ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
貴重な映像です。1995年平成7年の阪神淡路大震災の時の臨時寝台特急でしたね。ありがとうございました。
貴重な映像をありがとうございました。約30年前とは思えない鮮明な画質に、当時の光景が甦ってまいりました。
もうすぐ 阪神淡路大震災から30年って時に この貴重な映像が
このような貴重な映像を残しておられたこと(当時としては相当高感度耐性の高い機材をおもちだったこと)、このような列車をよくぞ走らせた当時のJRに対して頭が下がります。この時、117系が福知山線走ってたんですね。いまやWest express 銀河の母体ですか。なは・あかつき は 14系15形で8両編成?すごいな〜。
今ではすぐ運休や打ち切りばかりでこうした迂回そのものが貴重ですね。
1995年の神戸の地震の後に数ヶ月走ったう回あかつき、なはの鮮明な動画は貴重。新大阪、大阪駅では定期列車とは編成の向きが逆転していたこともわかる。
確かこの当時、福知山線には出雲市夜行急行だいせんも客車で走行してませんでした?播但線に夜行列車が走ったのはこのときだけだったと思う。でも彗星だけは運休…
懐かしいですね3月3日の『あかつき81号』に乗りました旅行客と言ったよりはビジネス利用されている方が多かった印象です在来線も新幹線も不通飛行機は割高で、なくてはならない手段だったのでしょう4月には在来線が復旧したので約2ヶ月の活躍でした7両の寝台車はほぼ満席でした他の方も仰ってますが当時はまだ夜行列車の需要がそれなりにあったのでしょうね
山陽新幹線が不通だったとはいえ、福知山線の有効長の関係で減車し、さらに所要時間が延びても迂回運転を行ったことから、当時はそれなりにブルートレインの需要があったことがわかります。
いや、迂回の時はかなり混んでたけど迂回直後に「彗星」乗ったら上段は空いてる感じ😵
@@psychedelicraspberry517彗星はフェリーとかなり競合していましたからね。
@@ぬしおかG 大分はダイヤモンドフェリー、別府は関西汽船(現在は統合されてフェリーさんふらわあ)、宮崎は日本カーフェリー(現:宮崎カーフェリー)が個室もレストランも大浴場もある、海上ホテルのような設備に対し、昔ながらの「蚕だな」では、部が悪すぎましたね。
あなたのコメント💬見て思い返すと、迂回解消直後に乗ったのは「あかつき」(レガート💺)だったみたい。ちなみに、ワイは今は@東京23区だがこの頃は@兵庫県宝塚市で、毎年1回、鉄ヲタしに、金曜夜発の関西九州ブルトレ乗ってた(目的地は筑豊本線・日豊本線・久大本線の客車列車だが、「彗星」「あかつき」「なは」いずれも乗った)。その際、金曜夜発なのにいつも混んでなかった。唯一混んでたのは「ムーンライト九州」😵
我輩も一度、京都からあかつき号に乗りました。大阪までは、徐行に運転停車を何度も繰り返していました。姫路からはEF66が牽引し、はやぶさのダイヤを踏襲していたと記憶しています。
上りの迂回「なは」、熊本発では「はやぶさ」と同一のダイヤでしたね。
電化は部分的なところだけなので大変やったでしょうね。山陰線経由なら海も眺めて多少違う風景かな
東西を分断してはならない!輸送指令、各機関区、運転所、そして無名の保線区作業員たち…。列車を停めるな、繋ぐのだ。鉄道マン魂を見せてやれ!
そうなんです。西宮市と尼崎市の境目の武庫川で、東側の尼崎市は、被害があったところもありましたが、福知山線は普通に動いていましたね。なはもあかつきも何度か乗りましたが、こういう風な経路で運転されるのは貴重かも知れません。福知山に出てからは、播但線に入り、姫路から山陽線に入ったのでしょうか。
んだ😉
今なら即運休。 やる気が違いますよ、昔と今は。
臨時なはは、さくら用の14・15系でしょうか?
貴重な映像です。1995年平成7年の阪神淡路大震災の時の臨時寝台特急でしたね。ありがとうございました。
貴重な映像をありがとうございました。
約30年前とは思えない鮮明な画質に、当時の光景が
甦ってまいりました。
もうすぐ 阪神淡路大震災から30年って時に この貴重な映像が
このような貴重な映像を残しておられたこと(当時としては相当高感度耐性の高い機材をおもちだったこと)、
このような列車をよくぞ走らせた当時のJRに対して頭が下がります。
この時、117系が福知山線走ってたんですね。いまやWest express 銀河の母体ですか。なは・あかつき は 14系15形で8両編成?すごいな〜。
今ではすぐ運休や打ち切りばかりでこうした迂回そのものが貴重ですね。
1995年の神戸の地震の後に数ヶ月走ったう回あかつき、なはの鮮明な動画は貴重。新大阪、大阪駅では定期列車とは編成の向きが逆転していたこともわかる。
確かこの当時、福知山線には出雲市夜行急行だいせんも客車で走行してませんでした?播但線に夜行列車が走ったのはこのときだけだったと思う。でも彗星だけは運休…
懐かしいですね
3月3日の『あかつき81号』に乗りました
旅行客と言ったよりはビジネス利用されている方が多かった印象です
在来線も新幹線も不通
飛行機は割高で、なくてはならない手段だったのでしょう
4月には在来線が復旧したので約2ヶ月の活躍でした
7両の寝台車はほぼ満席でした
他の方も仰ってますが当時はまだ夜行列車の需要がそれなりにあったのでしょうね
山陽新幹線が不通だったとはいえ、福知山線の有効長の関係で減車し、さらに所要時間が延びても迂回運転を行ったことから、当時はそれなりにブルートレインの需要があったことがわかります。
いや、迂回の時はかなり混んでたけど迂回直後に「彗星」乗ったら上段は空いてる感じ😵
@@psychedelicraspberry517彗星はフェリーとかなり競合していましたからね。
@@ぬしおかG
大分はダイヤモンドフェリー、別府は関西汽船(現在は統合されてフェリーさんふらわあ)、宮崎は日本カーフェリー(現:宮崎カーフェリー)が個室もレストランも大浴場もある、海上ホテルのような設備に対し、昔ながらの「蚕だな」では、部が悪すぎましたね。
あなたのコメント💬見て思い返すと、迂回解消直後に乗ったのは「あかつき」(レガート💺)だったみたい。ちなみに、ワイは今は@東京23区だがこの頃は@兵庫県宝塚市で、毎年1回、鉄ヲタしに、金曜夜発の関西九州ブルトレ乗ってた(目的地は筑豊本線・日豊本線・久大本線の客車列車だが、「彗星」「あかつき」「なは」いずれも乗った)。その際、金曜夜発なのにいつも混んでなかった。唯一混んでたのは「ムーンライト九州」😵
我輩も一度、京都からあかつき号に乗りました。大阪までは、徐行に運転停車を何度も繰り返していました。姫路からはEF66が牽引し、はやぶさのダイヤを踏襲していたと記憶しています。
上りの迂回「なは」、熊本発では「はやぶさ」と同一のダイヤでしたね。
電化は部分的なところだけなので大変やったでしょうね。山陰線経由なら海も眺めて多少違う風景かな
東西を分断してはならない!輸送指令、各機関区、運転所、そして無名の保線区作業員たち…。列車を停めるな、繋ぐのだ。
鉄道マン魂を見せてやれ!
そうなんです。西宮市と尼崎市の境目の武庫川で、東側の尼崎市は、被害があったところもありましたが、福知山線
は普通に動いていましたね。なはもあかつきも何度か乗りましたが、こういう風な経路で運転されるのは貴重かも
知れません。福知山に出てからは、播但線に入り、姫路から山陽線に入ったのでしょうか。
んだ😉
今なら即運休。 やる気が違いますよ、昔と今は。
臨時なはは、さくら用の14・15系でしょうか?