出雲族が大和に移住した理由 出雲口伝 富神社 神魂神社は出雲王宮 阿須岐神社の味耜高彦 東出雲王国の中心地阿太加夜神社
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- เผยแพร่เมื่อ 28 พ.ย. 2024
- 出雲には口伝が残ります。#出雲口伝
出雲王国の末裔とする富氏がそれを伝えます。
記紀とは違った出雲王朝の歴史を語り伝えています。
富氏が出雲大社造営の時、移ったとされる #富神社
古代出雲王朝の王宮だったとする #神魂神社
東出雲王国の中心地であったと思われる #阿太加夜神社
八千矛王と多伎津姫の子の味耜高彦を祀る #阿須伎神社
画像は昨年2023年の神有月に参拝したものです。
伝承の日本史 出雲と蘇我王国など 富氏の口伝本を引用しています。
音楽
もっぴーさうんど
NOIR dova-s.jp/bgm/...
星降る空 dova-s.jp/bgm/...
無垢な気持ち dova-s.jp/bgm/...
カーテン dova-s.jp/bgm/...
木漏れ日 dova-s.jp/bgm/...
お借りしています。 ありがとうございます。
関連動画 よければご覧ください。
この動画の続きです。↓
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素晴らしい動画ありがとうございました。私の生まれは奈良県奈良市登美ヶ丘という場所でした。すぐ近くには万葉集にも登場する秋篠川という川が流れており、私は登美ヶ丘中学校、登美ヶ丘高校を卒業しました。隣町には近鉄線の富雄という駅があり、よく遊びに行ってました。その富雄では富雄丸山古墳があり縦型銅鏡が発掘されて有名になりました。私が幼少期から過ごしていた地が、遠い昔、出雲から渡ってこられた神様の一族がお住まいになられた場所だったことを知って、胸が熱くなりました。
富雄丸山古墳現地公開の折、近鉄線の富雄からバスで向かいました。わくわく浪漫溢れました🌸
富雄川が流れとても、いいところですね😊
こちらこそ、観て下さりありがとうございます!
コメントとても嬉しいです🌸
出雲口伝の動画が
最近沢山、出るようになりましたが、
IRIS さまのこの動画に
とても感動をおぼえるのは、
眼差しがとても温かいからです。
柔らかな陽射しに
包みこまれる感じがしています。
配信、ありがとうございました。❣️
そう思っていただけて、大変うれしいです😊🌸
こちらこそ、ありがとうございます🌈
このお話はすごい。
一度では理解できず頭にも入らないので、何度も聞かないといけないですね。
ありがとうございます🌸
とても嬉しいです😊😊😊
だいぶ前になりますが神魂神社と奥宮の出雲大神宮にお参りました。
富家の宮殿に始まり物部東征で千木が変更されたりと長い歴史が凝縮された神社でした。
ただ佇まいは浮世の争いとは離れ、落着いた神威で包まれるようなお社でした。
神域が繋がれ、今も参拝できるのは、深く感銘しますね😊
ありがとうございます🌸うれしいです!
己の中に感じる、縄文の魂を信じる者です。最後、『出雲の民は戦いを好まず、柔軟に生き残った』というくだりが、作られた歴史ではない魂の系譜における出雲の正当性を表していると感じました。
教えて頂いた神社と、修学旅行で見た宍道湖のこの世のものとは思えない美しい夕日の自然に遭いに、ゆっくり出雲を旅したいと思います。
ご視聴ありがとうございます😊
縄文魂は、平和に繋がりますね🍀🌈
コメント、嬉しく思います😊💫
@TT-ud5xr様😊😊😊
地元民ですがおもしろかったです!
富は今でも地元民はトビと呼んでます
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
ありがとうございました。古史古伝、口伝書を読めば読むほど難解度が増し
妄想が広がりとどまりません^^ もっと現地で感じ取り語り部様のお話とかも聞きたいです^^
神社に行くと神様が語ってくれるんです。
言葉なしに気寄り添ってくれます。
不思議な感覚です。💦
いつもありがとうございます😊🌸うれしいです!
「記紀」「風土記」創作神話物語を基にした、観光地や伝説地が中世以降に山ほど作られた。戦前までは真実の歴史を公表することはゴハットだったようです。民主国家となって80年、日本の古代史の実相を知るべきでしょう。しかし
外圧力は強い。
また新しい話を聞かせていただきました。
こちらこそ、ありがとうございます😊🌸
正確な口伝ですね。
都にも伝わってます。
コメントありがとうございます😊
嬉しいです🌸
素晴らしい動画です、
音楽が高過ぎませんか?
ありがとうございます😊
はい🌸
国造りを調べております、たいへん為になりました
太陽と巨石と蛇を信仰する縄文は古代インド文明と交わり
神代文字等の文明をつくりだしたのかもしれませんね
出雲族はインドから来たと言われていますものね。コメントありがとうございます😊
大変嬉しいです🌸
最近は、出雲大社そのものに疑問をもっています。周りの古い神社の事を教えて頂き有り難うございます❤
視点によって歴史は変わりますね😊🌸
コメントありがとうございます!
とても嬉しいです!
先日亡くなった叔父の家紋は
二重亀甲花剣菱。。地元は秋田です。
隠す為に苗字を変え宗教を変えてと
先祖代々色々とあった様です。
明治になると男子は直径♀からじゃないと命を守るため、遠縁に養子に出されたりと、家系図がおかしな代に突然現たりと。。日本は封印の繰り返しだったと思います。
そういうことがあるんですね💦
貴重なお話をありがとうございます🌸
嬉しいです😊
日本史における大きな出来事は、出雲王国の誕生と、徐福の渡来、この二つの出来事から始まっている。という、大元出版の出雲口伝ー伝承の日本史ーに書かれている出来事は、単なる山陰の一地方、出雲の旧家である「歴史の家」と呼ばれた事代主が生まれた出雲東王家向家・富家に伝わる口伝の枠組みを超えて、正史である記紀の中に精巧に計算され仕込まれた矛盾という暗号に気づく事で、日本史の概要を伝えてくれています。
それが神話などでなく、実際に起きた歴史か否かは、時系列の整合性は当然として、それ以前に、内容を知った時から肌感覚でゾクゾクする量からも推測することが出来ます。たぶん実は皆さんの輪廻転生してこられた遠い記憶の底の方に密かに隠れているものと思います。
真実はどんどん一緒に伝えていきましょう。
今後の続編もどうぞよろしくお願いします。
ありがとうございます🌸
嬉しく思います😊
@@irisyell6626 様、
投稿されてからまだ2週間なのですね。その間に様々なお考えの方がおられるのが
コメントから伝わってきます。
日本と言う国は、面白いです。
@@nihontaro9
僕も晩年の司馬遼太郎氏の記述による古代出雲王国の末裔の方である産経新聞社の司馬遼太郎氏の上司の方がポロッとこぼされた言葉のくだりがずっと気になっていた一人です。
出雲の国の最東端の安来市民です。
@@実重富明-x3d 様、
w氏のことですね。副編集長だったらしい富當雄氏がなぜw氏とされたのか、謎ですね。
わが家の家紋が亀甲紋で江戸時代以前の御札に出雲大社の御札がたくさんあります。遠い昔に出雲から来たという伝承がありますが詳しいことは分かりません。ただ、何となく出雲族の末裔なんだろうなという物証がたくさん残っています。曽祖父の生家も亀甲紋の中に花菱、出雲大社の神紋によく似た家紋でした。曽祖父の旧姓は三輪。我が家も曽祖父の生家も何かから逃れてきたかのように不便な山間部に家があり自らの身分を隠すかのようにひっそりと暮らしていたようです。
古代からの繋がりを感じます。
貴重なお話をありがとうございます。
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
あだかや神社は「今宮」地に、あじき神社は川の西「元宮跡」にそれぞれ在ったと伝わるので、そこで住んでいた可能性が高い。
そうなんですね。情報ありがとうございます。
とても嬉しいです🌸
福井県の九頭竜川近くにかんなび山古墳があるそうです、周辺は継体天皇ヲホドノ王が即位前治めた地域でもあります。石川県能登の国引き、越の国は出雲王朝の一部だという推測もできますね
継体天皇ヲホドノ王の存在も神秘ですね。
ヌナカワヒメが八重事代主神に輿入れをし、繋がりましたね😊
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
戦いを好まない出雲族・・・。世界が大きな和になりますように🩷
平和を祈ります。
ありがとうございます😊、
秦の始皇帝の時代だと前221あたりになりますね、徐福を饒速日命、火明命、とする説がありますが時代のズレが大きいように思います。徐福は秦の時代の人でないか徐福の子孫が時代を経て饒速日命と名乗っていたか。あるいは長髄彦の君主とされ生駒山に降り立った饒速日命は長髄彦と同時代ではなかったか。いずれにせよ興味深い内容ばかりで発見も多い配信に感謝しております!
ありがとうございます😊
今の歴史から矛盾点はあるかと思いますが、視点の違う歴史を出雲口伝は伝えて下さっています。
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
天冬衣命(天葺根命、天布由伎奴命)は、日御碕神社の宮司家の先祖ですね。能登國の重藏神社、紀伊國の日前國懸神宮、肥前國の牛尾神社にも祀られています。
そうなんですね😊
ありがとうございます!嬉しいです🌸
古代史を研究しているものです。大和の国の成り立ちに特に興味を持っています。葛城山の東西に住み着き、力をのばしたのが、出雲系の氏族であったことは、わたしの中でも把握していました。そして、その中でもトミ氏が中心勢力であったことは、神武天皇が大和入りした時、立ち向かったのがドミのナガスネヒコだったことは、それを裏付けています。このトミ氏は北九州から物部氏を引き連れて大和を制したニギハヤヒノミコト(天照國照彦天火明櫛甕玉ニギハヤヒノミコトの尊)に妹を嫁がせ大和の国を実質支配していたようです。しかし、神武天皇が大和入りした時にはこれに服さず、戦って破れしまいました。しかし、このトミ氏に注目すれば、初期の大和の国が出雲勢力によって築かれたことは、口伝とも一致します。それにしても、出雲に入り込み、王権を奪ったのが徐福だったとは、そしてその徐福がスサノオだったとは、、、
ご視聴ありがとうございます。
富家の当主の口伝によると、徐福は記紀では和名で書かれているといいます。驚きますね💦
コメント、とても嬉しいです🌸
正高さま
出雲の伝承では、
ナガスネヒコとは
【四道将軍の大彦】であると
記されています。
神武天皇とは
初代大王・海村雲と
九州の物部勢の
2回の東征とを合わせて
日本建国の理想を込めて
創作されていると感じます。
淡路島から熊本、沖縄と太陽信仰を拡大したアマテラスと、東に向かい大地を統べようと試みたスサノオの一族の末裔同士が兄妹喧嘩をしてると神話にする事で、縄文時代からの混血してきたルーツがその邪馬台国辺りの時代で凄い密度の濃い歴史の変改が合ったと思います😊
人類史と脳科学を学ぶ者ですが、趣味で考古学初めてペトログリフとカタカムナの右脳的言語と、左脳的言語の楔形文字になった経由と、カルデラ大噴火が大きいのではと色々学んでいたらいつの間にか、神道、淡路国産み神話、琉球王国、アイヌやツクヨミ一族(アヒル文字)の歴史の背景は何処にと学ぶようになってました😊
現在🇨🇦での生活を終えて日本で熊本や淡路島、沖縄や四国北海道の可能性を深掘りしたいと思っているので、貴方のような人に出会えるといいな😊
私も凄い共感する兄弟ゲンカの説明ありがとうございます!
研究頑張ってください!
済みません、少し補足させて下さい。出雲の伝承だと、大和に二度目の東征をした人達は、饒速日が率いた東征軍ではなく、似ていますが、饒速日の子孫の物部氏と、宇佐豊国連合軍の様です。その伝承では、饒速日の徐福が渡来した時は、B.C.220〜219年とされ、宇佐神宮の姫巫女が魏に朝貢し、饒速日子孫の物部氏第11代イニエ大王垂仁天皇が第二次物部東征したのがA.D.3世紀後半と書かれています。饒速日自身は、大和には来てはいない様で、また、一度目の渡来では出雲王家に入り込めた様ですが、二王暗殺教唆が発覚し、秦に逃げ帰ったと書かれているので、王権が奪われた事はなかった様です。ただ、部下の穂日は後に出雲国造家となっていますので、その意味では王権を奪われたとも言えるのかもしれませんね。
済みません、少し補足させて下さい。出雲の伝承だと、大和に二度目の東征をした人達は、饒速日が率いた東征軍ではなく、似ていますが、饒速日の子孫の物部氏と、宇佐豊国連合軍の様です。伝承では、徐福が二度目の饒速日で渡来した時は、B.C.220〜219年とされ、宇佐神宮の姫巫女が魏に朝貢し、饒速日子孫の物部氏第11代イクメ大王垂仁天皇が第二次物部東征したのがA.D.3世紀後半と書かれています。饒速日自身は、大和には来てはいない様で、また、一度目の渡来では火明として西出雲王家大国主八千矛の娘高照姫と結婚し、出雲王家に入り込めた様ですが、二王暗殺教唆が発覚し、秦に逃げ帰ったと書かれているので、王権が奪われた事はなかった様です。ただ、部下の穂日は後に出雲国造家となっていますので、その意味では王権を奪われたとも言えるのかもしれませんね。
2024年5月30日(木曜日☀8時08分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩
こちらこそ、ご視聴ありがとうございます😊
コメントも嬉しいです🌸
@@irisyell6626 ハーイ🤗ありがとうございます🙇♂🙏
187代・富村雄は明治初まで大社町杵築に住んでいた。西郷たかもりと共に会津討伐の参謀長を務めた。先祖は716年正月に神門家と出雲大社を創建している。日本最古の出雲王国家です。王家の伝承史を是非研究して見れば、古代史が良く分かります❗
ありがとうございます😊
内容、動画、ナレーションも最高ですがBGMがうるさくて落ち着けませんボリューム下げてください、大変残念です😢
これから参考にさせていただきます。
コメントありがとうございます!
大変うれしいです😊🌸
感服しました。
出雲の口伝を解説していただきありがとうございます。
深いです。
記紀に記された神々が誕生する以前のお話です。
王国の流れはインド由来の系統を本流(嫡流)として徐福渡来により派流(庶流)を生みました。
〇〇氏の多くは庶流出雲です。
源流にインドの神様がおられます。
しかしながら島国には自然の摂理を崇めたであろう信仰も存在していたと思われます。 その頃は神様はまだ生まれてません。
まだまだ妄想解釈ありますが…
あらましが共有できてうれしいです。
今日 仕事でしたので
帰宅して またゆっくり拝見します。
日本には縄文人がいた。解明されてきましたが謎が多いですね。
深く神秘な国。
こんなお話ができてうれしいです!
お仕事お疲れ様です。
ありがとうございます🌸
あいやー!
視聴回数!
コメント欄の賑やかさ!
出雲のあらましの入口にこんなに反応が…
地味に神社を巡って好きな神様を辿る姿勢に共感してきました。
好奇心と探究心がここへ導いてくれました。
ホントうれしいです。
チャンネルの始まりは古事記です。 様々な好奇心を生みました。
今日ある皇統継承の意味。
八百万の神の系譜。
各地に残る口伝伝承にまつわる神様の存在と篤い信仰。
地道な神社の紹介でたくさん教えて頂きました。
ありがとうございます。
本編のスサノオと徐福を同一とする説はあくまでも今回の口伝に基づくお話と捉えています。 謎多き神様スサノオです。
関連はぬぐえませんが時代考証からするとやや無理があります。
徐福は実在したとする人物です。スサノオは古事記に登場する神様です。
徐福をモデルとした神様はニギハヤヒあるいはホアカリと考えています。
スサノオは宇宙人? いや帥升かその役職と捉えています。 大陸との交易権を牛耳る連合商社の社長さんではなかったか… 妄想ワールドのキモです。
ここしばらく神社巡ってません。 古墳とか博物館が主になりました。
初心に帰って神社お参り再開します。
そうそう今日はカミさんのリクエストで銭司聖天お参りです。 金運の御利益アップが目的との事。 やれやれ…
我が国最古の貨幣 和同開珎ゆかりの地へ いざ!
神社が好きで💛動画まで作っています💦
いろんな伝承は浪漫ですね😊聴くと違う世界に誘ってくれます🌈
楽しいです🌸
銭司聖天お参り、金運の御利益。素敵です!
そう来なくっちゃ!
おきをつけて😊いつもありがとうございます😊🌸うれしいです
@@kyupytarouさま
出雲口伝を
ご存知の方と思いましたが、
徐福がニギハヤヒであり、
ホアカリであることは、
出雲口伝そのままでは
ありませんか?!
出雲口伝では、徐福は
最初に出雲に渡って来たとき、
ホアカリと名乗り、
その後、九州に再来日したとき、
ニギハヤヒと名乗ったと
伝わっています。
ホアカリもニギハヤヒも
実在の人物として
扱っているわけですね。
ですが、スサノヲという人物は、
出雲口伝には登場しないのです。
出雲口伝では、
「正史によって、
徐福の行いが
スサノヲに被せられた…」
と説明されています。
ニギハヤヒも
ホアカリも存在するけれど、
スサノヲはいなかった…
と書かれています。
スサノヲを作ったのは、
出雲口伝ではなく、
正史です。
要するに、
エネルギー体なのだと
理解しています。
時空を超えて、
多くの神話に登場します。
多くの人に被せられていると
感じます。
日本神話においては、
出雲口伝が言うように、
徐福に被されたとともに、
初代出雲王の
須賀八耳王にも被せられています。
(これはわたしの妄想ですが)
@@mayumi3300
返信ありがとうございます。
ご指摘通り出雲口伝を参考にさせていただいております。
あらましを理解するのに出雲口伝は大変貴重です。
当方のスタンスというか興味の元は古代のあり様を思い描く事です。
記紀も出雲口伝も当チャンネルも皆さんのコメントもその材料にさせていただいております。
当チャンネルで偶然見つけた神様の名前が出発点です。動画の神社へ行ってその土地の信仰心に心動かされました。
そこからいろいろ時代背景なり勢力の変遷が見えてきました。
それらは自身の妄想解釈です。妄想ワールドです。
正解も不正解もありません。
他のチャンネルの様々な説も同様に参考にさせていただいております。
基本は自身の妄想解釈の構築です。
すべての信仰 すべてのご意見を尊重します。
とくにこのチャンネルはきっかけをいただいた大切なよりどころです。
コメントひとつひとつ大切と思っています。
長文になりました。
今後もよろしくお願いします。
現在の富神社に、冬衣が祀られているのは、先代の花田宮司家が命がけで守ったからです。それにより千家によって冬衣が消されずに済みました。
現在の管理者の春日家は、大山の宮司家と親戚関係となっています。確か、花田元宮司のお姉さまだったかと。
そうなんですね😊🌸貴重なお話ありがとうございます!
とても嬉しいです。
BGMの音量を少し下げて頂ければ、 ナレーションが聞き取りやすくなると思います。
ありがとうございます。
一緒に住んでいた田心姫と夛岐津姫は、その後米子市宗像町宗形神社地に移住して最後を迎えたと、伝わる。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
大変よくまとまった興味深い動画ですが、天冬衣(⑦大国主)・田心姫ー高照姫・天火明命ー五十猛(天香語山命)という系譜じゃなかったかな?八千矛は➇代目大国主。
ありがとうございます😊
丁寧に解説頂き有り難うございました(* >ω
ありがとうございます🌸
とても嬉しいです。
IRISの神社YELLさん お久しぶりです。出雲の口伝にまでたどりつきましたか?素戔嗚が徐福だったとは、、、、。まだ、当惑しています。天照は誰?神武は誰?
コンニチワ
小説より奇なりです💦😊😊😊
古代も、世は素晴らしい!😊
恐れながら💦みんな懸命に世を家族を我を想い懸命にいきています!
アマテラスは。神武は。ひそやかな空想が広がります😊
ありがとうございます🌸うれしいです!
やっとここに
たどり着き、
お越し下りました。
第七代。
天冬衣命。
は
富家の御当主。
第八代。
八千矛命。は、
郷戸(神門)家の
御当主。
八千矛命の御代の
副王。少名彦(また、言治主(コトシロ主))は
天冬衣命と
宗像の多岐理媛命(出雲王国第7代王后(皇后))
の嫡継子、
八重波津身命
(所謂、大物主神。
事代主神。
少名彦名命
(手間天神)。
ほか)
出雲王国は
初代、菅の八耳命と
同王后、稲田媛命の
お二人の御子がそれぞれ独立して王家を建てられて
それが、富(トビ)家(向家)と郷戸(神門)家。
この際、重要な取り決めを交わされました。
2つの王家は上下尊卑はなく同等。
2つの王家の当主の内、
年長者が出雲王。
大穴持(オホナモチ)に
他方の年少の当主は
副王。少名彦(言治主)に
それそう就任すること。
(副王である
少名彦は
出雲軍を統帥して
軍事警察権を照覧する。
また、外交を担当して、なるべく武威に頼らず言論による説得(【言向け】)によって出雲王国を拡大させる事)
@@森岩光 さま
たどり着きました💦
何故か、山窩にも惹かれます💦
何度もコメント下さり、ありがとうございま嬉しいです😊😊😊
@@irisyell6626
サンカ。
山窩。
ではなくて、
出雲散家。
又は、散自出雲。
元出雲王家を総元締めとする
秘密諜報機関。
元々は
3世紀末の出雲王国滅亡~
東征した物部イクメ大王、
垂仁天皇(リアル神武)の
大和平定~即位に絡み、
共に東征した連合軍内の
軋轢~仲間割れにより
出雲王国を滅亡させた物部王家が
亡国の当主、富太田彦(王)
に救援を求めて、
富(トビ)太田彦さま(皇室直系祖先)が
名を富(トビ)から野見に変えて
義勇軍を募集すると
たちまち大軍となり
野見太田彦さまは義勇を率いて大和に急行、、、
この義勇軍に参加した
出雲人らが後々、
出雲散家の祖となった。
物部イクメ王(母親は阿多津媛)とは異母(豊玉媛。所謂、女王卑弥呼)弟妹の
豊国、
宇佐豊彦王(豊来入彦)と
宇佐豊媛命(豊来入媛命(豊鋤入媛命に改ざん))
と(一方的な仲違いして)
物部王家軍に編入された
元出雲義勇軍を
イクメ王に豊国宇佐軍を大和王国が退去、対峙する丹波の氷上に行かせ
せっせと掃討に勤しんでいる背後から
いきなり攻撃させた。
豊国軍は当初、さすが兄上。援軍を寄越してくれたと悠長に構えていたから不意を衝かれて
一溜りもなく、
混乱🌀😱
算を乱して退却を余儀なくされてひとまず
丹後に駐留した。
更なる追撃を受けて伊勢~東海地域に退去。
同地域にあまたある
豊の付く地名は
豊国宇佐軍が居た名残だとか。
元出雲義勇軍の物部軍は
豊国宇佐軍を執拗に追撃し続けて
関東平野にいたり
出雲の祖神、幸の神信仰の神々を祭ったのが
関東平野に集中的に点在する氷川神社群(200社以上)
獲物(笑)の豊国宇佐軍も関東の上毛野(群馬)に至った時、
物部王朝が僅か三代で瓦解、滅亡した事から
関東に入っていた元出雲義勇軍(の子孫たち)
は解任されて
漸く遥かなる故郷の出雲に帰郷することが叶った。
しかし、めでたしめでたしとはならず、
あまりにも長期間(数世代)に亘り
出雲を留守にしている間に
家屋敷、土地や財産は既に他人のモノとなっていて
念願の帰郷を果たした人々に居場所はなかった。(大泣。)
仕方なく、再び出雲を後に全国各地に散って行かざるを得なかった
彼らを出雲散家。
また、散自出雲と呼んだ。(サンカの発生)
この際、東出雲王家を総元締めとする
出雲王国時代さながらの情報諜報組織が
再編成された。
サンカは秘密諜報機関。
傘下には各地の忍者集団ほか。
楠木正成(楠木党)や
豊臣秀吉さま。
若い頃はその下部構成員だった(秀吉さまが情報戦略に長けていたのはサンカの情報網を上手く利用できたから?)
@@森岩光 様、
横から失礼いたします。
出雲の口伝、後の世に残したいものだと思います。
今後とご指導をよろしくお願いいたします。
徐福(BC3C末)=ホアカリ・ニギハヤヒ(AD1C)というのは疑問に思います。両者とも徐族(→扶余)系譜だとは思いますが、両者は明らかに別人ですし・・・
出雲口伝では、そのように💦
ありがとうございます😊
@hoakarikusitama6573様、
徐福は出雲と北九州に渡来したときに、
それぞれ和名を彦火明と饒速日と名乗っている。とされています。
饒速日は、古事記では、神武東征における大和の豪族として、
日本書紀では、神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり
天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の
河上哮ケ峯(いかるがみね)の地に降臨し、その後大和国(奈良県)に移ったとされています。
記紀では神武東征に登場する神ですが、
出雲口伝では、神武東征は、第一次物部東征と、第二次物部東征を神武東征として神話が作られた。
と書かれています。
なので、日本書紀では、饒速日は、神武東征が行われたとされるB.C.667年よりも以前とされ、
記紀には具体的な年代は書かれていませんが、
出雲口伝では改名前の徐福の渡来が、B.C.220~同219年と年代の開きが出ています。
その年代の違いが正しいかどうかは、徐福の渡来を記紀はそもそも意図的に書いていないので、
何とも言えないと思います。
何故か徐福が出てきましたが
信憑性はどうなんでしょうね?
他の地域に較べて、この地は「出雲大社」だけが世に出ていて
他の神社や伝承など全く知られていませんので、
この動画のようなものはもっともっとあってもいいと思います。
出雲口伝からですので、正史とは異なります。
歴史を見つめるのに違う角度から見えるものが・・・・・・
自分の歴史観に、感覚的に受け入れれるかどうかですネ😊💦
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
@@irisyell6626 返信ありがとうございます。
歴史時代になってからでも
歴史ってどう見ても、一つの見え方で繋がってはいませんよね。
太古ならなおさらで
歴史をどちら側から見るかで
地方により、出て来るものが違っていることの方が自然ですし、
私の主観的な見方ですが、どちらもあり
なのではないかと思いますね・・・
出雲って知られていなさすぎですよ!
昨今では、出雲は阿波から移ったなんてことが、なんか阿波説から出てますし・・・
こっちから行ったのか来たのか?
個人的にはどっちでもいいですが?
もっと発信をお願いしたいですね・・・
@@peaojaru3626様
ありがとうございます😊
柔軟に感じていきたいですね。
とても嬉しいです🌸
すごいな! 日本書記はあくまで朝廷の記録だから、出雲のことはやはりこちらの方が正しいと思うな
はい😊
ありがとうございます😊🌸
それに最近読んだゲノム研究の本でも、出雲には縄文人、現代日本人とは異なる別の枝が少し伸びてたって書いてあったから、関係あるかもって思った!
@@俊樹横田-w7b 様 そうなんですね🌈
事代主神は恵比寿さん。
国譲りの時には柴の木に変身して逃げた。
闘おうとした、建御名方神の方が出雲王朝を護ろうとしたんよ。
ホーランエンヤは豊後高田市も若宮八幡宮のお祭り。
宇佐神宮の若宮八幡宮と同様の位を持ってます。
宇佐神宮の本来の名は
(弥勒寺宇佐宮)です。
なんと、伽藍神が祇園社で、須佐之男と天照大御神が同時に祀り、
鎮疫祭の神さんです。
宇佐神宮と出雲王朝は関係ありでしょ?。
教えてください🙏
色々な見方や口伝、説があります。
出雲口伝とは違うみたいですね。
出雲の伝承では筑紫は2世紀まで物部王国だったそうです。
ただしいろんな説がありますので、ご自分の想い次第と思います。
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
最近の動画で出雲口伝と称した「マガイモノ」チャンネルを良く見かけます。研究不足か意図的なのか分かりませんが、出雲王家190代の方に失礼だと思います。特に創作神話物語をミックスさせて、面白おかしく興味を引かせようとしています。一般の人には選別できないのが残念です。当チャンネルは真実の出雲王朝解明に向かっての誠実さがうかがえます。
ありがとうございます!励みになります。
視聴回数が15万回以上とは随分伸びて凄いですね。注目度が上がる様になると、どうしても変な宗教に利用する人も出てくる様ですが、動画を見れば内容でわかりますよね。今後も頑張って下さい。応援していますよ。
最近出雲王朝について書かれた本を読んだところでした。分かりやすくまとめられていて、私の頭の中も整理できました😊富神社と阿須岐神社に行った事がないので行ってみようと思います。ありがとうございます。
「伝承の出雲王国史」は、単なる他の口伝とは全ったく信頼度が違います。
読めば読もう程、感じますね😊
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
スサノオ徐福ですか!牛頭天王
そうなんです。出雲口伝では・・・・💦
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
出雲にはまだまだ沢山、社があります出雲とゆうより山陰地方って言ったほうが良いのかな、まあ〜とにかく神様の国ですよ😮出雲地方は、中国から来たのはちょっと信じられないんですけどね😅
コメントありがとうございます😊
出雲の伝承からです。
神様のくにですね。嬉しいです🌸
日本書紀と古事記は奈良時代に書かれた書物で割と最近です。
日本は10万年前に島国になり関東以北に3万年前から文化的な生活を始めた縄文人が
段々増えて徒歩で南下して縄文中期から後期が出雲界隈
それより相当後になってから神武天皇が日本統一
その後2300年前辺りに弥生人が京都奈良辺りで栄えその後古墳時代
ちなみにユダ〇が中東からギリシャにかけての羊飼いの地域から派生したのが3500年前
アダムとイブがこの辺り
モーセさんがエジプトから出エジプトが3100年前
イスラエルにユ〇〇が攻め込んだのが3000年前
ユ〇〇民族は実は歴史の浅い民族だそうです
エジプトの巨大ピラミッドが建ち始めたのが7000年前頃
シュメールが7500年前
インドのバラモンを中心とした文化はもっと前
中国も実は稲作を始めたのが1万8千年前と発表されました
普通に考えても巨大遺跡のもっと前からそこそこ高度な文明はあるでしょうから日本よりは4大文明は古いはず
古来から人は何かを求めて移動しました😊🌸
ユートピア。
そんな世界を求めて😊
いつかは叶います!
それが近いことを切望します🌈
猫ぢゃん可愛いですね💛
コメントありがとう御座います!とても嬉しいです。
BGM
わかりました💦😊🌸
出雲はお人好し、と思ってはいけません(笑)
深いですね😊🌸
ありがとうございます😊うれしいです!
出雲では出雲族が大和に移住したことになっているようですが、事実は逆で神武以前のヤマト族が垂仁天皇時に、三輪山の大物主を奉賽して移住したものというのが合意的推論と思う。出雲大社は、大和による出雲地方征服の後、垂仁天皇によって伊勢神宮とセットで創建されたことは記紀により明白だ。祭神は大国主であるが、大和にある日本最古の神社である三輪神社の祭神の大物主の荒御魂とされる。出雲大社創建にあたり、従来から大物主を奉斎してきたヤマトの諸氏族の一部を出雲に移住させ、奉斎の継続を図ったものだろう。移住した諸氏族は、自らのルーツを伝えるために、話を逆転させたものだろう。神武は、征服した大和の先住氏族の支配を確立するために、三輪神の娘五十鈴姫と結婚した。つまり、三輪神イコール大国主は、ヤマト朝廷の外戚神となった。そして、垂仁天皇は、皇祖神を伊勢に外戚神を出雲の地にヤマトを挟んだ対象的に配置して、日本神話を完成に導いた。
深いですね💦😊🌸
とても新鮮です。
色々な方のお話を伺えて、ありがたいです。参考にさせていただきます!
ありがとうございます😊とても嬉しいです🌸
するどいです!
出雲を探ると元々はどこなのか?って謎が深まります。
ご推察共感します。
出雲の口伝を尊重すると舞台は現在の島根県。
そこは交易権のあった王国があったのは間違いのないところです。
しかし
支配していたのは?
磐座と太陽を崇めたであろう三輪山の麓の民。
国譲り神話はその民が現在の島根県の支配に至った事の物語ではなかったか?
真偽はわかりません。
同じ考えをお持ちの方がいらっしゃるのがうれしいです。
神武東征は、実は大和による出雲征西であった。お話としては面白いと思いますが、垂仁天皇まで大和族が隠れていて出雲に侵攻した時期と同じく伊勢に創建されたとは記紀のどのあたりに記述されているのか興味があります。
まあこういう神社の「口伝」とやらは、国学が盛んになった江戸後期頃に創られたものが大半だから、そこは100%鵜呑みにしちゃいけないけどね
色んな説がありますね。
コメントありがとうございます。
邪馬台国東遷説 北九州→出雲→大和盆地。
ありがとうございます🌸
@@irisyell6626 さん あくまでも個人的な妄想ですが
@@user-ub8jh8bp3s 様😊
大和に移住した理由はわかりましたが、なぜ大和だったのでしょうか
ミゾクイを頼って模索したのだとおもいます。
ありがとうい御座います😊🌸
自分は佐賀の生まれ。徐福伝説が数多くのころ土地です。言い伝えによると徐福の渡来は紀元前200年ころ、徐福60歳の徳。そのご7年後、徐福67歳の時二回目、またその二年後、徐福69歳の時3回目となっています。その年齢で宗像家の三女と結婚し子宝に恵まれるとは思えないのですが...そのあたりの考察をお聞かせください。
@@ねこ丸ア式蹴球倶楽部 様
年齢ですが、「古代和人の年齢は、風習は正歳の四季を知らない。ただ、春の耕作の時と、秋の収穫を数えて、一年に二歳としている」と三国志、魏書、の注釈にかかれています。
渡来人である徐福がそれであるかはわかりませんが、今でいう年齢と古代が同じかは疑問です😊
😂BGMの音量🔈がちょっと🤏
ごめんなさい🙇
我来了 开门😅
每个人都是地球人💦
BGMが邪魔
わかりました
40年近く前、八王子市で日本史の教授らしい男性と鹿島史学について議論しました。
富氏(向氏)に言及すると、「あいつ等、詐欺師だから、代々いい加減なこと言って暮らしてんだ」とバッサリ。取り付くしまは無かったな。
富長髄彦、建御名方富命と、「富」が付く人物が記紀には登場します。
富長髄彦は「富彦」とも表記されるので、「富」は実名かな?と考えたりします。
聖徳太子の実名も、富なのでは?
『今昔物語』に「斑鳩や富の小川の絶へばこそ我が大君の御名(みな)は忘れめ」と大君(聖徳太子)の実名に関する歌があり、もとは『上宮聖徳法王帝説』あたりに書かれています。
聖徳太子は、用明天皇の実像をぼかすために創出された人物かな、と思います。だから、用明天皇の実名が富。用明天皇の妹の推古天皇が「豊御食炊屋姫」、「かしきやひめ」。
富長髄彦の妹の名は「三炊姫」、「みかしきひめ」。同じ名前と言っていい。
長髄彦と饒速日命は同一人物という説もあるので、結局、饒速日命とは、用明天皇その人ではないでしょうか。
日本の原型を造ったのは用明天皇で、推古天皇の治世とされる時期も用明天皇の治世だったのが真相だったのかも。
『新唐書』には、阿毎多利思比孤は用明天皇のことだと記述されています。
「推古」という漢風諡号も、「ヲシフル」と読めば布留大神、すなわち饒速日神を暗示しているのかも。
聖徳太子(実は用明天皇)は弓の名手で、たった一本の矢で物部守屋を討ち取りました。そのため、高句麗の人々から「朱蒙の再来」と信じられたようです。朱蒙は高句麗の始祖王。高句麗の王は高姓。
多利思比孤は目多利思比孤とも名乗っていたので、「高」と組み合わせて高目。「目」(もく)は単に音を表しているとすれば同じ音の最も簡単な字は「木」。高木になります。
つまり、用明天皇は高木の神。イザナギです。イワレノナミツキの宮の天皇ですから。ナミツキとは対になった巨大な木のことです。
用明天皇の実の子は、斉明天皇、孝徳天皇、そして天武天皇です。
斉明天皇がアマテラス、孝徳天皇がツキヨミ。ではスサノオは誰か?
恐らく中大兄でしょう。
蘇我蝦夷、蘇我入鹿、そして蘇我倉山田石川麻呂の三人は、実は孝徳天皇のことだと思います。
それでオオクニヌシは天武天皇。持統天皇はスセリヒメということ。
用明天皇は猿田彦でもある。諡(おくりな)は橘豊日(たちばなとよひ)。橘=太刀鼻で、愛媛県の佐田岬半島を長く突き出た猿田彦の鼻と見立てて、神名としたと。
やはり40年近く前、宇佐八幡神社の宮司さんが口伝の内容を書籍化されました。
神武天皇の孫が応神天皇であり、神功皇后は生母ではなく、越智氏の娘が実の生母である、と明かしました。その生母の父が越智高縄である。高縄は高鼻?でも、おかしなことがある。じゃ、越智高縄は神武天皇?宇佐氏と越智氏が争い、越智氏の娘を奪って生まれたのが宇佐押人(うさのおしと)。応神天皇の実名。
結局のところ、神武天皇は用明天皇から天武天皇に至る皇統の物語の始祖王としての位置づけであると。
男系男子の血の継承は、用明天皇からスタートしたのだと思います。
もうそろそろ、血の呪縛から開放されては如何かな?
今の時代、いろんな説がありますね。
皇国史観の強い時代には、許されなかった。
それだけ時代が変わってきました。
長文の考察をありがとうございます。 なるほでデス。嬉しいです🌸
浪漫を感じます。
ありがとうございます😊
出雲族ではなく出雲人ね
後、出雲ノ國ではなく
不倒國出雲ね
結果作り話だな‥
ありがとうございます
@@irisyell6626
出雲の國って言うのは我々からすれば地球の事
現在の島根ではなく
シンラバンショウとはシン、バン、ショウ様が宇宙空間を創りその中で1番の権威を持たれてるのが鳳凰シン様
天テラス
その子がスサノオ様
神出ノ國、月におられる闇照
@@バルキリームジュラ 様 ありがとうございます
Konbanwa.sorenariumaku..nániwatomoare.omochiroi.gokurosan.narakenandemoaru?
ありがとうございます🌸