ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
葛城ゆきさんにとって、ボヘミアンではなく、この歌こそが一番のヒット曲だと思うのであります😉良い曲だなぁ💞
本日、葛城ユキさんの訃報を聞きました。ずっと恵那山を見て育った私はこの曲が大好きでした。今までありがとうございます。さようなら。
中津川を過ぎると本当に平野が少なくなり中央線の線路の両側は険しい山ばかりが続きます、そんな木曽の谷間をウネウネと電車ははしり続け、傍に木曽川の清流が水量豊かに流れる、しかしその風景は糸魚川から小谷白馬を下る大糸線ほど険しくはなく、厳しい自然環境でも生活の匂いも色濃い木曽路にぴったりの歌、今日風呂の中に浸かっていてふと、この歌を思い出した、何となく聴きたくなって検索してここにきました、、何と葛城ユキさんの歌だったのですね、コッキーポップと大石吾朗の名は忘れてはいなかったけれど、まさかつい先日亡くなった葛城ユキさんのヒット曲だったとは、、深夜ラジオで初めて聴いた青春時代、部屋には兄が修学旅行で行った寝覚の床のペナント(当時のお土産の定番)が貼ってありました、、、遠い昭和の時代。
大学時代にこの歌が好きになり、今は、青春18切符で1年に4,5回馬籠宿から馬籠峠、妻籠宿とこの歌を歌いながら歩いています。亡くなって残念です。
私はこの歌が大好きです。なかなか聞く事ができなかったです。葛城さんの亡くなられた事を聞いてとても残念で仕方が有りません。私も乳癌になりましたがまだ生かされています。葛城ゆきさんのご冥福を心よりお祈り致します。合掌。
二十代に親友からレコードを借り一発出はまりました毎晩聞いています❤
葛木ユキさんの訃報を皆さんのコメントで知りました。「木曽は山の中」という名曲を生み出してくれた作詞・作曲家の方とこの作品に携わった全ての方々、そして見事に歌い上げてくれた葛木ユキさん、心に残る歌をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします・・・
本当に良い曲です。初めて中学時代深夜放送で聴いた時の事思い出します。ブレスの息遣いが好きです。お亡くなりなってもこの歌は私の心の中にいつまでも残ります
自分も中学生の時、大石吾郎さんのコッキーポップでラジオから流れてくるこの曲を聴きながら眠りについたものです。大好きな曲です、自分の中ではボヘミアンじゃなくて葛城ユキと言えばこの曲なんですいい曲ですそしてご冥福をお祈りします。
先ほど3日遅れで葛城さんの訃報を知りました葛城さんと言えば「ボヘミアン」のイメージがありますがボクはこの曲が大好きです葛城ユキさんのご冥福を心からお祈りいたします😢
ほんとうに叙情豊な曲を作られた作詞、作曲の先生に感謝しています。毎日、聴いています。昔の恋の経験などが甦り又、今日も頑張ると言う気持ちにさせる曲です。有り難うございます。
@@タクタク-f6e私も高校生の時、コッキーポップでこの歌を聴きながら眠りについていました。ずっと探していた曲です。
葛城ユキさん、合掌。無性に聴きたくなりました。
当時高校生だった私、深夜放送で聞いて一発で好きになった曲。若い高校生が好きになる曲ではなかったのかもしれませんが、”琴線に触れる”ってこういうことをいうのでしょう。
葛城ユキはこれだよなぁ。浪人時代にリアルタイムで聞いてた曲だ。しばらくして葛城ユキの名を耳にした時は・・・別人としか思えない曲を歌ってた・・・懐かしいねぇ・・・。いまでも拍手。
小学生の頃に、急行木曽と言う電車で長野から名古屋まで行ったことがありました。その時車窓から見えた、山頂に雪を頂いた木曾の山々や、渓谷の川の流れがとても美しく、印象に残っていました。それから少し経って、葛城ユキさんの『木曽は山の中です』がラジオから流れて来るのを何度か聞き、あの時の急行木曽の車窓から見た木曽路の風景を思い出し、未だガキでしたがこの曲が深く心に響きました。当時は葛城ユキさんを全然知らず、後年のヒットで知った『ボヘミアン』を歌っている人と、同一人物だと知った時は、全然印象が異なっていたので驚きました。葛城ユキさんの代表曲と言えば、『ボヘミアン』だと思いますが、個人的には『木曽は山の中です』の方が好きで、日本の美しい風景の歌として今でも心に深く残っています。亡くなられたのは少し早かったと思いますが、ご冥福をお祈りします、
中学生の時にこの歌を知って40年以上になります。「ボヘミアン」以上に、葛城ユキといえばこの歌が印象的でした。ご冥福をお祈りします。
此の歌を聴くと中央西線の風景を思い浮かべます。葛城ユキ氏の御悔やみ申します。
昨日訃報に接しました、昔 葛城ユキはこの歌で知りました。ところがこの後のボヘミアンが出てビックリ!。私としてはヒットしたのは嬉しいですが、この木曽は山の中のようなしみじみな路線を続けていって欲しかったです。
母が奈良井、父が藪原という純正木曽血統なあたくしとしては、そうです、その通りですとしか言い様がないです(泣)。木曽は山の中です誰も来やしません~~~~~
岐阜から東京へ出て40年以上、故郷へ車で帰る時は塩尻から19号に入ると、この曲を掛けっぱなしで運転しています。木曽路の道の駅でぜひBGMで掛けて欲しいですね。浄蓮の滝の売店の年中掛かっている天城越えのように。
五十年前長野市に住んでいました。ラジオでこの曲を耳にして翌日レコードを買いにいきましたがなくてあきらめました。印象深い思い出の曲です。U
毎日聞いています大好きになったよ~気持ちが落ち着きます!うれしいよ~とても癒やされます❤
中津川に住んでた私は、葛木ユキさんといえば、もちろんこの歌です。
ですよね、でも、裏木曾とは、言わせない。 東濃人より!(笑)
信州を旅行中に中津川に停車した時にこの歌が頭に流れました。あれから20年ぐらい経ちました。もう何処にも行けないですが歌を聴いて旅をしています。有り難うございます。
じーんと心に残る歌です。折に触れ、口ずさんでいました。ありがとうございました。
昭和49年、高校を卒業し東京へ就職しました。その頃ラジオか有線でこの曲を♨️で歌ってました。懐かしく涙が出ました。今でも嬉しく思い出します。
皆さんが同じように、この曲を聴いていると若いころの思い出がオーバーラップするんですね。私にとっても、思い出の曲です。
僕は48年の卒業です。このレコードを買ったのはいつだったかな?
なんだかよくわからないけど涙出たで。
ステキな歌 ありがとう・ご冥福をお祈りいたします。
山歩きを生業にしています。素晴らしい隠れた名曲ですね!この曲を聴いてから恵那山が好きになりました。妻籠宿・馬篭宿・恵那山を歩くたびにこの曲を口ずさみます。
奈良井と木曽福島に行きました。誰も来ないなんて勿体ない、美しい街でした。次行くときは、この歌にある馬籠の方まで歩いていきます。
岐阜放送ラジオの朝ワイド番組の中で、葛城ユキ訃報を取り上げたコーナーでさんざんボヘミアンのことを話していたのに、その後に紹介されたのがこの曲。一瞬なんでやねん!って思いましたが、歌が進むにつれ聞き入っていました。素敵な歌ですね。
今年も5月の中旬、妻籠馬籠を訪れなしました、情感たっぷりのこの歌に出会ってから木曽が大好きになり毎年つばくろが飛び回る季節に訪れています。これからもこの歌を大事にしますね。ユキさんのご冥福を心よりお祈りもうしあげます。
彼女と名古屋方面から19号線を走り信州から信濃に旅行の途中木曽を通った時にこの歌を歌った事が有ります。40数年前の想い出深い曲です‼️
木曽を通り白川村へ行きました時眺めました時を思い出しました素晴らしい土地ですが寂しくは有りませんでした好きです🎉
やはり彼女を悼む仲間がこの歌を聴きにきていたな。旅心掻き立てるこの歌をずっと聴いて行きます。ユキさん、こちらこそありがとう。貴女の最期の言葉を返します。安らかに…。
木曽は山の中です 誰も来やしません...葛城ユキさんのご冥福をお祈りいたします。
このすごいうた、永遠に。この歌うたうと、悲しみと愛しさが混じりあったような切ない気持ちになります。つばくろは、自由に旅をしているわけないけど、人はその姿を見て憧れるのか。その馬鹿さかげんがこの歌の切なさと愛しさなのか。大好きなうたです。ありがとう
初めて聞いたのはAMラジオ、確かアルバムバージョンは冒頭雪解けの水が流れる音がはいっていたかなあ、ゆったりとして癒される歌でした。ボヘミアン以降しか知らない人にはこの歌も聞いてほしいと思う名曲です、ユキさんありがとうございました、ゆっくりお休みください。
岐阜に旅行に行った、若かりしころ懐かしい歌、お風呂場でよくうたいます。合掌。😂
今日恵那山を眺望。綺麗な姿を魅せてくれました。ちょっと目をそらせば御岳も。素晴らしい光景でした。これからここが私の隠れ家だ。いいところを見つけたぞ。別荘?だ。
私も深夜放送でこの曲を知りました。懐かしい青春時代、多感だった中学生の頃を思い出します。もう、二度と戻れません。
葛城ユキさん、さようなら。昨年9月に5年程ぶりに中津川へ行きました。馬籠の宿から久しぶりに恵那山を眺めました。長年、恵那山に妙に思い入れがあるのはこの歌のせいかもしれません。私は静岡県の人間ですが、中津川は私の人生では縁のある土地です。それゆえに、この歌はとても心に沁みます。葛城ユキさん長年ありがとう。
遠く残雪を羽織る恵那の山をこの歌とは反対側から、毎春眺めています。我が里も、山合にあるべき事を、この歌を聞く度、噛みしめています。
失恋して山登りをしていた時に流行った歌です。懐かしい歌です。
まさか、ボヘミアン・を歌うなどビックリしました。
本当にいい曲岐阜って行った事ないけど、これを聴いてると古き善き山あいの街並みが目に浮かぶ
『木曽は山の中』銘曲です。葛木ユキさん、あなたを忘れません、ありがとうございました!
いい歌ですね一番好きな歌です
特急しなのに乗り木曽路を走っています。45年?ぶりに聴きたくなって聴いています。車窓から見える風景・・・・歌のなかにすーっと入っていけて心に染み入いります。 名曲です。懐かしい。
懐かしすきて涙が出た!
この歌好きだな~ 心よりご冥福をお祈りします
先々月ふと葛城さんの木曽は山の中を思い出して恵那山に登ってきたのですよ 空からこれからもずっと唄っていてくださいね
ありがとうございました。さようなら。このうたに何度も安らげました。あの世でまたお会いしましょう。
元日から2日にかけての深夜、ふとこの曲を思い出しました。頭の中のあづき一粒にも満たない記憶が僕に発信したのです。しかし男声では無かったか?あの途中の転調する場所は確かにそんな覚えが有ります。それとも「ボヘミアン」のロック歌手の葛城ユキのしゃがれた声だったせいなのか?いずれにしてもこのタイミングでのこの歌は僕には初夢のようです。今年は少しは良いことが有るのかな🥰🥰🥰
茂木健一郎氏が言うところの「Aha!」体験をしたようですね、頭の中のモヤモヤが解決したときの爽快感は明日への活力源にもなり得ると思います。パピーパッピッピさん始めこのコメント欄に投稿して頂いた皆様の2022年が、平穏な一年でありますよう願っています。( ´∀`)
@@tiburu1959 さんへ只今返信を頂いたの分かっていました。丁度❤️マークを頂いたお礼にあなた様への別の曲にコメントを書いていたところでした。またコメントさせて頂きます。
この楽曲が聴きながら遠い昔武田カツよりはどんなこころでとおたのかかんがえる😊
大石吾郎さん懐かしい。好きな歌です。箕輪を去って早7年。長野は心の故郷です。
今頃になると毎年聴きたくなる歌。本当なら、待ちわびた春なのに日本の春はいつから こんなに哀しい季節になったのだろう瓦礫の町に帰ってきた燕(つばくろ)はどれほどに戸惑ったのかなそれでも時は待ってはくれません一歩でも、半歩でも前に歩きましょう。負けないよ 日本。
いつも口から出る歌は、木曽は山の中でーす、40年前ラジオから流れていた曲を、ずっと忘れられませんでした。御冥福をお祈りします。
中学生の頃を思い出す!大切な歌です😢
今は無き恵那郡出身者として、故郷を思い出させる歌です。
聴いていると、心が浄化されるようです。ゆったりと流れる時間……穏やかな気持ちになります。ユキさんの包み込むような歌声………また聴きたかったなぁ😢
ご冥福をお祈りします。若い時の思い出の曲でした。逝くのにはまだ早いですよ⋯
素晴らしいですこれだ❤😂。藤枝より爺さんの😊
この曲が大好きで、探していました。感激です。
いつ聴いても素晴らしい歌唱、情緒豊か❣️岐阜県は山⛰の中ばかり。しびれます❤
この曲の作詞作曲が松田篝さんだと今夜知りました。チューインガムのお父さんでした。そのチューインガムの名曲が
この歌を気いて懐かしいとおもった俺は還暦になった。コメントの方々、同世代かな。なんだかんだ、いい時代でしたね。振り返っても、恋しくて熱くなるね。田舎の同窓会、出たいな。
此の曲は私が10代最後の頃の作品でして、当時相当インパクトを受けた事を50年弱経った今思い出しています。ボヘミアン。も良かった。ご冥福をお祈りいたします。合掌🙏🙏😭😭
高校生の時に葛城ユキさんを初めて知った歌です。
今日また木曽へいってきました。桜と列車を絡めた写真を撮りに。家に帰ってきて撮影した写真をを見ていてこの曲を思い出して聞きました。初めて聞いたのは45年前1975年の春、家族旅行で松本に向かうバスの中でした。以来ずっと心の中に残っていて春になり、桜と列車を求めて「基礎」へ行くたびこの歌が耳をかすめます。私の中では『木曽のご当地ソング』です。
岡山出身でしたね。同年代として、随分に頑張ったお方でした。本当に残照みごとな歌い手でした。今も心に残っていてこの曲に感謝もしている戦後生まれです。有難うございました。
高校生のころこの曲を聴いて木曽路ってどんなところだろうなって思っていつか行ってみたいと思っていました今日行ってきました。想像どおり素朴で素敵なところでした。江戸時代にタイムスリップしました。
40数年前高校生の時受験勉強の夜、毎日のようにラジオから流れていました。ボヘミアンよりこちらのほうが好きですがカラオケで歌えたことはありません、最近年甲斐もなく失恋してしまったのでこの歌が心の中で響いています。病気からの復活を祈念しています。その時はこの歌も歌ってほしいです
その昔、この歌を聞いて「春の木曾」に魅かれ、初めて手に入れた車でここへやって来たことが。思い出の曲です。辛いことがあっても頑張ってください。同じような世代、いろいろ抱えていますが仲間ですよ(^-^)
@@mm11211223 ありがとうございます。今はほぼ立ち直っているのですが、ふとした時に人生最後の恋かなと思い寂しくなります
@@佐野たけし-b5i さんこの曲を聴き直していたら、再度木曾へ行ってみたくなりました。木曾ならコロナの心配も少なそうかなと、宿泊できるところを探したら「馬籠茶屋(民宿)」で泊まれることに。一泊だけでしたが天気にも恵まれて、妻籠(長野県)と馬籠(岐阜県)で甘酒・五平餅・蕎麦と信州を楽しんできました(^-^)女性との相性は、ジグソーパズルの凸部凹部組み合わせみたいなもので、なかなかぴったりとくるものがありませんね。無理にくっつけても私のように離婚を経験することに。佐野さんの優しさに、新しい春が訪れることを願っています。
悲しいです。
とうとう旅に出てしまいました。仕事帰りにラジオからユキさんの声が流れてきました。初めて買った寡黙のLP。80年代はアルバムを集めるのが楽しみでした。嫌っていた演歌。65歳になり聞き直すと、これはまさに演歌です‼️何も語らない。残したものは夢のあしあと。ありがとうございました。
NHKのど自慢で岡山県高梁市からの中継で、葛城ユキさんの出身と聞いて40年ぶりにきき、鳥肌がたちました。
木曽路を走る時必ず眼にする恵那山。いつも綺麗な姿を魅せて呉れる恵那山。明日もヨロシクオネガイシマス!楽しみです!
訃報を聞き、ほんとうにびっくりしました…ほんとうにざんねんです…味がある ほんとうに素敵な歌声ですね!!
R.I.P高校生の時、ポプコンで聴いて印象に残った曲でした。
20代だった当時を思い出し胸が熱く涙が出て来ます。Merry Christmas ・・・そして恒久的世界平和を願います。
20歳の時、このレコードを買いました。入院している母の看病をしながら、家でよく聴きました懐かしいです。ありがとうございます。
♪コメントを投稿していただいた皆様が、ほんの少しでも懐かしさに浸っていただけるのであれば幸いです。(^^)
この歌を聴くと高校受験の時を思い出します。寒い中、夜遅くまで受験勉強しながらポプコン他深夜ラジオを聞いてました。
同級生です🎵私も高校受験勉強して聞いてました。
Rest in Piece 壮絶なガンとの闘いの後安らかに眠ってください。恵那山、恵那高校出身者としてほっこり聴きました!
反対方向の飯田の人間です。春先になると、南西の方向に雪衣装を着た恵那山の偉容を眺めつつ、この歌を思い浮かべてきました。ご冥福をお祈りします。
いま、NHKラジオで聞きました。今年は何度も恵那山に雪が降りました。
大好きな曲です。御冥福をお祈りします。
名曲。
この曲を最初に聞いたのはラジオで大石五郎さんがYAMAHAポプコンの番組和やっていた。その時に聞いたのが初めて、もう50年位前になるかな。
吾郎です
懐かしい❗40年ほど前、中津川の保古の湖YHでヘルパーをしていた時に朝の起床のためにこのレコードをかけていました。
何時もこの歌を聴くと伊那から旧権平峠を越えて木曽福島への道を思いだします。今は、新トンネルも出来て快適な旅になりましたが!それでも、木曽路の旅はこの歌に限ります!
権平峠から見下ろした伊那谷、今も覚えています。
僕は木曽から伊那に抜けました。昭和51年頃だったかな?すれ違いが大変だったのを思い出します。
今日は丹沢が少しかすんで見えました、気温も上がり、遅れがちのサクラも明後日あたりには咲きそうです、こんな日は毎年"木曾は山の中"をくちずさんでいます、近ごろTVも新聞も観なくなったので "葛城ゆき"さんが昨年お亡くなりになった事をしりました、残念です😭
同郷のユキさん………原点であるこの曲が大好きでした。優しく深い慈しみ溢れる歌唱………御冥福をお祈りいたします。
昨日名古屋で春秋歌合戦というイベントを観覧して来ました。出演者の中に葛城ユキさんがいまして ボヘミアン と ヒーロー をパワフルに熱唱されたことに感動しました。その時ふと、40数年前にこの歌を聴いたことあるなぁと思い出しここで拝聴することができまたまた感動しています。
中3の頃よく聴いていました。安らかに、合掌
大昔ニッポン放送で、深夜12時半だったか?「コッキーポップ(大石五郎)」でこの曲聞いたが歌っていたのがボヘミアンの人とは知らなかったです。父の故郷が長野なもので、小さい頃から家族で帰省していてこの曲の歌詞の雰囲気が思い浮かびます。
ユキちゃん辛かったね、頑張ったね、、、ゆっくり ゆっくり休んで下さいネ🎼🎼大好き💕
木曽は山の中すごいすごい久しぶり、なかなかヒットしなくて、懐かしいまた、葛城ユキってこんなに歌がうまくてびっくりバックの音楽も素敵久々にいい曲を聴いた感じですUPに感謝
数多く名曲を輩出したヤマハポプコン その中でもダントツに好きな曲でした どうか安らかにお眠り下さい
恵那産トンネルを走り長野と新潟へスキーに行ったことを思い出してますあれが木曽だったんですねもったいないことをしました残念ですよ😂
大好きな曲です。この曲をアップしてくれてありがとう。この曲の影響か、妻籠と馬籠の間を3回歩いたほどです。願わくば、恵那山は馬籠から見えるので、馬籠の宿場の写真もあったら、もっとうれしいなぁ。
懐かしい歌です。あの頃、私は新潟で学生やってました。BSNという民放ラジオ放送がありました。それをSONYの小さなラジカセで録音したカセットテープが残っていて、後日、何度も取り出して聴いたものです。懐かしい思い出が詰まっていました。 そのテープも 今ではどこへいったのやら・・当時の健全な日本で青春期を過ごせた自分は、本当に幸運だったと思います。あの時の皆んな! ありがとうね!
ラジオをつけたら偶然「木曽は・・・」この曲が流れていて 何度聞いても いい歌だなあ
ああ、私もラジオで聴いてみたいなあ。たまらないだろうなあ。
自分はかつてラジオで聴いていました民放のCMと一緒にね。・・ いい時代が懐かしいです。
この曲を聴くと、恵那に住んでいた時の思い出が心に浮かび懐かしい気分になる。みんなどうしているかな-
三郷から永田に抜ける道から見える中央アルプスは今でも最高ですよ。昔、青い山脈の撮影をした高校に通っていましたが、そこの体育の先生の大好きな曲でした。もちろん私も。
この曲のイメージの宿を探して数十年、いまだ見つかりませんが......探し続けます。
この歌を聴くと伊奈から木曽へ抜ける時に見た木曽の山々おもいだささます。
高校受験勉強中の深夜ラジオ。韓国語が邪魔するAMのきたない音を思い出した。この歌のサビの部分を流すキャンペーン、お笑い系のナレーション。懐かしい
どこか「襟裳岬」を思い出しますね。と思ったら同じ1974年発表。「襟裳岬」が1月、この曲が12月でした。
この歌がラジオから流れていた頃、友達と2人で木曽路を行きました。中津川から入り、夕方妻籠宿にたどり着くまで歩き続けて。道は山の中です。葛城ユキの声と、この歌から漂う寂しい雰囲気とが重なり、泣きそうになりました。あれから50年の年月がすぎました。松田篝さん、なんて素敵な歌を作るかたなんでしょう、改めてそうおもいます。「さすらいの美学」もそうですし。「木曽は山の中」アップしていただき、感謝します。二度と戻れないあの頃が、一瞬で蘇りました。
葛城ユキさん、先日久しぶりに中津川から飯田に抜ける恵那山トンネルを往復しました。長いトンネルです。恵那山の見えた時から、この歌を感じました!恵那山大好きです。
何度聞いても懐かしさが湧いて来ます。癌だと聞いて、ビックリしました。早く健康になって、カムバックして欲しいです。
葛城ゆきさんにとって、ボヘミアンではなく、この歌こそが一番のヒット曲だと思うのであります😉良い曲だなぁ💞
本日、葛城ユキさんの訃報を聞きました。ずっと恵那山を見て育った私はこの曲が大好きでした。今までありがとうございます。さようなら。
中津川を過ぎると本当に平野が少なくなり中央線の線路の両側は険しい山ばかりが続きます、そんな木曽の谷間をウネウネと電車ははしり続け、傍に木曽川の清流が水量豊かに流れる、しかしその風景は糸魚川から小谷白馬を下る大糸線ほど険しくはなく、厳しい自然環境でも生活の匂いも色濃い木曽路にぴったりの歌、今日風呂の中に浸かっていてふと、この歌を思い出した、何となく聴きたくなって検索してここにきました、、何と葛城ユキさんの歌だったのですね、コッキーポップと大石吾朗の名は忘れてはいなかったけれど、まさかつい先日亡くなった葛城ユキさんのヒット曲だったとは、、深夜ラジオで初めて聴いた青春時代、部屋には兄が修学旅行で行った寝覚の床のペナント(当時のお土産の定番)が貼ってありました、、、遠い昭和の時代。
大学時代にこの歌が好きになり、今は、青春18切符で1年に4,5回馬籠宿から馬籠峠、妻籠宿とこの歌を歌いながら歩いています。亡くなって残念です。
私はこの歌が大好きです。
なかなか聞く事ができなかったです。
葛城さんの亡くなられた事を聞いてとても残念で仕方が有りません。
私も乳癌になりましたがまだ生かされています。
葛城ゆきさんのご冥福を心よりお祈り致します。
合掌。
二十代に親友からレコードを借り一発出はまりました毎晩聞いています❤
葛木ユキさんの訃報を皆さんのコメントで知りました。
「木曽は山の中」という名曲を生み出してくれた作詞・作曲家の方とこの作品に携わった全ての方々、そして見事に歌い上げてくれた葛木ユキさん、心に残る歌をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします・・・
本当に良い曲です。
初めて中学時代深夜放送で聴いた時の事思い出します。
ブレスの息遣いが好きです。
お亡くなりなってもこの歌は私の心の中にいつまでも残ります
自分も中学生の時、大石吾郎さんのコッキーポップでラジオから流れてくるこの曲を聴きながら眠りについたものです。
大好きな曲です、自分の中ではボヘミアンじゃなくて葛城ユキと言えばこの曲なんですいい曲ですそしてご冥福をお祈りします。
先ほど3日遅れで葛城さんの訃報を知りました
葛城さんと言えば「ボヘミアン」のイメージがありますがボクはこの曲が大好きです
葛城ユキさんのご冥福を心からお祈りいたします😢
ほんとうに叙情豊な曲を作られた作詞、作曲の先生に感謝しています。
毎日、聴いています。
昔の恋の経験などが甦り又、今日も頑張ると言う気持ちにさせる曲です。
有り難うございます。
@@タクタク-f6e私も高校生の時、コッキーポップでこの歌を聴きながら眠りについていました。ずっと探していた曲です。
葛城ユキさん、合掌。無性に聴きたくなりました。
当時高校生だった私、深夜放送で聞いて一発で好きになった曲。
若い高校生が好きになる曲ではなかったのかもしれませんが、
”琴線に触れる”ってこういうことをいうのでしょう。
葛城ユキはこれだよなぁ。浪人時代にリアルタイムで聞いてた曲だ。しばらくして葛城ユキの名を耳にした時は・・・別人としか思えない曲を歌ってた・・・懐かしいねぇ・・・。いまでも拍手。
小学生の頃に、急行木曽と言う電車で長野から名古屋まで行ったことがありました。
その時車窓から見えた、山頂に雪を頂いた木曾の山々や、渓谷の川の流れがとても美しく、印象に残っていました。
それから少し経って、葛城ユキさんの『木曽は山の中です』がラジオから流れて来るのを何度か聞き、あの時の急行木曽の車窓から見た木曽路の風景を思い出し、未だガキでしたがこの曲が深く心に響きました。
当時は葛城ユキさんを全然知らず、後年のヒットで知った『ボヘミアン』を歌っている人と、同一人物だと知った時は、全然印象が異なっていたので驚きました。葛城ユキさんの代表曲と言えば、『ボヘミアン』だと思いますが、個人的には『木曽は山の中です』の方が好きで、日本の美しい風景の歌として今でも心に深く残っています。
亡くなられたのは少し早かったと思いますが、ご冥福をお祈りします、
中学生の時にこの歌を知って40年以上になります。「ボヘミアン」以上に、葛城ユキといえばこの歌が印象的でした。ご冥福をお祈りします。
此の歌を聴くと中央西線の風景を思い浮かべます。
葛城ユキ氏の御悔やみ申します。
昨日訃報に接しました、昔 葛城ユキはこの歌で知りました。ところがこの後のボヘミアンが出てビックリ!。
私としてはヒットしたのは嬉しいですが、この木曽は山の中のようなしみじみな路線を続けていって欲しかったです。
母が奈良井、父が藪原という純正木曽血統なあたくしとしては、そうです、その通りですとしか言い様がないです(泣)。木曽は山の中です誰も来やしません~~~~~
岐阜から東京へ出て40年以上、故郷へ車で帰る時は塩尻から19号に入ると、この曲を掛けっぱなしで運転しています。
木曽路の道の駅でぜひBGMで掛けて欲しいですね。浄蓮の滝の売店の年中掛かっている天城越えのように。
五十年前長野市に住んでいました。ラジオでこの曲を耳にして翌日レコードを買いにいきましたがなくてあきらめました。印象深い思い出の曲です。U
毎日聞いています大好きになったよ~気持ちが落ち着きます!うれしいよ~とても癒やされます❤
中津川に住んでた私は、葛木ユキさんといえば、もちろんこの歌です。
ですよね、でも、裏木曾とは、言わせない。 東濃人より!(笑)
信州を旅行中に中津川に停車した時にこの歌が頭に流れました。
あれから20年ぐらい経ちました。
もう何処にも行けないですが歌を聴いて旅をしています。
有り難うございます。
じーんと心に残る歌です。折に触れ、口ずさんでいました。ありがとうございました。
昭和49年、高校を卒業し東京へ就職しました。その頃ラジオか有線でこの曲を♨️で歌ってました。懐かしく涙が出ました。今でも嬉しく思い出します。
皆さんが同じように、この曲を聴いていると若いころの思い出がオーバーラップするんですね。
私にとっても、思い出の曲です。
僕は48年の卒業です。このレコードを買ったのはいつだったかな?
なんだかよくわからないけど涙出たで。
ステキな歌 ありがとう・ご冥福をお祈りいたします。
山歩きを生業にしています。素晴らしい隠れた名曲ですね!この曲を聴いてから恵那山が好きになりました。妻籠宿・馬篭宿・恵那山を歩くたびにこの曲を口ずさみます。
奈良井と木曽福島に行きました。誰も来ないなんて勿体ない、美しい街でした。
次行くときは、この歌にある馬籠の方まで歩いていきます。
岐阜放送ラジオの朝ワイド番組の中で、葛城ユキ訃報を取り上げたコーナーでさんざんボヘミアンのことを話していたのに、その後に紹介されたのがこの曲。一瞬なんでやねん!って思いましたが、歌が進むにつれ聞き入っていました。素敵な歌ですね。
今年も5月の中旬、妻籠馬籠を訪れなしました、情感たっぷりのこの歌に出会ってから木曽が大好きになり毎年つばくろが飛び回る季節に訪れています。これからもこの歌を大事にしますね。
ユキさんのご冥福を心よりお祈りもうしあげます。
彼女と名古屋方面から19号線を走り信州から信濃に旅行の途中木曽を通った時にこの歌を歌った事が有ります。40数年前の想い出深い曲です‼️
木曽を通り白川村へ行きました時眺めました時を思い出しました素晴らしい土地ですが寂しくは有りませんでした好きです🎉
やはり彼女を悼む仲間がこの歌を聴きにきていたな。旅心掻き立てるこの歌をずっと聴いて行きます。ユキさん、こちらこそありがとう。貴女の最期の言葉を返します。安らかに…。
木曽は山の中です 誰も来やしません...
葛城ユキさんのご冥福をお祈りいたします。
このすごいうた、永遠に。この歌うたうと、悲しみと愛しさが混じりあった
ような切ない気持ちになります。
つばくろは、自由に旅をしているわけないけど、人はその姿を見て憧れるのか。
その馬鹿さかげんがこの歌の切なさと愛しさなのか。
大好きなうたです。ありがとう
初めて聞いたのはAMラジオ、確かアルバムバージョンは冒頭雪解けの水が流れる音がはいっていたかなあ、ゆったりとして癒される歌でした。ボヘミアン以降しか知らない人にはこの歌も聞いてほしいと思う名曲です、ユキさんありがとうございました、ゆっくりお休みください。
岐阜に旅行に行った、若かりしころ懐かしい歌、お風呂場でよくうたいます。合掌。😂
今日恵那山を眺望。綺麗な姿を魅せてくれました。ちょっと目をそらせば御岳も。素晴らしい光景でした。これからここが私の隠れ家だ。いいところを見つけたぞ。別荘?だ。
私も深夜放送でこの曲を知りました。懐かしい青春時代、多感だった中学生の頃を思い出します。もう、二度と戻れません。
葛城ユキさん、さようなら。昨年9月に5年程ぶりに中津川へ行きました。馬籠の宿から久しぶりに恵那山を眺めました。長年、恵那山に妙に思い入れがあるのはこの歌のせいかもしれません。私は静岡県の人間ですが、中津川は私の人生では縁のある土地です。それゆえに、この歌はとても心に沁みます。葛城ユキさん長年ありがとう。
遠く残雪を羽織る恵那の山をこの歌とは反対側から、毎春眺めています。我が里も、山合にあるべき事を、この歌を聞く度、噛みしめています。
失恋して山登りをしていた時に流行った歌です。懐かしい歌です。
まさか、ボヘミアン・を歌うなどビックリしました。
本当にいい曲
岐阜って行った事ないけど、これを聴いてると
古き善き山あいの街並みが目に浮かぶ
『木曽は山の中』銘曲です。葛木ユキさん、あなたを忘れません、ありがとうございました!
いい歌ですね一番好きな歌です
特急しなのに乗り木曽路を走っています。45年?ぶりに聴きたくなって聴いています。
車窓から見える風景・・・・歌のなかにすーっと入っていけて心に染み入いります。
名曲です。懐かしい。
懐かしすきて涙が出た!
この歌好きだな~ 心よりご冥福をお祈りします
先々月ふと葛城さんの木曽は山の中を思い出して恵那山に登ってきたのですよ
空からこれからもずっと唄っていてくださいね
ありがとうございました。さようなら。このうたに何度も安らげました。
あの世でまたお会いしましょう。
元日から2日にかけての深夜、ふとこの曲を思い出しました。頭の中のあづき一粒にも満たない記憶が僕に発信したのです。しかし男声では無かったか?あの途中の転調する場所は確かにそんな覚えが有ります。
それとも「ボヘミアン」のロック歌手の葛城ユキのしゃがれた声だったせいなのか?いずれにしてもこのタイミングでのこの歌は僕には初夢のようです。今年は少しは良いことが有るのかな🥰🥰🥰
茂木健一郎氏が言うところの「Aha!」体験をしたようですね、頭の中のモヤモヤが解決したときの爽快感は明日への活力源にもなり得ると思います。
パピーパッピッピさん始めこのコメント欄に投稿して頂いた皆様の2022年が、平穏な一年でありますよう願っています。
( ´∀`)
@@tiburu1959 さんへ
只今返信を頂いたの分かっていました。丁度❤️マークを頂いたお礼に
あなた様への別の曲にコメントを書いていたところでした。またコメントさせて頂きます。
この楽曲が聴きながら遠い昔武田カツよりはどんなこころでとおたのかかんがえる😊
大石吾郎さん懐かしい。好きな歌です。箕輪を去って早7年。長野は心の故郷です。
今頃になると毎年聴きたくなる歌。
本当なら、待ちわびた春なのに
日本の春はいつから こんなに哀しい季節になったのだろう
瓦礫の町に帰ってきた燕(つばくろ)は
どれほどに戸惑ったのかな
それでも時は待ってはくれません
一歩でも、半歩でも
前に歩きましょう。
負けないよ 日本。
いつも口から出る歌は、木曽は山の中でーす、40年前ラジオから流れていた曲を、ずっと忘れられませんでした。御冥福をお祈りします。
中学生の頃を思い出す!大切な歌です😢
今は無き恵那郡出身者として、故郷を思い出させる歌です。
聴いていると、心が浄化されるようです。ゆったりと流れる時間……穏やかな気持ちになります。ユキさんの包み込むような歌声………また聴きたかったなぁ😢
ご冥福をお祈りします。
若い時の思い出の曲でした。逝くのにはまだ早いですよ⋯
素晴らしいですこれだ❤😂。藤枝より爺さんの😊
この曲が大好きで、探していました。感激です。
いつ聴いても素晴らしい歌唱、情緒豊か❣️
岐阜県は山⛰の中ばかり。
しびれます❤
この曲の作詞作曲が松田篝さんだと今夜知りました。チューインガムのお父さんでした。そのチューインガムの名曲が
この歌を気いて懐かしいとおもった俺は還暦になった。コメントの方々、同世代かな。なんだかんだ、いい時代でしたね。振り返っても、恋しくて熱くなるね。田舎の同窓会、出たいな。
此の曲は私が10代最後の頃の作品でして、当時相当インパクトを受けた事を50年弱経った今思い出しています。ボヘミアン。も良かった。ご冥福をお祈りいたします。合掌🙏🙏😭😭
高校生の時に葛城ユキさんを初めて知った歌です。
今日また木曽へいってきました。桜と列車を絡めた写真を撮りに。家に帰ってきて撮影した写真をを見ていて
この曲を思い出して聞きました。初めて聞いたのは45年前1975年の春、家族旅行で松本に向かうバスの中でした。以来ずっと心の中に残っていて春になり、桜と列車を求めて「基礎」へ行くたびこの歌が耳をかすめます。私の中では『木曽のご当地ソング』です。
岡山出身でしたね。同年代として、随分に頑張ったお方でした。本当に残照みごとな歌い手でした。今も心に残っていてこの曲に感謝もしている戦後生まれです。有難うございました。
高校生のころこの曲を聴いて木曽路ってどんなところだろうなって思っていつか行ってみたいと思っていました今日行ってきました。想像どおり素朴で素敵なところでした。江戸時代にタイムスリップしました。
40数年前高校生の時受験勉強の夜、毎日のようにラジオから流れていました。ボヘミアンよりこちらのほうが好きですがカラオケで歌えたことはありません、最近年甲斐もなく失恋してしまったのでこの歌が心の中で響いています。病気からの復活を祈念しています。その時はこの歌も歌ってほしいです
その昔、この歌を聞いて「春の木曾」に魅かれ、初めて手に入れた車でここへやって来たことが。
思い出の曲です。
辛いことがあっても頑張ってください。
同じような世代、いろいろ抱えていますが仲間ですよ(^-^)
@@mm11211223
ありがとうございます。
今はほぼ立ち直っているのですが、ふとした時に人生最後の恋かなと思い寂しくなります
@@佐野たけし-b5i さん
この曲を聴き直していたら、再度木曾へ行ってみたくなりました。
木曾ならコロナの心配も少なそうかなと、宿泊できるところを探したら「馬籠茶屋(民宿)」で泊まれることに。一泊だけでしたが天気にも恵まれて、妻籠(長野県)と馬籠(岐阜県)で甘酒・五平餅・蕎麦と信州を楽しんできました(^-^)
女性との相性は、ジグソーパズルの凸部凹部組み合わせみたいなもので、なかなかぴったりとくるものがありませんね。無理にくっつけても私のように離婚を経験することに。佐野さんの優しさに、新しい春が訪れることを願っています。
悲しいです。
とうとう旅に出てしまいました。
仕事帰りにラジオからユキさんの声が流れてきました。
初めて買った寡黙のLP。
80年代はアルバムを集めるのが楽しみでした。
嫌っていた演歌。
65歳になり聞き直すと、これはまさに演歌です‼️
何も語らない。
残したものは夢のあしあと。
ありがとうございました。
NHKのど自慢で岡山県高梁市からの中継で、葛城ユキさんの出身と聞いて40年ぶりにきき、鳥肌がたちました。
木曽路を走る時必ず眼にする恵那山。いつも綺麗な姿を魅せて呉れる恵那山。明日もヨロシクオネガイシマス!楽しみです!
訃報を聞き、ほんとうにびっくりしました…
ほんとうにざんねんです…
味がある ほんとうに素敵な歌声ですね!!
R.I.P
高校生の時、ポプコンで聴いて印象に残った曲でした。
20代だった当時を思い出し胸が熱く涙が出て来ます。
Merry Christmas ・・・そして恒久的世界平和を願います。
20歳の時、このレコードを買いました。入院している母の看病をしながら、家でよく聴きました懐かしいです。ありがとうございます。
♪コメントを投稿していただいた皆様が、ほんの少しでも懐かしさに浸っていただけるのであれば幸いです。(^^)
この歌を聴くと高校受験の時を思い出します。
寒い中、夜遅くまで受験勉強しながらポプコン他深夜ラジオを聞いてました。
同級生です🎵私も高校受験勉強して聞いてました。
Rest in Piece 壮絶なガンとの闘いの後安らかに眠ってください。恵那山、恵那高校出身者としてほっこり聴きました!
反対方向の飯田の人間です。春先になると、南西の方向に雪衣装を着た恵那山の偉容を眺めつつ、この歌を思い浮かべてきました。
ご冥福をお祈りします。
いま、NHKラジオで聞きました。今年は何度も恵那山に雪が降りました。
大好きな曲です。御冥福をお祈りします。
名曲。
この曲を最初に聞いたのはラジオで大石五郎さんがYAMAHAポプコンの番組和やっていた。その時に聞いたのが初めて、もう50年位前になるかな。
吾郎です
懐かしい❗
40年ほど前、中津川の保古の湖YHでヘルパーをしていた時に朝の起床のためにこのレコードをかけていました。
何時もこの歌を聴くと
伊那から旧権平峠を越えて木曽福島への道を思いだします。
今は、新トンネルも出来て快適な旅になりましたが!
それでも、木曽路の旅はこの歌に限ります!
権平峠から見下ろした伊那谷、今も覚えています。
僕は木曽から伊那に抜けました。昭和51年頃だったかな?すれ違いが大変だったのを思い出します。
今日は丹沢が少しかすんで見えました、気温も上がり、遅れがちのサクラも明後日あたりには咲きそうです、こんな日は毎年"木曾は山の中"をくちずさんでいます、
近ごろTVも新聞も観なくなったので "葛城ゆき"さんが昨年お亡くなりになった事をしりました、残念です😭
同郷のユキさん………原点であるこの曲が大好きでした。優しく深い慈しみ溢れる歌唱………御冥福をお祈りいたします。
昨日名古屋で春秋歌合戦というイベントを観覧して来ました。出演者の中に葛城ユキさんがいまして ボヘミアン と ヒーロー をパワフルに熱唱されたことに感動しました。
その時ふと、40数年前にこの歌を聴いたことあるなぁと思い出しここで拝聴することができまたまた感動しています。
中3の頃よく聴いていました。
安らかに、合掌
大昔ニッポン放送で、深夜12時半だったか?「コッキーポップ(大石五郎)」でこの曲聞いたが
歌っていたのがボヘミアンの人とは知らなかったです。
父の故郷が長野なもので、小さい頃から家族で帰省していてこの曲の歌詞の雰囲気が思い浮かびます。
ユキちゃん
辛かったね、頑張ったね、、、
ゆっくり ゆっくり
休んで下さいネ
🎼🎼大好き💕
木曽は山の中
すごいすごい久しぶり、なかなかヒットしなくて、懐かしい
また、葛城ユキってこんなに歌がうまくてびっくり
バックの音楽も素敵
久々にいい曲を聴いた感じです
UPに感謝
数多く名曲を輩出したヤマハポプコン その中でもダントツに好きな曲でした どうか安らかにお眠り下さい
恵那産トンネルを走り長野と新潟へスキーに行ったことを思い出してますあれが木曽だったんですねもったいないことをしました残念ですよ😂
大好きな曲です。この曲をアップしてくれてありがとう。この曲の影響か、妻籠と馬籠の間を3回歩いたほどです。願わくば、恵那山は馬籠から見えるので、馬籠の宿場の写真もあったら、もっとうれしいなぁ。
懐かしい歌です。あの頃、私は新潟で学生やってました。
BSNという民放ラジオ放送がありました。それをSONYの小さなラジカセで録音したカセットテープが残っていて、後日、何度も取り出して聴いたものです。懐かしい思い出が詰まっていました。 そのテープも 今ではどこへいったのやら・・
当時の健全な日本で青春期を過ごせた自分は、本当に幸運だったと思います。あの時の皆んな! ありがとうね!
ラジオをつけたら偶然「木曽は・・・」この曲が流れていて 何度聞いても いい歌だなあ
ああ、私もラジオで聴いてみたいなあ。たまらないだろうなあ。
自分はかつてラジオで聴いていました民放のCMと一緒にね。・・ いい時代が懐かしいです。
この曲を聴くと、恵那に住んでいた時の思い出が心に浮かび懐かしい気分になる。
みんなどうしているかな-
三郷から永田に抜ける道から見える中央アルプスは今でも最高ですよ。
昔、青い山脈の撮影をした高校に通っていましたが、そこの体育の先生の大好きな曲でした。
もちろん私も。
この曲のイメージの宿を探して数十年、いまだ見つかりませんが......探し続けます。
この歌を聴くと
伊奈から木曽へ抜ける時に
見た木曽の山々おもいだささます。
高校受験勉強中の深夜ラジオ。韓国語が邪魔するAMのきたない音を思い出した。この歌のサビの部分を流すキャンペーン、お笑い系のナレーション。懐かしい
どこか「襟裳岬」を思い出しますね。
と思ったら同じ1974年発表。「襟裳岬」が1月、この曲が12月でした。
この歌がラジオから流れていた頃、友達と2人で木曽路を行きました。中津川から入り、夕方妻籠宿にたどり着くまで歩き続けて。道は山の中です。葛城ユキの声と、この歌から漂う寂しい雰囲気とが重なり、泣きそうになりました。
あれから50年の年月がすぎました。
松田篝さん、なんて素敵な歌を作るかたなんでしょう、改めてそうおもいます。「さすらいの美学」もそうですし。
「木曽は山の中」アップしていただき、感謝します。二度と戻れないあの頃が、一瞬で蘇りました。
葛城ユキさん、先日久しぶりに中津川から飯田に抜ける恵那山トンネルを往復しました。長いトンネルです。恵那山の見えた時から、この歌を感じました!恵那山大好きです。
何度聞いても懐かしさが湧いて来ます。
癌だと聞いて、ビックリしました。
早く健康になって、カムバックして欲しいです。