呂后|劉邦の妻は中国3大悪女の一人だった【項羽と劉邦/戚夫人】
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ต.ค. 2024
- 項羽と劉邦の時代に中国3大悪女と呼ばれた女性がいました。
中国統一を果たした劉邦の奥さんでもある呂后です。
一体呂后とはどのような人物だったのでしょうか。
劉邦との出会いから中国3大悪女と呼ばれている所以までわかりやすく解説しています。
【前編】項羽と劉邦の概要をわかりやすく解説してみた(アフターキングダムの世界)
• 【前編】項羽と劉邦の概要をわかりやすく解説し...
【後編】項羽と劉邦の概要をわかりやすく解説してみた(アフターキングダムの世界)
• 【後編】項羽と劉邦の概要をわかりやすく解説し...
一番寵愛を受けた戚夫人の子供じゃなく寵愛を受けず一回限りの
女性の子供が文帝になるところが歴史の面白い所ですね
呂氏からスルーされるほど存在感のないことで生き残れたという
三国志よりも個性的な人物が多くてこの時代は本当に好きです
【残り物に福来たる】【漁夫の利】薄夫人(文帝の母)と恒(のちの文帝)様な諺ですね
母親の寵愛の比例か分かりませんが、皇子たちの封国にも大分差がありました。
戚夫人の息子の如意は豊かな地の裕福な趙国に対して
恒は都から一番遠い代国、ここは匈奴の脅威に常にさらされて国力も荒れている
とんでもない貧乏国でした。
恒はこの差は何?と何度思ったのでは?なんて。
しかし、物は考えようであると悟り、荒れ果てた代国を豊かにしようと懸命にはげみました。それこそわき目も振らず。
他の兄弟は呂后とその一族に粛清されましたが、彼が無事だったのは
ひとえに都から非常に遠く、関わらないようにしたためだと思います。
薄夫人、一度きりの寵愛で皇子も出来ただけで満足して、
謙虚に生きていたから、呂后も彼女に対してはよくしたと思います。
劉邦の死後は彼女だけは、大手を振って息子の封国に行くことができた
のは彼女だけであると小説等でも書かれております。
寵愛を受けることだけが何も幸福ではないというのを体現してくれた
人でしたね。
呂后は時に人質になったから、その時、もしかしたら凌辱を受けたかも…。
そう考えたら、その後の残忍さを理解できます。
あと、劉邦が訳の分からない魅力があることになっていますが、
司馬遷は劉邦の子孫に宮刑受けましたから、『史記』でどうしても劉邦を「ダメ男」の書き方をしちゃうんですよ。
ただ司馬遷は史実は曲げなかった。
だから劉邦に「訳の分からない魅力」があることになっちゃったんです。
北条政子は悪女エピソードはないけど、似通いますね。やらなければやられる時代ですからね。
三大悪女と言われる中でほかの二人に比べほとんどが後継者争い
戚夫人に対するやり方はエグいが劉邦の生前後継者問題での戚夫人のやり方とかを考えたら
呂雉の人物像は歴史上の悪女ってほどじゃ無くわりと人間的な感情
このあたり『項羽と劉邦 King's War』ではすごく分かり易く表現されてて面白い
それまでずっと農民で耐えて子育てしてたり人質として何度も殺されかけたりしてたのに
その間に戚夫人が劉邦に自分の子供を後継者にするように画策してたからそりゃ憎いし
どっちかと言えば戚夫人の方が性格悪い若く男に取り入るしか能が無い女ってイメージ
それまで我慢し続けてただけに劉邦が死んで権力を握った途端一気にラスボス化して死んだから
哀れと言えば哀れな人
本当の悪女とは太公望の元妻(貧乏なときは文句を言い、出世してから媚びる)というタイプだと思ってる。
張良だってこのときはまだいたし、排除しようとすればできただろうが協力した記録は一切ない。
本質的には最終版になるまで境遇から同情的だった家臣もそれなりにいたんだと思うけどな。
まさか張良が呂后につくとは、劉邦も夢にも思わなかったことでしょう。
保身の為かもしれません。しかしながら、基本は公明正大な張良。
如意や戚夫人が台頭してくるのに、思うところもあったからではとも。
呂雉が1回絡んでなかったから、漢はすぐ終わっただろうな
男の、劉邦が、優柔不断orz
りょこうさんが、影の皇帝😖💧💨でも、民衆はゴタゴタ無し!!(゜ロ゜ノ)ノ凄いや✨
呂后の父は人物眼でショウカを見抜けなかったのか?
息子が義理の弟を守る善人なので劉邦は一瞬の気の迷いで後継者の人選を間違えましたよね…
大体昔の皇帝は女や酒や財で失敗するケースほとんど(^o^;
呂后はある意味可哀想だわ劉邦のせいだわ
張良「殿は武力、教養、家柄・・・項羽に勝ってるものが無いのですよ。」
劉邦「う~ん・・・はっきり言うのう、こやつめハハハ。」
呂后「あらーうちの亭主だって何かあるはずよ。」
張良「(奥さんの質も負けてる)・・・え~と、人の忠告を聞き入れる素直さと下々への優しさがあります。」
金持ってない奴と何で結婚さしたん?