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Kの考えてることが全然表現されてないっていうのはちょっと違うと思います。joiの広告が一番最初に画面内に登場するのはjoi本人が登場するよりも前で、その広告には「あなたが見たいもの・聞きたいこと全て」とあります。つまり、作中でjoiがKに語り掛けるセリフのすべてがK自身が「こうあってほしい」と思う自分の姿の投影。DNAの塩基配列をチェックするシーンでしつこいくらい「あなたは特別、望まれて生まれてきた子供、夢を見てもいいじゃない」と甘く囁かれるのも、Kが本当は「自分が人間である」ことを望んでいることの裏返しだと思います。そしてKはjoiを大切な恋人として扱うものの、巨大joiのシーンでそのすべてが自身の生み出した幻影であったことを思い知る。最後の拠りどころすらも失ったKは「大義のための死は何よりも人間らしい」という反乱軍の言葉に従い、デッカード輸送隊を襲撃。その後の展開でさらにKにとっての人間らしさに答えを出す...といった感じかと。やっぱり人によって色々な解釈があって、賛否も分かれるところですが、私は2049すごく面白かったです。
いやあのライアンゴズリングの演技がいいんだよ。レプリカントとしてコントロールされて生きてきたから感情の起伏はないんだけど、そんな自分に満足していないような憂えげな表情。ジョイを恋人として接する時にだけ見せる優しい顔、自分が誰かの子供で特別な存在かもしれないと期待して静かに興奮したり、偽りの記憶を大切にしていたり、表情の起伏を最小限に抑えてるのに人間に憧れる主人公の感情がひしひしと伝わってきた。だからこそラストにはグッときたし、自分は圧倒的に前作超えたと感じた。
いつも楽しく視聴しています。今回初めてコメントします。ブレードランナー2049の個人的な感想は逆で、非常に面白い映画でした。というのも、主人公の内面描写が必要十分で、無駄がなく映像が美しい一方よく共感できたからです。ジョイは客観的に見れば量産品ではあるものの、Kにとっては「俺だけのフィギュア」であっただけでなく、自分の人工の記憶の中で、自ら望んで得ることができた数少ない暖かな記憶だった、あれは個体性だ、だから素晴らしいんだと、彼は巨大広告の前で確信しました。そして反乱組織の存在を知ってKはやる気になったというよりも、自分にはどうせ子孫を残す能力もない、自分は製品であり、記憶さえ人工の偽人間だが、偽女のジョイのように自分の気持ちだけは守って、素晴らしい偽物として生きようじゃないかくらいに思ったのであり、反乱組織のために邁進するなんて様子は見えませんでした。最後は、組織の思惑のために娘を父に引き合わせるというよりも、家族のために耐えた父のために娘に引き合わせるという意味合いになっています。この姿はまるで、組織の思惑はどうあれ、自分がそこに参加する意味を自分ひとりで確保して、組織に従い、背くでもない、本物の現代の量産人間そのものだと感じました。この感じ方の違いは、岡田さんのレベルの高さに由来するのかもしれません。つまり、僕のSF映画ファンとしての経験、読み込みが足りず、作り手側としての思い入れがないから岡田さんの見方に追いつけないのであって、よいクリエイターだったら観客として岡田さんやゆうきまさみさんのように感じるのは当然なのかもしれません。しかし、各シーンが伝えている主人公の内面描写は僕にとってはかなり明らかなもので、説明不足はなく、Kが何を考えているか分からないなんて微塵も思いませんでした。モノローグを入れるとしたら、岡田さんが想定しているものと違う内容になるのではないかと思うのです。「かわいげ」の点でいうと、たしかに可愛げがあるのは、レトロを通り越してアナクロニズムなホログラム彼女の技術設定と、前作と被っていますがマイクロフィルム再生機が話すあやしげな日本語、なぜか通じる英語と外国語の会話くらいで少なかったので、もうちょっと盛ってもよかったなと思います。「ラストは、Kとジョイが2人でスピナーで去っていく」とのことですが、それでは前作初版と同じで全体が意味不明になってしまいます。「人間になりたいわけではない」ということを伝えるために、「生活」、「駆け落ち」という人間の真似事をするのは本末転倒に感じます。
いやなんでKが何考えてるのか分からないってなるのか分からん。音楽とかKの心境を表現してて素晴らしいと思ったし、自分の記憶が本物だってわかった時、「チキショー!」って叫んでたじゃん。それが全てを物語ってると思うけど。もう一回ちゃんと見たほうが良いよ。
ほんとですよね。「何者かになりたい」「記憶が本物であってほしい」「愛する者と一緒にいたい」みたいな切実な想いがバシバシ伝わってきて、人間より人間味があるKの悲哀に死ぬほど感情移入してしまういい映画だと思うんですけどね、、、
自分が思ってる事全部書いてあったありがとうございます
わかんねーよ、バァカ
チキショー!って小梅太夫が出てきて笑った😂
同意です。Kが信条を台詞で話さない分ジョイが代わりに説明してくれてるので、この上なく分かりやすく描いていると思います。これを理解できない岡田さんはホントにサイコパスなのかあるいは映画読解力が無さすぎる人なのか…どちらにしてもTH-camで堂々とわからないと言える勇気は凄いですね。
ブレードランナーは高校生の時リアルタイムで見た世代ですが自分的にはブレードランナー2049はとても良かった映画でしたね。人それぞれいろいろと思う事はあるでしょうが懐かしむと言うより新しい作品として集中して最後まで見れましたし前作の思い出もありつつ素晴らしい作品でとても満足出来た作品でした。😊
ブレラン2049は映画館で観たけど前作にも劣らない名作だと思うけどな
というか、Kに心の動きがほとんど感じられないところがイイんじゃないの。ほとんど心象風景みたいなものを感じられず、砂漠のような感じで。
上映時にもここに来たのだが、たまたままた来て見てたら、ちょっと何か残したくなった。2049は確かにパーフェクトじゃなかったけど、ここまでやってくれたらとりあえず良かったと言うのが自分の評価。デッカードやレイチェルとのつながりが脚本を温くしていた気がするが、それを無くすと続編のテイを成すのも難しい。あと、タイレル社長がノーベル賞受賞者然とした人物だったのに、ウォレスがザッカーバーグクラスのビジネス小者なのもちょっと惜しい。でもね、岡田さんが言ってる「Kって人間になりたかったっけ?突然そうなったけど、いつからそうなったの?」や「ジョイが街に溢れてて、自分もニセモノなんだなという気持ちになっちゃう」みたいなのに、ちょっと異論を唱えたくなるんです。Kが仕事以外空虚なのは、レプリカントなので当たり前なんだけど、そんな現代人へのメタファーみたいな人物でも、ちゃんと幸せがあったわけ。それがジョイ。そしてジョイも映像付きAIではあるけど、最終的にはKの理解者として消えて行く。Kはその後、街でジョイのコピーを見て、亡くしてしまったジョイはここにいるジョイとは違う、確かに自分だけのジョイだった、という思いを強くしたのと共に、喪失感と怒りを覚えたのだと思う。それがラヴを襲ってデッカードを救うモチベになった。ブレランをオマージュしたゲーム「スナッチャー」の終盤でランダムハジルと言うキャラが、デッカードもどきの主人公と言う、「たとえ俺の記憶がニセモノでも、共に一緒に戦った記憶は本物だ」みたいなものなんですよ。すべてがニセモノでも、ジョイとの間に培った互いの感情は本物だった。これがブレランのデッカード・レイチェルの愛にも繋がり、ロイの最期に見せた、それでも俺は人間には体験できないいろんなリアルを見て来た、そしてここにいるデッカードも彼だけの時間を重ねて来たという意味では命としては同等なんだ、みたいなシンパシーにもつながるんだと思う。フォークト=カンプフ検査をクリアできるような他者への共感を獲得できるんだよレプリカントは。そしてそれが神を見た、と言うか、奇跡を信じるか?と言う話になるわけ。デッカードとレイチェルの奇跡が現実であり守れれば、Kとジョイの愛の奇跡も本物だと信じられる。だから、人間になりたいと飛躍する前に、ジョイとの愛が確かにあった、ということと、俺が意識し生きた、記憶と行動を残したかったんだよKは。
gyokutube 最高にブレードランナー愛に満ちてる考察、ありがとうございます😊❗️
gyokutubeさんに凄く共感出来ます。前作でもレプリカントは「想い出」や「記憶」を大切にしてきました。それが例え他人からの移植であっても。実際の人間も年老いてくると昔話を何度も繰り返す様に、自らが生きて来た証を確認することで老いや死への恐怖を克服できるのだと思います。Kは人間になりたかったし、もしかすると自分が「奇跡の子」かもしれないという期待が叶わなかった時の落胆ぶりは完全に人間的感情です。レイチェルとデッカードが愛に目覚めたように、Kのジョイへの愛もデッカードを守ろうとした気持ち(これもある種の愛?)も本物だったことで観衆は救われた気持ちになります。今作はヴィルヌーヴが前作へのリスペクトを込めてハンプトンファンチャーやフィリップKディックの原案とリドリースコットが本当にやりたかったことを形にしたオマージュなんだと思います。結果的に「分かり難い」事は否めませんが、それは良いか悪いかではなく好きか嫌いかの話ですね。前作が当初は興行的に失敗だったからと言って分かり易くすれば良いかというと、それも賛否両論あるでしょう。僕は今作は前作ファンへの御褒美的な作品だと思っているので、敢えて分かり易くする必要はないと思いました。全編通して暗い、寒い、辛い中にも一瞬の温もりを感じられるのが「ブレードランナー」なんだと思っています。ハッピーエンドじゃないとウケ無いし面白くないという意見があることも分かるけど、「ブレードランナー」はそれで良いのだと思っています。
長い深い考察ありがたいです😂読んでると、お二方の考え、感情が心に深く刺さりました。上手く語彙が見つかりませんが、生きる大切な時間や記憶を刻む日々の欠けがえの無さ…みたいな。
案外酷評なのにびっくりした俺は面白かったなっていうか心があと引く作品だと思います 哀しい寂しい切ないK何のためにこの世に生をうけたのか アート方向に振ったのも良かったと思いますスコット監督とは別のものを作りたい意気込みは感じられます キューブリックというよりはタルコフスキーじゃないかな
自分が若いからかもしれないが2049の方が面白く感じた
ただただジョイがかわいかった
結構好きだけどなー2049どのシーンもルックが良いし、演出が丁寧で分かり易かったけどなーあと岡田さんのは面白くする方法ってよりは大衆受けを良くする方法だよね、大衆が支持しなくても面白いものはあるってのはオタクなら一番身にしみてることなはずなのにな。あ、岡田さんは2049面白くなかったのかでも岡田さんの話は面白かった(笑)たくさん映画を見てきた人の、映画の見方を聞くのは勉強になるねぇ
オタク目線っていうより、クリエイター目線なのかもね。かわいさのない作品を見ると、どうしてもアラを探してしまう。あとは、自分が「視聴者にどうやって伝えるのか」みたいな事を常に考えてやってきたから、独りよがりな表現に厳しい。「分からなくても面白い」のなら良いけどね。宮崎駿なんかは岡田さんもめちゃくちゃ深い解説してるけど、そこまで深く理解出来なくても普通に観て面白いじゃん。
俺は大好きな作品だった
感じ方はそれぞれだけど、おれは今作めちゃくちゃ美しかったし素晴らしい映画だと思ったかな。音楽に関しても、ハンスジマーは前作をさらにアップグレードした音楽を生み出したと思う。これもそれぞれの好みだろうけど、おれはめちゃめちゃ好きかな。
映像のタッチはキューブリックよりはタルコフスキーをオマージュしていると思います。KとAI(ジョイ)の関係はスパイク・ジョーンズ監督の『her/世界でひとつの彼女』を彷彿とさせられました。
映画館で観た後は「イマイチ」だったんだけど、人にいかに「イマイチ」を伝えていたら相手も私も「あれ?良い話?」ってなって観返してみた。結論としては「結構良かった。」
人生に疲れた私にとってブレラン2049はイイ塩梅で見れました。確かに眠気をもよおすところはありましたが、それを見越してか船の汽笛にも似た大音響のBGMに叩き起こされたので眠ることなく済みました(笑)
ほとんどの人はすとーりーを辿れないのかもしれませんね。私は一度見て読み取れて、かつ最後の場面は泣けるし、絵も綺麗で名画だと思います
3時間近くの映画ならデザートとしてハッピーエンドにすべきってのは分かるわ〜長々と映画見たら笑顔で席を立ちたいわ。
1回観ただけで分かりにくいとか、前作と同じように作れとか、全く的外れ。今作も前作同様に何度も見直して初めてわかってくる。余計な解説などなくとも、感情を表現しないライアンゴズリングの演技も、これで良いのだ。そもそも否定的な目線で観れば幾らでもケチは付けれる。しかしそれは前作を観た時の純粋な自分ではなくなっているだけ。三十数年の間に歳をとって素直な感性を失っただけだろう。
岡田斗司夫の解説は面白いのが多いけど、これは本当に的外れなこと言っているって思った。
Kの説明不足というけれど、説明しちゃったらブレランじゃないような。わかんない部分は観た人で補ってくれみたいな。82年のブレランも当時としては、当時なりのアート映画だと思いました。お話もよくわからなかったし。Kのハッピーエンドには賛成ですね。でもデッカードにとってはハッピーエンドでしたね。なぜかいつも生かされるデッカード。
岡田さんが飲んでるもの&その飲み物が入ってるボトルの詳細が知りたくて仕様がなくなってる……。
「俗っぽさが必要だったのでは?」 と、いう意味で 意見は一致しますね
私は生来のブレランファンです。確かに最初は「うーん」と思いました。しかし気がつけば数十回見ている。くせになるほど。確かに気になる点は多い。でもくせになる。気がつくてまた観ている。面白くない人は、観なければいい。それだけだと思う。
恐らくタルコフスキーだと思いますよ、家が燃えるシーンなんて特に
プレランの続編は2001年宇宙の旅における続編の『2010』と立ち位置的には似ている。
個人的に、内容はシンプルだけど映像の間と余韻で登場人物の内面を想像させる作品だと思ったから、さほど退屈せずに観れたけどな。
示唆に富んでおり、観るひとに・観る度に多様な解釈をもたらす物語ほど大人向けの物語である。
字幕版だと何しているか全く意味不明だったけど、吹き替え版でようやく観れた映画だった
コメントの多くがまともで安心した。これなら町山智浩の解説のほうがマシ(別に町山が好きってわけじゃないが)Kが何考えてるかわからん?それをいちいちセリフにしたらこの映画は台無し。みんなデッカードには感情移入できないが、Kにはできたでしょ?岡田はひろゆきと同じレベルで草
前作のブレランはセットに生活感があって街の息遣いを感じた。常に雨や光や空気が意図的にカメラに捉えられてた。あのグチャグチャ感が良かった。2049は只のセットにしか見えない。せめて光る傘くらい出せと。物語は良かったけど。そして前作のヴァンゲリスの曲は素直に使って欲しかった。ビルヌーブの映画が観たいんじゃ無いブレランの続編が観たいだけ。スターウオーズと一緒。
主人公のモノローグは前作の劇場公開版にもありましたね。リドリー・スコット監督は好きじゃなかったらしいけど。
分かりにくさが様々な解釈を生み、パーソナルな映画になると考えます。人の数だけ解釈が存在する。私はそんな映画がたまらなく愛おしいのです。
これ面白くないって・・・・。そもそも娯楽性って一言で単純化するけど、2049みたいな高度なロジャーディーキンスの見事な映像美などが「楽しい」と感じる娯楽性もあるのに。娯楽性とは人によって基準も性質も違うから一概に言うことができない。最高に面白かった自分からしたら娯楽性が無いというのがわからない。大衆性が無いというのならまだわかる気がするが。そもそも大衆性を意識した作りにするならば多くの点で妥協しなければいけない部分が出てきて傑作にはなりにくい。
ブレラン2049はジョイちゃんの萌味を味わう映画だと思ったw
間違いないわ
めちゃおもろかったけどなあ
ビルヌーブ監督はキューブリックじゃ無く、タルコフスキーのオマージュをやろうとしたんですよ!サクリファイスを観てください。大衆受けするはずも無い!私個人は“ブレードランナー2049“はとても満足しました!!
岡田斗司夫はタルコフスキーとかフェリーニとかアート映画は大嫌いだって言ってた。2049もアート寄りだから嫌いなんだろうな。傑作なのにね。
ヴァンゲリスは「南極物語」も楽曲提供してますね。
16:40主人公が何考えてるかわからないってのは前作もそうだったけどな
岡田さんの言う「面白くする方法」はドラマとかアニメだったら納得できる。商業性について言うなら、女性ウケする旬なイケメン俳優使えば良かっただけな気がする。売上の大部分はSF好き男性層が中心になってしまってる気がするし。
主人公の気持ちを全て読み違っている。この人はB級アクション映画のように全て説明しないと分からないのかな? この人が、このようにしたら受けると言う案は映画を破壊するだけでしょう。
翻訳が悪かったんじゃないかな。映画翻訳ひどいの多いから。ホログラム彼女の存在はいらないと思ったけど、kの演技も抑えて抑えて爆発させてて良かったと思うし。「kがいつ人間になりたいっていってた?」と仰っていますが、自分が特別な存在でありたいと思っているのは良く現れていたと思う。アメリカでの興行収入も悪かったけど評価は高かったよ。前作もそうだったしね。
そうなんですよね。古くからブレードランナーを見知ってる映画ファンなら、そういう感想に到達するんですよ。ブレードランナーを過去の栄光のみで何か特別視しているフシがある人は、逆に否定するんですよ。まさにブレードランナー公開当時の現象そのもの。
ブレードランナー2049アマプラでようやく見ました!が私も寝不足とかでは無いはずですが何回も寝落ちしそうになりました。途中コーヒーを飲んだりしてなぜ眠くなるのか分析してみましたが、シーンの切り替わりでアンビエント風なBGMがミュートされていって無音になったり無音に近いぐらいの小さな音の状態で何秒かひっぱってる!ここで催眠術にかかたかのように寝てしまっていると気づきました。w 音と同時に映像もモーフィングするように滑らかに次のシーンへ繋がっていますので、そこで脳が気持ちよくなり意識が遠のく原因になっているのではないかと思いました。他、1との違和感ですが、1は元広告屋が作った絵作りだったのに対して、今回は広告屋の絵作りではない所が違和感に繋がっているかと思いました。1はシーンごとに最適な画角にズームされていて、人物や風景のズーム率がばらばらですが(広告屋は見栄えが命なのでこうなりますw)、2049はずっと引き気味の画角で構図がずっと均一になっています。(顔のアップを映す時に1は顔の上部を大胆にカットし、おでこあたりから顔だけのどアップになっていますが、2024は顔のアップシーンでも頭のてっぺんまで必ず入っているシーンが大部分を占めています。この辺が入り込めないというか物足りなさの一つかと思いました。)
可愛いからとかではなくて、DCコミックの作品は特に近年、作風自体が暗いからだと思います。どこか影を落としたような。また2049には雑味が足りなかったと個人的には感じました。作製された時代の予想された未来感とアジア的な猥雑な街のヴィジョンがあったからこそ前作はあそこまで伝説的な映画になったと思えます。そこに人間たる定義とは?という深淵なテーマが投げかけられていますよね。こうした映像による雑味も交えつつ、深いテーマを持ちかけてきたのが素晴らしかったと言えないでしょうか。決定的に2049がつまらなく見えるのは前作を超えるテーマが投げかけられていない、雑味たる映像がない、そうしたところでは前作は超えていない。個人的には前作を超えるぐらいのことはしてほしかったと思います。
見なければ!と思っていた2049をようやく昨日見て、ようやくこの動画を見ることが出来ましたw映画も岡田さんの語りもとても良かったです。映画はたしかにわかりやすくはない筋ですが、複製の虚しさと複製にも魂は宿る感じがイイです。なんで岡田さんのような不満を持たなかったか考えたのですが、1)吹き替えで見た、2)家で見た、からだと思います。たしかに映画館で字幕で見たら、ちょっとしんどかったかも。
ブレードランナーはNetflixにないのに2049はあるんだよな😂
取り残されたデッカードのわんこがかわいそう。
というか・・・タイレル博士はネクサス7(レイチェルとデッカード)を作った時点で神になったから穏やかに死んでいったんだとわかったんだけど・・・?
町山さんが文化的背景を含めた細かい所まできっちりクリティークしてくれているのと比べるとどうしても見劣りしてしまう。そもそも評論をする人間に「分からない」という言動はありえない。問題を起こして身を落としている間に、より良い人材が現れてオタキングの座を奪われてしまった感が拭えない。
個人の感想レベルだろ。事実関係の洗い出しがないんだから。評論ではない。映画批評を心がける者が岡田氏の感想を有難がるとは思えないし、彼も望んでない。
文化的背景を含めた細かい所まできっちりクリティークしてくれているはずの町山さんはトランプさんが大統領になれないって言っていました。しかし岡田さんはトランプさんが大統領になるって言っていました。それでも見劣りしますか?あなたがそう思いたいだけではないですか?
いやいやどう聞いても岡田の評論の方がすべての内容がつながってると思うんですが? 町山の評論って「あれはあれの作品が元ネタ」って言ってるだけじゃんあと評論家も「わからない」っていうに決まってんじゃん、自分の理解できたことを語るのが評論ですよ?わかってもいないのに知った風に語るのは「知ったかぶり」ですよ。べんきょうになりましたね
無理やり続編にする必要はなかった。デッカードとレイチェルは出さないで、前作の後の時代、2049年のブレードランナーというだけで良かったのでは?デッカードとレイチェルは幸せになって欲しかったなぁ。出てこなければ、想像にまかせられたのだが。
ブレードランナー世代の高齢者には最新の映画は向いてないよオタクは卒業しようね
ヴァンゲリスは南極物語(日本の方)もやってました。
「ブレードランナー2049」僕は劇場で3回観ました✨( ´∀`)
ヴァンゲリスは南極物語にも提供してたような
モノローグなんて入れんでも解るだろ。説明を入れたがるのは日本人の悪いクセだな。
その通り!俺は2049結構好き
2049の問題はやはり娯楽性の欠如ですよねブレードランナーが元々持っていた俗な娯楽性をそぎ落としてアート映画にしてしまった結果、芸術性は優れていても(個人的には目新しいものは無くて微妙でしたが)映画としてはつまらない作品になってしまった
「芸術で客は呼べんぞ」と誰かが言ってましたね。岡田茂さんだったかな。
「アート映画」と言っても「リドリー監督基準のアート」なのか「ゴダールやタルコフスキーのような古風で退屈なアート」なのか。2049は後者。リドリー監督基準の「革新要素を凝縮して破たんさせずに一つの世界観を構成」されたアートならドンピシャ期待通り。しかし、2049は前作”風”を踏襲し(=つまり革新していない)てスカスカな絵(=凝縮していない)なので、期待外れ。2049は「古風なSFアート」映画。
どっちかじゃないって。中間だよ。今時、ゴダールだのタルコフだの時が止まってるのか君は。リドリーっって連呼するけど、彼の最新作のエイリアン見たか? 見事に2049と同じようなビジュアルセンスだから。どうせ見てねーんだろーから、こういうトンチンカンな事言えるんだろうけどさ。後ね革新性の有無だけで言えば、そりゃ前作には及ばないけど、2049はシドミードもリドリーも前作の脚本家も参加してるんだから、それに文句言うなら具体案(次なる革新性とやら)を提示しろっての。それが出来ない時点で無い物ねだりの懐古主義者でしかねーぞ、君は。
21:26 ハリウッド映画などキリスト教圏で作られた映画の裏には神に対する問題意識が多かれ好かなかれあったりするのですが、日本も含めキリスト教圏以外の人達には普通気が付きません。岡田さんはキリスト教徒でないのによく気が付きました。スゴイ!
あーキューブリックしたいのか。前作もふくめてすごい納得。
ストーリよりも映像が楽しかった。
レイトショーだったのもあり、私もウトウトを繰り返してしまったブレードランナーなりのターミネーターの1から2のような盛り上がりを期待していたのですが・・残念 凹凹凹
岡田さんって、「映画における作家性や主義主張」ってものを徹底的に否定して排除するタイプの製作サイドの人間なんですね・・ある意味冷酷、ある意味有能。でも昨今の実写の日本映画において主流かどうかは・・
主流でしょ。音楽が全シーン垂れ流し、説明セリフのオンパレード、徹底したバカ向けカスタマイズが今の邦画。制作側も小学4年生レベルを遵守しろって言われてる。
実に共感!観たけどブレランファンの俺としては「つまらなかった」。バンゲリスの曲がまともに使われて無かった。この映画のリアリティの無さは「なんでレプリカントが子供産めるの?」そのプロセスの説明ぐらいして欲しい。監督がスピルバーグやキューブリックなら信ぴょう性持たせる説明は入れただろう。映像がまずつまらない。アクションがつまらない。ダラダラレプリカントが悩みすぎ。こんな映画撮るならロイバディのスピンオフ映画にすれば良かった。キャスティングもイマイチだわ〜
Kは人間になりたかったじゃなくて誰かにとっての特別になりたかったんじゃないの?
ジョイはKのために命を投げ出したって事じゃないと思うけど…ジョイは見せたいものを見せるただの「製品」に過ぎないし、Kもそれをわかった上でジョイを「使ってる」ように見えるけど
まあ、脳内で素敵なストーリーを上映してればいいんじゃないですかね。
最近の映画はやたらとアーティスティックなのはある。完璧すぎる。B級一歩手前みたいなちょっとした可愛らしさが足りないのかな。
わかる!
わかるわー十年前まではおちゃらけたエンタメお祭り映画もあったけど今はそういうジャンルもやたらとオシャレでなんか違う
続編を作るのは大変だなぁ。それでも皆チャレンジを止めない。
そもそも旧作が面白いのかと言えば、面白いというのとは違うでしょうね ポルノ映画的な背徳感というか,映画の本道に対するロック的な反抗心みたいな全体の佇まいがよかったんじゃないの、あとは今風のヌルヌルの手ぶれ補正の映像より昔のブレブレの映像の方が臨場感があるとか思っちゃうマニア的な解説だと...
旧作は「傑作」とか「名作」じゃなくて、良質な「雰囲気」映画ですよね。
自分は原作の"アンドロイドは電気羊の夢を見るか?"を読んでからブレードランナー見たけど、原作が面白すぎて映像すげーくらいしか感想が出てこないんだよなあ
TDKの看板の代わりに、駅風の窓にハングル文字で何か書いてあったのは、何を意味しているのか?時代か、2049に傾国は、存在するか?
えっと…さあ、これ「ブレードランナー」と関係ナシってことにすればいいんじゃない? 美しくて、けっこう好きだったけどなぁ。
「趣味はどうやって見つけるの?」やりたいこと、やりゃいいんだよ。
「2049」はブレードランナーである意味がよくわからなかったわ。テーマは何となく前作っぽいけど別のSF映画みたいな感じ。それならわざわざ続編にする意味がない気がした
前作『ブレードランナー』の「レトロフューチャー的ディストピア」な世界観からレトロ要素をぶっこ抜いたような印象を『2049』からは受けた
全く同感です。
本当に映画みたのかな?Kの心情はひしひしと伝わってきたけど。浅いなあ
キリスト教を始め、宗教が自殺や殺人を咎めるのは単純に自分の宗教にお布施やら捧げ物する人が減る可能性あるからにも沿っているんだよな
んん~~~ 確かにキューブリックの映像は「可愛くない」というか、はっきり言って病的な感じがするよね。あまりに完璧すぎて。キューブリック監督は本当に病気だと思う。関わった人の多くがそう言ってて、彼と真正面から激突してニヤニヤ満足してたのがジャック・ニコルソンだったんでしょ。。。そういう迫力はたしかに2049には無かったね。まぁ、そう撮影してたらもっと良い映画だったのかは自分には分からないが。。
個人的には娯楽性について言えば2049の方がある様な気がするんよなー筋書きがちょっと入り組んでて面白いじゃん。本家公開時は産まれても無い世代だけど、俺は2049の方が好きだな〜そもそもリドスコの前世紀的なケレン味がちょっと肌に合わないっす若い世代はオサレでカッコいいのが好きな人もたくさんいるよ!
ブレードランナーは若いころ夢中になって、映画館で5回、ビデオ化されて4回ぐらい、テレビ放映のときも興味本位で観たけど、今度の2049では昔見た時のワクワク感は感じなかった。 色々言われるけど、ブレードランナー(1982)の主役は、まず色々な文化がごった煮になったロサンゼルスの街で、次がルトガー・ハウワーのロイ・バティで、正直、デッカードは狂言回しの程度だと認識しています。 それで、2049の最大の欠点は、街の描写に猥雑さが足りないことだと思います。 ブレードランナー的な未来描写そのものが、その後ステレオタイプな未来描写になってしまったって、2049もその模倣にならざるを得なかったということもあるけど、それだけじゃないような気がする。 なによりも必死になってオリジナル的な猥雑さを出そうとしている感が匂ってしまい、それが記号的な「猥雑さ」で、何か想像できてしまう「猥雑さ」であったと思います。 例えば、オリジナルでのセバスチャンの(プリスがその一体に扮していた)機械人形が並ぶ部屋や、デッカードのスピナーに群がって付属品なんかを盗んでいた浮浪児(?)達みたいな退廃を匂わす細部の描写が欠けていたんだと思います。そうした、細部の積み重ねが、あの未来像をリアルに浮かび上がらせていた要素だと思うんだけど、それらがないために結局は「ああ、また、ブレードランナー的な(続編なんだけど)世界だね」に終わってしまっていたように思います。 だから、岡田さんが言う、主人公の心理描写、説明不足云々の話はどうもピント外れに聞こえてしまいます。 あと、ヴァンゲリスは、映画音楽として有名なところだけでも「炎のランナー」、「ブレードランナー」だけじゃなく、同じ1982年にコスタ・カブラス監督の「ミッシング」があるし、その他にも、「南極物語」オリバーストーン監督の「アレキサンダー」なんかがあるんだけど・・・
投稿したあと考えたけどなぜ、私が2049での猥雑さをわざとらしいと感じたか、補足しておきたいと思います。 例として挙げると、2049では、VRでのガールフレンドとか、ホログラムとか、なんか街中でビルの曇りガラスみたいな中でセックスをしてところを見せているいるみたいな描写があったけど、それは猥雑なものを写しているけど、オリジナルにあった世界観そのものの猥雑さではないと思います。 つまり、アダルト業界や育成ゲームみたいなものが発展していったら、そうなるだろうなっていう想像の先にある意識的な、人工的なものでしかありません。 それは、オリジナルにあった、あらゆる民族が集まり、それぞれ勝手に生活していった結果に生じた無意識的な猥雑さとは似て非なるものです。
なんだかんだで、アニメのブラックアウトが一番おもしろかったし、ブレランの世界を端的に表してるわ。日本は省略文化のマンガがベースにあるから、ああいうのが可能なんだろうな。ナベシン(あっちじゃないほう)が2049監督してたら2時間で終わってたろ。
ケンドーコバヤシにゆるモノローグ、バンゲリス❣️
よりにもよって『フランダースの犬』たとえですか。まあみんな泣くし、私も泣くんですが高畑勲がラストに激怒して、宮崎駿が「視聴率が高かっただけのゴミ」と言った気持も分かる様な気もするんですよね。安易に感情移入させる自分描写しない、リアリティに反する過剰ファンタジー演出やらない高畑勲研究の為には研究素材ですがね。
とりあえずDUNEは良かった
そのブレードランナーはさすがにダサいだろう。
スピルバーグの「A.I.」は大好き
好きな映画だけど決して面白い映画ではないというのはわかります。自分的には何が何でも一作目につなげないといけないというありがちなクセをいい加減止めた方が良かったと思います。デッカードの話を無理やりつなげる必要あったのでしょうか?まったく別のブレードランナーの物語にした方が楽しめたように思いますね。
醜悪なサムネは考え直したほうがいい
岡田氏動画の中でもかなりの評価の低さ。ここでのブレランの見方の駄目さを感じての評価だろうね…。 あと、脚本でハンプトン・ファンチャーが今回も参加、ハードボイルドタッチを継承、コンセプチュアルデザイン(確かラスベガスのあの印象的なデザイン群)にシド・ミードも参加している。35年振りのマニア人気作に気合入れないで臨んでると思う?今回退屈だったって人は、前回の作品のどこをキモだと捉えているのか…ちょっ共感できないなぁ…(前作の未来への問題の含みから、今作の未来への方向性はいいアイデアだと思うけど。ブラックアウトもね。上手いよ)。 アメリカの人気が今一つなのは、今回もアジアンオリエンテッドな感じだし(ハングル語表記はあるわ、日本語アナウンスは多発だわ、中国人ぽい俳優は出てるし)、他国へのへつらいが今一つ嫌…とかじゃないかな。自分がアメリカ人ならそんな感じ。他国では比較的興収悪くないんだから、出来が悪いってより「アメリカ人に好かれなかった」って事では。監督がフランス系カナダ人なんだし。
いや、ブレードランナーはおもろかった
2049がハリウッドナイズされてないだって? ブレードランナーってハリウッドの娯楽映画か? ビジュアル優先のアート系の映画だろ。だからワーナーが反発して別映画の映像をエンディングに使って無理やりハッピーエンドにしたんだろ。その映画の続編がそこらへんを全部取っ払って、ブレードランナーを理解できない層向けに映画をカスタマイズしたら、それってブレードランナーの続編として相応しいか? 悲しいときに悲しい音楽が鳴らないとシーンの意味が分からないなら、背伸びせず、幼児向けの三文娯楽映画でも見てるべき。演出の引き算を理解するのが大人だよ。
2049はスッゴイ良く出来てる映画なのに、素直に楽しめないなんて逆に哀れみを覚えるよ。あ、そういえば岡田斗司夫プロデュースの大作「みんなのアニメ(ロケット男)」ってどうなりました?これはもう、とんでもない傑作になるものと確信してますので、さっさと完成させて下さい。
マッドマックス怒りのデスロードのモノローグみたいでワロタ 確かに一理あるわ
この人が言った通りの作品でも、この人は「大衆ウケ狙いやがって!ブレードランナー のくせに!」っていうだろうし(かなりの駄作になる)今の作品でも文句を言う。
世間で評価されてる映画をこき下ろして「こんなすごい映画をこき下ろせる僕すごいでしょ!」って信者にアピールするのがこの人の評論スタイルだからね。
映画が今一度「わかる人」と「わからない人」の2層に分かれるてるんじゃないのかなと思います。(ネットのレビューがあてにならなくなってる)この人は頭が良いけど爆発的にセンスがない人なんだなと思いました。(良く存じあげなくてスミマセン。
私は逆に高齢の女性がDNAだけでジョイを産み出しVRのようでいて本物だったってオチのほうが夢あると思いました。
「Ghost in The Shell」の実写は「2049」でよかったと思う…
ここのコメント欄僕と同じ考えの人が沢山いて嬉しい!2049は面白くはなかった!続編としてあっても無くてもいい映画って感じ!
あとラスベガスにあった女性のでっかい像、あれは思いっきり時計じかけのオレンジのミルクバーの奴だとおもうのだけど
ヴァンゲリスは『1492コロンブス』でも楽曲提供してますよ。
岡田が歴史物なんか見てるわけねーじゃん。
私もブレラン2049見に行きましたが、期待外れでした。町山さんや著名映画評論家が過大評価してるあまり、度肝を抜かせられるんだろうなと思って見に行きましたが、全然ピンと来なかったです。近未来感も旧作より雑だった。音楽もシンセサイザーみたいな変な音はやめた方がいい。私はゴーストインザシェルの方がまだ映像も内容も良かったかも。
あまりに実体が無くて、ジョイはプログラム、主人公の為に好きな事を言うよう出来てるだけと考えるから、おかしな事になっていると思う。彼女が、意志を持ったキャラクターで、ただ触れる事が出来ないだけ…と考えると、素晴らしいヒロイン。もう一度彼女を中心に考えてほしい。話しはKが主役だから、そっちを中心に考えてしまうのは仕方がないが、彼女目線で考えると本当に悲しい。最後、“愛してる”と言って、機械を踏み壊されて消えてしまう。Kが最終的に戦うモチベーションになったのは間違いない。作り物のレプリカントと本物の愛を作り上げ、その結晶である娘とデッカード。彼らにKは、自分とジョイに本物の愛を育む可能性があったのではないか…いや、育んでいた…そう思ったんじゃないだろうか。だから、そんな偉大な先輩達の役に立ちたくなった…命をかけて…。 でも…いい映画だったけど、悲しいなぁ。ハッピーエンドなら何度も見たいけど、悲しいとなぁ…。
岡田さんの映画解説、どれも大変興味深く拝見しています。多くの情報を巧みに再構築して非常に説得力のある流れとして披露してくださることで、それを拝聴している方も新しい気づきが得られます。お礼申し上げます。いつか、アンドレイ・タルコフスキーの映画について、岡田さんの解釈を伺ってみたいと思います。これからの益々のご活躍をお祈りしています。
結局ブレードランナーは原作が面白い
Kの考えてることが全然表現されてないっていうのはちょっと違うと思います。joiの広告が一番最初に画面内に登場するのはjoi本人が登場するよりも前で、その広告には「あなたが見たいもの・聞きたいこと全て」とあります。つまり、作中でjoiがKに語り掛けるセリフのすべてがK自身が「こうあってほしい」と思う自分の姿の投影。
DNAの塩基配列をチェックするシーンでしつこいくらい「あなたは特別、望まれて生まれてきた子供、夢を見てもいいじゃない」と甘く囁かれるのも、Kが本当は「自分が人間である」ことを望んでいることの裏返しだと思います。
そしてKはjoiを大切な恋人として扱うものの、巨大joiのシーンでそのすべてが自身の生み出した幻影であったことを思い知る。最後の拠りどころすらも失ったKは「大義のための死は何よりも人間らしい」という反乱軍の言葉に従い、デッカード輸送隊を襲撃。その後の展開でさらにKにとっての人間らしさに答えを出す...といった感じかと。
やっぱり人によって色々な解釈があって、賛否も分かれるところですが、私は2049すごく面白かったです。
いやあのライアンゴズリングの演技がいいんだよ。レプリカントとしてコントロールされて生きてきたから感情の起伏はないんだけど、そんな自分に満足していないような憂えげな表情。
ジョイを恋人として接する時にだけ見せる優しい顔、自分が誰かの子供で特別な存在かもしれないと期待して静かに興奮したり、偽りの記憶を大切にしていたり、表情の起伏を最小限に抑えてるのに人間に憧れる主人公の感情がひしひしと伝わってきた。
だからこそラストにはグッときたし、自分は圧倒的に前作超えたと感じた。
いつも楽しく視聴しています。今回初めてコメントします。
ブレードランナー2049の個人的な感想は逆で、非常に面白い映画でした。というのも、主人公の内面描写が必要十分で、無駄がなく映像が美しい一方よく共感できたからです。
ジョイは客観的に見れば量産品ではあるものの、Kにとっては「俺だけのフィギュア」であっただけでなく、自分の人工の記憶の中で、自ら望んで得ることができた数少ない暖かな記憶だった、あれは個体性だ、だから素晴らしいんだと、彼は巨大広告の前で確信しました。そして反乱組織の存在を知ってKはやる気になったというよりも、自分にはどうせ子孫を残す能力もない、自分は製品であり、記憶さえ人工の偽人間だが、偽女のジョイのように自分の気持ちだけは守って、素晴らしい偽物として生きようじゃないかくらいに思ったのであり、反乱組織のために邁進するなんて様子は見えませんでした。最後は、組織の思惑のために娘を父に引き合わせるというよりも、家族のために耐えた父のために娘に引き合わせるという意味合いになっています。
この姿はまるで、組織の思惑はどうあれ、自分がそこに参加する意味を自分ひとりで確保して、組織に従い、背くでもない、本物の現代の量産人間そのものだと感じました。
この感じ方の違いは、岡田さんのレベルの高さに由来するのかもしれません。つまり、僕のSF映画ファンとしての経験、読み込みが足りず、作り手側としての思い入れがないから岡田さんの見方に追いつけないのであって、よいクリエイターだったら観客として岡田さんやゆうきまさみさんのように感じるのは当然なのかもしれません。しかし、各シーンが伝えている主人公の内面描写は僕にとってはかなり明らかなもので、説明不足はなく、Kが何を考えているか分からないなんて微塵も思いませんでした。モノローグを入れるとしたら、岡田さんが想定しているものと違う内容になるのではないかと思うのです。
「かわいげ」の点でいうと、たしかに可愛げがあるのは、レトロを通り越してアナクロニズムなホログラム彼女の技術設定と、前作と被っていますがマイクロフィルム再生機が話すあやしげな日本語、なぜか通じる英語と外国語の会話くらいで少なかったので、もうちょっと盛ってもよかったなと思います。
「ラストは、Kとジョイが2人でスピナーで去っていく」とのことですが、それでは前作初版と同じで全体が意味不明になってしまいます。「人間になりたいわけではない」ということを伝えるために、「生活」、「駆け落ち」という人間の真似事をするのは本末転倒に感じます。
いやなんでKが何考えてるのか分からないってなるのか分からん。音楽とかKの心境を表現してて素晴らしいと思ったし、自分の記憶が本物だってわかった時、「チキショー!」って叫んでたじゃん。それが全てを物語ってると思うけど。もう一回ちゃんと見たほうが良いよ。
ほんとですよね。「何者かになりたい」「記憶が本物であってほしい」「愛する者と一緒にいたい」みたいな切実な想いがバシバシ伝わってきて、人間より人間味があるKの悲哀に死ぬほど感情移入してしまういい映画だと思うんですけどね、、、
自分が思ってる事全部書いてあった
ありがとうございます
わかんねーよ、バァカ
チキショー!って小梅太夫が出てきて笑った😂
同意です。Kが信条を台詞で話さない分ジョイが代わりに説明してくれてるので、この上なく分かりやすく描いていると思います。
これを理解できない岡田さんはホントにサイコパスなのかあるいは映画読解力が無さすぎる人なのか…どちらにしてもTH-camで堂々とわからないと言える勇気は凄いですね。
ブレードランナーは高校生の時リアルタイムで見た世代ですが自分的にはブレードランナー2049はとても良かった映画でしたね。人それぞれいろいろと思う事はあるでしょうが懐かしむと言うより新しい作品として集中して最後まで見れましたし前作の思い出もありつつ素晴らしい作品でとても満足出来た作品でした。😊
ブレラン2049は映画館で観たけど前作にも劣らない名作だと思うけどな
というか、Kに心の動きがほとんど感じられないところがイイんじゃないの。
ほとんど心象風景みたいなものを感じられず、砂漠のような感じで。
上映時にもここに来たのだが、たまたままた来て見てたら、ちょっと何か残したくなった。
2049は確かにパーフェクトじゃなかったけど、ここまでやってくれたらとりあえず良かったと言うのが自分の評価。
デッカードやレイチェルとのつながりが脚本を温くしていた気がするが、それを無くすと続編のテイを成すのも難しい。
あと、タイレル社長がノーベル賞受賞者然とした人物だったのに、ウォレスがザッカーバーグクラスのビジネス小者なのもちょっと惜しい。
でもね、岡田さんが言ってる「Kって人間になりたかったっけ?突然そうなったけど、いつからそうなったの?」や「ジョイが街に溢れてて、
自分もニセモノなんだなという気持ちになっちゃう」みたいなのに、ちょっと異論を唱えたくなるんです。
Kが仕事以外空虚なのは、レプリカントなので当たり前なんだけど、そんな現代人へのメタファーみたいな人物でも、ちゃんと幸せがあったわけ。それがジョイ。
そしてジョイも映像付きAIではあるけど、最終的にはKの理解者として消えて行く。Kはその後、街でジョイのコピーを見て、亡くしてしまったジョイはここにいるジョイとは違う、
確かに自分だけのジョイだった、という思いを強くしたのと共に、喪失感と怒りを覚えたのだと思う。それがラヴを襲ってデッカードを救うモチベになった。
ブレランをオマージュしたゲーム「スナッチャー」の終盤でランダムハジルと言うキャラが、デッカードもどきの主人公と言う、「たとえ俺の記憶がニセモノでも、共に
一緒に戦った記憶は本物だ」みたいなものなんですよ。すべてがニセモノでも、ジョイとの間に培った互いの感情は本物だった。これがブレランのデッカード・レイチェルの愛にも
繋がり、ロイの最期に見せた、それでも俺は人間には体験できないいろんなリアルを見て来た、そしてここにいるデッカードも彼だけの時間を重ねて来たという意味では
命としては同等なんだ、みたいなシンパシーにもつながるんだと思う。フォークト=カンプフ検査をクリアできるような他者への共感を獲得できるんだよレプリカントは。
そしてそれが神を見た、と言うか、奇跡を信じるか?と言う話になるわけ。デッカードとレイチェルの奇跡が現実であり守れれば、Kとジョイの愛の奇跡も本物だと信じられる。
だから、人間になりたいと飛躍する前に、ジョイとの愛が確かにあった、ということと、俺が意識し生きた、記憶と行動を残したかったんだよKは。
gyokutube
最高にブレードランナー愛に満ちてる考察、ありがとうございます😊❗️
gyokutubeさんに凄く共感出来ます。前作でもレプリカントは「想い出」や「記憶」を大切にしてきました。それが例え他人からの移植であっても。
実際の人間も年老いてくると昔話を何度も繰り返す様に、自らが生きて来た証を確認することで老いや死への恐怖を克服できるのだと思います。
Kは人間になりたかったし、もしかすると自分が「奇跡の子」かもしれないという期待が叶わなかった時の落胆ぶりは完全に人間的感情です。
レイチェルとデッカードが愛に目覚めたように、Kのジョイへの愛もデッカードを守ろうとした気持ち(これもある種の愛?)も本物だったことで観衆は救われた気持ちになります。
今作はヴィルヌーヴが前作へのリスペクトを込めてハンプトンファンチャーやフィリップKディックの原案とリドリースコットが本当にやりたかったことを形にしたオマージュなんだと思います。結果的に「分かり難い」事は否めませんが、それは良いか悪いかではなく好きか嫌いかの話ですね。
前作が当初は興行的に失敗だったからと言って分かり易くすれば良いかというと、それも賛否両論あるでしょう。
僕は今作は前作ファンへの御褒美的な作品だと思っているので、敢えて分かり易くする必要はないと思いました。
全編通して暗い、寒い、辛い中にも一瞬の温もりを感じられるのが「ブレードランナー」なんだと思っています。
ハッピーエンドじゃないとウケ無いし面白くないという意見があることも分かるけど、「ブレードランナー」はそれで良いのだと思っています。
長い深い考察ありがたいです😂
読んでると、お二方の考え、感情が心に深く刺さりました。
上手く語彙が見つかりませんが、生きる大切な時間や記憶を刻む日々の欠けがえの無さ…
みたいな。
案外酷評なのにびっくりした俺は面白かったなっていうか心があと引く作品だと思います 哀しい寂しい切ないK何のためにこの世に生をうけたのか アート方向に振ったのも良かったと思いますスコット監督とは別のものを作りたい意気込みは感じられます キューブリックというよりはタルコフスキーじゃないかな
自分が若いからかもしれないが2049の方が面白く感じた
ただただジョイがかわいかった
結構好きだけどなー2049
どのシーンもルックが良いし、演出が丁寧で分かり易かったけどなー
あと岡田さんのは面白くする方法ってよりは大衆受けを良くする方法だよね、大衆が支持しなくても面白いものはあるってのはオタクなら一番身にしみてることなはずなのにな。
あ、岡田さんは2049面白くなかったのか
でも岡田さんの話は面白かった(笑)
たくさん映画を見てきた人の、映画の見方を聞くのは勉強になるねぇ
オタク目線っていうより、クリエイター目線なのかもね。
かわいさのない作品を見ると、どうしてもアラを探してしまう。
あとは、自分が「視聴者にどうやって伝えるのか」みたいな事を常に考えてやってきたから、独りよがりな表現に厳しい。
「分からなくても面白い」のなら良いけどね。
宮崎駿なんかは岡田さんもめちゃくちゃ深い解説してるけど、そこまで深く理解出来なくても普通に観て面白いじゃん。
俺は大好きな作品だった
感じ方はそれぞれだけど、おれは今作めちゃくちゃ美しかったし素晴らしい映画だと思ったかな。
音楽に関しても、ハンスジマーは前作をさらにアップグレードした音楽を生み出したと思う。これもそれぞれの好みだろうけど、おれはめちゃめちゃ好きかな。
映像のタッチはキューブリックよりはタルコフスキーをオマージュしていると思います。KとAI(ジョイ)の関係はスパイク・ジョーンズ監督の『her/世界でひとつの彼女』を彷彿とさせられました。
映画館で観た後は「イマイチ」だったんだけど、人にいかに「イマイチ」を伝えていたら相手も私も「あれ?良い話?」ってなって観返してみた。
結論としては「結構良かった。」
人生に疲れた私にとってブレラン2049はイイ塩梅で見れました。確かに眠気をもよおすところはありましたが、それを見越してか船の汽笛にも似た大音響のBGMに叩き起こされたので眠ることなく済みました(笑)
ほとんどの人はすとーりーを辿れないのかもしれませんね。
私は一度見て読み取れて、かつ最後の場面は泣けるし、絵も綺麗で名画だと思います
3時間近くの映画ならデザートとしてハッピーエンドにすべきってのは分かるわ〜長々と映画見たら笑顔で席を立ちたいわ。
1回観ただけで分かりにくいとか、前作と同じように作れとか、全く的外れ。
今作も前作同様に何度も見直して初めてわかってくる。
余計な解説などなくとも、感情を表現しないライアンゴズリングの演技も、これで良いのだ。
そもそも否定的な目線で観れば幾らでもケチは付けれる。
しかしそれは前作を観た時の純粋な自分ではなくなっているだけ。
三十数年の間に歳をとって素直な感性を失っただけだろう。
岡田斗司夫の解説は面白いのが多いけど、これは本当に的外れなこと言っているって思った。
Kの説明不足というけれど、説明しちゃったらブレランじゃないような。わかんない部分は観た人で補ってくれみたいな。82年のブレランも当時としては、当時なりのアート映画だと思いました。お話もよくわからなかったし。Kのハッピーエンドには賛成ですね。でもデッカードにとってはハッピーエンドでしたね。なぜかいつも生かされるデッカード。
岡田さんが飲んでるもの&その飲み物が入ってるボトルの詳細が知りたくて仕様がなくなってる……。
「俗っぽさが必要だったのでは?」
と、いう意味で 意見は一致しますね
私は生来のブレランファンです。確かに最初は「うーん」と思いました。しかし気がつけば数十回見ている。くせになるほど。
確かに気になる点は多い。でもくせになる。気がつくてまた観ている。
面白くない人は、観なければいい。それだけだと思う。
恐らくタルコフスキーだと思いますよ、家が燃えるシーンなんて特に
プレランの続編は2001年宇宙の旅における続編の『2010』と立ち位置的には似ている。
個人的に、内容はシンプルだけど映像の間と余韻で登場人物の内面を想像させる作品だと思ったから、さほど退屈せずに観れたけどな。
示唆に富んでおり、観るひとに・観る度に多様な解釈をもたらす物語ほど大人向けの物語である。
字幕版だと何しているか全く意味不明だったけど、吹き替え版でようやく観れた映画だった
コメントの多くがまともで安心した。これなら町山智浩の解説のほうがマシ(別に町山が好きってわけじゃないが)
Kが何考えてるかわからん?それをいちいちセリフにしたらこの映画は台無し。みんなデッカードには感情移入できないが、Kにはできたでしょ?岡田はひろゆきと同じレベルで草
前作のブレランはセットに生活感があって街の息遣いを感じた。常に雨や光や空気が意図的にカメラに捉えられてた。あのグチャグチャ感が良かった。2049は只のセットにしか見えない。せめて光る傘くらい出せと。物語は良かったけど。そして前作のヴァンゲリスの曲は素直に使って欲しかった。ビルヌーブの映画が観たいんじゃ無いブレランの続編が観たいだけ。スターウオーズと一緒。
主人公のモノローグは前作の劇場公開版にもありましたね。
リドリー・スコット監督は好きじゃなかったらしいけど。
分かりにくさが様々な解釈を生み、パーソナルな映画になると考えます。
人の数だけ解釈が存在する。私はそんな映画がたまらなく愛おしいのです。
これ面白くないって・・・・。そもそも娯楽性って一言で単純化するけど、2049みたいな高度なロジャーディーキンスの見事な映像美などが「楽しい」と感じる娯楽性もあるのに。
娯楽性とは人によって基準も性質も違うから一概に言うことができない。
最高に面白かった自分からしたら娯楽性が無いというのがわからない。
大衆性が無いというのならまだわかる気がするが。
そもそも大衆性を意識した作りにするならば多くの点で妥協しなければいけない部分が出てきて傑作にはなりにくい。
ブレラン2049はジョイちゃんの萌味を味わう映画だと思ったw
間違いないわ
めちゃおもろかったけどなあ
ビルヌーブ監督はキューブリックじゃ無く、タルコフスキーのオマージュをやろうとしたんですよ!サクリファイスを観てください。大衆受けするはずも無い!私個人は“ブレードランナー2049“はとても満足しました!!
岡田斗司夫はタルコフスキーとかフェリーニとかアート映画は大嫌いだって言ってた。2049もアート寄りだから嫌いなんだろうな。傑作なのにね。
ヴァンゲリスは「南極物語」も楽曲提供してますね。
16:40
主人公が何考えてるかわからないってのは前作もそうだったけどな
岡田さんの言う「面白くする方法」はドラマとかアニメだったら納得できる。
商業性について言うなら、女性ウケする旬なイケメン俳優使えば良かっただけな気がする。
売上の大部分はSF好き男性層が中心になってしまってる気がするし。
主人公の気持ちを全て読み違っている。この人はB級アクション映画のように全て説明しないと分からないのかな? この人が、このようにしたら受けると言う案は映画を破壊するだけでしょう。
翻訳が悪かったんじゃないかな。映画翻訳ひどいの多いから。
ホログラム彼女の存在はいらないと思ったけど、kの演技も抑えて抑えて爆発させてて良かったと思うし。「kがいつ人間になりたいっていってた?」と仰っていますが、自分が特別な存在でありたいと思っているのは良く現れていたと思う。アメリカでの興行収入も悪かったけど評価は高かったよ。前作もそうだったしね。
そうなんですよね。古くからブレードランナーを見知ってる映画ファンなら、そういう感想に到達するんですよ。ブレードランナーを過去の栄光のみで何か特別視しているフシがある人は、逆に否定するんですよ。まさにブレードランナー公開当時の現象そのもの。
ブレードランナー2049アマプラでようやく見ました!が私も寝不足とかでは無いはずですが何回も寝落ちしそうになりました。途中コーヒーを飲んだりしてなぜ眠くなるのか分析してみましたが、シーンの切り替わりでアンビエント風なBGMがミュートされていって無音になったり無音に近いぐらいの小さな音の状態で何秒かひっぱってる!ここで催眠術にかかたかのように寝てしまっていると気づきました。w 音と同時に映像もモーフィングするように滑らかに次のシーンへ繋がっていますので、そこで脳が気持ちよくなり意識が遠のく原因になっているのではないかと思いました。他、1との違和感ですが、1は元広告屋が作った絵作りだったのに対して、今回は広告屋の絵作りではない所が違和感に繋がっているかと思いました。1はシーンごとに最適な画角にズームされていて、人物や風景のズーム率がばらばらですが(広告屋は見栄えが命なのでこうなりますw)、2049はずっと引き気味の画角で構図がずっと均一になっています。(顔のアップを映す時に1は顔の上部を大胆にカットし、おでこあたりから顔だけのどアップになっていますが、2024は顔のアップシーンでも頭のてっぺんまで必ず入っているシーンが大部分を占めています。この辺が入り込めないというか物足りなさの一つかと思いました。)
可愛いからとかではなくて、DCコミックの作品は特に近年、作風自体が暗いからだと思います。どこか影を落としたような。また2049には雑味が足りなかったと個人的には感じました。作製された時代の予想された未来感とアジア的な猥雑な街のヴィジョンがあったからこそ前作はあそこまで伝説的な映画になったと思えます。そこに人間たる定義とは?という深淵なテーマが投げかけられていますよね。こうした映像による雑味も交えつつ、深いテーマを持ちかけてきたのが素晴らしかったと言えないでしょうか。決定的に2049がつまらなく見えるのは前作を超えるテーマが投げかけられていない、雑味たる映像がない、そうしたところでは前作は超えていない。個人的には前作を超えるぐらいのことはしてほしかったと思います。
見なければ!と思っていた2049をようやく昨日見て、ようやくこの動画を見ることが出来ましたw
映画も岡田さんの語りもとても良かったです。映画はたしかにわかりやすくはない筋ですが、複製の虚しさと複製にも魂は宿る感じがイイです。
なんで岡田さんのような不満を持たなかったか考えたのですが、1)吹き替えで見た、2)家で見た、からだと思います。たしかに映画館で字幕で見たら、ちょっとしんどかったかも。
ブレードランナーはNetflixにないのに2049はあるんだよな😂
取り残されたデッカードのわんこがかわいそう。
というか・・・タイレル博士はネクサス7(レイチェルとデッカード)を作った時点で神になったから穏やかに死んでいったんだとわかったんだけど・・・?
町山さんが文化的背景を含めた細かい所まできっちりクリティークしてくれているのと比べるとどうしても見劣りしてしまう。そもそも評論をする人間に「分からない」という言動はありえない。問題を起こして身を落としている間に、より良い人材が現れてオタキングの座を奪われてしまった感が拭えない。
個人の感想レベルだろ。事実関係の洗い出しがないんだから。評論ではない。映画批評を心がける者が岡田氏の感想を有難がるとは思えないし、彼も望んでない。
文化的背景を含めた細かい所まできっちりクリティークしてくれているはずの町山さんはトランプさんが大統領になれないって言っていました。しかし岡田さんはトランプさんが大統領になるって言っていました。それでも見劣りしますか?あなたがそう思いたいだけではないですか?
いやいやどう聞いても岡田の評論の方がすべての内容がつながってると思うんですが? 町山の評論って「あれはあれの作品が元ネタ」って言ってるだけじゃん
あと評論家も「わからない」っていうに決まってんじゃん、自分の理解できたことを語るのが評論ですよ?
わかってもいないのに知った風に語るのは「知ったかぶり」ですよ。べんきょうになりましたね
無理やり続編にする必要はなかった。デッカードとレイチェルは出さないで、前作の後の時代、2049年のブレードランナーというだけで良かったのでは?デッカードとレイチェルは幸せになって欲しかったなぁ。出てこなければ、想像にまかせられたのだが。
ブレードランナー世代の高齢者には最新の映画は向いてないよオタクは卒業しようね
ヴァンゲリスは南極物語(日本の方)もやってました。
「ブレードランナー2049」僕は劇場で3回観ました✨( ´∀`)
ヴァンゲリスは南極物語にも提供してたような
モノローグなんて入れんでも解るだろ。説明を入れたがるのは日本人の悪いクセだな。
その通り!俺は2049結構好き
2049の問題はやはり娯楽性の欠如ですよね
ブレードランナーが元々持っていた俗な娯楽性をそぎ落として
アート映画にしてしまった結果、芸術性は優れていても(個人的には目新しいものは無くて微妙でしたが)
映画としてはつまらない作品になってしまった
「芸術で客は呼べんぞ」と誰かが言ってましたね。岡田茂さんだったかな。
「アート映画」と言っても「リドリー監督基準のアート」なのか「ゴダールやタルコフスキーのような古風で退屈なアート」なのか。2049は後者。リドリー監督基準の「革新要素を凝縮して破たんさせずに一つの世界観を構成」されたアートならドンピシャ期待通り。しかし、2049は前作”風”を踏襲し(=つまり革新していない)てスカスカな絵(=凝縮していない)なので、期待外れ。2049は「古風なSFアート」映画。
どっちかじゃないって。中間だよ。今時、ゴダールだのタルコフだの時が止まってるのか君は。リドリーっって連呼するけど、彼の最新作のエイリアン見たか? 見事に2049と同じようなビジュアルセンスだから。どうせ見てねーんだろーから、こういうトンチンカンな事言えるんだろうけどさ。後ね革新性の有無だけで言えば、そりゃ前作には及ばないけど、2049はシドミードもリドリーも前作の脚本家も参加してるんだから、それに文句言うなら具体案(次なる革新性とやら)を提示しろっての。それが出来ない時点で無い物ねだりの懐古主義者でしかねーぞ、君は。
21:26 ハリウッド映画などキリスト教圏で作られた映画の裏には神に対する問題意識が多かれ好かなかれあったりするのですが、
日本も含めキリスト教圏以外の人達には普通気が付きません。
岡田さんはキリスト教徒でないのによく気が付きました。スゴイ!
あーキューブリックしたいのか。前作もふくめてすごい納得。
ストーリよりも映像が楽しかった。
レイトショーだったのもあり、私もウトウトを繰り返してしまった
ブレードランナーなりのターミネーターの1から2のような盛り上がりを期待していたのですが・・残念 凹凹凹
岡田さんって、「映画における作家性や主義主張」ってものを徹底的に否定して排除するタイプの製作サイドの人間なんですね・・ある意味冷酷、ある意味有能。でも昨今の実写の日本映画において主流かどうかは・・
主流でしょ。
音楽が全シーン垂れ流し、説明セリフのオンパレード、徹底したバカ向けカスタマイズが今の邦画。制作側も小学4年生レベルを遵守しろって言われてる。
実に共感!観たけどブレランファンの俺としては「つまらなかった」。
バンゲリスの曲がまともに使われて無かった。
この映画のリアリティの無さは「なんでレプリカントが子供産めるの?」そのプロセスの説明ぐらいして欲しい。監督がスピルバーグやキューブリックなら信ぴょう性持たせる説明は入れただろう。映像がまずつまらない。アクションがつまらない。ダラダラレプリカントが悩みすぎ。こんな映画撮るならロイバディのスピンオフ映画にすれば良かった。キャスティングもイマイチだわ〜
Kは人間になりたかったじゃなくて誰かにとっての特別になりたかったんじゃないの?
ジョイはKのために命を投げ出したって事じゃないと思うけど…
ジョイは見せたいものを見せるただの「製品」に過ぎないし、Kもそれをわかった上でジョイを「使ってる」ように見えるけど
まあ、脳内で素敵なストーリーを上映してればいいんじゃないですかね。
最近の映画はやたらとアーティスティックなのはある。完璧すぎる。
B級一歩手前みたいなちょっとした可愛らしさが足りないのかな。
わかる!
わかるわー
十年前まではおちゃらけたエンタメお祭り映画もあったけど
今はそういうジャンルもやたらとオシャレでなんか違う
続編を作るのは大変だなぁ。
それでも皆チャレンジを止めない。
そもそも旧作が面白いのかと言えば、面白いというのとは違うでしょうね ポルノ映画的な背徳感というか,映画の本道に対するロック的な反抗心みたいな全体の佇まいがよかったんじゃないの、
あとは今風のヌルヌルの手ぶれ補正の映像より昔のブレブレの映像の方が臨場感があるとか思っちゃうマニア的な解説だと...
旧作は「傑作」とか「名作」じゃなくて、良質な「雰囲気」映画ですよね。
自分は原作の"アンドロイドは電気羊の夢を見るか?"を読んでからブレードランナー見たけど、原作が面白すぎて映像すげーくらいしか感想が出てこないんだよなあ
TDKの看板の代わりに、駅風の窓にハングル文字で何か書いてあったのは、何を意味しているのか?時代か、2049に傾国は、存在するか?
えっと…さあ、これ「ブレードランナー」と関係ナシってことにすればいいんじゃない? 美しくて、けっこう好きだったけどなぁ。
「趣味はどうやって見つけるの?」やりたいこと、やりゃいいんだよ。
「2049」はブレードランナーである意味がよくわからなかったわ。
テーマは何となく前作っぽいけど別のSF映画みたいな感じ。それならわざわざ続編にする意味がない気がした
前作『ブレードランナー』の「レトロフューチャー的ディストピア」な世界観からレトロ要素をぶっこ抜いたような印象を『2049』からは受けた
全く同感です。
本当に映画みたのかな?Kの心情はひしひしと伝わってきたけど。浅いなあ
キリスト教を始め、宗教が自殺や殺人を咎めるのは
単純に自分の宗教にお布施やら捧げ物する人が減る可能性あるからにも沿っているんだよな
んん~~~ 確かにキューブリックの映像は「可愛くない」というか、はっきり言って病的な感じがするよね。あまりに完璧すぎて。
キューブリック監督は本当に病気だと思う。関わった人の多くがそう言ってて、彼と真正面から激突してニヤニヤ満足してたのがジャック・ニコルソンだったんでしょ。。。
そういう迫力はたしかに2049には無かったね。まぁ、そう撮影してたらもっと良い映画だったのかは自分には分からないが。。
個人的には娯楽性について言えば2049の方がある様な気がするんよなー
筋書きがちょっと入り組んでて面白いじゃん。
本家公開時は産まれても無い世代だけど、俺は2049の方が好きだな〜
そもそもリドスコの前世紀的なケレン味がちょっと肌に合わないっす
若い世代はオサレでカッコいいのが好きな人もたくさんいるよ!
ブレードランナーは若いころ夢中になって、映画館で5回、ビデオ化されて4回ぐらい、テレビ放映のときも興味本位で観たけど、今度の2049では昔見た時のワクワク感は感じなかった。
色々言われるけど、ブレードランナー(1982)の主役は、まず色々な文化がごった煮になったロサンゼルスの街で、次がルトガー・ハウワーのロイ・バティで、正直、デッカードは狂言回しの程度だと認識しています。
それで、2049の最大の欠点は、街の描写に猥雑さが足りないことだと思います。
ブレードランナー的な未来描写そのものが、その後ステレオタイプな未来描写になってしまったって、2049もその模倣にならざるを得なかったということもあるけど、それだけじゃないような気がする。
なによりも必死になってオリジナル的な猥雑さを出そうとしている感が匂ってしまい、それが記号的な「猥雑さ」で、何か想像できてしまう「猥雑さ」であったと思います。
例えば、オリジナルでのセバスチャンの(プリスがその一体に扮していた)機械人形が並ぶ部屋や、デッカードのスピナーに群がって付属品なんかを盗んでいた浮浪児(?)達みたいな退廃を匂わす細部の描写が欠けていたんだと思います。そうした、細部の積み重ねが、あの未来像をリアルに浮かび上がらせていた要素だと思うんだけど、それらがないために結局は「ああ、また、ブレードランナー的な(続編なんだけど)世界だね」に終わってしまっていたように思います。
だから、岡田さんが言う、主人公の心理描写、説明不足云々の話はどうもピント外れに聞こえてしまいます。
あと、ヴァンゲリスは、映画音楽として有名なところだけでも「炎のランナー」、「ブレードランナー」だけじゃなく、同じ1982年にコスタ・カブラス監督の「ミッシング」があるし、その他にも、「南極物語」オリバーストーン監督の「アレキサンダー」なんかがあるんだけど・・・
投稿したあと考えたけどなぜ、私が2049での猥雑さをわざとらしいと感じたか、補足しておきたいと思います。
例として挙げると、2049では、VRでのガールフレンドとか、ホログラムとか、なんか街中でビルの曇りガラスみたいな中でセックスをしてところを見せているいるみたいな描写があったけど、それは猥雑なものを写しているけど、オリジナルにあった世界観そのものの猥雑さではないと思います。
つまり、アダルト業界や育成ゲームみたいなものが発展していったら、そうなるだろうなっていう想像の先にある意識的な、人工的なものでしかありません。
それは、オリジナルにあった、あらゆる民族が集まり、それぞれ勝手に生活していった結果に生じた無意識的な猥雑さとは似て非なるものです。
なんだかんだで、アニメのブラックアウトが一番おもしろかったし、ブレランの世界を端的に表してるわ。
日本は省略文化のマンガがベースにあるから、ああいうのが可能なんだろうな。
ナベシン(あっちじゃないほう)が2049監督してたら2時間で終わってたろ。
ケンドーコバヤシにゆるモノローグ、
バンゲリス❣️
よりにもよって『フランダースの犬』たとえですか。
まあみんな泣くし、私も泣くんですが
高畑勲がラストに激怒して、宮崎駿が「視聴率が高かっただけのゴミ」と言った気持も分かる様な気もするんですよね。
安易に感情移入させる自分描写しない、リアリティに反する過剰ファンタジー演出やらない高畑勲研究の為には研究素材ですがね。
とりあえずDUNEは良かった
そのブレードランナーはさすがにダサいだろう。
スピルバーグの「A.I.」は大好き
好きな映画だけど決して面白い映画ではないというのはわかります。
自分的には何が何でも一作目につなげないといけないというありがちなクセをいい加減止めた方が良かったと思います。デッカードの話を無理やりつなげる必要あったのでしょうか?まったく別のブレードランナーの物語にした方が楽しめたように思いますね。
醜悪なサムネは考え直したほうがいい
岡田氏動画の中でもかなりの評価の低さ。ここでのブレランの見方の駄目さを感じての評価だろうね…。
あと、脚本でハンプトン・ファンチャーが今回も参加、ハードボイルドタッチを継承、コンセプチュアルデザイン(確かラスベガスのあの印象的なデザイン群)にシド・ミードも参加している。35年振りのマニア人気作に気合入れないで臨んでると思う?今回退屈だったって人は、前回の作品のどこをキモだと捉えているのか…ちょっ共感できないなぁ…(前作の未来への問題の含みから、今作の未来への方向性はいいアイデアだと思うけど。ブラックアウトもね。上手いよ)。
アメリカの人気が今一つなのは、今回もアジアンオリエンテッドな感じだし(ハングル語表記はあるわ、日本語アナウンスは多発だわ、中国人ぽい俳優は出てるし)、他国へのへつらいが今一つ嫌…とかじゃないかな。自分がアメリカ人ならそんな感じ。他国では比較的興収悪くないんだから、出来が悪いってより「アメリカ人に好かれなかった」って事では。監督がフランス系カナダ人なんだし。
いや、ブレードランナーはおもろかった
2049がハリウッドナイズされてないだって? ブレードランナーってハリウッドの娯楽映画か? ビジュアル優先のアート系の映画だろ。だからワーナーが反発して別映画の映像をエンディングに使って無理やりハッピーエンドにしたんだろ。その映画の続編がそこらへんを全部取っ払って、ブレードランナーを理解できない層向けに映画をカスタマイズしたら、それってブレードランナーの続編として相応しいか? 悲しいときに悲しい音楽が鳴らないとシーンの意味が分からないなら、背伸びせず、幼児向けの三文娯楽映画でも見てるべき。演出の引き算を理解するのが大人だよ。
2049はスッゴイ良く出来てる映画なのに、素直に楽しめないなんて逆に哀れみを覚えるよ。あ、そういえば岡田斗司夫プロデュースの大作「みんなのアニメ(ロケット男)」ってどうなりました?これはもう、とんでもない傑作になるものと確信してますので、さっさと完成させて下さい。
マッドマックス怒りのデスロードのモノローグみたいでワロタ
確かに一理あるわ
この人が言った通りの作品でも、この人は「大衆ウケ狙いやがって!ブレードランナー のくせに!」っていうだろうし(かなりの駄作になる)今の作品でも文句を言う。
世間で評価されてる映画をこき下ろして「こんなすごい映画をこき下ろせる僕すごいでしょ!」って信者にアピールするのがこの人の評論スタイルだからね。
映画が今一度「わかる人」と「わからない人」の2層に分かれるてるんじゃないのかなと思います。(ネットのレビューがあてにならなくなってる)この人は頭が良いけど爆発的にセンスがない人なんだなと思いました。(良く存じあげなくてスミマセン。
私は逆に高齢の女性がDNAだけでジョイを産み出しVRのようでいて本物だったってオチのほうが夢あると思いました。
「Ghost in The Shell」の実写は「2049」でよかったと思う…
ここのコメント欄僕と同じ考えの人が沢山いて嬉しい!2049は面白くはなかった!続編としてあっても無くてもいい映画って感じ!
あとラスベガスにあった女性のでっかい像、あれは思いっきり時計じかけのオレンジのミルクバーの奴だとおもうのだけど
ヴァンゲリスは『1492コロンブス』でも楽曲提供してますよ。
岡田が歴史物なんか見てるわけねーじゃん。
私もブレラン2049見に行きましたが、期待外れでした。
町山さんや著名映画評論家が過大評価してるあまり、度肝を抜かせられるんだろうなと思って見に行きましたが、全然ピンと来なかったです。
近未来感も旧作より雑だった。
音楽もシンセサイザーみたいな変な音はやめた方がいい。
私はゴーストインザシェルの方がまだ映像も内容も良かったかも。
あまりに実体が無くて、ジョイはプログラム、主人公の為に好きな事を言うよう出来てるだけと考えるから、おかしな事になっていると思う。彼女が、意志を持ったキャラクターで、ただ触れる事が出来ないだけ…と考えると、素晴らしいヒロイン。もう一度彼女を中心に考えてほしい。話しはKが主役だから、そっちを中心に考えてしまうのは仕方がないが、彼女目線で考えると本当に悲しい。最後、“愛してる”と言って、機械を踏み壊されて消えてしまう。Kが最終的に戦うモチベーションになったのは間違いない。作り物のレプリカントと本物の愛を作り上げ、その結晶である娘とデッカード。彼らにKは、自分とジョイに本物の愛を育む可能性があったのではないか…いや、育んでいた…そう思ったんじゃないだろうか。だから、そんな偉大な先輩達の役に立ちたくなった…命をかけて…。
でも…いい映画だったけど、悲しいなぁ。ハッピーエンドなら何度も見たいけど、悲しいとなぁ…。
岡田さんの映画解説、どれも大変興味深く拝見しています。多くの情報を巧みに再構築して非常に説得力のある流れとして披露してくださることで、それを拝聴している方も新しい気づきが得られます。お礼申し上げます。いつか、アンドレイ・タルコフスキーの映画について、岡田さんの解釈を伺ってみたいと思います。これからの益々のご活躍をお祈りしています。
結局ブレードランナーは原作が面白い