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明主様ありがとうございます。🙏
4⃣自分事なのですが、私はこの本(明主様)を何回も読んで気付いたことは生きているみたいだなと思いました、 今現在の事を、(昔、霊線で未来の事を)今起こることを書いているのではないのかなと思いました、1) これからの人間は世界人にならなければ駄目だ。これについて面白い話がある。終戦直後ある軍人上がりの人が私の所へ来て、憤懣に堪えない面持ちで (今度の降伏はどう考えても分からない。実に怪しからん)と言って、憤慨しながら話しかけるのだが、私の方はさっぱり気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く (先生は日本人ですか)と聞くから、即座に私は(日本人じゃない)と答えると、彼はぎょっとして、震えながら(では何処の国の人間ですか)と聞き返すので、 私は言ってやった。(つまり世界人なんですよ)その言葉に、彼はぽかんと気の抜けたような顔をして、その意味の納得のゆくまで説明してくれろと言うので、 私も色々話してやったが今それを土台にして書いてみよう。2)元来日本人とか中国人とか言って、差別をつけるのが第一間違っている。あの頃の日本人がそれで、日清、日露の二回の戦役に勝ち、急に一等国の仲間入りを したので逆上せ上がり、日本は神国なりなどと、何か特別の国のように思ったり、思わせたりして、遂にあのような戦争まで引き起こしたのである。 そんなわけだから、他国民を犬猫のように侮蔑し、その国の人間を殺すなど何とも思わず、思いのままに他国を荒らし回ったので、遂に今日のような敗戦の 憂き目を見る事になったのである。そのように自分の国さえよけりゃ、他人の国などどうなってもいいというような思想がある限り、とうてい世界の平和は 望めないのである。3)これを日本の国だけとして例えてみても分る。ちょうど県と県との争いのようなものとしたら、日本内の事であるから、いわば兄弟同志のいがみ合いで、 簡単に型がつくに決まっている。この道理を世界的に押し拡げればいいのである。 かの明治大帝の御製にある有名な(四方の海みな同胞と思ふ世に など波風の立ち騒ぐらむ)即ちこれである。みんなこの考えになれば、 明日からでも世界平和は成り立つのである。全人類が右のような広い気持になったとしたら、世界中どの国も内輪同志というわけで、戦争など起こりようわけがないではないか。 この理によって今日でも何々主義、何々思想などといって、その仲間のグループを作り、他を仇のように思ったり、やれ国是だとか、何国魂とか、何々国家主義だとか、 神国などと言って、一人よがりの思想がその国を過らせるのみか、世界平和の妨害ともなるのである。 だからこの際少なくとも日本人全体は、今度の講和を記念として世界人となり今までの小乗的考えを揚棄し、大乗的考えになる事である。 これが今後の世界における最も進歩的思想であって、世界はこの種の人間を必要とするのである。話は違うが宗教などもそれと同じで、何々教だとか、何々宗、 何々派などといって、派閥など作るのはもはや時代遅れである。ところが自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して(触るるな)などというけちな考えは 些かもない。却って触るるのを喜ぶくらいである。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家の如くする平和主義であるからで、この意味において、本教では 如何なる宗教でも仲間同志と心得、お互いに手を携え仲良く進もうとするのである。4)結果として、 ①世界人になれば、考えかたが変わると思いますよ、生まれる前は、どこにいたとか、どこから来たとか、分かる人は、恐らくいないと思います、 自分でもなぜ、この日本に生まれて来たのか考えても分かりません、見えないものが見える物を動かしているんだなと(体験で)分かりました、 ②良い悪い関係なく(頭のいい人とか、偉い人、要領のいい人は)現在生きている人が頭で考えて行動をしますよね、 しかし見えないものが、たった一言の言葉で(霊が人にのりうつって動かしたり、話したり)、決まることが分かりました(現在生きている人がやっても同じですが)、 見えないものがやると、これじゃかなわないと思いました、生きている人がやると、失敗する事もありますが、見えないものがやると、100%と成功です。 自然と同じです、決まっています③以上だいたいの説明であるが、これは私の力のほんの一部分であって、全体を説明するには容易ではない。何よりも今後私のやる仕事を活眼を開いて見て貰う事である。知性の働く人ならある程度分からないはずはない。信仰的に言えば身魂相応にとれるのだから、この意味から言っても、信者は精々身魂を磨き、曇りのないようにしておく事で、そうすれば正覚をえて私の力徳が分るはずである。(明主様の言葉)
病気治療中の私の力になるのは明主様の声を聞く事です 毎日聞いてます 明主様 有り難う御座います m(__)m
私もそうです。毎日聞いてます😊
Ouvir a voz e ver seu olhar ainda vivo é gratificante
6⃣-1明主様の言われたこと、私の長い間の経験によるも、まず人間の価値を決める場合、悪に対する憤激の多寡によるのが一番間違いないようである。つくづく現在の世界の中を見ると、どうも今の人間は、悪に対する憤激が余りに足りないようだ。例えば悪人に善人が苦しめられている話など聞いても興奮する人は割合少ない。察するに、悪に対しいくら憤激したところで仕方がない。然も別段自分の利害に関係がないとしたら、そんな余計な事に心を痛めるより、自分の損得に関係のある事だけ心配すれば沢山だ。それでなくてさえ、この世智辛い世の中は心配事や苦しみが多過ぎる。だから見て見ぬ振りをする。それが利口者と思うらしい。然も世間はこういう人を見ると、世故に長けた苦労人として尊敬するくらいだから、それをみて見習う人も多いわけである。また政治が悪い。政治家や役人が腐敗している。社会の頭だった人が贈収賄、瀆職事件等でよく新聞などに出ており、特に近来非常に犯罪が増え、青少年の不良化等も日本の前途を思えば、このままでは済まされないし、役人の封建性も依然たる有様だし、民主主義の履き違えで、親子、兄弟、師弟の関係なども誠に冷たくなったようだ。税の苛蘞誅求も酷過ぎるし、民主主義も名は立派だが、実は管主主義に抑えつけられて、自民は苦しむばかりだ。その他何々等々、数え上げれば限りないほど、種々雑多な厭な問題がある。これら悉くは勿論、社会的正義感の欠乏が原因であるに違いないが、何といっても前述の如く所謂利口者が多過ぎるためであろう。しかしよく考えてみればそういう社会になるのも無理はない。いつの時代でもそうであるが、殊に青年層は正義感が旺盛なもので、悪に対する憤激も相当あるにはあるが、まず学校を出て一度社会人となるや、実際生活に打つかってみると、意外な事が余りに多く、だんだん経験を積むに従って考え方が変わってくる。なまじ不正に興奮したり、正義感など振り回したりすると、思わぬ誤解を受けたり、人から敬遠されたり、上役からは煙たがられたりするので、出世の妨げともなり易いというわけで、いつしか正義感などは心の片隅に押し込めてしまい、実利本位で進むようになる。こうなるとともかく一通りの処世術を会得した人間という事になる。1)悪に対する憤激の多い人ほど骨があり、しっかりしているわけだが、しかし単なる憤激だけでは困る。ややもすれば危険を伴いがちだからである。 事実青年などがとかく血気にはやり、人に迷惑をかけたり、社会の安寧を脅す事などないとは言えないからで、それにはどうしても叡智が必要となってくる。 つまり憤激は心の奥深く潜めておき、充分考慮し、無分別なやり方は避けると共に、人のため、社会のため、正なり、善なりと思う事を正々堂々と行なうべきである。 これについて私の事を少し書いて見るが、私は若い頃から正義感が強く、世の中の不正を憎む事人並以上で、不正を見たり聞いたりすると憤激止み難いので、 その心を抑えつけるに随分骨を折ったものである。しかしこの我慢はなかなか苦しいが、これも修行と思えばさほどでなく、また魂が磨かれるのも勿論である。 この点今日と雖も変わらないが、これも神様の試練と思って忍耐するのである。このようなわけで、理想としては不正に対し憤激が起こるくらいの人間でなくては 役には立たないが、ただそれを現わす手段方法が考慮を要するのである。即ち些かでも常軌を失したり、人に迷惑を掛けたりする事のないように、くれぐれも注意すべきで、 どこまでも常識的で愛と親和に欠けないよう、神の心を心として進むべきである。2)善人とは(見えざるものを信ずる)人であり、悪人とは(見えざるものは信ぜざる)人である。従って(見えざるものを信ずる)人とは、神仏の実在を信ずる、 所謂唯心主義者であり、(見えざるものは信じない)という人は唯物主義者であり、無神論者である。その例を挙げてみよう。 今人間が善を行なう場合、その意念は愛からであり、慈悲からであり、社会正義からでもあり、大きくみれば人類愛からでもある。そうして善因善果、悪因悪果を 信じて善を行なう人もあり、憐憫の情止むにやまれず人を助けたり、仏教でいう四恩に酬いるというような報恩精神からも、物を無駄にしない、もったいないと思う質素、 倹約等、何れも善の現われである。また人に好感を与えようとし、他人の利便幸福を願い、親切を施し、自己の天職に忠実であり、信仰者が神仏に感謝し、報恩の行為も、 神仏のみ心に叶うべく務める事も、みな善の現われである。まだ種々あろうが、だいたい以上の如くであろう。
貴重な投稿ありがとうございます
明主様のお声を拝聴させていただくと救われます。ありがとうございます🙏
bom diaa todos gratidão Meishu Samagratidão
7⃣1)自分は、よく分かりませんが、5代目教主岡田信之氏(渡瀬信之氏)は、何か理由があってこうなったんでしょうね、 渡瀬信之氏は、明主様(神様)の言われたことと違っていると注意をしていたみたいです、正解だと思います。 渡瀬名誉教授(大学校)と、うちの高校とは関係があります、、 今の高校を作る前に、うちの校長(東京高等師範学校(現:筑波大学))の評判を聞きつけた、東海大学創立者の松前重義氏は、東海大学第一高等学校校長(1969年)、 のち東海大学体育学部教授兼体育学部長(1971年4月~)に招きられました、天皇陛下のおそばで国体委員長としても活動されていました、 卒業式の時に握手出来てとても嬉しかったです。 偶然ですが自分の高校の担任(副校長)も渡瀬名誉教授と同じ大学です、いつも分からない所があると聞きに行っていました、 思いやりがあり、熱心に教えていただきました、 高校も嬉しいことも厳しいこともあり大変満足しています、 今まで生きてきて、手かざしで病気と精神を治すのも大切ですけど、もっと大切なことは病気をしない、人間をつくることと思います。 薬を使わない自然農法、体に良いものをとる、無理をしないで明日のために適度な運動、がんばっていけば、後が楽です、
2⃣-2私は、見えないものに教えられた事は、何回も同じことをやらない(38歳~)1)用紙を置いて質問をすると、勝手に手が動いて書いてしまう(質問した事があっているか、間違いているか 関係なくその人を動かすのですね、そこに行かせようとするのでしょうね)、 着いたら、また、いろいろと、動かされてその動きで教えてくれました(力が入ったり、抜けたり)、 質問して勝手に手が動いて書いてしまうのは、1回だけですね、質問しても教えてくれないみたいです。2)口が勝手に動て話す(だいたいみんなに聞こえる大きな声が多いです) (自分とは関係がないことなのに、短い言葉で、その言葉に何か理由があってだと思います) 自分は、気が付かないのですが、周りの人が気付いて、後で自分が気付いたり、長いと何年かして気付きます 自分が気付いて、後で周りの人が気付くこともあります、3)自分では、気がつかなかったのですが、いろんな物を見たりして(最近のことは頭に入ってますよね)、何日かして、 急にある場所で別の人格がでて、急に怒りだした後に、 (最近、いろんな物を見たりしたこと、頭に入っていること)一緒にいた人に(見たんですよ)と話しました、納得したみたいです(今の現界を知りつくしている人)。 言いにくい話ですが、怖いですよ、悪いことは、しない方がいいと思います、精神的にやられますし、 一時は、上手く言っても、追い詰められます、 貸し借りは、やらない方がいいです、余裕があれば、あげたら上げっぱなしの方がいいです(人はみんな何か悩み事はあるよねと言われると、そんなものはねと言うと、睨まれました)、 人生の勉強で、強く言う言葉と、相手が話す言葉、一言で、危ないことが分かりました。 自分は、お金はないのですが、億単位のお金を寄付するとき、相手が領収書はいりますかと言われ、何に使うんだ(自分)と言うと、近くの人がいらないと言われました、 病院に寄付するのにおかしいなと思いました、 良い悪い関係なく(人間には、良い心と悪い心があるのだなと思いました)4)憑依する霊は、いろいろで、共通で真面目な人、現界に口に出して言えない人です(現界の人は信じられない)特別すごい人とは違う人ですけど5)明主様の言われたこと、何かいい事をしたい、何かいい事はないかと心がけるようになった、人が幸せになること、嬉しくなること、 そうすると、運が良くなった、いいことが集まって来た、体験することで、ほんとうに神も悪魔もあるということが分かるようになった。6)見えないものが、全体をみて行動しているのですね(現界も同じですよね)、これじゃ勝てっこないですよね、7)明主様の(物を織るという事) それは世の中のあらゆるものを経験し、透徹し、実体を掴み、なんらかの形によって表現するという意味である。 例えばある問題に対して、こうすればこうなるという唯一つの急所を発見することである。 皆さんも、注意し気を付けて行動して下さい。8)明主様のことを思うのですが、最初から分かっていたのですね、ただ、気付かなかっただけで、 神様に(動かされたり、話されたりして)教えられたのではなく気付かされたのですね、9)だからこそ、気付かされ神人合一になられたのでは、自分自身で、心の中(魂)に現われたものは(現界)真実であるから、 自分が思ったことをただ自分の思うがままを実行していればいいわけで、甚だ簡単である(自分も同じです思ったことを実行しています)。 みなさんも、同じだと思います、それで、気付いて行くんですよね、失敗したり、成功したり、明主様も、その時の世の中を経験して、気付いて 考え方があべこべだったと気付かされるのですよね、つまり、成功のためだと思いますよ、中には、失敗しないで、進む人もいますけどね、 明主様が、こうなると、生まれる前に、分かっていたのでは、ないかと思いました、その時にならないと分からないですけど、 自然にこうなったのですね。
ขอรับพลังพระท่านเมชุซามะด้วยนะคะ ขอบคุณ
パワーを頂けます! ありがとうございます
2⃣-1私は、見えないものに教えられた事は、何回も同じことをやらない(38歳~)1)かなり大きな病院内の仕事をしていて(その時は自分はぜんぜん分からなかったのですが、今から21年ぐらい前の39歳ぐらいのころ自分に霊がついていると思った人がいたみたいで、 遠くから見ていたり、打合せの時、教授が出てきて、1人でいいのに若い人もこっちにきなさいとか、それと気を使ってくれる人とか、うるさい人もいなくなり) 自分のことを観察する人が少しづつ増えて、かなりのベテランの霊能者を呼んだみたいです(いつもエレベーターの前に同じ所に座っている人がいました、70歳前後の人、 その人が霊能者を呼んだのではないかと思いました、何か理由がなければ呼ばないですよね) 仕事中に、(なんだろうと思いあまり気にしてませんでしたが)いろんな所から(病院の関係者の人とか)霊能者の人が、自分を観察するようになりました。 朝、仕事に出かけて病院に着くと(自分は朝は、1時間ぐらい前に病院に着いていました)、霊能者の人が車に乗って、待っていました(観察していたのでしょうね)、何で、 こんなに早くいるのかなと思いました(その時、急に、20~30mぐらいはなれて車が止まり、急に別の人格が出て、車の窓を開けて、声は出ていませんでしたが、口を動かして かなり霊能者に怒っていました) その時、初めて、霊が自分の体についているんだなと気付きました (何か少しおかしいなとは思っていたのですが、今まで気付きませんでした)、 明主様の本を読んでいたので、いつも、心は、冷静でした、(今まで、実際に見たり少しの経験もありましたから) 霊能者の人も、かなり大胆に観察していましたから、自分の想像なのですが、自分は何も分からない(つまり意識がない)と思っていたみたいです、 明主様が、霊係は危険ですと言ってましたから、注意しようと思ったら、現場にいられなくなりました。 その後、霊憑りの人だと思いますが、自分を睨みつけている写真をよく見るようになります、 誰かが自分のことを観察している見たいだなと思いました。(しばらく)2)偶然なのですが、その時、白い巨塔(山崎豊子氏)をやっていましたから、好きだったので30回ぐらい何回も見ました、世の中は、こんなものなのかなと思いました。 ①財前五郎(外科)、何かを、得たいから、しょうがない、それがそんなに悪いことなのか(実力もあるから、一番になりたかったのですよね) ②里見助教授(内科)常に自分のことではなく、相手のことを、考える、(患者を救っていたのではなく、患者によって救われていた)医師にとって大事なものは、 患者をうやまう心。 ③財前五郎が病気になり、落ち着いてきて(先を考えて行動することもなくなり)、考え方が変わる(今現在を考える)、 自分は、間違っていたのか、手術と言う考え方は変わらないのだが、病気を直す気持ちは同じだったのですね。3)体が勝手に動いてしまう(自分が思う事なのですが、いつも冷静じゃなくてはダメだと思います) (霊が入たり出たりするのが分かるのと分からないのと、2通り体験させて教えてくれました) 力がパットぬける、霊が体から出た時(みんなが見ている時)やばい、どうしようと、思い、自分で体を動かすのですが、すぐ行動してました、 仕事が忙しくなればなるほど、若い時は、腕立て伏せは、22歳ごろは、1時間に、1200回やってました(1分で20回、25秒ぐらい、35秒は、休憩です)、 汗は、だらだらですが、痩せていたから、最初の20分は、キツイですが、その後は、普通に出来ました。 ジョギングも、体重がないと楽に走れます、40年ぐらい前、ベストキット(1)のように、掃除とか、ペンキ塗り、車のワックスがけとかで手の動きを教え、 本人は気付いてなく実戦で反射的に、よけたり、勝手に手が出たりしますよね、すごいなと思います(自分は本当だと思います) ①自分も経験があります(実際あったことですが相手にかなり怒っているといつか危険だよと言われました)、怒らせて相手の(相手から見て)左のストレ-トを右(自分から見て)に1回よけて、 すぐ引いて続けて左のストレ-トを右によけて(カスリました)すぐ前に出たら(相手の顔の前)、相手の2人とも、(びっくりして)走て隅に逃げていきました(抱きついて震えてました) 50人~80人ぐらい見ていた人も驚いていました。 ボクシングとかは、1回もやったことはなく、ベストキット(1)のように、掃除とか、車のワックスがけとかで、遊びで当たっても痛くない速いボールで(平らな石でない少しデコボコ)なげて、 側近でよけていました、なぜ避けれたか分かりません、この時も体から霊が出ていくのが分かり、みんなが見ていて困ったので、普通にしていました、 それと気付いたことですが、パンチにスピードがあっても、戻すスピードが遅いとすぐに入られます、 相手は相当自信があったのでしょうね、ボクシングの経験とサウスポーなので、よける人もいなかったのでしょうね無敵だったのでしょうね、43才頃 ②もう1つあります、仕事をしていて、材料が入ってきたので、協力会社の人に報告をして、段取りをしていたら、協力会社の作業員さんに、 材料の下にひくバタ角を早く持って来いと言われ取りに行こうとしたら10mぐらい進んで(急に別の人格が入り)、振り向いてなんだとてめえと言ってその人に走って行きました、 ひっくり返してその人の上になり顔に思い切りパンチをしました(声が大きいかったので、近くにいた人は見ていました、今でも一緒に仕事をしている人も見ていました) 顔の手前で止めました、下敷きになった人は、立って、自分の腕をつかみ、事務所につれて行かれました、その人は、所長に、ここ見てください周りにいた人も見ていました、 ここです、ここです、(ほっぺたに指で)と言ってました、所長は、顔を見て傷一つないから、私に、こういうやり方は(笑いながら)よくないよと言われました。 結果として、この時は、まったくの別の人格でした(常に力が入っていないから動かされると思います)、何で、当たってもいないのに痛がるのかわかりませんでした。(2005.9~2006.2)41才~42才頃
1⃣-22)人生で勉強したこと①良い悪い関係なく、いい経験をしたと思います。 相手に対しての言葉使いは、本当に、気を付けて話しています(どんな人でも、偉い人でも、偉くない人でも、全て (冗談が通用しない時がありますから)②音楽は、小さい音では、気付かないのですが、大きな音で聞くと、(その人の良さが分かります)音楽の良さが分かります、 ABBA(アイネッタ・フェルツクグ氏)は、声もいいですが、リズムの感覚(動きがリズムとピッタリ合っています)が、凄すぎる(早すぎない、遅くない、ピッタリ)。 音楽に合わして踊るときは、マイケルジャクソン、マドンナ、とか、 アース・ウインド&ファイヤー、TOTO、クインシージョンズ、Queen、オリビアニュートンジョン、カーペンターズ、 Survivor-Eye Of The Tiger、Whitney Houston、ビリージョエル、他3)自分が経験したことを話します(見えないものが見えるものを動かす前は)20~27歳までです。 ①電気専門学校卒業後、20歳に先生の紹介(ギリギリで卒業したので)で設計事務所に就職をしました、めちゃくちゃ忙しく、客先に提出の2週間前は、 帰る時が夜中の24時、26時で、次の日に6時45分に会社に来たら、みんなが寝てました、あれと思ったら、自分が1時間前に来ていました、 この時腕立て伏せは、1日、1時間に、1200回やってました(1分で20回、25秒ぐらい、35秒は、休憩です) この時、幸せ(生きていて良かった)なこと、銭湯に行き、つかる事でした(落ち着いたとき体に感じてそれが心に感じました) ②やめて(23歳の時)工事の仕事をやりました 仕事で5ヶ月ぐらい青森県八戸に工事で行きました、泊まっていた旅館で霊が入ると体が動かなくなるので幽霊ているのかなと思いました、 びっくりして、初めて、南無妙法蓮華経と何回も言ったら自然的に天井に移動し、隣の人に移りました、夢でも見ていたのかと思い聞いて見たら 同じ経験をしていました、誰にも言わない方がいいと言われたので話しませんでした。 自分の経験と想像なのですが、亡くなると、霊だけが残り、いい悪い関係なく、考えないで心で行動するんだなと思いました、 ③24歳の時、歯が気になっていたので、歯の矯正をしました、その時思ったのですが、矯正をすることで、 歯を食いしばることができなくなり(力を入れることが出来なくなりました)、その結果、一点で、止めることが、 出来なくなりました(矯正前は力が入っていないと思っていたのですが、現実と実際は違っていました)、止めようと思っても少しずれました、 自然的に練習する(大音量で音楽を聴いて)ことで、死んだ人見たく、 力がまったく入っていないので、スピードが出るのです、一点で止め、すぐ戻す、音楽に合わして、その結果、疲れず、長くできる様になりました。 自分事ですが、歯を食いしばって、やれと言いますが、倒れてしまうのではないかなと思いました、 ④24歳の時、仕事で協力会社さんの知り合いの人の社長(見た目と話し方が明主様にそっくりな人)さんに仕事をお願いしました、しばらくして、その時一言、 見つけたと言っていました(今だに何を言っているのか分かりませんでした)、 勉強のために内の会社に入らないかと言われ入りました(24歳の時)それで電気から空調設備の仕事にしました (今思うと、とてもいい経験をしていました、日本の最先端の研究所(ノーベル賞の人もいました)、工業系、薬品会社の研究所、新築工事) ⑤24歳の時にカトリックの友達に、教会に連れていってもらいました、なんだこれはと、思いました、 ⑥24歳ぐらいに道を歩いていたら霊のことを詳しく知っているのがあるよと言われ、 本をいただき明主様の腹の中に神様の魂があると書いていたので、なんだ、これはと思いました、袋のなかに書いてある文字もあっていました、 のちに見たら怒られてお詫びしました、 富士山の姿をした美しい聖堂で、会主様のお話を聞き(自分事ですが、頭で考えていることが、自分で話すのではなく、会主様の口から出てきました) なんだこれはと思いました、休憩の時、1階の外に出たら、偶然、会主様と付き人がいました、腕を組んで会主様の事を見ていたら、 驚いて、びくびくしているのを、感じました、会主様は車に乗って行てしまいました(その時自分は24歳ぐらい)、 (会主様が、お亡くなりになった 2003年11月29日 93才、自分は41才でした) ⑦25歳(お光を付けていました)に、上司A(あまり好きじゃなかった人)に近づいただけで、その時、頭の上から人(透明)が出てきました、はっきり見えました(透き通る)、鋭く怒っていました、その時上司Aは 部屋から出ていきました、後から聞いた話ですが(何で出ていったか)、眠くて我慢ができないから部屋から出ていったみたいです、結果として、自分の考えがあっているか、怒っている霊の考えかたがあっているかわかりません、ですので、無理やりに手かざしをしない方がいいと思います、 病気と精神を治す力があるのであれば付けていいと思います。自分はお光を首から下げるのは、少し抵抗がありましたからあまり付けていませんでした、 私は、信仰はできるだけ疑えと常に思っています、疑って疑り抜いてます、霊界は、目に見たものしか(注意しています)、信用しません。 ⑧正しい信仰(疑いは信の初めなり) 最初はただ触れてみる、研究してみるという程度で、注意深く観察し、できるだけ疑うのである。そうして教義も信仰理論も 合理的で非の打ち所がないばかりか、神仏のご加護は歴史として日々奇跡があるほどのものであれば、まず立派な宗教として入信すべき価値がある ⑨25歳の時(昭和63~64.1)1988~1989年天皇陛下の具合が悪くなり、(お光をつけていた時)天皇陛下のことを、心の中で思うと、苦しくて許してくれと心の中で感じて聞こえて来ました、 (人は、分からないところから生まれて、気付いていくんだなと思いました) ⑩社長の部屋に(社長の父(先祖代々議員)と中曽根首相と映っている写真)がありました、お盆休みの時に、自分の家は農家なので社長の家に、野菜を持っていきました、 その時、社長の弟さん(頭を剃っていました)と家族を1回だけ見ました(お盆休みなのでお線香上げに来ていたと思います)
gratidao! domo arigato gozaimashita!
岡田茂吉の思想が今有る世界の問題を解決できる?か真剣に検討する時期かも?
途中から一部重複していますよ。
重複部分 20:03〜24:00、33:44〜43:52 が重複部分です。
現在獄間地獄で反省中
明主様ありがとうございます。🙏
4⃣
自分事なのですが、私はこの本(明主様)を何回も読んで気付いたことは生きているみたいだなと思いました、
今現在の事を、(昔、霊線で未来の事を)今起こることを書いているのではないのかなと思いました、
1) これからの人間は世界人にならなければ駄目だ。これについて面白い話がある。終戦直後ある軍人上がりの人が私の所へ来て、憤懣に堪えない面持ちで
(今度の降伏はどう考えても分からない。実に怪しからん)と言って、憤慨しながら話しかけるのだが、私の方はさっぱり気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く
(先生は日本人ですか)と聞くから、即座に私は(日本人じゃない)と答えると、彼はぎょっとして、震えながら(では何処の国の人間ですか)と聞き返すので、
私は言ってやった。(つまり世界人なんですよ)その言葉に、彼はぽかんと気の抜けたような顔をして、その意味の納得のゆくまで説明してくれろと言うので、
私も色々話してやったが今それを土台にして書いてみよう。
2)元来日本人とか中国人とか言って、差別をつけるのが第一間違っている。あの頃の日本人がそれで、日清、日露の二回の戦役に勝ち、急に一等国の仲間入りを
したので逆上せ上がり、日本は神国なりなどと、何か特別の国のように思ったり、思わせたりして、遂にあのような戦争まで引き起こしたのである。
そんなわけだから、他国民を犬猫のように侮蔑し、その国の人間を殺すなど何とも思わず、思いのままに他国を荒らし回ったので、遂に今日のような敗戦の
憂き目を見る事になったのである。そのように自分の国さえよけりゃ、他人の国などどうなってもいいというような思想がある限り、とうてい世界の平和は
望めないのである。
3)これを日本の国だけとして例えてみても分る。ちょうど県と県との争いのようなものとしたら、日本内の事であるから、いわば兄弟同志のいがみ合いで、
簡単に型がつくに決まっている。この道理を世界的に押し拡げればいいのである。
かの明治大帝の御製にある有名な(四方の海みな同胞と思ふ世に など波風の立ち騒ぐらむ)即ちこれである。みんなこの考えになれば、
明日からでも世界平和は成り立つのである。全人類が右のような広い気持になったとしたら、世界中どの国も内輪同志というわけで、戦争など起こりようわけがないではないか。
この理によって今日でも何々主義、何々思想などといって、その仲間のグループを作り、他を仇のように思ったり、やれ国是だとか、何国魂とか、何々国家主義だとか、
神国などと言って、一人よがりの思想がその国を過らせるのみか、世界平和の妨害ともなるのである。
だからこの際少なくとも日本人全体は、今度の講和を記念として世界人となり今までの小乗的考えを揚棄し、大乗的考えになる事である。
これが今後の世界における最も進歩的思想であって、世界はこの種の人間を必要とするのである。話は違うが宗教などもそれと同じで、何々教だとか、何々宗、
何々派などといって、派閥など作るのはもはや時代遅れである。ところが自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して(触るるな)などというけちな考えは
些かもない。却って触るるのを喜ぶくらいである。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家の如くする平和主義であるからで、この意味において、本教では
如何なる宗教でも仲間同志と心得、お互いに手を携え仲良く進もうとするのである。
4)結果として、
①世界人になれば、考えかたが変わると思いますよ、生まれる前は、どこにいたとか、どこから来たとか、分かる人は、恐らくいないと思います、
自分でもなぜ、この日本に生まれて来たのか考えても分かりません、見えないものが見える物を動かしているんだなと(体験で)分かりました、
②良い悪い関係なく(頭のいい人とか、偉い人、要領のいい人は)現在生きている人が頭で考えて行動をしますよね、
しかし見えないものが、たった一言の言葉で(霊が人にのりうつって動かしたり、話したり)、決まることが分かりました(現在生きている人がやっても同じですが)、
見えないものがやると、これじゃかなわないと思いました、生きている人がやると、失敗する事もありますが、見えないものがやると、100%と成功です。
自然と同じです、決まっています
③以上だいたいの説明であるが、これは私の力のほんの一部分であって、全体を説明するには容易ではない。何よりも今後私のやる仕事を活眼を開いて見て貰う事である。知性の働く人ならある程度分からないはずはない。信仰的に言えば身魂相応にとれるのだから、この意味から言っても、信者は精々身魂を磨き、曇りのないようにしておく事で、そうすれば正覚をえて私の力徳が分るはずである。(明主様の言葉)
病気治療中の私の力になるのは明主様の声を聞く事です 毎日聞いてます 明主様 有り難う御座います m(__)m
私もそうです。毎日聞いてます😊
Ouvir a voz e ver seu olhar ainda vivo é gratificante
6⃣-1
明主様の言われたこと、
私の長い間の経験によるも、まず人間の価値を決める場合、悪に対する憤激の多寡によるのが一番間違いないようである。
つくづく現在の世界の中を見ると、どうも今の人間は、悪に対する憤激が余りに足りないようだ。例えば悪人に善人が苦しめられている話など聞いても興奮する人は
割合少ない。察するに、悪に対しいくら憤激したところで仕方がない。然も別段自分の利害に関係がないとしたら、そんな余計な事に心を痛めるより、自分の損得に関係のある
事だけ心配すれば沢山だ。それでなくてさえ、この世智辛い世の中は心配事や苦しみが多過ぎる。だから見て見ぬ振りをする。それが利口者と思うらしい。然も世間はこういう人を見ると、
世故に長けた苦労人として尊敬するくらいだから、それをみて見習う人も多いわけである。
また政治が悪い。政治家や役人が腐敗している。社会の頭だった人が贈収賄、瀆職事件等でよく新聞などに出ており、特に近来非常に犯罪が増え、青少年の不良化等も日本の前途を思えば、
このままでは済まされないし、役人の封建性も依然たる有様だし、民主主義の履き違えで、親子、兄弟、師弟の関係なども誠に冷たくなったようだ。税の苛蘞誅求も酷過ぎるし、
民主主義も名は立派だが、実は管主主義に抑えつけられて、自民は苦しむばかりだ。その他何々等々、数え上げれば限りないほど、種々雑多な厭な問題がある。
これら悉くは勿論、社会的正義感の欠乏が原因であるに違いないが、何といっても前述の如く所謂利口者が多過ぎるためであろう。
しかしよく考えてみればそういう社会になるのも無理はない。いつの時代でもそうであるが、殊に青年層は正義感が旺盛なもので、悪に対する憤激も相当あるにはあるが、まず学校を出て一度社会人となるや、
実際生活に打つかってみると、意外な事が余りに多く、だんだん経験を積むに従って考え方が変わってくる。なまじ不正に興奮したり、正義感など振り回したりすると、思わぬ誤解を受けたり、人から敬遠されたり、
上役からは煙たがられたりするので、出世の妨げともなり易いというわけで、いつしか正義感などは心の片隅に押し込めてしまい、実利本位で進むようになる。こうなるとともかく一通りの処世術を会得した人間という事になる。
1)悪に対する憤激の多い人ほど骨があり、しっかりしているわけだが、しかし単なる憤激だけでは困る。ややもすれば危険を伴いがちだからである。
事実青年などがとかく血気にはやり、人に迷惑をかけたり、社会の安寧を脅す事などないとは言えないからで、それにはどうしても叡智が必要となってくる。
つまり憤激は心の奥深く潜めておき、充分考慮し、無分別なやり方は避けると共に、人のため、社会のため、正なり、善なりと思う事を正々堂々と行なうべきである。
これについて私の事を少し書いて見るが、私は若い頃から正義感が強く、世の中の不正を憎む事人並以上で、不正を見たり聞いたりすると憤激止み難いので、
その心を抑えつけるに随分骨を折ったものである。しかしこの我慢はなかなか苦しいが、これも修行と思えばさほどでなく、また魂が磨かれるのも勿論である。
この点今日と雖も変わらないが、これも神様の試練と思って忍耐するのである。このようなわけで、理想としては不正に対し憤激が起こるくらいの人間でなくては
役には立たないが、ただそれを現わす手段方法が考慮を要するのである。即ち些かでも常軌を失したり、人に迷惑を掛けたりする事のないように、くれぐれも注意すべきで、
どこまでも常識的で愛と親和に欠けないよう、神の心を心として進むべきである。
2)善人とは(見えざるものを信ずる)人であり、悪人とは(見えざるものは信ぜざる)人である。従って(見えざるものを信ずる)人とは、神仏の実在を信ずる、
所謂唯心主義者であり、(見えざるものは信じない)という人は唯物主義者であり、無神論者である。その例を挙げてみよう。
今人間が善を行なう場合、その意念は愛からであり、慈悲からであり、社会正義からでもあり、大きくみれば人類愛からでもある。そうして善因善果、悪因悪果を
信じて善を行なう人もあり、憐憫の情止むにやまれず人を助けたり、仏教でいう四恩に酬いるというような報恩精神からも、物を無駄にしない、もったいないと思う質素、
倹約等、何れも善の現われである。また人に好感を与えようとし、他人の利便幸福を願い、親切を施し、自己の天職に忠実であり、信仰者が神仏に感謝し、報恩の行為も、
神仏のみ心に叶うべく務める事も、みな善の現われである。まだ種々あろうが、だいたい以上の如くであろう。
貴重な投稿ありがとうございます
明主様のお声を拝聴させていただくと救われます。ありがとうございます🙏
bom diaa todos gratidão Meishu Samagratidão
7⃣
1)自分は、よく分かりませんが、5代目教主岡田信之氏(渡瀬信之氏)は、何か理由があってこうなったんでしょうね、
渡瀬信之氏は、明主様(神様)の言われたことと違っていると注意をしていたみたいです、正解だと思います。
渡瀬名誉教授(大学校)と、うちの高校とは関係があります、、
今の高校を作る前に、うちの校長(東京高等師範学校(現:筑波大学))の評判を聞きつけた、東海大学創立者の松前重義氏は、東海大学第一高等学校校長(1969年)、
のち東海大学体育学部教授兼体育学部長(1971年4月~)に招きられました、天皇陛下のおそばで国体委員長としても活動されていました、
卒業式の時に握手出来てとても嬉しかったです。
偶然ですが自分の高校の担任(副校長)も渡瀬名誉教授と同じ大学です、いつも分からない所があると聞きに行っていました、
思いやりがあり、熱心に教えていただきました、
高校も嬉しいことも厳しいこともあり大変満足しています、
今まで生きてきて、手かざしで病気と精神を治すのも大切ですけど、もっと大切なことは病気をしない、人間をつくることと思います。
薬を使わない自然農法、体に良いものをとる、無理をしないで明日のために適度な運動、がんばっていけば、後が楽です、
2⃣-2
私は、見えないものに教えられた事は、何回も同じことをやらない(38歳~)
1)用紙を置いて質問をすると、勝手に手が動いて書いてしまう(質問した事があっているか、間違いているか
関係なくその人を動かすのですね、そこに行かせようとするのでしょうね)、
着いたら、また、いろいろと、動かされてその動きで教えてくれました(力が入ったり、抜けたり)、
質問して勝手に手が動いて書いてしまうのは、1回だけですね、質問しても教えてくれないみたいです。
2)口が勝手に動て話す(だいたいみんなに聞こえる大きな声が多いです)
(自分とは関係がないことなのに、短い言葉で、その言葉に何か理由があってだと思います)
自分は、気が付かないのですが、周りの人が気付いて、後で自分が気付いたり、長いと何年かして気付きます
自分が気付いて、後で周りの人が気付くこともあります、
3)自分では、気がつかなかったのですが、いろんな物を見たりして(最近のことは頭に入ってますよね)、何日かして、
急にある場所で別の人格がでて、急に怒りだした後に、
(最近、いろんな物を見たりしたこと、頭に入っていること)一緒にいた人に(見たんですよ)と話しました、納得したみたいです(今の現界を知りつくしている人)。
言いにくい話ですが、怖いですよ、悪いことは、しない方がいいと思います、精神的にやられますし、
一時は、上手く言っても、追い詰められます、
貸し借りは、やらない方がいいです、余裕があれば、あげたら上げっぱなしの方がいいです(人はみんな何か悩み事はあるよねと言われると、そんなものはねと言うと、睨まれました)、
人生の勉強で、強く言う言葉と、相手が話す言葉、一言で、危ないことが分かりました。
自分は、お金はないのですが、億単位のお金を寄付するとき、相手が領収書はいりますかと言われ、何に使うんだ(自分)と言うと、近くの人がいらないと言われました、
病院に寄付するのにおかしいなと思いました、
良い悪い関係なく(人間には、良い心と悪い心があるのだなと思いました)
4)憑依する霊は、いろいろで、共通で真面目な人、現界に口に出して言えない人です(現界の人は信じられない)特別すごい人とは違う人ですけど
5)明主様の言われたこと、何かいい事をしたい、何かいい事はないかと心がけるようになった、人が幸せになること、嬉しくなること、
そうすると、運が良くなった、いいことが集まって来た、体験することで、ほんとうに神も悪魔もあるということが分かるようになった。
6)見えないものが、全体をみて行動しているのですね(現界も同じですよね)、これじゃ勝てっこないですよね、
7)明主様の(物を織るという事)
それは世の中のあらゆるものを経験し、透徹し、実体を掴み、なんらかの形によって表現するという意味である。
例えばある問題に対して、こうすればこうなるという唯一つの急所を発見することである。
皆さんも、注意し気を付けて行動して下さい。
8)明主様のことを思うのですが、最初から分かっていたのですね、ただ、気付かなかっただけで、
神様に(動かされたり、話されたりして)教えられたのではなく気付かされたのですね、
9)だからこそ、気付かされ神人合一になられたのでは、自分自身で、心の中(魂)に現われたものは(現界)真実であるから、
自分が思ったことをただ自分の思うがままを実行していればいいわけで、甚だ簡単である(自分も同じです思ったことを実行しています)。
みなさんも、同じだと思います、それで、気付いて行くんですよね、失敗したり、成功したり、明主様も、その時の世の中を経験して、気付いて
考え方があべこべだったと気付かされるのですよね、つまり、成功のためだと思いますよ、中には、失敗しないで、進む人もいますけどね、
明主様が、こうなると、生まれる前に、分かっていたのでは、ないかと思いました、その時にならないと分からないですけど、
自然にこうなったのですね。
ขอรับพลังพระท่านเมชุซามะด้วยนะคะ ขอบคุณ
パワーを頂けます! ありがとうございます
2⃣-1
私は、見えないものに教えられた事は、何回も同じことをやらない(38歳~)
1)かなり大きな病院内の仕事をしていて(その時は自分はぜんぜん分からなかったのですが、今から21年ぐらい前の39歳ぐらいのころ自分に霊がついていると思った人がいたみたいで、
遠くから見ていたり、打合せの時、教授が出てきて、1人でいいのに若い人もこっちにきなさいとか、それと気を使ってくれる人とか、うるさい人もいなくなり)
自分のことを観察する人が少しづつ増えて、かなりのベテランの霊能者を呼んだみたいです(いつもエレベーターの前に同じ所に座っている人がいました、70歳前後の人、
その人が霊能者を呼んだのではないかと思いました、何か理由がなければ呼ばないですよね)
仕事中に、(なんだろうと思いあまり気にしてませんでしたが)いろんな所から(病院の関係者の人とか)霊能者の人が、自分を観察するようになりました。
朝、仕事に出かけて病院に着くと(自分は朝は、1時間ぐらい前に病院に着いていました)、霊能者の人が車に乗って、待っていました(観察していたのでしょうね)、何で、
こんなに早くいるのかなと思いました(その時、急に、20~30mぐらいはなれて車が止まり、急に別の人格が出て、車の窓を開けて、声は出ていませんでしたが、口を動かして
かなり霊能者に怒っていました)
その時、初めて、霊が自分の体についているんだなと気付きました
(何か少しおかしいなとは思っていたのですが、今まで気付きませんでした)、
明主様の本を読んでいたので、いつも、心は、冷静でした、(今まで、実際に見たり少しの経験もありましたから)
霊能者の人も、かなり大胆に観察していましたから、自分の想像なのですが、自分は何も分からない(つまり意識がない)と思っていたみたいです、
明主様が、霊係は危険ですと言ってましたから、注意しようと思ったら、現場にいられなくなりました。
その後、霊憑りの人だと思いますが、自分を睨みつけている写真をよく見るようになります、
誰かが自分のことを観察している見たいだなと思いました。(しばらく)
2)偶然なのですが、その時、白い巨塔(山崎豊子氏)をやっていましたから、好きだったので30回ぐらい何回も見ました、世の中は、こんなものなのかなと思いました。
①財前五郎(外科)、何かを、得たいから、しょうがない、それがそんなに悪いことなのか(実力もあるから、一番になりたかったのですよね)
②里見助教授(内科)常に自分のことではなく、相手のことを、考える、(患者を救っていたのではなく、患者によって救われていた)医師にとって大事なものは、
患者をうやまう心。
③財前五郎が病気になり、落ち着いてきて(先を考えて行動することもなくなり)、考え方が変わる(今現在を考える)、
自分は、間違っていたのか、手術と言う考え方は変わらないのだが、病気を直す気持ちは同じだったのですね。
3)体が勝手に動いてしまう(自分が思う事なのですが、いつも冷静じゃなくてはダメだと思います)
(霊が入たり出たりするのが分かるのと分からないのと、2通り体験させて教えてくれました)
力がパットぬける、霊が体から出た時(みんなが見ている時)やばい、どうしようと、思い、自分で体を動かすのですが、すぐ行動してました、
仕事が忙しくなればなるほど、若い時は、腕立て伏せは、22歳ごろは、1時間に、1200回やってました(1分で20回、25秒ぐらい、35秒は、休憩です)、
汗は、だらだらですが、痩せていたから、最初の20分は、キツイですが、その後は、普通に出来ました。
ジョギングも、体重がないと楽に走れます、40年ぐらい前、ベストキット(1)のように、掃除とか、ペンキ塗り、車のワックスがけとかで手の動きを教え、
本人は気付いてなく実戦で反射的に、よけたり、勝手に手が出たりしますよね、すごいなと思います(自分は本当だと思います)
①自分も経験があります(実際あったことですが相手にかなり怒っているといつか危険だよと言われました)、怒らせて相手の(相手から見て)左のストレ-トを右(自分から見て)に1回よけて、
すぐ引いて続けて左のストレ-トを右によけて(カスリました)すぐ前に出たら(相手の顔の前)、相手の2人とも、(びっくりして)走て隅に逃げていきました(抱きついて震えてました)
50人~80人ぐらい見ていた人も驚いていました。
ボクシングとかは、1回もやったことはなく、ベストキット(1)のように、掃除とか、車のワックスがけとかで、遊びで当たっても痛くない速いボールで(平らな石でない少しデコボコ)なげて、
側近でよけていました、なぜ避けれたか分かりません、この時も体から霊が出ていくのが分かり、みんなが見ていて困ったので、普通にしていました、
それと気付いたことですが、パンチにスピードがあっても、戻すスピードが遅いとすぐに入られます、
相手は相当自信があったのでしょうね、ボクシングの経験とサウスポーなので、よける人もいなかったのでしょうね無敵だったのでしょうね、43才頃
②もう1つあります、仕事をしていて、材料が入ってきたので、協力会社の人に報告をして、段取りをしていたら、協力会社の作業員さんに、
材料の下にひくバタ角を早く持って来いと言われ取りに行こうとしたら10mぐらい進んで(急に別の人格が入り)、振り向いてなんだとてめえと言ってその人に走って行きました、
ひっくり返してその人の上になり顔に思い切りパンチをしました(声が大きいかったので、近くにいた人は見ていました、今でも一緒に仕事をしている人も見ていました)
顔の手前で止めました、下敷きになった人は、立って、自分の腕をつかみ、事務所につれて行かれました、その人は、所長に、ここ見てください周りにいた人も見ていました、
ここです、ここです、(ほっぺたに指で)と言ってました、所長は、顔を見て傷一つないから、私に、こういうやり方は(笑いながら)よくないよと言われました。
結果として、この時は、まったくの別の人格でした(常に力が入っていないから動かされると思います)、何で、当たってもいないのに痛がるのかわかりませんでした。
(2005.9~2006.2)41才~42才頃
1⃣-2
2)人生で勉強したこと
①良い悪い関係なく、いい経験をしたと思います。
相手に対しての言葉使いは、本当に、気を付けて話しています(どんな人でも、偉い人でも、偉くない人でも、全て
(冗談が通用しない時がありますから)
②音楽は、小さい音では、気付かないのですが、大きな音で聞くと、(その人の良さが分かります)音楽の良さが分かります、
ABBA(アイネッタ・フェルツクグ氏)は、声もいいですが、リズムの感覚(動きがリズムとピッタリ合っています)が、凄すぎる(早すぎない、遅くない、ピッタリ)。
音楽に合わして踊るときは、マイケルジャクソン、マドンナ、とか、
アース・ウインド&ファイヤー、TOTO、クインシージョンズ、Queen、オリビアニュートンジョン、カーペンターズ、
Survivor-Eye Of The Tiger、Whitney Houston、ビリージョエル、他
3)自分が経験したことを話します(見えないものが見えるものを動かす前は)20~27歳までです。
①電気専門学校卒業後、20歳に先生の紹介(ギリギリで卒業したので)で設計事務所に就職をしました、めちゃくちゃ忙しく、客先に提出の2週間前は、
帰る時が夜中の24時、26時で、次の日に6時45分に会社に来たら、みんなが寝てました、あれと思ったら、自分が1時間前に来ていました、
この時腕立て伏せは、1日、1時間に、1200回やってました(1分で20回、25秒ぐらい、35秒は、休憩です)
この時、幸せ(生きていて良かった)なこと、銭湯に行き、つかる事でした(落ち着いたとき体に感じてそれが心に感じました)
②やめて(23歳の時)工事の仕事をやりました
仕事で5ヶ月ぐらい青森県八戸に工事で行きました、泊まっていた旅館で霊が入ると体が動かなくなるので幽霊ているのかなと思いました、
びっくりして、初めて、南無妙法蓮華経と何回も言ったら自然的に天井に移動し、隣の人に移りました、夢でも見ていたのかと思い聞いて見たら
同じ経験をしていました、誰にも言わない方がいいと言われたので話しませんでした。
自分の経験と想像なのですが、亡くなると、霊だけが残り、いい悪い関係なく、考えないで心で行動するんだなと思いました、
③24歳の時、歯が気になっていたので、歯の矯正をしました、その時思ったのですが、矯正をすることで、
歯を食いしばることができなくなり(力を入れることが出来なくなりました)、その結果、一点で、止めることが、
出来なくなりました(矯正前は力が入っていないと思っていたのですが、現実と実際は違っていました)、止めようと思っても少しずれました、
自然的に練習する(大音量で音楽を聴いて)ことで、死んだ人見たく、
力がまったく入っていないので、スピードが出るのです、一点で止め、すぐ戻す、音楽に合わして、その結果、疲れず、長くできる様になりました。
自分事ですが、歯を食いしばって、やれと言いますが、倒れてしまうのではないかなと思いました、
④24歳の時、仕事で協力会社さんの知り合いの人の社長(見た目と話し方が明主様にそっくりな人)さんに仕事をお願いしました、しばらくして、その時一言、
見つけたと言っていました(今だに何を言っているのか分かりませんでした)、
勉強のために内の会社に入らないかと言われ入りました(24歳の時)それで電気から空調設備の仕事にしました
(今思うと、とてもいい経験をしていました、日本の最先端の研究所(ノーベル賞の人もいました)、工業系、薬品会社の研究所、新築工事)
⑤24歳の時にカトリックの友達に、教会に連れていってもらいました、なんだこれはと、思いました、
⑥24歳ぐらいに道を歩いていたら霊のことを詳しく知っているのがあるよと言われ、
本をいただき明主様の腹の中に神様の魂があると書いていたので、なんだ、これはと思いました、袋のなかに書いてある文字もあっていました、
のちに見たら怒られてお詫びしました、
富士山の姿をした美しい聖堂で、会主様のお話を聞き(自分事ですが、頭で考えていることが、自分で話すのではなく、会主様の口から出てきました)
なんだこれはと思いました、休憩の時、1階の外に出たら、偶然、会主様と付き人がいました、腕を組んで会主様の事を見ていたら、
驚いて、びくびくしているのを、感じました、会主様は車に乗って行てしまいました(その時自分は24歳ぐらい)、
(会主様が、お亡くなりになった 2003年11月29日 93才、自分は41才でした)
⑦25歳(お光を付けていました)に、上司A(あまり好きじゃなかった人)に近づいただけで、その時、頭の上から人(透明)が出てきました、はっきり見えました(透き通る)、鋭く怒っていました、その時上司Aは
部屋から出ていきました、後から聞いた話ですが(何で出ていったか)、眠くて我慢ができないから部屋から出ていったみたいです、結果として、自分の考えがあっているか、怒っている霊の考えかたがあっているかわかりません、ですので、無理やりに手かざしをしない方がいいと思います、
病気と精神を治す力があるのであれば付けていいと思います。自分はお光を首から下げるのは、少し抵抗がありましたからあまり付けていませんでした、
私は、信仰はできるだけ疑えと常に思っています、疑って疑り抜いてます、霊界は、目に見たものしか(注意しています)、信用しません。
⑧正しい信仰(疑いは信の初めなり)
最初はただ触れてみる、研究してみるという程度で、注意深く観察し、できるだけ疑うのである。そうして教義も信仰理論も
合理的で非の打ち所がないばかりか、神仏のご加護は歴史として日々奇跡があるほどのものであれば、まず立派な宗教として入信すべき価値がある
⑨25歳の時(昭和63~64.1)1988~1989年天皇陛下の具合が悪くなり、(お光をつけていた時)天皇陛下のことを、心の中で思うと、苦しくて許してくれと心の中で感じて聞こえて来ました、
(人は、分からないところから生まれて、気付いていくんだなと思いました)
⑩社長の部屋に(社長の父(先祖代々議員)と中曽根首相と映っている写真)がありました、お盆休みの時に、自分の家は農家なので社長の家に、野菜を持っていきました、
その時、社長の弟さん(頭を剃っていました)と家族を1回だけ見ました(お盆休みなのでお線香上げに来ていたと思います)
gratidao! domo arigato gozaimashita!
岡田茂吉の思想が今有る世界の問題を解決できる?か真剣に検討する時期かも?
途中から一部重複していますよ。
重複部分 20:03〜24:00、33:44〜43:52 が重複部分です。
現在獄間地獄で反省中