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今日も素晴らしいお話をありがとうございます。下がった人が身の回りにいても巻き込まれずに常に自分が愛を出していけるようになりたいと思います。植物はみんなそうしてるように最近感じています。
スピリチュアル系の動画を好きでよく見ていますが山岡さんの後半のお話とのリンクが凄すぎて、自然農の畑は命、宇宙、光なんだと実感し自然農の畑に立つ事が自分のやりたい事だと改めて思いました😊
初めまして家庭菜園初心者で、土壌改良で詰まってます。この動画に出会えて嬉しいです。私も自然農の真似事から始めようとおもいます。ありがとうございます❤
本日もありがとうございます🙏✨敷き草たっぷり乗せてしまっておりました💦あわてて少なめにいたしました!私もさっそく鎌の背で、表層を削ってみましたら、とてもラクチンでした!!😆後半のお話、とても染み入りました時に離れることも、愛情のひとつだな、と思いました山岡さんが、研修生のみなさまとお話される姿がとても私にとってはお勉強になります相手を否定せず、受け入れて、導く…なかなか難しいですが、がんばります!そして、自分の周波数は本当に大事だな、と思いました自信がなかったら、離れてあげることも愛情のひとつですね!日々自分を整えます🙏✨✨
良きお話が聞けて幸せな朝になりました。ありがとうございます🍀
おはようございます。いつもありがとうございます。まさに、今自分の身に起きていたことが後半のお話の中にあり凄くヒントをいただきました。ありがとうございます☺️🙏
@@soratomo1105 こちらこそありがとうございます
ちょっと表層を削るだけで手間をかけなくても撒けるんですね。筋撒きと言わずに捻り撒きって言うのもあるんですね😊いつもありがとうございます
庭で自然農のマネごとをして2年目の初心者です。夏野菜から冬野菜に切り替わっていくこの時期、まだ元気な夏野菜を抜いてそこに冬野菜の種を撒くことに心苦しさを感じます。あと少ししたらそら豆の種をまこうと思っていて、その場所はスペースがないのでゴーヤを育てたところです。でも衰えたとはいえゴーヤはまだ青々と元気なのです。根ごと抜くのは忍びないので、根から数センチのところを切ってしまおうか どっちみちあと1ヶ月もすれば枯れるのだから見苦しいけどこのままゴーヤの根本に播種しようか、それだと日照が弱いなと迷っています。営農していればそんなことで迷う暇はないと思いますが、命を全うさせたいという思いがでてきていちいち迷います。
めちゃくちゃ迷います 笑実際次に何の種を蒔くかによりますが、足元に播けるものは播く。例えばシシトウの足元にソラマメ。ゴーヤの足元にキヌサヤ。など、僕は見苦しいと感じたことはありません。生命の終わりゆくものは,それなりの美しさがありますから。
のらぼう菜 私も昨日 JAで種買ってきました 今日植えま~す 菜花は発芽してるんですが のらぼう菜初めて植えるので 楽しみです😊✌️
それはすごかった👍👍
おはようございます。種まきタイミングのアドバイスありがとうございます。今週末から気温が下がる予報です。何とか時間を作って種まきしておきたいです。後は空豆の苗作り、エンドウの種まき、たまねぎ畝の用意して植え付けかぁ。今シーズンも見えてきました。後半のお話もありがとうございます。会話であれば良いのですが議論になると相手に引っ張られますね。勝ち負け議論からは避けたいのですが、黙るか引くと負け扱いになって、相手が勘違いします。議論に勝ち負けなんてないのにね。ありがとうございました。
@@Cinnamon_Pied 境地が下がると思ったら、すすんで負ける。私と思考がしっかりと分離していると、負けても傷つきません。
@@島の自然農園 返信ありがとうございます。心が傷つくのも、沈むのも私の感覚ですよね。私がしっかりしていれば傷もつかず、沈みもしません。ありがとうございました。
本日も素敵な言葉を頂きました。私はふっとユダヤ教の律法を思い出しました。「ヤギには後ろから近づけ、前には角がある」。「馬には前から近づけ、後ろから近づくと蹴られる」。「愚か者にはどの方向からも近づくな」。尊兄の周波数の話とユダヤの律法とは似ているようで根源的に違うと感じました。ユダヤの律法には他者への愛がないのです。自分が救われればいい。ヨーロッパの各地で、各時代で、いじめ抜かれた民の律法。それは、尊兄の言われる周波数が「愚か者」のレベルに落ちているんだなあと。そんな気がしました。イスラエルと周辺国の戦争は拡大するばかり。周波数の話は、人と人だけでなく、集団と集団。最終的には国家と国家、民族と民族のレベルにまで通じるのだなあと。ぼんやり、そう思いました。「わが庭の一坪自然農」。今日は、聖護院カブを種まきしてみます。
確かに地域によって重い周波数の場所はあるかもしれません。ただその奥に在る不動の実在はどんな地域、時代に影響を受けることなく輝き、在り続けますので、それを観るようにすると、自らの周波数を下げずに済みます。
@@島の自然農園 ありがとうございます。私が読みかじった限りのことですが、不動の実在は、ギリシアの哲学者アリストテレスの思想に、そんな話があったように思います。
水菜 小松菜 ルッコラって今撒いたらいつごろになりますかね。だいたい背丈20cmほどです。
@@nanashing34 条件がよければ年内に収穫。小さくても良ければ、11月中旬くらいでしょうか?
@@島の自然農園 ありがとうございます。
いつも楽しく拝見しております。お話、ありがとうございます。ご質問があります。周波数の低い人と関わらなくてはならない場合、必要最低限の表面上のコミュニケートで(愛は与えない、そうすると自身の周波数が下がる感覚がある)殆ど無関心状態で自身の周波数をキープすることがあります。このようなやり過ごし方はどうお考えでしょうか?その場から去る、もしくは愛を与える、という二極化したお話だったので、気になりました。お聞かせいただけますと嬉しいです。よろしくお願いいたします。
「その場から去る」という状態は「自分にとっての脅威でなくなる」という状態だと思っていただいて良いです。物理的に目の前にいてももう私の「敵」ではない、というような状態。ただ、自分自身が本当に高い周波数でいる時、存在するあらゆるもの、あらゆる人に「慈愛」を感じずにいることはできないんです。愛する、愛さないを自分で決めることはできない。普段、嫌でたまらないヒトにも「感謝・慈愛」を自動的に感じてしまう。その人の振る舞いが「演技」のように見える。その人の表情の奥に「悟り切った人」を見てしまう。もちろん、日常的にこのような高い意識状態を保つことは困難な場合が多いので、「必要最低限の表面上のコミュニケートで」自分の周波数を下げずにいられるのであれば、それも生きていく術だと思います。
@@島の自然農園 ありがとうございます!そのような高い状態になれたことがないかもしれません。。。自身の周波数を保持しながら、そのような状態になれるように精進します。
川口さんが、人生は無目的、にこだわられたことが、やっとわかりました。目的を持つと、荷物になってしまいます。慈悲心から、目的なんかないよ、と伝えたかったのでしょう。ラマナ・マハリシは、列車に乗りながら、車内を移動する人は居ない、と表現しています。今日の振動の喩え話は、私の直面している課題でした。シンクロでしょう、歌手の竹内マリヤさんは、困った時これも成長の糧として、あるのかな、と思う。と言ってました。皆さん工夫されて暮らしていますと笑みが出ました。超人の竹内さんも困ることがあるんだなあ、〜。
@@勘太郎-n2g 成長の糧、まさしく僕もそう思っています。列車にのりながら、車内を移動する心に沁み入りました。
愛について、東洋思想・東洋医学の人達が同じとを言っているのと、それに僕の持論を混ぜて書きます。人は欲望が強いのでほしいものは、直接与えてはいけないのだと言われています。愛もその一つです。つまり強すぎるだと思います。この世は相対的な不思議な世界です。昼と夜、男と女、光と影のように、愛もその裏には憎しみが存在し、決して愛だけでは成り立たない世になっています。愛と憎しみ二つで一つです。つまり愛を与えれば与えるだけ、憎しみも増え結果的に良くない方向に進んで行きます。だから山岡さんのおっしゃられている愛と言う表現ではなくて、いつも自然にそのように接すれば、愛と言う言葉も要らなし、大したことでもなくなります。
ラーストスパート~~~~
今日も素晴らしいお話をありがとうございます。
下がった人が身の回りにいても巻き込まれずに常に自分が愛を出していけるようになりたいと思います。植物はみんなそうしてるように最近感じています。
スピリチュアル系の動画を好きでよく見ていますが山岡さんの後半のお話とのリンクが凄すぎて、自然農の畑は命、宇宙、光なんだと実感し自然農の畑に立つ事が自分のやりたい事だと改めて思いました😊
初めまして
家庭菜園初心者で、土壌改良で詰まってます。
この動画に出会えて嬉しいです。私も自然農の真似事から始めようとおもいます。
ありがとうございます❤
本日もありがとうございます🙏✨
敷き草たっぷり乗せてしまっておりました💦あわてて少なめにいたしました!
私もさっそく鎌の背で、表層を削ってみましたら、とてもラクチンでした!!😆
後半のお話、とても染み入りました
時に離れることも、愛情のひとつだな、と思いました
山岡さんが、研修生のみなさまとお話される姿がとても私にとってはお勉強になります
相手を否定せず、受け入れて、導く…
なかなか難しいですが、がんばります!
そして、自分の周波数は本当に大事だな、と思いました
自信がなかったら、離れてあげることも愛情のひとつですね!
日々自分を整えます🙏✨✨
良きお話が聞けて幸せな朝になりました。ありがとうございます🍀
おはようございます。
いつもありがとうございます。まさに、今自分の身に起きていたことが後半のお話の中にあり凄くヒントをいただきました。
ありがとうございます☺️🙏
@@soratomo1105 こちらこそありがとうございます
ちょっと表層を削るだけで手間をかけなくても撒けるんですね。筋撒きと言わずに捻り撒きって言うのもあるんですね😊いつもありがとうございます
庭で自然農のマネごとをして2年目の初心者です。夏野菜から冬野菜に切り替わっていくこの時期、まだ元気な夏野菜を抜いてそこに冬野菜の種を撒くことに心苦しさを感じます。あと少ししたらそら豆の種をまこうと思っていて、その場所はスペースがないのでゴーヤを育てたところです。でも衰えたとはいえゴーヤはまだ青々と元気なのです。根ごと抜くのは忍びないので、根から数センチのところを切ってしまおうか どっちみちあと1ヶ月もすれば枯れるのだから見苦しいけどこのままゴーヤの根本に播種しようか、それだと日照が弱いなと迷っています。営農していればそんなことで迷う暇はないと思いますが、命を全うさせたいという思いがでてきていちいち迷います。
めちゃくちゃ迷います 笑
実際次に何の種を蒔くかによりますが、足元に播けるものは播く。
例えばシシトウの足元にソラマメ。
ゴーヤの足元にキヌサヤ。
など、僕は見苦しいと感じたことはありません。生命の終わりゆくものは,それなりの美しさがありますから。
のらぼう菜 私も昨日 JAで種買ってきました 今日植えま~す 菜花は発芽してるんですが のらぼう菜初めて植えるので 楽しみです😊✌️
それはすごかった👍👍
おはようございます。
種まきタイミングのアドバイスありがとうございます。
今週末から気温が下がる予報です。何とか時間を作って種まきしておきたいです。
後は空豆の苗作り、エンドウの種まき、たまねぎ畝の用意して植え付けかぁ。今シーズンも見えてきました。
後半のお話もありがとうございます。
会話であれば良いのですが議論になると相手に引っ張られますね。勝ち負け議論からは避けたいのですが、黙るか引くと負け扱いになって、相手が勘違いします。
議論に勝ち負けなんてないのにね。
ありがとうございました。
@@Cinnamon_Pied 境地が下がると思ったら、すすんで負ける。私と思考がしっかりと分離していると、負けても傷つきません。
@@島の自然農園 返信ありがとうございます。心が傷つくのも、沈むのも私の感覚ですよね。私がしっかりしていれば傷もつかず、沈みもしません。ありがとうございました。
本日も素敵な言葉を頂きました。私はふっとユダヤ教の律法を思い出しました。「ヤギには後ろから近づけ、前には角がある」。「馬には前から近づけ、後ろから近づくと蹴られる」。「愚か者にはどの方向からも近づくな」。尊兄の周波数の話とユダヤの律法とは似ているようで根源的に違うと感じました。ユダヤの律法には他者への愛がないのです。自分が救われればいい。ヨーロッパの各地で、各時代で、いじめ抜かれた民の律法。それは、尊兄の言われる周波数が「愚か者」のレベルに落ちているんだなあと。そんな気がしました。イスラエルと周辺国の戦争は拡大するばかり。周波数の話は、人と人だけでなく、集団と集団。最終的には国家と国家、民族と民族のレベルにまで通じるのだなあと。ぼんやり、そう思いました。「わが庭の一坪自然農」。今日は、聖護院カブを種まきしてみます。
確かに地域によって重い周波数の場所はあるかもしれません。
ただその奥に在る不動の実在はどんな地域、時代に影響を受けることなく輝き、在り続けますので、それを観るようにすると、自らの周波数を下げずに済みます。
@@島の自然農園 ありがとうございます。私が読みかじった限りのことですが、不動の実在は、ギリシアの哲学者アリストテレスの思想に、そんな話があったように思います。
水菜 小松菜 ルッコラって今撒いたらいつごろになりますかね。だいたい背丈20cmほどです。
@@nanashing34 条件がよければ年内に収穫。小さくても良ければ、11月中旬くらいでしょうか?
@@島の自然農園 ありがとうございます。
いつも楽しく拝見しております。お話、ありがとうございます。
ご質問があります。
周波数の低い人と関わらなくてはならない場合、必要最低限の表面上のコミュニケートで(愛は与えない、そうすると自身の周波数が下がる感覚がある)殆ど無関心状態で自身の周波数をキープすることがあります。
このようなやり過ごし方はどうお考えでしょうか?
その場から去る、もしくは愛を与える、という二極化したお話だったので、気になりました。
お聞かせいただけますと嬉しいです。よろしくお願いいたします。
「その場から去る」という状態は「自分にとっての脅威でなくなる」という状態だと思っていただいて良いです。物理的に目の前にいてももう私の「敵」ではない、というような状態。
ただ、自分自身が本当に高い周波数でいる時、存在するあらゆるもの、あらゆる人に「慈愛」を感じずにいることはできないんです。愛する、愛さないを自分で決めることはできない。普段、嫌でたまらないヒトにも「感謝・慈愛」を自動的に感じてしまう。その人の振る舞いが「演技」のように見える。その人の表情の奥に「悟り切った人」を見てしまう。
もちろん、日常的にこのような高い意識状態を保つことは困難な場合が多いので、
「必要最低限の表面上のコミュニケートで」
自分の周波数を下げずにいられるのであれば、それも生きていく術だと思います。
@@島の自然農園
ありがとうございます!
そのような高い状態になれたことがないかもしれません。。。
自身の周波数を保持しながら、そのような状態になれるように精進します。
川口さんが、人生は無目的、にこだわられたことが、やっとわかりました。目的を持つと、荷物になってしまいます。慈悲心から、目的なんかないよ、と伝えたかったのでしょう。ラマナ・マハリシは、列車に乗りながら、車内を移動する人は居ない、と表現しています。
今日の振動の喩え話は、私の直面している課題でした。シンクロでしょう、歌手の竹内マリヤさんは、困った時これも成長の糧として、あるのかな、と思う。と言ってました。皆さん工夫されて暮らしていますと笑みが出ました。超人の竹内さんも困ることがあるんだなあ、〜。
@@勘太郎-n2g 成長の糧、まさしく僕もそう思っています。
列車にのりながら、車内を移動する
心に沁み入りました。
愛について、東洋思想・東洋医学の人達が同じとを言っているのと、それに僕の持論を混ぜて書きます。
人は欲望が強いのでほしいものは、直接与えてはいけないのだと言われています。愛もその一つです。つまり強すぎるだと思います。この世は相対的な不思議な世界です。昼と夜、男と女、光と影のように、愛もその裏には憎しみが存在し、決して愛だけでは成り立たない世になっています。愛と憎しみ二つで一つです。つまり愛を与えれば与えるだけ、憎しみも増え結果的に良くない方向に進んで行きます。だから山岡さんのおっしゃられている愛と言う表現ではなくて、いつも自然にそのように接すれば、愛と言う言葉も要らなし、大したことでもなくなります。
ラーストスパート~~~~