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小カトーは極端ですが、絶対的価値と相対的価値を峻別するのは大事だと感じました
自分の中でなにが大事か自問自答することはものすごく大事なんですが、それに気づいていない人が多いと感じますね
頑張って寿命を迎えられる いいお父さんお母さんのようです 頑張るだけ頑張れば悔いはないですね
親の親が「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」的な根性論世代且つそれを肯定しないと自尊心を保てないような生活してたのか、俺もそのストイックさに良くも悪くも被爆したので義務的禁欲的な思想には共感も同情もさせられます。俺には心を自然体にしてはいけない素直になってはいけないという呪いの思想でもあり続けました。この手の思考は清廉なのは良いけどそれは往々にして表面的な金銭や物質面でだけ達成される事になり、不自然な節制をしている分結局精神面感情面では他人から多くを分捕る事で帳尻合わせをして満たされようとしかねない。私は他人から金をさほど奪ってないんだから私も他人に施す義務など無いというネガティブな思考でケチさを肯定したり、私も禁欲的生活してるんだから他人も不幸を好きになれ、心から望む物事はそれが学問でも異性でも名声でも手にするなみたいな他人の足を引っ張る嫉妬の正当化になりかねない。親父はそういう人でした。ストア派にはその親父みたいな嫌われ者がたくさんいたんじゃないかと想像されます。その中で小カトーみたいな大成者がいた事は嬉しくもあります。実際の人柄はどうか知らないけど自他にストイックなだけの嫌われ者だったら誰もついて来ないから成功してないし庶民としてはお上の欲は少ない方が良い。名門出身でもあるし取り巻きも彼に投資することで儲けたい人もいっぱいいただろうから結局ストイツクな派閥とも言えなかったかもしれないけど、終わりを良くしてない事はそのストイックさも本物だったせいなのかなとも想像されます。取り巻きや国民の欲を受け入れないと、今でいえばある程度右傾化してる政党でないと多くの支持は得られない。誰でもエゴを強く持っているからです。78:22の法則もあるし、ある人は人の本質は8割悪と言っている。カエサルみたいに欲に忠実な人の方が他人の欲も汲み取れる、その欲を満たしてやるために誰かを犠牲にする。他人に犠牲になってもらうためにはそいつらに勝たなきゃいけない。古今東西のどんな集団にも通用するであろう法則です。今の日本で言えば世界平和を謳い他国に募金する人よりも「俺ら日本人なんだから日本の得を考えて何が悪い」みたいな事言ってる人の方が多いし、口には出さなくても本心ではそうだし、自国が富んで欲しいのは結局自分個人が少しでも贅沢したいからだし、それはどんな生物でも基本的に同じ本能でもある。それが行き過ぎると敵を作りすぎる、欲が85とか90とか強すぎると四面楚歌になる。欲が70くらいに少なすぎると精神的物質的の最低限の快楽も満たせなくて人が離れていく。エアコンも車もスマホも要らんよって男と結婚したがる女はいないでしょう。そういう事を言う男ってだいたい稼ぐ力が無い事を肯定するため物欲は悪みたいな思考でいるし、物質的にもそこまで節制したがる人は精神面でも例えば陽にあたって気持ちが良いなーみたいな自然で金かからない楽しみすら否定したり或いは他人から金を奪えない代わりに心を奪おうとする。自慢してマウントとって満たされようとかですね。そんな男と結婚したら妻自身は我慢できても子供の教育に良くないしその尻拭いも一生させられる羽目になる。金も時間も心も労力も100持ってたら22は他人のために施して分け合って心を満たそうって自然なバランスを保てる人は稀です。30与える人はそのやせ我慢に耐えられなくなったり被害者意識持ったり、40与える人は自虐的になりすぎて周囲にネガティブオーラ振りまいてる事が多い。欲を抑えるのではなくまず十分に満たしてからでないとそれ以上は自然に望まない状態にならない、他人に心を与えられない。当時のストア派政治家も実際にストイックだとは限らず看板として利用しただけの人もいただろうけど、小カトーは幼少期にそれなりに不遇時代があったらしいので、人が持ってるものを持たない自身を肯定したくてストア思想支持者になったのかもしれないなと思いました。麻布に住んでて周囲の貴族はみんな庭に一千万以上の外車飾ってるのに自分だけ車持ってない感じ。ローマ全体で見たら十分恵まれてる方だけど多少の劣等感や虚無感、自身の家系に対するプライドみたいなのがあったんじゃないかと。一方アントニヌスは完璧なイメージ。
小カトーは極端ですが、絶対的価値と相対的価値を峻別するのは大事だと感じました
自分の中でなにが大事か自問自答することはものすごく大事なんですが、
それに気づいていない人が多いと感じますね
頑張って寿命を迎えられる いいお父さんお母さんのようです 頑張るだけ頑張れば悔いはないですね
親の親が「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」的な根性論世代且つそれを肯定しないと自尊心を保てないような生活してたのか、俺もそのストイックさに良くも悪くも被爆したので義務的禁欲的な思想には共感も同情もさせられます。俺には心を自然体にしてはいけない素直になってはいけないという呪いの思想でもあり続けました。この手の思考は清廉なのは良いけどそれは往々にして表面的な金銭や物質面でだけ達成される事になり、不自然な節制をしている分結局精神面感情面では他人から多くを分捕る事で帳尻合わせをして満たされようとしかねない。私は他人から金をさほど奪ってないんだから私も他人に施す義務など無いというネガティブな思考でケチさを肯定したり、私も禁欲的生活してるんだから他人も不幸を好きになれ、心から望む物事はそれが学問でも異性でも名声でも手にするなみたいな他人の足を引っ張る嫉妬の正当化になりかねない。親父はそういう人でした。ストア派にはその親父みたいな嫌われ者がたくさんいたんじゃないかと想像されます。
その中で小カトーみたいな大成者がいた事は嬉しくもあります。実際の人柄はどうか知らないけど自他にストイックなだけの嫌われ者だったら誰もついて来ないから成功してないし庶民としてはお上の欲は少ない方が良い。名門出身でもあるし取り巻きも彼に投資することで儲けたい人もいっぱいいただろうから結局ストイツクな派閥とも言えなかったかもしれないけど、終わりを良くしてない事はそのストイックさも本物だったせいなのかなとも想像されます。取り巻きや国民の欲を受け入れないと、今でいえばある程度右傾化してる政党でないと多くの支持は得られない。誰でもエゴを強く持っているからです。78:22の法則もあるし、ある人は人の本質は8割悪と言っている。カエサルみたいに欲に忠実な人の方が他人の欲も汲み取れる、その欲を満たしてやるために誰かを犠牲にする。他人に犠牲になってもらうためにはそいつらに勝たなきゃいけない。古今東西のどんな集団にも通用するであろう法則です。今の日本で言えば世界平和を謳い他国に募金する人よりも「俺ら日本人なんだから日本の得を考えて何が悪い」みたいな事言ってる人の方が多いし、口には出さなくても本心ではそうだし、自国が富んで欲しいのは結局自分個人が少しでも贅沢したいからだし、それはどんな生物でも基本的に同じ本能でもある。それが行き過ぎると敵を作りすぎる、欲が85とか90とか強すぎると四面楚歌になる。欲が70くらいに少なすぎると精神的物質的の最低限の快楽も満たせなくて人が離れていく。エアコンも車もスマホも要らんよって男と結婚したがる女はいないでしょう。そういう事を言う男ってだいたい稼ぐ力が無い事を肯定するため物欲は悪みたいな思考でいるし、物質的にもそこまで節制したがる人は精神面でも例えば陽にあたって気持ちが良いなーみたいな自然で金かからない楽しみすら否定したり或いは他人から金を奪えない代わりに心を奪おうとする。自慢してマウントとって満たされようとかですね。そんな男と結婚したら妻自身は我慢できても子供の教育に良くないしその尻拭いも一生させられる羽目になる。金も時間も心も労力も100持ってたら22は他人のために施して分け合って心を満たそうって自然なバランスを保てる人は稀です。30与える人はそのやせ我慢に耐えられなくなったり被害者意識持ったり、40与える人は自虐的になりすぎて周囲にネガティブオーラ振りまいてる事が多い。欲を抑えるのではなくまず十分に満たしてからでないとそれ以上は自然に望まない状態にならない、他人に心を与えられない。当時のストア派政治家も実際にストイックだとは限らず看板として利用しただけの人もいただろうけど、小カトーは幼少期にそれなりに不遇時代があったらしいので、人が持ってるものを持たない自身を肯定したくてストア思想支持者になったのかもしれないなと思いました。麻布に住んでて周囲の貴族はみんな庭に一千万以上の外車飾ってるのに自分だけ車持ってない感じ。ローマ全体で見たら十分恵まれてる方だけど多少の劣等感や虚無感、自身の家系に対するプライドみたいなのがあったんじゃないかと。一方アントニヌスは完璧なイメージ。