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日本海は東海では無いですよ。何故括弧表記で日本海なのか
動画主は、過去の動画から「韓国席」と思われる。
@@freeway104ありがとう。登録解除しておきました。
歴女さん、こんばんは🌉動画の配信、お疲れさま&ありがとうございます。
渤海国が926年に滅んだ後、約100年を経た1019年、日本の九州に「刀伊の入寇」がありました。「刀伊」は渤海国と同系統の民族である「女真人」とされていて、「刀伊の入寇」から更に100年後の1115年に建国した「金王朝」も女真人が建てた国だと言われています。この「渤海」、「刀伊」、「金王朝」の3者にどのような関係があるか現在は詳しくわかってないようですが、誰か解説してくださる方は居ませんでしょうか?
日本の天皇の苗字が「金」氏と言う人もいる😂
この当時、今の北陸は表日本、今の太平洋側は裏日本だったでしょうね。
昭和とは逆なんだ!
(1) メルカトル図法の地図で考えると、北満州からモンゴル、カザフ、カスピ海北部はかなり距離がありそうで、実際にはかなり近い。紀元前からこの辺りは、様々な騎馬民族の住処であり、想像以上に移動の自由さもあり、かなり発展していた。紀元前から、北満州やモンゴル高原の種族は、南下又は西行を繰り返していた。南下した部族は、中国大陸やその周辺に国を作り、中国文明や政治体制などを取り入れた。また、中国文明も彼らの影響を受けたり中華文明の継続発展を彼らに依存したことも多い。中国の歴史をみれば、北方民族の王朝が多い。隋唐の王朝も漢化した北方民族が建国した国だろう。但し、中国の歴史では彼らは蛮族であったとされそれを日本人はそのまま受け入れている。シルクロードとか云うのも、彼らにとっては昔からしていることだろう。ちなみにジンギスカンのモンゴル帝国も、メルカトル図法の地図でなく地球儀で見れば、案外納得できるし、欧州へのフン族の侵入も東から攻められた結果だろう。北満州からカスピ海北部までの中央アジアの数千年の歴史の詳細がわからないと、日本人の祖先や、朝鮮半島と九州との関係や、古代日本の歴史なども理解できないのではないか。それは、中国が語る歴史だけでは理解できない。もちろん、西欧の歴史家が語る歴史でも分からない。例えば、7〜10世紀のカザール国(カスピ海、コーカサス周辺)がユダヤ教化して、これが現在ユダヤ人の多数を占めるアシュケナージ系ユダヤ人の祖先であるが、それを語ったり研究することは西欧の歴史では禁止されている。(イスラエル建国の根拠がなくなるため)が、国家観は古代中国のものとはかなり違っていたと思う。つまり国境という概念が違う。南下した
渤海国が日本の歴史教科書に乗らない理由は、簡単に言うと2つある様に思えます。1つ目は単に詳細な歴史書が見当たらない事…もう一つは、その地理的条件にある様に思えます。ロシア、中国、朝鮮半島の三国の中間点でありその三国が各々に自国領だと主張する扱いの難しい地域だったからです…
渤海からも馬が献上されていた気もします。おいしいなら政治的ではない商業ベースの交易もあったのではとかも思います。東北(尾鮫)が馬の産地になったのは馬とともに技術も渡って来ていたのかも。
今も昔も集り国家なんですね。頻繁に朝貢して来るなって言っても、慕わずにいられない😂イミフ
名付けた古代中国官僚の知識能力には感心する。
少しだけど世界史で習ったぞ
こんにちはちょっと反論です古代の温度帯が違うと思います。過去、タクラマカンは草原地帯です。シルクロードの時代は、そのなごりが、残っています。人の移動は、そんなに困難ではなかったと言われています。そもそも、マンモスが寒冷地帯の動物との認識が間違っています。
渤海は聖武の元号が神亀から天平にかわる2年ほど前に初めて朝貢して来たのではなかったでしたっけ。で、その2年後かに長屋王の変があって長屋王が失脚、自死。藤原氏の光明子が皇后になっちゃう。政治権力が藤原氏に移る。このとき天皇がすり変えられたのではと小林惠子先生(東洋史、世界史から日本史を研究されている)は仰っている。その天皇は渤海からきた。初代聖武の兄弟の可能性。政権が変わっただけでなく、聖武の人となりも変わったように思いました。元号まで変えましたしね。
50代後半だが、高校のころ日本史でやったけどな。
全く関係ない背景をほとんど使っていて分かりにくく勘違いする方も出てくるかもしれません。コレなら背景が無いのと同じ。
渤海使は能登福浦港に来ていたと聞いた🗾
キリコの、あの灯火は、渤海使に対する道案内の灯火の可能性があります。
ボッカイ国にはなぜか郷愁を感じる。その無意識の感覚が荒れ地にマンシュウ国を作った起点かも知れない。私は原古代日本人は北と南に別れた後に極東日本に到着合流したと思うので、ツングースや呉越の原風景が脳裏によぎる事がある。
これは民族の特にしな人にある気質の問題。国としてのまとまりがないこと。
日本は全ての公教育を中高一貫にして、無駄な授業を無くして😅日本史と世界史の授業時間を増やすべきでしょう😅更にビデオ授業を増やして先生の負担を減らすべきでしょう😂
これは凄い。知りませんでした。リアル田舎者の日本。
テンの毛皮とか取引してたらしいで。
民族的にアイヌと近い人たちだったのかな?
名前は知ってるけど、興味も持てなかった😅
絵はなんとかなりませんかね
記録はともかく朝貢じゃないと思うよ 朝貢の形をとっていても形式的なものでは?という気がする 世界的に見れば渤海の方が大国かよくて互角だったでしょう たぶんどこであろうと当時の朝廷は外国が貿易を求めてきたらなんでも朝貢みたいに書いたんだと思うよ まあ個人の感想だけど
奈良時代、新羅も百済も、大和に朝貢をしておりましたから、渤海国は、確実に大和に朝貢をしておりました。今の韓国、朝鮮半島唯一つの正史、三国史記の記述を無視しております。そこには、大和は敬うべき優れた国、自分たちの上に存在するとの記述があります。このような事実を、文科省は学校教育で教えるようにするべきです。
朝貢自体が形式的なものだからね。但し、高句麗の時から日本の方が人口が3倍以上多くて動員兵力が多く軍事的に侮れないことは高句麗もよく認識していたから、烏の羽根の国書以来、機嫌を取ってでも同盟を意図していた。渤海の日本接近もその延長にあった。朝貢形式にすることで農業製品の生産性の低い緯度の高い寒冷な地域の国家としては日本からの5倍返しの返礼品はかなり魅力的だった。
日本海は東海では無いですよ。何故括弧表記で日本海なのか
動画主は、過去の動画から「韓国席」と思われる。
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歴女さん、こんばんは🌉動画の配信、お疲れさま&ありがとうございます。
渤海国が926年に滅んだ後、約100年を経た1019年、日本の九州に「刀伊の入寇」がありました。
「刀伊」は渤海国と同系統の民族である「女真人」とされていて、「刀伊の入寇」から更に100年後の1115年に建国した「金王朝」も女真人が建てた国だと言われています。
この「渤海」、「刀伊」、「金王朝」の3者にどのような関係があるか現在は詳しくわかってないようですが、誰か解説してくださる方は居ませんでしょうか?
日本の天皇の苗字が「金」氏と言う人もいる😂
この当時、今の北陸は表日本、今の太平洋側は裏日本だったでしょうね。
昭和とは逆なんだ!
(1) メルカトル図法の地図で考えると、北満州からモンゴル、カザフ、カスピ海北部はかなり距離がありそうで、実際にはかなり近い。紀元前からこの辺りは、様々な騎馬民族の住処であり、想像以上に移動の自由さもあり、かなり発展していた。紀元前から、北満州やモンゴル高原の種族は、南下又は西行を繰り返していた。南下した部族は、中国大陸やその周辺に国を作り、中国文明や政治体制などを取り入れた。また、中国文明も彼らの影響を受けたり中華文明の継続発展を彼らに依存したことも多い。中国の歴史をみれば、北方民族の王朝が多い。隋唐の王朝も漢化した北方民族が建国した国だろう。但し、中国の歴史では彼らは蛮族であったとされそれを日本人はそのまま受け入れている。シルクロードとか云うのも、彼らにとっては昔からしていることだろう。ちなみにジンギスカンのモンゴル帝国も、メルカトル図法の地図でなく地球儀で見れば、案外納得できるし、欧州へのフン族の侵入も東から攻められた結果だろう。
北満州からカスピ海北部までの中央アジアの数千年の歴史の詳細がわからないと、日本人の祖先や、朝鮮半島と九州との関係や、古代日本の歴史なども理解できないのではないか。それは、中国が語る歴史だけでは理解できない。
もちろん、西欧の歴史家が語る歴史でも分からない。例えば、7〜10世紀のカザール国(カスピ海、コーカサス周辺)がユダヤ教化して、これが現在ユダヤ人の多数を占めるアシュケナージ系ユダヤ人の祖先であるが、それを語ったり研究することは西欧の歴史では禁止されている。(イスラエル建国の根拠がなくなるため)
が、国家観は古代中国のものとはかなり違っていたと思う。つまり国境という概念が違う。南下した
渤海国が日本の歴史教科書に乗らない理由は、簡単に言うと2つある様に思えます。
1つ目は単に詳細な歴史書が見当たらない事…
もう一つは、その地理的条件にある様に思えます。ロシア、中国、朝鮮半島の三国の中間点でありその三国が各々に自国領だと主張する扱いの難しい地域だったからです…
渤海からも馬が献上されていた気もします。おいしいなら政治的ではない商業ベースの交易もあったのではとかも思います。
東北(尾鮫)が馬の産地になったのは馬とともに技術も渡って来ていたのかも。
今も昔も集り国家なんですね。頻繁に朝貢して来るなって言っても、慕わずにいられない😂イミフ
名付けた古代中国官僚の知識能力には感心する。
少しだけど世界史で習ったぞ
こんにちは
ちょっと反論です
古代の温度帯が違うと思います。
過去、タクラマカンは草原地帯です。シルクロードの時代は、そのなごりが、残っています。人の移動は、そんなに困難ではなかったと言われています。そもそも、マンモスが寒冷地帯の動物との認識が間違っています。
渤海は聖武の元号が神亀から天平にかわる2年ほど前に初めて朝貢して来たのではなかったでしたっけ。で、その2年後かに長屋王の変があって長屋王が失脚、自死。藤原氏の光明子が皇后になっちゃう。政治権力が藤原氏に移る。このとき天皇がすり変えられたのではと小林惠子先生(東洋史、世界史から日本史を研究されている)は仰っている。その天皇は渤海からきた。初代聖武の兄弟の可能性。政権が変わっただけでなく、聖武の人となりも変わったように思いました。元号まで変えましたしね。
50代後半だが、高校のころ日本史でやったけどな。
全く関係ない背景をほとんど使っていて分かりにくく勘違いする方も出てくるかもしれません。コレなら背景が無いのと同じ。
渤海使は能登福浦港に来ていたと聞いた🗾
キリコの、あの灯火は、渤海使に対する道案内の灯火の可能性があります。
ボッカイ国にはなぜか郷愁を感じる。その無意識の感覚が荒れ地にマンシュウ国を作った起点かも知れない。私は原古代日本人は北と南に別れた後に極東日本に到着合流したと思うので、ツングースや呉越の原風景が脳裏によぎる事がある。
これは民族の特にしな人にある気質の問題。国としてのまとまりがないこと。
日本は全ての公教育を中高一貫にして、無駄な授業を無くして😅日本史と世界史の授業時間を増やすべきでしょう😅更にビデオ授業を増やして先生の負担を減らすべきでしょう😂
これは凄い。知りませんでした。
リアル田舎者の日本。
テンの毛皮とか取引してたらしいで。
民族的にアイヌと近い人たちだったのかな?
名前は知ってるけど、興味も持てなかった😅
絵はなんとかなりませんかね
記録はともかく朝貢じゃないと思うよ 朝貢の形をとっていても形式的なものでは?という気がする 世界的に見れば渤海の方が大国かよくて互角だったでしょう たぶんどこであろうと当時の朝廷は外国が貿易を求めてきたらなんでも朝貢みたいに書いたんだと思うよ まあ個人の感想だけど
奈良時代、新羅も百済も、大和に朝貢をしておりましたから、
渤海国は、確実に大和に朝貢をしておりました。
今の韓国、朝鮮半島唯一つの正史、三国史記の記述を無視しております。
そこには、大和は敬うべき優れた国、自分たちの上に存在するとの記述があります。
このような事実を、文科省は学校教育で教えるようにするべきです。
朝貢自体が形式的なものだからね。但し、高句麗の時から日本の方が人口が3倍以上多くて動員兵力が多く軍事的に侮れないことは高句麗もよく認識していたから、烏の羽根の国書以来、機嫌を取ってでも同盟を意図していた。渤海の日本接近もその延長にあった。朝貢形式にすることで農業製品の生産性の低い緯度の高い寒冷な地域の国家としては日本からの5倍返しの返礼品はかなり魅力的だった。