"Unzen Disaster Memorial Hall" and "Memorial Park of the Houses Destroyed by Debris Flow"
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- เผยแพร่เมื่อ 30 พ.ย. 2024
- "Unzen Disaster Memorial Hall (Gamadasu Dome)" is a museum that records the Unzen Fugendake eruption disaster that lasted from 1990 to 1995.
"Gamadasu" is a dialect of the Shimabara region that means "try your best" or "hang in there."
"Memorial Park of the Houses Destroyed by Debris Flow" is a park that preserves the houses buried by the debris flow caused by the eruption disaster as they were at the time (some have been relocated).
Please watch the video below before watching this video.
The horror of pyroclastic flows that no one understood! Illustrated "Mount Unzen 1991 pyroclastic flow"
• 誰も理解していなかった火砕流の恐怖! 図解『...
Mount Unzen
1991
eruption
pyroclastic flow
Krafft
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雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)は2025年3月にリニューアルを予定しているとの報道がありました。
直近で訪れる予定の方は、ぜひリニューアル後の訪問をお勧めいたします。
過去に訪問経験のある方も、ぜひ新しくなった展示を巡ってみてください。
※参照ニュースページ
毎日新聞 2024/5/27 地方版「雲仙岳災害記念館、リニューアルへ 「自然の脅威」エンタメ体験 CGマッピングルーム新設 /長崎」
mainichi.jp/articles/20240527/ddl/k42/040/243000c
経年劣化で解体された家の持ち主の孫です。
解体前に改めて観に行きましたが祖母が当時の事を思い出していました。
自分は当時生まれてませんが、話をたくさん聞かせてもらい、子供に伝えていきたいと思います。
長崎普賢岳の火砕流。あなたの動画を偶然に見て思い出しました。当時トラックのドライバーをしていました。千本木の下部国道から少し登ったビニールハウスで花の段ボールを下ろしていた時、地元消防団の方に避難するように声掛けられました。お客様も一緒に手伝ってもらい急いで残りを納品終わらせ中腹をはしる県道を愛野町に向かって逃げなさいと助言をもらい即座に移動帰路回避しました。気持ちは重く避難の声掛けて戴いた消防団の方やお客様のその後は気に掛かるものの戻れない、心配の気持ちを持ったまま離れたことを思い出し頭を下げるしか出来ない自身を今だに歯痒く感じて居ます。皆さんがご無事で居られることを祈って居ります。
迷惑しかかけなかった報道陣のカメラか…人の話を聞かないとこう言うことになると言う教訓にピッタリだよな
テレビ関係者のせいで、多くの人が亡くなったのに、その映像でドキュメンタリーを作ったなんて、サイコパスか
報道陣のせいで亡くなった方がいたことを忘れてはならない
噴火は天災だが、これは人災だ
居座る報道陣を何とかしようとしてた消防士の方が犠牲になったんですよね。あれはお気の毒過ぎた。
@@りか-d4h 消防士ではなく、地元の消防団員ですね。警察官も亡くなりましたが、消防団の方達は仕事ではないのに巻き込まれたんです。。
上木場地区は地図から消えてしまいました。住民がインタビューを受けながら泣いていた映像を見て、悲しくなりました。
高校の時に修学旅行で行きました。
雲仙普賢岳も、ここで噴火があった事も知らなかったので、高校生ながらに衝撃でした
今日は島原に宿泊してます。
里帰りは島原で、普賢岳近くです。
今日は天気が悪く、あまり見えませんでしたが、小さい頃からずっと見ています。歳を重ねるごとにいろんな興味が湧いてきます。
拝聴できてよかったです。
記念 《名・ス他》
1.
過ぎ去った物事などを思い起こすこと。
「―碑」
2.
後日の思い出として残しておくこと。
「―写真」
らしいので何もプラスの意味で使うのが全てではないです あと思想につなげてる人は論外です ここのがまだすドームは是非勉強のために行ってみたいと思いました
なんとわかりやすい動画 見やすいです!
ありがとうございます!
いつもありがとうございます♪
行ってみたいミュージアムですね。
気になる
小学校の修学旅行で訪れることが多い施設ですね。
リニューアル前には1回行ったことありますが、もう一度行ってみたいですね。
テレビ関係者以外の方々の犠牲はとても悔やまれますね。テレビ関係者さえいなければ犠牲者はもっといなかっただろうに……もしかしたらゼロだったかもしれない…本当に残念でなりませんね。
テレビ関係者の方は同情の余地もございませんね。テレビ関係者による最悪の人災ですね。
素晴らしいレポート映像ありがとうございます。
地球からすれば、ありふれた造山運動、普通の自然の営みなのでしょうが、
地上の人間や生物にとっては、凄まじい災害となってしまう。。
人間は当然ではなく、自然環境の中に住まわせてもらっているのだという認識を持つべきです。
噴火が起きている時に、カメラマンに下がれ!逃げろ!と言っているのに逃げずに撮影し続けた映像を、カメラ越しではどの位置まで危険が迫っているのかわからなかった。などと綺麗事を言っている映像をテレビで見た事ありますが、周りが逃げろと言っているのに意地で撮影するのがプロではない。と子供ながらに見てました。結果色々な人に迷惑をかけている人にしか見えない…。最後の家屋には持ち出す事の出来ないその家の方達の思い出がタイムカプセルのように埋まっているのでしょうね。取り壊された家屋の埋まってしまっている所はどうなっているのでしょう…😢
6:21 ここの左奥に複数の小島がありますが、島原大変時の眉山崩壊の名残だそうです。あそこの沖合まで土石流が流れてきたと想像すると崩壊の規模が分かります。
島原は噴火・火砕流被害からの復興を願い、1998年から九州地区学生駅伝のコースになっています。
平成新山の中腹から海へ下る区間を走ったのも懐かしいですね。
がまだすドームもリニューアルするとのことで、久しぶりに行ってみようと思います。
この噴火災害について興味があって資料を集めたり現地調査をしています。
大野木場の「砂防みらい館」も、被災遺構である大野木場小学校共々一見の価値がある施設だと思います。
確か13:34の家屋の説明文に、「平成2年にリフォームしたばかりだった」という記述があり、家主の心情を思って居た堪れない気持ちになりました。
@@荒木-e6v 今更かもしれませんが、外に保存されていた(2年ほど前に劣化のため解体済み)家も建てて5年も経ってなかったです。
私の実家になる予定(両親の結婚を機に建築)でしたが産まれる前に埋まってしまったそうです。、
4:00 これめちゃくちゃ鮮明に覚えてる笑.急に地面が赤く光って音も鳴ったかな?とにかくびっくりした記憶.
あのヘリコプターはチヌークの先祖にあたるV107バートルというヘリで不時着したヘリと同じもしくはそのものかもしれませんねー横にいるのは60式装甲車ですかね?
この墜落したヘリを回収したのもチヌークだったりします。
ズバリ火山灰を吸い込んでエンジントラブルを起して近くの段々畑に不時着したヘリ(機体番号:51817)で、回収したのは増援で熊本で待機していた千葉県の木更津駐屯地に在籍する第一ヘリコプター団所属のチヌーク(CH-47J)で当時は陸自ではチヌークでバートルをスリング(吊り下げ)するという初の試みで無事に熊本に連れて帰る事ができました。
不時着したヘリは機体番号が確か『51712』だったと思います。
展示してあるヘリは映像を見る限り機体番号は『51817』とあるので別の機体です。
現在も定期的に熊本からヘリを整備する部隊の自衛隊員がmaintenanceに来てます。
因にバートルを回収したチヌークは木更津にある第一ヘリコプター団所属です。
嫁さんと見に行きました屋根の下まで火砕流で埋まってました自然て怖いとつくづく思いました!
現物を見に行きましたが、実際に見ると当時の被害の大きさが実感できます。
遺されたこれらも全体の被害からすれば一部に過ぎない事を考えると、雲仙普賢岳による噴火被害の規模と恐ろしさに言葉が無くなりますね。
This is really interesting, thank you for sharing and including subtitles!
記念という言葉の正しい意味を知らない人が多くてうんざりします。辞書で調べてから書き込みましょうよ。
ヘリの横にあるのは60式装甲車ですね
火砕流に耐えられる車体を買われて危険地域での偵察任務に使用されたようです
他にも災害派遣としては珍しく74式戦車も大型投光器で溶岩ドームなどを照射し、監視活動をする目的で派遣されたそうですが、こちらは使用されることはなかったみたいです
ここ修学旅行で行ったんだけど、時間が押してて滞在時間10分とかで全く見れなくて残念だったのよね…みせてくださりありがたい
がまだすドームに展示してある陸自のヘリコプターは阿蘇くまもと空港に隣接する高遊原分屯地に所在する西部方面航空隊隷下部隊の西部方面ヘリコプター隊第3飛行隊所属の主力大型輸送ヘリV-107A(通称バートル)と言って現在のチヌーク(CH-47JA)が導入されるまで主力ヘリとして多岐に渡り活躍してました。
当たり前かもしれないけど陸自のジープのナンバープレートが防衛庁になってるね
まあ、噴火前に戻すことは不可能ですからね。
記念館って言われるとなんか違和感があるなぁ。
でも意味を調べると、使い方は間違ってないからね。記念ってポジティブなイメージだけど。
資料館とかならしっくりくるかもね
確かにグーグルマップを見ても記念館になっている。本来は祈念館が適切かと。
平和資料館などは「祈」念資料館の字を使うことが多いけどね。
記憶を刻むって意味では「記」念であってるんだろうな
なんか資料館に来た気分です
「記念」って変じゃね? って感じたら、まず言葉や創設理由調べる等の癖をつけるといい。まず自分で調べてみるの大事。
埋没した家に小銭投げ入れる?
なんで??
記念館という名称もだし、この光景はお隣2カ国っぽいことなってて違う意味でもゾッとしました…
昔の日本は、北朝鮮みたいな感じやったし仕方ないわ
記念とは、「過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。」です。
なにも間違ってはいませんね。
災害なのに歴史館とかじゃ無くて記念館とは..災害をを記念してどうするんだよ
災害の痕跡を展示してある施設の名前が記念館なんで普通ありえん。