大澤真幸×成田龍一 「現代思想40年の軌跡と展望」

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ความคิดเห็น • 6

  • @植松京子
    @植松京子 3 ปีที่แล้ว

    35:00ミネルバの🦉

  • @orangemint6793
    @orangemint6793 9 ปีที่แล้ว +1

    1990年前後はおおきな変わり目でしたね。 潮目が変わったというおばえがあります。
    同時代を共有してきた人間にとっての、このナカナカ微妙な空気感がうまく伝わらないもどかしさみたいなことがお二人のお話によく出ていると感じました。 取り立てて、3.11というエポックがそれまでの徐々に滞留した淀みを一気に押し流してしまった観があります。 その残された跡に、これまで手を着けてこずにいたことや気づかずに見過ごしてきたものどもがそのままの異様な姿で現れてしまっており、時代の変化は確実にその後の社会の変質を後付しておると思います。 

    • @ちゃんぼん-c4o
      @ちゃんぼん-c4o ปีที่แล้ว

      3.11のところで笑いをいれた話題はいかがなものですか。

  • @yukihira08
    @yukihira08 9 ปีที่แล้ว

    方法としての外部ということだろうけれど、本当の共通項は、ジャンルとして分けられないものを分けられたかのように振る舞って、それから集まって、それらが混ぜられたかのように勘違いする。その勘違いに無自覚でいることだと思う。
    それが出来る人ばかりが集まったときに、その方法が正しいかのように思える。
    自明性の解体は確かに解体自体の連続になるかもしれないが、一方で自明を強化することにもなる。解体だけが繰り返されるのでも、解体が解体だけを生むのでもない。
    解体にはどうしても解体する構造が必要だからだ。そちらの方へも光りを当てないのは不具だろう。
    言葉で定位させて、それを理解したかのようにカテゴリー的に解釈している。
    しかし、人間はカテゴリー的に分けることで概念を図式的に空間性のようなもので把握するけれども、そう把握することには実際には飛躍がある。
    また、カテゴリーは階層的ではなくて、そのカテゴリーの隣人との一回性の相対関係によって形成されている。二つ飛びや三つ飛び先のカテゴリーとの相対的関係は予測できないかシャッフルされている。
    そういうことを受け入れないで、階層的に考えることで安定を得て、その元に思考するという方法論を採用することで答えが出てしまう。
    そのこと自体が、問題だけれども、それに気付かないでいる方が幸せなのだろう。

  • @北村明-o4o
    @北村明-o4o 4 ปีที่แล้ว

    あなたたちは教科書の記述を目指しますか?