殿×殿 遂に実現!毛利家当主対談!
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ย. 2024
- 清末毛利家と徳山毛利家のスペシャル対談が実現しました!
日本の歴史が動くとき、そこに毛利あり。
鎌倉政権樹立
天下分け目の関ヶ原
明治維新 etc…
毛利家は日本の歴史の大きなターニングポイントに深く関与してきた大名家です。
このチャンネルでは、徳山毛利家第14代当主の毛利就慶氏が、当事者ならではの裏話や秘話も織り交ぜながら、日本史への興味を掻き立てるような動画をお届けします。
大名家の当主が現代日本においてどのように暮らし、何を思うのか、等身大でありのままの姿でお伝えしてまいります。
「こんな話を聞きたい」というようなご意見ご要望は、ぜひ各動画のコメント欄にお寄せください。
毛利就慶氏への講演依頼も承ります。
なお、毛利就慶氏は歴史家ではなく、毛利家に伝わる言い伝えや独学の情報を基にお話ししていますので、動画で話す内容の真偽を保証するものではございません。
ご理解の上、楽しくご覧いただけますと幸いです。
当チャンネルを通じて歴史を学ぶことで、日本に関心を持ち、ひいては日本やその先人たちを誇らしく思う、そんな方が1人でも増えれば望外の喜びです。
このチャンネルは小説家の中川秀彦氏のご支援、視聴者様からの投げ銭、Google広告掲載料によって運営されています。応援のほど、よろしくお願いいたします。
『神に選ばれた男 児玉源太郎』中川 秀彦 (著)
この小説の主人公、児玉源太郎大将は、毛利家歴史チャンネルの語り手、毛利就慶氏が当主である徳山藩の武士でした。
ウイルスの概念もない明治末期に「検疫の大切さ」を理解していた軍人がいた。日露戦争を勝利に導いた名将にして、武力に頼らず台湾を近代化に導いた偉大な政治家でもある児玉源太郎。 その活躍と人生を余すことなく語り尽くす。
amzn.to/3aJqNiH
#日本史 #毛利 #山口県 #徳山 #教養 #大名 #末裔 #歴史 #戦国大名 #明治維新 #戦国時代
こりゃ凄い対談ですな❗ お二人の甲冑姿みたいです❗ 昔から毛利氏は好きな大名です👍🏻
支藩の末裔同士なんて、なかなかマニアックで面白いですよね👍️ そして、毛利家贔屓。ありがとうございます!
まず立派な山門に驚きました!さすが毛利家、支藩に至るまでご先祖様を大事にされる姿勢に感銘しております。私は中学時代から歴史ファンで、一番好きだった毛利家のご子孫の方々のお姿を拝見出来てとても嬉しいです。何より、血筋が続いている事が素晴らしい!! しかも輝元公と秀元公の血筋がしっかりと残っているところが!! 色々と確執があった事は事実ですが、私は輝元公も秀元公も大好きなんですよね~!輝元公、暗愚と言われつつ、家老衆に凄く大切にされ、歴史の表舞台に何度も出ていらっしゃる、何とも言えない魅力があるんです…!萩藩の基礎をお創りになったのも輝元公ですし、謎に評価が高い所も魅力的w 秀元公は聡明で英雄気質、西の伊達政宗の趣がありますよね~!!うーん、どっちも魅力的!!w 先日、吉香公園にて、お花見と錦帯橋散策致しました。こちらもご立派な公園。堪能致しました。毛利家最高です!!
いつも、ありがとうございます‼️
本当に立派な山門でした。
また、毛利ファンとのこと、凄く嬉しいです。 そして、両公の事を、素晴らしく評価していただいて、清末殿も喜んでおられると思います。 岩国行かれたんですね。
そろそろ、岩国特集を撮影しようと思案中です。何か、情報などあれば教えてくださいね🙇
殿 お疲れさま
清末藩の成り立ち知りませんでした。出身地山口県の色々な文化や歴史を共有できるこのチャンネルはとても貴重です。「知」は高き(知る者)から低き(知らない者)にしか流れないので。
流石‼️塾長‼️
とても、含蓄のあるお言葉身に沁みます‼️
今回の動画は掛け値なしに面白うございました。清末藩の成立背景を知ることができたことも、私どもにとって大きな収穫でありました。感謝申し上げます。
林さんは博識なので、なかなか満足行かないかも知れませんが、清末殿がお出まし頂いたことで、その様に言って頂いて良かった‼️
毛利元晶様は気品のあるお方ですね。毛利就慶様は輝きのオーラを放っていますね。さすが、大名家。
長井さん‼️
清末殿は確かに。私など、、、ご同族にその様に誉められて、こそばゆいです(笑)
毛利家の両殿様のご尊顔を拝すことが出来て幸せです。
当方は母方ではありますが、元就公に従って以来水軍の将として日本海や瀬戸内海で従軍してきた武将・飯田義武の末裔に当たります。
明治まで周防大島の三蒲にて知行を頂き、船手組としてお仕えした系統です。
飯田家最期の当主の娘と、領地内の庄屋の息子が結婚して、私が幼少期を共に過ごした曾祖父が生まれています。
小さい頃より祖父から話を聞いてからは、毛利家を第一に歴史の調べ毎をしたり、学生時代は輝元公の版画を掘りました。
凄い時代になりましたね。ネットで主君筋の方々が対談されているのを見ることが出来るなんて、夢のようです。
ただただ感激しております。
応援しておりますので、今後とも動画公開を楽しみにさせていただきます。
ご清聴、ありがとうございました。
コメントありがとうございます!
そして、こちらこそ飯田家のご末裔からのメッセージとても感激しています。
飯田家と言えば、源氏の流れを汲む名家。
同じ、鎌倉武士ですかね。
それから、周防大島とはご縁ですね❗
本当に色々な意味で繋がれて素晴らしい世の中になりました。
是非、これからも色々と教えて下さい。
宜しくお願い致します❗
@@mourihistory ご返信ありがとうございます。とても光栄に存じます。飯田家は源頼信から9代孫を祖としている、と山口文書館に保管されていた系図には記載がございます。
長州藩での保管されている資料は元就公にお仕えして以降の記録しかなく、それ以前の系譜等は不明となっているのですが、旧Twitterで知り合った広島県の郷土史研究をされている方の資料提供では、元々安芸武田氏の家臣もしくは与力豪族として太田川周辺にいたようで、元々武田水軍を纏めていた将の一人として水軍を束ねるノウハウを持っていたと思われ、元就公は武田家滅亡後は水軍の重要性を認めて川内警固衆を編成された際に、譜代の児玉氏をトップに、そのブレーンとして元々水軍だった飯田義武を統率の将に加えさせたのではないか、と推測しています。
安芸武田氏の配下には甲斐武田家の家臣でも有名な山縣氏や板垣氏等の名前も見られるため、おそらく甲斐、相模等の周辺の東国武士が鎌倉・室町時代に武田氏等と共に安芸国に下向したのではないか、と考えております。明確な時期については不明ですが、元々の毛利家の譜代ではないようです。
私は毛利家家臣の末裔ということを知って以来、毛利家とそのご末裔につきましては今でも主君筋と思っており、尊敬しております。
今後とも交流があればこの上ない幸せでございます。よろしくお願いいたします。
うわ‼️
いちいち、合点がいきますね。
なるほど、武田水軍、、そして、それから小早川、児玉と変遷した。
しかも、安芸武田家が甲斐竹 武田の別れとして、家臣団もその弟などが付いてきている、、、まさに、歴史そのものですね。
そこから、毛利への変遷。
特に毛利水軍と言う、特筆すべきスペシャリスト達の末裔なんだから、僕まで興奮してしまいます‼️
それから、あの幕末の戦争の舞台にもなった周防大島ときたら、、、。
かつては瀬戸内海の制海権を握っていた毛利水軍も防長二ヵ国へ減封後は周防大島等の一部に船手組として縮小されて存続し、村上家を筆頭に飯田氏や平岡氏等が担いました。
私の祖父から聞いた口伝では、私の曾祖父(加嶋五郎:弁護士)を産んだ母親:飯田ひな(飯田家最期の当主の長女)の父親が病弱であったため、
幕末での戦闘では、飯田ひなの祖父にあたる前当主(恐らく九代当主:飯田信和)が自ら出陣して参戦したと聞いております。
インターネットの時代になってから私が調べたところ(下記URL参照:www7a.biglobe.ne.jp/~soutokufu/boshinwar/bakutyouwar/oshima.htm)、
幕府軍に周防大島を占領されてしまったことを良しとしない大村益次郎ら長州藩の首脳は、世良修蔵を大将に、周防大島在住の長州藩士(当方の飯田家や同じく船手組の平岡家:元河野氏の家臣)らを派遣し、
奪還作戦が決行され、周防大島内を転戦して結局幕府軍を追い出すことに成功し、その後幕府軍は二度と周防大島に上陸してこなかった、というような記述がありますので、
そこら辺は祖父からの口伝と一致します。
実際に位牌の裏にも書いてありますが、飯田ひなの実父(恐らく飯田信賢)が他界した後、継父(恐らく十代当主飯田義著)がいると書いてあるので、幕末時は実父が病弱であったので出陣出来なかったのでは、と思われます。
大島奪還作戦は長州藩の流れを組む者としては結構胸が熱くなる話なんですよね。
いつも素晴らしい動画を有難うございます!
前回は宗家、今回、清末藩の殿も出演されたからには次は長府か吉川か…期待してしまいます!
幕末に輝元公直系の血筋が宗家に戻った事は私も常々、不思議な縁と言いますか、徳山小学校に通っていた徳山縁の者として感慨深く思っていたところです。
その件について殿からお話しが出たのでとても嬉しい気持ちになりました。
お久しぶりです‼️
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
ようやく、清末のご当主と対談できました。また、今後も、色々た企画いたしますね。 そして、徳山ならではの、嬉しいコメント、、、、そうなんです。
輝元の血統に戻ったこと、縁のある人が知っていて嬉しい限りです⤴️⤴️⤴️⤴️
ついに藩主対談ですか!非常に楽しみにしていたので、今日TH-camを開いて最初に拝見しました。
支藩主同士ならではのお話を興味深く拝見しました!!引き続き、色々な方との対談を楽しみにしています!!
ご期待に添えたなら良かったです‼️
こちらこそ、引き続いて宜しくお願い致します⤵️⤵️⤵️👮
とうとう実現した他の支藩の方との対談! 「ふぐを食べる会」をうまくキャッチされたんですね。ナイスキャッチです!
清末藩の御当主、どなたかもおっしゃってる通り、ほんとにやさしそうな方ですね。私は下関といえば、子供の頃大洋漁業の鯨博物館に行ったことがあるくらいです。あとデパートとか(笑)。
最近になって、下関にはもっともっと見るところがあることを知りました。今日になって、高林寺も新たに加わりましたしね。次回の旅行は忙しくなりそうです。どうもありがとうございました。
お久しぶりです‼️
はい。とても、柔和で素晴らしい方です。
是非、お戻りの際には、清末も観光ルートに加えてください⤵️⤵️👍
今回も素晴らしい会談をありがとうございました。今度は岩国の吉川家の当主との会談をお願いします
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
はい、タイミングが合えば吉川さんとの対談是非とも企画したいと思います‼️
清末出身です
東京に出てきて30年以上経ちました
たまに帰郷しますが毛利家とか幕末絡みとか歴史に関する場所を下関だけでなく新たにどんどん訪ねて回ってますよ
あと何回帰省できるのかなー
これはこれは‼️
東京が長いと故郷の清末は身に沁みるでしょうね。本当に素晴らしい場所でした。
また、情報があればお願いいたします👍
清末 徳山ともに墓所を維持していくのは大変なことだと拝見しました。そんな事を考えていたらその夜お二人と墓所に出来た蜂の巣を退治する夢をみました。光栄です。🙇 ちなみに我が家の墓所はお寺と東海道線をはさんだ中腹にあり100段近い階段を登らなければならず体力とADLが落ちたら行けない墓所です。こちらも考えなければ…😔
それはそれは、素晴らしい夢を‼️
でも、それにしても貴殿の墓所もなかなかの感じが伺えます。さりとてはのもの。
では⁉️
毛利家に孫藩があった事初めて知り驚きました
これからもたくさんの情報発進よろしくお願いします
そうなんですよ‼️孫藩があったんですね👍️ ご期待に添えるよう頑張ります。
コメントに殿直々の返信もったいなく思います
ありがとうございます
こちらこそです‼️
お見事な編集っぷりです。一つ訂正が、叔父である元知と言うべきところ、秀元と申しておりました。御免なさい。
視聴者としてありがとうございました🙇♂️
清末殿‼️ありがとうございました⤵️
間違えは、ご愛嬌です(笑)
「毛利元晶」様動画内ですがお初にお目にかかります。
小学生の頃に「秋月黒田家」の14代当主に「黒田長友」の名前を名付けて頂いた者です。
「母系」は「毛利一門」の出身と幼い頃から聞かされています。
どうぞ仲良く宜しくお願いします。
@@user-tk5cn1bu5x 様
どうぞよろしくお願いします。
本物のお殿様だったんですね✨
菩提寺は曹洞宗ですか?山門が立派ですね。
数日前にみかけてやっと最新動画みられました。宴会楽しそうで何よりです。また動画楽しみにしてます。
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
どうぞ、これからもご贔屓に宜しくお願い致します‼️
お顔立ちを見ると やはり 御一門同士で有ることが腑に落ちました
いえいえ、私など品の欠片もありませんから‼️(笑)
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
今回の動画は毛利家当主対談ですか‼
対談にも快く応じて下さり、菩提寺紹介やお墓参りなんかも…元昌さん良いお方ですね。ありがとうございます😊
また対談を期待しております😸🎵
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
はい、清末殿は素晴らしい方です。
因みに、彼は上杉さんご存じなので、対談企画してもらいましょう(笑)👍
ガチの殿様は強すぎる
コメント嬉しいです⤴️⤴️ 強いかは別として(笑)
@@mourihistory
時代が時代なら一般庶民はお目にかかれないと考えたら凄すぎますw
常陸宮華子妃殿下も毛利家!
毛利家は強いですね!
良くご存知で‼️ 長府毛利家からですね👍️
清末藩が孫藩とは知りませんでした!
出萩は辛かったんですね(笑)
毛利様、清末様と出演されましたが
ますます大毛利を感じました。
クボタさん‼️いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
そう、異例の孫藩です‼️
なんとか、毛利一族が子々孫々まで残せたらと、その一念です。
元晶さまも今後もレギュラーでよろしくお願いいたします!☺️🙏
今日の御当主同士の会談及び御法要は本当にワクワクいたしました殿!!😉👍
次回は元晶さまが徳山に御訪問ですね!😁
いつもありがとうございます⤵️⤵️⤵️
是非、コンスタントに出演願いたいところです(笑) いずれ、徳山にも来ていただきます👍
貴重な対談を企画して頂き有り難う御座います。ご先祖様も喜んでおられる事でしょうね。また後子孫同士の対談をお願いします。
コメントありがとうございます‼️
はい、きっと草葉の陰で喜んでいると思います。また、企画いたしますね。
お疲れ様です。本日の動画は 殿×殿の豪華御共演でしたね。
山門が凄い印象的な映像でした。
清末の中町地区には「新久保」さんという苗字の農家さんが多いのですが、新久保さんご本のお話ですと、江戸時代に吉田郡山城近くの久保村から毛利家と一緒に清末に来て、久保村からきたから「新久保」の名をご先祖様が名乗ったらしい、との事でした。
毛利家はそれだけ領民に慕われていたのでしょうね。
実は山門、近くで見るともっとカッコいいですよ。独特の形がよく分かります。
お返事ありがとうございます。
自宅から高林寺近いのでなので土日にでも見学に伺ってみます。
実は下関に引っ越してすぐに内藤家(家老職の家柄?)の門見てあまりにも凄い迫力に驚いたのはナイショです
おおお‼️佐藤さん‼️
流石です。なる内藤さんにその日お会いしました。 新久保さんの話もナイスです。
清末殿、返信ありがとうございました❗
早速高林寺の山門を見学してまいりました。
すごい迫力でしたが、最初間違えて「善勝寺」
の方へ行ってしまったのはナイショでお願いいたします。
佐藤さん、、、、
僕も(笑)
素晴らしい
お褒めに預かり、光栄です。
きっと、清末殿も‼️
殿様こんばんは。
清末藩初代藩主
毛利元知公の五輪塔立派やわあ。
毛利秀元公の木像見れて良かったです~。
長清会のいい雰囲気でいつも話が盛り上がってそうですね。
ここでしか聞けない昔の逸話もあるんだろうな。
殿様がいつも
コメントで清末殿とおっしゃって方がこの方だったんだ。
対談楽しく見させてもらいました。
ありがとうございます。
いつもありがとうございます⤵️⤵️⤵️
はい、清末殿の墓石立派でした。
秀元公の木像もかなり年季が入っていて立派な物でした‼️
本当に今回は良い機会に恵まれました👍
親藩普代の藩でも類例のない孫藩の清末藩の成立は面白いですね。俄然秀元公に興味がわきます。今日はサクラ日和だったので、清末領を通り長府までドライブしましたが、まだ清末藩の菩提寺は訪ねたことはありません。陣屋あとや家老宅地や書院は小月に移築されているので数回は清末関係は見学しています。清末最後の藩主は日出の木下家からの養子さんですよね。だから四境の役の石州口の戦いでは清末藩主と慶喜の弟が大将として戦っています。私はこれを関原のリベンジだと理解しています。歴史の妙ですね。
刀禰さん‼️
またまた、引き出しが多い(笑)
そして、奇遇にも行かれたんですね。
清末に、のどかで、素晴らしい場所でした。
そして、木下のリベンジ論。勉強になります‼️へえ😃💡⤴️です。
仰る通りです。秀吉の木下家、そして毛利家が元純という形で融合し、大村益次郎を擁して徳川方を排し、それが口火となって四境戦争を制していく形となりましたね。
@@MouriMotomasa 様 m(_ _)m
ご質問なのですが宗家の元栄さんとは交流はあるのでしょうか?
毛利家が一堂に会する機会があればすごい光景になりそうですね。
山口県民なので「素晴らしいチャンネルだな〜」と思いながら拝見させていただいております。
というか自分の先祖を何十代前まで全て辿れるということが何より羨ましいです。
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
良くご存じですね。
はい。 元栄様は良く存じています。
幼い頃から、良くお会いしております。
なかなか、その辺はご宗家の事情もありお話しできません、、、。ごめんなさい。
同じ山口なんですね‼️嬉しいです。
そうですね、当一族は家柄は別にして、家系は遡ることが出来ます。
その辺が徳川さんと違うかな(笑)
これからも、是非、宜しくお願い致します⤵️⤵️⤵️
@@mourihistory 迅速なご返信ありがとうございます🙇♀️
やはり親戚としてご宗家ともお付き合いはおありなんですね。
戦国武将の血筋ですと子孫の方など数十〜100人規模で集まったりすることがあるということを耳にしたことがありまして、もしかしたら毛利家も…?と気になった次第でしたが答えにくい話題で大変申し訳ありませんでした…!
いえいえ大変素晴らしい家柄ですし、脈々と続いてるというのが何事にも変えがたく良いですよね。
あと名前に「就」入ってるのが格好よすぎます笑
ご丁寧にありがとうございました、こちらこそ宜しくお願い申し上げます。
山口県民として毛利家のことは誇りに思っておりますがなにぶん不勉強ですので、ご当主さまのチャンネルを拝見しながら毛利家の歴史を勉強していきたい所存です。
こちらこそです。
勿論、毛利会と言う巨大な一族会を15年前まで催しておりました。
ただ、元栄様が少し当主になることにお疲れになって、宗家の当主が誰なのか難しいんです、、、。
いずれにせよ、徳山は宗家とはどなたでも仲良くしております。
因みに、僕は元がやはり名前に欲しかったのですが、いまは、気に入っています(笑)
同じ長州人としてこれからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます⤵️⤵️⤵️
お疲れ様です。今回は支藩主同士の対談と書かれており、驚きと楽しみが重なりながらも拝見させていただきました。今回の就慶公も、初登場の元晶公も、神々しいお姿でした。次の配信も楽しみにしています。できれば、長府藩御当主の毛利陽織公や長州藩御当主の毛利元栄公、岩国藩御当主の吉川重幹公、小早川氏御当主の小早川隆治公との対談もして頂けたら嬉しいです。
方々のお名前をよくぞご存知でいらっしゃいましたね。
本当に良くご存じでらっしゃいますね。
元栄様が出てくるとは‼️
はい、なかなか調整が難しい方もいらっしゃいますが、出来るだけご出演願ってみますね。
@@mourihistory 返信遅くなりました。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
清末藩に関しては情報が少なかったので、今回の対談は中々興味深かったです。😊
自分が知っていたのは、三代政苗公の頃から財政が悪化し、四代匡邦公は藩校を建てて様々な改革をしたけども、
やっぱり最後まで財政悪化で苦しんだというイメージですね。😰
高林寺の歴史は存じないのですが、もし清末藩からの援助で立派な寺になったのであればそれはそれでいいんだけども、
清末藩に財政悪化とそれに伴う内部対立をもたらしたとしたら、なんか皮肉な気もします。😱
江戸定府でなく、ちゃんと参勤交代もしたのであれば、徳山以上に石高が少ない上に江戸までの距離が長いので、
(あと出萩もあるし😭)徳山以上に藩の維持が大変だったんだろうなあ・・・と思いながら見ていました。
他の毛利一族と違い、他家からの養子が多いのも、養子が持ってくる持参金目当てなんだろうかとゲスの勘繰りを
してしまうのは自分の悪癖です。😎実態はどうなのかわかりませんが・・・
清末のご当主様、東京からありがとうございました。😊
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
孫藩だけあって、それなりにご苦労も多かったと思います。
江戸大名で一万石の大名は結構多くて、やはり財政は厳しい家が多かったようですね。 そんな、中でも長府や宗家の後ろ楯があったからこそ、格式を保たれたのかも知れませんね。 色々な意味を含めて、清末の歴史もまた後世に伝えていって頂きたいと思います‼️
Wikipediaによると清末毛利家の12代は毛利元喜さんとなっており、石丸家からのご養子さんとの事ですが、元晶さんは元喜さんのお子息でしょうか?
安芸高田市の石丸市長とはどのような関係なのでしょうか?
コメントありがとうございます。
清末の12代は元晶さんになると思います。 元晶さんは、長野の老舗の造り酒屋さんから、養子に入られたと思います。
先代の元茂さんの養子と言う事です。
石丸市長とは、全く縁戚はないと思いますね。
元喜さんは確かにいらっしゃいましたが、その辺は大人の事情という事で。。。
本藩と支藩の関係も一に三ツ星だったんですね。
あ、うまい! その通りですね👍️
毛利殿、長門国清末藩には、最後の第8代藩主の毛利 元純(もうり もとずみ)公は、豊後日出藩の木下家から御養子に来られたのですが、豊後日出藩の木下家は、「豊臣恩顧」の大名の豊臣国松公が藩祖になってます。
コメントありがとうございます‼️
ごめんなさい、返信したと思っいたら出来ていませんでした。 木下藩の事は存じてましたが、清末さんに養子に入られていたのは知りませんでした‼️
殿のダブルコンボじゃあ!
ハッピーセット⤴️⤴️‼️
的な⁉️
うれしい😊
リクエスト頂いてましたものね‼️
遅くなりました‼️
長府新田藩という名前の方が私には分かりやすいです☺️
清末藩は徳山公には鬼門だったと思いますが...仲良くなられて良かったです😅
京都・妙心寺塔頭に蟠桃院は前田(玄以)が創設した寺で菩提寺ですが何故か京における伊達家の菩提寺になっており、玄以の位牌と伊達家の位牌および仙台藩士の位牌がずら~っと並んでおり..高林寺の撮影を見て..その時のことを思い出しました☺️
蟠桃院は前田玄以創設とはいえ、改易以来菩提寺が代わっていますので..仙台藩士の末裔がよくお詣りに来るらしいのですが玄以の末裔が来たのは初めて..ということで物珍しいと..じろじろ見られたのを思い出します😂😂😂
因みに蟠桃院は忠臣蔵の大石内蔵助にご縁のある寺として有名です😅
返信が遅くなりました‼️
え、え、えええ‼️⁉️
ご末裔とは。 五奉行の血が流れてるなんて素晴らしいですね。
いや、菩提寺は色々と変遷を繰り返しますが、玄以と言う男に凄く興味があります‼️
殿、殿に初めてお目通りがかなった(初めてラインをお送りした)時に申し上げておりますぞ😅😅
旧清末藩領の古くからの住民(ほぼ現下関市内)は何故か藩主家をとても誇リに思っていて、そういった気風と言うか土地柄が少し羨ましく感じてしまいます。
宗家から見ると孫藩なのかも知れないけど、江戸時代から長府藩よりも(外から見て)清末藩領の方が堅実な印象が有ったらしい。
ちなみに清末藩領は二箇所に離れていて、余所者にはよく判らない感じ。
いつもありがとうございます‼️
そうなんですね、訪れてみてなんか、凛とした雰囲気を感じました。
確かに、清末の領域の把握は難しそうですね。
今の下関駅辺り、昔の竹崎港は、清末藩の飛び地でしたね。
毛利元晶さん(お殿様にさん付けしていいのかわかりませんが)
コメント拝見してて優しそうなイメージを持っていましたが、実際お顔を拝見してイメージ通りの方だと思いました。
また、長府のお殿様、萩宗家であるお殿様も対談が実現して頂ければ😄
あと、何方がTwitterとかして下さると動画宣伝しやすいのだけど…
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
はい、仰る通りの優しいお殿様です‼️
また、ご宗家も含めて対談したいですね。
そして。Twitter‼️やらないと‼️
ナイスアドバイス👍
@@mourihistory 早速、殿返信ありがとうございますm(_ _)m
ただ、Twitterはアンチも増える可能性大なので、心配でもあります😔
イメージが崩れなくて良かったです、笑笑。
@@MouriMotomasa 本当にイメージ通りの方だと思います!
これに懲りず?また、お時間が合えば、対談して頂いて、名家としてのご苦労された話など聞かせて頂ければ嬉しいです。
こんばんは😊。
遂に第一回殿×殿対談が実現しましたね!
2:21ご存じか分かりませんが、演出が「水曜どうでしょう」の様な感じですね🤣。
清末毛利家の儀式を拝見でき又柔軟に対応された清末毛利家の皆様に感謝します。
9:12 吉宗公の時は御三卿(特に一橋家)て紀伊家が将軍を輩出していたから系統維持には効果があったと思います。
徳山家は水戸家のような感じに個人的には思いますね
毛利家も御三家の様に長府殿、徳山殿、清末殿とお呼びになっていたんですか??
清和源氏の家系について調べていたら「源氏毛利氏」が存在していて発祥の地も毛利さんと同じだと。
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
見てましたよ番組(笑)
呼称に関しては、文献で徳山候、長府候等と書かれているので、恐らく、清末殿と呼んでいたのでは⁉️
そして、源氏の毛利ありますね。
森蘭丸の森家も毛利荘の出で、清和源氏の流れですよね‼️
@@mourihistory さんへ
やはり見ていましたか😊‼️。
毛利さん同士ですから徳川家のように地名ですよね。
清末毛利さんも拝見していたんですね:(;゙゚'ω゚'):‼️
@@mourihistory
「毛利」は古くは「もり」と呼ばれていたらしいですね。
藤姓毛利氏が、森から毛利になったのはその縁もあったと聞いたことがあります。
嬉しいです、萩は大好きなんでチャンネル登録しました。楽しみにしています。
チャンネル登録ありがとうございます‼️
ご期待に添えるよう頑張ります👍👍
僕も萩は大好きです⤴️⤴️
「殿」そして「清末毛利」家様動画拝見しました!
貴重な対談話を視聴できて良かったと思います。
動画を観た感想なのですが、偉大な「毛利秀元」様の話は本当に凄さが伝わって来ると言った所です。
後個人的に思い出した話ですが、自分が「幼稚園時代」にお会いした恐らく先代の当主様だと思いますが「右田毛利」家様は近況はお元気に過ごされてますでしょうか?
自分個人は、気になって仕方がないと言った所です。
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
秀元公は素晴らしいですよね‼️
右田の毛利さんとはいまだに、連絡は取り合っております‼️
「殿」回答ありがとうございます!
ふと、91、92年頃にお会いした母の親戚である「毛利八家」の人が懐かしくなり再びお聞きしました。
関係が良好なら素晴らしい事だと思いました。
久々にお邪魔します。
いつぞか偶然ですが長府藩の菩提寺の歴代当主の墓所を拝観させていただいたのですが構成が酷似している気がしますね。兄弟藩だとやはりそうなのでしょうか…
あとは通常、山口では新田とはつかわない(開作地)ので江戸時代初期は開作とは言ってないのかなと想像したり
それにしても各支藩のご当主様のコラボっていいですね。いろいろなものから情報は知りえても当人たちの実際の声などは聞くことができないので
それでは前回の動画を見つつ次回の動画も楽しみにしています。
お久しぶりです‼️
そうなんです、墓石の感じもそうですし、なんでしょう四面四角のエリアに墓石が並ぶ様は、似てるなと私も思いました。
これからも、色々と対談等考えて参りますので、引き続き宜しくお願い致します⤵️⤵️⤵️👮
お久しぶりです。2月、3月の私の鬼門の月が過ぎ、後はゆっくり運気が回復してくれたらなと思っています。その間の動画全部拝見して、「祈り」という言葉が底に流れていると感じました。その間、WBCがあって、栗山監督、采配スタイルが、敬親公に似ているなと思ったり、、。「部下、を信じて任せる」。優勝は、敬親公が、認められた様で嬉しかったです。そして、清末のお殿様、お公家様の様で、蹴鞠が似合いそう❗️高林寺は、名前は、知ってましたが、行ったことはなかったので、今度、行ってみます‼️近いのに、知らない事が多くていつも学ばせていただいてます❣️
これはこれは、お久しぶりです‼️
色々と大変だったですね。その後のお具合も大丈夫でしょうか。
確かに、敬親公と栗林さん似てるかも(笑)
そして、清末殿の蹴鞠姿、絵になりそう。
是非とも、清末ツアーしてみてください‼️
お忙しい中、返信ありがとうございます。自力で対処しようとしたのですが、目の痛みに耐えられず、眼科にかかった所、視力低下も指摘され、現在は、落ちついてます。本も動画も、なかなかやめれませんが、今後は、少し控えないと、医者から見放されるかもです😢
ところで、彼岸前に実家の、墓掃除に行った折、檀家になってる寺の寺名をみたら、「浄土真宗本願寺派一向山〜寺」と書いてあって、初めて山号が一向山であることに気付きました。祖先が、一向宗だった⁉️今度、法事の折に聞いてみます。
清松藩の元晶と徳山藩の元慶の先祖は毛利 秀元(穂井田 元清嫡男輝元養子)と毛利 就隆(輝元の次男)という存在になるのかな?
清末のスタートは、元知。
徳山は、就隆。
になります。良くお勉強されてますね👍️
清末藩、初代毛利秀元公でござるな、萩藩、初代秀就公、二代藩主、綱広公、良いでござる、綱広公の役やった、俳優サンは、森繁久彌サンでござる、水戸黄門で、やったでござる、萩城の天守最上階から望遠鏡で、のぞくシーン、、見たでござる、面白かったでござる😊
それ、見てみたいでゴザル‼️
現当主が、なんで、お寺さんの藩祖の墓地で、二礼二拍手の神社参拝の儀礼をされているのでしょうか?
コメントありがとうございます。
疑問に思われて当然と思います。
この件に関しては、清末さんの申し分もあると思いますが、私からの意見を申し上げます。
明治維新に、ほぼ全ての大名家は神道に改修いたしました。 なので、勿論、明治以降の御霊に対しては神道でお参りいたします。 が、やはり改修したからには神式でお参りされる方もいますし、それ以前の仏様に対しては、やはり仏式でされる方もいます。 当徳山毛利家の墓地も臨済宗の菩提寺の裏手にありますが、各代によって、お参りの仕方を変えるかどうかは、やはり未だに解らないんですね。
ごめんなさい、こんなお返事で。
次は御本家お願いします
はい‼️お待たせしていてスミマセン。
お殿様🙋もうすぐ登録者5000名になりますね✨何かお祝い🎁🎂企画を催すんですか?
元昌 毛利さんは本物だったんですね✨
関ヶ原の対立が発端で江戸時代は輝元公直系はハブられていたんですね🙎さりげなくチクチクとトゲを刺してましたが、ハブられたお陰で直系が維持できたのかも🤝
このチャンネルのファンですが、もっと登録者数、視聴数が増えても…と思うくらい面白い
いつも、ありがとうございます‼️
お陰様を持ちまして、なんとか5000人の大台に乗りました。そうですねえ、はい。企画は考えたいと思っております‼️
そして、仰る通り。。。
蚊帳の外に置かれたお陰で、珍しく輝元の血が綺麗に残った。物は考えようですね‼️
嬉しいコメントです⤴️⤴️⤴️⤴️
お殿様が親しみやすいお人柄だから、増えたんですよ🙌
私のコメントは江戸時代なら無礼討ちされそうだな🩸とか想像しながら返信してます📩
文録・慶長の役で毛利軍は30000人の軍勢を出兵してますから、登録者30000人を目標🙌はどうですか?
下手な時代劇よりも楽しめますね✨
孫藩。初めて聴きました。
御三家、御三卿とは違うのですね。
いつも、ありがとうございます。そうなんです、、孫藩があるんですね。大きい藩ならあるかもしれませんね。
毛利秀元公は、宰相殿の空弁当と揶揄されますが、豊臣秀吉や徳川家光に気に入られて、片や慶長の役で総大将を任せられ、片や御伽衆となったりと、重きをなした名将だったっんだろうなと思います。
最近、立花宗茂の晩年を描いた「尚、赫々たれ」(羽鳥好之著)を読みましたが、立花宗茂の同朋・盟友として秀元公が登場し、戦国の生き残り組の中でも優れた人物であったのだな、と思いました。
素晴らしいコメントをありがとうございます⤵️⤵️⤵️
秀元公は隠れ無き偉人です、
仰る通り、あの家光が秀元と仲良く出来ることに感謝してる書状が残っているくらいです。 武人として、文人として、藩主として、素晴らしい逸材であったこと間違いありませんね。 また、同期が立花宗茂なんてとこが、カッコいい👍👍👍⤴️⤴️
少し話がズレますが、清末毛利家の墓所は東京都下にもございませんか?
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
私は存じあげないのですが、江戸で亡くなれば、東京の菩提寺に葬られていると思います。 当家も菩提寺が江戸に2つありましたので。
実は、私の墓所の前の区画が、「清末毛利家奥津城」となっています。会津松平の流れを汲む私と因果なものだなと、いつも思っていました。笑
失礼しました。
えええ‼️それはそれは、巡り合わせですね。 色々と過去のこともございますが、ご縁かも知れません。 私もいつか、両方に香華を手向けに参りたいと思います⤵️⤵️⤵️⤵️
良ければ、場所を教えて頂けたら、、、、
清末藩の江戸での菩提寺は泉岳寺になります。
ありがとうございます!
佐藤さん、、、(涙)
お心遣い本当にありがとうございます⤵️⤵️⤵️
気を引き締めて頑張ろうと思います‼️
@@mourihistory さんへ
高林寺と善勝寺あんな僅かな距離に 高林寺=毛利家 善勝寺=大内家
とりっぱなお寺が2つもあって歴史って感慨深いと思いました。
少ないですが、毛利家・大内家の為に使ってください。
供養撮影許可ありがたいです😂
はい‼️本当に貴重な物を撮影させて頂きました🙇
殿、母方が毛利家徳山藩の家臣でした。1番町に土地を御拝領していただいておりました
うわ‼️メチャクチャシンパシーです。
一番町、、、まさにですね👍️
コメント貰って本当に嬉しいです。
これからも、時々コメントお待ちしてますね‼️
@@mourihistory 子供の頃毛利庭園で、よく蝉を取って遊んでました。
防府も行かれてたんですね👍️
私の父方は橘家の末裔です。家紋は丸に橘です。
防府でなく徳山藩です。動物園のそばにありました。
いつも動画拝見しています。
リクエストをします。杉元宣の墓参りをして欲しいです。
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️そして、ご視聴重ねて感謝です。
はい、、、来ましたね。行かねばなりませんね‼️
毛利公爵家とのコラボ待ってます
はい‼️少しお時間下さいね‼️
やはり臨済宗なのですね✨ 当家も臨済宗妙心寺派です。
お久しぶりです‼️ おおやはり、絶対に縁がありますね👍️
伊藤です。清末藩と、聞くと、赤穂浪士と?、所縁が、在りますね。
自分は、愛知県に、住んでます。
尾張藩2代目藩主光友公の奥方様は、赤穂藩姫様だと言います。
伊藤さん‼️コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
赤穂浪士を預かったのは、清末藩の親藩になりますが、関係は深いです‼️
愛知なんですね、歴史の宝庫で羨ましいです。 尾張の2代目が赤穂の姫とは、尾張の方が格上ですね👍️勉強になりました。
@@mourihistory さんへ、伊藤です、調べ直したら、長府藩でした、すいませんでした。
清末の歴代の藩主の方々も同じ血族である徳山のお殿様がお墓参りに来られてお喜びになられてると思いますよ。
嬉しいコメントありがとうございます‼️
そうですね、清末の歴代ご当主がお喜びなら嬉しいですね👍️
@@mourihistory 清末のお殿様が一つ一つコメント返しをされると仰られてたのは本当だったのですね!お殿様からコメント返し頂いて大変嬉しく思います。
私の育った広島市佐伯区に海老山という山がありまして、厳島合戦の時にお城があったところでございます。今も山頂に行くと当時の石垣の名残が残っております。当時の高度な築城技術は凄いなと思っておりました。確か宍戸家がお城の管理者だったかな? なので、当時の宍戸配下の兵士のお墓が今も30基ほど残っております。
これはこれは、とても興味深いお話をありがとうございます‼️
海老山ですね⁉️ いいですねえ。少しでも、当時の息吹が感じられそうで行ってみたいと思います。 宍戸家の管轄だったなら尚更‼️
@@mourihistory その山からすぐ近くの廿日市市には桜尾城(城主が桂家だったので桂公園という名前のはず)というのもあります。 海老山の山頂から厳島が見えます。合戦当時は山というか島だったはずです。埋立地やら砂の侵食やらでだんだんと本土と繋がって山になりました。
当時は陶軍を見張るにはちょうど良い場所だったと思われます。 宍戸配下の兵隊さんのお墓に手を合わせてくだされば元地元民としては格別の感動です。きっと毛利の血筋の方で訪れた方誰もいないのでは?
殿がもしおいでになられるなら中国新聞にご連絡されたらもしかしたら取材くるんじゃないですか?! 記事になれば殿のチャンネルの宣伝になりますよ。なんせ広島は中国新聞がめちゃくちゃ強いですから。
うわー‼️とても、ナイスなアドバイスありがとうございます⤵️⤵️⤵️
桜尾城の事はコメントで頂いていたので、是非、一緒に訪れてみたいと思います。
元就の気持ちで、厳島を俯瞰して見るのも素晴らしいし、何より、先人に手を会わせに参りたいです。
広島毛利藩 徳山のまちづくり は 初代藩主 毛利就隆に 始まります その遺伝子 徳山毛利家 が こうして 令和の時代にも 脈々と 続いていることは 城下町 徳山の 未来トークが 可能ということですね🌹✨ 令和5年 5月 25日 就任 周南市長 前島おさむ が 現実になるよう 周南市長選挙 全力で 頑張って参ります❗ 御指導の程 何卒 宜しくお願い申し上げます🎵
とても、嬉しいコメントをありがとうございます⤵️⤵️⤵️
未来永劫、毛利家の伝統が続けばと思っております‼️
立場上、政治的な旗色は示せませんが、健闘を心からお祈り致します⤴️‼️⤴️👍👍
信長の野望ではいつも上杉謙信を使っていました!
戦闘のパラメーターが強すぎたのです。
申し訳ありません。
解ります。
戦闘力は100ですもんね、
でも、元就の政治力も中々だったかと。
ゴメンなさい、毛利家のご先祖様のお名前がたくさん出てきて、頭が混乱してるよ。
山口に行った時に、いろいろとレクチャーしてね。
よろしくお願いします🙏
福島‼️無理もないよね(笑)
必ず徳山でレクチャーするからね。
こんにちは
と言うことは僕の親戚ですね
ご縁があって嬉しいです👍️
@@mourihistory ありがとうございます
どっちも支藩主なんですね!
はい‼️ どっちも、支藩です。
ご三家とか言ったらカッコいいのですが(笑)