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4回目まで見てずっと思っていたのですが、3おじさんはそれぞれ個性ありつつも上手く融合しているバランス感覚がとても良いと感じますね。ずっと見ていて飽きないし、落ち着きある空間が心地よいです🙆♂️歴史系はリアル追求派、エンターテインメント派とかで気にする部分が変わってくるから難しいですよね。私も歴史は結構好きなんですが、ある程度史実を踏まえていたら面白い嘘は結構許容して作品を楽しみます🫡外国語名をカタカナで書くの、以前はあんまり気にしてなかったのでその時々で色んな書き方もしていたんですが、最近はアルファベット見て判断してカタカナ名書いたりしますね。なのでVaticanはVから始まるのでヴァチカンて書くようになりました、笑聖書、私は日本語オンリーなクリスチャンなんで以前は洗礼を受けた教会で使ってる口語訳のみな時代もありましたが、訳によって言い回しが違ったりしているのが面白くて、信仰を取り戻した時期に他の訳も入手しました📖もしかしたら日本人だからこその楽しみ方なのかもしれないですけど、文語訳聖書とか声出して読んでみると厨二病心をくすぐられますね🤔おじさんだけど🤦♂️←
3おじさんの個性と調和を気に入ってくださり、ありがとうございます!お仲間の匂いがします🙂歴史はリアル追求派とエンターテインメント派で、好みが分かれますよね。どちらが正しいというわけではなく、まさに好みですね。好みといえば、口語訳と文語訳では、まったく雰囲気が違いますよね。確かに、日本人ほど多彩な翻訳で聖書を楽しめる人たちは珍しいかもしれません。われわれの幸せな一面を発見しました😆✨
次回、お三人でフワッフワのパーカー着てきて下さーい✨
リクエストありがとうございます!🙂🎶フワフワパーカーが、3おじさんのユニフォームに!?😅エーッ
皆さんの文語表現がかっこいいというのを聞いて、安心しました。ありがとうございます。毎月、80人の人に文語体の聖書のことばをSMSの一斉送信で送っています。韻を踏むことばは文語体でなければと思っています。でも文字数が70文字に限られているので、文語訳聖書の言葉であっても伝わることが一番なので、意味が伝わるように文語体で表現を変更することがあります。変更には抵抗がありましたが、脳梗塞の方に話す時に簡潔な言葉が必要なので、思い切って変えることにしました。「我はぶどうの樹、なんぢらは枝なり。我に居れ さらば 我 なんぢらに居らん。多くの実を 結ぶべし 汝ら 我を離れては 何事をもなし能わず」ヨハネ15:5 覚えやすいですね。神戸のアキラ
神戸のアキラさん、いつもコメントありがとうございます!歴史の重みを感じる文語体の聖書のことばを時代の最先端であるSNSでシェアされている、というのが、とても現代的な信仰生活のあり方で素晴らしいと思いました。文語訳の格調高さは、わかりやすいだけの訳からは得られない味わいがありますよね。古典文学のように、読み物としても魅力的です。聖書のことばを勝手に変更してはいけない、という聖句もありますが、それは原語の話で、翻訳は時代に合わせて常に新しいものが出ているように、相手にわかりやすいことばにアレンジする、というのは素敵な思いやりだと感じます。次回も楽しんでいただければ幸いです。
以前、信徒でない遺族の意向で教会員の葬儀を某大手の斎場で行ったのですが、祭壇の設営が微妙にチグハグで、スタッフに頼んで直してもらったことがあります。いちおう「いろいろな宗教に対応」しているとうたってはいるのですが、やはりキリスト教葬儀を専門に扱う葬儀社のようにはいかないことを痛感しました。
貴重なお話を教えてくださり、ありがとうございます。大手の葬儀社でもキリスト教の葬儀に慣れていないと、やはりチグハグなのですね。確かに、たとえ専門の方でも、その方面に慣れていないと難しそうです。
隔週金曜日のお楽しみの時間。といっても翌日になってる。カトリック、福音派、ガチの元?改革派(ぽくなくてとてもうれしいw)の組み合わせが興味深いです。LAに住んでた時は日本語でも「ロサンジェルス」「カソリック」だった。どうも日本の教会の「み」ことばというのが、スゴく馴染めないです。😅
楽しみに視聴してくださり、ありがとうございます!😊英語(などの外国語)をカタカナで表記するのは難しいですよね。日本人クリスチャンは「イエス様」と呼びますが、英語圏のクリスチャンが “Jesus” と呼び捨てにしているほうが、家族や友人としての親しみや強い愛情が伝わってくる面もあります。日本におけるキリスト教は、日本語の影響を、かなり受けているのでしょうね🤔
百人隊長のコルネリウスが新改訳聖書第三版ではコルネリオだったんですが、新改訳2017からコルネリウスになりました😊最初は違和感しかなかったのが今では反対にコルネリオに違和感を覚えます!
貴重な情報、ありがとうございます!そういう表記の変更は、探せば、いくつもありそうです。聖書の翻訳は、日々進化し続けていますね。昔の表記に慣れていると最初は混乱しますが、新しいほうに慣れるにつれて今度は昔の表記に違和感を覚える感じ、とてもわかります☝🙂アルアル
4回目まで見てずっと思っていたのですが、3おじさんはそれぞれ個性ありつつも上手く融合しているバランス感覚がとても良いと感じますね。
ずっと見ていて飽きないし、落ち着きある空間が心地よいです🙆♂️
歴史系はリアル追求派、エンターテインメント派とかで気にする部分が変わってくるから難しいですよね。
私も歴史は結構好きなんですが、ある程度史実を踏まえていたら面白い嘘は結構許容して作品を楽しみます🫡
外国語名をカタカナで書くの、以前はあんまり気にしてなかったのでその時々で色んな書き方もしていたんですが、最近はアルファベット見て判断してカタカナ名書いたりしますね。
なのでVaticanはVから始まるのでヴァチカンて書くようになりました、笑
聖書、私は日本語オンリーなクリスチャンなんで以前は洗礼を受けた教会で使ってる口語訳のみな時代もありましたが、訳によって言い回しが違ったりしているのが面白くて、信仰を取り戻した時期に他の訳も入手しました📖
もしかしたら日本人だからこその楽しみ方なのかもしれないですけど、文語訳聖書とか声出して読んでみると厨二病心をくすぐられますね🤔
おじさんだけど🤦♂️←
3おじさんの個性と調和を気に入ってくださり、ありがとうございます!
お仲間の匂いがします🙂
歴史はリアル追求派とエンターテインメント派で、好みが分かれますよね。
どちらが正しいというわけではなく、まさに好みですね。
好みといえば、口語訳と文語訳では、まったく雰囲気が違いますよね。
確かに、日本人ほど多彩な翻訳で聖書を楽しめる人たちは珍しいかもしれません。
われわれの幸せな一面を発見しました😆✨
次回、お三人でフワッフワのパーカー着てきて下さーい✨
リクエストありがとうございます!🙂🎶
フワフワパーカーが、3おじさんのユニフォームに!?😅エーッ
皆さんの文語表現がかっこいいというのを聞いて、安心しました。ありがとうございます。毎月、80人の人に文語体の聖書のことばをSMSの一斉送信で送っています。韻を踏むことばは文語体でなければと思っています。でも文字数が70文字に限られているので、文語訳聖書の言葉であっても伝わることが一番なので、意味が伝わるように文語体で表現を変更することがあります。変更には抵抗がありましたが、脳梗塞の方に話す時に簡潔な言葉が必要なので、思い切って変えることにしました。「我はぶどうの樹、なんぢらは枝なり。我に居れ さらば 我 なんぢらに居らん。多くの実を 結ぶべし 汝ら 我を離れては 何事をもなし能わず」ヨハネ15:5 覚えやすいですね。神戸のアキラ
神戸のアキラさん、いつもコメントありがとうございます!歴史の重みを感じる文語体の聖書のことばを時代の最先端であるSNSでシェアされている、というのが、とても現代的な信仰生活のあり方で素晴らしいと思いました。文語訳の格調高さは、わかりやすいだけの訳からは得られない味わいがありますよね。古典文学のように、読み物としても魅力的です。聖書のことばを勝手に変更してはいけない、という聖句もありますが、それは原語の話で、翻訳は時代に合わせて常に新しいものが出ているように、相手にわかりやすいことばにアレンジする、というのは素敵な思いやりだと感じます。次回も楽しんでいただければ幸いです。
以前、信徒でない遺族の意向で教会員の葬儀を某大手の斎場で行ったのですが、祭壇の設営が微妙にチグハグで、スタッフに頼んで直してもらったことがあります。いちおう「いろいろな宗教に対応」しているとうたってはいるのですが、やはりキリスト教葬儀を専門に扱う葬儀社のようにはいかないことを痛感しました。
貴重なお話を教えてくださり、ありがとうございます。
大手の葬儀社でもキリスト教の葬儀に慣れていないと、やはりチグハグなのですね。
確かに、たとえ専門の方でも、その方面に慣れていないと難しそうです。
隔週金曜日のお楽しみの時間。といっても翌日になってる。
カトリック、福音派、ガチの元?改革派(ぽくなくてとてもうれしいw)
の組み合わせが興味深いです。
LAに住んでた時は日本語でも「ロサンジェルス」「カソリック」だった。
どうも日本の教会の「み」ことばというのが、スゴく馴染めないです。😅
楽しみに視聴してくださり、ありがとうございます!😊
英語(などの外国語)をカタカナで表記するのは難しいですよね。
日本人クリスチャンは「イエス様」と呼びますが、英語圏のクリスチャンが “Jesus” と呼び捨てにしているほうが、家族や友人としての親しみや強い愛情が伝わってくる面もあります。
日本におけるキリスト教は、日本語の影響を、かなり受けているのでしょうね🤔
百人隊長のコルネリウスが新改訳聖書第三版ではコルネリオだったんですが、
新改訳2017からコルネリウスになりました😊
最初は違和感しかなかったのが今では反対にコルネリオに違和感を覚えます!
貴重な情報、ありがとうございます!
そういう表記の変更は、探せば、いくつもありそうです。聖書の翻訳は、日々進化し続けていますね。
昔の表記に慣れていると最初は混乱しますが、新しいほうに慣れるにつれて今度は昔の表記に違和感を覚える感じ、とてもわかります☝🙂アルアル