三原八幡宮 広島県三原市西宮1丁目1−1
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- เผยแพร่เมื่อ 13 ก.ย. 2024
- 三原八幡宮 広島県三原市西宮1丁目1−1 #広島 #三原市 #神社 #大内氏 #尼子氏 #氏神 #小早川隆景 #八幡宮 #比大神 #応神天皇 #神功皇后 #新田 #松尾芭蕉 #雄略天皇 #相撲場 20240811 2 @akibingo
由緒
1504年、大内氏・尼子氏の戦禍の煽りを受けて本殿・宝庫を焼失しました。
同時に社記も焼失したため創建年代は不明となっています。
西町・西野一帯の総氏神として建立されたと伝えられ、1573年、小早川隆景公によって現在の地に移されました。
鯉のぼり祭 5月5日(端午の節句)
鯉のぼり鯉のぼり鯉のぼり
昨今の住宅事情により、ご自宅で鯉のぼりを掲げられる方が少なくなっている今日、今後何年かすると鯉のぼり自体を見ることがなくなるかもしれません。
先人たちは「鯉が龍になる」という伝説にあやかって、子どもたちの立身出世と健やかな成長を願って鯉のぼりを掲げました。この思いを後世に引き継ぐべく、氏子崇敬者の方々からご奉納いただいた鯉のぼりや吹き流しを掲げたいと思います。
500年の歴史有する八幡宮
永正7年(1510年)に比大神・応神天皇・神功皇后をまつり、西町・西野村一帯の総氏神として建てられたと伝えられていますが、天正3年(1575年)に小早川隆景によってこの地に移され、江戸時代になって浅野家によってこの地が納められるようになると、この南側に広がっている宮沖新開築造の際に新田が寄進されています。
松尾芭蕉の句碑も
伝えによれば、雄略天皇がこの地におなりのとき、枝ぶりの美しさをめでられ、そのさまが時雨のようであったところから「しぐれ松」として市民に親しまれた松がありました。これにちなんだ芭蕉の句碑や、昔、連歌が行われていた天神社などがあります。
かつては境内で相撲も!
広い境内には古くから能角力が行われていた相撲場や、かつて港の標識として西港町において親しまれていた高さ5mの常夜燈がここに移され、古くから桜の名所として親しまれたこの地を飾っています。