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私は子供の頃から学問を疑って生きてきました。そして人間は一生勉強だと考えながら生きてきました。林羅山と昌平黌のお話しをお聞きして、古代ギリシャから伝えられている数学をその基本概念とした物理学や天文学とは全く異なった和式算術の思考概念を取り入れて、やっとこの宇宙の実態の解明に成功しました。しかし、西洋数学だけが唯一の数の学問であると学んでいる現在の人達には、いくら説明してもわかってもらえません。
たまたま戦勝国である相手がアメリカであったというだけで、当時の相手国がどこであれ勝ち負けにも関係なく、日本という国は本来の日本のあるべき姿でいることが、私たちにとっての自然な形なのだと思う。
身震いする 感動を受けました1944年生まれ 今思えば 勉強すべきでした 日本語には言霊がやどつています ありがとう を漢字で書くと難が有りとかきます 災難 苦難 至難いろんな難があります この難を体感することによりこの難をのり越えとき ありがたいという心が湧いてきますそれゆえ 漢字は難有りとなっています 日本の漢字を分解すると ストーリー があり モダルがあり 教訓があり 哲学があります 朝鮮韓国は漢字を捨てました 視野が狭く 誇り 気品 威厳もなく 野蛮となつたかもしれません 可愛そうな民族と化しのかもしれません 中国にも いえるかと おもいます
戦前戦中までは大日本帝国憲法第一条を「...統治す」を「すめらいしらす」と読んでいたとは初めて聞きました。これまでに聞いていたのは、作った当初は「しらす」としていたのだが言葉が難しいので「統治す(とうちす)」に変えたのだという話でした。今ならまだこの事実を証言してくれる生き証人がいるのではないでしょうか。
大変勉強なりました。ありがとうございます。
美しい歴史の勉強ありがとうございます。
この学問所があったから、明治の難局を切り抜けのかもしれません。再評価が必要だと思います。
只今、令和3年1月9日です。2021年です。小名木先生のこの重要な動画を令和3年としてご講義頂けないでしょうか。再集録したものを発表していただけないでしょうか。現状の日本が余りにも日本の精神から遠く、愛国者の方々が様々に活動を展開しておられますがその根っこの学問が分かりません。昨今、米国帰りの方が明治維新を貶める本を出版、或いは大々的に宣伝をしています。その方が何を目的で動いているか分かりませんが。日本人ではあるものの日本の伝統、文化、学問、精神を知らないお方とお見受けします。
終生学習に対してもっと価値を見出してれば今の日本はもっとマシな方向に行ってたのかも松下幸之助の話>一般に学校を出て社会に出ると勉強する心を失ってしまう人が多いようだが、しかしそういう人はやはり後で伸びる人ではない。たとえ学校では目立たない存在であっても、社会に出てからコツコツと地道になすべきことをなし、学ぶべきことを学んでいる人は、後でぐっと伸びる人である。こういうことは、人の一生を通じても言えることであろう。生涯そのようにみずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、そういう態度を持ちつづけることが大切だとぼくは思う。そのような態度を持ちつづける人には、進歩があって停滞はない。一歩一歩、年を経るにつれ着実に伸びていく。一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。さらに十年、二十年、三十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。そういう人がほんとうの大器晩成というのだと思う。出典:「真々庵せけんばなし」『松風(社内誌)』(昭和四十一年五月号)
因みに私は、羅山の出家後の名前の道春と、いいますが、ある意味それが誇りです。
古事記も意図的に教えてないのですか、
関孔孝和
大和武士の魂の学儒原点を知りました。 令和弐年八月拾壱日(火) 大東亜日本皇国同盟 朴 治永
私は子供の頃から学問を疑って生きてきました。そして人間は一生勉強だと考えながら生きてきました。
林羅山と昌平黌のお話しをお聞きして、古代ギリシャから伝えられている数学をその基本概念とした物理学や天文学とは全く異なった和式算術の思考概念を取り入れて、やっとこの宇宙の実態の解明に成功しました。
しかし、西洋数学だけが唯一の数の学問であると学んでいる現在の人達には、いくら説明してもわかってもらえません。
たまたま戦勝国である相手がアメリカであったというだけで、当時の相手国がどこであれ勝ち負けにも関係なく、日本という国は本来の日本のあるべき姿でいることが、私たちにとっての自然な形なのだと思う。
身震いする 感動を受けました1944年生まれ 今思えば 勉強すべきでした 日本語には言霊がやどつています ありがとう を漢字で書くと難が有りとかきます 災難 苦難 至難いろんな難があります この難を体感することによりこの難をのり越えとき ありがたいという心が湧いてきますそれゆえ 漢字は難有りとなっています 日本の漢字を分解すると ストーリー があり モダルがあり 教訓があり 哲学があります 朝鮮韓国は漢字を捨てました 視野が狭く 誇り 気品 威厳もなく 野蛮となつたかもしれません 可愛そうな民族と化しのかもしれません 中国にも いえるかと おもいます
戦前戦中までは大日本帝国憲法第一条を「...統治す」を「すめらいしらす」と読んでいたとは初めて聞きました。これまでに聞いていたのは、作った当初は「しらす」としていたのだが言葉が難しいので「統治す(とうちす)」に変えたのだという話でした。今ならまだこの事実を証言してくれる生き証人がいるのではないでしょうか。
大変勉強なりました。ありがとうございます。
美しい歴史の勉強ありがとうございます。
この学問所があったから、明治の難局を切り抜けのかもしれません。再評価が必要だと思います。
只今、令和3年1月9日です。2021年です。
小名木先生のこの重要な動画を令和3年としてご講義頂けないでしょうか。再集録したものを発表していただけないでしょうか。
現状の日本が余りにも日本の精神から遠く、愛国者の方々が様々に活動を展開しておられますがその根っこの学問が分かりません。
昨今、米国帰りの方が明治維新を貶める本を出版、或いは大々的に宣伝をしています。その方が何を目的で動いているか分かりませんが。
日本人ではあるものの日本の伝統、文化、学問、精神を知らないお方とお見受けします。
終生学習に対してもっと価値を見出してれば今の日本はもっとマシな方向に行ってたのかも
松下幸之助の話
>一般に学校を出て社会に出ると勉強する心を失ってしまう人が多いようだが、しかしそういう人はやはり後で伸びる人ではない。たとえ学校では目立たない存在であっても、社会に出てからコツコツと地道になすべきことをなし、学ぶべきことを学んでいる人は、後でぐっと伸びる人である。
こういうことは、人の一生を通じても言えることであろう。生涯そのようにみずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、そういう態度を持ちつづけることが大切だとぼくは思う。
そのような態度を持ちつづける人には、進歩があって停滞はない。一歩一歩、年を経るにつれ着実に伸びていく。一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。さらに十年、二十年、三十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。そういう人がほんとうの大器晩成というのだと思う。
出典:「真々庵せけんばなし」『松風(社内誌)』(昭和四十一年五月号)
因みに私は、羅山の出家後の名前の道春と、いいますが、ある意味それが誇りです。
古事記も意図的に教えてないのですか、
関孔孝和
大和武士の魂の学儒原点を知りました。
令和弐年八月拾壱日(火) 大東亜日本皇国同盟 朴 治永