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巧いよなあ。本当の名人。
切り入りの枕:80%江戸風物の口上が素敵すぎる。短い噺との認識はあったが、フリークショーいっぱいあったんだろうな。っと思いを馳せる。3回くらい「よっ、名調子!」って叫んでしまいました。
円生がこの話をするのは感動です。最高❗
今私も聞いている所です🎵楽しみですね😃
数ある噺家の中絶📍第いちにんしや
凄い、名人芸❣️
圓生さん口調といい間はさばらしい、たまらない
見たことはありませんが、昔の見世物小屋の風景が浮かんでくるようで楽しいですね(^^)
実際に昭和42,3年頃まで招魂社(靖国神社)で「豆 まめ~」の売り声でえんどう豆を、鼻の脇に大きな、ちょうどえんどう豆くらいのほくろのあるおじさんが売ってて、、ラウ屋を最後に見たのは確か昭和51,2年頃だったか。手甲、脚絆に銭入れの小さな前掛けごしらい、きりっとした鯔背なつくりで。釣りしのぶに走馬燈、風鈴屋と飴細工、みんなどこかに消えてしまった。
なんとなつかしいこと
たった一度だけしか見なかったが「砂絵」売りというのもあった。紙の上に薄い糊でサッとひとふで描いてその上に色のついた砂をひとつまみサラサラ落とす。余分な砂を払い、また糊でひとふで描いて今度は違う色の砂を落として。これを幾度か繰り返すと色鮮やかにみごとな竜が現れる。その色のついた砂を色ごとに小さな瓶で売るのだが、飴細工の鶴とともに彼らの本当の売り物は「芸」だった。
正蔵(彦六)に金馬が乗り移ったような声www
何度でも聞きたい 21:00
こういう馬鹿馬鹿しいお話を、さらっと語って笑わせるのが円生ですね。
若いころは圓生師匠も、詰まらない話は努力するだけ無駄だと思っていた。しかし、ある人から「いや、その詰まらない話を聴かせるのが芸なんです」と言われ、考えを改めたという。
ええ、若い人にぜひ、落語の面白さを体験していただいて、実にどうもこの、難しく大げさに考えるてぇ人が多いらしいんですが、円生師の「無学者」志ん生師の「風呂敷」談志師のやかんも、上方では枝雀師の「不動王」「高津の富」なんてぇところが手前なぞはおすすめなんでございますが・・・どう聞くべきなんてぇ堅苦しいことは一つもありませんで、ただ気楽に面白話を聞くだけのことで
tiktokで30秒の動画になれてる身としては、30分でオチがつく動画はみてられないよ。(tiktokっていうのは、TH-camみたいな動画アプリです)
@@ch-ny6pm tiktokはよく知ってる。面白いよね でもそういうのとは別の、ドラマを観るような語り芸の楽しみも、時期がきたら知ってほしいなぁ。最初は面倒くさいけど、面白さにもいろいろ種類があると気づくとそれだけ豊かになれるよ。
この噺の枕大好き
談志も「勘定板」「金たま医者」「ぞろぞろ」みたいなくだらない話が好きだったのは圓生がくだらない軽い噺の名人だった影響だと語ってますね。
円生の名跡を誰が継ぐやら。こんな雰囲気のある名人は そうでないねえ。六代目円楽が つぎたそうだがちょいて雰囲気が違いすぎだねえ。
五代目なら納得できますが、六代目円楽ではねぇ
枕好き
油売りの口上をすらすら流れるように続けた後に酔っ払いの演技で笑わせるのは恐れ入る。特に28:30からのやり取りが好き。
高田の馬場って落語でも蝦蟇の油の口上があって三代目金馬師匠のを聞いたことがあります
正蔵へ金馬が乗り移った声、って圓生さんも人が悪いなあ。笑ってしまうが。
昭和40年前後だね。金馬は明るい芸で、正蔵は暗いが味があった。あの頃、圓生はちょっと地味だった。金馬、正蔵、可楽、文楽、志ん生・・・、一番長生きだったのが、圓生だよね。圓生だから言えるのさ。皆、名人だよ。
「声が金馬になった」って、たまに言いますよ。ドスの効いた低い声になったときなど...
なんかの話でも「なんだいお前さん…金馬みたいな声を出して…」って言ってたような
大鼬は大板血www
今の三遊派で、この六代目に迫る芸を持った後継者がいないのが寂しい限り。伊集院が楽太郎(当時)門下を辞めなければ、毛色が違った面白い噺家になっていたろうに。残念。
噛むことないってすごいな。
がまの油と日本刀と半紙がハッキリ見えた
正蔵に金馬がのりうつったような声ってwwwwwwww
圓生は絶対に止め名にすべき。文楽見たらわかる
私もそう思いますていうか正蔵と三平も止め名にしてほしかった音源がハッキリ残ってしまってるしレジェンド級の名人芸は聞けばこれは止め名でいいでしょうって分かりそうなもんですよね
見世物小屋の呼び込みがこんな調子で呼び込みはしない(笑)
20:13
やっぱり楽太郎には継ぐ資格はなかった。楽太郎は円楽すら継ぐ資格はなかった。圓生は次元が違う。うまい!
亡くなった圓楽が円生名跡を欲しがった。しかし無理。文楽名跡は今は名跡でなくなりました。志ん生名跡は志ん朝に次いで欲しかった。小三治は既に名跡。
あぶらがまの
巧いよなあ。本当の名人。
切り入りの枕:80%
江戸風物の口上が素敵すぎる。短い噺との認識はあったが、フリークショーいっぱいあったんだろうな。っと思いを馳せる。
3回くらい「よっ、名調子!」って叫んでしまいました。
円生がこの話をするのは感動です。最高❗
今私も聞いている所です🎵楽しみですね😃
数ある噺家
の中絶📍第いちにんしや
凄い、名人芸❣️
圓生さん口調といい間はさばらしい、たまらない
見たことはありませんが、昔の見世物小屋の風景が浮かんでくるようで楽しいですね(^^)
実際に昭和42,3年頃まで招魂社(靖国神社)で「豆 まめ~」の売り声でえんどう豆を、鼻の脇に大きな、ちょうどえんどう豆くらいのほくろのあるおじさんが売ってて、、
ラウ屋を最後に見たのは確か昭和51,2年頃だったか。手甲、脚絆に銭入れの小さな前掛けごしらい、きりっとした鯔背なつくりで。釣りしのぶに走馬燈、風鈴屋と飴細工、みんなどこかに消えてしまった。
なんとなつかしいこと
たった一度だけしか見なかったが「砂絵」売りというのもあった。紙の上に薄い糊でサッとひとふで描いてその上に色のついた砂をひとつまみサラサラ落とす。余分な砂を払い、また糊でひとふで描いて今度は違う色の砂を落として。これを幾度か繰り返すと色鮮やかにみごとな竜が現れる。その色のついた砂を色ごとに小さな瓶で売るのだが、飴細工の鶴とともに彼らの本当の売り物は「芸」だった。
正蔵(彦六)に金馬が乗り移ったような声www
何度でも聞きたい 21:00
こういう馬鹿馬鹿しいお話を、さらっと語って笑わせるのが円生ですね。
若いころは圓生師匠も、詰まらない話は努力するだけ無駄だと思っていた。しかし、ある人から「いや、その詰まらない話を聴かせるのが芸なんです」と言われ、考えを改めたという。
ええ、若い人にぜひ、落語の面白さを体験していただいて、実にどうもこの、難しく大げさに考えるてぇ人が多いらしいんですが、
円生師の「無学者」志ん生師の「風呂敷」談志師のやかんも、上方では枝雀師の「不動王」「高津の富」なんてぇところが手前なぞは
おすすめなんでございますが・・・どう聞くべきなんてぇ堅苦しいことは一つもありませんで、ただ気楽に面白話を聞くだけのことで
tiktokで30秒の動画になれてる身としては、30分でオチがつく動画はみてられないよ。
(tiktokっていうのは、TH-camみたいな動画アプリです)
@@ch-ny6pm tiktokはよく知ってる。面白いよね でもそういうのとは別の、ドラマを観るような語り芸の楽しみも、時期がきたら知ってほしいなぁ。最初は面倒くさいけど、面白さにもいろいろ種類があると気づくとそれだけ豊かになれるよ。
この噺の枕大好き
談志も「勘定板」「金たま医者」「ぞろぞろ」みたいなくだらない話が好きだったのは
圓生がくだらない軽い噺の名人だった影響だと語ってますね。
円生の名跡を誰が継ぐやら。こんな雰囲気のある名人は そうでないねえ。六代目円楽が つぎたそうだがちょいて雰囲気が違いすぎだねえ。
五代目なら納得できますが、六代目円楽ではねぇ
枕好き
油売りの口上をすらすら流れるように続けた後に酔っ払いの演技で笑わせるのは恐れ入る。特に28:30からのやり取りが好き。
高田の馬場って落語でも蝦蟇の油の口上があって三代目金馬師匠のを聞いたことがあります
正蔵へ金馬が乗り移った声、って圓生さんも人が悪いなあ。笑ってしまうが。
昭和40年前後だね。金馬は明るい芸で、正蔵は暗いが味があった。あの頃、圓生はちょっと地味だった。金馬、正蔵、可楽、文楽、志ん生・・・、一番長生きだったのが、圓生だよね。圓生だから言えるのさ。皆、名人だよ。
「声が金馬になった」って、たまに言いますよ。ドスの効いた低い声になったときなど...
なんかの話でも「なんだいお前さん…金馬みたいな声を出して…」って言ってたような
大鼬は大板血www
今の三遊派で、この六代目に迫る芸を持った後継者がいないのが寂しい限り。伊集院が楽太郎(当時)門下を辞めなければ、毛色が違った面白い噺家になっていたろうに。残念。
噛むことないってすごいな。
がまの油と日本刀と半紙がハッキリ見えた
正蔵に金馬がのりうつったような声ってwwwwwwww
圓生は絶対に止め名にすべき。文楽見たらわかる
私もそう思います
ていうか正蔵と三平も止め名にしてほしかった
音源がハッキリ残ってしまってるし
レジェンド級の名人芸は聞けば
これは止め名でいいでしょうって分かりそうなもんですよね
見世物小屋の呼び込みがこんな調子で呼び込みはしない(笑)
20:13
やっぱり楽太郎には継ぐ資格はなかった。楽太郎は円楽すら継ぐ資格はなかった。圓生は次元が違う。うまい!
亡くなった圓楽が円生名跡を欲しがった。しかし無理。文楽名跡は今は名跡でなくなりました。志ん生名跡は志ん朝に次いで欲しかった。小三治は既に名跡。
あぶらがまの