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動画upありがとうございます。益田の岩船は大好きです!!昔は竹藪が無く、岩船からも周辺が見渡せたそうですし、逆に山の下から岩船が見えたそうですね。支障が無ければ竹藪を取り払って整備していただけると嬉しいです。
そうなんですよ! 私も色々と検索していたら、全く木がない所にある岩船の写真を見つけて驚きました。こんなにも変わるものなんですね。しかし、berutonoueさん、アップする場所は大抵行っておられますね。凄いなあ。本当に好きなんですね(;^_^A。
岩の埋まっている部分はどんな形なんでしょうね。日本各地の巨石・巨岩は本当に興味深いです。
単純に直角の角が出てくるのか、あるいは何か仕掛けがあるのか、本当にどうなっているんですかね。興味深々ですね。
初めて観ましたナレーションが他の動画に比べて、とても聴きやすく伝わりやすくてすっごくよかったです✨画質も綺麗で、また観に来ます❗️
ご視聴ありがとうございます。また遊びに来てくださいね!
懐かしいですね。小さいころ麓の小学校に通っていて、なんやかんやでよく行きました。当時は竹藪がなくて、岩によじ登ると眺めがよくて爽快でした。ニュータウン沿いの道路側から山に入ると、昔は道中のあちこちに赤い枝先の木が生えていて、これはウルシだから注意、と教えられた記憶があります。
ご視聴ありがとうございます。私もネットで岩船の周りに何もない写真を見て、びっくりしました。ここ2・30年で、全く景観が変わってしまったんですね。
なんか飛鳥にある鬼の生板を彷彿させるような巨石ですね。それはそうと益田磐船はいつ頃から磐船と呼ばれてたのでしょうか。各地にある巨石には磐船と名付けられていることがあり、高天原から降ってきた伝承が多いですが、当該巨石が石棺の製作に関連するものならば、あまり関連はなさそうやのに磐船と呼ばれているのですね。
ご視聴ありがとうございます。実はこの後鬼の俎・鬼の雪隠に行ったんですよ。規模は圧倒的に益田の岩船の方が大きいですが、こちらも石槨のようですね。名称、いつからなんでしょうかね?。
日本古代の巨岩石観るたびにペルーやメキシコやエジプト、カルタナやペルシャやトルコの古代遺跡に類似してるように視えるな🤭
小さい頃の集まり場所だ。懐かしい。どこから登れるか競争してました。ただの岩だったのが、考古学の観点が入ると違うんですね。色んな説があり天体の観測なども言われているんです。解明される日が楽しみです。
今は森の中という雰囲気ですが、少し前の写真を見ると、木は全く生えてなかったんですね。それが衝撃でした。こんなにすぐに森になってしまうとは。箸墓の明治初年の写真もはげ山で、いま私たちが見ている風景とは全く違いますね。どう見ても石槨内にするつもりだったとしか思えませんが、どうやってここまで運んだんでしょうか。想像を絶しますね。
何か大きな物が破壊された残骸。天井のストレートラインのカッティングの精巧さが高度文明を匂わせる。太古に宇宙で戦争または事故になった宇宙船の残骸っぽい。
20年ほど前に、新婚旅行で訪れました。飛鳥巡りは予定に入っていたのですが、歴史好きな妻に「せっかくだから岩船にも行ってみようよ!」と言われるまで、すぐ近くに存在することを忘れていました😅本物の存在感は凄まじく、「子供の頃に本で見たモノを、実際に見ている」ことにエラく感動したのを憶えています。
素敵な新婚旅行ですね! しかし、益田の岩船に行こうなんて、奥さんはかなり歴史好きですね。昔の写真を見ると、周辺は全く木が生えていなくて、この事に驚きました。現地でお会いした地元の方の話だと、昔は下からこの岩が見えたとのことでした。環境の変化は思いの外早いですね。
こんなに大きな石をどうやって移動させるのか?
I wish there would be some English description, please.
エジプトの「未完成のオベリスク」を彷彿とさせますね
ご教示ありがとうございます。知りませんでした。益田の岩船も凄いですが、こちらはさらに凄いですね。しかし、どうやって運ぶのでしょうか。不思議ですね。
閃緑岩や花崗岩は硬くて劣化しにくいので今でも高級墓石ですね。なので本当は花崗岩で石槨を作りたかったのだけれどどうも加工がむつかしい。それで凝灰岩で作ることに変わっていった。たぶんそうゆう事だったのではないでしょうか☺
ご教示ありがとうございます。そうなんですね。そう考えると、牽牛子塚古墳の石槨が凝灰岩というのもしっくり来ますね。しかし、それにしてもよくあそこまで運んできましたね。凄いですね。
@@koukogaku 様 運んだのも凄いですが、石槨とするためには上にある穴が正面に来るように石自体を立てないといけないと思うのですがどうすれば立つのでしょう?考えましたが解りません。
身近な場所にこういう遺跡がまだあるのでしょう。数年前に梵字の彫られた岩があるという山に行ったことがあるのですがそんな感じのものがあるのでしょうね。
何年か前までは、上部の穴のところまで梯子がかけてありのぼることができました。牽牛子塚古墳(真の斉明陵)のくりぬき石室は圧巻です。巨石を運び込んだそうです。
ご教示ありがとうございます。梯子があったんですか!その時に行けばよかったです。ネットで見たんですが、周囲には全く木や竹がなくて、遠くまで見渡せた時期があったんですね。物凄く変わりましたね。牽牛子塚、私が行った時には、下まで降りることができませんでした。上から見ても圧巻ですね。
@@koukogaku 2年前に久々に案内したときは、梯子は既に取り払われていました。前は下界が垣間見られた記憶があります。子どもの遊び場になっていたのでしょう。何人か遊んでました。やはり安全のために取り外したのでしょう。牽牛子塚古墳の発掘以前、普通に格子越しに苔か何かで緑がかってはいるものの、磨き上げられた石室内をじっくり観察できました。格子前で「誰の墓ですか」と尋ねてきた二人の学生にひとくさり話した思い出があります。発掘説明会にも行きましたが、見事な八角形の成形された回廊のような石敷が美しく残り、興奮したものでした。宮内庁は陵墓指定の見直しはしませんが、天皇陵間違いなしになったので、明日香村主体という形でやりすぎなくらいに環境整備がなされました。「白亜のピラミッド」は、明日香の新しいシンボルの如く、明日香の広い範囲から望むことができます。昔のように裏さびれたところに行く感じが無くなってしまい、気軽な古墳でなくなった寂しさはあります。石室もいつでも自由のぞきこむことができなくなってしまいました。
益田岩船は暗黒神話(漫画:諸星大二郎)にも出てましたね……作中では岩内部は空洞で天文台の様な役割を担っていたと言う設定になっていましたが。
そうなんですね。ご教示ありがとうございます。また機会があれば読んでみようと思います。
考古学チャンネルさんの、観点や考察は凄いですね^^石は穴など加工すれば重量は軽くなるけれど、加工してから、移動すると簡単に壊れるので お墓をつくる近くに移動してから加工していたけれど何かの理由で工事が止まった? 隠されている横やり^^ 近くの八角の古墳は、間違いなく天皇関係者の物だけど、それを是としない意思が今の〇内庁にも引き継がれている?想像を掻き立てる考古学チャンネルさんの次にあげる動画も楽しみ
過分なお言葉をいただき、ありがとうございます。そうなんですね。やはり現地で加工するのが一番間違いないんですね。特に岩船は、あのような大きな穴を開けるのですから、最終的に据える場所でやった方がよさそうですね。ということは、あそこに古墳を作るつもりだった可能性は高いですね。一般的には、ひびが入ったことで、放棄したとされているようですね。○○庁は、一度決めたものに対しては、変更しない方針かもしれませんね。でもそのおかげで牽牛子塚や中尾山、今城塚のように、天皇陵の可能性の高い古墳を見学できるので、少しはいい点もあるかもしれませんね。
益田岩船は一見の価値があります。
ほぼ出来上がっている石槨が間近に見られる貴重な例ですね。
石槨ですね
ですね
これはただの想像ですがこの石は蘇我蝦夷か入鹿の墓に使われる予定だったのではないか?あんなことがあったので放棄されたのではないか?この規模の石を利用するのは尋常ではないと思うのでそんなことを想像してみました
恐らくヒビが入ってしまったので、諦めて放置してしまったのではないでしょうか。
「古墳の成り損ない」というよりも「益田」という名前がゾロアスター教のアフラマズダから来ているという事で、この地にあったペルシャ人(天智天皇の頃、イスラム帝国に滅ぼされたササン朝ペルシャの残党が日本に来たという記録もあります)のコミュのゾロアスター教の施設だったという説もあります。
とすれば、播磨の「石の宝殿」は誰の為に造りかけられ、放置されたのでしょうか?
私も見たことはないのでわかりませんが、ネットで見る限り、あれは古墳とは関係ない気がするのですが、どうでしょうか。答えになってなくてすいません。
いいえ、同じ構造の横穴式式石槨です。益田石船は蘇我蝦夷、石宝殿は蘇我入鹿の墓になる予定だったのでしょう。(一代違うので、石宝殿の方がより丁寧に加工されています) 乙巳の変で蘇我氏宗家は滅ぼされますね。どちらも製作途中で放棄されたと考えます。
なるほど、上の方に、ノミ跡がないとすると、上の方が、完成ですね。下の方が、仕事のし残しというわけでしょう。古代人の仕事の意思が感じられます。現代人は、クレーンの技術があるけれども、「こういう岩を持って来て、そこで加工する」という思想や、技術は、あり得ないでしょう。ここに、この巨岩が、元からあったとか、出来た、とか、それは、あり得ないでしょう。オーストラリアのエアーズロック(その世界第二位と第一位が、オーストラリアにありますが、どちらも、砂岩、礫岩)だかのよう。花崗岩でこれだけの岩は、そう無いのでは?昔流にいうならば、世界の七不思議。「昔には、あって(出来ていて)、今は無いもの、な~に?」と、なぞなぞが一つ出来ました。👏👏👏😂
マジノ線要塞かと
もしかして古代のUFOかも。(笑)
アホな解釈だなぁ なんで墓だと思うのか 本来は横に使う予定だった❓ あのでかい岩をどう横に動かすんだよ😂なら最初から横に穴あけるだろーよ😂そもそもこんなでかい岩がぽつんとあることを疑問に思わないのかねどっから持ってきた❓ どう運んだ❓僕ら人類には解明は無理だと思いますね
凄いですね。このレベルでコメントできるとは。まあ恥ずかしいっていう事もわからないんですね。
@@koukogaku おいおい ちゃんと論で説明してくれよ皮肉なコメントで逃げるな
@@Neko-279 あなたのような失礼な人に何でこっちが時間を使わないといけない? バカバカしい。明日香村のホームページに出てるから読んだら? 明日香村 牽牛子塚古墳web.archive.org/web/20170908065816/asukamura.jp/chosa_hokoku/kengoshizuka/kengoshizuka.html
@@koukogaku 後で読むけど俺に賛同してくれたコメントを削除するなよꉂ🤣𐤔どっちがが失礼な人なんだよ笑
何にしろ、距離感おかしい奴やん😂
動画upありがとうございます。
益田の岩船は大好きです!!昔は竹藪が無く、岩船からも周辺が見渡せたそうですし、逆に山の下から岩船が見えたそうですね。支障が無ければ竹藪を取り払って整備していただけると嬉しいです。
そうなんですよ! 私も色々と検索していたら、全く木がない所にある岩船の写真を見つけて驚きました。こんなにも変わるものなんですね。しかし、berutonoueさん、アップする場所は大抵行っておられますね。凄いなあ。本当に好きなんですね(;^_^A。
岩の埋まっている部分はどんな形なんでしょうね。
日本各地の巨石・巨岩は本当に興味深いです。
単純に直角の角が出てくるのか、あるいは何か仕掛けがあるのか、本当にどうなっているんですかね。興味深々ですね。
初めて観ました
ナレーションが他の動画に比べて、とても聴きやすく伝わりやすくてすっごくよかったです✨
画質も綺麗で、また観に来ます❗️
ご視聴ありがとうございます。また遊びに来てくださいね!
懐かしいですね。小さいころ麓の小学校に通っていて、なんやかんやでよく行きました。当時は竹藪がなくて、岩によじ登ると眺めがよくて爽快でした。
ニュータウン沿いの道路側から山に入ると、昔は道中のあちこちに赤い枝先の木が生えていて、これはウルシだから注意、と教えられた記憶があります。
ご視聴ありがとうございます。私もネットで岩船の周りに何もない写真を見て、びっくりしました。ここ2・30年で、全く景観が変わってしまったんですね。
なんか飛鳥にある鬼の生板を彷彿させるような巨石ですね。
それはそうと益田磐船はいつ頃から磐船と呼ばれてたのでしょうか。
各地にある巨石には磐船と名付けられていることがあり、高天原から降ってきた伝承が多いですが、当該巨石が石棺の製作に関連するものならば、あまり関連はなさそうやのに磐船と呼ばれているのですね。
ご視聴ありがとうございます。実はこの後鬼の俎・鬼の雪隠に行ったんですよ。規模は圧倒的に益田の岩船の方が大きいですが、こちらも石槨のようですね。
名称、いつからなんでしょうかね?。
日本古代の巨岩石観るたびにペルーやメキシコやエジプト、カルタナやペルシャやトルコの古代遺跡に類似してるように視えるな🤭
小さい頃の集まり場所だ。懐かしい。
どこから登れるか競争してました。
ただの岩だったのが、考古学の観点が入ると違うんですね。
色んな説があり天体の観測なども言われているんです。
解明される日が楽しみです。
今は森の中という雰囲気ですが、少し前の写真を見ると、木は全く生えてなかったんですね。それが衝撃でした。こんなにすぐに森になってしまうとは。箸墓の明治初年の写真もはげ山で、いま私たちが見ている風景とは全く違いますね。どう見ても石槨内にするつもりだったとしか思えませんが、どうやってここまで運んだんでしょうか。想像を絶しますね。
何か大きな物が破壊された残骸。
天井のストレートラインのカッティングの精巧さが高度文明を匂わせる。
太古に宇宙で戦争または事故になった宇宙船の残骸っぽい。
20年ほど前に、新婚旅行で訪れました。飛鳥巡りは予定に入っていたのですが、歴史好きな妻に「せっかくだから岩船にも行ってみようよ!」と言われるまで、すぐ近くに存在することを忘れていました😅
本物の存在感は凄まじく、「子供の頃に本で見たモノを、実際に見ている」ことにエラく感動したのを憶えています。
素敵な新婚旅行ですね! しかし、益田の岩船に行こうなんて、奥さんはかなり歴史好きですね。昔の写真を見ると、周辺は全く木が生えていなくて、この事に驚きました。現地でお会いした地元の方の話だと、昔は下からこの岩が見えたとのことでした。環境の変化は思いの外早いですね。
こんなに大きな石をどうやって移動させるのか?
I wish there would be some English description, please.
エジプトの「未完成のオベリスク」を彷彿とさせますね
ご教示ありがとうございます。知りませんでした。益田の岩船も凄いですが、こちらはさらに凄いですね。しかし、どうやって運ぶのでしょうか。不思議ですね。
閃緑岩や花崗岩は硬くて劣化しにくいので今でも高級墓石ですね。なので本当は花崗岩で石槨を作りたかったのだけれどどうも加工がむつかしい。それで凝灰岩で作ることに変わっていった。たぶんそうゆう事だったのではないでしょうか☺
ご教示ありがとうございます。そうなんですね。そう考えると、牽牛子塚古墳の石槨が凝灰岩というのもしっくり来ますね。しかし、それにしてもよくあそこまで運んできましたね。凄いですね。
@@koukogaku 様 運んだのも凄いですが、石槨とするためには上にある穴が正面に来るように石自体を立てないといけないと思うのですがどうすれば立つのでしょう?考えましたが解りません。
身近な場所にこういう遺跡がまだあるのでしょう。
数年前に梵字の彫られた岩があるという山に行ったことがあるのですがそんな感じのものがあるのでしょうね。
何年か前までは、上部の穴のところまで梯子がかけてありのぼることができました。
牽牛子塚古墳(真の斉明陵)のくりぬき石室は圧巻です。巨石を運び込んだそうです。
ご教示ありがとうございます。梯子があったんですか!その時に行けばよかったです。ネットで見たんですが、周囲には全く木や竹がなくて、遠くまで見渡せた時期があったんですね。物凄く変わりましたね。
牽牛子塚、私が行った時には、下まで降りることができませんでした。上から見ても圧巻ですね。
@@koukogaku 2年前に久々に案内したときは、梯子は既に取り払われていました。前は下界が垣間見られた記憶があります。子どもの遊び場になっていたのでしょう。何人か遊んでました。やはり安全のために取り外したのでしょう。
牽牛子塚古墳の発掘以前、普通に格子越しに苔か何かで緑がかってはいるものの、磨き上げられた石室内をじっくり観察できました。格子前で「誰の墓ですか」と尋ねてきた二人の学生にひとくさり話した思い出があります。発掘説明会にも行きましたが、見事な八角形の成形された回廊のような石敷が美しく残り、興奮したものでした。宮内庁は陵墓指定の見直しはしませんが、天皇陵間違いなしになったので、明日香村主体という形でやりすぎなくらいに環境整備がなされました。「白亜のピラミッド」は、明日香の新しいシンボルの如く、明日香の広い範囲から望むことができます。昔のように裏さびれたところに行く感じが無くなってしまい、気軽な古墳でなくなった寂しさはあります。石室もいつでも自由のぞきこむことができなくなってしまいました。
益田岩船は暗黒神話(漫画:諸星大二郎)にも出てましたね……
作中では岩内部は空洞で天文台の様な役割を担っていたと言う設定になっていましたが。
そうなんですね。ご教示ありがとうございます。また機会があれば読んでみようと思います。
考古学チャンネルさんの、観点や考察は凄いですね^^
石は穴など加工すれば重量は軽くなるけれど、加工してから、移動すると簡単に壊れるので
お墓をつくる近くに移動してから加工していたけれど
何かの理由で工事が止まった? 隠されている横やり^^
近くの八角の古墳は、間違いなく天皇関係者の物だけど、それを是としない意思が今の〇内庁にも引き継がれている?
想像を掻き立てる考古学チャンネルさんの次にあげる動画も楽しみ
過分なお言葉をいただき、ありがとうございます。そうなんですね。やはり現地で加工するのが一番間違いないんですね。特に岩船は、あのような大きな穴を開けるのですから、最終的に据える場所でやった方がよさそうですね。ということは、あそこに古墳を作るつもりだった可能性は高いですね。一般的には、ひびが入ったことで、放棄したとされているようですね。○○庁は、一度決めたものに対しては、変更しない方針かもしれませんね。でもそのおかげで牽牛子塚や中尾山、今城塚のように、天皇陵の可能性の高い古墳を見学できるので、少しはいい点もあるかもしれませんね。
益田岩船は一見の価値があります。
ほぼ出来上がっている石槨が間近に見られる貴重な例ですね。
石槨ですね
ですね
これはただの想像ですが
この石は蘇我蝦夷か入鹿の墓に使われる予定だったのではないか?
あんなことがあったので放棄されたのではないか?
この規模の石を利用するのは尋常ではないと思うのでそんなことを想像してみました
恐らくヒビが入ってしまったので、諦めて放置してしまったのではないでしょうか。
「古墳の成り損ない」というよりも「益田」という名前がゾロアスター教のアフラマズダから来ているという事で、この地にあったペルシャ人(天智天皇の頃、イスラム帝国に滅ぼされたササン朝ペルシャの残党が日本に来たという記録もあります)のコミュのゾロアスター教の施設だったという説もあります。
とすれば、播磨の「石の宝殿」は誰の為に造りかけられ、放置されたのでしょうか?
私も見たことはないのでわかりませんが、ネットで見る限り、あれは古墳とは関係ない気がするのですが、どうでしょうか。答えになってなくてすいません。
いいえ、同じ構造の横穴式式石槨です。益田石船は蘇我蝦夷、石宝殿は蘇我入鹿の墓になる予定だったのでしょう。(一代違うので、石宝殿の方がより丁寧に加工されています) 乙巳の変で蘇我氏宗家は滅ぼされますね。どちらも製作途中で放棄されたと考えます。
なるほど、上の方に、ノミ跡がないとすると、上の方が、完成ですね。
下の方が、仕事のし残しというわけでしょう。
古代人の仕事の意思が感じられます。
現代人は、クレーンの技術があるけれども、「こういう岩を持って来て、そこで加工する」という思想や、技術は、あり得ないでしょう。
ここに、この巨岩が、元からあったとか、出来た、とか、
それは、あり得ないでしょう。
オーストラリアのエアーズロック(その世界第二位と第一位が、オーストラリアにありますが、どちらも、砂岩、礫岩)だかのよう。花崗岩でこれだけの岩は、そう無いのでは?
昔流にいうならば、世界の七不思議。
「昔には、あって(出来ていて)、今は無いもの、な~に?」
と、なぞなぞが一つ出来ました。👏👏👏😂
マジノ線要塞かと
もしかして古代のUFOかも。(笑)
アホな解釈だなぁ
なんで墓だと思うのか 本来は横に使う予定だった❓
あのでかい岩をどう横に動かすんだよ😂
なら最初から横に穴あけるだろーよ😂
そもそもこんなでかい岩がぽつんとあることを疑問に思わないのかね
どっから持ってきた❓ どう運んだ❓
僕ら人類には解明は無理だと思いますね
凄いですね。このレベルでコメントできるとは。まあ恥ずかしいっていう事もわからないんですね。
@@koukogaku
おいおい ちゃんと論で説明してくれよ
皮肉なコメントで逃げるな
@@Neko-279 あなたのような失礼な人に何でこっちが時間を使わないといけない? バカバカしい。明日香村のホームページに出てるから読んだら? 明日香村 牽牛子塚古墳
web.archive.org/web/20170908065816/asukamura.jp/chosa_hokoku/kengoshizuka/kengoshizuka.html
@@koukogaku
後で読むけど
俺に賛同してくれたコメントを削除するなよꉂ🤣𐤔
どっちがが失礼な人なんだよ笑
何にしろ、距離感おかしい奴やん😂