I suppose that this is about the career and retirement of former ozeki Wakashimazu, who I read about but never saw while he was active. From films it could be seen that he was an excellent technician, a bit tall and thin for a rikishi, and deservedly popular with the fans. He was a very good ozeki until an injury in the middle of 1985 hampered his performances.
若嶋津は小兵ながらよく頑張ったと思います。
松鳳山も親方を超える地位につけたらいいな。頑張れ松鳳山!!
引退しましたよ
後年の若嶋津しか知らない人は弱いイメージしかないと思うけど、全盛期は粘りもあって強かった。この身体を見たら、いかに体力が落ち、精一杯だったことが分かる。
皮肉にも同期生で同郷の霧島が引退後に大関になったのも、何か縁を感じていたのではないか。
若嶋津は早熟型、霧島は晩成型の力士だった。
余談、奥さんの高田みずえ綺麗な人だな。
この場所は同じカド番北天佑関の痩せ方と苦戦が印象深いですが、若嶋津関最後の場所でもありましたね。晩年、大きな力士には体力負けし、小柄な力士にも速さ負け。良い潮時だったと思います。それでも、大関で全勝優勝まで成し遂げたのですから、名大関といえるでしょう。そして素晴らしいおかみさんと結婚されましたね。
仲が良かったと言われる北天佑関は既にこの世にいません。若嶋津関も体調が思わしくないようですが、気力で北天佑関の分も長生きしてほしいです。
今では、見られない豪華な方々がみえましたね✨あの高田みづえさんが、女将さんになるとは思いませんでした。
元々細身だったけど、引退相撲の時は更に肉が落ちているのがわかる。現役中はさぞかし苦労して体を大きくしようと努力していたんだろう。糖尿病を患って体に力が入らなくなってからは苦しい土俵だったと思います。
千代の富士に若嶋津と益荒雄。他にも居ると思いますがこの時代はイケメン強靭な細身力士が多いですね!
最高位が大関で引退した力士での全勝優勝経験者は、豪栄道とこの若嶋津しかいない。
そう考えると豪栄道すごいな
北天遊は違うんやー
場所中での引退発表だったと思う。
引退間近の時は下半身が細くなっているように見える。
引退会見での「悔いはありません。」という言葉は涙を誘う。
この映像は初めて見ました。あっぷいただきありがとう!
素晴らしい映像ありがとうございました!
これ若貴と相撲取ってるけどこの二人63年3月初土俵だからこのすぐ後に角界入りしたんだよな。
二人とも体が出来過ぎてるw
若島津は子供の頃凄く応援してた。もっとも相撲に興味を持った時には既に晩年で、
勝ち越すのがやっとの状態だった。勝ち越してるのは2,3回くらいしか見てないと思う。
後から調べて以前は横綱間近だったってのが信じられなかったな。
最後の場所もだいぶと体が細くなってる気がする
6:25 二子山親方(初代若乃花)のオーラがヤバい
昭和の小さい力士→千代の富士、若嶋津、寺尾、逆鉾、大徹、益荒雄とか結構居たもんだ。
特に小錦や大乃国(芝田山)にはカモにされてたな。
もともと細身の体でしたが、最後の1~2年で細くなってしまったなぁという印象。立合い踏み込んでも体力負けしちゃう。優勝した場所と体の張りが全然違うよね。横綱一歩手前まで迫っただけに今思うと惜しいなって思う。
前相撲前の若花田貴花田と戦ってたとは。
そしてこの4年半後貴花田が賜杯を手にするとは。
引退相撲で後の横綱2人とやったんだ。糖尿病にならなかったら横綱だっただろうな。
この引退相撲の直後に若貴入門ですね。写真は見た事ありましたが、動画は初めてです どうもです
横綱にならなくて良かった力士
杉山邦博さん、泣かせる場内実況だね!!
最近テレビ出演してないようてすが、お元気でしょうか❓
I suppose that this is about the career and retirement of former ozeki Wakashimazu, who I read about but never saw while he was active. From films it could be seen that he was an excellent technician, a bit tall and thin for a rikishi, and deservedly popular with the fans. He was a very good ozeki until an injury in the middle of 1985 hampered his performances.
高田みづえさんと結婚後に引退しました。
皮肉にも結婚してからは満足出来る成績が残せませんでしたね。
12年しか現役じゃなかったの?短かったんだね。
初優勝した時と身体を比べると糖尿になったせいかやせ細って筋肉も衰えとても大関が務まるような
感じじゃない。
若嶋津の引退は覚えているけど、引退する1年くらいはもう全然力が出ていなかったよね。
糖尿ってやっぱり怖い。
若嶋津は高卒だからね。中卒入門の子と同じように序の口から這い上がっていったので、その3歳差は大きかったかも。
ただ、大卒なら当時は無条件で幕下最下位格付出デビューだった時代、高卒は出世しないというジンクスが根強く、それを跳ね返して大関にまで昇りつめたんだから、立派としかいいようがない。
同期生が同部屋の太寿山と同郷で同じ大関まで上がった霧島だけど、2人は中卒で入門だから3歳年下。しかも、霧島が大関に昇進時には若嶋津は既に引退して松ヶ根部屋を創設していた。
昭和62年名古屋場所
横綱 千代の富士 双羽黒
北勝海
大関 大乃国 4代朝潮
6代小錦 北天佑
若嶋津
やっちゃえ 板井!
なんか?みんな察知しているかのようやね、
しかし、最後はいつもさびしいね、
おお。解説に緒方さんが。出羽錦さんもいたな。大鵬に当時の二子山親方。霧島。
悲しくなるくらいガリガリ
初日の起利錦戦なんか、取り口自体は若嶋津らしさ・大関らしさが出てたけど、完全に力負けしてますやん(´・ω・`)。
まぁ昭和59年に春と名古屋で優勝したときは、間違いなく横綱になるだろうと思ったけど、力士が大型化してゆく時代の中で、細身のままで下手からの攻めに終始したところが致命傷だったか。上手から攻めるよう修正できていたら、もしかしたかも!?です。
大型化した力士へ食い下がるソップ型力士という浪漫は彼の引退後に同期の霧島が引き継いだという印象だったな。
あの細い体で良く大関を4年半勤めました。小錦・大乃国・双羽黒・旭富士・北勝海・みな150kg以上の大型で体を壊した。人間が普通に組める限界を超えた体重のある力士を入れてはいけない。
強かった頃を知らないけど 自分が観始めた時は クンロク大関の1人とか言われて 当時は なんで大関?
横綱 千代の富士 北勝海
双羽黒
大関 大乃国 北天佑
小錦 若島津
印籠渡したのは栃乃若だと思っていました。完全なる記憶違いです
引導渡したのは益荒雄ですね。
しかしその益荒雄も…少なくとも十分大関。怪我さえなければ横綱も狙え、若貴兄弟の厚い壁になっていたはずだと思うと…😓
印籠って(笑)黄門様か?
若嶋津が足早に去るなんて潔くない。もったいない。情けないし、恥ずかしい。
ガキの頃見た
結婚を契機に弱くなったんですか?つーことは⤵マンなのかな?
もう 大関やめちまえ なんだ その相撲は?
そんなシマヅに騙され♪
倒れたそうですけどお身体大丈夫かな
軽量のくせにいつまでも下手投げを軸にした相撲してるから勝てないんだよ。晩年はそれが目立ったね