【ゆっくり解説】世界的に他にない! なぜ江戸時代は250年以上も戦争がなかったのか

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  • เผยแพร่เมื่อ 28 ก.ย. 2024
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    先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
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    #ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

ความคิดเห็น • 21

  • @DaishinTakaoka
    @DaishinTakaoka 3 หลายเดือนก่อน +9

    飢饉時に外国から食糧を輸入というのは無理。
    1.当時は現在のように経済商品として食糧を生産していた国は日本の近辺にはなく、基本的にどの国も国内需要を賄うのがいっぱい。
    2.仮に食糧を買えたとしても輸送手段がない。鎖国中なので欧米の商船を利用することも出来ないし、国内には海外渡航用の大型船はない。さらに言えば、当時はまだ蒸気船が実用化されていないので、海外で調達した食糧を短期間で国内に持ってくる手段がない。
     黒船来航という歴史的事件は蒸気船が実用化されて初めて実現したものである。

    • @ネギトロー
      @ネギトロー 3 หลายเดือนก่อน

      なるほど蒸気船があればそんなのを気にする必要はない。
      でも幕府は兵器転用を恐れて蒸気船への規制を徹底した。
      今まで幕府に従っていたのは幕府以上に強い存在がいなかっただけにすぎない。
      反逆を恐れて体制にしがみつく幕府は地方にとって邪魔な存在になってしまった。

  • @nadushu
    @nadushu 3 หลายเดือนก่อน +11

    参勤交代の説明が以前の学説の説明になってるのが残念。 その説明であれば大名の家族を江戸に住まわせる人質の方をピックアップすべきでした

  • @ポンポコ-j4c
    @ポンポコ-j4c 3 หลายเดือนก่อน +1

    250年進歩が遅くなったまであるな

  • @二郎岩田
    @二郎岩田 3 หลายเดือนก่อน

    参勤交代の最大の効果は、日本人意識の醸成に貢献したことだと思います。大名の妻子が江戸で生活したことにより、全国の大名は共通語(=後の標準語)が自分の母語となり(逆に、1年おきに藩で過ごした際には、藩の家来のお国言葉が分からず苦労したようです)、互いに言葉通じるようになったことは非常に大きかったと思います。加えて、各藩の藩士の多くが江戸で1年生活する経験をし、他藩の武士と交流する機会を持ったことも大きいように思います。明治維新の時、内戦が収拾不能になるまで拡大せず最小限に抑えられたことにも、なにがしか寄与したように思います。
    江戸時代に戦争が起きなかったことに関しては、私は動画の主張とは別の理由が重要だったのではないかと考えています。というのも、私は、戦争の淵源を動物にも見られる縄張り争いと考えるからです。ただ戦争は、単なる縄張り争いではなく、それがバージョンアップしたものと考えます。そして縄張り争いを戦争にバージョンアップさせたのは農業の開始だったと考えます。それまで人類は狩猟採集生活をしていました。その時代にも、他集団との縄張り争いはあったと思います。負けた側は、より条件の悪いところで狩猟採集せざるを得ませんでした。ただ、この時代、人類は、動物の移動に伴って、自分たちも移動しました。ゆえに縄張りは固定したものではありませんでした。このような場合、縄張り争いにおいても、負けた側は、逃げるだけでよく、勝った側も深追いしなかったはずです。相手を殺す必要はなく、追い出せばよかったからです。
    この状況は、農業の開始とともに変わりました。農業の開始とともに、人々は定住生活に入りました。人類の集団は、はじめは離れて生活していたと思います。しかしそのうち人口が増え、隣接した集団と耕作地が接するようになったと思います。この時代、豊かになるには、より広い土地を必要としました。しかし無人の土地が周囲にない以上、隣接した集団の耕作地を奪うしかありません。しかし狩猟採集時代と異なり、隣地の集団も定住して農業を営んでおり、出て行けと言われたからといって、おいそれと出ていくわけにはいきません。彼らもその土地に投資(労力その他)をしているからです。出ていけば下手をすれば餓死が待っています。こうして彼らも、文字通り土地を”死守”しようとします。この結果、隣地を奪おうとする側はそのために隣地を守ろうとする側を皆殺しにするしかなくなります。こうして戦争が始まったのではないかと思われます。事実、戦争は農業の開始と密接に関係しているようで、それ以前には明確な戦争の痕跡はないと言われているようです。
    このような時代は、20世紀の前半まで続きました。というのも、今日の先進国と言われている国々も20世紀前半までは、国民の約半数が農業で生計を立てていたからです。19世紀後半に、いち早く農業が主要な産業ではなくなったイギリスを除いて、他の先進国は、20世紀前半までは、国が豊かになるには新たな耕作地(それはすでに他国の土地でした)を必要としていたのです。そして、それを得るには、現在の所有者である国からその土地を奪う必要がありました。こうして戦争は不可避だったのです。しかし、20世紀後半に入ると、現在のすべての先進国で急速な工業化が起き、農業人口が激減しました(みな都市に移住して勤労者になったのです)。もはや豊かになるには土地を必要としなくなりました。動画では、江戸時代250年間に戦争が無かったと言っていますが、20世紀前半まであれほど激しく戦争を繰り返していた西側先進諸国の間で、20世紀半ば以降、全く戦争がなくなったことにも注目すべきです。私は人々の多くが農業(もう少し広げて、土地が重要な第一次産業を含めて考えるべきかもしれません)が主要な産業ではなくなったことが重要だと思うのです。私は、江戸時代に戦争がなくなった原因として、日本で資本主義が始まっていたことも重要だと考えています。江戸時代、幕府が圧倒的軍事力を持ったことにより、軍事的に挑戦できる地方勢力(=藩)が無かったことに加え、平和の結果国内市場が形成されて、資本主義が始まりました。資本主義は、人々に市場を通じて豊かになる手段を与えます。土地はいらないのです。土地に拘(こだわ)った武士階級が、江戸時代を通じて貧窮化し(戦争がない限り増やす方法がないからです)、反対に商業従事者は豊かになったことは象徴的です。商業は土地を必要としないため、豊かになるのに限界がありません。しかも市場を巡る競争は、土地の奪い合い(=ゼロサムゲーム)である戦争と異なり、ウィンウィン関係となり得ます。このことも江戸時代に階級闘争という形の内戦を日本で起こさせなかった原因のひとつになったのではないかと思います。
    共産主義は、19世紀後半の西欧列強の状況をみて、資本主義が高度化して帝国主義になる結果、戦争が不可避となると予言し、資本主義と戦争を結び付け、社会主義になれば戦争は起きないと主張しました。20隻¥世紀初頭に第一次世界大戦が起きたことで、共産主義の正しさが証明されたか思われ、共産主義は一時、世界中で支持されました。しかし、私は、19世紀後半、高度な先進資本主義もなお農業社会だった結果、戦争が起きたのだと考えます。資本主義が戦争を招いたのではないと思います。むしろ、農業社会を脱した資本主義社会は、土地を必要とはせず、市場があればよいので、市場を巡っての争いは起きますが、競争に負けたからと言って、それが即、餓死などにつながるものではないので、むしろ戦争にはつながらないではないかと思います。20世紀後半以降、欧米先進国間で戦争が起きていない(その予兆もない)のはそのためだと思います。中国やロシアが侵略的なのは、いまだに彼らは農業国(もう少し広げて、土地が重要な第一次産業を含めて考えるべきかもしれません)を脱していないため、豊かになるために戦争を必要としているからと思われます。

  • @ヤマハポッケチャンネル
    @ヤマハポッケチャンネル 3 หลายเดือนก่อน +2

    名君、徳川家康のおかげだね😊

  • @花坂寿郎
    @花坂寿郎 3 หลายเดือนก่อน +3

    地理的要因が1番大きいと思うが……
    戦争は相手がいる、日本のように4方を海に囲まれていると(特に歴史が古くなるほど)隣国が攻めようにも……
    日本が大陸にあったら不可能でしたね

  • @林健司-n6k
    @林健司-n6k 3 หลายเดือนก่อน +8

    数十万石の大名は小大名ではないでしょう。立派な大名だと思いますよ。

    • @schimitch3277
      @schimitch3277 3 หลายเดือนก่อน +2

      藩領がそっくりそのまま今の県になるレベルですよね。

  • @ネギトロー
    @ネギトロー 3 หลายเดือนก่อน +2

    この時代を徳川の独裁と言えば確かに間違いじゃない。
    でもそれをいったら現代社会も欧米の独裁になってしまう。
    このころの人々はあくまで日本に住んでいる人で、日本国民なんて認識が出来たのは明治以降だったりする。
    だから同じ日本人が飢饉で苦しんでいても「自分には関係ない]という感じだった。
    それが明治維新で[故郷は違えど同じ日本人]という自覚が芽生えた言葉で変わっていった。

  • @片野哲司-d9lテル君あれほど
    @片野哲司-d9lテル君あれほど 3 หลายเดือนก่อน +1

    強制的にってわけじゃないぞ。基本的に大名は江戸で産まれているからな。江戸産まれ江戸育ちで大名になったら領地へいく。現代なら地方出張感覚だろうな。幕府の目がないから自由であっても娯楽はないし江戸の方がいいって大名も多かっただろう。

  • @s-yo
    @s-yo 3 หลายเดือนก่อน +3

    江戸庶民
    そもそも綺麗な水の入手が難しい湿地だった
    街は路地が狭く排水路も少なく近隣と同じ水場を使う。
    コロリがイッキに流行ったのが理解出来る。
    すぐに放棄された藤原京もふん尿京と言われてるし
    江戸中央近くは多摩川江戸川荒川など周りには
    沢山、川が有る。だから人が滅びない
    故に何とか江戸って都市は保たれたのかも。
    日本人の反映は政治や権力者じゃ無くて豊富な水に機縁する。
    なので日本の水道を海外投資なんて絶対許される事では無い!!!

  • @たろう-d4o
    @たろう-d4o 2 หลายเดือนก่อน

    島原の乱は…戦争とは、いくさとは…言わないか…😮

  • @777hydyy6
    @777hydyy6 3 หลายเดือนก่อน +3

    長子継承の徹底も忘れないで

  • @taraaa5570
    @taraaa5570 3 หลายเดือนก่อน

    鎖国といっても、キリスト教の布教に熱心ではなかったオランダと中国とだけは貿易を
    出島という場所に限定して行ってたはずです。

  • @ChocoKohne
    @ChocoKohne 3 หลายเดือนก่อน +1

    ナチュラル地球寒冷化災害
    ニューガンダムが居れば良かったのにな
    鎖国ならまだしも現代は戦争こそ飢饉の原因だからな・・・

  • @kenkubo5186
    @kenkubo5186 3 หลายเดือนก่อน +1

    「パンとサーカス」だね

  • @Pikarun_Channel
    @Pikarun_Channel 3 หลายเดือนก่อน +9

    何だかんだで250年以上も戦争のない時代の礎を築いた家康は、日本史史上一番の偉人でしょう。

  • @山根こうじ
    @山根こうじ 3 หลายเดือนก่อน

    譜代大名は徳川将軍の家来だが外様大名は同盟者だから主従関係じゃない
    大炊頭と呼び捨てることはあっても薩摩守や陸奥守には殿をつけて呼ぶ