五郎氏の作品を愛読しましたがこのような現代ものもいいですね、語りも哀愁があって素晴らしい。署長に扮するとしたらどなたがふさわしいでしょうか、まず浮かんだのは警察日記の三島雅夫さんです。
是非、映像で見たいですね!ご視聴いただきありがとうございました😊💖
シリーズ完走おめでとうございます!大団円を期待して聴きに来ましたが何だか話のスケールがコマイなぁ~人物の描写も薄ボンヤリしてるし、トリックも陳腐で、心なしか朗読まで気が抜けてる様な・・・もしかして周五郎先生、ネタ切れ?連載打ち切りでも喰らってやっつけ仕事?などと考えた自分は寝ぼけ署長の「別れは只々静かに去って行きたい」という奸計にキッチリハマっていたのであったw
ご視聴ありがとうございました。署長は今頃どこへ・・・といつまでも想像を膨らませます。
寝ぼけ署長とのお別れがちょっと寂しいですね
アリアさんの朗読も素晴らしいです。作品の前後の静かな音楽、余韻を味わえて朗読に加え全てがまとまった作品のように感じます。ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。心があったまる話でした。こちらこそいつもありがとうございます。😊😊😊
🤔😥🤗
始まりが有って終わりがある
終わりが有るから次がある
ひらひらと落ちる雪も
落ちる所に落ちて落ち着く
昨日[運命のままに]
という言葉が耳に入り
ぼんやり考えていたら
こんな話
[運命のままに]かと
シリーズのご視聴ありがとうございました。🌈始まりはワクワクし、最後は寝ぼけ署長ロスです。運命のままに、いいですね。刻みこみました。
アリアさんの署長シリーズも最後。
残念だが致し方ない。
事件の様で事件じゃない。 署長さんらしい去り方…面白い朗読劇でした。🎉😊😮。
又、違う作品でアリアさんを楽しみたく、思います❤。
ご視聴ありがとうございました。署長シリーズも大好きでした!次回は・・・!またお待ちしています。🥰🥰🥰
朗読、ありがとうございます。
周五郎の唯一の探偵物シリーズが終わってしまい名残り惜しいですね。
「わが寝ぼけ署長はその日の午後、どこかへ散歩にでもゆくような姿で、こっそりと独りこの市を去ってゆきました。好雪片片不落別処。署長はいまどこにおちついていることでしょうか。 」
周五郎らしい名文で終わっています。
調べたら、好雪片片不落別処(こうせつへんべん べっしょにおちず)は「美しい雪はひらひらと落ちるべき所へ一つ一つ落ちていく」という程の意味のようで、漢詩のように美しいですが、禅書の碧眼録の一文で、禅の無碍の境地を表したものらしいです。落ちていく雪のようにどこかに落ちていった五道署長...
本シリーズは、インテリの進歩的青年層向けの雑誌に掲載された背景もあって、周五郎は自在に時には強引に時には理詰めにストーリーを展開してますが、読者と共にその虚構性を楽しんでいるように見えました。ただ、その虚構の主人公である五道署長には、幾分かは作者の面影(自己投影)があって、それも周五郎は楽しんで書いていたのでしょうか。
シリーズのご視聴ありがとうございました😊最後の終わり方素敵でした。インテリ向けだけあって知らない事も多く、色々検索したりして楽しかったです。周五郎先生も自己投影きっと楽しまれたと思います✨
寝ぼけ警視総監を
期待してます。
此のシリーズ他の人も
朗読してましたがアリアさん
だけを聞いていましたよ。
ありがとうm(_ _)m
こちらこそシリーズご視聴いただきありがとうございました。😉😉😉
「私」が五道署長から「君の節穴のような眼と空壜(あきびん)のような頭を大事にしたまえ」と毒舌を言われても五道署長と最後にふたりで松田屋という温泉宿で将棋を指すシーンが好きなんです😊。「私」は頭を垂れ五道署長はふと立って障子を明け(開け)、暫く雪を見て・・・。五道署長の詠うような調子で呟く言葉はpiz2010さんの解説にあります😅。
終わっちゃいましたね。寝ぼけ署長シリーズも。寂しいけど次回シリーズ作品は何か楽しみという事で😊(あっ、ちょうどどら兵太、今BS日テレでやってますのでまた観ています。寝ぼけ署長も町奉行日記も底辺は一緒かなと)。
エンディングの音楽も画像も素敵でした。もちろんアリアさんの朗読も。
シリーズのご視聴ありがとうございました😊✨君の節穴のような眼と空瓶のような頭を読む時ギクリとしました💦最後の好雪片片はTH-camの禅語チャンネルで調べました。便利ですねー!どこへ行っても人々に愛される署長、いつまでも心に残る作品でした。
@@Aria8888 様
お疲れ様でした♪新シリーズ期待してます🙇♀️
好雪片片の一句はとても有名のようで、単独でお茶席の軸にも飾られているようですね。五道署長がつぶやいた一節は中国の碧巌録の一節で、調べたら、その話の全文はなかなか面白いですよ。「では雪は何処に落ちるんですか」と聞いた禅僧(禅客)がいるんです。全文を引用しますね。
「龐居士が薬山禅師の所を辞すとき、薬山は十人の禅客に見送りを命じ、門前に来た時、居士は降る雪を指して好雪片片別処に落ちずと言った。そのとき全という禅客が、ではどこに落ちるのか、と尋ねたら、居士に平手打ちで一発叩かれた。そんなにあわてて叩かないでと全が言うと居士は、お前はそんなことで禅客などと言っていると閻魔様が許さないぞ、と言うと、全は、では居士ならどう答えますか、と聞いた。居士はまた一発叩いて、眼は見ていても盲同然、口は喋っていても唖同然だ、と言った。雪竇は、好雪片片別処に落ちずと言ったときに、ただ雪団を握ってぶつけてやればよかったのだと評した。見る雪もなく、見られる雪もなく、自らが好雪片々そのもの、天地宇宙に溶け込んでいる境地という。」
最初の部分を五道署長はつぶやいた訳ですね。「君の節穴のような目...」の言葉もこの文の影響で周五郎は書いてますね。
それにしても「雪つぶてを投げつけてやればよかったのだ」というのは笑えますね。
@@piz2010 さま 全文ありがとうございます!なんと!雪つぶてを投げつけてやればよかったとは!自ら好雪片片そのもの天地宇宙に溶け込んでいるんですね。深い話でした。
落語の「こんにゃく問答」じゃないけど、禅では訳のわからない事を言った方が勝ちって感じですね(笑)
周五郎が携わった文芸作品は小説だけに止まらず 幾数千に関わっています🤣
映画どら平太も町奉行日記が原作で 周五郎作品は時代劇から現代ドラマの基礎石ですので🤣
映像作品の筋書きは何やら何処かで思えの有る 作品だなーと感じますが🤣
盲しいた座頭には アリアが読み聞かせる朗読で聴く周五郎作品に勝るもの無いのですよ🤣
やはり武家物が恋しいのは 日本人の証明ですかねー? ぜひ外国の方にも聴いて欲しいです🤣
ご視聴ありがとうございました。そうですね、作品を読んだことがなくても何かで触れたことがあると思います。しかし外国の方に伝わるかな?と思います。
若い 頃から 山本周五郎氏の作品を愛読しましたがこのような現代ものもいいですね、語りも哀愁があって素晴らしい。署長に扮するとしたらどなたがふさわしいでしょうか、まず浮かんだのは警察日記の三島雅夫さんです。
是非、映像で見たいですね!ご視聴いただきありがとうございました😊💖
シリーズ完走おめでとうございます!
大団円を期待して聴きに来ましたが何だか話のスケールがコマイなぁ~人物の描写も薄ボンヤリしてるし、トリックも陳腐で、心なしか朗読まで気が抜けてる様な・・・もしかして周五郎先生、ネタ切れ?連載打ち切りでも喰らってやっつけ仕事?
などと考えた自分は寝ぼけ署長の「別れは只々静かに去って行きたい」という奸計にキッチリハマっていたのであったw
ご視聴ありがとうございました。署長は今頃どこへ・・・といつまでも想像を膨らませます。