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同級生の親に連れて行ってもらった試合。野球初観戦♫桑田のエンタイトルツーベスのボールが入ってきたのを真近で見た記憶が♫興奮してその晩大阪球場に南海の試合観に行った…笑🤣記憶が甦ってきました…ありがとうございます😊
監督の奥さん美人やな
松山商業は昔からオール四国の選手が集った、最強公立
監督の奥さん、美人すぎるやろ今なら化粧の技術上がってるから超絶美人やな
乗松さん当時愛媛はプロ野球選手少なくて憧れの選手でした。この後インタビューの間泣いてる2年生の村上、田中さん叱るんよね。来年あるやろって
3:44 旗手選手は、守備の上手い選手でしたね。でも前年の夏の甲子園でPL学園が優勝した時は、旗手選手は試合に出ていませんでしたね。この頃のPL学園野球部は、選手層があつかったですね。
済美高校監督の乗松さんのバッティングも印象的でした。
松山商の2年生エース・酒井光次郎投手。PL学園に対する試合の中で、この試合が大会通して一番の投球内容であったと存じます。近畿大学に進学後、3回生の春季リーグがら主戦投球として活躍。2年連続、全日本大学選手権優勝、4回生では春秋リーグ優勝、全日本大学選手権優勝、明治神宮野球大会優勝の大学野球グランドスラムの偉業を達成する活躍。その4回生ではリーグ戦から関西選手権を経て全日本大会決勝にかけて80回3分の1無失点記録を作り、まさに大学野球において天下無双状態でした。ドラフト1位で日ハムに入団。1年目ながら先発ローテーションを守り、10勝10敗の成績。野茂がいなければ新人王は固かったと存じます。故障に悩まされたそうで最後は阪神に移り、現役引退は早かったと存じます。
日ハムでは、若菜捕手との相性が抜群でしたね。若菜の引退で酒井光次郎も終了。7月には4勝で月間MVP。大阪の枚方からPLを倒す為に松山商業へ。キャプテン乗松征記は上甲監督を継いで済美の監督になるも退任。今はどうしとんでしょか?松山商業大好きなものとしては復活が気になります。来年のセンバツの21世紀枠候補推薦には入りましたが、落選。全ての元号での優勝を続けて欲しいですね。何しろ、唯一ですから。
この年もやけど2年後の1986年も強かった!
3:30以降は、見ごろですね。ピッチャーの守備力、判断力、素晴らしいです。PLも小技を魅せてくれました。
桑田てこずった試合立ったんだ、中々、素晴らしいね、松山商業。
84年春~85年春のPLは準々以降打線が湿るパターンなんだよな。
4:12のシーン何となくだが女優の榊原ルミさんに似てる気がする!
私立も公立も強さは関係無い頃だったなあ。
甲子園でストレートとカーブだけの縛りプレイをするバケモノ桑田
ストレート と カーブしか 投げませんでした と 言う だけど、 「実際には スライダー と フォークも 投げられたんですよ プロに入ってからのことも考えて この2つを磨こうと思って」と語っていた
この試合辺りからPL打線畳み掛ける打線が湿ってきた。
監督の奥さんが美人やがな笑
松山商酒井はPLを最も苦しめた投手。金足農の水原よりも。
俺もこの時初めてPLやられちまうかもて思ったね。酒井の外に逃げるシュートに大苦戦だった
金足農は水沢じゃなかったっけ?
@@1win1win1 その通りです
水原じゃなくて 水沢さんです
この年の松山が一番強かったと思う。たぶん、優勝した時よりも力は上だったんちゃうかな。
松商最強のチームやって言ってる人かなりいますよ
松山商の最強チームで間違いありません。この時の酒井光次郎は無双でした。
84年と86年ではレベルが段違い
四国四商の中で一番強いと思っていたが一番時代の変化に遅れて甲子園から遠ざかっている感じでしょうか?復活はあるのかな?
2年後の準優勝投手の藤岡雅樹、上川正司に2年後のキャプテン、水口栄二の名前があった。2年連続、準々決勝は、なぜか、面白いパターン。その年の準優勝校に敗れた学校が、2年後、準優勝している(1983年横浜商に敗れた宇部商が1985年に準優勝し、今回のPL学園に敗れた松山商が1986年に準優勝している)。2年生投手酒井光次郎は、これが最後の甲子園の試合となり、翌年、甲子園に帰ってこれなかった(翌年の代表は川之江)。
そうでしたなあ。酒井光次郎サン、3年の夏は、甲子園に帰ってこれなかった。前年の夏、ベスト8組で、当時2年生だった酒井ささんはじめ村上英やさん、松田竜二さん、田中雅士サンが残って、かなり強いチームでしたが。1985年夏愛媛県大会ベスト8で、この年春選抜で、ベスト8に進出した好投手黒子孝喜サンの西条に5対0の完封負け。その1つ下が、翌年1986年夏準V。水口栄二サン()
水口栄二サン(現阪神打撃コーチ)、藤岡雅樹さん(現在カメラマン)、上川サン、小さな4番打者中村包サン、堀内サン(現創価大学野球部監督)、大野義光サン(現三浦工業)。
@@敏雄森佐野さんは気の毒だよね!
酒井はのちに近大から日本ハムでプロへ
酒井光次郎は近大で大黒柱の存在でした。
PL勝ちましたが、一回戦から三回戦まで14点9点9点と取ってきた打線が、松山商の酒井・金足農の水沢・取手二の石田と好投手が相手とはいえ、2点2点4点とこの後は冷えましたね。ここで酒井に狂わされたんですかね。
桑田は こう言ったことが あった 「松山商業の酒井さんが よかったですね 都城の田口さんも そうですが、 いい投手が出ると そうそう腕ません」 だって
訂正❗ 腕ません ← 打てません の 間違いです!
酒井投手は確か兵庫県の出身だったようにおもう。
だから、監督の家に住まわしてもらってるんじゃない?
大阪枚方の津田中学出身だったかな
@@minato5252 僕の記憶では、祖父母の家やったと思います。大阪府枚方市出身です。
KKコンビの3年間で夏の準々決勝での相手は四国の商業高校
確かに。昔の商業高校は全国的に甲子園の常連だったし「四国四商」も然り。高知商・津野や中山、松山商・酒井、後にみんなプロ入りしてるし、どの試合も白熱してたな。
3年センバツでは伊野商業渡辺智男に抑えられたね。
3:06五回のPLは、予想通りかな
そんなに差はないなあの3塁の暴投なかったら金星だったかも
あの強打のPLが連続バント攻撃って
田中正義の名前があって、びっくり。
力は松山が上。選抜の取手二にも勝ててた試合でした。
選抜は点差以上に完敗だったと思う。強力打線と言われた松商だったけど、軟投派ピッチャーを全く打てなかったし、それ上に守備が乱れ過ぎた。
桑田の全盛期か。
同級生の親に
連れて行ってもらった試合。
野球初観戦♫
桑田のエンタイトルツーベスのボールが入ってきたのを真近で見た記憶が♫
興奮してその晩
大阪球場に南海の試合観に行った…笑🤣
記憶が甦ってきました…ありがとうございます😊
監督の奥さん美人やな
松山商業は昔からオール四国の選手が集った、最強公立
監督の奥さん、美人すぎるやろ
今なら化粧の技術上がってるから超絶美人やな
乗松さん当時愛媛はプロ野球選手少なくて憧れの選手でした。この後インタビューの間泣いてる2年生の村上、田中さん叱るんよね。来年あるやろって
3:44 旗手選手は、守備の上手い選手でしたね。でも前年の夏の甲子園でPL学園が優勝した時は、旗手選手は試合に出ていませんでしたね。この頃のPL学園野球部は、選手層があつかったですね。
済美高校監督の乗松さんのバッティングも印象的でした。
松山商の2年生エース・酒井光次郎投手。
PL学園に対する試合の中で、この試合が大会通して一番の投球内容であったと存じます。
近畿大学に進学後、3回生の春季リーグがら主戦投球として活躍。
2年連続、全日本大学選手権優勝、4回生では春秋リーグ優勝、全日本大学選手権優勝、明治神宮野球大会優勝の大学野球グランドスラムの偉業を達成する活躍。
その4回生ではリーグ戦から関西選手権を経て全日本大会決勝にかけて80回3分の1無失点記録を作り、まさに大学野球において天下無双状態でした。
ドラフト1位で日ハムに入団。1年目ながら先発ローテーションを守り、10勝10敗の成績。野茂がいなければ新人王は固かったと存じます。
故障に悩まされたそうで最後は阪神に移り、現役引退は早かったと存じます。
日ハムでは、若菜捕手との相性が抜群でしたね。
若菜の引退で酒井光次郎も終了。
7月には4勝で月間MVP。
大阪の枚方からPLを倒す為に松山商業へ。
キャプテン乗松征記は上甲監督を継いで済美の監督になるも退任。今はどうしとんでしょか?
松山商業大好きなものとしては復活が気になります。
来年のセンバツの21世紀枠候補推薦には入りましたが、落選。
全ての元号での優勝を続けて欲しいですね。何しろ、唯一ですから。
この年もやけど2年後の1986年も強かった!
3:30以降は、見ごろですね。
ピッチャーの守備力、判断力、素晴らしいです。
PLも小技を魅せてくれました。
桑田てこずった試合立ったんだ、中々、素晴らしいね、松山商業。
84年春~85年春のPLは準々以降打線が湿るパターンなんだよな。
4:12のシーン何となくだが女優の榊原ルミさんに似てる気がする!
私立も公立も強さは関係無い頃だったなあ。
甲子園でストレートとカーブだけの縛りプレイをするバケモノ桑田
ストレート と カーブしか 投げませんでした と 言う だけど、 「実際には スライダー と フォークも 投げられたんですよ プロに入ってからのことも考えて この2つを磨こうと思って」と語っていた
この試合辺りからPL打線畳み掛ける打線が湿ってきた。
監督の奥さんが美人やがな笑
松山商酒井はPLを最も苦しめた投手。金足農の水原よりも。
俺もこの時初めてPLやられちまうかもて思ったね。酒井の外に逃げるシュートに大苦戦だった
金足農は水沢じゃなかったっけ?
@@1win1win1 その通りです
水原じゃなくて 水沢さんです
この年の松山が一番強かったと思う。たぶん、優勝した時よりも力は上だったんちゃうかな。
松商最強のチームやって言ってる人かなりいますよ
松山商の最強チームで間違いありません。この時の酒井光次郎は無双でした。
84年と86年ではレベルが段違い
四国四商の中で一番強いと思っていたが一番時代の変化に遅れて甲子園から遠ざかっている感じでしょうか?復活はあるのかな?
2年後の準優勝投手の藤岡雅樹、上川正司に2年後のキャプテン、水口栄二の名前があった。2年連続、準々決勝は、なぜか、面白いパターン。その年の準優勝校に敗れた学校が、2年後、準優勝している(1983年横浜商に敗れた宇部商が1985年に準優勝し、今回のPL学園に敗れた松山商が1986年に準優勝している)。2年生投手酒井光次郎は、これが最後の甲子園の試合となり、翌年、甲子園に帰ってこれなかった(翌年の代表は川之江)。
そうでしたなあ。酒井光次郎サン、3年の夏は、甲子園に帰ってこれなかった。前年の夏、ベスト8組で、当時2年生だった酒井ささんはじめ村上英やさん、松田竜二さん、田中雅士サンが残って、かなり強いチームでしたが。1985年夏愛媛県大会ベスト8で、この年春選抜で、ベスト8に進出した好投手黒子孝喜サンの西条に5対0の完封負け。その1つ下が、翌年1986年夏準V。水口栄二サン()
水口栄二サン(現阪神打撃コーチ)、藤岡雅樹さん(現在カメラマン)、上川サン、小さな4番打者中村包サン、堀内サン(現創価大学野球部監督)、大野義光サン(現三浦工業)。
@@敏雄森佐野さんは気の毒だよね!
酒井はのちに近大から日本ハムでプロへ
酒井光次郎は近大で大黒柱の存在でした。
PL勝ちましたが、一回戦から三回戦まで14点9点9点と取ってきた打線が、松山商の酒井・金足農の水沢・取手二の石田と好投手が相手とはいえ、2点2点4点とこの後は冷えましたね。ここで酒井に狂わされたんですかね。
桑田は こう言ったことが あった 「松山商業の酒井さんが よかったですね 都城の田口さんも そうですが、 いい投手が出ると そうそう腕ません」 だって
訂正❗ 腕ません ← 打てません の 間違いです!
酒井投手は確か兵庫県の出身だったようにおもう。
だから、監督の家に住まわしてもらってるんじゃない?
大阪枚方の津田中学出身だったかな
@@minato5252
僕の記憶では、祖父母の家やったと思います。
大阪府枚方市出身です。
KKコンビの3年間で
夏の準々決勝での相手は四国の
商業高校
確かに。昔の商業高校は全国的に甲子園の常連だったし「四国四商」も然り。高知商・津野や中山、松山商・酒井、後にみんなプロ入りしてるし、どの試合も白熱してたな。
3年センバツでは伊野商業渡辺智男に抑えられたね。
3:06
五回のPLは、予想通りかな
そんなに差はないなあの3塁の暴投なかったら金星だったかも
あの強打のPLが連続バント攻撃って
田中正義の名前があって、びっくり。
力は松山が上。選抜の取手二にも勝ててた試合でした。
選抜は点差以上に完敗だったと思う。強力打線と言われた松商だったけど、軟投派ピッチャーを全く打てなかったし、それ上に守備が乱れ過ぎた。
桑田の全盛期か。