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素晴らしい企画でした。日本らしいバレーボールでした。松平節絶好調。大ファンでした。日テレ、よくやった。
江上は小島全日本のレギュラーメンバーの中では唯一の日立所属の選手であった。江上の対角が、佐藤、池知、須藤、三屋と交代する中で、常にセンターの一角を占めていた。攻撃力もさることながら、小島監督を魅了したのは、そのブロックでの「鋭い読み」と「守備力」であった。山田重雄は、「また日本が世界一に返り咲くためには、一人の白井を作るか、6人の江上を作るしかない」と言わしめたほど、攻守にわたってミスのない完璧な選手であった。小島バレーをセンターの一角として常に支えてきたのは江上であり、もし江上という選手がいなければ小島バレーは体現できなかったと言っても過言ではない。
これ当時見逃していて今見れてうれしかったです
私は歴代の全日本女子チームの中で、この小島孝治監督が率いる全日本が一番好きであった。白井や前田のようなスーパースターはいなかったが、とにかくボールが下に落ちないすごいチームであった。
江上は現役時代とても無口でおとなしい選手であった。モスクワ不参加が決まったとき、小島監督が江上に「残念やったな」と声をかけたところ、無言でぽろりと涙を流したというエピソードが残っている。
広瀬という選手が最も輝いたのは、81年のワールドカップであったと思う。横山の対角を務め、脚を負傷して本調子ではなかった横山に勝るとも劣らない活躍を果たした。特にその守備力は、素晴らしいというよりも「すさまじい」と形容した方が適切なほど、相手の強力な攻撃を拾いまくり、見るものを圧倒した。キューバのノーブロックの攻撃をレシーブする雄姿はいまだに忘れられない。この活躍が認められて、この大会で広瀬は「敢闘賞」「レシーブ賞」「ベスト6」と賞を総なめにした。私にとっての81年のワールドカップは、広瀬に始まり広瀬に終わる、そういう大会であったと振り返る。
感動しました💖江上さん素敵💖
この画像が見れて嬉しいです。歴代の中でこのチームが好きでした。小島バレーそれは心のバレーだと思います。
水原理枝子さんが今年の3月に亡くなっていた事を知りました。61歳。泣当時生まれてないし、この放送を観て知ってたくらいの選手ですが悲しいです。貴重なサンスポー選手で素敵な笑顔、、監督もお亡くなりになってるしこの時に集まれて本当に良かったですね。この映像を何度観たことか。鳥肌立ちます!
まじですか?一番いい動きしてるのに悲しいね
広瀬は一時横山の対角を務めていったことがあった。打点の低いスパイクで、小島監督は「ブロックの下から打つので逆にブロックがしにくい」レフト打ちであると語っていた。攻撃力よりもその高い守備力を買われての起用であった。そういう意味で小島バレーの象徴でもある。
江上は天才。広瀬は凄い。中学生からバレーやめれなくなった。
素晴らしい企画でした。女子バレーボールの歴史の1ページ。幻のモスクワオリンピック。日本は🥇金メダル候補でした。日本とソ連チーム 万歳‼️
モスクワオリンピックの頃のソビエトには、かつてのリスカル、スモレーワ、最近ではガモワのような大エースはいなかった。しかもソビエトは日本のようなコンビネーションバレーのチームを苦手としていたので、日本が金メダルを取れる可能性は非常に高かったといえる。何とも残念であった。
年齢から考えても皆さん良い動きをしている。特に広瀬さんのレシーブの正確さにはビックリ!
素晴らしい動画残してくれて、ありがとう!!
なんど見ても泣ける
江上さん、変わらずカッコいい!
三屋は筑波大学の学生のときに、その才能を発見した小島監督がナショナルチームに迎え入れた選手である。広瀬とたいへん仲が良かったと聞くが、卒業後日立に入社した。
三屋は、現役時代脚の負傷が多く、「ガラスの脚」と言われたほどであった。
今のテレビ界もこういう斬新な企画による番組を作ればテレビ離れなんていう言葉も生まれないだろうに。まぁそんな単純な話ではないだろうけど、、。
金メダル目前の人たちも、そうでなかった人たちも、モスクワオリンピックは、それを目標に頑張っていた人達の人生のハシゴを外されたんだよね。そのハシゴを繋ぐ企画。私はこの企画を知りませんでしたが、動画を観て感動しました。
77年のワールドカップで、モントリオールオリンピック銀メダルのソビエトはまさかの最下位に終わった。メンバーの若返りを図ったためであるが、その中でも強烈なスパイクを次々と決める一際目立つ選手がいた。「ゴロジャズナヤ」という選手であった。それがここで出場している「マコゴノワ」である。
小島監督は、池知のパワーを生かそうとレフトに変更させたことがあった。そのため須藤がセンタープレーヤーとなる。レフト池知、センター須藤というポジションの誕生であった。ただし結局うまくいかず、二人は元のポジションに戻ったが、センターを経験したことによって須藤は速効ができるようになった。
42:07あたりの江上・水原の見事な時間差攻撃には、驚いた。江上のネット際のボールのさばき方は、現役時代を見ているようだ。試合をジックリ見たい。
こういうスポーツの歴史、日本とソ連のスポーツ選手の交流など、今の子供たちには素晴らしい教育になる。テレビはこういう番組も大切に放送して欲しい。企業もスポンサーとして昭和スポーツ選手の素晴らしい動画を教育に生かして欲しい。
感動しました。いい企画!
Los años pasaron pero uno nunca se olvida de jugar y aun mantienen esa reacción voluntaria amor al gran deporte del voléybol
さすが元アスリート40代半ばでもここまで動けるとは…。
江上さんの旦那さんは現在KUROBEアクアフェアリーズの監督で、次女のさきさんは主将です。この映像は貴重ですね。非常に感慨深い。。笑笑
見れて光栄🎉ですね‼️
江上、三屋、広瀬はロサンゼルス五輪のメンバーだったのですが、確か準決勝で負けた時に今の代表監督の中田とかはもうどうでもよいと言ったそうですが、この三人が(多分江上主将が言い出したと思いますが)銅メダルでも獲得しないと帰れないとか言ったのでメダルが取れたと中田久美が言っていました。ところで広瀬を高く評価した小島さんと違い山田さんは大型若返りを言ってあまり使わなかったですね。まあ横山、小川が抜けた後はユニチカが弱くなり、日立一強だったけど日立ばかりだったので対中国のLA五輪は完敗でしたね。横山、小川などが残っていたら男子のミュンヘンの奇跡みたいなこともあり得たのではと思いました。ただあれに勝っても決勝はハイマンなど超大型チームの地元のアメリカですが絶対に勝てたとは言い切れないです。そういう意味でモスクワの方が金メダルの可能性は高かったと思います。
あと1980年ごろだと北の湖と優勝を争っていたのは輪島でなく今では忘れ去られている若三杉の二代目若乃花です。船越は相撲を見ていないですね。バレーは当時日立が低迷して小島ユニチカ最後の黄金期だったのを言うべきです。
やぁー横山樹里さん懐かしいなあー全日本が総合体育館に練習に来たときに観客席から見てましたわみんないましたね😊戦争なんか辞めてスポーツでやりあえば良いんですけどねロシアも素晴らしいゲームでした
小島監督の牛乳瓶みたいな眼鏡懐かしい。やすきよのヤッさんかと思った
ロシアのユニフォームに失望した。ここはRUSSIA🇷🇺ではなく、CCCPでしょ。
@はくまい. それ、英語名の略称だから。やっぱ、そこはロシア語じゃないと雰囲気出ない。
横山樹里さんはオリンピックのメンバーに出ましたか?出たならいつのオリンピックですか?そして全日本女子バレーですが、1964年の東京で金、68年のメキシコで銀、72年のミュンヘンで銀、76年のモントリオールで金。このモントリオールオリンプックで横山樹里選手は出てませんか?80年のモスクワオリンピックはボイコット(これは日本政府がアホ!スポーツに政治を持ち込むな!)。ちなみに中田久美選手がスタメンセッターになるのは83年。84年のロサンゼルスオリンピックで銅メダル(ソ連はボイコット)。88年のソウルでは中田久美選手がセッターで大林素子がエースアナッカーとい布陣だったのに初めてメダルなし!それ以降、オリンピックでは2012年のロンドンオリンピックの銅メダル以外はメダル無し。中田久美選手は92年のバルセロナオリンピックで3度目のオリンピック出場を果たし、日本選手団の旗手を果たす。選手引退は久光製薬の監督に就任するのは2012年。全日本女子の監督就任は2016年。
横山樹理さんは、モントリオール五輪に出場しています。背番号は12でした。ただ当時は日立主体のコンビバレーの中で、セッター松田紀子好みではなかった為出番が少なく、金メダルを取っても、あまり満足げな表情をしていませんね。彼女の課題は、いいトスを確実に決めるコース打ちでした。
江上と三屋だけはロスも出てたから知ってる
この企画 80年モスクワ五輪は 日本は不参加 84年ロサンゼルス五輪は ソ連は不参加 できれば 80年ソ連が金メダル その金メダルを日本の首に掛けてほしかった そして84年ロサンゼルス五輪に銅メダルをソ連の首に掛けてほしかったな〜 すごく感動したと思う
モスクワオリンピック代表のうち、ベストメンバーは確か、横山、吉永、江上、池知、小川、水原のはずである。ここで活躍している奥嶋、広瀬は控えの選手であった。再結成メンバーの中で吉永の姿がないが、当時「上手さ」にかけては日本一と言われ、小島監督が大きな信頼を寄せていた選手である。ユニチカの選手ではなかったが、レシーブ力も抜群で小島バレーを体現した選手である。
セッター古橋美知子(ユニチカー日体大)、レフト 吉永美保子(日電)、 横山樹理(ユニチカ)、ライト 水原理枝子(ユニチカ)、センター石川嘉枝(ユニチカ)、 清水睦子(カネボウ)がスタメンだったと思うよ。
14:24 に映っているのは吉永選手ではないでしょうか?参加しているがテレビがNGだったのかもしれませんね。
須藤佳代子(富士フィルム)は??
次は、中田JAPAN vs 選抜旧全日本で試合して欲しいなー笑竹下、高橋、大懸、木村沙織が旧チームに加わり中田JAPANを、こてんぱんにして欲しい!案外勝つかもしれん笑もちろんリベレは佐野でお願いします🤲笑その試合なら1万はたいてもみに行きたいですねー😍
。裕紀 いつか、現実になりそうだけど、東京五輪でメダル取れたらの話かもしれませんね。。狩野舞子も、スタメンじゃなくても、出そうだね。
。裕紀 リベロはつくもさんが良き
そんなの辞めてください。選手はいつでもいい選手がいます。それを使えてないのは中田久美であって選手だけのせいではない
この試合にニコライ・カルポリの姿がないが、オリンピック、世界選手権で3度の金メダルを獲得した「誇り高き」名将がこの試合のようなほとんど「お遊び」に近い試合で指揮を執ることは、そのプライドが許さないであろう。
放送当時はおそらく2002年なので、カルポリ監督はまだロシア代表監督を務めていたので、流石に余裕はないでしょう。
ソ連の選手も4年後のロス五輪でボイコットで涙を飲んでるんだよね
プレ五輪決勝で ソ連を 圧倒した この日本女子バレーチームも 最強でしたね
でも日本は五輪に出場出来なかった、日米ソの政治的なしがらみが純粋なスポーツ選手の志を台無しにしていましました、なぜスポーツの世界が政治のために利用されなかればならないのか?悲しいことです。
点数と時間のかぶりなんとかならへん
よく動けるな
スタメンでこの試合に出てる人たちはね〜。樹里は3cmしか飛べないんだよ〜。だから、スタメンに出てないんだけどさぁ。笑。でも、小川のセンターへのBクイックのトスは、相変わらずダメだね。モスクワに出てたら、全日本時代スタメンのセンターは石川嘉枝、 清水睦子だったけど、攻撃が単調だった。因みにエースは樹里と日電の吉永、ライトは水原でした。
今の現役見た方がいいね。もう軟弱な東京五輪チーム代表のメンバーはとくに。試合がうまくいかなくてふてくされるなんてありえない。国際試合で。昔の代表はボールに対する執念がすごい。とくに広瀬さんのレシーブを見た方がいいよね
小島監督ガチでワロタ
ロシアバレー選手が日本バレー選手と懐かしいですけどロシアはウクライナ侵攻とやめてください。スポーツは政府が関係ないです。
小島さんはよう分からん。一応銀メダル監督だからなあ。監督の才能がないとも言えんが、あるとも言い難いし。
幻のモスクワ代表チームは、モントリオール代表チームと比べて絶対的な強さは無かった。だから出場していたとしても正直金メダルが獲れたかどうかは分からない。白井や前田が抜けた全日本はキューバに完敗していたし、人気チームだが実力は?、というのが当時のファンの本音だった。
モスクワ前年のプレ五輪でソ連、キューバを破って優勝しましたよ。
@@gamova1009 さん、ご返信有難うございます。私の感覚では、プレ五輪優勝した時のチームが、前年の世界選手権でキューバに完敗した時の全日本や、モントリオール五輪後、白井ら主力が(一時的に)抜けた時の、ヤング日立(主将・会田)と比べて強いとは思えないのです。全日本は日立が主力の時は人気が無く、ユニチカ(ニチボー)の時は人気があります。これは伝統のレシーブ力で「拾って繋ぐ」に感動を覚える人が多いからでしょう。その反面サーブレシーブが上手くなかったり、レシーブ重視のメンバー構成による攻撃力不足も感じます。横山樹理選手が「パンダ(吉永)、トマト(清水)らと一緒にやって行くんです」と言ってた様に、チームワークは良かったと思いますが。
本当は伝統のユニチカの粘り強い守備力、日立の大型の攻撃力を兼ね備えたチームでないと駄目と思います。ラグビーが外国人の力を借りながらも早稲田の横、明治の縦、慶応の必死のタックルを合わせた日本チームを一昨年作り上げましたが、バレーボールには男女とも出来ていないですね。問題は小島ユニチカと山田日立が仲が悪すぎました。山田さんの人間失格の性格が問題ですが何故小島監督と山田監督を間を取る人がいなかったのかなと思いました。ただモスクワの場合を見ますと実力主義だったので三屋さんみたいな大学生も全日本に入れたと思うので小島さんは懐が大きいなと思いました。
@@20105721 さん、ご返信有難うございます。全日本女子バレーボールは、いつも日立、ヤシカ(昭和48年だけ)、ユニチカに偏った、変則全日本でしたから、有能な選手を集めて最高のチーム、をという事ができませんでしたね。横山樹理さんも、日立主体のチームに入るとフォーメーションの乱れを引き起こす為、メンバーチェンジで岡本に変わって入っても、一本もスパイクを打てずに、交代させられる等、不遇でしたね。本来もっと強いチームができた筈だと思っています。
@@KK-hp1sx さん、ヤシカはNECの母体になったチームですが幼少期になくなったのでどういうチームだったかよく分らないのです。覚えているのはモントリオールの頃の白井と松田の日立、その後の横山、小川のユニチカは覚えていますが。
Tumoko taseco
素晴らしい企画でした。
日本らしいバレーボールでした。
松平節絶好調。
大ファンでした。
日テレ、よくやった。
江上は小島全日本のレギュラーメンバーの中では唯一の日立所属の選手であった。江上の対角が、佐藤、池知、須藤、三屋と交代する中で、常にセンターの一角を占めていた。攻撃力もさることながら、小島監督を魅了したのは、そのブロックでの「鋭い読み」と「守備力」であった。山田重雄は、「また日本が世界一に返り咲くためには、一人の白井を作るか、6人の江上を作るしかない」と言わしめたほど、攻守にわたってミスのない完璧な選手であった。小島バレーをセンターの一角として常に支えてきたのは江上であり、もし江上という選手がいなければ小島バレーは体現できなかったと言っても過言ではない。
これ当時見逃していて今見れてうれしかったです
私は歴代の全日本女子チームの中で、この小島孝治監督が率いる全日本が一番好きであった。白井や前田のようなスーパースターはいなかったが、とにかくボールが下に落ちないすごいチームであった。
江上は現役時代とても無口でおとなしい選手であった。モスクワ不参加が決まったとき、小島監督が江上に「残念やったな」と声をかけたところ、無言でぽろりと涙を流したというエピソードが残っている。
広瀬という選手が最も輝いたのは、81年のワールドカップであったと思う。横山の対角を務め、脚を負傷して本調子ではなかった横山に勝るとも劣らない活躍を果たした。特にその守備力は、素晴らしいというよりも「すさまじい」と形容した方が適切なほど、相手の強力な攻撃を拾いまくり、見るものを圧倒した。キューバのノーブロックの攻撃をレシーブする雄姿はいまだに忘れられない。この活躍が認められて、この大会で広瀬は「敢闘賞」「レシーブ賞」「ベスト6」と賞を総なめにした。私にとっての81年のワールドカップは、広瀬に始まり広瀬に終わる、そういう大会であったと振り返る。
感動しました💖江上さん素敵💖
この画像が見れて嬉しいです。歴代の中でこのチームが好きでした。小島バレーそれは心のバレーだと思います。
水原理枝子さんが今年の3月に亡くなっていた事を知りました。61歳。泣
当時生まれてないし、この放送を観て知ってたくらいの選手ですが悲しいです。貴重なサンスポー選手で素敵な笑顔、、監督もお亡くなりになってるしこの時に集まれて本当に良かったですね。この映像を何度観たことか。鳥肌立ちます!
まじですか?一番いい動きしてるのに悲しいね
広瀬は一時横山の対角を務めていったことがあった。打点の低いスパイクで、小島監督は「ブロックの下から打つので逆にブロックがしにくい」レフト打ちであると語っていた。攻撃力よりもその高い守備力を買われての起用であった。そういう意味で小島バレーの象徴でもある。
江上は天才。広瀬は凄い。中学生からバレーやめれなくなった。
素晴らしい企画でした。
女子バレーボールの歴史の1ページ
。
幻のモスクワオリンピック。
日本は🥇金メダル候補でした。
日本とソ連チーム 万歳‼️
モスクワオリンピックの頃のソビエトには、かつてのリスカル、スモレーワ、最近ではガモワのような大エースはいなかった。しかもソビエトは日本のようなコンビネーションバレーのチームを苦手としていたので、日本が金メダルを取れる可能性は非常に高かったといえる。何とも残念であった。
年齢から考えても皆さん良い動きをしている。特に広瀬さんのレシーブの正確さにはビックリ!
素晴らしい動画残してくれて、ありがとう!!
なんど見ても泣ける
江上さん、変わらずカッコいい!
三屋は筑波大学の学生のときに、その才能を発見した小島監督がナショナルチームに迎え入れた選手である。広瀬とたいへん仲が良かったと聞くが、卒業後日立に入社した。
三屋は、現役時代脚の負傷が多く、「ガラスの脚」と言われたほどであった。
今のテレビ界もこういう斬新な企画による番組を作ればテレビ離れなんていう言葉も生まれないだろうに。
まぁそんな単純な話ではないだろうけど、、。
金メダル目前の人たちも、そうでなかった人たちも、モスクワオリンピックは、それを目標に頑張っていた人達の人生のハシゴを外されたんだよね。
そのハシゴを繋ぐ企画。
私はこの企画を知りませんでしたが、動画を観て感動しました。
77年のワールドカップで、モントリオールオリンピック銀メダルのソビエトはまさかの最下位に終わった。メンバーの若返りを図ったためであるが、その中でも強烈なスパイクを次々と決める一際目立つ選手がいた。「ゴロジャズナヤ」という選手であった。それがここで出場している「マコゴノワ」である。
小島監督は、池知のパワーを生かそうとレフトに変更させたことがあった。そのため須藤がセンタープレーヤーとなる。レフト池知、センター須藤というポジションの誕生であった。ただし結局うまくいかず、二人は元のポジションに戻ったが、センターを経験したことによって須藤は速効ができるようになった。
42:07あたりの江上・水原の見事な時間差攻撃には、驚いた。
江上のネット際のボールのさばき方は、現役時代を見ているようだ。
試合をジックリ見たい。
こういうスポーツの歴史、日本とソ連のスポーツ選手の交流など、今の子供たちには素晴らしい教育になる。テレビはこういう番組も大切に放送して欲しい。
企業もスポンサーとして昭和スポーツ選手の素晴らしい動画を教育に生かして欲しい。
感動しました。
いい企画!
Los años pasaron pero uno nunca se olvida de jugar y aun mantienen esa reacción voluntaria amor al gran deporte del voléybol
さすが元アスリート
40代半ばでもここまで動けるとは…。
江上さんの旦那さんは
現在KUROBEアクアフェアリーズの
監督で、
次女のさきさんは主将です。
この映像は貴重ですね。
非常に感慨深い。。笑笑
見れて光栄🎉ですね‼️
江上、三屋、広瀬はロサンゼルス五輪のメンバーだったのですが、確か準決勝で負けた時に今の代表監督の中田とかはもうどうでもよいと言ったそうですが、この三人が(多分江上主将が言い出したと思いますが)銅メダルでも獲得しないと帰れないとか言ったのでメダルが取れたと中田久美が言っていました。
ところで広瀬を高く評価した小島さんと違い山田さんは大型若返りを言ってあまり使わなかったですね。まあ横山、小川が抜けた後はユニチカが弱くなり、日立一強だったけど日立ばかりだったので対中国のLA五輪は完敗でしたね。横山、小川などが残っていたら男子のミュンヘンの奇跡みたいなこともあり得たのではと思いました。ただあれに勝っても決勝はハイマンなど超大型チームの地元のアメリカですが絶対に勝てたとは言い切れないです。そういう意味でモスクワの方が金メダルの可能性は高かったと思います。
あと1980年ごろだと北の湖と優勝を争っていたのは輪島でなく今では忘れ去られている若三杉の二代目若乃花です。船越は相撲を見ていないですね。バレーは当時日立が低迷して小島ユニチカ最後の黄金期だったのを言うべきです。
やぁー横山樹里さん懐かしいなあー全日本が総合体育館に練習に来たときに観客席から見てましたわみんないましたね😊戦争なんか辞めてスポーツでやりあえば良いんですけどねロシアも素晴らしいゲームでした
小島監督の牛乳瓶みたいな眼鏡懐かしい。やすきよのヤッさんかと思った
ロシアのユニフォームに失望した。
ここはRUSSIA🇷🇺ではなく、CCCPでしょ。
@はくまい. それ、英語名の略称だから。
やっぱ、そこはロシア語じゃないと雰囲気出ない。
横山樹里さんはオリンピックのメンバーに出ましたか?出たならいつのオリンピックですか?そして全日本女子バレーですが、1964年の東京で金、68年のメキシコで銀、72年のミュンヘンで銀、76年のモントリオールで金。このモントリオールオリンプックで横山樹里選手は出てませんか?
80年のモスクワオリンピックはボイコット(これは日本政府がアホ!スポーツに政治を持ち込むな!)。ちなみに中田久美選手がスタメンセッターになるのは83年。84年のロサンゼルスオリンピックで銅メダル(ソ連はボイコット)。88年のソウルでは中田久美選手がセッターで大林素子がエースアナッカーとい布陣だったのに初めてメダルなし!それ以降、オリンピックでは2012年のロンドンオリンピックの銅メダル以外はメダル無し。中田久美選手は92年のバルセロナオリンピックで3度目のオリンピック出場を果たし、日本選手団の旗手を果たす。選手引退は久光製薬の監督に就任するのは2012年。全日本女子の監督就任は2016年。
横山樹理さんは、モントリオール五輪に出場しています。背番号は12でした。ただ当時は日立主体のコンビバレーの中で、セッター松田紀子好みではなかった為出番が少なく、金メダルを取っても、あまり満足げな表情をしていませんね。彼女の課題は、いいトスを確実に決めるコース打ちでした。
江上と三屋だけはロスも出てたから知ってる
この企画 80年モスクワ五輪は 日本は不参加 84年ロサンゼルス五輪は ソ連は不参加 できれば 80年ソ連が金メダル その金メダルを日本の首に掛けてほしかった そして84年ロサンゼルス五輪に銅メダルをソ連の首に掛けてほしかったな〜 すごく感動したと思う
モスクワオリンピック代表のうち、ベストメンバーは確か、横山、吉永、江上、池知、小川、水原のはずである。ここで活躍している奥嶋、広瀬は控えの選手であった。再結成メンバーの中で吉永の姿がないが、当時「上手さ」にかけては日本一と言われ、小島監督が大きな信頼を寄せていた選手である。ユニチカの選手ではなかったが、レシーブ力も抜群で小島バレーを体現した選手である。
セッター古橋美知子(ユニチカー日体大)、レフト 吉永美保子(日電)、 横山樹理(ユニチカ)、ライト 水原理枝子(ユニチカ)、センター石川嘉枝(ユニチカ)、 清水睦子(カネボウ)がスタメンだったと思うよ。
14:24 に映っているのは吉永選手ではないでしょうか?
参加しているがテレビがNGだったのかもしれませんね。
須藤佳代子(富士フィルム)は??
次は、中田JAPAN vs 選抜旧全日本で
試合して欲しいなー笑
竹下、高橋、大懸、木村沙織が
旧チームに加わり
中田JAPANを、こてんぱんに
して欲しい!案外勝つかもしれん笑
もちろんリベレは佐野でお願いします🤲笑
その試合なら
1万はたいてもみに行きたいですねー😍
。裕紀 いつか、現実になりそうだけど、東京五輪でメダル取れたらの話かもしれませんね。。
狩野舞子も、スタメンじゃなくても、出そうだね。
。裕紀 リベロはつくもさんが良き
そんなの辞めてください。
選手はいつでもいい選手がいます。
それを使えてないのは中田久美であって選手だけのせいではない
この試合にニコライ・カルポリの姿がないが、オリンピック、世界選手権で3度の金メダルを獲得した「誇り高き」名将がこの試合のようなほとんど「お遊び」に近い試合で指揮を執ることは、そのプライドが許さないであろう。
放送当時はおそらく2002年なので、カルポリ監督はまだロシア代表監督を務めていたので、流石に余裕はないでしょう。
ソ連の選手も4年後のロス五輪でボイコットで涙を飲んでるんだよね
プレ五輪決勝で ソ連を 圧倒した この日本女子バレーチームも 最強でしたね
でも日本は五輪に出場出来なかった、日米ソの政治的なしがらみが純粋なスポーツ選手の志を台無しにしていましました、なぜスポーツの世界が政治のために利用されなかればならないのか?悲しいことです。
点数と時間のかぶりなんとかならへん
よく動けるな
スタメンでこの試合に出てる人たちはね〜。樹里は3cmしか飛べないんだよ〜。だから、スタメンに出てないんだけどさぁ。笑。でも、小川のセンターへのBクイックのトスは、相変わらずダメだね。モスクワに出てたら、全日本時代スタメンのセンターは石川嘉枝、 清水睦子だったけど、攻撃が単調だった。因みにエースは樹里と日電の吉永、ライトは水原でした。
今の現役見た方がいいね。もう軟弱な東京五輪チーム代表のメンバーはとくに。試合がうまくいかなくてふてくされるなんてありえない。国際試合で。
昔の代表はボールに対する執念がすごい。とくに広瀬さんのレシーブを見た方がいいよね
小島監督ガチでワロタ
ロシアバレー選手が日本バレー選手と懐かしいですけどロシアはウクライナ侵攻とやめてください。スポーツは政府が関係ないです。
小島さんはよう分からん。一応銀メダル監督だからなあ。監督の才能がないとも言えんが、あるとも言い難いし。
幻のモスクワ代表チームは、モントリオール代表チームと比べて絶対的な強さは無かった。だから出場していたとしても正直金メダルが獲れたかどうかは分からない。白井や前田が抜けた全日本はキューバに完敗していたし、人気チームだが実力は?、というのが当時のファンの本音だった。
モスクワ前年のプレ五輪でソ連、キューバを破って優勝しましたよ。
@@gamova1009 さん、ご返信有難うございます。私の感覚では、プレ五輪優勝した時のチームが、前年の世界選手権でキューバに完敗した時の全日本や、モントリオール五輪後、白井ら主力が(一時的に)抜けた時の、ヤング日立(主将・会田)と比べて強いとは思えないのです。全日本は日立が主力の時は人気が無く、ユニチカ(ニチボー)の時は人気があります。これは伝統のレシーブ力で「拾って繋ぐ」に感動を覚える人が多いからでしょう。その反面サーブレシーブが上手くなかったり、レシーブ重視のメンバー構成による攻撃力不足も感じます。横山樹理選手が「パンダ(吉永)、トマト(清水)らと一緒にやって行くんです」と言ってた様に、チームワークは良かったと思いますが。
本当は伝統のユニチカの粘り強い守備力、日立の大型の攻撃力を兼ね備えたチームでないと駄目と思います。ラグビーが外国人の力を借りながらも早稲田の横、明治の縦、慶応の必死のタックルを合わせた日本チームを一昨年作り上げましたが、バレーボールには男女とも出来ていないですね。問題は小島ユニチカと山田日立が仲が悪すぎました。山田さんの人間失格の性格が問題ですが何故小島監督と山田監督を間を取る人がいなかったのかなと思いました。ただモスクワの場合を見ますと実力主義だったので三屋さんみたいな大学生も全日本に入れたと思うので小島さんは懐が大きいなと思いました。
@@20105721 さん、ご返信有難うございます。全日本女子バレーボールは、いつも日立、ヤシカ(昭和48年だけ)、ユニチカに偏った、変則全日本でしたから、有能な選手を集めて最高のチーム、をという事ができませんでしたね。横山樹理さんも、日立主体のチームに入るとフォーメーションの乱れを引き起こす為、メンバーチェンジで岡本に変わって入っても、一本もスパイクを打てずに、交代させられる等、不遇でしたね。本来もっと強いチームができた筈だと思っています。
@@KK-hp1sx さん、ヤシカはNECの母体になったチームですが幼少期になくなったのでどういうチームだったかよく分らないのです。覚えているのはモントリオールの頃の白井と松田の日立、その後の横山、小川のユニチカは覚えていますが。
Tumoko taseco