22 特定の人種の人々に対するコンプレックス

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  • เผยแพร่เมื่อ 25 ม.ค. 2025
  • なんでも日本では英語をつかってもっとうまく外国人とコミュニケーションをといった教育に力を入れているらしいんですが、こういうのはどうかなと思います。この場合の外国人というのは、たぶん、「英語はいまや世界言語なんだから、それくらいきちんとできてあたりまえだ」なんて感じの白人のエリートたち、あるいは英語がペラペラしゃべれるというだけで、そういう白人連中の仲間入りをしていると錯覚している外国人のエリート連中で、ぼくからすると、そういうタイプのひとたちにへつらうための教育というのはいかがなものかと思います。
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    こんにちは。私は田口達三といいます。大学で哲学を勉強して(カナダのビクトリア大学です)以来、ずっと哲学を勉強してきました。特にニーチェさんがすきで、竹田青嗣先生の『ニーチェ入門』を英訳したりもしました(アマゾンキンドルで発売中です)。ぜんぜん売れていないみたいなんですが、じつはこれ、ぼくが何か哲学のことに関する文章をこどもに残せたらなと考えた結果、こどもに伝えたい最善の文章というのが竹田先生のこの本であり、ニーチェさんというひとのことだったんですね。ぜひぜひお読みになられてください。とは言っても、ほとんどのひとは、「日本語で書かれた原文を読めばいいんじゃないか」という感じでしょうね。でも、もし、外国人とニーチェさんの話を含めた哲学的あるいはちょっと深い、たとえば人生についてとか、世界の在り方についての話を英語でできるようになるのもわるくないなと思われたら、この本にはそのための語彙や文例がたくさんあるので、お役に立てるのではと思います。
    哲学というとなんかややこしそうな話に聴こえるかもしれません。デカルトさんの「我思う、故に我在り」とかカントさんの「物自体」とか、いったい何のことなんだかとか見当がつかないとか、ちょっと調べてみても、何のためにそういうことを考えないといけないのかぜんぜんわからないとか、まあたしかにややこしいと言えばややこしいですね。でも、それは逆に言うと、人生あるいは現実というもの自体もややこしいからで、そういうややこしいことをきちんと要約し、把握して行こうねというのが哲学の役目かなと思います。
    ややこしいことを、ややこしいままにしておくと、整理整頓のできていない街やお部屋が住みにくくなるように、人生も現実も輪をかけてややこしくなって行きます。ぼくのこの談義がすこしでもみなさまの人生や現実の整理整頓のお役に立てればさいわいです。よろしくおつきあいくださいませ。
    テキストは以下のサイトに掲載しています。ご参考まで。
    tatsuzotaguchi...

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