OZU Yasujiro Story / 小津安二郎物語 #4 (w/ OZU's real voice)
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- เผยแพร่เมื่อ 12 ก.ย. 2024
- "OZU Yasujiro Story #4(Camera)"
Portrait of OZU Yasujiro. With his real voice.
Directed by:ORITA Eigo MATSUURA Kanji
Music by YAMAZAKI Akinori
Produced by:studiokk studio-kk.jp/
Sous-titré en français.
*OZU was 170cm(5′7″) high. He was in those days as Japanese,very high.
*2:04~ TAKAMINE Hideko (at 7).
*2:13~ TANAKA Kinuyo & OKADA Toshiko.
*50mm lens = about 80mm in 35mm equivalent focal length.
*4:11~ "50th work" → "49th work"
*German made color film : AGFA film.
*1935 1st color film "Vanity Fair".
1951 Japan-made color film "Carmen Comes Home" by KINOSHITA Keisuke.
* Graph of 5:18 : Data from "OZU and the poetics of cinema" by D.Bordwell.
『小津安二郎物語 #4(キャメラ)』
映画監督 小津安二郎の肖像。肉声付き。
監督:折田英五 松浦莞二
音楽:山崎昭典
英語翻訳:Corey Bunnell フランス語字幕:正清 健介
協力:藤居恭平
製作:スタジオkk studio-kk.jp/
・0:14~ 右端:中井貴一、3人目:佐田啓二、4人目:中井貴惠
・小津は身長約170cmと当時としては体格が良く体力の必要な撮影部で活躍した。
・小津は第2作目でサイレント期の殆どを手がける茂原英雄キャメラマンと出会う。その助手にトーキー以降を手がける厚田雄春もいた。
・1:41~ 運転手:渡辺篤
・2:04~ 高峰秀子(7才)。
・2:13~ 田中絹代と岡田嘉子。
・小津は反復する構図を好み、その為イマジナリーラインを越える等、既存の映画文法を破ることもあった。
・小津作品には、青空が映ってなければセット撮影という法則めいたものがある。
・50mmのレンズ:ライカ判換算で約80mm。小津といえば50mmのレンズというのが定説だが、40mmでの撮影もあったことが近年判明している。
・1937年第37作『淑女は何を忘れたか』で撮影助手であった厚田雄春が撮影監督となった。1962年の最後の作品『秋刀魚の味』まで殆どの作品でキャメラを務めることとなる。
・戦況が厳しくなってくると国策映画が優先され撮影用フイルムにも余裕が無くなった。NGも会社の規定で75%までとなる。(100分作品を175分のフィルムで撮影。)
・4:11〜「第50作 『彼岸花』」は正しくは第49作でした。
・ドイツ製のフィルム:アグファのフィルム。
・1935年 世界初のカラー映画『虚栄の市』、1939年 本格的な動きが起こった『風と共に去りぬ』。1951年 国産カラー『カルメン故郷へ帰る』
・1959年『浮草』では黒澤明『羅生門』や溝口健二『雨月物語』などを手がけた宮川一夫がキャメラを担当。
・5:18のグラフ : D・ボードウェル『小津安二郎 映画の詩学』から。
・小津は年を重ねるごとに表現を簡潔化させていった。カメラは全く動かさなくなり、レンズも一本のみ。オーバーラップは使わずフェードイン/アウトもほぼ無くなる。
写真出典:井上和男編『小津安二郎・人と仕事』蛮友社、1972年、他。
映像出典:和製喧嘩友達(1929年)、朗かに歩め(1930年)、落第はしたけれど(1930年)、東京の合唱(1931年)、東京の女(1933年)。いずれも小津安二郎監督、松竹株式会社製作。
本作内での引用は日本の法律で認められた範囲内のもので、また営利目的ではありません。且つ、1954年以降の著作権の切れていないものは使用していません。