古地図を片手に新宮城を歩く(丹鶴城公園)

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  • เผยแพร่เมื่อ 9 ก.พ. 2025
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    撮影・編集 ユーリ umdry
    和歌山県新宮市。
    かつて丹鶴山と呼ばれた独立丘陵上には、紀州藩の要・新宮城があります。
    標高約60mの最高所に本丸と天守台があり、本丸の西に「鐘ノ丸」、その北に「松ノ丸」が配されています。本丸の北には川方面へ突き出した「出丸」があり、水ノ手や熊野川を見渡すことができます。
    慶長5年(1600)、関が原の合戦後、浅野幸長が紀伊に入国し、重臣・浅野忠吉が新宮に入りました。忠吉は、入部後すぐ築城に着手したと考えられています。
    元和元年(1615)の一国一城令で、一旦は廃城となりましたが、南の要の城として再建を許可され、元和4年(1618)、忠吉は再建に着手しました。
    元和5年(1619)、浅野氏にかわり、徳川頼宣が紀伊に入国し、新宮城には、付家老の水野重仲が入りました。重仲は築城工事を継続し、寛永10年(1633)、2代城主・重良の時に完成しました。
    明治維新を迎えると、新宮城はその役割を終え、取り壊されました。
    その後、長らく民間が所有していましたが、昭和50年代半ばに新宮市の所有となりました。現在は、丹鶴城公園として市民の憩いの場となっています。
    【参考】
    パンフレット『国指定史跡新宮城附水野家墓所』新宮市観光協会 新宮市商工観光課
    サムネや古写真は、現地解説板から
    #城めぐり #続日本100名城 #史跡

ความคิดเห็น • 1

  • @NN-sc7id
    @NN-sc7id 2 ปีที่แล้ว +2

    此の光景を見ると思わず郷土の大先輩の佐藤春夫先生の空青し、山青し、川青しを思い出さずにはいられません!😊私も良く小学~中学生時よく登りました!(昭和31〜35年時)別名沖見城と言われているように太平洋の荒波が見えて熊野川河口の入り混じったところと素晴らしい所です!一時城の再建案が出てましたが今はどうなったのでしょうか!令和5年2月15日故郷を離れて59年経ちました!