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後からBDなどで同時視聴する方向け 4:27 開始 9:36 ドライヤー(一部のちろりすの希望にこたえて, 風呂上がりのため)27:11 本編視聴開始 (スタートは富士山から開始)
同時視聴おつちろでした〜聲の形はとても考えさせられる映画でしたね!
同時視聴おつちろでした一緒に見られてうれしいです~✨感想まで聞けて良かったです~!
原作で植野は男の子の格好をしてる結弦に「女の子なんだ?」と驚かず受け入れる、遊園地では「妹?可愛いね」と結弦の手を握る、佐原が植野に指輪をプレゼントして同棲して恋愛に近い関係になることからも、植野は硝子に「差別せず最初から健常者と同じように接していた唯一の人物」であることを原作では示していました。「本当の根は優しい」のです。それをねじ曲げてしまった大人のやり口、植野は硝子に対して嫉妬心や石田が好きな気持ちだけでやっているわけではなかった。過去のことから自己嫌悪、他人への拒絶、演じること(遊園地でも)、アニメでは描かれなかった植野の描写は勿体無かったと思います。それはこの作品のテーマです。
今日は念願の同時視聴ちろるとデート気分で映画みれて楽しかったよ!久しぶりのツインテだったから、なんかデートぽさが倍増してたね最初の方は、ちろるのコメントで笑ってしまったけど、後半はどんどん話に引き込まれていったねちろるの高校時代の話も知ってたから、なおさら、今回のテーマは刺さるかも聲の形、前から話題になってた映画だったし、同時視聴楽しかった!おつちろ~
この配信が僕にとって運命の出会い❤
植野の硝子への感情は嫉妬だけではないんです。「私と話をする気がない」からそれが分かります。頼まれる前から最初から親切だった植野にも、佐原にも、硝子はアクションを起こさないんです。でも、石田には感情を顕にしたり、再会のシーンでも、石田には自分からアクションを起こします。(前屈みで髪を耳にかける仕草が漫画ではある)だから、植野からすると、「こんなになっても私…私はあの子を好きになれない」んです。佐原からすると、「何で私に相談してくれなかったの?」なんです。原作を読めば、より好きになれるキャラクターは、私は植野だと思います。
「硝子を最初から健常者と同じように接していたのは植野さんだけだった」と、制作者は語っていました。「そんな深刻な話してねーよ」と、植野が口頭で硝子に教えてあげるシーンでも描かれています。佐原は、「私もなおちゃんに追い付きたい」と高校で努力して変わり、佐原と植野は依存、恋愛に近いような関係になります。原作では永束に「髪型変、デブ」と植野が言って、「カツアゲだー」と永束が騒ぐ、結弦がそれを見て笑っている微笑ましいシーンがあります。植野は結弦に「あの子の妹?可愛いね」と言います。例えそれが石田に近づきたい気持ちであっても、「私は本当のことしか言ってねーよ」は事実なんです。教師、大人の対応が違っていれば、いじめは起きなかったことが分かります。
おつちろ💕💕
植野はノートで硝子と筆談した。石田はノートを川に投げ捨てていじめていた。でも硝子は石田の机を磨いた。「どうして?」と植野は疑問に思います。「植野さんがイライラするのも分かる」。「俺よりも最初から西宮とちゃんと向き合ってたのは植野だった」アニメではカットされた結弦と石田の言葉です。「人前で喋るのやめた方が良い」と言ったのは結弦です。でも植野は硝子に「話して欲しい」のです。嫉妬だけではないのです。島田は石田のガキ大将な行動に以前から疑問を持っていた。だからグループを抜けようとしていた。そこに石田の硝子へのいじめが始まった。「お前、やりすぎ」と島田は徹底的に石田から離れて、植野にも関わることをやめるように言いました。アニメでは描写されなかった部分です。
硝子が夢の中で手を繋いで踊っていたのは、石田でも佐原でもなく、植野でした。「ノート貸してみ」と植野に親切してもらったこと、平等に接してくれたことが、硝子は嬉しかったことが原作では分かります。「私たちの気持ちも無視して、勝手にそれが一番良いって判断して死のうとした!」と原作で植野は硝子に怒ります。硝子の母親にも怒ります。結弦が止めなかったのは、植野が間違っているわけではないと、分かっていたからです。また、佐原が長期に渡っていじめられていた事実はありません。佐原が「逃げた」ことは事実です。
「植野さんがイライラするのも分かる」と結弦は言います。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と硝子に言ったのは、実は結弦だからです。番外編で描かれました。だから硝子は人前で喋るのをやめたんです。「もうそれは止めよう。あなたが分かるようにゆっくり話すし、あなたもそうして欲しい」と、植野は言います。つまり、「植野は差別せず健常者と同じように最初から硝子に接していた唯一の人物」なんです。「お母さんは俺のことを褒めてくれない」と結弦は母親に不信感を抱いています。「子供を守れないなら、子供なんて産むなよ!」と植野が硝子の母親に激怒するシーンも、だから結弦は止めませんでした。
「私はこんなことしないと気が済まない性格なのかな」と植野は自己嫌悪して佐原に本音を漏らします。硝子へのビンタの後。植野は優しかったのに、なぜ口が悪くなったり、手が出るようになったり変化したのか原作の方が植野の葛藤と共に描かれています。石田は正しかったか?結弦や硝子の母親とその周り、教師のやり方に問題はなかったか?環境や外的要因がいかに大事であるかを、植野で作者は描いています
原作では、商店街で硝子と石田に再会した後、植野は一人で泣いています。原作では、植野がずっと葛藤していたこと、他人を拒絶していることが分かります。「硝子を差別せず最初から健常者と同じように接していたのは植野さんだけだった」と制作者が語ったこと。男の子の格好をしている結弦を見ても、「女の子なんだ?」と植野は驚かずに受け入れる原作のシーンでもそれが分かります。頼まれる前から植野は最初から硝子に親切でした。「ノート貸してみ」と植野は硝子と筆談しました。しかし教師が「西宮さんの為にみんなで手話を覚えましょう」と強制したり、硝子を差別したりします。このやり方にも問題があったことが分かります。
え、なんかコメント欄が、、、
石田はクラスで権限が強いガキ大将で小学生の頃はっきりと西宮を嫌っていたことが原作では分かる。植野は最初から西宮とちゃんと向き合っていた。嫌っていなかった。教師に頼まれる前から親切だった。嫉妬だけではなくて、硝子が自分にはアクションを起こさないこと、教師の差別、いじめの発端である石田には机を磨いたりしていたのを目撃して、植野はイライラが募ったことが原作では分かります。自己嫌悪、自分を演じて他人を拒絶するようになっています。
石田よりも最初からちゃんと西宮と向き合っていたのは植野。「植野さんがイライラするのも分かる」と結弦は言う。「姉は愛想笑いばかりするから」→喋らない原因を作ったのは結弦。(アニメではカットされた)。植野は嫉妬心だけで硝子に接してるのではない。植野は最初から硝子をいじめたり嫌っていたわけではない。原作は植野の葛藤、演じる、他人への拒絶が丁寧に描かれてる。西宮星人、西宮語と言って、ノートを川に捨てたり、補聴器の破壊や耳の怪我を負わせたのも、石田が発端であることは事実であり、植野は石田に合わせた、結弦の存在、教師の差別、硝子の母親、植野は外的要因が大きいということです。(石田はそれが分かってない)。彼女が背負う役割が大きい作品です。
植野はずっと葛藤していたことが原作では分かります。商店街で二人に再会したあと植野は一人で泣いています。「なおは優しい」佐原の言葉は、事実です。硝子は石田には感情を顕にした。でも植野にはしなかった。「差別せず、健常者と同じように最初から接していたのは植野だけだった」にも関わらず。「あんたは昔も今も私と話をする気がないのよ」は植野からすると、そうなのです。植野は最初から硝子をいじめていたわけではないからです。教師、大人のやり方のせいで、いじめが起きた原因、植野も大きな傷を受けたことが分かります。「硝子は障害を持っているからと言って可哀想なわけではありません」。「硝子を差別せず最初から健常者と同じように接していたのは植野さんだけだった」制作者の言葉。
佐原と植野は恋愛に近い関係です。植野は薬指に佐原から貰った指輪をはめている。私には愛想笑いばかりするのに、石田には自分からコンタクトを取る硝子に対して植野はイライラしていたこと、(外的要因によって)が原作では分かりますよ。石田よりも最初から西宮とちゃんと向き合っていたのは植野だからです。
佐原が変わった、成長しようと思った理由は植野がきっかけです。「私もなおちゃんに追い付きたい。変わりたい」。佐原は植野が石田を好きだと分かっていて、植野の目の前でわざとジェットコースターで石田の隣に乗り込みます。原作では遊園地に行く前に佐原と植野の再会の回想が描かれます。植野がずっと葛藤し、他人を拒絶し、「演じている面」(遊園地でのノリ)があることも分かります。原作では、「目が覚めても、石田は私を選ばない。それなら、目覚めない方が良い。」石田を看病している時の植野の心理描写が原作にはありました。
原作は植野が背負う役割が大きな作品です。石田よりも最初から西宮とちゃんと向き合っていたのは植野。植野の葛藤が原作にはある。「植野は優しかった」ことは事実。高校では植野はDQN男子とも面識があり、原作では遊園地の前から自分を演じ、他人を拒絶するようになっている。・教師に頼まれる前から植野は親切で健常者と同じように硝子に向き合った唯一の人物・「人前で喋るのはやめた方が良い」と言って硝子が喋らないきっかけを作ったのは妹の結弦。それが植野と硝子の亀裂になる。・石田はクラスのガキ大将で西宮を嫌って変な奴だと言って「西宮語」と言って喋り方を真似していじめの発端であることは事実。島田は硝子へのいじめの前から石田を嫌悪していた・植野と西宮への教師の差別。音読のシーンなど。・植野と佐原の関係。長期的にいじめていた事実はない。「私もなおに追い付きたい」佐原が変わったきっかけは植野、佐原に関係の修復を試みたのは植野。・植野のいじめへの加担は外的要因、石田の存在と教師の存在が大きい。嫉妬だけではない。・「植野さんがイライラするのも分かる」。植野への結弦の理解。植野と硝子の母親との衝突の意味。
「私たちの気持ちを無視して、勝手にそれが一番だって判断して死のうとした!」と植野の言葉は真実です。「私、力になれてなかった?」「私、何か見落としてた?」「何で私に何も相談してくれなかったの?」佐原が硝子に対して、そう思っていることが原作では分かります。「結局、昔も今も、あんたは私と話をする気がないのよ」。と植野が硝子に言った言葉も正論なんです。結弦はそれが分かっています。「障害を持っているからと言って、硝子は特別な存在や可哀想なわけではありません」と制作者の言葉は、原作ではより伝わると思います。
「硝子は障害を抱えていても特別な存在や、可哀想なわけではない」と制作者が語ったことです。耳が聞こえなくても言葉が話せなくても硝子が感情を顕にしたシーンや、硝子は石田にはコミュニケーションを取ろうとします。しかし、硝子から植野にそのようなアクションがあったかどうか?「昔も今も結局、あんたは、私と話をする気がないのよ」。植野の言葉は、植野が硝子を差別せず、健常者と同じように接していた唯一の人物であること、「私は私が嫌い」と言う硝子と、そんな硝子を気にかける石田や周りの差別、それが正しいですか?という作者の伝えたかった場面です。結弦は、原作で植野を敵視していません。隠し撮りしたビデオを見て、「どう思う?」と聞いたのも、そういうことです。
原作では物語に必要な役割、真の主人公は植野が担っています。「硝子を最初から差別せずに接していたのは植野だけだった」制作者の言葉。植野は最初から硝子をいじめていたわけではなく、彼女は親切だった。「なおは不器用だけど優しい」。「友達だよ」それを知っている佐原の言葉は本物です。原作ではその後の植野の葛藤、他人を突き放す性格に変化していること、大人と教師の問題、硝子が障害を持っているからと可哀想なわけではない、その意味を描いています。
「硝子を差別せず健常者と同じように最初から接していたのは植野さんだけだった」と制作者の言葉。植野は硝子に最初から親切でした。にも関わらず、「あんたは昔も今も私と話をする気がないのよ」。硝子とも硝子の母親とも真っ正面からぶつかった唯一の人物は植野です。だから佐原は「なおのことを尊敬している。なおは不器用だけど優しいよ」突き放されても尚、「友達だよ」と佐原は植野に言うのです。女性同士でも佐原が植野に指輪をプレゼントして同棲する、二人が恋愛に近い関係になることにも意味があるのです。石田の贖罪の物語ではなく、真の主人公は植野であり、この物語の必要な役割を彼女は担っていました。植野が一人で泣いている場面や、ずっと葛藤していたこと、「私はこんなことしか出来ないのかな」と他人を拒絶し自己嫌悪すること、アニメで植野の描写がカットされたことは、勿体無かったと思います。「一番悪いのは大人です」。
原作では先生に頼まれる前から植野は硝子に親切に接していました。硝子の「私は私が嫌い」は植野自身もそうなのです。二人に再会したあと一人で泣いたり、硝子との喧嘩の後も植野は泣いています。佐原が長期的にいじめられた事実もありません。植野は佐原に「一緒に帰ろう」と声をかけて自分から修復します。植野が再会した時に硝子の補聴器を奪ったのは、石田の一言がきっかけで硝子へのいじめや補聴器の破壊が始まったからです。植野は石田が好きだったから、彼に合わせたのです。ノートを川に捨てたり、石田は 「西宮語」と言って硝子の喋り方を真似したり、いじめの主犯格が石田であり、植野は石田が好きだったから合わせてたことは原作では分かります。作者が語ったのは、「硝子を差別せず最初から健常者と同じように接していたのは植野だけだった」ということです。植野は嫉妬だけで硝子に当たっているのではありませんでした。尺の都合もありますがアニメが植野に関することを描写不足だったのは、残念に思います。
植野の硝子への感情は嫉妬心だけではない。「ノートでの筆談」「私はあなたの声をちゃんと聞くよ」と言って植野は最初から硝子に差別せず接した唯一の人物です。一方、西宮語と言って石田は硝子の喋り方を馬鹿にした。ノートを川に投げ捨てた。植野は石田の机を磨く硝子を目撃した。「いじめてた奴にどうして?」が植野の感情なんです。原作で「植野さんの気持ちも分かる。」と結弦は言う。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と言ったのは結弦だからです。「お母さんは俺のことを褒めてくれない」結弦の母親への不信感。母親のやり方がまた正しいわけでもない。「知りたいんだ。どんな人と同じ空間に居たのか」原作で観覧車で植野は泣いていて、植野の泣き顔を見て、だから結弦は硝子のノートを調べるのです。
「私はなおに追い付きたいから変わった」「…バカなの変わってないね」植野の言うバカとは、(私なんかのどこが…)の意味です。あれ以来、植野は他人を拒絶して、自己嫌悪しているから。「ダサい色着てこないでよ」「え?なおが選んだ色だよ?」が佐原と植野のやり取りです。硝子と硝子の母親との後に植野は(こんな私とは)「友達じゃない」。佐原は「友達だよ」。植野から佐原に「一緒に帰ろう」と声をかけて関係を修復したことが原作では分かります。それは大事なシーンでしたが、アニメでは描かれなかったシーンです。
硝子からの手紙を「もし読んでても誰にも言わないと思う。なおはそういう子だよ」と佐原は石田に言い切る。原作で植野は硝子と硝子の母親との後、後悔して泣きながら、他人を拒絶していた植野が、佐原に初めて本音を漏らします。「私は最悪だ」の自己嫌悪から佐原のことを「友達じゃない」と突き放す。「友達だよ」と佐原は言い切る。去っていく佐原の背中を植野はずっと見守もり続ける、本来の植野の優しい性格を表すシーンが原作にはあった。もともとの植野は「優しかった」。原作の植野は葛藤し、自分を演じて他人を拒絶するようになっている 。アニメでは描かれなかった植野の描写です。
佐原が植野に指輪をプレゼントし二人は恋人に近い関係になることは意味がある。石田「植野はもともと優しかった。けど俺にだけは当たりがきつかった」植野の硝子に対する接し方も同じ。植野は最初から硝子を嫌っていなかったということです。
原作の観覧車で「昔も今もあんたは私と話をする気がないのよ」の時、植野は泣いています。嫉妬心だけで言っているわけてはないことが分かります。その後、結弦の回想には、植野の泣き顔が登場します。「植野さんは間違ってない」「知りたいんだ。お姉ちゃんが、どんな人と同じ空間に居たのか」と結弦は硝子のノートを見ます。植野と硝子の筆談です。石田や、結弦や、硝子の周りの大人が正しいという風には、描かれてはいないのです。
「私はなおに追い付きたいから変わった」佐原は植野に指輪をプレゼント、同棲、二人は恋人に近い関係になる。硝子を最初から対等に扱かったのは植野だけだった。教師の差別、石田に「お前もやってみろよ」と言われたから合わせたこと。植野はもともと優しかったこと。植野の葛藤、拗らせが原作では分かります。作者は彼女で「伝えたいこと」を描いています。アニメは映画だけで完結して主に植野のシーンは色々カットされていました。
「忘れてはいけない。植野は俺よりも最初から西宮とちゃんと向き合っていたことを」と石田は忘れてた事実を思い出します。「植野は優しかった」。「なおちゃんは優しいよ」だから佐原も言うのです。植野が再会したとき補聴器を奪ったのは、石田の一言がきっかけで硝子へのいじめ、補聴器の破壊が始まったからです。「嘘でしょ!?あれだけこれに興味津々だったやつが!?」と原作では、植野は石田に当たるのです。
原作は石田の贖罪の物語ではなく、真の主人公は植野が担っています。硝子は子供の頃、石田に感情を顕にした。植野にはしなかった。むしろ石田よりも最初から差別せず硝子に親切に接していたのは植野だけでした。「あんたは昔も今も、私と話をする気がないのよ」の植野の言葉は間違っていないんです。「私ダメかも…」と硝子と硝子の母親との喧嘩の後の植野の自己嫌悪。他人への拒絶。自己嫌悪から「佐原のことも突き放す」。それでも佐原は「友達だよ」。植野の葛藤がアニメではカットされたことは勿体無かったと思います。佐原は植野に指輪をプレゼントして、同棲して、二人は恋愛に近い関係になります。「硝子は障害を抱えていても可哀想なわけではありません」。「硝子を差別せず健常者と同じように最初から接していたのは植野だけだった」。作者が語った言葉です。教師、大人のやり方が一番の問題だったことが分かります。
「私はこんなやり方しか出来ないのかな」硝子と硝子の母親との衝突後の植野の自己嫌悪と涙。佐原の「なおは優しい。友達だよ」。「優しかった」植野がなぜ変わったのか。去っていく佐原の背中をずっと見守る植野は彼女の本来の優しい性格を表した。観覧車で「あなたは私と話をする気がない」原作では植野は泣いていた。植野は最初から西宮をいじめていたわけではないし、嫌っていたわけではありません。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と言って硝子が喋らないきっかけを作ったのは妹の結弦。「西宮語」と言って硝子の喋り方をふざけて真似したのは石田。(音読で教師の植野と西宮への差別があった後だった)。アニメでは植野の行動原理の描写は足りなかった部分です。
佐原に歩み寄ったのは植野。「私はなおに追い付きたいから変わった」→遊園地で石田の隣に乗り込む→「君は見た目も俺みたいになってるね」石田の心の声。佐原は植野に指輪をプレゼントするので伏線。アニメでは植野の葛藤や、結弦と植野と永束のシーン、遊園地の前に回想された佐原と植野の再会と関係はカットされたので。
「私ダメかも…最悪だ…あの子のことを殴っちゃった…これじゃあの母親と同じだ…」と病院で硝子へのビンタの後に自己嫌悪する植野の言葉からは、植野が硝子の母親を子供を守ろうとしないと思っているということなんです。結弦が母親と植野の喧嘩を止めなかったのは、「お母さんは俺のことを褒めてくれない」。「硝子が転校を繰り返しても守らない」母親への不信感と、植野が間違ってるわけではないと思っていたから。「私は硝子には男の子みたいに強くなって欲しい」と硝子の髪を短くしたかったが、硝子の意見でボブになって母親は怒った。結弦が髪を切ったのも、硝子の代わりであり、母親の言葉がきっかけです。「転校を繰り返しても、補聴器が破壊されても、硝子が自分の力でどうにかするのを待っていた」が母親の意見です。しかし結弦は「悲劇の母親ぶりたいだけだ」と思っている。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と結弦の一言がきっかけで硝子は喋るのをやめたのです。それが「私はあなたの声をちゃんと聞くよ」と言った唯一差別せず接した植野との間に亀裂を生んだことです。母親のやり方が正しいかどうかも分からないのです。アニメではカットされた部分です。
「植野直花でェす」とカタカナが混じって彼女の口調の変化が描かれます。町中でヤンキー男子に呼び捨てで声をかけられるなど。一方、佐原は後輩の女子から慕われている。高校での二人の対比が描かれます。高校で植野は絵のデザインで金賞を受賞しているが、女子からは陰口を言われている。「私はなおのことを尊敬している」と佐原が庇ってくれる姿を目撃する。「一緒に帰ろう」と植野は佐原に声をかける→「佐原はバカだなあ」の意味。自殺未遂から硝子を助ける石田。硝子/硝子の母親との衝突後に後悔と葛藤/自己嫌悪で泣き崩れる植野。植野「友達じゃない」佐原「友達だよ」。「最も恋愛に近いのは佐原と植野である」と明言して、作者はこの関係性を対比で描いています。
植野の嫌いは好きの裏返しです。植野は中学で石田に「お前、童貞だろ」と言って石田に嫌われるような態度を取るなど、小学生時代がきっかけで彼女の性格は変化します。最初から硝子に親切だったのは植野です。しかし教師の差別があり、石田に「お前もやってみろよ」と言われたから植野は合わせたことが原作では分かります。硝子が石田の机を磨いているのを目撃して、「え?何で?」「男子が好きな女子をからかってると勘違いしてるからあいつはへらへら笑ってるんだ」と植野は思います。植野の硝子へのイライラは嫉妬だけではないということです。
観覧車の後、硝子は植野に手紙を書いて初めて自分から植野にアクションを起こします。「もし読んでても誰にも言わないと思う。なおはそういう子だよ」と佐原は石田に言います。「植野さんの知らないところで姉は変わり始めてる。誰かさんのせいでね」と結弦は言います。原作では植野は猫カフェで変装して石田に猫のポーチを渡したが、石田はそれが植野だと気づかず猫のポーチを硝子に渡します。石田も植野だと気づかない植野の変装は、彼女が「演じる」ようになっていることや他人への拒絶を表します。また、石田の行動が原因になっていることも分かります。
佐原は植野に指輪をプレゼントして、二人は恋愛に近い関係になります。「なおちゃんは不器用だけど優しい」と佐原は言います。橋の上で佐原は、硝子に何が起きているのか教えません。しかし、植野は硝子の不安な顔に気づいて「そんな深刻な話してねーよ」と教えます。硝子の側にいるために男の子のような格好をしている結弦を見ても植野は女の子なんだねと受け入れます。これらの出来事は、植野が硝子を、「差別せずに最初から健常者と同じように接していた」事実です。石田が主人公ですが、物語で必要な役割や、原作で評価が変わるキャラクターは、植野だと思います。原作では、「髪型変、デブ」「カツアゲだー」と植野と永束のやり取り、それを見て笑っている結弦の微笑ましいシーンがそれを表しています。
原作で補聴器を奪ったシーンは植野は石田に「嘘でしょ!?あれだけこれに興味津々だった奴が!?」ときつく当たっている。「本当に聞こえてないのか確かめてやる」と石田の一言がきっかけで補聴器の破壊が始まったから。植野はその後一人で泣いている。アニメではカットされた。
原作で石田、硝子との祭りのシーンは植野が佐原に餌付けされてるシーンが描かれています。佐原が植野の口に「あーん」と食べ物をあげている。アニメではカットされていました。「私はこんなやり方しかできない性格なのかな」病院での硝子と母親との衝突の後も植野の葛藤、自己嫌悪、佐原とのやり取りがあります。
「私はあなたの声をちゃんと聞くよ」→硝子は喋らず植野に愛想笑いばかりする→でも硝子は石田には自分からアクションを取る→何で?というイライラや、原因は母親にあるが植野の考え。結弦が「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と言ったことも原因。石田や佐原曰く、もともとの植野は「優しかった」。猫カフェでも変装したり、植野は葛藤し、自分を演じて他人を拒絶するようになっています。硝子と硝子の母親との後に、植野は後悔して泣きながら、他人を拒絶していた植野が、佐原に初めて本音を漏らします。「私は最悪だ」の自己嫌悪から佐原のことを「友達じゃない」と突き放す。「友達だよ」と佐原は言い切る。去っていく佐原の背中を植野はずっと見守もり続けるシーンが原作にはあった。アニメでは描かれなかった植野の描写です。
原作は硝子と石田。植野と佐原は対比で描かれてる。「私はなおを尊敬している。なおは優しいよ」最も恋愛に近いのは「佐原と植野だ」ということです。植野は高校で絵の才能で金賞を受賞している一方、女子から陰口、ヤンキー男子とも面識があると原作では描かれている。植野の口の悪さ、手が出る、彼女はそれしか自分を保てないからです。
祭りで佐原に餌付けされる植野。遊園地の前に佐原と植野の再会→石田の隣に乗り込む「君は見た目も俺みたいになってる」佐原が植野に指輪を贈り同棲して恋人関係になる伏線。アニメは石田の加害者意識、植野の描写がカットされている。石田は痛い目に遭って反省して変化。植野はもともと優しかったことです。最初から硝子に向き合っていたのは植野。教師の差別、石田の「お前もやってみろよ」の提案で植野はその後おかしくなる。それが彼女の変化です。
アニメは石田と硝子に焦点を当てたので植野がもともと優しかったことと彼女の葛藤の変化が描かれていません。「私は私が嫌い」「自分だけのことのように言わないで」と植野は泣いている。佐原と植野が「共依存で恋愛に近い関係」からも植野の精神状態を描いています。病院で硝子/硝子の母親との衝突の後に「私ダメかも…」と植野の葛藤が原作にはあります。
お前、こえーよw
原作では遊園地の前に植野は結弦に会います。「え?おんなのこ?」と植野は結弦に言うシーンで彼女が「差別をしない人間」だと作者は提示しました。その後に遊園地で初対面のふりをして結弦と握手する流れです。原作では結弦は植野を敵視していませんでした。
「私ダメかも…あいつ殴っちゃった…こんなことしないと気が済まない性格なのかな、私は…」と原作では植野が硝子と硝子の母親との喧嘩の後に自己嫌悪で泣き崩れます。佐原のことも「もう友達じゃない」と自分から突き放します。でも、佐原は植野に「友達だよ」と断言します。植野は過去のことからずっと葛藤しており、他人を拒絶するようになっています。それが原作では描かれています。植野は最初から硝子をいじめていたわけではない、ということです。佐原はそれが分かっているから、「なおちゃんは不器用だけど優しい人間だ」と原作では言っています。寂しそうに去っていく佐原の背中をずっと見守る植野は、植野の本来の優しさが分かります。これらは映画の尺の都合でアニメではカットされたシーンです。
作者が明言した植野の石田への感情は「恋愛感情とは限らない」佐原と植野は共依存、同棲、最も恋愛に近い関係。植野の硝子への感情も「嫉妬だけではありません」。植野の口の悪さ、手が出てしまうのは、彼女があれ以降おかしくなり、他人への拒絶、イライラ、「嫌い」と他人を突き放しているからです。それが原作の方が分かると思います。
「植野さんは屁理屈に聞こえる」女教師は植野を責めた。植野は最初から硝子を差別せず対等に扱っており屁理屈ではないのにです。「植野。何で西宮に声をかけてあげなかった」「ごめんなさい。気づかなくて…」と植野が担任教師に責められる。音読で植野は西宮に「次、西宮さんだよ」と教える。しかし「お前はちゃんと読めるんだからちゃんと読め」と教師に植野は責められる→西宮語と言って石田が西宮の話し方を真似する→植野の歪みの原因です。
「ノート貸してみ」と植野は硝子に筆談しました。一方で、石田は硝子のノートを川に投げ捨てていじめていました。「なんでいじめてたやつといじめられてた奴が仲良くしてんの?」と植野の指摘も、決して間違ってはいないのです。
「俺よりも最初からちゃんと西宮と向き合っていたのは植野だった」。石田よりも最初から硝子に親切で向き合っていたのは植野なのです。原作の石田の硝子へのいじめはからかいで済まされるものではなく正直ひどいです。石田の言動、行動が発端であること、教師も同罪なのです。周りからお前の姉気持ち悪いと言われたから「人前で喋るのやめた方が良い」と言ったのも結弦です。だから結弦は「植野さんの気持ちも分かる」と、結弦は植野を責めないのです。
後からBDなどで同時視聴する方向け
4:27 開始
9:36 ドライヤー(一部のちろりすの希望にこたえて, 風呂上がりのため)
27:11 本編視聴開始 (スタートは富士山から開始)
同時視聴おつちろでした〜
聲の形はとても考えさせられる映画でしたね!
同時視聴おつちろでした
一緒に見られてうれしいです~✨
感想まで聞けて良かったです~!
原作で植野は男の子の格好をしてる結弦に「女の子なんだ?」と驚かず受け入れる、遊園地では「妹?可愛いね」と結弦の手を握る、佐原が植野に指輪をプレゼントして同棲して恋愛に近い関係になることからも、植野は硝子に「差別せず最初から健常者と同じように接していた唯一の人物」であることを原作では示していました。「本当の根は優しい」のです。それをねじ曲げてしまった大人のやり口、植野は硝子に対して嫉妬心や石田が好きな気持ちだけでやっているわけではなかった。過去のことから自己嫌悪、他人への拒絶、演じること(遊園地でも)、アニメでは描かれなかった植野の描写は勿体無かったと思います。それはこの作品のテーマです。
今日は念願の同時視聴
ちろるとデート気分で映画みれて楽しかったよ!
久しぶりのツインテだったから、なんかデートぽさが倍増してたね
最初の方は、ちろるのコメントで笑ってしまったけど、
後半はどんどん話に引き込まれていったね
ちろるの高校時代の話も知ってたから、なおさら、今回のテーマは刺さるかも
聲の形、前から話題になってた映画だったし、同時視聴楽しかった!
おつちろ~
この配信が僕にとって運命の出会い❤
植野の硝子への感情は嫉妬だけではないんです。「私と話をする気がない」からそれが分かります。頼まれる前から最初から親切だった植野にも、佐原にも、硝子はアクションを起こさないんです。でも、石田には感情を顕にしたり、再会のシーンでも、石田には自分からアクションを起こします。(前屈みで髪を耳にかける仕草が漫画ではある)だから、植野からすると、「こんなになっても私…私はあの子を好きになれない」んです。佐原からすると、「何で私に相談してくれなかったの?」なんです。原作を読めば、より好きになれるキャラクターは、私は植野だと思います。
「硝子を最初から健常者と同じように接していたのは植野さんだけだった」と、制作者は語っていました。「そんな深刻な話してねーよ」と、植野が口頭で硝子に教えてあげるシーンでも描かれています。佐原は、「私もなおちゃんに追い付きたい」と高校で努力して変わり、佐原と植野は依存、恋愛に近いような関係になります。原作では永束に「髪型変、デブ」と植野が言って、「カツアゲだー」と永束が騒ぐ、結弦がそれを見て笑っている微笑ましいシーンがあります。植野は結弦に「あの子の妹?可愛いね」と言います。例えそれが石田に近づきたい気持ちであっても、「私は本当のことしか言ってねーよ」は事実なんです。教師、大人の対応が違っていれば、いじめは起きなかったことが分かります。
おつちろ💕💕
植野はノートで硝子と筆談した。石田はノートを川に投げ捨てていじめていた。でも硝子は石田の机を磨いた。「どうして?」と植野は疑問に思います。「植野さんがイライラするのも分かる」。「俺よりも最初から西宮とちゃんと向き合ってたのは植野だった」アニメではカットされた結弦と石田の言葉です。「人前で喋るのやめた方が良い」と言ったのは結弦です。でも植野は硝子に「話して欲しい」のです。嫉妬だけではないのです。島田は石田のガキ大将な行動に以前から疑問を持っていた。だからグループを抜けようとしていた。そこに石田の硝子へのいじめが始まった。「お前、やりすぎ」と島田は徹底的に石田から離れて、植野にも関わることをやめるように言いました。アニメでは描写されなかった部分です。
硝子が夢の中で手を繋いで踊っていたのは、石田でも佐原でもなく、植野でした。「ノート貸してみ」と植野に親切してもらったこと、平等に接してくれたことが、硝子は嬉しかったことが原作では分かります。「私たちの気持ちも無視して、勝手にそれが一番良いって判断して死のうとした!」と原作で植野は硝子に怒ります。硝子の母親にも怒ります。結弦が止めなかったのは、植野が間違っているわけではないと、分かっていたからです。また、佐原が長期に渡っていじめられていた事実はありません。佐原が「逃げた」ことは事実です。
「植野さんがイライラするのも分かる」と結弦は言います。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と硝子に言ったのは、実は結弦だからです。番外編で描かれました。だから硝子は人前で喋るのをやめたんです。「もうそれは止めよう。あなたが分かるようにゆっくり話すし、あなたもそうして欲しい」と、植野は言います。つまり、「植野は差別せず健常者と同じように最初から硝子に接していた唯一の人物」なんです。「お母さんは俺のことを褒めてくれない」と結弦は母親に不信感を抱いています。「子供を守れないなら、子供なんて産むなよ!」と植野が硝子の母親に激怒するシーンも、だから結弦は止めませんでした。
「私はこんなことしないと気が済まない性格なのかな」と植野は自己嫌悪して佐原に本音を漏らします。硝子へのビンタの後。植野は優しかったのに、なぜ口が悪くなったり、手が出るようになったり変化したのか原作の方が植野の葛藤と共に描かれています。石田は正しかったか?結弦や硝子の母親とその周り、教師のやり方に問題はなかったか?環境や外的要因がいかに大事であるかを、植野で作者は描いています
原作では、商店街で硝子と石田に再会した後、植野は一人で泣いています。原作では、植野がずっと葛藤していたこと、他人を拒絶していることが分かります。「硝子を差別せず最初から健常者と同じように接していたのは植野さんだけだった」と制作者が語ったこと。男の子の格好をしている結弦を見ても、「女の子なんだ?」と植野は驚かずに受け入れる原作のシーンでもそれが分かります。頼まれる前から植野は最初から硝子に親切でした。「ノート貸してみ」と植野は硝子と筆談しました。しかし教師が「西宮さんの為にみんなで手話を覚えましょう」と強制したり、硝子を差別したりします。このやり方にも問題があったことが分かります。
え、なんかコメント欄が、、、
石田はクラスで権限が強いガキ大将で小学生の頃はっきりと西宮を嫌っていたことが原作では分かる。植野は最初から西宮とちゃんと向き合っていた。嫌っていなかった。教師に頼まれる前から親切だった。嫉妬だけではなくて、硝子が自分にはアクションを起こさないこと、教師の差別、いじめの発端である石田には机を磨いたりしていたのを目撃して、植野はイライラが募ったことが原作では分かります。自己嫌悪、自分を演じて他人を拒絶するようになっています。
石田よりも最初からちゃんと西宮と向き合っていたのは植野。「植野さんがイライラするのも分かる」と結弦は言う。「姉は愛想笑いばかりするから」→喋らない原因を作ったのは結弦。(アニメではカットされた)。植野は嫉妬心だけで硝子に接してるのではない。植野は最初から硝子をいじめたり嫌っていたわけではない。原作は植野の葛藤、演じる、他人への拒絶が丁寧に描かれてる。西宮星人、西宮語と言って、ノートを川に捨てたり、補聴器の破壊や耳の怪我を負わせたのも、石田が発端であることは事実であり、植野は石田に合わせた、結弦の存在、教師の差別、硝子の母親、植野は外的要因が大きいということです。(石田はそれが分かってない)。彼女が背負う役割が大きい作品です。
植野はずっと葛藤していたことが原作では分かります。商店街で二人に再会したあと植野は一人で泣いています。「なおは優しい」佐原の言葉は、事実です。硝子は石田には感情を顕にした。でも植野にはしなかった。「差別せず、健常者と同じように最初から接していたのは植野だけだった」にも関わらず。「あんたは昔も今も私と話をする気がないのよ」は植野からすると、そうなのです。植野は最初から硝子をいじめていたわけではないからです。教師、大人のやり方のせいで、いじめが起きた原因、植野も大きな傷を受けたことが分かります。「硝子は障害を持っているからと言って可哀想なわけではありません」。「硝子を差別せず最初から健常者と同じように接していたのは植野さんだけだった」制作者の言葉。
佐原と植野は恋愛に近い関係です。植野は薬指に佐原から貰った指輪をはめている。私には愛想笑いばかりするのに、石田には自分からコンタクトを取る硝子に対して植野はイライラしていたこと、(外的要因によって)が原作では分かりますよ。石田よりも最初から西宮とちゃんと向き合っていたのは植野だからです。
佐原が変わった、成長しようと思った理由は植野がきっかけです。「私もなおちゃんに追い付きたい。変わりたい」。佐原は植野が石田を好きだと分かっていて、植野の目の前でわざとジェットコースターで石田の隣に乗り込みます。原作では遊園地に行く前に佐原と植野の再会の回想が描かれます。植野がずっと葛藤し、他人を拒絶し、「演じている面」(遊園地でのノリ)があることも分かります。原作では、「目が覚めても、石田は私を選ばない。それなら、目覚めない方が良い。」石田を看病している時の植野の心理描写が原作にはありました。
原作は植野が背負う役割が大きな作品です。石田よりも最初から西宮とちゃんと向き合っていたのは植野。植野の葛藤が原作にはある。「植野は優しかった」ことは事実。高校では植野はDQN男子とも面識があり、原作では遊園地の前から自分を演じ、他人を拒絶するようになっている。
・教師に頼まれる前から植野は親切で健常者と同じように硝子に向き合った唯一の人物
・「人前で喋るのはやめた方が良い」と言って硝子が喋らないきっかけを作ったのは妹の結弦。それが植野と硝子の亀裂になる。
・石田はクラスのガキ大将で西宮を嫌って変な奴だと言って「西宮語」と言って喋り方を真似していじめの発端であることは事実。島田は硝子へのいじめの前から石田を嫌悪していた
・植野と西宮への教師の差別。音読のシーンなど。
・植野と佐原の関係。長期的にいじめていた事実はない。「私もなおに追い付きたい」佐原が変わったきっかけは植野、佐原に関係の修復を試みたのは植野。
・植野のいじめへの加担は外的要因、石田の存在と教師の存在が大きい。嫉妬だけではない。
・「植野さんがイライラするのも分かる」。植野への結弦の理解。植野と硝子の母親との衝突の意味。
「私たちの気持ちを無視して、勝手にそれが一番だって判断して死のうとした!」と植野の言葉は真実です。「私、力になれてなかった?」「私、何か見落としてた?」「何で私に何も相談してくれなかったの?」佐原が硝子に対して、そう思っていることが原作では分かります。「結局、昔も今も、あんたは私と話をする気がないのよ」。と植野が硝子に言った言葉も正論なんです。結弦はそれが分かっています。「障害を持っているからと言って、硝子は特別な存在や可哀想なわけではありません」と制作者の言葉は、原作ではより伝わると思います。
「硝子は障害を抱えていても特別な存在や、可哀想なわけではない」と制作者が語ったことです。耳が聞こえなくても言葉が話せなくても硝子が感情を顕にしたシーンや、硝子は石田にはコミュニケーションを取ろうとします。しかし、硝子から植野にそのようなアクションがあったかどうか?「昔も今も結局、あんたは、私と話をする気がないのよ」。植野の言葉は、植野が硝子を差別せず、健常者と同じように接していた唯一の人物であること、「私は私が嫌い」と言う硝子と、そんな硝子を気にかける石田や周りの差別、それが正しいですか?という作者の伝えたかった場面です。結弦は、原作で植野を敵視していません。隠し撮りしたビデオを見て、「どう思う?」と聞いたのも、そういうことです。
原作では物語に必要な役割、真の主人公は植野が担っています。「硝子を最初から差別せずに接していたのは植野だけだった」制作者の言葉。植野は最初から硝子をいじめていたわけではなく、彼女は親切だった。「なおは不器用だけど優しい」。「友達だよ」それを知っている佐原の言葉は本物です。原作ではその後の植野の葛藤、他人を突き放す性格に変化していること、大人と教師の問題、硝子が障害を持っているからと可哀想なわけではない、その意味を描いています。
「硝子を差別せず健常者と同じように最初から接していたのは植野さんだけだった」と制作者の言葉。植野は硝子に最初から親切でした。にも関わらず、「あんたは昔も今も私と話をする気がないのよ」。硝子とも硝子の母親とも真っ正面からぶつかった唯一の人物は植野です。だから佐原は「なおのことを尊敬している。なおは不器用だけど優しいよ」突き放されても尚、「友達だよ」と佐原は植野に言うのです。女性同士でも佐原が植野に指輪をプレゼントして同棲する、二人が恋愛に近い関係になることにも意味があるのです。石田の贖罪の物語ではなく、真の主人公は植野であり、この物語の必要な役割を彼女は担っていました。植野が一人で泣いている場面や、ずっと葛藤していたこと、「私はこんなことしか出来ないのかな」と他人を拒絶し自己嫌悪すること、アニメで植野の描写がカットされたことは、勿体無かったと思います。「一番悪いのは大人です」。
原作では先生に頼まれる前から植野は硝子に親切に接していました。硝子の「私は私が嫌い」は植野自身もそうなのです。二人に再会したあと一人で泣いたり、硝子との喧嘩の後も植野は泣いています。佐原が長期的にいじめられた事実もありません。植野は佐原に「一緒に帰ろう」と声をかけて自分から修復します。植野が再会した時に硝子の補聴器を奪ったのは、石田の一言がきっかけで硝子へのいじめや補聴器の破壊が始まったからです。植野は石田が好きだったから、彼に合わせたのです。ノートを川に捨てたり、石田は 「西宮語」と言って硝子の喋り方を真似したり、いじめの主犯格が石田であり、植野は石田が好きだったから合わせてたことは原作では分かります。作者が語ったのは、「硝子を差別せず最初から健常者と同じように接していたのは植野だけだった」ということです。植野は嫉妬だけで硝子に当たっているのではありませんでした。尺の都合もありますがアニメが植野に関することを描写不足だったのは、残念に思います。
植野の硝子への感情は嫉妬心だけではない。「ノートでの筆談」「私はあなたの声をちゃんと聞くよ」と言って植野は最初から硝子に差別せず接した唯一の人物です。一方、西宮語と言って石田は硝子の喋り方を馬鹿にした。ノートを川に投げ捨てた。植野は石田の机を磨く硝子を目撃した。「いじめてた奴にどうして?」が植野の感情なんです。
原作で「植野さんの気持ちも分かる。」と結弦は言う。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と言ったのは結弦だからです。「お母さんは俺のことを褒めてくれない」結弦の母親への不信感。母親のやり方がまた正しいわけでもない。「知りたいんだ。どんな人と同じ空間に居たのか」原作で観覧車で植野は泣いていて、植野の泣き顔を見て、だから結弦は硝子のノートを調べるのです。
「私はなおに追い付きたいから変わった」「…バカなの変わってないね」植野の言うバカとは、(私なんかのどこが…)の意味です。あれ以来、植野は他人を拒絶して、自己嫌悪しているから。「ダサい色着てこないでよ」「え?なおが選んだ色だよ?」が佐原と植野のやり取りです。硝子と硝子の母親との後に植野は(こんな私とは)「友達じゃない」。佐原は「友達だよ」。植野から佐原に「一緒に帰ろう」と声をかけて関係を修復したことが原作では分かります。それは大事なシーンでしたが、アニメでは描かれなかったシーンです。
硝子からの手紙を「もし読んでても誰にも言わないと思う。なおはそういう子だよ」と佐原は石田に言い切る。原作で植野は硝子と硝子の母親との後、後悔して泣きながら、他人を拒絶していた植野が、佐原に初めて本音を漏らします。「私は最悪だ」の自己嫌悪から佐原のことを「友達じゃない」と突き放す。「友達だよ」と佐原は言い切る。去っていく佐原の背中を植野はずっと見守もり続ける、本来の植野の優しい性格を表すシーンが原作にはあった。もともとの植野は「優しかった」。原作の植野は葛藤し、自分を演じて他人を拒絶するようになっている 。アニメでは描かれなかった植野の描写です。
佐原が植野に指輪をプレゼントし二人は恋人に近い関係になることは意味がある。石田「植野はもともと優しかった。けど俺にだけは当たりがきつかった」植野の硝子に対する接し方も同じ。植野は最初から硝子を嫌っていなかったということです。
原作の観覧車で「昔も今もあんたは私と話をする気がないのよ」の時、植野は泣いています。嫉妬心だけで言っているわけてはないことが分かります。その後、結弦の回想には、植野の泣き顔が登場します。「植野さんは間違ってない」「知りたいんだ。お姉ちゃんが、どんな人と同じ空間に居たのか」と結弦は硝子のノートを見ます。植野と硝子の筆談です。石田や、結弦や、硝子の周りの大人が正しいという風には、描かれてはいないのです。
「私はなおに追い付きたいから変わった」佐原は植野に指輪をプレゼント、同棲、二人は恋人に近い関係になる。硝子を最初から対等に扱かったのは植野だけだった。教師の差別、石田に「お前もやってみろよ」と言われたから合わせたこと。植野はもともと優しかったこと。植野の葛藤、拗らせが原作では分かります。作者は彼女で「伝えたいこと」を描いています。アニメは映画だけで完結して主に植野のシーンは色々カットされていました。
「忘れてはいけない。植野は俺よりも最初から西宮とちゃんと向き合っていたことを」と石田は忘れてた事実を思い出します。「植野は優しかった」。「なおちゃんは優しいよ」だから佐原も言うのです。植野が再会したとき補聴器を奪ったのは、石田の一言がきっかけで硝子へのいじめ、補聴器の破壊が始まったからです。「嘘でしょ!?あれだけこれに興味津々だったやつが!?」と原作では、植野は石田に当たるのです。
原作は石田の贖罪の物語ではなく、真の主人公は植野が担っています。硝子は子供の頃、石田に感情を顕にした。植野にはしなかった。むしろ石田よりも最初から差別せず硝子に親切に接していたのは植野だけでした。「あんたは昔も今も、私と話をする気がないのよ」の植野の言葉は間違っていないんです。「私ダメかも…」と硝子と硝子の母親との喧嘩の後の植野の自己嫌悪。他人への拒絶。自己嫌悪から「佐原のことも突き放す」。それでも佐原は「友達だよ」。植野の葛藤がアニメではカットされたことは勿体無かったと思います。佐原は植野に指輪をプレゼントして、同棲して、二人は恋愛に近い関係になります。「硝子は障害を抱えていても可哀想なわけではありません」。「硝子を差別せず健常者と同じように最初から接していたのは植野だけだった」。作者が語った言葉です。教師、大人のやり方が一番の問題だったことが分かります。
「私はこんなやり方しか出来ないのかな」硝子と硝子の母親との衝突後の植野の自己嫌悪と涙。佐原の「なおは優しい。友達だよ」。「優しかった」植野がなぜ変わったのか。去っていく佐原の背中をずっと見守る植野は彼女の本来の優しい性格を表した。
観覧車で「あなたは私と話をする気がない」原作では植野は泣いていた。植野は最初から西宮をいじめていたわけではないし、嫌っていたわけではありません。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と言って硝子が喋らないきっかけを作ったのは妹の結弦。「西宮語」と言って硝子の喋り方をふざけて真似したのは石田。(音読で教師の植野と西宮への差別があった後だった)。アニメでは植野の行動原理の描写は足りなかった部分です。
佐原に歩み寄ったのは植野。「私はなおに追い付きたいから変わった」→遊園地で石田の隣に乗り込む→「君は見た目も俺みたいになってるね」石田の心の声。佐原は植野に指輪をプレゼントするので伏線。アニメでは植野の葛藤や、結弦と植野と永束のシーン、遊園地の前に回想された佐原と植野の再会と関係はカットされたので。
「私ダメかも…最悪だ…あの子のことを殴っちゃった…これじゃあの母親と同じだ…」と病院で硝子へのビンタの後に自己嫌悪する植野の言葉からは、植野が硝子の母親を子供を守ろうとしないと思っているということなんです。結弦が母親と植野の喧嘩を止めなかったのは、「お母さんは俺のことを褒めてくれない」。「硝子が転校を繰り返しても守らない」母親への不信感と、植野が間違ってるわけではないと思っていたから。「私は硝子には男の子みたいに強くなって欲しい」と硝子の髪を短くしたかったが、硝子の意見でボブになって母親は怒った。結弦が髪を切ったのも、硝子の代わりであり、母親の言葉がきっかけです。「転校を繰り返しても、補聴器が破壊されても、硝子が自分の力でどうにかするのを待っていた」が母親の意見です。しかし結弦は「悲劇の母親ぶりたいだけだ」と思っている。「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と結弦の一言がきっかけで硝子は喋るのをやめたのです。それが「私はあなたの声をちゃんと聞くよ」と言った唯一差別せず接した植野との間に亀裂を生んだことです。母親のやり方が正しいかどうかも分からないのです。アニメではカットされた部分です。
「植野直花でェす」とカタカナが混じって彼女の口調の変化が描かれます。町中でヤンキー男子に呼び捨てで声をかけられるなど。一方、佐原は後輩の女子から慕われている。高校での二人の対比が描かれます。高校で植野は絵のデザインで金賞を受賞しているが、女子からは陰口を言われている。「私はなおのことを尊敬している」と佐原が庇ってくれる姿を目撃する。「一緒に帰ろう」と植野は佐原に声をかける→「佐原はバカだなあ」の意味。自殺未遂から硝子を助ける石田。硝子/硝子の母親との衝突後に後悔と葛藤/自己嫌悪で泣き崩れる植野。植野「友達じゃない」佐原「友達だよ」。「最も恋愛に近いのは佐原と植野である」と明言して、作者はこの関係性を対比で描いています。
植野の嫌いは好きの裏返しです。植野は中学で石田に「お前、童貞だろ」と言って石田に嫌われるような態度を取るなど、小学生時代がきっかけで彼女の性格は変化します。最初から硝子に親切だったのは植野です。しかし教師の差別があり、石田に「お前もやってみろよ」と言われたから植野は合わせたことが原作では分かります。硝子が石田の机を磨いているのを目撃して、「え?何で?」「男子が好きな女子をからかってると勘違いしてるからあいつはへらへら笑ってるんだ」と植野は思います。植野の硝子へのイライラは嫉妬だけではないということです。
観覧車の後、硝子は植野に手紙を書いて初めて自分から植野にアクションを起こします。「もし読んでても誰にも言わないと思う。なおはそういう子だよ」と佐原は石田に言います。「植野さんの知らないところで姉は変わり始めてる。誰かさんのせいでね」と結弦は言います。原作では植野は猫カフェで変装して石田に猫のポーチを渡したが、石田はそれが植野だと気づかず猫のポーチを硝子に渡します。石田も植野だと気づかない植野の変装は、彼女が「演じる」ようになっていることや他人への拒絶を表します。また、石田の行動が原因になっていることも分かります。
佐原は植野に指輪をプレゼントして、二人は恋愛に近い関係になります。「なおちゃんは不器用だけど優しい」と佐原は言います。橋の上で佐原は、硝子に何が起きているのか教えません。しかし、植野は硝子の不安な顔に気づいて「そんな深刻な話してねーよ」と教えます。硝子の側にいるために男の子のような格好をしている結弦を見ても植野は女の子なんだねと受け入れます。これらの出来事は、植野が硝子を、「差別せずに最初から健常者と同じように接していた」事実です。石田が主人公ですが、物語で必要な役割や、原作で評価が変わるキャラクターは、植野だと思います。原作では、「髪型変、デブ」「カツアゲだー」と植野と永束のやり取り、それを見て笑っている結弦の微笑ましいシーンがそれを表しています。
原作で補聴器を奪ったシーンは植野は石田に「嘘でしょ!?あれだけこれに興味津々だった奴が!?」ときつく当たっている。「本当に聞こえてないのか確かめてやる」と石田の一言がきっかけで補聴器の破壊が始まったから。植野はその後一人で泣いている。アニメではカットされた。
原作で石田、硝子との祭りのシーンは植野が佐原に餌付けされてるシーンが描かれています。佐原が植野の口に「あーん」と食べ物をあげている。アニメではカットされていました。「私はこんなやり方しかできない性格なのかな」病院での硝子と母親との衝突の後も植野の葛藤、自己嫌悪、佐原とのやり取りがあります。
「私はあなたの声をちゃんと聞くよ」→硝子は喋らず植野に愛想笑いばかりする→でも硝子は石田には自分からアクションを取る→何で?というイライラや、原因は母親にあるが植野の考え。結弦が「人前で喋るのやめた方が良いと思う」と言ったことも原因。石田や佐原曰く、もともとの植野は「優しかった」。猫カフェでも変装したり、植野は葛藤し、自分を演じて他人を拒絶するようになっています。硝子と硝子の母親との後に、植野は後悔して泣きながら、他人を拒絶していた植野が、佐原に初めて本音を漏らします。「私は最悪だ」の自己嫌悪から佐原のことを「友達じゃない」と突き放す。「友達だよ」と佐原は言い切る。去っていく佐原の背中を植野はずっと見守もり続けるシーンが原作にはあった。アニメでは描かれなかった植野の描写です。
原作は硝子と石田。植野と佐原は対比で描かれてる。「私はなおを尊敬している。なおは優しいよ」最も恋愛に近いのは「佐原と植野だ」ということです。植野は高校で絵の才能で金賞を受賞している一方、女子から陰口、ヤンキー男子とも面識があると原作では描かれている。植野の口の悪さ、手が出る、彼女はそれしか自分を保てないからです。
祭りで佐原に餌付けされる植野。遊園地の前に佐原と植野の再会→石田の隣に乗り込む「君は見た目も俺みたいになってる」佐原が植野に指輪を贈り同棲して恋人関係になる伏線。アニメは石田の加害者意識、植野の描写がカットされている。石田は痛い目に遭って反省して変化。植野はもともと優しかったことです。最初から硝子に向き合っていたのは植野。教師の差別、石田の「お前もやってみろよ」の提案で植野はその後おかしくなる。それが彼女の変化です。
アニメは石田と硝子に焦点を当てたので植野がもともと優しかったことと彼女の葛藤の変化が描かれていません。「私は私が嫌い」「自分だけのことのように言わないで」と植野は泣いている。佐原と植野が「共依存で恋愛に近い関係」からも植野の精神状態を描いています。病院で硝子/硝子の母親との衝突の後に「私ダメかも…」と植野の葛藤が原作にはあります。
お前、こえーよw
原作では遊園地の前に植野は結弦に会います。「え?おんなのこ?」と植野は結弦に言うシーンで彼女が「差別をしない人間」だと作者は提示しました。その後に遊園地で初対面のふりをして結弦と握手する流れです。原作では結弦は植野を敵視していませんでした。
「私ダメかも…あいつ殴っちゃった…こんなことしないと気が済まない性格なのかな、私は…」と原作では植野が硝子と硝子の母親との喧嘩の後に自己嫌悪で泣き崩れます。佐原のことも「もう友達じゃない」と自分から突き放します。でも、佐原は植野に「友達だよ」と断言します。植野は過去のことからずっと葛藤しており、他人を拒絶するようになっています。それが原作では描かれています。植野は最初から硝子をいじめていたわけではない、ということです。佐原はそれが分かっているから、「なおちゃんは不器用だけど優しい人間だ」と原作では言っています。寂しそうに去っていく佐原の背中をずっと見守る植野は、植野の本来の優しさが分かります。これらは映画の尺の都合でアニメではカットされたシーンです。
作者が明言した植野の石田への感情は「恋愛感情とは限らない」佐原と植野は共依存、同棲、最も恋愛に近い関係。植野の硝子への感情も「嫉妬だけではありません」。植野の口の悪さ、手が出てしまうのは、彼女があれ以降おかしくなり、他人への拒絶、イライラ、「嫌い」と他人を突き放しているからです。それが原作の方が分かると思います。
「植野さんは屁理屈に聞こえる」女教師は植野を責めた。植野は最初から硝子を差別せず対等に扱っており屁理屈ではないのにです。「植野。何で西宮に声をかけてあげなかった」「ごめんなさい。気づかなくて…」と植野が担任教師に責められる。音読で植野は西宮に「次、西宮さんだよ」と教える。しかし「お前はちゃんと読めるんだからちゃんと読め」と教師に植野は責められる→西宮語と言って石田が西宮の話し方を真似する→植野の歪みの原因です。
「ノート貸してみ」と植野は硝子に筆談しました。一方で、石田は硝子のノートを川に投げ捨てていじめていました。「なんでいじめてたやつといじめられてた奴が仲良くしてんの?」と植野の指摘も、決して間違ってはいないのです。
「俺よりも最初からちゃんと西宮と向き合っていたのは植野だった」。石田よりも最初から硝子に親切で向き合っていたのは植野なのです。原作の石田の硝子へのいじめはからかいで済まされるものではなく正直ひどいです。石田の言動、行動が発端であること、教師も同罪なのです。周りからお前の姉気持ち悪いと言われたから「人前で喋るのやめた方が良い」と言ったのも結弦です。だから結弦は「植野さんの気持ちも分かる」と、結弦は植野を責めないのです。