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62回の決勝は早実荒木大輔対横浜愛甲猛の対決。プロに入ってどちらも投手としては大成しなかったけど、愛甲選手は打者としていい選手になりましたね。
愛甲さんが当時の横浜高校の様子をTH-camで暴露してます。今なら高野連から除外処分されてもおかしくない学校みたいです。
横浜商業懐かしい。このユニフォーム好きやった!
陸に上がったばかりの俺の生活を支えてくれたメイショウドトウのようなシルバーコレクターやったね🤗この時代優勝より準優勝校の横浜商業の選手たちのほうを評価したい🙏春夏国体❓神宮大会でも決勝まで行ってたんじゃ無かったかな🤔記憶違いかな🙄三浦さん高井さんの時代が最強だったとおもうよ🤗
後にKKを決勝で粉砕した取手二高がソックリのユニでしたね。
ハンサムでかっこいい1年生早実荒木大輔を軸に横浜愛甲、報徳金村、池田水野そしてPL桑田清原が連なった 荒木をボコボコにした池田のマッチョな打撃、同様に水野をPLが倒してほんと面白い時代
水野と桑田は後に巨人でチームメイトになりましたね。
名電工藤公康も
80年は横浜ー天理戦での、天理のサード藤本選手のエラーからの逆点、横浜は愛甲投手だけでなく、一人喜ぶ川戸投手、しぶとい打撃と俊足の安西妹も印象的でした
池田PL全盛期のこの頃の高校野球って、ほんと伝説級の役者が揃ってて まるでドラマを見てるように面白かったよね
愛甲さんの後を川戸さんがしっかり投げて優勝🏆️。キャッチャーの片平さんも素晴らしい。安斎さんも打ちましたし。横浜高校は初優勝。最高ですね😃
この頃の高校野球が1番楽しかった。
なんかラッキーゾーンがとても懐かしい!ホームラン見送るうしろ姿はなかなか今では無い😊
植草さんの実況は素晴らしいですね!
優勝投手になった川戸選手のエピソード聞くと、バレなかっただけで当時でもけっこうえげつない横浜高野球部のしごきはあったんだよなぁ。そら男子校だし余計になあ。
池西 増男さんの解説。島村アナウンサーの声。懐かしー!!!
池西 増男さんと、島村アナウンサー 名前を見るだけで 懐かしい
二人の実況は聞いていて心地よい
攻めダルマ! やまびこ打線!懐かしいですね!
く
報徳学園の金村、名電工の工藤は同世代なので特に思い入れが強いです。
夏の名電工藤公康と選抜の大府槇原寛己もねw
大府高校。馬場茂。先生です
横浜のキャッチ、片平さん赤のレガースが、格好いい😮😮😮
中学出たばかりの高校1年生として見たら、やっぱり荒木は凄かった。でも決勝戦ではやっぱり荒木も人の子だったな。それに両チームの選手が疲労の極みにあった。
cats yamashi k
この荒木の探検帽みたいな帽子すこw野球帽のひさしがまっすぐな時代は1993年ごろまで続きます。近年またひさしまっすぐが復活してきてなんかダサい・・・w
池田vs広商。広島のピッチャーの投げ方が強く印象に残ってますね。この映像はカメラがライト側からなのでそうでもないですが、いつも観るレフト側からだとかなり変な投げ方に見えましたね。 色んな投げ方を経て最終形がこれなんでしょうけども。
私の高校野球時代に重なりました。
横浜の愛甲、早稲田の荒木、池田の畠山と金太郎こと水野、PLのKKコンビ、みんな甲子園の代名詞だったよなあ。
来年で40年になる。スタンドのチアリーダーや応援団も今は還暦近い老人であり、大人たちはもうこの世にいない方も大勢いるだろう。それを思うと不思議な気持になった。
横浜商のチアガールはピンクで可愛い。対してPLの女子は体操着で地味なのな。
おすすめにでてきたので見てしまった…多分全部見てますねえ桑田のフォームが高校時代もプロ時代もほとんど変わらないのがすごいと思う。
優勝決定の瞬間のマウンド上は、人差し指突き立てないのが、いいなぁ。いつからだ、あれは。あの瞬間だけは、目を伏せる。
全くの同感です。いつからあの指立てるのが普通の事になったのか?私もあの人差し指立てて喜ぶパフォーマンスが嫌いです
駒大苫小牧からじゃない?
Y校のエース三浦君だったな。蔦監督に中村監督。KKが出てきてから池田時代からPL時代に変わった
PL優勝のときのピッチャー藤本の豪快な喜びの瞬間がない!w
藤本、ちょろっとだけ直立Y字バンザイが写ってるね(笑)金村の豪快なカエル飛びはちゃんとあったけどね(笑)
池田高校初優勝おめでとう!蔦監督さん懐かしい!畠山君投打に大活躍でしたね!当時もプロにいかれてからも応援していました。
その池田高校優勝の写真と記事が掲載された新聞紙面が、7月5日放送の「アタック25」のハワイ旅行を賭けた映像クイズ(お題は「西暦何年か?」)で紹介され、先に紹介された「カード式公衆電話登場」「第1次中曽根内閣発足」「500円硬貨発行開始」などとともに大きな話題を振りまきました。
@@rhscm989 そうだったのですね。1982年でしたね!懐かしい気持ちでいっぱいです。教えて頂きありがとうございましたm(__)m畠山君は現在もプロ野球関係でお仕事されれるようです。
@@しゅんちゃんあっ君横浜DeNA球団の要職に就いていられますね
金村さんいいピッチャーだったんだなぁ。
1番盛り上がって頃の甲子園。この頃のアサヒグラフ取っておけばよかった。
俺持ってるで(笑)
それは宝物ですね。かすかな記憶ですが、横浜の愛甲が優勝した年は荒木が表紙、次の大会は報徳の金村が優勝して、工藤が表紙であってますか?次の大会の表紙は覚えてません。成績からして水野か畠山ですか?
@@Toshi-ju1om 次の大会は工藤が表紙であってますよ。その次は、主役になった池田ではなく、またまた荒木が表紙を飾ってます。水野は、この次の大会、桑田に負けた大会で表紙になってます。ピッチャーなのに打撃シーンで(笑)
愛甲をリリーフした川戸ののキレのある球とコントロール他の高校ならエースでしょうね
あのキレは、監督が走らせとったの忘れるくらい永遠走らされてしまった「走り込み」の賜物やね(笑)
松坂大輔さんの先輩
@@matsuda527 イジメだろそれ。
@@dropkick743 それで川戸は置き手紙残して実家に帰っちゃった。渡辺監督は「自分が愛甲ばかり意識していたためにとんでもないことをしてしまった……」と猛省し、必死に謝って部に戻ってきてもらった。川戸はとにかく物凄い真面目だったらしい。
著書「立ち上がれふりむくな」にあります。
清原のライトへのホームランは、パワーの違いを見せつけていますね‼
これは、貴重な映像ですね。おまけに、このメンバーの殆どが「プロ入り」が多いのが分かりますね。
愛甲猛さんの
工藤にノーノーやられた長崎西の選手の方が職場の上司ですが、56歳の今でも悔しい悔しい言ってますよ。松尾さん
金村は今や野球漫談家
自他ともに認める金村義明人生の全盛期w
横浜の方が厳しい相手との対戦が多かったので横浜有利やった愛甲の不調は想定外。
植草アナの実況好きやったわ。「ワンバ~ウンド、ツーバ~ウンド」ここにはないけど「青い空、白い雲」「甲子園は清原の為にあるのか!」
他のお約束「荒木大輔鼻つまむ!」、「背番号1の水野が背番号11の桑田に打たれました!」、「水野!自分のやっていることを相手にやられてしまいました!」はあったのにね(笑)
Y校をもう一度甲子園で見たいですね😊
横浜の川戸のX型ガッツポーズは、勝新太郎さんが絶賛してた。あの表情は、役者ではマネできないと
余談ですが、1974年の夏の選手権大会には、巨人軍の選手が3人いるぞ!現監督の原辰徳(東海大相模)篠塚和典(銚子商業)定岡正二(鹿児島実業)
当時は篠塚利夫ですけどね!笑 銚子商業が全試合圧倒的な勝利で優勝した。
これまた余談ですが、1979年の夏の選手権大会にも、巨人軍の選手が3人いるぞ!中条善伸(東北)岡崎郁(大分商業)栄村忠広(鹿児島実業)
@@matsuda527 箕島の上野敬三もいるぞ。
植草アナの「荒木大輔、鼻摘む!」は印象に残ってます。
横浜高校の得点で、アルプススタンドの横浜側の応援にいた弟が2度カメラに撮られて、テレビに出たそうな(笑)
愛甲、この日の夜か、前日の夜に徹夜で麻雀やってたんやからすげーよwwww
決勝で勝った夜、宿のおかみさん、その息子のシンジさん、安西さんと朝までマージャン
あの漫談の金村義明が優勝投手
優勝が決まった瞬間マウンドでピョンピョン飛んで高野連から注意されたらしいよ
その後高校選抜で海外のチームと試合するも、どこかで性病をもらったとかなんとかw。金村義明
@@koichioyama3086様。韓国遠征ですね😅当時は夏終了後に日韓親善高校野球が開催されていて、金村さんの年は日本代表が韓国に遠征しましたね。
韓国籍の選手は、日本の夏の甲子園大会が終わり、秋に開催、白鷲杯という韓国で行われる高校野球大会にも出てる人がいるんだな、N村T志くん、T中実くんとか、、、
当時、スポニチで『Y校大旗予約』の見出しを見て、優勝するものと確信していたのに負けてめちゃくちゃショックだった…小学生だった俺は新聞は嘘ついたと思っていた。
愛甲はアンパンでドーピングしてるからな。。。
2アウトでキャッチボールしてた時、へばってた愛甲見た仲間が「切れたんだろ?」ってスタンドからビニール袋投げてくれたとか。ホンマかいな?(笑)
@@matsuda527 安西選手が言ったんだよな
@@すみえふぐり そうやね(笑)
話しは変わるが、ショーケン(萩原健一)さんのコンサートのとき、客席から数人の客が、萩原さんに差し入れを渡していて、それを受け取った萩原さん、「テメーら、こんなもん持ってたら、警察に捕まるぞこのヤロー!」と叫んでいた。つまり、大麻
このVTRには無いが、横浜優勝の時にキャッチャーが優勝投手の川戸の所に行かず、ファーストからマウンドへ走ってきた愛甲に抱きついていた。他の選手も川戸には寄り付かず、川戸はガッツポーズしながらボッチに…。それを見て当時小学生だった自分は「横浜高にもイジメみたいのがあるのかなぁ?」と、なんとなく感じたっけ……。
最初はね(笑)けど、少し後に抱き合ってる輪の中に背番号10がいて誰かが肩合わせてるよ(笑)
愛甲と金村の甲子園話、おもしろい。マイクの前で対決してください
2:17 柳沢慎吾(早稲田実業仕様)4:00 京都商業(現京都学園)の井口投手、同じ京都商業の沢村栄治投手の再来とも呼ばれました。ただカーブを投げる時、歯を食い縛るのが癖だったらしいです。1980年~1983年の高校野球。一世を風靡した荒木大輔が、池田高校に打たれ(鼻つまむ)、池田高校からPL学園がお株を奪う一発攻勢で大勝。上には上がいるということを思い知らされました。
池田高校は、畠山、水野、江上を筆頭に、やまびこ打線で優勝しましたね。因みに水野、江上は俺と同い年(*^^*)
金村の報徳を春の選抜で見た時、一回戦で負けたけれど、とてつもないポテンシャルを感じて、夏には優勝するだろうと思った。こんな事は、後にも先にもこれ一回きりだ。
金村の友人で元広島日ハムの金石昭人氏が「金村はすごい素質があるのにプロになって不摂生ばかりしてたから活躍できなかったよ・・・」とあきれながら言ってた。
たしか、金村の春の選抜は、槇原からホームラン打ってましたね。その槇原は、夏は、工藤の名電に予選で負けてしまった。
@@wtakesita 夏に槙原の大府が負けたのは名電じゃなくて中京です。
報徳の金村、スマートだな(今はごっついがw)
若き日の渡辺監督
Y校、春も夏も決勝で負けてしまった
ついでに秋も決勝で負けた(笑)池田、PL、中京。優勝校は全部違うのに、春夏秋の裏三連覇。(笑)
青森光星学院もだな、2011夏(日大三)、2012春夏(いずれも大阪桐蔭)、全部決勝で負け、三期連続これも珍しい
全部の時代懐かしい😂
優勝瞬間投手、川戸!
報徳ー早実戦はベストゲーム
愛甲の帽子の被り方、格好良かってね。
1983年大会、翌年からスコアボードが電光掲示板に変わり、石膏で校名・選手名が書かれた最後の大会。この試合の最後に掲示された選手は、PLの背番号1・藤本投手でした。
報徳学園優勝メンバー(ベンチ入りも含む)のなかに、ダウンタウンの二人の中学同級生、ハマチュウこと、浜中選手がいる。なおお父さんは大洋、中日に在籍した浜中祥和さん
8:48 ナレーターは「池田以上の打棒のPL云々」と称賛していたが、池田のピッチャー水野は、その前試合での打席で側頭部にデッドボールを受けていて、その時から剛球を誇った投球がおかしくなっていた。
愛甲と荒木の投げ合いか。
荒木大輔が甲子園に出た5大会のうち4回は京都勢と対戦してる。しかも初戦が3回。京都商が決勝まで進んだ大会が、唯一対戦がなかった。
壬生武士1980年夏→早実9―1東宇治1981年春→東山6―2早実1982年春→早実3―1西京商業(現西京)1982年夏→早実12―0宇治(現立命館宇治)早実3勝1敗
1:05 藤浪以前の問題
愛甲さんも、金村さんも今では野球漫談
1996年は、中日で一緒にいた
この時代はエースが一人で投げるのが当たり前だから準決勝、決勝では好投手もつかれから失点することが多かった。
地方大会の激戦区でもよくあります。
東京のお坊ちゃん軍団と横浜のやんちゃと対象的なカラーのチーム対決。
横浜の渡辺監督は20代で就任したらしく、就任すぐに高校生に取り囲まれたらしいがどうやって切り抜けたか気になるw
@@koichioyama3086渡辺監督は若いときは喧嘩に明け暮れた生活をしていたので、高校生に囲まれても、屁でもなかったそうだ
65回全国高等学校野球選手権大会開会式・池田3連覇狙うもKK1年生桑田清原に敗れた記念大会。th-cam.com/video/O9cQcWRfnWg/w-d-xo.html
10:52 桑田も最終回は手投げになってるな・・・手を抜いたフォームだな・・・と思ったら,桑田じゃなかった。笑 背番号は11だったか。投げているのは1の藤本だね。
荒木を支えた捕手の佐藤くん どうしてますか
この頃は私も高校生。゚(゚^∀^゚)゚。早実の荒木さんにファンレター葉書で出したっけなぉーーーぁ。゚(゚^Д^゚)゚。熱い声援送ってました。当時は携帯電話すら無い時代✌️横浜に負けて悔しかったの覚えてる。
この頃の甲子園は、地元って感じがあったよね。今は出場選手の9割が関西弁みたいだけど。
安西「おい、愛甲××切れか?」愛甲「(ウゼェ・・・・)」
愛甲さんは好きです
横浜ー早実、2回の横浜のランナー、右足高々と上げてスパイクの刃向けてホームイン。笑える。
2:32背番号10川戸選手ちゃんと輪に入ってるじゃんwそりゃあ1年~3年まで大エースだった愛甲選手を一番に持ちあげるのは当然
監督に嘆願して川戸にマウンド譲った愛甲が川戸に「お前なら抑えられる。もし打たれてもオレがまた打ってやるから、頑張れ」って励ましてホントにタイムリー打って2点差に広げたなあ。最後のピーゴロでゲッツーで終わりか!の場面でショートからのワンバンを何とか取ろうとする愛甲。必死だったんやな。
Y校は、可愛そうだった、春夏とも準優勝、青森光星学院も三期連続準優勝だったな
若かったあの頃
昔の準優勝チームがやけに懐かしい。井神投手を要した防府商業。続木捕手を要した新居浜商業。防府商業のシンプルなユニホーム、好きだったなー!
池田優勝の瞬間、畠山投手が山下捕手ではなく、遊撃山口選手に抱きついたのは、決勝戦前日に、畠山、山下が喧嘩をしたからだそうだ
1980早実荒木大輔、18年後横浜松坂大輔リレー。
清原、高校の頃から右方向ホームランか(^^;)
横浜商業のユニホームは女の子に人気ありましたね。
愛甲は横浜です。松坂の先輩です。ワイ高がブルーのユニフォームの横浜商業です。
金村は、予選から決勝まで、一人で投げきった
選抜、 夏の選抜選手権、国体、と全て準優勝だったけど、Y校の三浦はスゴいピッチャーだった。大量点捕られていないし、打ち込まれた、こともないし。あのカーブは打てんよ。
ドラフトの指名は下位で、本人はショックを受けていましたね。
いまは、名古屋市の湊エキスプレスという、運送会社にいます
秋田経大付の松本、前橋工の渡辺の2人凄いな
1982年の春と夏はいずれも準決勝で中京(中京大中京)に勝った学校が決勝に進むも、いずれも大差で破れた、春、二松学舎がPLに2対15で、夏、広島商が池田に2対12で負けた、中京の地元に住んでる自分は中京の呪いだと思ってしまった
早実がまだ東東京代表の男子校だった。
優勝瞬間!川戸投手😺
川戸投手、優勝瞬間投手😺!
工藤公康の名古屋電気(現 愛工大名電)の事を字幕で「名電工」と間違った表記。ナレーションでも「めいでんこう」って言ってしまってるのが残念。作り手側はそういったミスを無くして欲しいね。
字は違うがめいでんこう、(明電工)という会社は名古屋にある
昭和時代のアルプスの男子学生リーゼントとかアイパーとかイカツイな。今より不良が多かったと思う。報徳とか北陽とか喧嘩強そうだもんな。金村なんて、高校時代、スナックに通ってたらしいからな(笑)
最強は浪商
浪商といえば牛島やなww
@@koichioyama3086。張本勲さんに高田繁さん、そして張本さんの同級生でマル暴から画家に転身した山本集さんも。
北陽には前田日明が。浪速高校の赤井英和と列車内で一触即発になりかけた所を止めに入ったのが当時北陽で現阪神監督の岡田彰布。
この時の広島商業監督は、桑原秀憲さんだな、法政大学三羽烏、田淵、山本、富田の同級生
蔦監督は、決勝前日、皆さん私を優勝監督にしてくださいといった、優勝の瞬間畠山が、ショートの山口に飛び付いた、捕手の山下と、前日喧嘩したからだそうだ
当たり前だけど野球のレベルってかなり上がったんだな
40年前か 当時のプレーを見ると今の高校野球のレベルって凄い高いんだな
1981夏決勝、パチンコマルハンの社長が、京都商の五番を、打っていた
前評判の低いplのおそろしいまでの、底ヂカラ。この頃センパツは連覇してたが、夏なかなかでれず、久々の出場だった。センパツのplは強かった。だが世間はあまり強いイメージなかったかも。僕たち大阪の野球少年にplは特別だった。あのユニフォーム。こうか。ただアンチもかなりいた。池田を応援する大阪野球少年も多かった。中学3年の三学期に徳島に引っ越してでも、公立の池田に行きたがった。箕島も特別なチームだった
大阪桐蔭まだ無名
まだ創立してないだろww
大阪桐蔭高校は、1988年創立ですよ。
大阪産業大学付属高校大東分校が前身、そのときは、PLの鶴岡泰前監督が指揮をとっていた、PL時代の教え子の森岡正晃さんという方(吉村さん、西川さんらの一級上)を近畿大学卒業後自分の、もとに呼び、大阪桐蔭と名前を変えてからは、その方が部長となり1991夏の初出場初優勝を成し遂げた、その時の監督は長沢和夫さんという方で関西大学で、あの山口高志さんと同級生で四番を打っていた方、あの優勝の主力メンバー(萩原誠さん、玉山雅一さん、背尾伊洋さんら)を各地からスカウトしたのは、森岡さんだった。また、森岡さんはその後、履正社に移りスポーツ専門学校の初代校長となり、野球部のみならず、運動部に、有力選手を送り込み、やがて、野球部は夏の大会全国制覇するまでの学校になった。森岡さんはPL時代は不遇だったが、ライバル校を発展させた、マネジメント能力に長けた人、現在は大阪学院大学野球部総監督。
愛甲が当時の横浜高校の8割は不良だったって言ってたな笑笑
後輩にボクシングの大橋秀行、プロレスの鈴木みのる。
愛甲さんの同級生には、アーチェリー五輪メダリスト、山本博さんもおるでよ
ナレーションが名電工の工藤って言ってるけど工藤監督が在籍してた時は名電工じゃなくて名古屋電気高校だよ
愛称が名電(ユニホームの胸文字)なだけですねこのころは。その後に愛工大になって。愛工大の大学といえばトレンディ・エースの西崎幸広だ。
金村は日本代表として祖国韓国に凱旋した時初めて「女」を知ったという。
性病のお土産付き😅
62回の決勝は早実荒木大輔対横浜愛甲猛の対決。
プロに入ってどちらも投手としては大成しなかったけど、
愛甲選手は打者としていい選手になりましたね。
愛甲さんが当時の横浜高校の様子をTH-camで暴露してます。
今なら高野連から除外処分されてもおかしくない学校みたいです。
横浜商業懐かしい。このユニフォーム好きやった!
陸に上がったばかりの俺の生活を支えてくれたメイショウドトウのようなシルバーコレクターやったね🤗この時代優勝より準優勝校の横浜商業の選手たちのほうを評価したい🙏春夏国体❓神宮大会でも決勝まで行ってたんじゃ無かったかな🤔記憶違いかな🙄三浦さん高井さんの時代が最強だったとおもうよ🤗
後にKKを決勝で粉砕した取手二高がソックリのユニでしたね。
ハンサムでかっこいい1年生早実荒木大輔を軸に横浜愛甲、報徳金村、池田水野そしてPL桑田清原が連なった 荒木をボコボコにした池田のマッチョな打撃、同様に水野をPLが倒してほんと面白い時代
水野と桑田は後に巨人でチームメイトになりましたね。
名電工藤公康も
80年は横浜ー天理戦での、天理のサード藤本選手のエラーからの逆点、
横浜は愛甲投手だけでなく、一人喜ぶ川戸投手、しぶとい打撃と俊足の安西妹も印象的でした
池田PL全盛期のこの頃の高校野球って、ほんと伝説級の役者が揃ってて まるでドラマを見てるように面白かったよね
愛甲さんの後を川戸さんがしっかり投げて優勝🏆️。
キャッチャーの片平さんも素晴らしい。
安斎さんも打ちましたし。
横浜高校は初優勝。
最高ですね😃
この頃の高校野球が1番楽しかった。
なんかラッキーゾーンがとても懐かしい!ホームラン見送るうしろ姿はなかなか今では無い😊
植草さんの実況は素晴らしいですね!
優勝投手になった川戸選手のエピソード聞くと、バレなかっただけで当時でもけっこうえげつない横浜高野球部のしごきはあったんだよなぁ。そら男子校だし余計になあ。
池西 増男さんの解説。
島村アナウンサーの声。
懐かしー!!!
池西 増男さんと、島村アナウンサー 名前を見るだけで 懐かしい
二人の実況は聞いていて心地よい
攻めダルマ!
やまびこ打線!
懐かしいですね!
く
報徳学園の金村、名電工の工藤は同世代なので特に思い入れが強いです。
夏の名電工藤公康と選抜の大府槇原寛己もねw
大府高校。馬場茂。先生です
横浜のキャッチ、片平さん赤のレガースが、格好いい😮😮😮
中学出たばかりの高校1年生として見たら、やっぱり荒木は凄かった。でも決勝戦ではやっぱり荒木も人の子だったな。それに両チームの選手が疲労の極みにあった。
cats yamashi k
この荒木の探検帽みたいな帽子すこw
野球帽のひさしがまっすぐな時代は1993年ごろまで続きます。
近年またひさしまっすぐが復活してきてなんかダサい・・・w
池田vs広商。広島のピッチャーの投げ方が強く印象に残ってますね。
この映像はカメラがライト側からなのでそうでもないですが、いつも観るレフト側からだとかなり
変な投げ方に見えましたね。 色んな投げ方を経て最終形がこれなんでしょうけども。
私の高校野球時代に重なりました。
横浜の愛甲、早稲田の荒木、池田の畠山と金太郎こと水野、PLのKKコンビ、みんな甲子園の代名詞だったよなあ。
来年で40年になる。スタンドのチアリーダーや応援団も今は還暦近い老人であり、大人たちはもうこの世にいない方も大勢いるだろう。それを思うと不思議な気持になった。
横浜商のチアガールはピンクで可愛い。対してPLの女子は体操着で地味なのな。
おすすめにでてきたので見てしまった…多分全部見てますねえ
桑田のフォームが高校時代もプロ時代もほとんど変わらないのがすごいと思う。
優勝決定の瞬間のマウンド上は、人差し指突き立てないのが、いいなぁ。
いつからだ、あれは。あの瞬間だけは、目を伏せる。
全くの同感です。
いつからあの指立てるのが普通の事になったのか?
私もあの人差し指立てて喜ぶパフォーマンスが嫌いです
駒大苫小牧からじゃない?
Y校のエース三浦君だったな。蔦監督に中村監督。KKが出てきてから池田時代からPL時代に変わった
PL優勝のときのピッチャー藤本の豪快な喜びの瞬間がない!w
藤本、ちょろっとだけ直立Y字バンザイが写ってるね(笑)
金村の豪快なカエル飛びはちゃんとあったけどね(笑)
池田高校初優勝おめでとう!
蔦監督さん懐かしい!畠山君投打に大活躍でしたね!当時もプロにいかれてからも応援していました。
その池田高校優勝の写真と記事が掲載された新聞紙面が、7月5日放送の「アタック25」のハワイ旅行を賭けた映像クイズ(お題は「西暦何年か?」)で紹介され、先に紹介された「カード式公衆電話登場」「第1次中曽根内閣発足」「500円硬貨発行開始」などとともに大きな話題を振りまきました。
@@rhscm989 そうだったのですね。1982年でしたね!
懐かしい気持ちでいっぱいです。
教えて頂きありがとうございましたm(__)m
畠山君は現在もプロ野球関係でお仕事されれるようです。
@@しゅんちゃんあっ君横浜DeNA球団の要職に就いていられますね
金村さんいいピッチャーだったんだなぁ。
1番盛り上がって頃の甲子園。この頃のアサヒグラフ取っておけばよかった。
俺持ってるで(笑)
それは宝物ですね。かすかな記憶ですが、横浜の愛甲が優勝した年は荒木が表紙、次の大会は報徳の金村が優勝して、工藤が表紙であってますか?次の大会の表紙は覚えてません。成績からして水野か畠山ですか?
@@Toshi-ju1om
次の大会は工藤が表紙であってますよ。
その次は、主役になった池田ではなく、またまた荒木が表紙を飾ってます。
水野は、この次の大会、桑田に負けた大会で表紙になってます。ピッチャーなのに打撃シーンで(笑)
愛甲をリリーフした川戸ののキレのある球とコントロール
他の高校ならエースでしょうね
あのキレは、監督が走らせとったの忘れるくらい永遠走らされてしまった「走り込み」の賜物やね(笑)
松坂大輔さんの先輩
@@matsuda527
イジメだろそれ。
@@dropkick743
それで川戸は置き手紙残して実家に帰っちゃった。
渡辺監督は「自分が愛甲ばかり意識していたためにとんでもないことをしてしまった……」と猛省し、必死に謝って部に戻ってきてもらった。
川戸はとにかく物凄い真面目だったらしい。
著書「立ち上がれふりむくな」にあります。
清原のライトへのホームランは、パワーの違いを見せつけていますね‼
これは、貴重な映像ですね。おまけに、このメンバーの殆どが「プロ入り」が多いのが分かりますね。
愛甲猛さんの
工藤にノーノーやられた長崎西の選手の方が職場の上司ですが、56歳の今でも悔しい悔しい言ってますよ。松尾さん
金村は今や野球漫談家
自他ともに認める金村義明人生の全盛期w
横浜の方が厳しい相手との対戦が多かったので横浜有利やった愛甲の不調は想定外。
植草アナの実況好きやったわ。
「ワンバ~ウンド、ツーバ~ウンド」
ここにはないけど「青い空、白い雲」「甲子園は清原の為にあるのか!」
他のお約束「荒木大輔鼻つまむ!」、「背番号1の水野が背番号11の桑田に打たれました!」、「水野!自分のやっていることを相手にやられてしまいました!」はあったのにね(笑)
Y校をもう一度甲子園で見たいですね😊
横浜の川戸のX型ガッツポーズは、勝新太郎さんが絶賛してた。あの表情は、役者ではマネできないと
余談ですが、1974年の夏の選手権大会には、巨人軍の選手が3人いるぞ!現監督の原辰徳(東海大相模)篠塚和典(銚子商業)定岡正二(鹿児島実業)
当時は篠塚利夫ですけどね!笑 銚子商業が全試合圧倒的な勝利で優勝した。
これまた余談ですが、1979年の夏の選手権大会にも、巨人軍の選手が3人いるぞ!
中条善伸(東北)岡崎郁(大分商業)栄村忠広(鹿児島実業)
@@matsuda527
箕島の上野敬三もいるぞ。
植草アナの「荒木大輔、鼻摘む!」は印象に残ってます。
横浜高校の得点で、アルプススタンドの横浜側の応援にいた弟が2度カメラに撮られて、テレビに出たそうな(笑)
愛甲、この日の夜か、前日の夜に徹夜で麻雀やってたんやからすげーよwwww
決勝で勝った夜、宿のおかみさん、その息子のシンジさん、安西さんと朝までマージャン
あの漫談の金村義明が優勝投手
優勝が決まった瞬間マウンドでピョンピョン飛んで高野連から注意されたらしいよ
その後高校選抜で海外のチームと試合するも、どこかで性病をもらったとかなんとかw。金村義明
@@koichioyama3086様。
韓国遠征ですね😅
当時は夏終了後に日韓親善高校野球が開催されていて、金村さんの年は日本代表が韓国に遠征しましたね。
韓国籍の選手は、日本の夏の甲子園大会が終わり、秋に開催、白鷲杯という韓国で行われる高校野球大会にも出てる人がいるんだな、N村T志くん、T中実くんとか、、、
当時、スポニチで『Y校大旗予約』の見出しを見て、優勝するものと確信していたのに負けてめちゃくちゃショックだった…
小学生だった俺は新聞は嘘ついたと思っていた。
愛甲はアンパンでドーピングしてるからな。。。
2アウトでキャッチボールしてた時、へばってた愛甲見た仲間が「切れたんだろ?」ってスタンドからビニール袋投げてくれたとか。ホンマかいな?(笑)
@@matsuda527 安西選手が言ったんだよな
@@すみえふぐり
そうやね(笑)
話しは変わるが、ショーケン(萩原健一)さんのコンサートのとき、客席から数人の客が、萩原さんに差し入れを渡していて、それを受け取った萩原さん、「テメーら、こんなもん持ってたら、警察に捕まるぞこのヤロー!」と叫んでいた。つまり、大麻
このVTRには無いが、横浜優勝の時にキャッチャーが優勝投手の川戸の所に行かず、ファーストからマウンドへ走ってきた愛甲に抱きついていた。
他の選手も川戸には寄り付かず、川戸はガッツポーズしながらボッチに…。
それを見て当時小学生だった自分は「横浜高にもイジメみたいのがあるのかなぁ?」と、なんとなく感じたっけ……。
最初はね(笑)
けど、少し後に抱き合ってる輪の中に背番号10がいて誰かが肩合わせてるよ(笑)
愛甲と金村の甲子園話、おもしろい。マイクの前で対決してください
2:17 柳沢慎吾(早稲田実業仕様)
4:00 京都商業(現京都学園)の井口投手、同じ京都商業の沢村栄治投手の再来とも呼ばれました。ただカーブを投げる時、歯を食い縛るのが癖だったらしいです。
1980年~1983年の高校野球。
一世を風靡した荒木大輔が、池田高校に打たれ(鼻つまむ)、池田高校からPL学園がお株を奪う一発攻勢で大勝。
上には上がいるということを思い知らされました。
池田高校は、畠山、水野、江上を筆頭に、やまびこ打線で優勝しましたね。因みに水野、江上は俺と同い年(*^^*)
金村の報徳を春の選抜で見た時、一回戦で負けたけれど、とてつもないポテンシャルを感じて、夏には優勝するだろうと思った。
こんな事は、後にも先にもこれ一回きりだ。
金村の友人で元広島日ハムの金石昭人氏が「金村はすごい素質があるのにプロになって不摂生ばかりしてたから活躍できなかったよ・・・」とあきれながら言ってた。
たしか、金村の春の選抜は、槇原からホームラン打ってましたね。その槇原は、夏は、工藤の名電に予選で負けてしまった。
@@wtakesita
夏に槙原の大府が負けたのは
名電じゃなくて中京です。
報徳の金村、スマートだな(今はごっついがw)
若き日の渡辺監督
Y校、春も夏も決勝で負けてしまった
ついでに秋も決勝で負けた(笑)
池田、PL、中京。優勝校は全部違うのに、春夏秋の裏三連覇。(笑)
青森光星学院もだな、2011夏(日大三)、2012春夏(いずれも大阪桐蔭)、全部決勝で負け、三期連続これも珍しい
全部の時代懐かしい😂
優勝瞬間投手、川戸!
報徳ー早実戦はベストゲーム
愛甲の帽子の被り方、格好良かってね。
1983年大会、翌年からスコアボードが電光掲示板に変わり、石膏で校名・選手名が書かれた最後の大会。この試合の最後に掲示された選手は、PLの背番号1・藤本投手でした。
報徳学園優勝メンバー(ベンチ入りも含む)のなかに、ダウンタウンの二人の中学同級生、ハマチュウこと、浜中選手がいる。なおお父さんは大洋、中日に在籍した浜中祥和さん
8:48 ナレーターは「池田以上の打棒のPL云々」と称賛していたが、池田のピッチャー水野は、その前試合での打席で側頭部にデッドボールを受けていて、その時から剛球を誇った投球がおかしくなっていた。
愛甲と荒木の投げ合いか。
荒木大輔が甲子園に出た5大会のうち4回は京都勢と対戦してる。
しかも初戦が3回。京都商が決勝まで進んだ大会が、唯一対戦がなかった。
壬生武士
1980年夏→早実9―1東宇治
1981年春→東山6―2早実
1982年春→早実3―1西京商業(現西京)
1982年夏→早実12―0宇治(現立命館宇治)
早実3勝1敗
1:05 藤浪以前の問題
愛甲さんも、金村さんも今では野球漫談
1996年は、中日で一緒にいた
この時代はエースが一人で投げるのが当たり前だから準決勝、決勝では好投手もつかれから失点することが多かった。
地方大会の激戦区でもよくあります。
東京のお坊ちゃん軍団と横浜のやんちゃと対象的なカラーのチーム対決。
横浜の渡辺監督は20代で就任したらしく、就任すぐに高校生に取り囲まれたらしいがどうやって切り抜けたか気になるw
@@koichioyama3086渡辺監督は若いときは喧嘩に明け暮れた生活をしていたので、高校生に囲まれても、屁でもなかったそうだ
65回全国高等学校野球選手権大会開会式・池田3連覇狙うもKK1年生桑田清原に敗れた記念大会。
th-cam.com/video/O9cQcWRfnWg/w-d-xo.html
10:52 桑田も最終回は手投げになってるな・・・手を抜いたフォームだな・・・と思ったら,桑田じゃなかった。笑 背番号は11だったか。投げているのは1の藤本だね。
荒木を支えた捕手の佐藤くん どうしてますか
この頃は私も高校生。゚(゚^∀^゚)゚。
早実の荒木さんにファンレター葉書で出したっけなぉーーーぁ。゚(゚^Д^゚)゚。熱い声援送ってました。当時は携帯電話すら無い時代✌️横浜に負けて悔しかったの覚えてる。
この頃の甲子園は、地元って感じがあったよね。今は出場選手の9割が関西弁みたいだけど。
安西「おい、愛甲××切れか?」
愛甲「(ウゼェ・・・・)」
愛甲さんは好きです
横浜ー早実、2回の横浜のランナー、右足高々と上げてスパイクの刃向けてホームイン。笑える。
2:32
背番号10
川戸選手ちゃんと輪に入ってるじゃんw
そりゃあ1年~3年まで大エースだった
愛甲選手を一番に持ちあげるのは当然
監督に嘆願して川戸にマウンド譲った愛甲が川戸に「お前なら抑えられる。もし打たれてもオレがまた打ってやるから、頑張れ」って励ましてホントにタイムリー打って2点差に広げたなあ。
最後のピーゴロでゲッツーで終わりか!の場面でショートからのワンバンを何とか取ろうとする愛甲。必死だったんやな。
Y校は、可愛そうだった、春夏とも準優勝、青森光星学院も三期連続準優勝だったな
若かったあの頃
昔の準優勝チームがやけに懐かしい。
井神投手を要した防府商業。
続木捕手を要した新居浜商業。
防府商業のシンプルなユニホーム、
好きだったなー!
池田優勝の瞬間、畠山投手が山下捕手ではなく、遊撃山口選手に抱きついたのは、決勝戦前日に、畠山、山下が喧嘩をしたからだそうだ
1980早実荒木大輔、18年後横浜松坂大輔リレー。
清原、高校の頃から右方向ホームランか(^^;)
横浜商業のユニホームは女の子に人気ありましたね。
愛甲は横浜です。松坂の先輩です。ワイ高がブルーのユニフォームの横浜商業です。
金村は、予選から決勝まで、一人で投げきった
選抜、 夏の選抜選手権、国体、と全て準優勝だったけど、Y校の三浦はスゴいピッチャーだった。
大量点捕られていないし、打ち込まれた、こともないし。
あのカーブは打てんよ。
ドラフトの指名は下位で、本人はショックを受けていましたね。
いまは、名古屋市の湊エキスプレスという、運送会社にいます
秋田経大付の松本、前橋工の渡辺の2人凄いな
1982年の春と夏はいずれも準決勝で中京(中京大中京)に勝った学校が決勝に進むも、いずれも大差で破れた、春、二松学舎がPLに2対15で、夏、広島商が池田に2対12で負けた、中京の地元に住んでる自分は中京の呪いだと思ってしまった
早実がまだ東東京代表の男子校だった。
優勝瞬間!川戸投手😺
川戸投手、優勝瞬間投手😺!
工藤公康の名古屋電気(現 愛工大名電)の事を字幕で「名電工」と間違った表記。ナレーションでも「めいでんこう」って言ってしまってるのが残念。作り手側はそういったミスを無くして欲しいね。
字は違うがめいでんこう、(明電工)という会社は名古屋にある
昭和時代のアルプスの男子学生リーゼントとかアイパーとかイカツイな。今より不良が多かったと思う。報徳とか北陽とか喧嘩強そうだもんな。
金村なんて、高校時代、スナックに通ってたらしいからな(笑)
最強は浪商
浪商といえば牛島やなww
@@koichioyama3086。
張本勲さんに高田繁さん、そして張本さんの同級生でマル暴から画家に転身した山本集さんも。
北陽には前田日明が。
浪速高校の赤井英和と列車内で一触即発になりかけた所を止めに入ったのが当時北陽で現阪神監督の岡田彰布。
この時の広島商業監督は、桑原秀憲さんだな、法政大学三羽烏、田淵、山本、富田の同級生
蔦監督は、決勝前日、皆さん私を優勝監督にしてくださいといった、優勝の瞬間畠山が、ショートの山口に飛び付いた、捕手の山下と、前日喧嘩したからだそうだ
当たり前だけど野球のレベルって
かなり上がったんだな
40年前か 当時のプレーを見ると今の高校野球のレベルって凄い高いんだな
1981夏決勝、パチンコマルハンの社長が、京都商の五番を、打っていた
前評判の低いplのおそろしいまでの、底ヂカラ。この頃センパツは連覇してたが、夏なかなかでれず、久々の出場だった。センパツのplは強かった。だが世間はあまり強いイメージなかったかも。僕たち大阪の野球少年にplは特別だった。あのユニフォーム。こうか。ただアンチもかなりいた。池田を応援する大阪野球少年も多かった。中学3年の三学期に徳島に引っ越してでも、公立の池田に行きたがった。箕島も特別なチームだった
大阪桐蔭まだ無名
まだ創立してないだろww
大阪桐蔭高校は、1988年創立ですよ。
大阪産業大学付属高校大東分校が前身、そのときは、PLの鶴岡泰前監督が指揮をとっていた、PL時代の教え子の森岡正晃さんという方(吉村さん、西川さんらの一級上)を近畿大学卒業後自分の、もとに呼び、大阪桐蔭と名前を変えてからは、その方が部長となり1991夏の初出場初優勝を成し遂げた、その時の監督は長沢和夫さんという方で関西大学で、あの山口高志さんと同級生で四番を打っていた方、あの優勝の主力メンバー(萩原誠さん、玉山雅一さん、背尾伊洋さんら)を各地からスカウトしたのは、森岡さんだった。また、森岡さんはその後、履正社に移りスポーツ専門学校の初代校長となり、野球部のみならず、運動部に、有力選手を送り込み、やがて、野球部は夏の大会全国制覇するまでの学校になった。森岡さんはPL時代は不遇だったが、ライバル校を発展させた、マネジメント能力に長けた人、現在は大阪学院大学野球部総監督。
愛甲が当時の横浜高校の8割は不良だったって言ってたな笑笑
後輩にボクシングの大橋秀行、プロレスの鈴木みのる。
愛甲さんの同級生には、アーチェリー五輪メダリスト、山本博さんもおるでよ
ナレーションが名電工の工藤って言ってるけど工藤監督が在籍してた時は名電工じゃなくて名古屋電気高校だよ
愛称が名電(ユニホームの胸文字)なだけですねこのころは。その後に愛工大になって。愛工大の大学といえばトレンディ・エースの西崎幸広だ。
金村は日本代表として祖国韓国に凱旋した時初めて「女」を知ったという。
性病のお土産付き😅