【空海、西に進む】修行僧空海の向かった道!迷わず西に、そして神山へ!阿波忌部の道!
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- เผยแพร่เมื่อ 21 ก.ย. 2024
- 空海が修行僧時代、に歩いた、道を1番札所から、
11番札所まで歩くそこに残されている霊跡は空海の
残したこの国の歴史であると思う
まず、1番札所、霊山寺から発心する、
なぜか西に進む、10番札所、切幡寺
まで、次から次へと札所が続く、
切幡寺から南に進路を変える、そこにあるのは、
粟島(善入寺島)である。善入寺島市場側正面に、
阿波最古の大野寺がある、この古寺から、
空海は粟島に向かっている。
粟島から、さらに南、旧麻植郡にある11番札所に、
そしてさらに南に、険しい山を越え神山に辿り着く。
まさに阿波忌部の道と感じます。
空海の歩いた道を1番札所から、
11番札所までの動画です。
学問的な動画ではありませんが、
修行僧空海の霊跡をご覧ください。
空海は“母親思い“だったんでしょうね。
だから、真っ直ぐ進めたと思います。
一時期マザコンという言葉が流行りましたが、
それは、女性の考え方の間違いの元だったと感じました。
気付き、悟りを有り難うございました。
粟島は邪馬台国の王城が置かれていた場所だった・・と思われます。
そして阿波咩命とは2代目女王の台与(ヒミコやトヨは恐らく偽名)の事であろうと考えています。
実はかなり以前から粟島が蜻蛉島である事には気づいていたのですが、当時は理解者が得られませんでした(同じ阿波説の人達からすら)。
ですが阿波説が広まり多くの人が阿波に関心を持ってくれるようになったおかげで、粟島が神武天皇が唄った蜻蛉島(ヤマトの国)である事に気づく人がこうして現れ始めた
事には正直驚いています。これからも粟島こそがヤマトの国そのものである事を発信し続けて頂ければ幸いです。
おはようございます。
コメントありがとうございます。
中洲とは、上流の土砂が堆積して出来た川中島である。
善入寺島は、元は中洲ではありません!
南岸と陸つづきの大地です。
awakimiさんと意見は同じです。
次回の動画も粟島に注目したいと思います。
また今回も素晴らしい動画ありがとうございました、
確か亀山神社の裏山には亀山天皇の御陵と言われる場所があったような…
そして金泉寺境内には長慶天皇の御陵と言われる場所があったような気が…
おはようございます
コメントありがとうございます。
神社にこだわらず、視野を広げていこうと
思っています。気づく事があれば教えて下さい。