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大河ドラマは主役が亡くなる所で終わる場面が多いが今回の大河は主人公である紫式部の没年が謎なので終着点が予想しにくい。
次回からは主人公にして、オリキャラですよね
色々紹介しましたが、個人的には賢子出仕前、1020年代初頭あたりに亡くなったかなと考えています。賢子が女房名で呼ばれていないことと小式部内侍ら他の人の存在を全面信用する感じですね。
私が小学生の時よく読んでいた、学研の紫式部の漫画では、実資の取り次ぎしてたのに怒って辞めさせられ、そのすぐくらいに病気で父より早く亡くなったと書いてありましたね。それが40年近い昔の説(紫式部が退出してすぐくらいに賢子が出仕したのも書いてありました)
どうしてドラマ内では紫式部、彰子と実資との間に絡みがなかったんだろう。そりゃ式部と道長の話だから二人が対立するような形になっちゃまずいけど…。
紫式部と仲がよかった女房たちとのエピソードも省略されていたし、まひろと道長を主軸にして、ばっさりカットしたのではないでしょうか
「光る君へ」が数少ない平安時代の大河ドラマである事を考えると、紫式部が生きている可能性がある年(信憑性が高い)まで描写されてもおかしくないと考えます。(46話が刀伊の入寇・道長出家と紫式部の第一線からの引退を踏まえて。大河ドラマが終盤で年単位の早めの描写をする傾向も考慮)
紫式部が 1019年 1、5、8月に実資の取次ぎをしているとしたら、刀伊の入寇時(3~4月)大宰府にいたというドラマの設定はかなり無理がありますね。
紫式部ほどの人物でも(名作を物し、宮中で仕え重要な仕事をしていても)女性であると、没年不詳なのですね。当たり前ですが、昔の女性の名前や生地不明共々、女性の地位の低さを感じてしまいます。個人的には賢子出仕まで見届けて亡くなっていて欲しい気持ちですが、仮にその前に亡くなっていたとしても、後世まで伝えられた源氏物語の作者としての彼女の生涯を今回のドラマでさらに知ることができ(かなり独創的な回も多かったですが)異色の大河ドラマとして楽しめました。レキショックさんの各回の解説は、とても深く考察されていて、とても勉強になります。来年の”べらぼう”も解説されますか?お待ちしています。
どのような形になるかはやってみないと分かりませんが、べらぼうも同じく取り扱う予定です!
@rekishock さん 嬉しいです✨期待大で、お待ちしています
没年がはっきりしていないからこそ、ドラマでは、物語を書き終えて、旅に出ることができる。おそらく脚本の大石氏自身の理想なのだろう。源氏物語では、光源氏より先に紫の上が亡くなる。それもあってか、宇治川の川辺で道長はまひろに先に死ぬなと語る。そういう意味では、まひろは道長の願い通り先には死なずに、元気に別の人生に羽ばたく。そして物語以上のドラマがその先に待ち受ける。実は、現実の人生の方が物語よりもドラマチックで予想できないのかもしれない。大石氏は、そのことも言いたいのかなと考えた。
大河ドラマで道長と別れて旅に出るでとばずかたりの作者である後深草院二条かよ!と思いました
道長に追い出された説ね……この時を宇宙世紀に例えたら紫式部はハマーンで彰子がミネバで道長がシャアみたいな感じかも
大河ドラマは、ドラマだからこそ脚色があって当たり前
いつ亡くなったのか?本当に謎多き方ですね。狡い言い方ですが、皆さんの心の中で永遠に生きてると思うしか無いと思いますね。
レキショック様私が小学生時代(1980年代です)に読んだ伝記本(小学生向けの優しい本です)では、1014年説だったと記憶しています。ただ、道長の怒りを買った等の記述は無かったような。ただ、太宰府行きは荒唐無稽な気がします。それはそうと、刀伊の入寇を取り上げるとは思いませんでした。勿論そんなに時間は割かないのでしょうが。
亡くなった亡くなったと書くと亡くなって欲しかったのかと後世に思われちゃうので有耶無耶にしちゃうんだろうな。
名前については地位が低い層というより、基本的に諱を他人に告げない風習によるものではないでしょうか。北条政子が本名でなかったように、彰子や賢子など名前が伝わっている女性たちも本名ではなく、叙位の時など公的な場で公式記録のために縁起の良い文字を名前としたという説もあります。
大河ドラマは主役が亡くなる所で終わる場面が多いが今回の大河は主人公である紫式部の没年が謎なので終着点が予想しにくい。
次回からは主人公にして、オリキャラですよね
色々紹介しましたが、個人的には賢子出仕前、1020年代初頭あたりに亡くなったかなと考えています。
賢子が女房名で呼ばれていないことと小式部内侍ら他の人の存在を全面信用する感じですね。
私が小学生の時よく読んでいた、学研の紫式部の漫画では、実資の取り次ぎしてたのに怒って辞めさせられ、そのすぐくらいに病気で父より早く亡くなったと書いてありましたね。それが40年近い昔の説(紫式部が退出してすぐくらいに賢子が出仕したのも書いてありました)
どうしてドラマ内では紫式部、彰子と実資との間に絡みがなかったんだろう。
そりゃ式部と道長の話だから二人が対立するような形になっちゃまずいけど…。
紫式部と仲がよかった女房たちとのエピソードも省略されていたし、まひろと道長を主軸にして、ばっさりカットしたのではないでしょうか
「光る君へ」が数少ない平安時代の大河ドラマである事を考えると、
紫式部が生きている可能性がある年(信憑性が高い)まで描写されてもおかしくないと考えます。
(46話が刀伊の入寇・道長出家と紫式部の第一線からの引退を踏まえて。
大河ドラマが終盤で年単位の早めの描写をする傾向も考慮)
紫式部が 1019年 1、5、8月に実資の取次ぎをしているとしたら、刀伊の入寇時(3~4月)大宰府にいたというドラマの設定はかなり無理がありますね。
紫式部ほどの人物でも(名作を物し、宮中で仕え重要な仕事をしていても)女性であると、没年不詳なのですね。当たり前ですが、昔の女性の名前や生地不明共々、女性の地位の低さを感じてしまいます。
個人的には賢子出仕まで見届けて亡くなっていて欲しい気持ちですが、仮にその前に亡くなっていたとしても、後世まで伝えられた源氏物語の作者としての彼女の生涯を今回のドラマでさらに知ることができ(かなり独創的な回も多かったですが)異色の大河ドラマとして楽しめました。レキショックさんの各回の解説は、とても深く考察されていて、とても勉強になります。来年の”べらぼう”も解説されますか?お待ちしています。
どのような形になるかはやってみないと分かりませんが、べらぼうも同じく取り扱う予定です!
@rekishock さん 嬉しいです✨期待大で、お待ちしています
没年がはっきりしていないからこそ、ドラマでは、物語を書き終えて、旅に出ることができる。おそらく脚本の大石氏自身の理想なのだろう。
源氏物語では、光源氏より先に紫の上が亡くなる。それもあってか、宇治川の川辺で道長はまひろに先に死ぬなと語る。そういう意味では、まひろは道長の願い通り先には死なずに、元気に別の人生に羽ばたく。そして物語以上のドラマがその先に待ち受ける。
実は、現実の人生の方が物語よりもドラマチックで予想できないのかもしれない。
大石氏は、そのことも言いたいのかなと考えた。
大河ドラマで道長と別れて旅に出るでとばずかたりの作者である後深草院二条かよ!と思いました
道長に追い出された説ね……この時を宇宙世紀に例えたら紫式部はハマーンで彰子がミネバで道長がシャアみたいな感じかも
大河ドラマは、ドラマだからこそ脚色があって当たり前
いつ亡くなったのか?
本当に謎多き方ですね。
狡い言い方ですが、
皆さんの心の中で永遠に生きてると
思うしか無いと思いますね。
レキショック様
私が小学生時代(1980年代です)に読んだ伝記本(小学生向けの優しい本です)では、1014年説だったと記憶しています。ただ、道長の怒りを買った等の記述は無かったような。
ただ、太宰府行きは荒唐無稽な気がします。
それはそうと、刀伊の入寇を取り上げるとは思いませんでした。勿論そんなに時間は割かないのでしょうが。
亡くなった亡くなったと書くと
亡くなって欲しかったのかと後世に思われちゃうので
有耶無耶にしちゃうんだろうな。
名前については地位が低い層というより、基本的に諱を他人に告げない風習によるものではないでしょうか。
北条政子が本名でなかったように、彰子や賢子など名前が伝わっている女性たちも本名ではなく、叙位の時など公的な場で公式記録のために縁起の良い文字を名前としたという説もあります。