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漢文で赤色は丹。そもそも太陽の色は白だから、太陽を赤く表現するのは、日本独特らしい。つまり駆逐艦丹陽とは、駆逐艦日本と言うほどの意味だろう。日本の国旗と雪風の武勲に敬意を表してくれた中華民国海軍を思うと、胸が熱くなる。
雪風が台湾で退役したときに、日本に返還して貰って日本で保管して欲しかったなぁ。
あと、もう少し早ければ…
雪風時代は菊の御門なく軍艦扱いされず…丹陽時代は大陸から撤退の時は蒋介石総統の座乗艦となりその後、台湾海軍の旗艦台湾海軍の総司令ともにフィリピンを表敬訪問。丹陽として台湾に骨を埋めるほうが良かったような…
@@いさむ-c8tさん全くです。そもそも敗戦後に戦中の軍艦に敬意を持つ日本人など元軍人か自衛官以外には皆無だったはず、スクラップにされるか戦後日本において最も猛威を振るった左翼市民団体に悪意のイタズラされるなどの悲惨な辱めを受けていたはずです。現存している航空機や他の軍艦を見れば全て明らかな事ですよ。そんな手厚い待遇などあり得ませんよ。保存保管など今だから言えること。そしてそこにお金を割ける程今の日本には余裕はないはずです、軍艦として扱ってくれる国の海軍が最良の居場所であったと思います。
激戦を潜り抜けるたびに乗員の練度は上がり、また有能な艦長にも恵まれた事で幸運を手繰り寄せる程の高い実力を発揮した艦だと思う。姉妹艦の浜風・磯風や時雨や初霜といった戦争後半まで生き抜いてきた駆逐艦達にしても、残念ながら結局は沈んでしまった。(初霜は浅瀬に着底でしたが)何だかんだ言いつつも、やはり雪風には何か不思議な力というか加護が宿っていたのかもしれない。
艦長が優秀だっただけだと思っていましたが、何度も変わってますね。歴代艦長が全て超人って事は無いと思うので、やはり神がかり的な何かがあったのでしょうねー
一応搭乗員や指揮官の回顧によると「雪風」はカタログデーター以上の速力が出せる艦だったという話が出てくる。そこはおそらく機関の緻密なメイテナンスを徹底させた、艦としての伝統を意味しているのだろう。軍艦では当たり前だが、日々乗員は入れ替わって行くが、艦独自の規律は変わらないという事例は珍しくない。「雪風」の場合、凡事徹底という空気が濃厚だったらしい。
日本のカタログデータは実戦時の状態で出すから艦の状態によっては上回る事は当然ある。
駆逐艦くらい規模だと 艦長の性格がそのまま艦に反映されますね工藤俊作艦長が乗艦した艦は 鉄拳制裁禁止が反映され 乗員はおおらかだったとか しかし決して軟弱と言うことではなく工藤艦長が乗艦中には 艦は沈まなかった
開戦から終戦まで活躍した幸運艦
ゴジラ -1.0で 登場した時は、泣きました😂
響もね。
最大の偉業は、戦後すぐに復員船として水木しげる先生を始め多くの日本兵を日本に連れ帰った事だと思う。この人達が頑張ったおかげで今の日本がある。
艦橋がすっきりしていて美しい
優秀な歴代の艦長、優れた練度を維持した乗組員、そして余り余るほどの悪運のつよさ。全てがひとつに固まった唯一無二の駆逐艦。台湾でその生涯を終えた時、日本政府は艦ごと引き受けて欲しかったな。もう終わったことだけどね。
呉の雪風佐世保の時雨次は時雨を解説して欲しいな…
坊ノ岬沖海戦における雪風の功績は、大和他、沈んで行った艦の乗員を出来るだけ多く日本に生還させたことです。艦長が出港前に「帰ってくるから、往復(燃料)分くれ」と言って融通したコト。敵機の爆弾を回避に徹したコト。それらが凄惨な戦場でクルーのモチベーションを向上させ、生還できたのです。
坊ノ岬では輪形陣の前方にいた艦は沈没、後方にいた艦は何とか生還しました。雪風は後方にいたことも幸運でしたね。
@@kitaguniumare 戦うだけではなく、現状を把握して、爆弾回避に徹する。その結果が大和乗員他、多くの仲間を助けたのです。寺内艦長は頭がイイ!ケームでも「鬼避け」ってありますよね。
駆逐艦 雪風🇯🇵🗾🚢
雪風は幸運艦と言われているけれど、僚艦が沈没、重度の損傷を受けるなか雪風だけは無傷・軽傷だったので、僚艦からは「死神」と思われていたとかなんとやら。
『呉の雪風、佐世保の時雨』
らしいですね!(゜ρ゜)
戦後、雪風に乗り込んだ連合軍将兵は行き届いた清掃により清潔な艦内に驚いたとか。逆に戦前、日本大型艦を視察した欧米は艦内が不潔であると評価していた。
雪風(丹陽)は1958年の八二三金門砲戦など中国人民解放軍との間で発生した幾度かの実戦に参加した。1958年9月3日の料羅湾海戦(九二海戦)では中国人民解放軍の魚雷艇の攻撃で損傷した砲艦「沱江」(アメリカ製173フィート型駆潜艇)の救援に当たり、無事基地に帰着。1959年8月3日には章江、涪江、資江(いずれもアメリカ製173フィート型駆潜艇)とともに中国人民解放軍海軍のコルベット2隻と交戦し、1隻撃沈、1隻撃破の戦果をあげた。1964年5月1日にも船団旗艦として5隻を連れて航行中、中国人民解放軍海軍の巡視艇8隻、貨物船4隻と遭遇、撃退したと伝えられる,敵船1隻を大破、2隻を小破。 1969年の台風による浸水で損傷した為、1970年前半に解体。1971年12月8日、横浜港において台湾政府より舵輪と錨のみが返還された。田中内閣による日中国交正常化交渉とそれに伴う日台断交の約10ヶ月前だった。雪風の舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。また、雪風のスクリューは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されている。雪風は台湾の守護神艦、映画楽しみ待ってます!
雪風様なのだ🎉
敵味方関係無く救出するのは、簡単に出来る事では無いですね☺
救助のために停止すれば米潜水艦からの雷撃の的にされる危険がある
父は海軍の主計兵でした。戦後生き残った父は母と結婚し私が生まれます。7〜8歳頃父のあぐらの中の私に海軍時代の話をよくしてくれました。色々な海戦に出撃したが終戦まで大破や撃沈もせず生き延びた駆逐艦 雪風 があった。と話してくれましたが、見たことはないと言っていました。
私の亡き父も江田島出身の主計兵で終戦間近の雪風に乗艦してたそう、戦後は武装解除した軽巡の鹿島に乗艦し南方からの復員業務に携わってたそうです。
@ さん 返信ありがとうございます。 江田島出身なら尉官だったのでしょうね。父は海軍に入ってから試験合格したそうです。また父は横須賀鎮守府でした。
人と運に恵まれた幸運艦。沈みゆくジョンストン乗組員に敬礼で立ち去った事は米軍記録にある。
確か、宇宙戦艦ヤマトの古代進の兄、守が乗っていた船が「ゆきかぜ」だったような。
勿論、強運とそれに呼応した乗組員の練度も生き残った理由ではある。だが、一番の理由は艦名が かっこいい からだ。
異能生存艦
まるで…キリコみたいな駆逐艦ですね😊
その神懸かった生存性は異星体「ジャム」と戦う戦闘機に受け継がれる。
戦闘中は全速航行、敵が去ったら巡航以下の速度で燃料節約、また会敵したら全速。帰投中「我、燃料不足にて漂流の恐れあり。」って電文を打つ他の艦船が多かったとか。私も車の運転やら、燃費に注意しながら安全運転です。せっかくの戦訓、現代にも生かさなきゃ😅
その幸運から雪風という名前は海上自衛隊の初期の護衛艦にうけつがれたときいてますが?雪風の船体は台湾のどこかの港で防波堤の一部になったとも聞いてますが?(雑誌「丸」で読んだような?)
佐世保には、時雨が居たから母港代表になれなったんだね
❤❤!!
宇宙戦艦ヤマトでも大活躍だ。
古代進の兄が艦長を勤めていましたね…
冥王星海戦?まではソレなりに活躍してたらしいんですが、ヤマトの冒頭で撃沈されてますし活躍したとは言いがたいんとちゃう?
@@紅のプー太郎 映画では映像時間が短縮されてるのでそうなってますがTV版では違います沖田艦長の旗艦が損傷し残存艦を確認したら雪風だけが残っていたそれまでは駆逐艦らしく魚雷で敵の艦を攻撃しまくって無傷で生き残っていたそして沖田艦が地球に撤退を決意した時はその反対側に敵をおびき寄せるために敵をひきつけて散っているのでTV版では武勲艦として描かれてます
完結編でも名を受け継いだ護衛艦が、ハイパー放射ミサイルを盾になって受け止めて、ヤマトを守る。という、坊ノ岬沖会戦で守れなかった雪辱を晴らすかのような行動を・・・
@@紅のプー太郎さした ➡ した
丹陽 丹:紅色的。赤誠的。
雪風は沈みません!
死神とも言われてましたね
次々と僚艦が沈むなか、しぶとく生き残ってりゃ~死神と言われてもしゃ~ないわな?
ベース音が強すぎて、イヤフォンで聴いていると気持ち悪くなります😢
和暦で説明してくれたらありがたい
赤城の写真が違うじゃねか。、
惨めだ。甲型駆逐艦中1/38とか。NF文庫1115「陽炎型駆逐艦」牧野茂『日本駆逐艦造船論』を見てもいくつかの課題が挙げられている。米ギアリング級の二枚舵を評価している。日本は白露型で採用しようとして性能が出せずに失敗。米は反平衡柁で薄く作って成功。縦肋骨構造をとれなかった。前後機室に1軸あての主機を置くことも機関設計者の反対でできなかった。消耗品としての思想が強かった。船殻構造が思い切った軽構造であった。上の反省なのか戦後の護衛艦(自衛艦)あきづき型を引き合いにして、「戦傷に対する耐久性を格段に増加する必要がある」としている。つまり格段に脆弱だったわけだ。米駆逐艦は水線部に軽防御を施してもいたらしい。駆逐艦の船体が敵の軽機銃でも打ち抜かれることは、中国戦線で経験済みであった。チェコ銃の7.92㎜で損害を受けるのだから米の.50だと大穴である。水線部は機関部を守る意味合いも含めて対機銃弾の装甲ベルトが必要だろう。私なら予備魚雷の搭載をあきらめ、1ktの速力も失わせ、石油登載量のみ増えるふやけた耐久性のある艦に仕立てたい。2番砲も白露型を模して甲板に設置する。重心が大きく改善され予備魚雷が無ければこれは出来るはずだ。機銃の高所設置が楽になり陽炎型対空強化時以上の装備が可能になるだろう。速力は痛い、大戦中も逃げきったり、追いつかれたりで速力の確保は大事だった。それでも損傷で即損失になるよりは生存艦が増えただろう。
ただの陽炎型8番艦
漢文で赤色は丹。そもそも太陽の色は白だから、太陽を赤く表現するのは、日本独特らしい。つまり駆逐艦丹陽とは、駆逐艦日本と言うほどの意味だろう。日本の国旗と雪風の武勲に敬意を表してくれた中華民国海軍を思うと、胸が熱くなる。
雪風が台湾で退役したときに、日本に返還して貰って日本で保管して欲しかったなぁ。
あと、もう少し早ければ…
雪風時代は菊の御門なく軍艦扱いされず…
丹陽時代は大陸から撤退の時は蒋介石総統の座乗艦となりその後、台湾海軍の旗艦
台湾海軍の総司令ともにフィリピンを表敬訪問。
丹陽として台湾に骨を埋めるほうが良かったような…
@@いさむ-c8tさん
全くです。
そもそも敗戦後に戦中の軍艦に敬意を持つ日本人など元軍人か自衛官以外には皆無だったはず、スクラップにされるか戦後日本において最も猛威を振るった左翼市民団体に悪意のイタズラされるなどの悲惨な辱めを受けていたはずです。
現存している航空機や他の軍艦を見れば全て明らかな事ですよ。
そんな手厚い待遇などあり得ませんよ。
保存保管など今だから言えること。
そしてそこにお金を割ける程今の日本には余裕はないはずです、軍艦として扱ってくれる国の海軍が最良の居場所であったと思います。
激戦を潜り抜けるたびに乗員の練度は上がり、また有能な艦長にも恵まれた事で幸運を手繰り寄せる程の高い実力を発揮した艦だと思う。
姉妹艦の浜風・磯風や時雨や初霜といった戦争後半まで生き抜いてきた駆逐艦達にしても、残念ながら結局は沈んでしまった。(初霜は浅瀬に着底でしたが)
何だかんだ言いつつも、やはり雪風には何か不思議な力というか加護が宿っていたのかもしれない。
艦長が優秀だっただけだと思っていましたが、何度も変わってますね。
歴代艦長が全て超人って事は無いと思うので、やはり神がかり的な何かがあったのでしょうねー
一応搭乗員や指揮官の回顧によると「雪風」はカタログデーター以上の速力が出せる艦だったという話が出てくる。
そこはおそらく機関の緻密なメイテナンスを徹底させた、艦としての伝統を意味しているのだろう。
軍艦では当たり前だが、日々乗員は入れ替わって行くが、艦独自の規律は変わらないという事例は珍しくない。
「雪風」の場合、凡事徹底という空気が濃厚だったらしい。
日本のカタログデータは実戦時の状態で出すから艦の状態によっては上回る事は当然ある。
駆逐艦くらい規模だと 艦長の性格がそのまま艦に反映されますね
工藤俊作艦長が乗艦した艦は 鉄拳制裁禁止が反映され 乗員はおおらかだったとか しかし決して軟弱と言うことではなく
工藤艦長が乗艦中には 艦は沈まなかった
開戦から終戦まで活躍した幸運艦
ゴジラ -1.0で 登場した時は、泣きました😂
響もね。
最大の偉業は、戦後すぐに復員船として水木しげる先生を始め多くの日本兵を日本に連れ帰った事だと思う。
この人達が頑張ったおかげで今の日本がある。
艦橋がすっきりしていて美しい
優秀な歴代の艦長、優れた練度を維持した乗組員、そして余り余るほどの悪運のつよさ。全てがひとつに固まった唯一無二の駆逐艦。
台湾でその生涯を終えた時、日本政府は艦ごと引き受けて欲しかったな。もう終わったことだけどね。
呉の雪風佐世保の時雨
次は時雨を解説して欲しいな…
坊ノ岬沖海戦における雪風の功績は、大和他、沈んで行った艦の乗員を出来るだけ多く日本に生還させたことです。艦長が出港前に「帰ってくるから、往復(燃料)分くれ」と言って融通したコト。敵機の爆弾を回避に徹したコト。それらが凄惨な戦場でクルーのモチベーションを向上させ、生還できたのです。
坊ノ岬では輪形陣の前方にいた艦は沈没、後方にいた艦は何とか生還しました。雪風は後方にいたことも幸運でしたね。
@@kitaguniumare 戦うだけではなく、現状を把握して、爆弾回避に徹する。その結果が大和乗員他、多くの仲間を助けたのです。寺内艦長は頭がイイ!
ケームでも「鬼避け」ってありますよね。
駆逐艦 雪風🇯🇵🗾🚢
雪風は幸運艦と言われているけれど、
僚艦が沈没、重度の損傷を受けるなか雪風だけは無傷・軽傷だったので、僚艦からは「死神」と思われていたとかなんとやら。
『呉の雪風、佐世保の時雨』
らしいですね!(゜ρ゜)
戦後、雪風に乗り込んだ連合軍将兵は行き届いた清掃により清潔な艦内に驚いたとか。逆に戦前、日本大型艦を視察した欧米は艦内が不潔であると評価していた。
雪風(丹陽)は1958年の八二三金門砲戦など中国人民解放軍との間で発生した幾度かの実戦に参加した。
1958年9月3日の料羅湾海戦(九二海戦)では中国人民解放軍の魚雷艇の攻撃で損傷した砲艦「沱江」(アメリカ製173フィート型駆潜艇)の救援に当たり、無事基地に帰着。
1959年8月3日には章江、涪江、資江(いずれもアメリカ製173フィート型駆潜艇)とともに中国人民解放軍海軍のコルベット2隻と交戦し、1隻撃沈、1隻撃破の戦果をあげた。
1964年5月1日にも船団旗艦として5隻を連れて航行中、中国人民解放軍海軍の巡視艇8隻、貨物船4隻と遭遇、撃退したと伝えられる,敵船1隻を大破、2隻を小破。
1969年の台風による浸水で損傷した為、1970年前半に解体。
1971年12月8日、横浜港において台湾政府より舵輪と錨のみが返還された。田中内閣による日中国交正常化交渉とそれに伴う日台断交の約10ヶ月前だった。
雪風の舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。
また、雪風のスクリューは台湾の左営にある海軍軍官学校に展示されている。
雪風は台湾の守護神艦、映画楽しみ待ってます!
雪風様なのだ🎉
敵味方関係無く救出するのは、簡単に出来る事では無いですね☺
救助のために停止すれば米潜水艦からの雷撃の的にされる危険がある
父は海軍の主計兵でした。戦後生き残った父は母と結婚し私が生まれます。7〜8歳頃父のあぐらの中の私に海軍時代の話をよくしてくれました。色々な海戦に出撃したが終戦まで大破や撃沈もせず生き延びた駆逐艦 雪風 があった。と話してくれましたが、見たことはないと言っていました。
私の亡き父も江田島出身の主計兵で終戦間近の雪風に乗艦してたそう、戦後は武装解除した軽巡の鹿島に乗艦し南方からの復員業務に携わってたそうです。
@ さん 返信ありがとうございます。 江田島出身なら尉官だったのでしょうね。父は海軍に入ってから試験合格したそうです。また父は横須賀鎮守府でした。
人と運に恵まれた幸運艦。
沈みゆくジョンストン乗組員に敬礼で立ち去った事は米軍記録にある。
確か、宇宙戦艦ヤマトの古代進の兄、守が乗っていた船が「ゆきかぜ」だったような。
勿論、強運とそれに呼応した乗組員の練度も生き残った理由ではある。だが、一番の理由は艦名が かっこいい からだ。
異能生存艦
まるで…キリコみたいな駆逐艦ですね😊
その神懸かった生存性は異星体「ジャム」と戦う戦闘機に受け継がれる。
戦闘中は全速航行、敵が去ったら巡航以下の速度で燃料節約、
また会敵したら全速。帰投中「我、燃料不足にて漂流の恐れあり。」って
電文を打つ他の艦船が多かったとか。
私も車の運転やら、燃費に注意しながら安全運転です。
せっかくの戦訓、現代にも生かさなきゃ😅
その幸運から雪風という名前は海上自衛隊の初期の護衛艦にうけつがれたときいてますが?
雪風の船体は台湾のどこかの港で防波堤の一部になったとも聞いてますが?(雑誌「丸」で読んだような?)
佐世保には、時雨が居たから母港代表になれなったんだね
❤❤!!
宇宙戦艦ヤマトでも大活躍だ。
古代進の兄が艦長を勤めていましたね…
冥王星海戦?まではソレなりに活躍してたらしいんですが、ヤマトの冒頭で撃沈されてますし活躍したとは言いがたいんとちゃう?
@@紅のプー太郎
映画では映像時間が短縮されてるのでそうなってますがTV版では違います
沖田艦長の旗艦が損傷し残存艦を確認したら雪風だけが残っていた
それまでは駆逐艦らしく魚雷で敵の艦を攻撃しまくって無傷で生き残っていた
そして沖田艦が地球に撤退を決意した時はその反対側に敵をおびき寄せるために
敵をひきつけて散っているのでTV版では武勲艦として描かれてます
完結編でも名を受け継いだ護衛艦が、ハイパー放射ミサイルを盾になって受け止めて、ヤマトを守る。
という、坊ノ岬沖会戦で守れなかった雪辱を晴らすかのような行動を・・・
@@紅のプー太郎
さした ➡ した
丹陽 丹:紅色的。赤誠的。
雪風は沈みません!
死神とも言われてましたね
次々と僚艦が沈むなか、しぶとく生き残ってりゃ~死神と言われてもしゃ~ないわな?
ベース音が強すぎて、イヤフォンで聴いていると気持ち悪くなります😢
和暦で説明してくれたらありがたい
赤城の写真が違うじゃねか。、
惨めだ。甲型駆逐艦中1/38とか。NF文庫1115「陽炎型駆逐艦」牧野茂『日本駆逐艦造船論』を見てもいくつかの課題が挙げられている。
米ギアリング級の二枚舵を評価している。日本は白露型で採用しようとして性能が出せずに失敗。米は反平衡柁で薄く作って成功。
縦肋骨構造をとれなかった。前後機室に1軸あての主機を置くことも機関設計者の反対でできなかった。
消耗品としての思想が強かった。船殻構造が思い切った軽構造であった。
上の反省なのか戦後の護衛艦(自衛艦)あきづき型を引き合いにして、「戦傷に対する耐久性を格段に増加する必要がある」
としている。つまり格段に脆弱だったわけだ。米駆逐艦は水線部に軽防御を施してもいたらしい。
駆逐艦の船体が敵の軽機銃でも打ち抜かれることは、中国戦線で経験済みであった。チェコ銃の7.92㎜で損害を受けるのだから米の.50だと大穴である。水線部は機関部を守る意味合いも含めて対機銃弾の装甲ベルトが必要だろう。
私なら予備魚雷の搭載をあきらめ、1ktの速力も失わせ、石油登載量のみ増えるふやけた耐久性のある艦に仕立てたい。2番砲も白露型を模して甲板に設置する。重心が大きく改善され予備魚雷が無ければこれは出来るはずだ。機銃の高所設置が楽になり陽炎型対空強化時以上の装備が可能になるだろう。速力は痛い、大戦中も逃げきったり、追いつかれたりで速力の確保は大事だった。それでも損傷で即損失になるよりは生存艦が増えただろう。
ただの陽炎型8番艦