【総集編】終戦スペシャル「戦争にまつわる怪談・奇談」をまとめて公開します(中山市朗・小原猛・矢追純一)
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ย. 2024
- こちらの動画2022年夏に公開したものを総集編としてお送りしています。
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動画ディレクター:KIO
メイク&衣装:カシマレイコ
サムネイル:nico2 design
制作デスク:三木彩子
特別協力:平井祥之、萱原玲
代表:小柳大侍
#オカルト#オカルトエンタメ大学
祖母は原爆投下1週間くらいで広島市内に看護要員として中学3年の時入ったそうです。
学校に運ばれてくる方の怪我を手当していたそうで、あちこちから水を求める声が聞こえ、本当に地獄絵図だったと言っていましたが、1番怖かったのは夜だったそうです。
理由は、夜になるとグランドに火の玉が無数に飛び回っているからだそうです。
ただ、戦争の時の話を涙を流しながら話す祖母は14年前に亡くなりましたが、とても貴重な被爆経験者の話を聞くことが出来たと思っています。
亡き母が戦時中、勤労奉仕から帰宅途上、自宅の近所に近付いた時に、町の人たちが空を見上げて、ワーワー騒いでいるのに出会い、母も見上げると、大きな火の玉がものすごい勢いで飛び回りながら、多数の家の中に入ったり出たりしていることにびっくり。やがて一軒の家に入ったまま、その火の玉のショーが終わったとのこと。その家の息子さんは召集されて外地に出征されているということを聞いていたので、戦争で名誉の戦死をして、懐かしいわが家にお帰りになったんだろうな!と思ったそうです。大阪府北部、夕方の出来事だったようです。
@@quica4034 、私の亡き父も学校の帰り道に、うしろから大きな火の玉が凄い勢いで父を追い抜き、目の前の家に入っていったそうです。その家のご主人だったのだろうなぁ、と語っていました🙏横浜の下町、やはり夕方の出来事だったようです🙏
不思議な出来事ですね。戦時中ならさもありなんと思います
両親の親はそれぞれ、アメリカ留学、外交官だったので、日本の敗戦を予感しながら、中国の青島の父が買った豪邸に暮らしてましたが、終戦の一ヶ月前に祖父が病死して、日本敗戦と同時に、中国軍がその屋敷を高官が使うから出て行けとの暴挙にあい、お腹の大きな母と父達はお友達のお家へ身を寄せました。
異変はその後すぐ起こりました。
亡き祖父が毎晩中国軍に占拠された屋敷を毎晩、独特の片足引きずる音と共に歩き廻っていたそうです。流石の中国高官はその屋敷で寝泊まりを止めたそうです。
祖父が乗艦していた某戦艦がブルネイから日本への帰途……4番砲塔付近にいた祖父を含む数名の同僚が左舷水平線に扶桑、もしくは山城を見た…そうです。
上官に報告すると「他言無用」と厳しく命令されたとの事。
ただ…扶桑も山城も祖父達か目撃した一月も前に沈んでいます。
祖父達は一体何を見たんでしょうね。
捷一号作戦で西村提督率いたほぼ玉砕した艦隊にいた戦艦たちですね。貴重なお話ありがとうございます。
矢追さんの満州でのご体験がすごいですね。生きていながら地獄の鉄火場にいたわけで、本当の怪談は現実のなかにあるのかもしれないと思いました。幽霊うんぬんでなく、、、
日本兵が出てくる怪談、香港にもいまだにいくつかあります。
怪談を超えて、素晴らしいお話でした
戦争怪談は軍隊怪談と共に物凄く多い分野です。戦史研究をしていますので戦争体験者から随分聞き取りしましたが唐突に怪談めいた不可思議な話をよく聞きました。戦争の大きな歴史は学んでも細かい体験はもう体験者から聴くことは出来ません。戦争怪談を通して戦争を知る時代になったのかも知れませんね。それと小原さんの沖縄怪談で日本国内の最初の地上戦は誤りで沖縄戦の前に東京都の硫黄島で戦いました。以前は沖縄は唯一の地上戦と言う人がいましたが樺太戦、占守島戦など日本国内でも地上戦はありました。戦争怪談を8月だけでなく何度でも取り上げて欲しいですね。自衛隊怪談も取り上げて欲しいな。
うちの父方の祖父は北部出身ですが那覇の何処かで戦死してます。
郷土守備隊に配属され息子である私の父の顔も赤子の頃に一度しか見てません。
父に至っては顔を合わせた記憶もないでしょう。
それでもまだ兄弟や親戚が生き残っていたので、まだ良い方ですが戦死した人の無念さははかりしれません。
あと不発弾処理は本当にまだ出てくるので、いつまで出てくるのかわからないです。
南部はたくさんあるだろうなと思いますが、中部でも出たとか聞きますし。
戦争を経験された方たちの苦しみ辛さ戦後生まれの私には計り知れない物が有ります 祖母も母も父も聞いても話したく無い様子でした 辛いですね🥹
オカルトは歴史・民俗学・地理・考古学的な側面があって、
かつての人々の生活や情景・文化を肌で感じられるよい学問であり、
重要な伝承の側面があると思います。
いろんなところから学んで、今やこれからに生かしたいです。
矢追さんは壮絶な体験をされたはずなのに今の状況を楽観視していることが怖かった 今も昔も中国人のメンタルは変わりませんよ
逆に中山先生は本当に保守的な考えをお持ちなのでとても安心しました
戦時中の怪談、是非続けていただきたいです
日本の伝統文化は大切にしていきたいですね
正直私は戦争に関しては全く無知でした。動画配信のお陰で特攻隊員さんの事知りました。😢まだまだお若い尊い命生きていたかったと思います。片道だけの燃料だなんて胸が苦しくなります。この方々のお陰で今の日本があります。心よりご冥福お祈りさせて頂きます。そしてありがとうございます。😢
中山先生のお話。特に終わりのほうのお話はまったく同感です。例えばピラミッド。今では福祉事業だと認識されてますが、私たちが習った時は「奴隷が使役された」と。これって今の価値観で古代エジプトをとらえた考え方ですし、平和や戦争に関しても先生のお考えは同感しかないです。ありがとうございました
矢追純一先生!
子供のころTVにかじりついて見てました。ありがとうございます☺!
戦争は非情だ。
戦後すぐの日本は、阿鼻叫喚の様相である事は想像が出来ないものだ。
平和というものは、誰かが犠牲となっている。
だから、それを忘れて平和を語るのは愚か者である。
今回の怪談話で、自覚することができました。
ありがとうございました。
❤😂🎉
私の祖父は南の島で戦死したと聞いています。
御三方のお話は戦争の記憶を伝えてくださるという意味と、戦争で亡くなった方々の慰霊という意味があると思います。
先人の方々の存在があって私たちが生きている、ということをあらためて感じています。
稲川淳二の生き人形が戦争の時の不幸の話に繋がる
ありがとうございます!
ありがとうございます😭
戦争というと沖縄のことを思い出します。そんな中このような特集をしていただきありがとうございました。オカルトから戦争を学ぶ…小原さんのお話は沖縄に対する切実な気持ちを感じました。矢追さんの話も平成に生まれた話はショックで胸が締め付けられるような気持ちになりました。
さすが中山先生!🤔
中山先生素晴らしいです。
先生のおっしゃる通りだと思います。どうか、戦争怪談を若者達に継承していかなければなりません。
私は、65歳で、戦争経験はありません。先生のお話を聞いくと涙が出てとまりません。本当に語ってくれてありがとうございます。応援してます❤
中山さん〜小原さん〜矢追さんの流れが素晴らしい
矢追純一さんの満州時代のお話がとても興味深かったです
幼少期の生活そのものが複雑な環境で混沌としていらっしゃったんですね
海に守られ戦争放棄をした日本の特殊さを考え直すことができました
矢追さんずっと若々しい
広島忌の日に、とても貴重なお話を聞かせていただきました。ありがとうございますm(_ _)m
話が冗長でなく簡明で要領よくまとめられて流石中山先生です。
不思議な折り鶴のお話感動しました🥲
満州って聞いて矢追さん昭和10年生まれに見えません、若いですね
怪談作家さんが作家と名乗らずに収集家と名乗るのが読者や視聴者へのとても素晴らしい配慮だと思いました。
戦争にまつわる怪異談はどれも考えされますね
矢追さん若いなー❤
矢追先生のお話、衝撃的でした😢
同じ人類が地球の中で戦争をしている地球を超えて、宇宙を見ているのは、戦時下の経験も有るのかも知れないですね。
四海に護られる日本の地政学的な幸運!その、のほほん感、隙を
これから先生に、更に発信して欲しいです!
何とか教授より、遥かに素晴らしいと、ブームの頃より思っていた答えが分かりました!
小原先生、お話は大変すばらしかったのですがヤギの目って瞳孔が縦ではなく横長なのでは?
横に長四角ですよね🐐
ムーで見た話し
昭和天皇が太平洋戦争時東京を爆撃していたB-29を超能力で何機か落としたという記事を見ました
相手様のお宅ですからMさんの乳母の手紙ですが、「当家にお世話になり」ではなく「貴家」ではないかしら?
1.25倍で聴くのがちょうどいい😂
戦争、沖縄という事で、最初はきっと通名のパヨクが電波系、捏造系の話をするんだろうなと思っていたら、ちゃんと日本人の方々がお話されていて良い意味で驚きました。すみませんでした
● 収録年月を記載してください。
概要欄に記載しました。ご指摘ありがとうございます。
負担が大変だと思うけど毎週暴行ってほんと?
米兵の事件が毎週は言い過ぎですかね。
暴行、強盗など事件があったら、県警とMPが捜査をし米兵の身柄は日本側になります。本土復帰後からはちゃんとしていますよ。
確かに普天間基地は街の中心にあり、危険です。しかし、基地内の就職は基幹産業のない沖縄県人にとっては大事な就職先です。今は派遣が多いですが。
県外に就学、就職出来るほどの財力があれば良いですが、それができない県民には公務員と並び基地内は大事な就職先だと思います。
本土の方はどうしても沖縄を可哀想に見てしまうのでしょうかね。
読谷村の方で、戦時中、本宅を日本軍の将校に貸し、離れで生活をしていた方の話では、米軍上陸前には北谷、読谷から上陸すると日本軍は知っていたと。北部に逃げなさいと言われたから、家畜も連れて避難したと話していました。
途中、恩納村では老人達が捨てられていて可哀想だったと。知らなかったと言うのも、少し違うと思います。
読谷飛行場も、嘉手納基地も、元は日本軍の基地でしたから、全く知らなかった訳ではないんですよね。
私が忘れられない話は、沖縄県中部は沖縄戦が終わる前には収容所が出来ていて、そこに収容されたうるま市の方の話です。毎日、毎日、北谷湾の方を見ると、一機、一機、と飛行機が飛んでくる。湾には米軍の艦隊がすしずめで。雨が海から降る様な砲撃でその飛行機は撃ち落とされたと。それが特攻機だったと、戦後知ったと話していました。
最後に、「命どぅ宝」という言葉を本土の方は沖縄戦から生まれた言葉だと思っている方がいますが、それは違います。琉球処分の時に生まれた言葉です。例え琉球という国、自分達の自尊心が消えてしまっても、生きていさえすれば何とかなる、と。そこから生まれた言葉です。だから本当に、御嶽やノロ、ユタなどを簡単に怪談として話して欲しくないですね。
ちゃんと近現代史学んでください。
沖縄人…うーん
戦争反対