ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
やっぱり教育って重要だなぁ…今の自衛隊は情報戦や世論戦、対サイバー戦、陸海空のネットワーク戦闘などの対中共に必要な教育にどれほど力を入れているのでしょうか?
山本も米内も人物ですが、大事なところで海軍の権益に拘る部分がありますね。
海軍軍人ですもの。しょうがないですね。
阿川弘之の海軍三部作を読むと、海軍兵学校のハンモックナンバーが終始配置先に影響したとあるので、海大の存在は確かに昇進への影響が少なかったようです。ウィキペディアの「海軍大学校」の項目には、海軍大学校を出ずに大将昇進、要職に就いた人物が多々挙げられています。なお、海大卒かどうかは別に、海軍機関科問題という人事上の課題が太平洋戦争終戦までありました。海軍機関学校の卒業生は技術的な専門知識は高いが、昇進は海兵卒より不利で、終戦間際まで大将を出すことはありませんでした。
かの東郷平八郎元帥も期間科の事を「釜焚き」と言って侮蔑していたらしいですね。兵科でないものに兵器は使えないという考えみたいですね。
仕事中、将棋指していた人か。どのくらいの棋力だったのか。蘭印、米国の原油入らず困るのは陸軍より海軍だった。軍艦すべて鉄くずになる。
何をしているところか興味深く見ることができました。祖父は海軍大学校の航海学生教程を大正12年に卒業しています。関東大震災の時にイギリスに2年赴任して少将になり、真珠湾攻撃の4か月前に退役しました。現役の時は航空兵器の試験や航空機工場の監督官というのを主にしていたようです。戦時中は立川の昭和飛行機というところにいたそうです。卒業証書や写真、奉職履歴、軍服などがあります。兵学校の同期生には大西滝治郎中将などがいたようです。
お疲れ様です。旧海軍の本(殆どが雑誌やムック本ですが)を読み漁ってきましたが、海軍大学について書かれた本が無く(というか書かれていても読まなかったのか)、大変興味深く見させていただきました。
そもそも海軍兵学校自体、今の防大と同じでそんじょそこらの頭じゃ入学できない。学ぶことが好きな人も中に入るだろうしね。五十六さんの写真見てると男の修行という言葉と真珠湾攻撃時の心理を重ね合わせてしまう^^;駐在武官としてアメリカにいたこともあってあの国の姿を知っているだけに、あの時まさにあの心理だったんだろうと思う。
戦術や作戦を立てる事は重要だと思いますが、国力の差や国際情勢や力に差がハッキリしてる時は逃げる事や戦ってはイケナイとハッキリ言える事も教えて欲しかったですね。理由も言える様にね。
ご視聴ありがとうございます!アメリカと開戦するか否かの際に、戦えば負けると言いにくい雰囲気が醸成されたとしたら、それは軍教育の失敗かもしれませんね。
不思議なのはドイツ軍の参謀総長は独ソ戦が始まって直ぐにソ連の強大な戦力を知ってヒトラーに勝て無いから和平を進言出来る空気が有ったので戦争を止める様にハッキリ言えましたが、ヒトラーが聞かなかったので負けてしまいましたが、ドイツの参謀本部を見習った日本が慎重論や弱気な発言をすると非国民!と怒鳴られる空気に為ってしまった事ですね。九州派閥の気質が影響した様に思います。其の点で勝海舟の様な人物が居なかったのは悔やまれますね。
当時の海軍大学校や陸軍大学校は、東大や京大よりも難関でしたからね…
いや、それは陸軍士官学校や海軍兵学校の方ですね。陸大や海大は、もっとレベルの高い教育を将校に施すわけですからね。
私の祖父は陸軍士官学校を出て、連隊長の副官(大尉)を勤めて終戦を迎えたが、士官学校も兵学校も平たくいえば「中間管理職」を養成する学校だと言っていました。階級でいえば大佐どまり。それに対して大学校は、受験すること自体が上官の推薦を必要とするため、将来の将官、とくに中央の幕僚たらんとする見込みがなければ受験できなかったそうです。純粋に、学力的には東大や京大に入るのと同じくらい優秀でなければ合格できなかったそうですが、反面、師団以上の部隊を動かす戦術教育オンリーになっていて、視野の狭い高級軍人しか育たなかったとも'(当時から)言われていたそうです。そして大学校卒業時の成績順に昇進し、上位成績者は大本営勤務の大将を目指せたが、下位成績者は戦地部隊の司令官か、中央であっても少将か中将どまりだったとか。外国から名将扱いされる人は、やはり多くが海外(特に欧米)で駐在武官を経験し、国際的な視野を身に付けた人たちのような気がします。なので陸海軍省教育部などは、大学校の学生を東大や京大で学ばせるカリキュラム改定を何度も具申したこともあるようですが、却下されたそうです。そういえば重光葵が東京裁判中に書いた日記の中に「戦前戦中、東条英機には何度も不快な思いをさせられてきたが、拘置所で虚心に話をしてみると、頭の回転は早いし、物事の要点を掴む要領はたいしたものだ。ただ悲しいかな、彼には国際的な感覚と国際的な一般常識が欠けていた。それが今の日本の悲劇を招いたといっても過言ではない。もし彼がそれらを兼ね備えていたら、ここまでの悲劇には至らなかっただろう」と記していたし、木戸幸一日記にも「陸海軍大学校の教育は軍事面に偏り過ぎていた。その弊害をもろに受けて育ったのが東条英機だろう」とありましたね。
いわゆる「専門バカ」というやつですか……
全文同感
当時、軍の大将の定員は海軍5名、陸軍5名がおおよその人数だった。官位俸給は帝国大学教授と同じ。帝国大学教授は600人。末は博士化大臣か との言葉はここからきている。いかに教育に力を入れていたかがわかる。海軍大学校は今で言う軍事官僚養成機関です。
堀悌吉さんとの述志や彼が極東裁判ように提出した五峯録で五十六の人となりがわかると思う アメリカと開戦したくなかった五十六でも政治の判断に軍人は逆らえるはずもなかった
全然関係無いけれど、私の居た会社に陸上自衛隊に居た人が2士だったかな?の時にレンジャー学校?に入ったら3曹や士長の人ばかりで訓練の他に色々こき使われて無茶苦茶辛かったから、止められたけれど2年の任期が来てサッサと辞めたって人が居ましたよ。
アメリカ、イギリスにやたらと詳しいのに戦いとは非情ですρ(・・、)
ヤマモトの頭がよかったらハワイ真珠湾奇襲で屑鉄戦艦沈めて喜ぶようなおバカ作戦なんかやらないです…
Dear Sir✌️ 真珠湾攻撃は世界の海戦史に記憶される作戦の執行でした!世界で初めて六艘からなる大機動部隊が遥々外洋を越えて成功をおさめましたね。 ミッドウェイ海戦は参謀が無能でしたしたね。 司令長官の責任ではありますが🤪参加者は誰しも初めての戦いですから、双方共にミスの連続ですよ。
@@中野善行-h6t真珠湾は戦術的には大勝利でしたが、戦略的には大失敗でしたね…そもそも平和主義が跋扈していたアメリカを攻撃する必要はありませんでした。石油が必要ならオランダだけ攻撃すれば良かった訳ですから。
河井継之助と山本五十六元帥は北越長岡の誇りで御座います🙇勝ち負けは度外視して、戦い抜く越後魂✊ 国内的に人気抜群✌️
ありゃ狙いは空母だったのに真珠湾基地に居なくて、つまり初手でしくじったのが半年後のミッドウィイ敗北に響いた
結局戦争に負けたのだから兵学校・海大・陸幼・陸士・陸大は失敗作。
海軍は陸軍に比べ要員数が少ないから派閥の弊害は表面的に目立たないが海兵卒業時の”ハンモックNO”が昇進に関わってきたし(先任将校)、元々日露戦争のために作られたため、”補給””潜水艦””航空機”などの時代の進化についていけなかったし、理屈に合わない艦隊比率(対米7割)など太平洋戦争時まで変わらなかった。(井上成美は海兵・海大の成績は抜群であったが実戦(ウェーク島攻略・珊瑚海海戦)でダメだったので学者バカといわれ海兵の好調に左遷された。)井上の南陽群島の不沈空母化(基地空戦兵力の確保)は戦後アメリカからも驚嘆されていたのに
何か変だね。普段閉校していて生徒がいないはずの大幹部養成校に大幹部が集結したら、スパイの視察対象になってしまうでしょうが、密なる重視すべき立場の人物が軽率な行動をとったらまずいであろうが。それと、結論から言うと戦争に負けたから3国同盟は最悪であったが、短期的に見ると仕方が無かったんじゃないかな。というのはまず、日本は国際同盟を脱退して孤立化しており、ABCD包囲網により資源の乏しい我が国は同盟国が欲しかったし、当時ドイツ軍は破竹の勢いで勝ちまくっており、海により隔てられたイギリス等を除き既にドイツの傘下になっていた状況から、石油などの資源は南方にあり既にオランダ領インドネシアはの母国オランダはドイツの支配下にあったため、ドイツの同盟国になることによりインドネシアを容易に陥落させることが可能になる可能性が増すこととなる。(実際にドイツと同盟国になったおかげで容易にインドネシアはオランダから陥落させることになった)次に、中国において実は当時工場などは日本側の満州が一番重工業は進んでおり、次に発展していた上海や南京、天津、北京などの大都市は既に日本側に陥落しており、残る大都市は重慶などわずかであり兵器・弾薬などは直ぐに尽きるはずなのに何故か無尽蔵に所持しており、当時から外国から物資が流入している事は気付いていたはずだが、実際に把握できていなかったしたらいかに日本が情報収集を軽視していたかだよな。まあ、実際は情報部が入手していたこと等絶対に後世には残さないだろうがね、敗戦したんだもの敵国に情報とられるものすべて消去しただろうけどね。 で、変だなというのは山本や南雲などの海軍中枢部にいた人間の戦い方だね。日本が負けるよう負けるように戦っている節がある。実際に大きな敗戦を重ねているんだけどね。それと、この前のNHKの10年以上前の特集の再放送で見たんだが、軍の上層部と企業が結びついて利権をむさぼっていた跡があるらしい。それがゆえに南方戦線が広がった可能性が指摘されていた。まあ、NHKの放送内容って100%は信用できないけどね、利権に群がる連中がいたというのはありえる話だよね。
山本五十六さん偉い人であった、しかし、未來が見えていなかった‼️
特に戦前の話は、強力なビジョンとリーダーシップがシンクタンクとして活用した、と言う話になるんでしょうか。高度教育をどの階層まで施すかは、今ウクライナでも課題として見えてるみたいですね。いずれにせよ、こういう人を討ち取られ、その次の世代も討ち取られて、だんだん頭の動かない組織になっていったのかなあ。海大甲種の話で思い出すのが、第二艦隊長官になった栗田氏(甲種を出ていない)について、黛治夫氏が現場一筋で頼りがいはありそうでも、アタマができてないとだめだ。と言ったり、甲種組が栗田氏に責任をなすりつけようとしていると言っていたという逸話です。いずれにせよ栗田氏本人が「俺なんかじゃこんな野武士なんかじゃ駄目だ…。」と言っていたそうで、栗田氏もちょっと気の毒かと思いました。年功序列も有ったのでしょうけど、それ以前に四三年末ころとなると、そもそももう生き残ってないんじゃないかと言う想像も有ったり。
今でも防衛大卒の人たちに誤解してる人がいるけど『天保銭』って、イヤミ、陰口、罵詈雑言の類いだからね。
自分達の頭の良さをアピールするための記章が、世間ではバカを表す言葉として使われている、天保銭と呼ばれたのは中々の皮肉だな。
海軍大学の入学試験に数学科目もありましたね? 10問の設問で頭だけで解答出来ましたね。 計算力は不要! 探して解いてみて下さい🤪
海大の存在は陸大に比べて、地味な存在だが、この一期20名程度の海軍将校の中から、軍令部の参謀や、海軍省のエリート職員が出ていることは確かです。受験者は大尉や少佐と陸大に比べて、年を取っているが、殆どが分隊長以上の経験者だというところから、高級幹部の養成が目的だったというのが正しい見方でしょうか。ほとんどは、海兵をクラスヘッドか50番位のところで卒業した人が、主に受験していたような気がします。大体、250人位受験しますから、かなりの難関だと思いますよ。
山本司令長官には奥さんの他に愛人がいた、英雄色を好む、健康な精神の持ち主だよ。
山本ほど過大評価されている帝国将官はいない。
山本 南雲この二人の名を聞くと最早絶望的になる。なんで真珠湾不意打ち、なんで勝つべきミッドウエーでボロ負け。あげくが墜死 市民巻き添えサイパンで自決。ボロ負け海軍その最高権威が海大教育か。
やっぱり教育って重要だなぁ…今の自衛隊は情報戦や世論戦、対サイバー戦、陸海空のネットワーク戦闘などの対中共に必要な教育にどれほど力を入れているのでしょうか?
山本も米内も人物ですが、大事なところで海軍の権益に拘る部分がありますね。
海軍軍人ですもの。しょうがないですね。
阿川弘之の海軍三部作を読むと、海軍兵学校のハンモックナンバーが終始配置先に影響したとあるので、海大の存在は確かに昇進への影響が少なかったようです。ウィキペディアの「海軍大学校」の項目には、海軍大学校を出ずに大将昇進、要職に就いた人物が多々挙げられています。なお、海大卒かどうかは別に、海軍機関科問題という人事上の課題が太平洋戦争終戦までありました。海軍機関学校の卒業生は技術的な専門知識は高いが、昇進は海兵卒より不利で、終戦間際まで大将を出すことはありませんでした。
かの東郷平八郎元帥も期間科の事を「釜焚き」と言って侮蔑していたらしいですね。兵科でないものに兵器は使えないという考えみたいですね。
仕事中、将棋指していた人か。どのくらいの棋力だったのか。
蘭印、米国の原油入らず困るのは陸軍より海軍だった。軍艦すべて鉄くずになる。
何をしているところか興味深く見ることができました。祖父は海軍大学校の航海学生教程を大正12年に卒業しています。関東大震災の時にイギリスに2年赴任して少将になり、真珠湾攻撃の4か月前に退役しました。現役の時は航空兵器の試験や航空機工場の監督官というのを主にしていたようです。戦時中は立川の昭和飛行機というところにいたそうです。卒業証書や写真、奉職履歴、軍服などがあります。兵学校の同期生には大西滝治郎中将などがいたようです。
お疲れ様です。
旧海軍の本(殆どが雑誌やムック本ですが)を読み漁ってきましたが、海軍大学について書かれた本が無く(というか書かれていても読まなかったのか)、大変興味深く見させていただきました。
そもそも海軍兵学校自体、今の防大と同じでそんじょそこらの頭じゃ入学できない。学ぶことが好きな人も中に入るだろうしね。
五十六さんの写真見てると男の修行という言葉と真珠湾攻撃時の心理を重ね合わせてしまう^^;
駐在武官としてアメリカにいたこともあってあの国の姿を知っているだけに、あの時まさにあの心理だったんだろうと思う。
戦術や作戦を立てる事は重要だと思いますが、国力の差や国際情勢や力に差がハッキリしてる時は逃げる事や戦ってはイケナイとハッキリ言える事も教えて欲しかったですね。理由も言える様にね。
ご視聴ありがとうございます!アメリカと開戦するか否かの際に、戦えば負けると言いにくい雰囲気が醸成されたとしたら、それは軍教育の失敗かもしれませんね。
不思議なのはドイツ軍の参謀総長は独ソ戦が始まって直ぐにソ連の強大な戦力を知ってヒトラーに勝て無いから和平を進言出来る空気が有ったので戦争を止める様にハッキリ言えましたが、ヒトラーが聞かなかったので負けてしまいましたが、ドイツの参謀本部を見習った日本が慎重論や弱気な発言をすると非国民!と怒鳴られる空気に為ってしまった事ですね。九州派閥の気質が影響した様に思います。其の点で勝海舟の様な人物が居なかったのは悔やまれますね。
当時の海軍大学校や陸軍大学校は、東大や京大よりも難関でしたからね…
いや、それは陸軍士官学校や海軍兵学校の方ですね。陸大や海大は、もっとレベルの高い教育を将校に施すわけですからね。
私の祖父は陸軍士官学校を出て、連隊長の副官(大尉)を勤めて終戦を迎えたが、士官学校も兵学校も平たくいえば「中間管理職」を養成する学校だと言っていました。階級でいえば大佐どまり。それに対して大学校は、受験すること自体が上官の推薦を必要とするため、将来の将官、とくに中央の幕僚たらんとする見込みがなければ受験できなかったそうです。
純粋に、学力的には東大や京大に入るのと同じくらい優秀でなければ合格できなかったそうですが、反面、師団以上の部隊を動かす戦術教育オンリーになっていて、視野の狭い高級軍人しか育たなかったとも'(当時から)言われていたそうです。そして大学校卒業時の成績順に昇進し、上位成績者は大本営勤務の大将を目指せたが、下位成績者は戦地部隊の司令官か、中央であっても少将か中将どまりだったとか。外国から名将扱いされる人は、やはり多くが海外(特に欧米)で駐在武官を経験し、国際的な視野を身に付けた人たちのような気がします。
なので陸海軍省教育部などは、大学校の学生を東大や京大で学ばせるカリキュラム改定を何度も具申したこともあるようですが、却下されたそうです。
そういえば重光葵が東京裁判中に書いた日記の中に
「戦前戦中、東条英機には何度も不快な思いをさせられてきたが、拘置所で虚心に話をしてみると、頭の回転は早いし、物事の要点を掴む要領はたいしたものだ。ただ悲しいかな、彼には国際的な感覚と国際的な一般常識が欠けていた。それが今の日本の悲劇を招いたといっても過言ではない。もし彼がそれらを兼ね備えていたら、ここまでの悲劇には至らなかっただろう」
と記していたし、木戸幸一日記にも
「陸海軍大学校の教育は軍事面に偏り過ぎていた。その弊害をもろに受けて育ったのが東条英機だろう」
とありましたね。
いわゆる「専門バカ」というやつですか……
全文同感
当時、軍の大将の定員は海軍5名、陸軍5名がおおよその人数だった。官位俸給は帝国大学教授と同じ。帝国大学教授は600人。末は博士化大臣か との言葉はここからきている。いかに教育に力を入れていたかがわかる。海軍大学校は今で言う軍事官僚養成機関です。
堀悌吉さんとの述志や彼が極東裁判ように提出した五峯録で五十六の人となりがわかると思う アメリカと開戦したくなかった五十六でも政治の判断に軍人は逆らえるはずもなかった
全然関係無いけれど、私の居た会社に陸上自衛隊に居た人が2士だったかな?の時にレンジャー学校?に入ったら3曹や士長の人ばかりで訓練の他に色々こき使われて無茶苦茶辛かったから、止められたけれど2年の任期が来てサッサと辞めたって人が居ましたよ。
アメリカ、イギリスにやたらと詳しいのに戦いとは非情ですρ(・・、)
ヤマモトの頭がよかったらハワイ真珠湾奇襲で屑鉄戦艦沈めて喜ぶようなおバカ作戦なんかやらないです…
Dear Sir✌️
真珠湾攻撃は世界の海戦史に記憶される作戦の執行でした!
世界で初めて六艘からなる大機動部隊が遥々外洋を越えて成功をおさめましたね。
ミッドウェイ海戦は参謀が無能でしたしたね。 司令長官の責任ではありますが🤪
参加者は誰しも初めての戦いですから、双方共にミスの連続ですよ。
@@中野善行-h6t
真珠湾は戦術的には大勝利でしたが、戦略的には大失敗でしたね…
そもそも平和主義が跋扈していたアメリカを攻撃する必要はありませんでした。
石油が必要ならオランダだけ攻撃すれば良かった訳ですから。
河井継之助と山本五十六元帥は北越長岡の誇りで御座います🙇
勝ち負けは度外視して、戦い抜く越後魂✊ 国内的に人気抜群✌️
ありゃ狙いは空母だったのに真珠湾基地に居なくて、つまり初手でしくじったのが半年後のミッドウィイ敗北に響いた
結局戦争に負けたのだから兵学校・海大・陸幼・陸士・陸大は失敗作。
海軍は陸軍に比べ要員数が少ないから派閥の弊害は表面的に目立たないが
海兵卒業時の”ハンモックNO”が昇進に関わってきたし(先任将校)、
元々日露戦争のために作られたため、”補給””潜水艦””航空機”などの時代の
進化についていけなかったし、理屈に合わない艦隊比率(対米7割)など
太平洋戦争時まで変わらなかった。
(井上成美は海兵・海大の成績は抜群であったが実戦(ウェーク島攻略・
珊瑚海海戦)でダメだったので学者バカといわれ海兵の好調に左遷された。)
井上の南陽群島の不沈空母化(基地空戦兵力の確保)は戦後アメリカからも
驚嘆されていたのに
何か変だね。普段閉校していて生徒がいないはずの大幹部養成校に大幹部が集結したら、スパイの視察対象になってしまうでしょうが、密なる重視すべき立場の人物が軽率な行動をとったらまずいであろうが。それと、結論から言うと戦争に負けたから3国同盟は最悪であったが、短期的に見ると仕方が無かったんじゃないかな。というのはまず、日本は国際同盟を脱退して孤立化しており、ABCD包囲網により資源の乏しい我が国は同盟国が欲しかったし、当時ドイツ軍は破竹の勢いで勝ちまくっており、海により隔てられたイギリス等を除き既にドイツの傘下になっていた状況から、石油などの資源は南方にあり既にオランダ領インドネシアはの母国オランダはドイツの支配下にあったため、ドイツの同盟国になることによりインドネシアを容易に陥落させることが可能になる可能性が増すこととなる。(実際にドイツと同盟国になったおかげで容易にインドネシアはオランダから陥落させることになった)次に、中国において実は当時工場などは日本側の満州が一番重工業は進んでおり、次に発展していた上海や南京、天津、北京などの大都市は既に日本側に陥落しており、残る大都市は重慶などわずかであり兵器・弾薬などは直ぐに尽きるはずなのに何故か無尽蔵に所持しており、当時から外国から物資が流入している事は気付いていたはずだが、実際に把握できていなかったしたらいかに日本が情報収集を軽視していたかだよな。まあ、実際は情報部が入手していたこと等絶対に後世には残さないだろうがね、敗戦したんだもの敵国に情報とられるものすべて消去しただろうけどね。
で、変だなというのは山本や南雲などの海軍中枢部にいた人間の戦い方だね。日本が負けるよう負けるように戦っている節がある。実際に大きな敗戦を重ねているんだけどね。それと、この前のNHKの10年以上前の特集の再放送で見たんだが、軍の上層部と企業が結びついて利権をむさぼっていた跡があるらしい。それがゆえに南方戦線が広がった可能性が指摘されていた。まあ、NHKの放送内容って100%は信用できないけどね、利権に群がる連中がいたというのはありえる話だよね。
山本五十六さん偉い人であった、しかし、未來が見えていなかった‼️
特に戦前の話は、強力なビジョンとリーダーシップがシンクタンクとして活用した、と言う話になるんでしょうか。
高度教育をどの階層まで施すかは、今ウクライナでも課題として見えてるみたいですね。
いずれにせよ、こういう人を討ち取られ、その次の世代も討ち取られて、だんだん頭の動かない組織になっていったのかなあ。
海大甲種の話で思い出すのが、第二艦隊長官になった栗田氏(甲種を出ていない)について、
黛治夫氏が現場一筋で頼りがいはありそうでも、アタマができてないとだめだ。と言ったり、甲種組が栗田氏に責任をなすりつけようとしている
と言っていたという逸話です。
いずれにせよ栗田氏本人が「俺なんかじゃこんな野武士なんかじゃ駄目だ…。」と言っていたそうで、栗田氏もちょっと気の毒かと思いました。
年功序列も有ったのでしょうけど、それ以前に四三年末ころとなると、そもそももう生き残ってないんじゃないかと言う想像も有ったり。
今でも防衛大卒の人たちに誤解してる人がいるけど
『天保銭』って、イヤミ、陰口、罵詈雑言の類いだからね。
自分達の頭の良さをアピールするための記章が、世間ではバカを表す言葉として使われている、天保銭と呼ばれたのは中々の皮肉だな。
海軍大学の入学試験に数学科目もありましたね? 10問の設問で頭だけで解答出来ましたね。 計算力は不要! 探して解いてみて下さい🤪
海大の存在は陸大に比べて、地味な存在だが、この一期20名程度の海軍将校の中から、軍令部の参謀や、海軍省のエリート職員が出ていることは確かです。受験者は大尉や少佐と陸大に比べて、年を取っているが、殆どが分隊長以上の経験者だというところから、高級幹部の養成が目的だったというのが正しい見方でしょうか。ほとんどは、海兵をクラスヘッドか50番位のところで卒業した人が、主に受験していたような気がします。大体、250人位受験しますから、かなりの難関だと思いますよ。
山本司令長官には奥さんの他に愛人がいた、英雄色を好む、健康な精神の持ち主だよ。
山本ほど過大評価されている帝国将官はいない。
山本 南雲この二人の名を聞くと最早絶望的になる。なんで真珠湾不意打ち、なんで勝つべきミッドウエーでボロ負け。あげくが墜死 市民巻き添えサイパンで自決。ボロ負け海軍その最高権威が海大教育か。