素晴らしい!
わざわざ卒業生の為に駆けつけてくれたのですね。
ほんと台湾の方々は情が深くて心優しくて温かいですよね。
卒業される生徒さんの事を思うだけでも悲しくて泣けてしまうのに、
地震で大変な中、はるばる駆けつけて来てくれた李厚慶文化總会秘書長様の深い温情には
心打たれました。
私は橘高校OBでも関係者でもありませんが、台湾公演の時はいつも橘高校の生徒さんを
心配して見守って下さってましたよね。橘高校が台湾で安全に大成功をおさめた事と
日本との交流がうまくいっている背景には、正にこの方のご尽力あっての事だと思います。
本当に感謝しかありません。ありがとうございました。
影/橘色惡魔畢業公演!文總秘書長李厚慶吹奏畢業名曲感動學生
文化總會秘書長李厚慶日前率團出席日本京都橘高校吹奏樂部第60回定期演奏會(畢業公演),並赴學校拜訪,參與吹奏樂部應屆畢業生的引退式,除準備牛軋糖與總統府行李吊牌贈與橘色惡魔,李厚慶更以小號吹奏日本畢業名曲〈旅立ちの日に〉(啟程的日子),吹奏樂部同學們也跟著哼唱,場面動人。
文總提到,京都橘高校與台灣的緣分,始於2022年受文總之邀於國慶大會演出,去年再度訪台,1週內跳點高雄、台北與新北,所到之處皆聚集眾多人潮,足見台灣民眾的高度喜愛。
當時締下的友誼綿延至今,同學們去年返日前,便和文總約定好,要在今年的畢業公演上再見。李厚慶說,這次會贈送牛軋糖,是因為發現同學們來台時都很喜歡這個零食,還特別採購回日本,希望讓他們重溫這個好滋味;而橘色惡魔時常為了演出東奔西跑,送上總統府行李吊牌,則是期盼無論在哪裡,看到這個吊牌都能感覺台灣一直陪在他們身邊。
文總提到,此次拜訪,京都橘學園理事長片山傳生、顧問梅本裕、橘高等學校校長安田文彥、事務長藤本義德,以及吹奏樂部顧問兼城裕皆盛情接待,足見雙方好感情。引退式上,李厚慶吹奏〈旅立ちの日に〉,祝福畢業生鵬程萬里,即使臨時上陣五音不全,十足誠意仍令同學們相當感動。
橘高校吹奏樂部部長中島表示,感謝文總參加他們的畢業公演,從2年前開始有機會兩度到台灣演出,與台灣的國高中生交流,對他們而言是很難得而美好的經驗,一開始也沒有想像過能夠有這樣的體驗,希望今後無論是透過京都橘高校,或是畢業生們到了其他的地方,都能將台灣跟日本的關係更緊密聯繫。雖然畢業生們即將離開吹奏樂部,現役的同學們也會繼續努力,將台灣跟日本的交流持續下去。
安田文彥說道,感謝文總一直以來的支持,吹奏樂部同學們非常期待能夠再到台灣演出,而也有許多國家因為他們在台灣受到的高度支持,開始關注橘高校吹奏樂部,讓他們非常感謝。
李厚慶說,文總連續2年邀請京都橘高校,橫跨了4期的吹奏樂部成員,有些人陸續成為大學生,再過幾年也將進入職場,期盼他們高中時在台灣留下的美好回憶,可以成為未來再訪台灣的動力,也將這份台日友誼分享給身邊的親朋好友。
日本語訳
映像/オレンジデビル卒業公演!
李厚慶中華文化総会秘書長が有名な卒業歌を演奏し、学生たちに感動を与えた
中華文化総会の李厚慶秘書長はこのほど開催された京都橘高校吹奏楽部の第60回定期演奏会(卒業公演)に代表団を率いて同校を訪れた。そしてその翌日、3年生の卒団式に出席した。ヌガーや大統領府の準備に加え、オレンジの悪魔に荷物タグが渡され、李厚慶秘書長が日本の有名な卒業の歌である「旅立ちの日」をトランペットで演奏。吹奏楽部の生徒たち共に口づさんだそのシーンは感動的だった
中華文化総会は、京都橘高校と台湾の関係は、文化総会から2022年の国慶節大会に出てほしいと依頼をしたときに始まったと述べた。昨年は再び台湾を訪れ、1週間で高雄、台北、新北を訪れ、どこへ行っても人だかりが多く、台湾での人気の高さがうかがえた。
このときの友情は今も続いており、昨年の帰国前に文化総会と今年の卒業公演で再会する約束を交わした。李厚慶秘書長は、今回ヌガーを配った理由は、生徒さんたちが台湾に来たときにこのスナックが気に入っていたことを知り、この美味しさをもう一度味わってもらいたいと思ったからだと述べ、またどこにいてもタグを見れば台湾が常に自分たちとともにあると感じてほしいと願い、総統府の荷物タグを渡したと言った。
中華文化総会は、今回の訪問を京都橘学園理事長の片山傳生氏、前理事長の梅本裕氏、橘高校の安田文彦校長、事務局長の藤本義則氏、吹奏楽顧問の兼城裕氏らに温かく迎えられたと述べ、両者の良好な関係がうかがえると述べた。3年生の卒団式では、李厚慶秘書長は卒業生の素晴らしい未来を祈願し、「旅立ちの日に」を演奏した。一時的に音が外れることもあったとはいえ、その誠実な演奏は生徒たちの心を動かした。
橘高校吹奏楽部の中島部長は「2年前から2度台湾で演奏し、台湾の高校生、中学生たちと交流する機会をいただいたこと、中華文化総会の卒業演奏会への来席に感謝の意を表します」と述べた。さらに 「自分たちにとってはめったにない素晴らしい経験です。最初は自分がこのような経験をすることになるとは想像もしていませんでした。将来、京都橘高校を通して、あるいは卒業生が他の場所に行っても、台湾と日本、両者の関係がより良いものになることを願っています。
台湾と日本がさらに近くなります。卒業生は吹奏楽部を去ろうとしていますが、在校生は今後も台湾と日本の交流を継続するために頑張っていきます。」と続けた。
安田文彦校長は「中華文化総会の継続的なサポートに感謝している。吹奏楽部の学生たちは台湾での演奏をとても楽しみにしています。また、高い評価を受けて多くの国が橘高校吹奏楽部に注目し始めています。台湾で受けたサポートにはとても感謝しています。」と述べた。
李厚慶秘書長は、「文化総会は京都橘高等学校を2年連続で、吹奏楽部員を4期(119期〜122期)にわたって招待してきました。中には現在大学生になり、数年後には社会人になる人もいます。皆さんのこれからの素晴らしい活躍を期待しています。高校時代に台湾を訪れた思い出は、将来再び台湾を訪れ、この台湾と日本の友情を周りの親戚や友人と分かち合うきっかけとなってもらえれば幸いです」と述べた。
厚片吐司二十元
@lee_formosa
感謝京都橘高校吹奏樂部梅本裕顧問邀請,還有島教練一起,有個輕鬆愉快美好的晚餐
夫人還特別準備一段小小的演奏歡迎文總,真是感動萬分,
午前0:00 · 2024年5月12日
李先生一行熱烈歡迎迷你音樂會
1.李斯特:愛的夢
2.巴哈:慢板
3.蕭邦:夜曲 作品第9號第2首
4.蕭邦:夜曲遺作
鋼琴:梅本明子
日本語訳
京都橘高校吹奏楽部梅本裕顧問の招待に感謝し、島コーチも一緒に、気楽で楽しい夕食を食べました。
奥さんは特に小さな演奏を準備して、文総を歓迎します。本当に感動しました。
李さんご一行熱烈歓迎のミニコンサート
1. リスト: 愛の夢
2. バッハ: ラルゴ
3. ショパン:ノクターン 作品9の2
4. ショパン:ノクターン 遺作
ピアノ: 梅本 晶子
京都橘高校吹奏楽部の2回にわたる台湾遠征に同行された 梅本裕氏(京都橘学園 前理事長)が李厚慶中華文化総会秘書長を
自宅に招待されました
奥様がピアノを弾いて歓迎されました
奥様は滋賀県を中心に演奏活動をされているプロのピアニストです
@@a854872これは原文のまま載せましたが記事の肩書きは誤りです
梅本裕(Yutaka Umemoto)氏は京都橘学園の前理事長です
今は特に京都橘学園の役職には就いてられないと思います
2023年3月に京都橘学園の理事長を辞められました
5:07
中島部長
「本当に私たち、高校生では経験できないような経験ていうのを、この橘に来たからこそ、こういうことができて、本当に幸せに感じますし、本当にこれからも橘高校と台湾とのつながりを持てたら本当にいいなと感じています。」
5:42
「今も言ったんですけど、本当に、あのー、3年生は引退となるんですけど、これから現役生(121期以降)も、台湾と繋がりをもって頑張っていきたいなと思うので、またこれからもよろしくお願いします。ありがとうございました。」
旅立ちの日に 歌詞
2:45
1.白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
3:36
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
4:02
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
(以下の2番は李厚慶さんは、演奏していません)
2.懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に🎉
哇,謝謝❤❤❤
合唱曲 旅立ちの日に
作詞:小嶋登
作曲:坂本浩美
以下、Wikipediaより
『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、1991年に埼玉県の秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である[1]。作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲は音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)による。編曲は、松井孝夫[注 1]他、複数の作曲家によるものがあり、原曲および混声三部版・混声四部版は変ロ長調、同声二部版は変ロ長調またはハ長調、同声三部・女声三部版はハ長調である。2000年代以降、卒業ソングの定番として認知されている。[2]
概要
歌の誕生まで
秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登は当時、荒れていた学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂本浩美と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい!」との思いから、作詞を小嶋に依頼した[3]。その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置かれていた。その詞を見た坂本は、なんて素適な言葉が散りばめられているんだと感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っている。その後、授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという[4]。
出来上がった曲は、「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けてサプライズとして歌われた。この年度をもって小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。元々はこの1度きりのため作られたはずであったが、その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
作詞者の小嶋は2011年1月20日に80歳で死去した[5]が、同年11月14日に『旅立ちの日に』が誕生から20年の節目となることを踏まえ、作曲者の坂本と共に、埼玉県より「彩の国特別功労賞」(同賞創設以来4番目)が贈呈された[6]。
卒業式の定番曲に
出来てからしばらくは影森中学校だけで歌われた合唱曲であったが、次第にまわりの小中学校でも歌われるようになった。当時東京都の中学校で音楽教諭を務めていた作曲家の松井孝夫は、この曲を知ると混声三部合唱への編曲を行った。これが音楽之友社の雑誌『教育音楽』に取り上げられたことで[7]、1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった。さらには、2004年3月に『情報ライブ EZ!TV』で取り上げられたことや、2007年にSMAPが出演するNTT東日本のCMソングに起用されたのをきっかけに、小中高校の卒業式で定番のように歌われていた『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などを抜き、全国で最も広く歌われる卒業式の歌となった[3][8]。
演奏例
th-cam.com/video/Xgy7JzY1Gcg/w-d-xo.html
th-cam.com/video/U7fRUcKX8Pk/w-d-xo.html
【涙の卒業公演】「オレンジの悪魔」京都橘高校 吹奏楽部 一夜限りの「夢コラボ」OBOGの86人が集結 60回記念公演チケットは1分で完売
カンテレNEWS
2024/04/02
th-cam.com/video/vgJ0inZegpA/w-d-xo.html
カンテレNEWSの最後(18:07)で、卒業生達は何と言ってるか、ご存知ですか?教えてください。
th-cam.com/video/vgJ0inZegpA/w-d-xo.htmlsi=TVzazsNFmW7QmCEg&t=1087
台湾にも卒業定期公演での展示品とか紹介されているでしょうね。そう言えば4月にも京都ロームシアターで、佐野さん監修の元、参加される見たいですね。たまたま、TVのCMで、橘のオレンジ🍊が確認出来たので(笑)。4月20日だったと思います。
久しぶりに京都橘のテニスコートの横で音出しをして来ました❗️珍しく、伏見城の公園も人が多かったんですよ…お弁当を食べている人が多くて❗️クラリネットを吹いている知人と喋っていたらイタリア人のお兄ちゃん達が…❗️知り合いで同じように楽器をやっている人と盛り上がり❗️折角だからイタリア人達に、この近くに海外でも有名な高校生バンドの学校があるって宣伝をしておきました😆❗️
中和後長美美滿贊
文總秘書長 李厚慶
橘高校日文致詞及小喇叭演奏
橘高校120部長 中島感謝發言
橘高校の生徒達との交流にここまで駆けつけてくれたこと。卒業生に言葉や演奏してくれた事務総長。ありがとうございました。この二年間は、貴方方の協力により台湾交流、楽しめました。謝謝台湾!
最真誠的祝福❤❤❤