ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
昭和50年頃にテレビで陸海軍少年兵の記録映像の特番があり、ビデオ無き当時 音声のみカセットテープに録音して何度も聞き返しました。少年戦車兵のシーンも帰省して家族と語らう場面や操縦訓練での教示、模擬戦終了後の将官による訓示など よく覚えています。エンディングの歌もとても印象に残っていましたが、軍歌や動画を探してもなかなか見つけられなかったところに この動画に巡り合えました。当時の録音テープも その後 誤って上書きしてしまい、二度と観れはしまいと諦めていたので とても感激しています。配信者様に感謝します ありがとうございました。
素晴らしい!何度も見てしまう。
元戦車乗員していましたが、昔も今も訓練あるのみですな!
年の期限の学校が、戦況の悪化に伴い1年で卒業、前線に行ったそうだ。父の1年前に入校した少年兵のほとんどが戦死したと聞いた。若き命を賭けてくれた人たちに感謝と哀悼の誠を捧げる。
最初のランニングシーンで「あらゆる運動」の基礎は「足腰」と実感。
少年戦車学校の映像ですね。昔、親父が働く職場の宿舎に少年戦車学校にいた人がいたから、もしかしたらどこかに映ってたりして。32:30 の人が、ちょっと似てるな。97式戦車のエンジンは170馬力しかないとか、4t中型トラック以下なのは衝撃。そういやこの頃のトラックも、ダブルクラッチにパワステ無しだからキツかっただろうな。
訓練用だからか97全車に鉢巻(アンテナ)装備なのね。現在の陸自の戦車のような世界最高水準ならいざ知らず、M4相手にすら苦戦するような、砲火力・ペラペラ装甲の戦車に乗って、車内でみんな焼かれていったかと思うと涙出て来る。精神論なんかでは、戦いには勝てない。相手と互角の性能があって、その上で精神に勝る方が勝つというなら解るが。戦争の善悪は別にして、戦車性能の優秀さの分だけ、今の機甲科隊員は確実に恵まれていると思う。せっかく先制した主砲の命中弾を弾かれるような絶望を味わうことはないのだから・・・。
こんなに錬磨し鍛えられた若き隊員達なら、せめてM4戦車とまではいかなくても、ドイツの3号戦車か、欲を言えば4号戦車クラスの火力のある戦車が有れば、ペリリューや 硫黄島で、もっと善戦できただろう。前面装甲が25ミリと短砲身のチハ車では、練度でその差は埋められるものではない。しかしその闘魂は、占守島での最後の奮戦につながり、日本の分断をソ連の魔の手から守った。
ミスがあっても映画撮影だから教官殿は口頭注意なんだろうけど、映画撮影でなければ鉄拳制裁なんだろうな👊
我心身とも脆弱なり!駄目だ、私にはとてもこんな生活は耐えられない。戦後に生まれてよかったなあ。😁😁
それでも日本人か…?
@@yokaren_boy は~い❣とってもゼイジャクな日本人デ~ス。戦争が79年間もない事に勝る幸福があるだろうか?😅😅
新型歩兵用対戦車兵器の開発、例えば「吸着地雷」を人力で投げ入れるのではなく、擲弾筒に差し入れて発射式にして訓練する、とかしなかったのかな?
@@大久保次郎-l4mそういう柔軟な発想、人命重視の開発が出来てればなあ…現実に生まれた対戦車兵器はドイツがパンツァーファウスト、アメリカがM1バズーカに対して日本は刺突爆雷やからなぁ…。
@@ヤス-l4b 本当にソレナですね。提案しても"生意気なヤツ"と思われて往復ビンタの嵐を受けていたかも、ですね。
10:59 ここ豊田商事の朝礼風景っぽいw
戦車兵学校ですか!現在は跡地の一部区画に若獅子神社と慰霊碑が建立されサイパンから引き上げられたチハが展示してあります15年程前に卒業された方のお話を聞く事ができました
サブはここから戦後のドサクサに紛れて戦車盗んで自宅まで帰ったのか…
(ФωФ)…👍おお、静岡の若獅神社が有る所ですな。戦車見に行ったな。
장갑 두께가 얇은 듯...
60式自走106mm無反動砲みたいじゃんかよ。シルエットが低いが、装甲が薄いので、敵戦車に狙われたら終わり❤
ありがとうございます
これ見るとやっぱり日本は海洋国家だという事を痛感するな。こんなブリキでソ連や米軍に本気で勝とうとした精神論がまかり通った時代なんだな。肉体トレーニングが超非科学的で少年達がかわいそう
自動車の運転自体をわざわざ映画のヒトコマに取り上げる程度のモータリゼーションの進み具合が、当時の日本の近代化の遅れを如実に表しているんだよな。電話を使ったことのない者も多かったと聞くし、残念ながら、近代的総力戦に耐えうるだけの体制が整っていない状況といえる。
いらなくなったⅣ号戦車とⅢ号戦車くらい貰えなかったんだろうか?
저 당시 한국인도 있을듯
戦争はするな 戦争は負けるな 生まれた時代が悪いとひどい目に合う
ただでさえブリキの戦車と揶揄される日本の戦車に乗車するは子供
日本は国内で戦う事を考えて無いから重戦車は造らない。ティガー戦車などは貨車に積むのに履帯を外さない積めない!日本は外地で戦うから軽戦車だったのかな?!
当時の港湾のクレーンが15トン程度しか吊せないところが多いってのが大きいみたいだけど、ドイツは50トン以上あるティーガーを北アフリカまで運んでるからねえ。昭和18年ともなると、せめて四式チト車ぐらいのスペックはないと話になりません。チハたんはⅡ号以上Ⅲ号未満ぐらいのサイズでしかないからねえ。
これだけ鍛錬積んで訓練してノモンハンでロシアに圧倒されたが、この時代のロシアの傭兵は、戦車兵も砲兵も鎖につながれて死んでいた。
戦地は生き地獄。生まれる時代間違えたと恨んでるだろう。気の毒。
昭和50年頃にテレビで陸海軍少年兵の記録映像の特番があり、ビデオ無き当時 音声のみカセットテープに録音して何度も聞き返しました。
少年戦車兵のシーンも帰省して家族と語らう場面や操縦訓練での教示、模擬戦終了後の将官による訓示など よく覚えています。
エンディングの歌もとても印象に残っていましたが、軍歌や動画を探してもなかなか見つけられなかったところに この動画に巡り合えました。
当時の録音テープも その後 誤って上書きしてしまい、二度と観れはしまいと諦めていたので とても感激しています。
配信者様に感謝します ありがとうございました。
素晴らしい!何度も見てしまう。
元戦車乗員していましたが、昔も今も訓練あるのみですな!
年の期限の学校が、戦況の悪化に伴い1年で卒業、前線に行ったそうだ。父の1年前に入校した少年兵のほとんどが戦死したと聞いた。若き命を賭けてくれた人たちに感謝と哀悼の誠を捧げる。
最初のランニングシーンで「あらゆる運動」の基礎は「足腰」と実感。
少年戦車学校の映像ですね。昔、親父が働く職場の宿舎に少年戦車学校にいた人がいたから、もしかしたらどこかに映ってたりして。32:30 の人が、ちょっと似てるな。
97式戦車のエンジンは170馬力しかないとか、4t中型トラック以下なのは衝撃。そういやこの頃のトラックも、ダブルクラッチにパワステ無しだからキツかっただろうな。
訓練用だからか97全車に鉢巻(アンテナ)装備なのね。
現在の陸自の戦車のような世界最高水準ならいざ知らず、M4相手にすら苦戦するような、砲火力・ペラペラ装甲の戦車に乗って、車内でみんな焼かれていったかと思うと涙出て来る。精神論なんかでは、戦いには勝てない。相手と互角の性能があって、その上で精神に勝る方が勝つというなら解るが。
戦争の善悪は別にして、戦車性能の優秀さの分だけ、今の機甲科隊員は確実に恵まれていると思う。せっかく先制した主砲の命中弾を弾かれるような絶望を味わうことはないのだから・・・。
こんなに錬磨し鍛えられた若き隊員達なら、せめてM4戦車とまではいかなくても、ドイツの3号戦車か、欲を言えば4号戦車クラスの火力のある戦車が有れば、ペリリューや 硫黄島で、もっと善戦できただろう。前面装甲が25ミリと短砲身のチハ車では、練度でその差は埋められるものではない。しかしその闘魂は、占守島での最後の奮戦につながり、日本の分断をソ連の魔の手から守った。
ミスがあっても映画撮影だから教官殿は口頭注意なんだろうけど、映画撮影でなければ鉄拳制裁なんだろうな👊
我心身とも脆弱なり!駄目だ、私にはとてもこんな生活は耐えられない。戦後に生まれてよかったなあ。😁😁
それでも日本人か…?
@@yokaren_boy は~い❣とってもゼイジャクな日本人デ~ス。戦争が79年間もない事に勝る幸福があるだろうか?😅😅
新型歩兵用対戦車兵器の開発、例えば「吸着地雷」を人力で投げ入れるのではなく、擲弾筒に差し入れて発射式にして訓練する、とかしなかったのかな?
@@大久保次郎-l4m
そういう柔軟な発想、人命重視の開発が出来てればなあ…
現実に生まれた対戦車兵器はドイツがパンツァーファウスト、アメリカがM1バズーカに対して日本は刺突爆雷やからなぁ…。
@@ヤス-l4b 本当にソレナですね。提案しても"生意気なヤツ"と思われて往復ビンタの嵐を受けていたかも、ですね。
10:59 ここ豊田商事の朝礼風景っぽいw
戦車兵学校ですか!
現在は跡地の一部区画に若獅子神社と慰霊碑が建立されサイパンから引き上げられたチハが展示してあります
15年程前に卒業された方のお話を聞く事ができました
サブはここから戦後のドサクサに紛れて戦車盗んで自宅まで帰ったのか…
(ФωФ)…👍
おお、静岡の若獅神社が有る所ですな。
戦車見に行ったな。
장갑 두께가 얇은 듯...
60式自走106mm無反動砲みたいじゃんかよ。シルエットが低いが、装甲が薄いので、敵戦車に狙われたら終わり❤
ありがとうございます
これ見るとやっぱり日本は海洋国家だという事を痛感するな。
こんなブリキでソ連や米軍に本気で勝とうとした精神論がまかり通った時代なんだな。
肉体トレーニングが超非科学的で少年達がかわいそう
自動車の運転自体をわざわざ映画のヒトコマに取り上げる程度のモータリゼーションの進み具合が、当時の日本の近代化の遅れを如実に表しているんだよな。電話を使ったことのない者も多かったと聞くし、残念ながら、近代的総力戦に耐えうるだけの体制が整っていない状況といえる。
いらなくなったⅣ号戦車とⅢ号戦車くらい貰えなかったんだろうか?
저 당시 한국인도 있을듯
戦争はするな 戦争は負けるな 生まれた時代が悪いとひどい目に合う
ただでさえブリキの戦車と揶揄される日本の戦車に乗車するは子供
日本は国内で戦う事を考えて無いから重戦車は造らない。ティガー戦車などは貨車に積むのに履帯を外さない積めない!日本は外地で戦うから軽戦車だったのかな?!
当時の港湾のクレーンが15トン程度しか吊せないところが多いってのが大きいみたいだけど、ドイツは50トン以上あるティーガーを北アフリカまで運んでるからねえ。昭和18年ともなると、せめて四式チト車ぐらいのスペックはないと話になりません。チハたんはⅡ号以上Ⅲ号未満ぐらいのサイズでしかないからねえ。
これだけ鍛錬積んで訓練してノモンハンでロシアに圧倒されたが、この時代のロシアの傭兵は、戦車兵も砲兵も鎖につながれて死んでいた。
戦地は生き地獄。生まれる時代間違えたと恨んでるだろう。気の毒。