怒る人が愚かな理由を解説【仏教の教え】
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- เผยแพร่เมื่อ 3 ก.ค. 2024
- まだ私が大学生だったときのことです。
学生街の、とある食堂で食事していると、厨房から、店の主人が誰か従業員に激しく怒りをぶつけている声が聞えてきまして、いたたまれない気持ちになったことがあります。
それ以来、その店には行かなくなってしまったのですが、行かなくなったのは、味というより、その店の主人への不快感からでした。
その店の主人は、指導していたんだと弁明するかもしれませんが、主人の言い方や言葉遣いは、感情をぶつけているとしか思えなかったですし、百歩譲って指導だったとしても、客のいないところですべきでしょう。
客に不快な気持ちを抱かせることが、その店の責任者なのに、分からんとはどういうことだと思ってしまいます。
少なくとも、あの時、その主人は怒鳴ったことで、常連客を一人失ったのです。
決して客は、料理の味だけを求めているのではない、心地よいひとときを求めて、お金を払ってその場にいることを心に留めなければならないと思います。
店の主人ならそういうことはよく分かっているはずです。
だからこそ観葉植物を置いたり、BGMを気遣ったりしているのでしょうし。
分かっていても頭に血が上ると、周りが見えなくなってしまうのかも知れません。
これは職場でも同じで、怒っている人がいると、職場全体の空気が固く、ぎこちなく、暗くよどみます。
家庭だともっと悪影響です。
両親が悪態をつき、怒鳴っているのを子供はどんな気持ちで聞くか、子供の気持ちを考えたらできないことが、様々な家庭で見受けられます。
怒っていいことは一つもありません。
怒ったあとは自分自身、嫌な気持ちになりますし、周囲の人を不快にさせ、暗くさせます。
お釈迦様が『瞋恚(怒り)』を、三大煩悩の一つに数えられているのもよくわかります。
怒りがムラムラとわいてきて、言葉や顔や態度に出てしまいそうになるときは、周りの人を苦しませることになると思い留め、律していきたく思います。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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経験上、怒る人は、病気になり、早く死にます。私は、いつも静かに笑って生きたい。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」山本五十六
以前、電車内で痴漢に嫌がらせを受けた時、前に座っていた男性が、スッと立ち上がり、その痴漢に「どけよ!」と言って、殴らんばかりに、強く押しのけて、私に席を譲って下さいました。その後も、その痴漢に対して「何やってんだよ、てめーは!あっちに行けよ!」って言って、その痴漢の肩を押して、睨み付けてくれました。もちろんその痴漢は、恐れをなして、スゴスゴと、次の駅で降りて行ってしまいましたが…。その男性が怒って痴漢を撃退してくれたお陰で、私だけでなく、周りの女性も、凄く助かったと思います。怒りにも「人助けの怒り」もあるのではないでしょうか…。
それはいんじゃないですか怒って。
アンガーは弱きを助ける正義の怒り
のみ許される。
今回の話は職場の弱者に対してなので混合しないでね、
でもその男性の正義の強さ
素晴らしいですね。
@@user-ef9me4oe1k様
全く同意見です。要は「怒り」の使い分けではないかと思います。座して反社会的行為者の欲望を満たすことの方が最も愚かです。
アドラー心理学では、
怒りは目的のための仮の姿、という側面もあります。痴漢撃退の怒りはそれ。アドラー心理学的な怒り。
ただ、仏教の先生が今回動画でお伝えしている怒りは、理由もわからず常にイライラしてる人、常に怒ってる人の対処の話だと思います。
私は、それでも怒る必要はないかと思いました。その場面で必要なのは痴漢をやめさせることと、本人に反省を促し、以後人に迷惑をかけないようにすることだと思います。男に対して冷静に諭し、駅員に痴漢の事実を伝えるのもよかったかもしれません。
怒りで解決すれば周りはすっきりするかもしれませんが、痴漢の男は反省することなく同じ罪を繰り返す可能性があります。
もちろん、冷静に諭したとしても再犯の可能性はあります。しかし、最善を尽くした後の男の行動は相手の課題であり、仕方がないことでしょう。
また、正しいことのために怒りを伴うことを容認すると、正義のために怒りや暴力が生まれてしまいます。正義は人の価値観の数だけ多様に存在するため、やはり正しい怒りなどはないのではないかと考えています。
もちろん、私の意見は一つの見方に過ぎません
@@taka2285 同意します。怒りはアドラー心理学では他者コントロールのために使うとあります。つまり制圧するために怒ったのです。どちらにせよ、怒りなく過ごすことが貴重な瞬間であり、その中で育つこと、生きてゆくことが大切、それは私も同じ気持ちです。
今回もありがとうございます🙇怒りっぽい人は黙っている間も周りの方々に迷惑をかけているように思います🙂↔️穏やかな状態を維持したいですね✨🤗✨自利利他👍✨🥳
感謝が結論にあると理解が頭にあります 理解があると怒りでなく返答に頭脳が回りますので 心の寛容が生まれます 寛容とは人の不快に至りません 落ち着いて広い視野を持てると周りの理解を育てます 寛容がある人は知性も人柄も明るいです ありがとうございました
今日もありがとうございました!🙇
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★怒る人が愚かな理由を解説
1.怒りは周りを不快にさせる(瞋恚の炎)
2.怒りは感染する(怒りの伝播)
3.自損損他と自利利他(自ら〜他も~)
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。とても興味深いお話とデータ等にうなづくことばかりでした。〜怒りは百害あって一利なし、無謀に始まり取り返しのつかない後悔に終わります〜西路を指授せしかども 自障障他(過去世の多生の私)せしほどに 曠劫以来もいたづらに むなしくこそはすぎにけれ〜過去已曽 修習此法 今得重聞 即生歓喜〜今生こそ多生にも値い難い本願力に値い、億劫にも獲難き真実信心を獲させていただきます。ただ仏法は聴聞に極まることなり。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
2024年7月5日(金曜日☀3時42分)怒りからより良い未来は生まれるとは思えないので愚かだと思いました。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇♂🙏✌😊
いつも素晴らしいお話をありがとうございます。「怒り」は百害あって一利なし。「自損損他」をやめ、「自利利他」で生きるこたが大事。大人でも子どもでも素直に理解できる大変分かりやすいお話でした。ありがとうございました。
私は怒られる人と
距離を置いています。
怒りって、なんですかね、人間感情の感情の動物だから、仕方無い事です、怒らない人68年生きてるけど、私は出会った人いません。皆ある場面では、皆怒ってます。
綺麗事ですね。菊谷先生は怒り無いのですか?ある意味、怒りを、肯定しないけど人間的では?怒りの無い世界に住みたいですね。
子どもに怒ってしまってます。
子どもはよく怒ります。私がまず変わらないといけないと思いました。
👍✨🤗💕
以前、職場に怒りにまかせて部下後輩を指導、教育していた上司がおりました。しかしある時を境に気を病み、鬱状態になりました。当然ですが誰一人その上司をフォローする者は居らず、知らぬ間に退職していました。漫画のような話ですが、因果応報はあると確信している次第です。
危害を加えられ怒って当たり前の状況によっては怒らないと。
怒りの源流は威嚇、動物が自分の身を守るための動物的な行動です。
三毒、仏教におけるいわゆる三悪趣に赴く行為と教えられるように、百害あって一理なし。
憎しみから出る怒りは悪い意味で、慈愛から出る叱りは良い意味で、相手の人生で忘れないものとなります。
本日もありがとうございます😊
幼少期から短気は損気と言われてきましたが
若い頃までは怒りっぽい性格だったと思います
自損損他、怒りからは何も生まれないですね
それどころか、自分自身も傷付けることになる
もっと余裕を持って穏やかに過ごせるように努めます
ありがとうございます✨
怒っちゃダメというのも
ストレスが溜まって
心も濁るから良くないと思う。
文句を言ってるだけで状況を変えようとしないのが
いけないってだけだと思う。
むしろ、
怒って当然の時に怒らないのは
相手に舐められ
どんどん同じような理不尽なものがやってくるので
怒らないとダメ。
自分がダメになってしまった理由がよくわかりました
確実に苦しくなってきています親から受け継いだにしても
自身では納得がいきません
父方は決して怒らない人たちで離婚を境にその人たちだけに育てられるチャンスがあったというのに
私たちは干渉され巻き込まれ
破滅の道を進んでしまいました。取り戻せません、けどこれ以上の悲惨は避けたいです
自利利他を積んでいくしかないですね
今日も、とても大変すごく学びになりました。ありがとうございました。
私がぜひ知りたいと思っていたお話しでした。聞かせていただき本当に良かったです。ありがとうございます。
過去を振り返ることができました。ありがとうございました。
良く怒る😒💢💢人は、周囲から見放される事が、沢山あります。😄
怒るは喜怒哀楽の中の一つの感情です。
例え腹立たしい事があったとしても、そこは我慢するべきなのかなと思います。😄
大変勉強になりました。😄ありがとうございます。🙏😊
自分に対して沸々と怒りが沸いていると思います。自分を許せないというか、、ひとりでいたいのに寂しいですし、眠れないし寝てしまうし。
日本語が頭に入ってこないのに、休めないなぁとぼんやりした頭で考えています。むしろ、怒りを静かにひとりで発散できたら楽になりそうです。そして、こういう話題を取り上げてくれないと、こうして書けないです。有難うございます。
というか、怒りを抑圧し過ぎて感情が死にそうになることがよくあります。運動とか、趣味とかで発散した方がいいと思います。
余りにも感情が止まると、動けなくなります。
職場は争いが起きるのがよく見ます、争いが起きるのが職場ではないか?職場の雰囲気が悪くなりますね、怒りは他人も不幸にする、自分も不幸にする。誰でもこうなりますね、自分を冷静に見つめて大人になりましょう
今日も有り難うございます🙇
I appreciate the thoughtful topics on a daily basis. They provide me with ideas that I can immediately implement in my daily life. Thank you for all that you do!
有難うございました。気をつけたいと思います。
本当に、怒りは、
感染しますね😢
上司に聞かせてやりたい
私もいい年して大変学びと参考になります。この年で少し恥ずかしく思います。有り難うございます。
自損損他ではなく自利利他ですね。ありがとうございます…。😊
難しいけれど、そうですよね👍✨🥳
いきなりタイトルが悪口
白の色だけは、白がわからず。
黒だけでも黒がわからず。
喜怒哀楽があって人間と思います。
怒りの苦しみを知って愛す事の喜びを知るのではと。
結局、地獄も天国もこの世に存在し、人の志が地獄にも天国にも変えていく。すばらしいエピソードですね。
最近はうまく行かない時は、
・感謝すべきことを見つける。
・自分の欲(特に名誉欲)が満たせてないだけだ。
そう思うだけで冷静になれます。自利利他を特に意識していきたいなと思います。
ありがとうございました。
怒りは敵と思えですね。
ありがとうございます❗
怒られる様なことをする人もいれば怒られないと分からない人もいます
ありがとうございました。
怒りは体内に毒素を生じさせるらしいです。なかなか扱うのが厄介な感情です。怒りなしで生活できたらどんなにか楽でしょう。突発的な怒りは抑えるというよりも受け流すのがいいらしいです。だから逆を行くほうがいいですね。自利利他の精神で行きたいものですね。
ですね👍✨🤗
ありがとうございます!
聖人なら怒らないは通用する。一般人なら舐められ更にやられる。
演技でも怒ることは大切だよ
怒りながら毎度先生にコメントしてる視聴者は熱狂的なファンですね。
再生回数とコメント数の伸びに大貢献してます。
道徳書一冊分の知恵です。有難う。
今の職場で講演してほしいくらい、ごもっともです。。
怒ると叱るの違いをわかっていない。
なので3年勤めて15人辞めていきましたね。早くて1日で辞めていき遅くて1年後にだいたい家庭の事情で辞めてかれました。私もその1人になります
怒るという感情が生きることに必要だから人類は怒りの感情を持っているのでは。怒りがないと数百万年後の現代の人類は存在していないのではと思います。
例えば、戦後怒らない教育を受けてきたから暴虐なクルド人のような外国人が警察や政府から面倒くささから不問にされ怒らない日本人が守られずに迫害されるのでは。とも思う。
俺も怖い思いしてますよ
いつも拝聴しています。これからも頑張ってください。
人を仕事で指導する時は、怒る習慣みたいに、教えるやり方の人が多いなーと感じた会社に居ます。新人に対して無駄に言うから、ただでさえ覚える段階では頭だけでしてるから、パニックになりやすくなって失敗するんでは?とおもいますね。失敗したらしたで会社にとっても損害でしかなくいいことがないですよね。間違ったら、人命に関わるところは、強調して言い、自分は要点を言えばいいんじゃないかと思い、新しく入ってくる人には言いたくないです。この会社ではみんなができない、他の人より有利な経験と資格があるので、私の時代から変えていきたいとおもいます。
菊谷先生 こんばんは😊
本日もありがとうございます。
今日のテーマは、『怒る人は頭が悪い 仏教の教え』
怒る人が愚かな理由を解説
怒る人は愚かであるとお釈迦様は教えられている 何故か?
それは、自損損他だから!!
自損損他とは、怒るという言動は人を損させることになりますよということで、どれだけ怒ることによって周りの人が苦しんでいることかと!!
他の人を苦しませているんですよ、また、他の人を傷つけているんですよ、怖い思いをさせていますよとい
こと!!
他の人、周りの人はそれによって、いかに損害を被っているか、そして、自分自身がそれで嫌われているから、みんな怒る人から遠ざかっていき自分も損している 不幸になっている
怒るということは『自損損他』人をも不幸にさせて自らも不幸になる言動だからそんなことをわざわざ自分からするということはこんなに愚かなことはないとお釈迦様は教えられる
今日の内容を聞いて
怒る人とは近づかない方がやっぱりいいんだなぁ~と、怒る人とは距離を置こうというふうにつくづく思うし、また、自分自身が怒る人だなと自覚している人の場合は、これは、人を苦しませているなと自分もまた不幸になるなというのを感じ取って頂けるよう内容になると思う
なぜ怒りというのが自損損他の愚かな行いなのかというお釈迦様の教えが今日のテーマ
1 怒りは周りを不快にさせる
2 怒りは感染する
3 自損損他と自利利他
1 怒りは『百害あって一利なし』
メリットはない
なぜ怒りというのは周りの人を苦しませることになるのか?
仏教では怒りのことを『瞋に』と言う
この恐ろしさは言ってはいけないことを言う あるいは、やってはいけないことをやる
怒りというのは、よく仏教では『炎』に例えられるが、「瞋にの炎」瞋にの大火事の前には理性というのは、コップ一杯の水みたいなもので役にたたないと教えられているように、怒りは理性を失う
「こうしたらああなる」、「ああしたらこうなる」とかいう先のことを考える計画性というのは吹っ飛んでしまう 知恵がなくなってしまう状態である そんな時に話すというのは必ず礼節に欠く
言ってはいけないことを言う
人間対人間であるからお互い礼儀もあるが、腹が立つと言ってはいけないことを言う その人を侮辱する
その人をなじる その言葉も辛辣で
人として言ってはいけないことを怒ってしまうと言ってしまう
「脳にタトゥーが刻まれる」
怒りというのかいかに理性を失わせるか、言ってはいけないことを言うのか それによって周りの人がどれだけ嫌な気持ちになるかということを考えて行動しなければならない
2 怒りは感染する
3 自損損他ではなく自利利他
自利利他
他の人を利する 他の人を幸せに
する事がそのまま自らが幸せに
なる道であると!!
これが仏教精神である
自損損他をやめて自利利他の人生を生きようというのがお釈迦様の教えである
昔から
『呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ
山彦ぞ
まず笑顔せよ みな笑顔する』
と言われる
ヤッホーと呼べばヤッホーと帰ってくる やまびこである
呼ばなかったら向こうからは聞こえてこない 自分がヤッホーと言ったから向こうから返ってくる
なので
まず笑顔しなさいと
今まで不平不満をぶつけていたなら
向こうも不平不満となって返って来るのだからまずこちらから不平不満をやめてイライラするのをやめて笑顔で接しましょうと!!
他の人を幸せにするままが自らが幸せになる道だと!!
自損損他になるか自利利他で生きるか!!
地獄:自損損他
極楽:自利利他
どういう生き方をするかで、地獄と極楽ほど別れてしまうと言うことである
自損損他の一生の人はずっと苦しむし自利利他で生きる人は幸せになりますよということであるのでその生き方の違いが他の何も変わっていなくても人生は180度変わってしまうと!!
本日もありがとうございました。
私は、怒ると叱るを、混同している人が、たくさん居るように思います。
怒る、叱るを、解説してほしいです。
聖者に怒り無しですね!煩悩もないのですね!
官僚を𠮟る、鈴木宗男。
今回もありがたいお話ありがとうございました。仏教に関するたくさんの情報発信をされている先生は本当に凄いと思います。
さて、怒る人が愚かであるということと、怒る人が頭が悪いということの関連性がそもそもよく分かりませんでした。愚か=頭が悪いということではないと思うので、そこの部分の論理展開を詳しく解説してほしいです。
また、今回のお話の中で出てきた例では、怒りっぽい人ばかり出てきていましたが、適切なタイミングで怒る場合はどうなんでしょうか。例えば、幼い子供が親の財布からこっそりお金をとっていたところを目撃したとか、他人に暴力を振るうひとを目撃したとか、めったに怒らないけど、適切な場面では怒るとか、そういった場合でも怒ることは愚かであるというような説明があればより納得出来るのですが、どうでしょうか。松下幸之助の言葉にも公の憤を持てというようなものがあります。上の立場にたつものは、然るべきときに怒りを表明しなければならないときもあります。また、よく言われることとして、叱ることと怒ることは違うというものがありますが、起因はやはり怒りの感情だと思います。怒りの感情なくして叱ることは出来ないのではないでしょうか。それは怒りをコントロールしていると言うことではなのだと思います。一度も叱られることなく、怒りの感情を当てられることなく育てられた子供が、まともな人間に育つでしょうか。
そういったことも、仏教の戒的にはダメだと思いますが、そういった場合でもダメなのはなぜなのか。その説明も必要ではないかと思います。
そもそも仏教は現世での成功を目指すものではなくて、自信の心の苦しみを消し去ることを目的としていると浅学ながら私はそう捉えているので、現代社会の中で万人に当てはめることの出来るルールではない部分もあると思っています。
怒りの感情は愚かであるというのは、そもそもどんな人を対象としてお話されているのでしょうか。比丘比丘尼でしょうか、優婆塞優婆夷でしょうか、在家信者でしょうか、檀家門徒でしょうか、一般人でしょうか。
色々知識があるみたいですね。 でもね 突き詰めると頭が悪いということになるんですよ。 説明すると時間もかかるし メールで話しにくいですけどね。 結果を言うと 真理はひとつ。 ということです。 こう言うと また 反論したくなるでしょ これから 寿命まで の間 勉強してください。
@@user-kw5sj7uw7t このような反論ともとれるようなコメントに返信下さり、ありがとうございます。これは皮肉ではなくて、実際のところ本当にありがたいと思っています。
私には知識などありませんので、おっしゃって頂いたことを少しずつ考えていきたいと思います。
私は、仏教は素晴らしいものであると思っています。だからこそ、なぜ仏教が不瞋恚を戒に入れているのか、様々な角度から疑問を解消したいのです。
また、考えていきたいと思っていると書いた手前恐縮なのですが、一つ教えてだけ欲しいことがあります。突き詰めると、頭が悪いということになるというのは、愚かであるというのを突き詰めると。という理解で良かったでしょうか。
哲学っぽいねえ
怒る事は不要であるが、叱る(指導)事は必要ですよ!
人は鏡みたいなものですから、怒りやイライラは、エスカレートしまくるくらい簡単に伝染しますよね。一方で、親切や優しさは、あまり伝染しないように感じてしまいます。多分、見返りを求めてしまい物足りなさを感じてしまうんでしょうね…
伝染するもので、ずっと気になってるのが「あくび」です。真偽は分かりませんが、これって集団行動する動物に共通して備わった特徴なんじゃないのかな…?
一匹は見張り役で、残りは皆んなで寝るみたいな、集団行動の最適化をした結果、獲得した能力なんじゃ無いかと疑ってます。
偶然にしてはできすぎなくらい、伝染してる気がします。
ありがとうm(_ _)mございます😊
ちょっと近づきすぎたので反省したのです。
動画はほとぼりが冷めた頃にコッソリ見ることにします。
これは社会人にたいしてですね?子供の場合はどうなんでしょうか?家のお金を取りました。課金してました。
おこるひとやだー
おこってるときの自分もやだー
ウィルス🦠存在していませんよ😌
自分を客観的に見るということは、果たして可能であろうか。親鸞という人は、それをやった人なのである、と思っている。
怒りと怒るは違いませんか何故異国のことを例えるかTH-cam用
例えば皆さんが独りで山歩きをしていたとします、女性が暴漢3人に襲われていて近くには誰もいません、手頃な木の棒が落ちています、どうしますか?
仏教物語では念仏を唱えると暴漢共はたちどころに仏教に帰依しましたとなりますが、現実は違います
仏教流に怒らず心を動かさず静かにその場を立ち去りますか?
自分自身はその方が得ですよね
怒りましょう、木の棒を拾いましょう、たとえ勝てなくとも暴漢は犯行を諦めるかもしれません、日常生活に於いても様々な困難があります
宗教に逃げずに自分さえ平安なら構わないとならぬ様に致しましょう。
南無阿弥陀仏m(__)m
ずばり私です
体の調子悪いと元気な時に比べて些細なことでイライラしやすいし怒りやすいわほんま
嫌われとるけどそんなん体の調子悪いのにやらんとあかん事多いとはっきしいうて頭も働かんようになるでほんまなー
そんな経験したこと無いやろ君たちなーおーん平和でええなーそらそうよおーん
やらんとあかん事少ない奴らはうらやましいよそらそうよおーん
怒る猿より笑う人^^
怒りを発散しない事は、支配階級の社会支配を容易にすることを是認して、社会の変革を起さない事を長く是認する。よって社会の発達を阻害する行為と思うが如何に?
怒られると顔が笑ってしまいます!ニヤけてしまいます!何故でしょう?
怒りに任せて言ってるのが、見えるからでしょうか?
怒りに任せて言い聞かせようと、幼稚な考えが見えるからでしょうか?
コーチングの力がない人は、専門職には就けても、管理職にはなれないのがアメリカのエクセレントカンパニーでは原則だ、、、
仏教の教えはわかりますが、仕事でのささいなミスで大声を出す人がいますね。周囲も仕事熱心な人とみなすから、こちらは萎縮してストレスになっていても、結局、怒った人に軍配が上がるから、怒った者勝ちではないですか?
河野大臣よく怒る🍀
彼はお子様ですから…🤣
同感です。
ポイントは相手をコントロールするため。
相手が思い通りにならない時に、最終手段で怒る。それが麻痺して常に怒るようになる。
怒ったふりは生きるのに必要な技術だと思います。心は平静だけど場面によって利益になりそうな時は怒ります。
うまいこと言っているようだが、なんか引っかかる。何だろう。たとえが損得? お金が損するから怒るなと言うの? 怒りが伝染するのをコロナで例えるのもどうかと。親が怒らないと田村瑠奈が出来上がってしまう。どんな怒りも十把一絡げにして損するよというのが変なのか。天国と地獄の例えも、なんか気味の悪い嫌な天国だ。
では貴方は絶対に怒らない人何ですネ❗️
もちろんです。
現在、世界中で自国優先の極右勢力が強く成り人権無視の欲深い領土奪い合い争いが起こってますが、国連の力は全く及ばず戦力重視の暴力が支配し優先してます。本当に、やるせない思いですが外交努力では解決できない状態です。つい怒りの気持ちが湧き上がります。世界中いつの時代でも暴力がまかり通ってます。この怒りは、どう対処すれば良いのでしょうか?
宗教家が世の中救えるか?現実を見ろよ!
座禅も御経も夜の中は変えれない。
人は、肉体・感情・知性から成り立っているという説に当てはめてみた。知性に基づいて行えば「叱る」となり、感情に基づいて行えば「怒る」となる。では、肉体に基づいて行えばどうなるか。単純に「暴力」と言い切れない例もある。知性の暴力に対抗するためには、肉体の暴力が必要となることもあるから。極端なケースでは、第二次大戦中の日本が行った戦争。
人を怒って心を壊してしまって退職しました。愚かでした。
これは間違い。怒りは周りを怒らせるなら言われた側も怒るはずなのに怒らない逆に冷静になる。
周りに伝播するというなら怯える人は現れないので矛盾している。
世の中は全ての人間に都合のいいようには出来ていない。社会なら尚更。
そこで怒る人が出てくるということは現行のシステムに欠陥があるという事。
他の人が作業効率落ちるのはその場で一緒に考えて改善策を講じないから同じことが繰り返されるから。
そんな基本概念も知らないのに決めつけるとは何事か。そんなことをして何の得がある。
人間の感情は「喜怒哀楽」以外にプルチックの感情の輪というものがある。それを知らずしてただ「怒る人は愚かだ」というのは教がないと言わざるを得ない。