ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
もうほんと玲司先生の仰る通りです…学校の先生達の余計な一言で子供達の可能性や楽しみが奪われてると思います。絵を描くのが楽しいと思えたらいいのです。
小学校の時に一生懸命描いて「これ、もしかしたら選ばれるかも!」と思ったのに選ばれなかった事が何度もアリ、逆に、選ばれる子達の絵に対して「何で選ばれたのか」が(嫉妬とかでなく)ポイントがわからなかった自分の絵が(大人から見て)何が良いのか悪いのか、何も言われないまま放置されて、入賞するかしないかという結果でしか自分の絵の評価を得られないだから図画工作とか美術の時間が嫌いだった。ひたすらよくわからないテーマで「自由に描け」って放り出されたり、かと思えば年齢が上がれば「目の前の物(や景色)を正確に描け」といきなり技術的な事をやらされるそれならひたすら自由帳にポケモン書いてるほうが楽しかった、と今でも思う
自由研究とか科学の実験は試行、つまり何を組んだら棚に成るのか?牛乳パックを組み合わせたらロボットに成るのか?みたいな色んな組み立てを怖がらずにやるのが、面白いので有って最初から上手い下手を言われたら面白い訳は無いですよね。けど、自由にポケモンを書いてたのが楽しいと言う気持ちは今も大事にした方が良いと思います。また絵を書くのが好きに成るかもしれません。心に踏み込む話題で失礼しました
@@デモン暁 試行したい、と、失敗なんてない、ていう「保証」「安全」が無いと子供は尻込みしちゃいますよね(ゆとり世代真っ只中だったのでわかりみ)ありがとうございます全然踏み込んでませんよ(笑)
小学生を対象とした絵のコンテストにおいては上手いか下手かよりも「テーマへの正しい理解」がされており、「子供らしい夢」のある「独自の世界観」を展開している作品かどうかで判断している可能性が高いです。その中でも特にテーマから外れたものを描いている作品や既存のキャラクター(ド○えもんやカ○ビーなど)を描いてしまっている作品はほぼ確定で入賞できないと考えて良いと思います(これは当たり前ですね)。また、「上手いか下手か」以外にも「『子供らしさ』を感じて和んだり笑顔になれるか」というのも選ぶ上で重要な事項になっているように感じます。あとは画面を広々と使えているかというのも重要ですね。どうしても賞を取りたい小学生の方がいらっしゃればこの項目を意識してみてはいかがでしょうか。
最近の小学生、習い事凄いから、普通に上手な絵を基準にすると、こどもらしさの欠片もないコンテストになるんだろうなぁ……
ホント自由に描かせるのが一番大事!ボク学校で絵が上手かったので同級生がよくアドバイス求めに来てたんだけど見ても改善点すぐ見つからないし面倒くさくなって「とてもいいと思うから、このまま自分の描きたいようにするといいよ!」ってアドバイスした子が全国で賞とってた。ボク君のおかげでいつもより楽しく描けたそのおかげだってすごく感謝された…
レイジさんのイッコ下で、レイジさんと同じ学校出て絵画教室やってる者です。すごくイイ話だなと思います。みんな天才。油絵水彩、具象抽象、マンガイラスト、なんでもかんでも、絵ってホントに素晴らしい。
幼い頃は、ただただ純粋に絵を描くことを楽しんでたなと思い出しました絵を描かなくなって結構経ちますが、久し振りにペンタブを押し入れから引っ張り出してみます
この人の考え方は好きだな少なくとも、ここに載せられてる部分は好きだ
最近ではSNSが身近になって絵に触れる機会や、絵を描き始める方々がたくさん増えたように感じていたのですが、その中でも他人からの評価に囚われている方達が多いと思いました(私もそのうちの1人です)。私も絵を描いたりするのでお話を聞いて、楽しく描くという大事な事を忘れていたなぁと思い、コメントを残してみることにしました。上手い方と比べて落ち込んだりすることもありましたが、比較することより何を表現したいかを考えながら楽しく描き続けようと思います。初心に帰ることも大切ですね。ありがとうございました!
学生時代、美術の授業の課題で絵の具で着彩していて周りのクラスメートに「すごい!」「きれい!」「上手!」とチヤホヤされていたら、背後からいきなり「バカヤロウ!」と担当教諭に頭を殴られ、泣いて教室を飛び出した事がありますが、クラスメートから受け入れて貰えていたおかげか、今も絵を描いてます。褒めて貰う、素晴らしいと思ったら自分も褒めるって大切だなって本当に思います。
えっ…なんで殴られたんですかね…!!?
@@やくざの旅がらす それきり口きいてないのでわからず仕舞いです...聞いておけばよかったですね...(苦笑)
アーティスト表現者と職人目指す選択によって教育法も変わるしかし子供の頃はいかにモチベーションを上げていくかこの気持ちの部分を作ってあげることそこだけでいいと思う子供の強い感受性は、大人の何気ない言葉の使い方で毒にもなるし、大きな力にもなる才能があるのに教師の一言でやる気を失って導入部分のそこで全てが断たれてしまっては何にもならない
精神面が崩れたら技術云々以前に何もできなくなるよな…モチベーションを保つか崩れにくくするのってマジで大事だと思う。
玲司のおっしゃる通りかと。小学のある学年で社会科の付属教科書にあきらかに素材感が他の教科書と違う立派な紙に印刷された地図帳が配布された。絵心すらないガキの俺はそれだけでテンションぶち上がって日本地図を模写した。教科書の日本地図には韓国やロシアの一部が入っていてそこも描いた、だが世界地図を見ると見るとその続きが描ける。落書き帳の範囲をテープで貼り増やして世界地図を書き始めた。母親は褒めてくれるが働いていたから寝るように進める、あと少しだけさせて?10分だけだよと言って1時間やる毎日。それが完成して学校に持って行ったら教室の後ろの壁にドーンと1年張り出してくれてクラスのみんなも先生もすげえすげえ言ってくれた。そこから絵を描き始めて結果イラストレータになった。地図の模写とか絵ですらないからね。そんなことですら子供には人生左右の重大なキッカケになってしまう。
小学生の頃、あじさいを写生するという授業がありました。みんなアジサイの花弁を一個一個書いていたのに対して、私は部分によっては塊のようにして描いてました。自分なりによくできたと思っていたら、先生には手抜きとみなされたのか皆と同じように一個一個丁寧にかきなさいと言われてしまいました。いまの自分が当時の状況を見ていたとしたなら先生に「いや先生ね、こういう描き方もあるよ」と言っていると思いますね。ただ、今の自分より当時の先生は若かったですし、絵の専門というわけでもないので、多分に未熟があるのもしょうがないのかなとも考えてはいます。
全体的に描くのマジで大事ですよね…デッサンにしろ絵画にしろ漫画にしろ彫刻にしろデザインにしろ全体のバランスを見て進めなさいというのを美術系の人は大抵言ってる気がします。
@@KANIKAMA5353 例えば論文系なんか見る時に注意したいことなんですけど、調査の結果をどこまで一般化していいものか?っというのがあります。アジサイの事例ではどちらの描き方も、それが絶対に正しいと一般化できる事ではないんですよね。
多分その先生は理科のスケッチのつもりだったんでしょうね。場合によっては全体の概形やバランスを見る力が必要になるときもあるし、場合によっては細部の個数や位置関係を見る力が必要になるときもあり、どちらが不正解なんてことはないということをその先生が理解してくださったらいいな。
@@T_A_K_O_ そうですね。何を目的としているのか? というのも確かに考慮する所ですね。図鑑の場合等、細部をちゃんと描く描き方たが求められるでしょう。
子供自身が(大人になっても)絵の良さがわからないので、ともすると写実的だったりパースがとれてたりする絵を評価しがち。漫画なんかでもデフォルメの効いた絵柄よりも、いかにも青年誌的な(大友のフォロアーみたいな)絵柄を評価しがちなんだけど、実は違うんだってことが通じない。「じゃお前描けるのかよ」とか問題のすり替えされがち
ぼんやり感じてた事を論理的にバチッと言ってくれてる…
山田先生は話が面白い。ほんと伝えるプロだなって思います。いつもあっという間に動画見終わってしまう。
絵に正解があるとすれば、自分の脳内のイメージだけですね。なかなか自分で納得いくのって描けないです😅
保育園でびっくりしました。大きな画用紙に【桜の絵】を描いたものが廊下に飾ってあったのですが…(大きい画用紙には、大きく描くように教えたそうです。)同じ作者なの⁉︎と思うくらい誰の絵も、みんな同じ色同じ大きさでした。幼児なのにな… 違和感を感じました。大きく描けてますし素敵で喜ばしいのでしょうけど私はなぜか悲しく思ってしまいました。褒めなきゃいけなかったのに「みんなおんなじ絵だったね」と子供に言ってしまいました。絵の話ではないですが、先生は「クラスの一体感が出てきました!」と嬉しそうに仰っていて… (小学校を意識してるようです)先生も大変だろうけど、アートな部分だけは自由であって欲しいと思ってしまいました。
画家やってるワイのおとんも「自分に自信がないからお前の絵はそんなちっさくなるんや!」ってしょっちゅう言ってるなあ。それで自信が無くなったってのは秘密やけど。
最近ai絵が出てきてくそがっって思ってたけどよくよく考えれば私はデフォルメしてリアルとはかけ離れた描き方してたのでむしろチャンスだと思うようになりました。
私は小学生の時下書きの段階で凄くダメ出しされて色塗りまで到達できずに絵を完成させた事なくて、通知表に計画性がないとか書かれてた。中学、高校にらなって美術が専門の先生になってからはダメ出しされなくなり(技術的なアドバイスはあった)後半のがなかったら人の絵を見るのさえコンプレックスになり嫌いになっていたと思う。
絵は異次元、世界を人に感じさせる事が出来るかのかが問題だと思います!
描けないくらい悩むのを褒めるのいいですね!昔、絵の教室に入りました。私は苦しんで描くのが大好きなのに、わきあいあいしてる周りの空気を微妙にしてしまうから色々遠慮するようになって、めんどくさくなってやめました。今は1人で描いてます。
言霊って有りますからね。同じ事を書きますが、出来ないと言われたりダメと言われたら本当に最初からやらずに出来なく成ってしまう。ピカソや古来の画家でさえ独特の絵を書くのだから、最初から最後まで自由に書いて良い筈
人生について描こうとすると結構難しいけど面白かった
凄くわかります!楽しそうにって大切ですね😊
絵の相談をされたときに「上手さじゃなくて表現力だよ」って一丁前にアドバイスしたことがありました相手は納得してくれましたが。幼い子が描く絵の表現力は純粋で尊敬できるところがありますね
正解はない褒められることがエネルギーとなる
「絵に正解なんかない」が真理
将来、学校の先生を目指しているので、とても参考になりました。
家族が「プレバト」見てるとチャンネル変えたくなる。初見でチャレンジした力作に才能の有無を判定された上に先生が後出しで描き直したやつ見せつけるっていうアレ。
ありがとうございます
小さい絵より大きい絵の方がいい、というのも固定観念じゃないか?小さくまとまった絵が増えたというのは、スマホとか携帯ゲームの影響がすごく大きいと思う 後日本の子供たちの多くはいわゆる絵画作品じゃなく漫画やイラストから絵を学んでいるので、そもそもフォーマットが小さい絵になってしまってるんだと思う大きいか小さいかではなく、その人の表現に適った作品のサイズ感というものが必ずあるはずなので、教師はそれを(本人が)気付く手助けをする、と考えるのが良いのではないか
同じ事思いました、だんだんコンパクトになっている気がしますが画用紙からはみ出る子がほんとに一人もいないんだとしたら、やっぱり周りをみて小さく描いちゃってるのかなとか色々思いました!
スマホ…確かにそれもあるかもしれません。あと、プリントの端っこに落書きをいっぱいしてる人に限ってそうなりやすい気がします。というか中3〜高2くらいの頃の自分がまさにそうでした。プリントの端や一部分だと、正しい「画面の大きさ」が曖昧になっているため画面のサイズに対する認識がバグった状態になります。この状態に慣れてしまうと白紙にいざ描くとなっても正しい画面の大きさが認識できなくなり構図もクソもなくなって絵が小さくなってしまうのではないでしょうか。こうして「落書きなら上手く描けるのにな」現象が発生するのではないかと思います。だから落書きは端っこに小さく描いちゃダメ!描くなら画面の大きさをしっかり決めるかプリント一杯に‼︎
めちゃくちゃ良い事言うなぁ
バガボンドとかマジで精神描いてる感じよな。軽く自己啓発本みたいな感じあるし。
玲司先生の言ってる事はとても納得できた。でも別に同調する必要もないし、正解も無いと思うしね もっといい加減でちゃらんぽらんで良いんじゃないんかねー コメント欄がなんかみんな心に余裕無い人間が多い印象 絵って自由なんだ、と言ってるのに何か正解や正しさ求める・玲司先生を礼賛する事に余念がない系の人も多いってのがいささか寂しい話
@@しょー-m9m 心に余裕がない~wwwお前が言ぅ~?🤣他の所で他人様のコメに噛み付きまくっててブーメランが酷いw
そういえば、数学でも和算では無く訳の判らない文字式が氾濫していますよね。(例えば、推理式指導算術が使われない事とか)
俺のばあちゃんの話や(:3_ヽ)_教員になる時にピアノの試験があって楽しんで弾けないから子供に教育なんてできないって言って教員諦めたって言ってた。なお、弾けなかったわけではない模様
学生時代の自分にこの動画見せてあげたい。私は間違いなく失敗作です。周囲の大人達にお前は耳を塞いでる、言う事を聞けと言われ、結果的に創作意欲すら失ってしまいました。苦しい。
今からでもやってみてはいかがでしょうか。苦しいのならその苦しみを絵にするとか。私事になりますが齢50を越えて少しずつ絵の世界に復帰しつつあります。
そのとおりですね!
最近るろ剣の追憶篇ova のアニメ画風を「なんか嫌い」とかキッズがコメしてて悲しくなった。そりゃあ好みはそれぞれだろうけど、この子はひょっとしたら最近の萌え絵とかばかり見てるから、昔の絵の魅力を一言で「嫌い」って吐き捨てちゃうのかなと。そう思うと画風が量産型で個性がなくなりつつあるのが少し寂しいです。
自分は漫画の専門学校に行ってあれ駄目これ駄目言われて拗らせて卒業したなと思う。
というか、園児の頃は好きに描かせてもらってたのに、義務教育(特に入学してすぐの低学年の頃)に「人間の顔の大きさは拳一つ分で描きましょう」という指導が娘にされてて落胆した。夏休み宿題等で、ポスター描かされるのもなんだけどそういう時だけ「文字を入れます。こういうふうに書くとキレイに書けます」でいいくらい。そもそも社会に出たらポスターなんてデジタルテキストばかりだし。。。義務教育では発見すること、描く楽しさ(大きさ関係なく)を味わえる時間にしてほしい。技術や技法は、専門学校、高校以上でやればよい。
“丁寧なプリミティブ”のおそろしいまでの個性と可能性を忘れがち。それが人間の習慣意識。時々“アール・ブリュット”でサグって‥アール・ブリュットの絵や造形を観てみるのも‥意識のめざめ‥その一つの方法でもあると思う。あと思うのは殆どの人はデッサンは練習するけど‥ドローイングの練習はしない。
グラフィックのデザイナーなのですが、美術は3か2でした。思い出すとムカつきますが、夏休みに宿題の絵:一本の電柱と曇り空で、上の大部分を占める白を塗らないまま、を提出したら美術の先生から突き返されました。絵の一部を塗らない手抜きだと。画用紙そのままのくすんだ白が丁度良いと思ったから残したままでしたが、その意図を汲んではいただけなかったですね。のち大学で教員免許をとるのですが、学校の先生が見ている視点は、どれだけ対象を捉えた表現が緻密/正確かなのですよね。表現は自由で良いけれど、評価の枠組みから外れたものを評価できない。美術に点数が必要かと問われれば、必要ないでしょうが、教科としてある以上、何かの指標に基づいた点数づけが必要なのです。仕事のクリエイティブに関して、指導したり、ディレクションする際、絵を作るよりも、何故アウトプットである絵の表現に辿り着いたかを説明できない人が多いです。なんかこうなっちゃたとか、感覚的です。お前は職人ではなく、デザイナーだから発注主である絵(表現)がわからない人への説明ができないのが問題だぞ、と。学校教育で教えるなら、絵の自由な表現は横に置いておいて、構造とか色が持つコード(意味)とか、教えていただきたいですね。その方が今後生きる上で役立つデザインの作法(事務方が作るプレゼン資料の分かりやすさとか、コンテンツを作る上での体系だったメソッド)が身につきます。自由に絵を描くのは授業じゃなくて、休み時間の自由帳に描けばいい。その方がどれだけ絵を描くのが楽しいか。大人に測られることなく、同級生同士で絵の見せ合いっこして、あの子あんなに上手い!なんか面白い!という小さな炎をたぎらせて、何冊も自由帳に絵を描きまくることの方が大事だと思います。
泣いた
専門学校の先生が褒めない人だったなぁ。で、本人が居ない裏で褒める。本人が居る場ではお前はあんまり成長しないよねって言う。完全に間違ってるよなこれって今では思う。
いいこと言うなあ
小説にも当てはまるんかね
日本中の全部の学校にこの先生を置きたい😢
絵ってそういえばそう言うものかもキャラの描き方ばっかり追っていて自分で表現しようなんて思ったこともなかった。なんか天啓受けた気分。
絵と漫画と一緒にされていますが、私は漫画はイラスト、また絵とは違う分野だと思ってます。まず、漫画の魅力は絵よりもお話ではないのか?と思うのです。何しろ、絵はイラストではない。その違いは何回も塗りたくる挙句が絵ですが、イラストは輪郭描いて、もし、やり直すなら輪郭描いて、で、塗り込めたら漫画にもイラストにもならんでしょ。でも、絵は塗り込めて、塗り剥がして、塗り上げて、で、描くのです。それができるのがスケールが大きいと言います。
山田玲司さん,雅楽奏者の有名なあの人に似てる・・
頭はヴァイオリニスト
7:14美大「見たまま描け」やめたわ
子どもの時ユリの絵に黒輪郭入れたら全部消せ言われて絵書くのやめた
これは学校で美術入る前に義務で観るレベル
小学生の頃に絵を毎回ダメ出しされた結果、絵を描こうとすると体が竦む様になってしまった。人間を潰す事においては学校教育は天才的だ。
出る杭は打たれる日本ではみ出すのは怖い
学校教育では答えじゃなくて方法を教えてほしいですね。何をどう描くべきかは自由にして、技術だけを伝える。練習のためにこれを描け、というのはいいけど、それとは別に自由に描いていい時間を作って、そこで提出されたものはちゃんと褒める。
何をやっても良いというなら、小さい絵でも良いのでは?はみ出した絵を褒めたら、はみ出すことが正解って言ってることになるから、いちいち干渉するなって話かも。知らんけど。
これって「大きくてはみだした絵が正解」と言っているのと同じ小さい絵が好きな人だっているだろうし、小さくてすばらしい絵を描く芸術家だっている絵で教えることができるのは技術面だけだよ。その技術教育にきちんと乗っかって良い絵を描く人もいるし、そこに反発してめちゃくちゃな絵を描く人も出てくるそれでどっちも正解なんだから。美術教育は今のままでいい。てゆうか美術の教育法にも正解なんてない
「自分が意図したサイズで描けるか」というのは表現の幅にめちゃくちゃ影響するので、本気で美術をやるにはこの上なく大事な「技術」だと思います。ただし義務教育における図工や美術は体育と同じように健全な心身の育成や他者との交流、一般教養としてどんな種類の表現方法があるのか知るという側面の方が大きいように感じるので「教育としての美術の授業」ではむしろ技術は些細な問題に感じます(その上で技術を高めたい人は美術部に入ったり美大を目指したり独学で創作活動をするわけです)。また、「ちゃんと話を聞いて課題に沿ったものを作れるか」「考えた事やものを他者に正しく伝える事ができるか」「見る側の人の目線と自分の目線の違いを認識できるかどうか」など社会において重要な力を育てる役割も美術の授業にはあるでしょうから「教育における美術に正解はない」というのは少し違うなと自分は思っています。
@@KANIKAMA5353 丁寧な返信ありがとうございます。「ちゃんと話を聞いて課題に沿ったものを作れるか」「考えた事やものを他者に正しく伝える事ができるか」「見る側の人の目線と自分の目線の違いを認識できるかどうか」このあたりの考えは私は広い意味での技術だととらえています。山田氏の雑な論はこのあたりを否定しているように感じましたので。私の論も雑ですが、山田氏の論に対応したためそうなっています。さらに雑な論を続けると「自由に描く」という美術教育は「こういう風に描けばほめられるという、大人に媚びた絵」や「手抜き」を増やすと思います
@@レンガドミノ 山田氏やあなたのおっしゃる事100%理解していますが、わかりやすくするためあえて極論します。「楽しさを教える」というのは言ってみれば趣味の範疇で、それは学校で教えるべきものか?各自が勝手に追求することではないか?私が絵を描いていたのは完全に私の自由意志で学校教育は全く関係ありません。あと学校が許容できる自由などたかが知れていて、私などはその「制限付きの自由」など馬鹿にしていました。先生が眉をひそめ顔面蒼白になるようなインモラルな絵でも自由だ素晴らしいと言って褒め称えるのでしょうか?学校で教えられる自由など、ここまではokこれ以上はNGという社会規範を教える事にすぎず、それは自由を装った絵を描くための表現「技術」です。さらに別の角度からの反論としては、多くの人は描きたい絵が頭の中にあってもそれを描くことができない事で絵を描く事が楽しくない。描きたいものを描く技術がないのです。そういう人に自由に書かせても単にデタラメなだけのものが出来上がるだけで本人にとっても不本意なものになります。頭の中は自由でも手が不自由でその自由を表現できない状態です。例えば写生する際に下書きとか補助線を入れるという技術を導入すると革命的に絵が進歩します。(これが出来なくて絵が描けない人は大人でもたくさんいます)写生が上手くなると、頭の中にあるイメージも紙の上に写しとることが出来るようになり、絵を描くことがものすごく楽しくなります。楽しくなるとさらに技術を習得したくなり、そうやって自分が思い描いた絵が描けるようになって、そこで初めて「思いのままに」「自由に」絵が描けるようになるのです。私は美術教育を「感性の教育」だとは思っていません。感性を教育できるなんて考えるのは傲慢です。美術教育は技術教育でいい。そういう美術教育には、描く対象の構造を理解する、描く手順を考える(アルゴリズムを作る)という言葉によらない論理思考の訓練、なぜそう見えるのか?世界はどうなっているのか?とか(私は、影って何なのか?遠くの自動車はなぜゆっくり動くのか?というようなことをいっぱい考えていました)そういった好奇心科学的思考の芽生え、ちゃんと完成させる根気を養うことなどに非常に役立ちます。そのおかげで私はずいぶん地頭が良くなったと思っています。以上、美術教育は技術教育でいいという私の持論を少し詳しく書かせていただきました。とはいえ上にも書いた通りこれは極論です。実際には小学生低学年までは自由に描かせるのもアリかなとは思いますが。(しかし私は絵を描くことで幼少期から科学的思考の芽生えがあったように思えます。上に書いたような単に絵を描くこと以上教育効果がある事を認識した上での幼少期からの美術教育はあって然るべきだと思います)中学年以上になると「自由に描く=手抜き」になりがちだと思います。
@@レンガドミノ 何かを好きになるのは各自が勝手にそうなるだけで、好きにさせるための教育てのは変ですよ。私は個人の好き嫌いに教育が介入するのは嫌ですけどね。あと技術と言っても別に小難しいことじゃないですよ。「青と黄色を混ぜれば緑になりますよ。面白いでしょ」というレベルも技術です。絵を描くことを面白く楽しくさせるための技術教育です。
絵が好きでも嫌いでも、どうでもいいけど、絵も文章と同じ「伝える」ためのツール。もっと人に伝わるようなものをと考えると、技術が必要。文章が下手な人には文章養成講座へ通うように、絵(デザインにおける記号やアイコン、構造)を学ぶ場所が、なぜか教育現場にない。美大へ行って自由に表現するのは勝手だがが、世の中言葉だけでは伝えられないものも多いから、絵に関しても教える機関があればいい。アーティスト教育ではなく、伝えるための絵作りが万人に必要。
美術の教師がここはいいけどここは駄目だねーとかめっちゃ言ってきて腹立った記憶何ジャッジしてんたてめーって
自分の好みでない絵柄以外は、下手。
しかし下手くそなマッチ棒人間しか描けないレベルな人の漫画ではプロ雑誌の連載に採用されない。絵で食うには、鑑賞に耐えられる程度以上の技術やセンスはどうしても求められる。
サイズは関係ないだろ
もうほんと玲司先生の仰る通りです…
学校の先生達の余計な一言で子供達の可能性や楽しみが奪われてると思います。
絵を描くのが楽しいと思えたらいいのです。
小学校の時に一生懸命描いて「これ、もしかしたら選ばれるかも!」と思ったのに選ばれなかった事が何度もアリ、逆に、選ばれる子達の絵に対して「何で選ばれたのか」が(嫉妬とかでなく)ポイントがわからなかった
自分の絵が(大人から見て)何が良いのか悪いのか、何も言われないまま放置されて、入賞するかしないかという結果でしか自分の絵の評価を得られない
だから図画工作とか美術の時間が嫌いだった。ひたすらよくわからないテーマで「自由に描け」って放り出されたり、かと思えば年齢が上がれば「目の前の物(や景色)を正確に描け」といきなり技術的な事をやらされる
それならひたすら自由帳にポケモン書いてるほうが楽しかった、と今でも思う
自由研究とか科学の実験は試行、つまり何を組んだら棚に成るのか?牛乳パックを組み合わせたらロボットに成るのか?みたいな色んな組み立てを怖がらずにやるのが、面白いので有って最初から上手い下手を言われたら面白い訳は無いですよね。
けど、自由にポケモンを書いてたのが楽しいと言う気持ちは今も大事にした方が良いと思います。また絵を書くのが好きに成るかもしれません。
心に踏み込む話題で失礼しました
@@デモン暁 試行したい、と、失敗なんてない、ていう「保証」「安全」が無いと子供は尻込みしちゃいますよね(ゆとり世代真っ只中だったのでわかりみ)
ありがとうございます
全然踏み込んでませんよ(笑)
小学生を対象とした絵のコンテストにおいては上手いか下手かよりも「テーマへの正しい理解」がされており、「子供らしい夢」のある「独自の世界観」を展開している作品かどうかで判断している可能性が高いです。その中でも特にテーマから外れたものを描いている作品や既存のキャラクター(ド○えもんやカ○ビーなど)を描いてしまっている作品はほぼ確定で入賞できないと考えて良いと思います(これは当たり前ですね)。また、「上手いか下手か」以外にも「『子供らしさ』を感じて和んだり笑顔になれるか」というのも選ぶ上で重要な事項になっているように感じます。あとは画面を広々と使えているかというのも重要ですね。どうしても賞を取りたい小学生の方がいらっしゃればこの項目を意識してみてはいかがでしょうか。
最近の小学生、習い事凄いから、普通に上手な絵を基準にすると、こどもらしさの欠片もないコンテストになるんだろうなぁ……
ホント自由に描かせるのが一番大事!ボク学校で絵が上手かったので同級生がよくアドバイス求めに来てたんだけど
見ても改善点すぐ見つからないし面倒くさくなって「とてもいいと思うから、このまま自分の描きたいようにするといいよ!」
ってアドバイスした子が全国で賞とってた。ボク君のおかげでいつもより楽しく描けたそのおかげだってすごく感謝された…
レイジさんのイッコ下で、レイジさんと同じ学校出て絵画教室やってる者です。すごくイイ話だなと思います。みんな天才。
油絵水彩、具象抽象、マンガイラスト、なんでもかんでも、絵ってホントに素晴らしい。
幼い頃は、ただただ純粋に絵を描くことを楽しんでたなと思い出しました
絵を描かなくなって結構経ちますが、久し振りにペンタブを押し入れから引っ張り出してみます
この人の考え方は好きだな
少なくとも、ここに載せられてる部分は好きだ
最近ではSNSが身近になって絵に触れる機会や、絵を描き始める方々がたくさん増えたように感じていたのですが、その中でも他人からの評価に囚われている方達が多いと思いました(私もそのうちの1人です)。
私も絵を描いたりするのでお話を聞いて、楽しく描くという大事な事を忘れていたなぁと思い、コメントを残してみることにしました。上手い方と比べて落ち込んだりすることもありましたが、比較することより何を表現したいかを考えながら楽しく描き続けようと思います。初心に帰ることも大切ですね。ありがとうございました!
学生時代、美術の授業の課題で絵の具で着彩していて周りのクラスメートに「すごい!」「きれい!」「上手!」とチヤホヤされていたら、背後からいきなり「バカヤロウ!」と担当教諭に頭を殴られ、泣いて教室を飛び出した事がありますが、クラスメートから受け入れて貰えていたおかげか、今も絵を描いてます。
褒めて貰う、素晴らしいと思ったら自分も褒めるって大切だなって本当に思います。
えっ…なんで殴られたんですかね…!!?
@@やくざの旅がらす それきり口きいてないのでわからず仕舞いです...聞いておけばよかったですね...(苦笑)
アーティスト表現者と
職人
目指す選択によって教育法も変わる
しかし子供の頃は
いかにモチベーションを上げていくか
この気持ちの部分を作ってあげること
そこだけでいいと思う
子供の強い感受性は、大人の何気ない言葉の使い方で毒にもなるし、大きな力にもなる
才能があるのに教師の一言でやる気を失って導入部分のそこで全てが断たれてしまっては何にもならない
精神面が崩れたら技術云々以前に何もできなくなるよな…モチベーションを保つか崩れにくくするのってマジで大事だと思う。
玲司のおっしゃる通りかと。小学のある学年で社会科の付属教科書にあきらかに素材感が他の教科書と違う立派な紙に印刷された地図帳が配布された。絵心すらないガキの俺はそれだけでテンションぶち上がって日本地図を模写した。教科書の日本地図には韓国やロシアの一部が入っていてそこも描いた、だが世界地図を見ると見るとその続きが描ける。落書き帳の範囲をテープで貼り増やして世界地図を書き始めた。母親は褒めてくれるが働いていたから寝るように進める、あと少しだけさせて?10分だけだよと言って1時間やる毎日。それが完成して学校に持って行ったら教室の後ろの壁にドーンと1年張り出してくれてクラスのみんなも先生もすげえすげえ言ってくれた。そこから絵を描き始めて結果イラストレータになった。地図の模写とか絵ですらないからね。そんなことですら子供には人生左右の重大なキッカケになってしまう。
小学生の頃、あじさいを写生するという授業がありました。
みんなアジサイの花弁を一個一個書いていたのに対して、私は部分によっては塊のようにして描いてました。
自分なりによくできたと思っていたら、先生には手抜きとみなされたのか皆と同じように一個一個丁寧にかきなさいと言われてしまいました。
いまの自分が当時の状況を見ていたとしたなら先生に「いや先生ね、こういう描き方もあるよ」と言っていると思いますね。
ただ、今の自分より当時の先生は若かったですし、絵の専門というわけでもないので、多分に未熟があるのもしょうがないのかなとも考えてはいます。
全体的に描くのマジで大事ですよね…デッサンにしろ絵画にしろ漫画にしろ彫刻にしろデザインにしろ全体のバランスを見て進めなさいというのを美術系の人は大抵言ってる気がします。
@@KANIKAMA5353 例えば論文系なんか見る時に注意したいことなんですけど、調査の結果をどこまで一般化していいものか?っというのがあります。
アジサイの事例ではどちらの描き方も、それが絶対に正しいと一般化できる事ではないんですよね。
多分その先生は理科のスケッチのつもりだったんでしょうね。
場合によっては全体の概形やバランスを見る力が必要になるときもあるし、場合によっては細部の個数や位置関係を見る力が必要になるときもあり、どちらが不正解なんてことはないということをその先生が理解してくださったらいいな。
@@T_A_K_O_ そうですね。何を目的としているのか? というのも確かに考慮する所ですね。
図鑑の場合等、細部をちゃんと描く描き方たが求められるでしょう。
子供自身が(大人になっても)絵の良さがわからないので、ともすると写実的だったりパースがとれてたりする絵を評価しがち。漫画なんかでもデフォルメの効いた絵柄よりも、いかにも青年誌的な(大友のフォロアーみたいな)絵柄を評価しがちなんだけど、実は違うんだってことが通じない。「じゃお前描けるのかよ」とか問題のすり替えされがち
ぼんやり感じてた事を論理的にバチッと言ってくれてる…
山田先生は話が面白い。ほんと伝えるプロだなって思います。いつもあっという間に動画見終わってしまう。
絵に正解があるとすれば、自分の脳内のイメージだけですね。
なかなか自分で納得いくのって描けないです😅
保育園でびっくりしました。
大きな画用紙に【桜の絵】を描いたものが
廊下に飾ってあったのですが…
(大きい画用紙には、大きく描くように教えたそうです。)
同じ作者なの⁉︎と思うくらい誰の絵も、みんな同じ色
同じ大きさでした。
幼児なのにな… 違和感を感じました。
大きく描けてますし
素敵で喜ばしいのでしょうけど
私はなぜか悲しく思ってしまいました。
褒めなきゃいけなかったのに
「みんなおんなじ絵だったね」と子供に言ってしまいました。
絵の話ではないですが、
先生は「クラスの一体感が出てきました!」と嬉しそうに仰っていて…
(小学校を意識してるようです)
先生も大変だろうけど、
アートな部分だけは自由であって欲しいと思ってしまいました。
画家やってるワイのおとんも「自分に自信がないからお前の絵はそんなちっさくなるんや!」ってしょっちゅう言ってるなあ。それで自信が無くなったってのは秘密やけど。
最近ai絵が出てきてくそがっって思ってたけどよくよく考えれば私はデフォルメしてリアルとはかけ離れた描き方してたのでむしろチャンスだと思うようになりました。
私は小学生の時下書きの段階で凄くダメ出しされて色塗りまで到達できずに絵を完成させた事なくて、通知表に計画性がないとか書かれてた。
中学、高校にらなって美術が専門の先生になってからはダメ出しされなくなり(技術的なアドバイスはあった)後半のがなかったら人の絵を見るのさえコンプレックスになり嫌いになっていたと思う。
絵は異次元、世界を人に感じさせる事が出来るかのかが問題だと思います!
描けないくらい悩むのを褒めるのいいですね!
昔、絵の教室に入りました。私は苦しんで描くのが大好きなのに、わきあいあいしてる周りの空気を微妙にしてしまうから色々遠慮するようになって、めんどくさくなってやめました。今は1人で描いてます。
言霊って有りますからね。同じ事を書きますが、出来ないと言われたりダメと言われたら本当に最初からやらずに出来なく成ってしまう。ピカソや古来の画家でさえ独特の絵を書くのだから、最初から最後まで自由に書いて良い筈
人生について描こうとすると
結構難しいけど面白かった
凄くわかります!楽しそうにって大切ですね😊
絵の相談をされたときに
「上手さじゃなくて表現力だよ」
って一丁前にアドバイスしたことがありました
相手は納得してくれましたが。
幼い子が描く絵の表現力は純粋で尊敬できるところがありますね
正解はない
褒められることがエネルギーとなる
「絵に正解なんかない」が真理
将来、学校の先生を目指しているので、とても参考になりました。
家族が「プレバト」見てるとチャンネル変えたくなる。初見でチャレンジした力作に才能の有無を判定された上に先生が後出しで描き直したやつ見せつけるっていうアレ。
ありがとうございます
小さい絵より大きい絵の方がいい、というのも固定観念じゃないか?
小さくまとまった絵が増えたというのは、スマホとか携帯ゲームの影響がすごく大きいと思う 後日本の子供たちの多くはいわゆる絵画作品じゃなく漫画やイラストから絵を学んでいるので、そもそもフォーマットが小さい絵になってしまってるんだと思う
大きいか小さいかではなく、その人の表現に適った作品のサイズ感というものが必ずあるはずなので、教師はそれを(本人が)気付く手助けをする、と考えるのが良いのではないか
同じ事思いました、だんだんコンパクトになっている気がしますが画用紙からはみ出る子がほんとに一人もいないんだとしたら、やっぱり周りをみて小さく描いちゃってるのかなとか色々思いました!
スマホ…確かにそれもあるかもしれません。あと、プリントの端っこに落書きをいっぱいしてる人に限ってそうなりやすい気がします。というか中3〜高2くらいの頃の自分がまさにそうでした。プリントの端や一部分だと、正しい「画面の大きさ」が曖昧になっているため画面のサイズに対する認識がバグった状態になります。この状態に慣れてしまうと白紙にいざ描くとなっても正しい画面の大きさが認識できなくなり構図もクソもなくなって絵が小さくなってしまうのではないでしょうか。こうして「落書きなら上手く描けるのにな」現象が発生するのではないかと思います。だから落書きは端っこに小さく描いちゃダメ!描くなら画面の大きさをしっかり決めるかプリント一杯に‼︎
めちゃくちゃ良い事言うなぁ
バガボンドとかマジで精神描いてる感じよな。
軽く自己啓発本みたいな感じあるし。
玲司先生の言ってる事はとても納得できた。でも別に同調する必要もないし、正解も無いと思うしね もっといい加減でちゃらんぽらんで良いんじゃないんかねー コメント欄がなんかみんな心に余裕無い人間が多い印象 絵って自由なんだ、と言ってるのに何か正解や正しさ求める・玲司先生を礼賛する事に余念がない系の人も多いってのがいささか寂しい話
@@しょー-m9m
心に余裕がない~www
お前が言ぅ~?🤣
他の所で他人様のコメに噛み付きまくっててブーメランが酷いw
そういえば、数学でも和算では無く訳の判らない文字式が氾濫していますよね。(例えば、推理式指導算術が使われない事とか)
俺のばあちゃんの話や(:3_ヽ)_
教員になる時にピアノの試験があって楽しんで弾けないから子供に教育なんてできないって言って教員諦めたって言ってた。なお、弾けなかったわけではない模様
学生時代の自分にこの動画見せてあげたい。
私は間違いなく失敗作です。
周囲の大人達にお前は耳を塞いでる、言う事を聞けと言われ、結果的に創作意欲すら失ってしまいました。苦しい。
今からでもやってみてはいかがでしょうか。苦しいのならその苦しみを絵にするとか。
私事になりますが齢50を越えて少しずつ絵の世界に復帰しつつあります。
そのとおりですね!
最近るろ剣の追憶篇ova のアニメ画風を「なんか嫌い」とかキッズがコメしてて悲しくなった。そりゃあ好みはそれぞれだろうけど、この子はひょっとしたら最近の萌え絵とかばかり見てるから、昔の絵の魅力を一言で「嫌い」って吐き捨てちゃうのかなと。そう思うと画風が量産型で個性がなくなりつつあるのが少し寂しいです。
自分は漫画の専門学校に行ってあれ駄目これ駄目言われて拗らせて卒業したなと思う。
というか、園児の頃は好きに描かせてもらってたのに、義務教育(特に入学してすぐの低学年の頃)に「人間の顔の大きさは拳一つ分で描きましょう」という指導が娘にされてて落胆した。
夏休み宿題等で、ポスター描かされるのもなんだけどそういう時だけ「文字を入れます。こういうふうに書くとキレイに書けます」でいいくらい。そもそも社会に出たらポスターなんてデジタルテキストばかりだし。。。
義務教育では発見すること、描く楽しさ(大きさ関係なく)を味わえる時間にしてほしい。
技術や技法は、専門学校、高校以上でやればよい。
“丁寧なプリミティブ”のおそろしいまでの個性と可能性を忘れがち。それが人間の習慣意識。
時々“アール・ブリュット”でサグって‥アール・ブリュットの絵や造形を観てみるのも‥意識のめざめ‥その一つの方法でもあると思う。
あと思うのは殆どの人はデッサンは練習するけど‥
ドローイングの練習はしない。
グラフィックのデザイナーなのですが、美術は3か2でした。
思い出すとムカつきますが、夏休みに宿題の絵:一本の電柱と曇り空で、上の大部分を占める白を塗らないまま、を提出したら美術の先生から突き返されました。
絵の一部を塗らない手抜きだと。
画用紙そのままのくすんだ白が丁度良いと思ったから残したままでしたが、その意図を汲んではいただけなかったですね。
のち大学で教員免許をとるのですが、学校の先生が見ている視点は、どれだけ対象を捉えた表現が緻密/正確かなのですよね。表現は自由で良いけれど、評価の枠組みから外れたものを評価できない。
美術に点数が必要かと問われれば、必要ないでしょうが、教科としてある以上、何かの指標に基づいた点数づけが必要なのです。
仕事のクリエイティブに関して、指導したり、ディレクションする際、絵を作るよりも、何故アウトプットである絵の表現に辿り着いたかを説明できない人が多いです。
なんかこうなっちゃたとか、感覚的です。お前は職人ではなく、デザイナーだから発注主である絵(表現)がわからない人への説明ができないのが問題だぞ、と。
学校教育で教えるなら、絵の自由な表現は横に置いておいて、構造とか色が持つコード(意味)とか、教えていただきたいですね。その方が今後生きる上で役立つデザインの作法(事務方が作るプレゼン資料の分かりやすさとか、コンテンツを作る上での体系だったメソッド)が身につきます。
自由に絵を描くのは授業じゃなくて、休み時間の自由帳に描けばいい。
その方がどれだけ絵を描くのが楽しいか。大人に測られることなく、同級生同士で絵の見せ合いっこして、あの子あんなに上手い!なんか面白い!という小さな炎をたぎらせて、何冊も自由帳に絵を描きまくることの方が大事だと思います。
泣いた
専門学校の先生が褒めない人だったなぁ。で、本人が居ない裏で褒める。
本人が居る場ではお前はあんまり成長しないよねって言う。完全に間違ってるよなこれって今では思う。
いいこと言うなあ
小説にも当てはまるんかね
日本中の全部の学校にこの先生を置きたい😢
絵ってそういえばそう言うものかも
キャラの描き方ばっかり追っていて自分で表現しようなんて思ったこともなかった。
なんか天啓受けた気分。
絵と漫画と一緒にされていますが、私は漫画はイラスト、また絵とは違う分野だと思ってます。まず、漫画の魅力は絵よりもお話ではないのか?と思うのです。何しろ、絵はイラストではない。その違いは何回も塗りたくる挙句が絵ですが、イラストは輪郭描いて、もし、やり直すなら輪郭描いて、で、塗り込めたら漫画にもイラストにもならんでしょ。でも、絵は塗り込めて、塗り剥がして、塗り上げて、で、描くのです。それができるのがスケールが大きいと言います。
山田玲司さん,雅楽奏者の有名なあの人に似てる・・
頭はヴァイオリニスト
7:14
美大「見たまま描け」やめたわ
子どもの時ユリの絵に黒輪郭入れたら全部消せ言われて絵書くのやめた
これは学校で美術入る前に義務で観るレベル
小学生の頃に絵を毎回ダメ出しされた結果、絵を描こうとすると体が竦む様になってしまった。人間を潰す事においては学校教育は天才的だ。
出る杭は打たれる日本ではみ出すのは怖い
学校教育では答えじゃなくて方法を教えてほしいですね。
何をどう描くべきかは自由にして、技術だけを伝える。
練習のためにこれを描け、というのはいいけど、それとは別に自由に描いていい時間を作って、そこで提出されたものはちゃんと褒める。
何をやっても良いというなら、小さい絵でも良いのでは?
はみ出した絵を褒めたら、はみ出すことが正解って言ってることになるから、いちいち干渉するなって話かも。知らんけど。
これって「大きくてはみだした絵が正解」と言っているのと同じ
小さい絵が好きな人だっているだろうし、小さくてすばらしい絵を描く芸術家だっている
絵で教えることができるのは技術面だけだよ。
その技術教育にきちんと乗っかって良い絵を描く人もいるし、そこに反発してめちゃくちゃな絵を描く人も出てくる
それでどっちも正解なんだから。美術教育は今のままでいい。
てゆうか美術の教育法にも正解なんてない
「自分が意図したサイズで描けるか」というのは表現の幅にめちゃくちゃ影響するので、本気で美術をやるにはこの上なく大事な「技術」だと思います。
ただし義務教育における図工や美術は体育と同じように健全な心身の育成や他者との交流、一般教養としてどんな種類の表現方法があるのか知るという側面の方が大きいように感じるので「教育としての美術の授業」ではむしろ技術は些細な問題に感じます(その上で技術を高めたい人は美術部に入ったり美大を目指したり独学で創作活動をするわけです)。
また、「ちゃんと話を聞いて課題に沿ったものを作れるか」「考えた事やものを他者に正しく伝える事ができるか」「見る側の人の目線と自分の目線の違いを認識できるかどうか」など社会において重要な力を育てる役割も美術の授業にはあるでしょうから「教育における美術に正解はない」というのは少し違うなと自分は思っています。
@@KANIKAMA5353 丁寧な返信ありがとうございます。
「ちゃんと話を聞いて課題に沿ったものを作れるか」「考えた事やものを他者に正しく伝える事ができるか」「見る側の人の目線と自分の目線の違いを認識できるかどうか」
このあたりの考えは私は広い意味での技術だととらえています。
山田氏の雑な論はこのあたりを否定しているように感じましたので。
私の論も雑ですが、山田氏の論に対応したためそうなっています。
さらに雑な論を続けると「自由に描く」という美術教育は「こういう風に描けばほめられるという、大人に媚びた絵」や「手抜き」を増やすと思います
@@レンガドミノ 山田氏やあなたのおっしゃる事100%理解していますが、わかりやすくするためあえて極論します。
「楽しさを教える」というのは言ってみれば趣味の範疇で、それは学校で教えるべきものか?各自が勝手に追求することではないか?
私が絵を描いていたのは完全に私の自由意志で学校教育は全く関係ありません。
あと学校が許容できる自由などたかが知れていて、私などはその「制限付きの自由」など馬鹿にしていました。先生が眉をひそめ顔面蒼白になるようなインモラルな絵でも自由だ素晴らしいと言って褒め称えるのでしょうか?
学校で教えられる自由など、ここまではokこれ以上はNGという社会規範を教える事にすぎず、それは自由を装った絵を描くための表現「技術」です。
さらに別の角度からの反論としては、多くの人は描きたい絵が頭の中にあってもそれを描くことができない事で絵を描く事が楽しくない。描きたいものを描く技術がないのです。そういう人に自由に書かせても単にデタラメなだけのものが出来上がるだけで本人にとっても不本意なものになります。頭の中は自由でも手が不自由でその自由を表現できない状態です。
例えば写生する際に下書きとか補助線を入れるという技術を導入すると革命的に絵が進歩します。(これが出来なくて絵が描けない人は大人でもたくさんいます)
写生が上手くなると、頭の中にあるイメージも紙の上に写しとることが出来るようになり、絵を描くことがものすごく楽しくなります。楽しくなるとさらに技術を習得したくなり、そうやって自分が思い描いた絵が描けるようになって、そこで初めて「思いのままに」「自由に」絵が描けるようになるのです。
私は美術教育を「感性の教育」だとは思っていません。感性を教育できるなんて考えるのは傲慢です。美術教育は技術教育でいい。
そういう美術教育には、描く対象の構造を理解する、描く手順を考える(アルゴリズムを作る)という言葉によらない論理思考の訓練、
なぜそう見えるのか?世界はどうなっているのか?とか(私は、影って何なのか?遠くの自動車はなぜゆっくり動くのか?というようなことをいっぱい考えていました)そういった好奇心科学的思考の芽生え、ちゃんと完成させる根気を養うことなどに非常に役立ちます。そのおかげで私はずいぶん地頭が良くなったと思っています。
以上、美術教育は技術教育でいいという私の持論を少し詳しく書かせていただきました。
とはいえ上にも書いた通りこれは極論です。実際には小学生低学年までは自由に描かせるのもアリかなとは思いますが。(しかし私は絵を描くことで幼少期から科学的思考の芽生えがあったように思えます。上に書いたような単に絵を描くこと以上教育効果がある事を認識した上での幼少期からの美術教育はあって然るべきだと思います)
中学年以上になると「自由に描く=手抜き」になりがちだと思います。
@@レンガドミノ 何かを好きになるのは各自が勝手にそうなるだけで、好きにさせるための教育てのは変ですよ。私は個人の好き嫌いに教育が介入するのは嫌ですけどね。
あと技術と言っても別に小難しいことじゃないですよ。「青と黄色を混ぜれば緑になりますよ。面白いでしょ」というレベルも技術です。絵を描くことを面白く楽しくさせるための技術教育です。
絵が好きでも嫌いでも、どうでもいいけど、絵も文章と同じ「伝える」ためのツール。
もっと人に伝わるようなものをと考えると、技術が必要。
文章が下手な人には文章養成講座へ通うように、絵(デザインにおける記号やアイコン、構造)を学ぶ場所が、なぜか教育現場にない。
美大へ行って自由に表現するのは勝手だがが、世の中言葉だけでは伝えられないものも多いから、絵に関しても教える機関があればいい。
アーティスト教育ではなく、伝えるための絵作りが万人に必要。
美術の教師がここはいいけどここは駄目だねーとかめっちゃ言ってきて腹立った記憶
何ジャッジしてんたてめーって
自分の好みでない絵柄以外は、下手。
しかし下手くそなマッチ棒人間しか描けないレベルな人の漫画ではプロ雑誌の連載に採用されない。絵で食うには、鑑賞に耐えられる程度以上の技術やセンスはどうしても求められる。
サイズは関係ないだろ