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とても興味深い内容でした!知らなかった日本の裏話を学べて面白かったです
デジャヴ? かと思ったら総集編でしたか。 もう一度おさらいするのも良いですね。
あの「竹内文書とは無関係に戸来村にキリストの墓が伝わっていたという方がよっぽど自然だ」という発言はなんだか・・・「ナニャドヤラ」に関してもヘブライ語に直したら意味が通じたってのもこじつけの限りを尽くしたもので、地元の案内では「方言が崩れたものという説」も併記してあります。
と学会が「何や、どやろ」とか言ってましたしね。「何故、東北で関西・西日本ふうの言葉?」と思う人もいるかもしれないけど、外国からキリシタンが来たというより、西日本人が来たという方がよっぽど自然ですしね。実際、東北の名家や大名などの祖先はほとんどが畿内発祥ですし。この歌の全詞ですがナニャド ナサレテ ナニャドヤラナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨーナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャドヘブライ語なんて持ち出さなくても、十分に日本語で解読可能ですね。少なくとも沖縄民謡よりは遥かにわかりやすい。柳田國男氏は「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」 というふうに訳してます。
睡眠導入で使いたい程長い動画はゆっくりは不向きだと再確認した
甲斐善光寺の木造源頼朝坐像と実朝坐像は生前の面影を残しているのでは?と言われていますね。頼朝は鼻筋が通って思慮深そうな、実朝は線が細く大人しそうな感じで個人的にイメージにも合っていると思います。武田信玄は痩躯だったと言われているので、畠山義続像(暫定)のダルマ親父とはかけ離れていたでしょうね。父や息子の肖像画が痩せ型なのに信玄だけ恰幅が良いのも不自然ですからね…
光秀天海説もそうだけど、日本には判官贔屓って言葉があるからね。人気者には生き延びてて欲しいって願いから生まれた説でしょうね
歴史は勝者のものだということだ
まぁ川中島の戦いで有名な絵の様に上杉謙信と武田信玄が剣を交えたと信じてる人が居るし三国志と三国志演義が同じと思ってる人が居る位だからな。
最初、古伝書物が近代に書かれているんだったら偽書でしょと思ったけど、書物は劣化して紛失しないように写本して後世へ残して行く事もするという事を聞いたら、近代に書かれたとしてもそれが全部ウソとは限らないのではないかと思うようになりました。写本したその時の人が、その時代の言葉で分かりやすく書き換えた人もいるんじゃないでしょうかねえ。中二病にかかった人物が写本してしまったら、ラノベみたいになっちゃった書物もあるんでしょうねえw 孫氏の兵法も、後の時代の曹操が注釈を加えて曹操版として書き残してたりしますから。すべてがウソと決めつけるのも偏ってしまうかもしれませんねえ。
そもそも破れるような天井が張ってなかった。神仏の区別がついてなかった。あの和田氏ってのは。
椿井氏 地図のトラップストリートの逆バージョンをしていて草WW
小説「ジンギスカンの秘密」のラスト成吉思汗=(昔を今に)なすよしもがな =吉野山の誓い成りて水干を思う 面白かった
民明書房
日本書紀も古事記も勝者の書いた偽書だろうねw
記紀・記紀といいだっしぺが、あのウソ800の明治政府。
「偽書」とは成立年代を偽って、いかにも古代中世に書かれたものですってうたっていながら実際は近世近代に書かれたものです。「古事記」も「日本書紀」も内容の正誤はともかく偽書ではありません📕
偽史と偽書は別物です書かれている内容が真実か嘘かは、偽書であるかどうかとあまり関係ありません偽物の本を本物だと言っていたり、別の作者が書いたのに嘘をついて◯◯が書いたと称しているような本を偽書と呼びます日本書紀や古事記は奈良時代の朝廷が編纂したもので、いつ誰が作ったかということがひとまず確定しているので、中にいくら歪められた歴史が書いてあったとしても偽書とは呼ばれません実は江戸時代くらいに誰かが捏造したものであったと判明したら、内容が今と全く同じであっても偽書と呼ばれます
「源義経が書いた本」とされているが、実際に書いたのは実はコメ主さん、みたいなのが偽書です後世のコメ主さんが歴史書を読んで書いたものなので、歴史学的に正しいことも含まれるでしょうが、でも義経が書いたと嘘をついているので偽書になります日本書紀や古事記はできた経緯は明らかで誰かに仮託されてもいないので、いかに勝者に都合のいいことが書かれていたとしても偽書にはあたりません
江戸しぐさなんて聞いた事も無いんですけど…口伝とかホント笑えますね。三韓征伐、私の時代の教科書には無かったなぁ。神功皇后=卑弥呼説は、朝廷が邪馬台国から続く正当な王権であると言い訳する為にも是非盛り込みたい逸話であり、大いに有り得ますね。
畿内にある耶馬台国ってだけで、少し偏ったご感想と理解しました
鳥取トムって、シーボルトの真似をしたのね。昔からなんかやっちゃう人っていたんですね。😅
あの伊達正宗の前立ても江戸時代に作られたもの?嘘だぁ。西郷どんの上野の銅像も、奥さんが違うと言ったのは、こんな服装をして犬を散歩にしに行ってないと云う意味が真相らしい。
戦国時代の鎧は有名、メジャーでないか⁉︎5月人形は源平時代
偽史といえば東日流外三郡誌と古田武彦。古田は自分の妄想を本にして出鱈目日本史を作り出した糖質
古田先生の場合、ほんと自覚なさそうですよね…
偽の日本史の紹介で、偽の源頼朝の肖像画を使ってるあたりが憎いね。
昔から自分の妄想を歴史文書として捏造する輩は後を絶たない。ある意味コミケで出る同人誌。
すみません私は最強の格闘技はプロレスであると今でも信じています。事実なんです。ちなみにゴルフの起源は…
古代中国人の呉竜付ですね!
ケチャップの語源は中国語最初聞いた時は民明書房ネタかと思った
偽書 と わかった上でロマンを信じるのはありかも😊
ウソも熱意を感じるように100遍唱えれば真になる。
歴史の専門家ではないからはっきりとは断言しないが、「『立物』が江戸時代以降に職人が観賞用に作ったものだ」というのは暴論ではなかろうか(戦のない江戸時代になって凝り性の変態職人が観賞用に奇天烈な立物を作るようになった」というのは本当かもしれんが)。もし、この「『立物』が江戸時代以降に職人が観賞用に作った」とすると、それ以前の(例えば古墳時代、奈良飛鳥時代、平安時代以降の)遺構などで発見される兜の「立物」は何なのか。やっぱりえどじだいのしょくにんがつくったんですかねー(棒)。また、大混乱戦の中で討ち果たされた真田幸村(信繁)はともかく、伊達政宗や直江兼続の兜にある立物は、死後に埋葬品として本人の墓などに入っていたり、菩提寺や神社に納められたりしていたものだが、それをわざわざ「えどじだいのしょくにん」が掘り起こしたり引っさらったりしてあんな加工をしたというのか?相当暇すぎんな、えどじだいのしょくにんどもは(笑)。そもそも、戦乱期や合戦の最中に、守るべき対象がそんな目立つものをつけてたら危ないだけ、というのはちょっと違う気がする。指揮官や上級将校である部将、大将が危ないながら指揮を執っている、ということ、生きて動いている、という事をある程度離れた距離にいる兵たちにも知らせる(直接見せられるわけではないにせよ、大将の周りにいる旗持ちや付近に布陣している部将が君主の生存を確認し、持ち場を離れていないところを見るだけでも生存が確認できるので)という意味で、危なくても立物をつけた兜をかぶっていたという方が合理的である気はする。勿論、混戦を極めて大将も刀を振るって戦うような状況だったり、そもそも形成が不利でいったんその場を逃げなくてはならなかった場合などにいつまでも飾り物をかぶっていられないケースはあったかもしれない(とはいえ、その戦場を逃げたにしてもどこかで兵を集め直すのに多少の効果はあったと思うが)ので、江戸時代の職人がー、と言い切るのも極端な物言いだ。
偽の歴史を紹介する動画でAI画像をさも著者本人であるかのように載せるのはどうなのか。
現代の傘でも簡単にすぼめられるけど人とすれ違うときはちょいと横によけるじゃん。。時間の概念だって2時間が一刻として存在したでしょ。なんか江戸しぐさの否定派の言い分が無理やりだなぁ。
とても興味深い内容でした!知らなかった日本の裏話を学べて面白かったです
デジャヴ? かと思ったら総集編でしたか。 もう一度おさらいするのも良いですね。
あの「竹内文書とは無関係に戸来村にキリストの墓が伝わっていたという方がよっぽど自然だ」という発言はなんだか・・・
「ナニャドヤラ」に関してもヘブライ語に直したら意味が通じたってのもこじつけの限りを尽くしたもので、地元の案内では「方言が崩れたものという説」も併記してあります。
と学会が「何や、どやろ」とか言ってましたしね。「何故、東北で関西・西日本ふうの言葉?」と思う人もいるかもしれないけど、
外国からキリシタンが来たというより、西日本人が来たという方がよっぽど自然ですしね。
実際、東北の名家や大名などの祖先はほとんどが畿内発祥ですし。
この歌の全詞ですが
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド
ヘブライ語なんて持ち出さなくても、十分に日本語で解読可能ですね。少なくとも沖縄民謡よりは遥かにわかりやすい。
柳田國男氏は「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」 というふうに訳してます。
睡眠導入で使いたい程長い動画はゆっくりは不向きだと再確認した
甲斐善光寺の木造源頼朝坐像と実朝坐像は生前の面影を残しているのでは?と言われていますね。頼朝は鼻筋が通って思慮深そうな、実朝は線が細く大人しそうな感じで個人的にイメージにも合っていると思います。
武田信玄は痩躯だったと言われているので、畠山義続像(暫定)のダルマ親父とはかけ離れていたでしょうね。父や息子の肖像画が痩せ型なのに信玄だけ恰幅が良いのも不自然ですからね…
光秀天海説もそうだけど、日本には判官贔屓って言葉があるからね。人気者には生き延びてて欲しいって願いから生まれた説でしょうね
歴史は勝者のものだということだ
まぁ川中島の戦いで有名な絵の様に上杉謙信と武田信玄が剣を交えたと信じてる人が居るし三国志と三国志演義が同じと思ってる人が居る位だからな。
最初、古伝書物が近代に書かれているんだったら偽書でしょと思ったけど、書物は劣化して紛失しないように写本して後世へ残して行く事もするという事を聞いたら、近代に書かれたとしてもそれが全部ウソとは限らないのではないかと思うようになりました。写本したその時の人が、その時代の言葉で分かりやすく書き換えた人もいるんじゃないでしょうかねえ。中二病にかかった人物が写本してしまったら、ラノベみたいになっちゃった書物もあるんでしょうねえw 孫氏の兵法も、後の時代の曹操が注釈を加えて曹操版として書き残してたりしますから。すべてがウソと決めつけるのも偏ってしまうかもしれませんねえ。
そもそも破れるような天井が張ってなかった。神仏の区別がついてなかった。あの和田氏ってのは。
椿井氏 地図のトラップストリートの逆バージョンをしていて草WW
小説「ジンギスカンの秘密」のラスト
成吉思汗=(昔を今に)なすよしもがな
=吉野山の誓い成りて水干を思う 面白かった
民明書房
日本書紀も古事記も勝者の書いた偽書だろうねw
記紀・記紀といいだっしぺが、あのウソ800の明治政府。
「偽書」とは成立年代を偽って、いかにも古代中世に書かれたものですってうたっていながら実際は近世近代に書かれたものです。「古事記」も「日本書紀」も内容の正誤はともかく偽書ではありません📕
偽史と偽書は別物です
書かれている内容が真実か嘘かは、偽書であるかどうかとあまり関係ありません
偽物の本を本物だと言っていたり、別の作者が書いたのに嘘をついて◯◯が書いたと称しているような本を偽書と呼びます
日本書紀や古事記は奈良時代の朝廷が編纂したもので、いつ誰が作ったかということがひとまず確定しているので、中にいくら歪められた歴史が書いてあったとしても偽書とは呼ばれません
実は江戸時代くらいに誰かが捏造したものであったと判明したら、内容が今と全く同じであっても偽書と呼ばれます
「源義経が書いた本」とされているが、実際に書いたのは実はコメ主さん、みたいなのが偽書です
後世のコメ主さんが歴史書を読んで書いたものなので、歴史学的に正しいことも含まれるでしょうが、でも義経が書いたと嘘をついているので偽書になります
日本書紀や古事記はできた経緯は明らかで誰かに仮託されてもいないので、いかに勝者に都合のいいことが書かれていたとしても偽書にはあたりません
江戸しぐさなんて聞いた事も無いんですけど…口伝とかホント笑えますね。
三韓征伐、私の時代の教科書には無かったなぁ。神功皇后=卑弥呼説は、朝廷が邪馬台国から続く正当な王権であると言い訳する為にも是非盛り込みたい逸話であり、大いに有り得ますね。
畿内にある耶馬台国ってだけで、少し偏ったご感想と理解しました
鳥取トムって、シーボルトの真似をしたのね。
昔からなんかやっちゃう人っていたんですね。😅
あの伊達正宗の前立ても江戸時代に作られたもの?
嘘だぁ。
西郷どんの上野の銅像も、奥さんが違うと言ったのは、こんな服装をして犬を散歩にしに行ってないと云う意味が真相らしい。
戦国時代の鎧は有名、メジャーでないか⁉︎
5月人形は源平時代
偽史といえば東日流外三郡誌と古田武彦。古田は自分の妄想を本にして出鱈目日本史を作り出した糖質
古田先生の場合、ほんと自覚なさそうですよね…
偽の日本史の紹介で、偽の源頼朝の肖像画を使ってるあたりが憎いね。
昔から自分の妄想を歴史文書として捏造する輩は後を絶たない。ある意味コミケで出る同人誌。
すみません私は最強の格闘技はプロレスであると今でも信じています。事実なんです。ちなみにゴルフの起源は…
古代中国人の呉竜付ですね!
ケチャップの語源は中国語
最初聞いた時は民明書房ネタかと思った
偽書 と わかった上でロマンを信じるのはありかも😊
ウソも熱意を感じるように100遍唱えれば真になる。
歴史の専門家ではないからはっきりとは断言しないが、「『立物』が江戸時代以降に職人が観賞用に作ったものだ」というのは暴論ではなかろうか(戦のない江戸時代になって凝り性の変態職人が観賞用に奇天烈な立物を作るようになった」というのは本当かもしれんが)。
もし、この「『立物』が江戸時代以降に職人が観賞用に作った」とすると、それ以前の(例えば古墳時代、奈良飛鳥時代、平安時代以降の)遺構などで発見される兜の「立物」は何なのか。
やっぱりえどじだいのしょくにんがつくったんですかねー(棒)。
また、大混乱戦の中で討ち果たされた真田幸村(信繁)はともかく、伊達政宗や直江兼続の兜にある立物は、死後に埋葬品として本人の墓などに入っていたり、菩提寺や神社に納められたりしていたものだが、それをわざわざ「えどじだいのしょくにん」が掘り起こしたり引っさらったりしてあんな加工をしたというのか?
相当暇すぎんな、えどじだいのしょくにんどもは(笑)。
そもそも、戦乱期や合戦の最中に、守るべき対象がそんな目立つものをつけてたら危ないだけ、というのはちょっと違う気がする。
指揮官や上級将校である部将、大将が危ないながら指揮を執っている、ということ、生きて動いている、という事をある程度離れた距離にいる兵たちにも知らせる(直接見せられるわけではないにせよ、大将の周りにいる旗持ちや付近に布陣している部将が君主の生存を確認し、持ち場を離れていないところを見るだけでも生存が確認できるので)という意味で、危なくても立物をつけた兜をかぶっていたという方が合理的である気はする。
勿論、混戦を極めて大将も刀を振るって戦うような状況だったり、そもそも形成が不利でいったんその場を逃げなくてはならなかった場合などにいつまでも飾り物をかぶっていられないケースはあったかもしれない(とはいえ、その戦場を逃げたにしてもどこかで兵を集め直すのに多少の効果はあったと思うが)ので、江戸時代の職人がー、と言い切るのも極端な物言いだ。
偽の歴史を紹介する動画でAI画像をさも著者本人であるかのように載せるのはどうなのか。
現代の傘でも簡単にすぼめられるけど人とすれ違うときはちょいと横によけるじゃん。。
時間の概念だって2時間が一刻として存在したでしょ。なんか江戸しぐさの否定派の言い分が無理やりだなぁ。